面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

燃える想い

2007年02月25日 | Weblog
 燃える想いは永遠に続いても、身体無くしては伝えることが出来ない。ここまで生きたら、自分の身体があとどれほど酷使に耐えられるか、おおよその見当はつく。目的地に着く前に燃料切れになるのは耐えられない。かといって目的地を変更するのはもっと耐えられない。父や恩師、数多の老人をみて学ぶことは多い。行けるところまで行って、あとはたのんだよ、と、笑って死ねたら悔いはない。
 今、死に際の老人二役に挑戦している。あまりに難し過ぎて、思わず髭を剃ってしまい、演出家にダメを出された。俳優は自分の外見を勝手に変えてはいけないことさえ忘れていた。初日まで三週間あるので伸びるだろうが…。旅の腹話術師福笑井正一は愛用の人形を残して、街の猿回師犬山太郎は相方猿の次郎を残して、共に笑って死んで逝くのだが…。過ぎ去った昔が懐かしいのは未来があるからだ。別れたひとに逢えるかもしれないと思えるのも未来があるからだ。この夜半、人生の幕が閉じるとき、どうやって笑えばいいのだろう。あと三週間で答えが出たら、僕の初日だ。いや、燃える想いも表現出来なければ、ただの燻りになってしまうなあ。作家としてならすぐ解かるのに、この身体が…。

五千年の営み

2007年02月23日 | Weblog
 木々の緑が紅や黄色に色づく事の意味を知ったのは、ある詩人のうたからだった。やがて枯れゆく我が身に何の栄養も残されていない事を虫や鳥達に警告するために、散りゆく前に色をかえるのだと詩人は詩っていた。その事を生物学的に知ったのはずっとあとだった。知識人と呼ばれる方々が本が売れない時代を嘆いておられるのを聞いた。本が売れないのは「社会的他者」を欲しない若者が増えたからだと言われる。他者を欲せず自己の領域に閉じこもれば、もはや文化だけでなく社会そのものが消滅する、と、嘆かれるのだ。僕が詩人のうたを思い出したのは、その警鐘に少し違和感を持ったからだ。大人は昔から、自分が若者だった事を忘れ、若者を貶す。「社会的他者」を欲しないなら、インターネットの普及はない。ニューヨークに12時間で行けるからと、毎月ブロードウェイにお芝居を観に行く友人もいる。パリのレストランのメニューが変わった事など瞬時にパソコンの画面に出る。室町や江戸時代より、本は売れているのだ。大袈裟にいえば、殺人や自殺だって明治、大正、昭和より、ずっと減少している。大人は何ゆえ現代を嘆くのだ。そろそろ、五千年の営みから何かを学びましょう。
 そりゃあ僕だって、自分の劇団の芝居を沢山の方に観てもらいたいさ。映画が生まれてたかが百年、テレビなどわずか五十年ではないか。芝居は三千年前から続いている記録もあるぞ。って、だから何なの、といわれると、何でもありませんと答えるしかない。
16時の待ち合わせに遅れそうなので、行って来ます。

夢実験について

2007年02月23日 | Weblog
 26年前の夢実験の顛末を書くつもりでいたが、不特定多数の方が読まれるブログに発表するのは控えておいた方が身の為です、と、某見識者の方に、脅かすでもなく静かに諭されたので、臆病風に吹かれて指先が止まった。あの時、実験に参加した弟子のK君は、25歳で一夜にして総白髪と化してしまった。50歳を過ぎてようやく白髪も似合う様になって、僕はほっとしている。ですので、ユングの夢実験からヒントを得て、8年の歳月をかけて考案した夢実験の詳細は僕の遺言書に収めて置きます。その5年前、K君にとっては親友僕にとっては初めての弟子であるSが亡くなったことで、僕達はかなり虚無的な生活にあった。しかし、K君の勇気には深く感謝している。TBSピアノ事件、正倉院事件、府中事件、僕とK君のコンビは、最高だった。僕が35才で倒れてからK君はバカを辞めて結婚し、今では5人の子供を育て、立派な社会生活を営んでいる。42歳で再び倒れたとき、僕も「更正」という文字が脳裏を掠めたが、掴み取る事が出来ずに今もバカのままだ。五反田にプレミアムショップを開店したTも20年前「業界くん物語」を実践していたバカ仲間の一人だが、芸は身を助けるを証明した。僕もビートルズやストーンズのレコードは持っているが、全員のサイン入りなんて…、盗難にあわない事を祈る。
 ところで、どなたか僕のクラプトンモデル335を欲しい方いらっしゃいませんか?実は昨日Tの店でものすごく欲しいレアものを見つけてしまったのです。よろしく。

