昨日は野村證券と旧東海銀行が日本橋三越あたりの中央通りからアイストップになっていると記した。ちょっと気になってきたので、中央通りを南下しながら同様に見てみることにする。
日本橋高島屋付近から汐留の電通本社ビルを望む
Photo 2006.1.27
中央通りの横断歩道を渡りながら撮ってみた。真正面にエライ存在感で電通本社ビルが建っている。手前には銀座三越の裏手にある王子製紙本社ビルが見えており、以前はこれがアイストップだったのだが、電通ができて銀座を飛び越えて汐留の建物がアイストップになった。電通ビルは、見る方角によって細くなったり幅広になったりするのだが、中央通りから見るとべたっと幅広い状態で見える。
京橋付近から銀座方面と汐留シティセンター
Photo 2006.1.27
もう少し南下して京橋付近になると、京橋で中央通りは少し向きを西に変える。すると今度は汐留シティセンターが街並みの背後に聳えるようになる。銀座の建物は、銀座ルールなる暗黙の紳士協定のようなもので、軒高が56m以下になっている。そのお陰で銀座の街並みは比較的揃っているのだが、汐留エリアの200m級の建物は、銀座の街並みの向こう側に、銀座ルールなど全くお構いなしに建っており、少し広い視点、遠い視線で見てみると、街並みがかなり乱されてしまっていることが判る。
花の都パリでは、バロック期のオスマンの都市計画により、アイストップを多用した街並みが造られている。アイストップの対象となる建物は、凱旋門やオペラ座、有名な寺院、モニュメントなど、文化財的なランドマークばかり。一企業の建物がアイストップになっている例はほとんど無い。現代においてバロックの都市計画を再現しろというつもりはないが、アイストップを効果的に用いた都市景観は一つの財産であり、そういう都市景観計画がもっと考えられても良かろう。
地方都市では山や城をアイストップにして都市景観計画を行っている例も増えてきている。東京でも、絵画館前、国会議事堂前、東京駅前の行幸通りなど、公共系で既存のヴィスタ景とアイストップ景観については、東京都の都市景観マスタープランをもとにしてコントロールするようになっている。しかし、これからアイストップ景観を巧く創るということは、まだあまり実例がない状況。
汐留のビル群は、デザイン検討の際に、どの程度アイストップとしてのランドマーク性について考慮したのだろうか? 汐留シティセンターについては、アイストップになることを認識していたという文面を読んだことがある。一つの民間建物が、中央通り等のメジャーな通りでアイストップになり、それだけで視線を一手に集める時、広告塔として更に目立つようにデザインするか、街並みに合わせてできるだけ調和しようとデザインするか。景観法が成立して、景観の向上に努めねばならないことは決まっている。しかし現在は、まだ建築家、施主の良識に頼る面が大きい気がする。
ところで、日本橋に最近オープンした三井記念美術館に行ってきた。三井が所有する茶器などの美術品が展示されているのだが、現在は開館記念特別展として、日本橋を描いた江戸期の北斎、広重、清長らの浮世絵版画などが一堂に会して展示されている。その中に、駿河町の越後屋の通りを描いたものがある。そして通りの正面、つまりアイストップの位置には富士山が描かれている。
江戸期の城下町計画に際しては、山あてといって、通りの延長線上に山が見えるように街が計画されたといわれる。日本でも江戸期には既に、バロック的な景観を考慮した街区計画がなされていたわけだ。上記の駿河町は富士山を望むように道が造られた街なので、お天気なら正面に富士山が見える。ちょうど現在の三井本館の脇の道、中央通りと直行する道。江戸で一番繁盛していたこの道から、現在は富士は見えない。
現状では、放っておくとあちこちの通りの末端正面に民間建物が建ち、まるで栓をするように次々に視線を塞いでしまう可能性がある。アイストップのコントロールによって、良好なヴィスタ景観を創造しうる道を、まずリストアップし、個別に対策を講ずる必要があるのだろう。
ところで、さきの三井記念美術館に隣接する日本橋三井タワーだが、これも周辺を圧倒する高さを持つ、巨大ランドマークとなっている。日本橋、八重洲、神田周辺の通りを歩いていると、突然巨大なお姿が見えて唖然とさせられることが多い。日本橋の高速道路景観を憂い、昔のすばらしい景色として駿河町から見えた富士の浮世絵を掲げていることと、なんだかひどく矛盾している気がするのだが・・・。経済効率からするとこれまた仕方のないことなのだろうか。
#ヴィスタ #街並み 中央区 #旧東海道
旧東海道、中山道。なぜ、このあたりが
落ち着かない気分になるのか、よーくわかりました。
高速道路を地下化すれば解決するという
問題ではないですねえ。
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