Photo 2005.6.12
所在地 建設年 構造・階数 設計 |
野村證券 (旧日本橋野村ビル) 中央区日本橋1-9 1930(昭和5) SRC・7F 安井武雄 |
日本橋御幸ビル(右) (三菱東京UFJ銀行/旧東海銀行) 中央区日本橋1-7 1975(昭和50) SRC+S・11F 日建設計 |
日本橋の南詰にある二つの対照的な建物。昭和初期に建てられた近代建築と、70年代のモダニズム建築。
野村證券は増築部分と合わせると船のように細長く、7Fだけが白く艦橋のようで、頂部の塔も船の煙突のように見える。折衷主義の名作と言われる堂々とした建物。手元の「建築探偵術入門」(東京建築探偵団、文春文庫ビジュアル版、1986)を見ると、昔は建物の左手前に交番があり、目立っていたのが、右側に移設され比較的目立たないデザインになったことが判る。
三菱東京UFJ銀行(旧東海銀行)の方は、野村證券と対峙するかのように鋭利な姿を見せる。西側、南側には玄関以外に全く開口部が無く、まるで彫刻かモニュメントのよう。レンガ風の赤いタイルが鮮やかで野村證券と共に日本橋の新たなランドマークとなっている。
調和という観点からすると、確かにかなりギャップのある風景。大きさもデザインもかなり異なる。しかしタイルが同じ赤系統なのでひどい対立にはなっていない。
Photo 2006.1.27
中央通りは日本橋を境に少し向きを変える。日本橋三越の方から見ると、野村證券の建物はアイストップの位置にある。恐らくこの建物は、そのように見えることを想定して設計されているのだろう。しかし旧東海銀行の建物はその景色の背後に壁のように建ってしまった。ヴォリューム上の要請とはいえ、ちょっとこれはもったいない景色だった。そして更に旧日本橋東急の跡地に建った日本橋コレドによって、この景色は大変貌することになった。日本橋コレドは、東海銀行の建物よりも遙かに巨大であり、今では野村證券の建物は、可愛らしく思えるほど小さく見える。しかも日本橋コレドは、このアイストップの景色に完全に背を向けてしまっており、正面に比べて無粋な背面が大きく見えているのだ。地価も高く、有効活用が期待される日本橋周辺ではあるが、商業的価値の向上だけでなく、景観的価値をも大切に保持する取り組みが、もう少しあればと思わずにいられない。
>日本橋からの景色を後から追加しました。
それにしても「三菱東京UFJ銀行」って長い名前だなー。合併に次ぐ合併で、どんどん名前が変わるので、昔の銀行の名前が全然思い出せなかった・・・。
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