都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

市谷薬王寺町の出桁商店

2009-12-13 | 新宿区  
市谷薬王寺町の出桁商店(米屋)
所在地:新宿区市谷薬王寺町62
構造・階数:木2
Photo 1995.6.3
1997年の住宅地図で既に消失、現在は駐車場。

 10年ぐらい前までは都心でもあちこちに出桁町屋があったが、いろいろな事情で徐々に少なくなっている。この米屋さんは表通り(外苑東通り)ではなく、そこから横道に入ったところにあったもの。1階の軒先は銅板貼りの庇になっている。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 新宿区  #出桁造り  #商業系 
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5 コメント

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Unknown (編集人)
2009-12-15 23:08:50
昔の建物って何とも言えない味があって良いですよね。
このブログには「Site Y.M. 建築・都市徘徊」から来たんですが、そこにある消防庁第一方面本部(旧田中邸)の写真をWikipediaに使わせていただけないでしょうか?
メールでの連絡先が見つからなかったのでこちらで質問させていただきました。
また見に来ますのでお返事いただければ幸いです。
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Unknown (asabata)
2009-12-16 05:03:20
編集人様
初めまして。御覧頂き有難うございます。

Wikipediaの田中長兵衛邸の記事、拝見しました。
現在、高解像度版はちょっとてもとに無いのですが、HPの画素数のままでよければ、そのままダウンロードしてお使い頂いて結構です。
近日中にWikiの記事にもリンクしようと思います。

「Site Y.M. 建築・都市徘徊」のTopには連絡先を画像表示しているんですが、レイアウトの関係とかで、ブラウザやモニターによっては見えなくなってしまっていることもあるようです。またLost Architectureの頁にはアドレスを表記してませんでした。
連絡先が分かりにくくてすみませんです。

今後もよろしくお願いします。
返信する
Unknown (編集人)
2009-12-16 22:13:21
さっそくのお返事、そしてご好意ありがとうございます。
メールアドレスは広い画面で見たら確認することができました。こちらこそすみません。
先日記入したURLは初代のWikiページでしたが、写真の田中邸を建てたのは2代目のようですので、そちらのWikiページに張らせていただく予定です。
Wikipediaのガイドラインによると、UPする画像は誰もが自由に使うことに同意したものに限るとあるのですが、その点については大丈夫でしょうか?

また、1つ伺いたいのですが、写真下の建築年の欄にあったT10前(1921前)の「前」とというのは「~年以前には建てられていた」という意味でしょうか?
お答えいただければ参考にしたいと思います。
それではまた。
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Unknown (asabata)
2009-12-16 22:55:16
編集人様
ガイドラインの件ですが。
WEB上に上げた段階で、既に無断転載される可能性はあると覚悟しているので、480*337程度の画素数なら、共有のものとして構いません。自分自身は積極的にWikiに上げてはいませんが、掲載して頂いて結構です。一方で、引用・参照だけでなく商業的印刷媒体にまで転載されてしまうとちょっと困るので、高画質画像の提供は控えている面がございます。

私自身、典拠を明示しておらず申し訳ないのですが、この建物の情報については、「日本近代建築総覧」日本建築学会編 技報堂出版(1983)をもとにしております。また建物については、「スーパーガイド 建築探偵術入門―東京、横浜の西洋館230を追跡する」東京建築探偵団 著(文春文庫―ビジュアル版)にもう少し具体的に記されていて、設計は旧帝国図書館(上野の国際子ども図書館)も設計した真水英夫という方だそうです。

T10前(1921前)も上記資料にもとづいているのですが、「大正10年以前に建てられた」ということだそうです。ただ、それ以前のいつ頃かは記されておらず、私も存じ上げません。
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Unknown (編集人)
2009-12-18 17:52:30
お世話になります。
上記の画素数480*337で十分です。
出典や設計者まで明らかにして頂きありがとうございました。画像は後日まとめてUPする際に拝借致します。
ご協力感謝致します。
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