興奮しました。

2007年02月22日 | Weblog
20年来の友人が五反田に60年代ポップスシーンのプレミアムグッズ店を開店したのでお祝いに行って来ました。写真参照、ビートルズのレア物やクィーンなどなど、店中に溢れる懐かしくも憧れの品々に興奮しました。ポールのリッケンバッカーなど、思わず持って帰りたくなりました。五反田から中原街道を1キロ程上った右側にあります。是非お出かけ下さい。朝倉に聞いたと店主に云えば値引きしてくれます。
 プレミアム・アーティスト TEL03-3784-7818

人形と猿のお話

2007年02月20日 | Weblog
 物語が生まれるのはどちらかと言うと朝が多い。今回の新人公演LOVE ME DOLL!を思いついたのも朝でした。腹話術師が死んで人形が残り、猿回しの親方が死んで猿が残る。孤独な人形と猿が出会い旅をする。探すのは「火星の笛吹き」とお互いのパートナー、それが腹話術師と猿回しの親方の遺言。人形役は幕田美子、猿役は村井良大、そして物語の鍵をにぎるガブリエル役に淺川亮一、三人の最強新人です。今回、安達竹彦君演出なので、僕もオーディションを受けて役を貰いました。久々に舞台に立つ事が出来ます。3月22日から25日は、是非とも坂上のアトリエまでお越し下さいませ。残り1ヶ月で面白いお芝居に仕上げます。確信犯的に現実逃避です。
 昨夜は日舞のおさらいに出かけて来ました。藤間寿美穂先生の容赦ない叱責に耐えて、国立劇場の檜舞台に立つのは11月です。こちらも是非お越し下さいね。何だか、今日は朝から宣伝ばかり書きました。今、ゲートボール小説を書いているのだが、誰に読ませたいのか、わからなくなったので、自分が読みたい話になってしまった。こんなのばっかりたまって、どうするんだろう…。夢の話もノート30冊はある。少しも自慢にならないのが、何とも滑稽である。明日は、30年前にK君とやった夢実験の話を書きます。

雨上がりの空と僕の心情

2007年02月19日 | Weblog
 朝の10時に迎えに来ると言った静岡のSママから何の連絡もなく昼になり、「西域伝」上下巻を読み終えたのが5時だったから、僕は晴れた日曜日の空を見上げて庭の椅子でぼんやりしていた。今日は都心を封鎖しての東京マラソン、Sママは車で渋滞に巻き込まれているのかも知れない。K氏から預かったCDRがPCでしか観れないのでTに先に観てもらう事にした。15時、Tが来て、噛み合わない映画の話を1時間ほどして帰った。W氏から電話があり、18時に新宿で待ち合わせた。Sママとは久々にお茶でも、という約束だったが、連絡が取れないので諦めて新宿に向かった。実は金曜日のマッサージで身体のあちこちが軋むのだが、我慢して歩いた。夕暮れ間近の空も、何の憂いもないような晴れ方だった。W氏から貴重な資料を受け取り、ついでに彼の実家の水菜を頂いた。帰って資料のカセットを聞きながら、水菜でお茶漬けを掻き込んだ。あれから、ずっとカセットを聴いている。120分ものが6本あるのだ。そろそろ、空も白み始める時間だ。今日は日舞のおさらいに出ようと思っていたのだが、無理かも知れない。

間抜けな調布遠征。

2007年02月17日 | Weblog
 思いこみ失敗最新作!Tと坂上で待ち合わせて調布文化会館へ向かったのが12時前。電車の乗り継ぎも順調で13時前に調布駅に着く。開場は14時と覚えていたので空腹を満たすことにする。映画の話をしていると二人とも時間を忘れるので、僕は度々時計をみる。北口のパルコ地下にあるキーコーヒーで時間を潰し、14時、楠ホールへ向かう。
 ここまでは、事は順調だった。ランチが外れなのは失敗の内に入らない。早く着きすぎたのだって、悪い事ではない。Tも僕も、堂々と受付に向かった。正面扉に張り紙があった。会場14時半、上映開始15時、そうか、30分早かったか。ん?…僕らは顔を見合わせた。上映?芝居なら開演ではないのか?僕らの動揺を見てとったのか、受付の方が「何か??」「あのう、舞台は?」「はい、昨日が演劇科で、今日は映像科の発表会ですが」「そうでしたか!」僕らの落胆にその方は携帯を取りだし、演劇科の先生に連絡を取って下さった。「朝倉薫です」「残念ですねえ、是非お見せしたかったです」「僕も残念です」と、まあ、親切にも電話まで替わってもらった。折角招待状を貰いながら、確認しろよな!と、自分にも、Tにも反省を促す。15日、16日の二日間だとすっかり思いこんでいたのだ。そうだよ、日活だもの映像科もあるだろう。
 新宿に戻ってTと別れたとたん、全身に疲れが。立っているのも辛くて歌舞伎町のサウナに転がり込む。陽気なマッサージ師に「死相に近い疲れが出ている」と、脅かされながら、ツボを押されるたびに悲鳴を上げ続けた。お陰で、18時からの稽古は妙にテンションが上がった。22時、坂上で待ち合わせたY氏が現れたので稽古を切り上げ近所の居酒屋へ。芝居の話で盛りあがり、24時、場所を深夜レストランに移して27時までしゃべり続けた。「それじゃ、また」と、別れた後で肝心の話を忘れていたことに気付いた。本日間抜けの打ち止めである。落ちこむ自分に呆れる僕が、深夜の中野坂上交差点に立っていた。

乱読

2007年02月16日 | Weblog
 脳というのは、若い頃の記憶を残して、一定の量を溜めるとその後は粗末に扱うらしい。つまり、若き日の出会いや失恋、感動、激怒等は鮮明に残っていて、昨日の食事の味などは思い出せないと言う事だろう。ここに来て乱読の弊害が出始めたようだ。暗誦出来たり暗筆出来たりするのは殆ど十代か二十代に読んだ書物ばかりで、最近の新書は全く心に残らない。「バカの壁」や「99.9%は仮説」等のベストセラーも読んだが、人には語れない。今も新刊は一割、後は古本の読み返し。例えば今週、新書は「阿修羅ガール」だけで、西域伝(伴野朗)上巻、食物漫遊記(種村季弘)民話の村雪の村(三浦浩樹)散文(谷川俊太郎)等などで、読み返しの本が多い。もし、僕のブログを読んで下さる方の中に十代二十代の方がいらしたら、今ですよ!脳が記憶してくれるのは。乱読は止めて心に残したい珠玉の作品を深く読まれることを奨めます。
「犬のいもうと」以来、「笑うウッデンドール」や、円月丸シリーズなど書くものも「とんでも」だと指摘を受けるのも、脳に関係があるのかも知れない。つまり、話があちこち飛んだり跳ねたりするのは、若い頃の乱読が原因ではないかと、いや、失礼、「裸月物語」や「沈まない船」は随分昔に書いていましたね。僕のたわごとでした。これから、調布で日活芸術学院の「卒業公演」を観劇してきます。ひとり、足を運びたくなる新人がいるのですよ。惹きつける魅力というのは、俳優にとって一番大切な「何か」だと思います。楽しみです。

倒れてもなお

2007年02月15日 | Weblog
 出来る事の全てをやったと思っても、自己満足に過ぎなかったりする。何処まで書いても完璧はない。だが、時間という制限がある。それが仕事だ。文字通りタイムイズマネィである。脚本の仕上げが遅れ、日活芸術学院の卒業公演には明日出かけることにした。それでも、18時からは新人公演の稽古が始まる。
 昨日のバレンタインデイにN嬢からアラミスのコロンを頂いた。ホワイトデイとやらが、恐い。何か欲しいものは?と聞かれ、何気に言うものではない、と、反省している。市販のチョコレイトで充分嬉しいのだから。勿論、アラミスなど自分で買うことはないので、それは大変感激している。「4711」から「アラミス」に替えるのは「ヘップバーン」から「モンロー」に替わるよりも有り得ない交代劇かもしれない。いい機会だと考え、頑張ってみよう。しかし、アラミスで電車には乗りづらいなあ。大人の男の仲間入りだ。倒れてもなお、書き続けよう!

夜明けの雨

2007年02月14日 | Weblog
 悪夢に魘されて目を覚ませば頚椎から滲み出た髄液が拷問の油地獄と責め立て、夢をさ迷う方がまだ楽かとため息を吐く。よもやと引き戸を開ければ庭に雨の雫。明け始めた朝の空気は重く冷たい。天気予報よりた確かな首の痛みが雨の到来を告げるようになって、もう何十年が過ぎたのだろう。19歳で二十歳の死を予感し、三十代では四十の先は滝となって断崖から落ちていた。それがなんと半世紀を生き、還暦が目の前に迫っている。何処まで生きるのか皆目分からない。あっけなく逝ってしまえばそれはそれで済むのだろうが、八十も九十も数えれば世間に迷惑かもしれない。夜明けの雨は、つまらない事を考えさせてしまう。書き上げた脚本を読み返したら今までにない感触だったのでTに電話で読み上げようとしたら、ワープロを打つときの楽しみがなくなるから止めてくれ、と断られた。この7、8年、僕の手書きの原稿は全部Tに活字にしてもらっている。全くのボランテァなので、本当に感謝している。独立されたら困るので楽しんで打てるホンを書き続けようと頑張っている。まるで千夜一夜の囚われ姫だ、と、それは美しすぎるかな。兎にも角にも、千の物語を紡げれば命果てても悔いは残らないだろう。まだまだ遠い。