日々の泡

こころに浮かんでは消え、消えては浮かぶ
日常のありふれた風景をスケッチ

残された・・・・

2013-08-29 09:36:57 | 日々
星は光っても でも あの星も お芝居なの

言葉が 死ぬとき めざめる 世界よ

夜空に かがやく 孤独の 星よ

みざめて 歌おう 酔っては 語ろう

本とじて 窓から 仰ごう 世界を

芝居は 終わっても 夜空は 終わらない

(「どうせ 芝居なのさ・・・」より)

勝手に載せてしまって、怒られるかな・・・・
いいや・・・・あっちにいってから・・・ちゃんと謝るから。

自分にしかわからない、自分の思い。後悔がひとつだけあるとすれば、この作品を演じられなかったこと、かな(笑)
(手元に残ってる一冊の台本)凄い!自分の役、あてがきで書いてもらってる~
難しかったんだよ、本当に・・・・いろいろ言われても、全然どうしたらいいのかわからなかった、当時。でも、今思うと当然。
あの時、どうやって演じよう、ってそればっかで、頭かちんかちんだった。
今、読み返してみると・・・・
演じる必要なんてまったくなかったんだね。ただ、いればよかったんだ~!だって、あれワタシなんだもんね(若い時のワタシそのものだったよね・笑)
ああ、残念。すげ~いい役!!(笑)ごめんなさい、さい!!忘れないから、許してね。って、いいながら再会したら、きっとまた、あれだよね~(わはは)。一緒に仕事は、無理だよね~~~(爆)最後の姿みてないから、思い出す時はいつも笑いと一緒ですよ。今度会う時は、お互いに大人になれているのでしょうか?おおいに疑問で楽しみです。(20歳も年上のくせに~~~・笑)<追悼文集が届いた日に>

時空のバイオリズム

2013-08-23 10:34:50 | 日々
時空のバイオリズム・・・そんなものが本当にあるような気がします。
予感、とか、「この日はきっと何かが起こる」「大切な日になるような気がする」それは、単なる妄想ではないですよね。
人間には、時空の風(バイオリズム)を感じる能力が残っているんだ、と思う。

東北地方は梅雨明けがだいぶ遅れて、一気に訪れた夏・猛暑。もうしばらくは続くのだろうけど、それでも夜になって虫の音を聞くようになると、厭が応にも夏の終わりを感じます(嫌じゃないけど・ちょっと寂しい気分にはなるかな?)
ワタシも季節の移り変わりとタイミングを同じにして、人生の区切り(次の段階に移っていくんだな)をちょっとした寂しさと、ほっとした気持ちとともに確信しています。ワタシの夏は終わり、これから秋の季節に入るんだ~!!(笑)ひとつの(自分の中の)時代の区切り。
ワタシの夏の時代(高校卒業して上京してから)は、超激しかったぞおおおお。ジェットコースターに乗ってるみたいだった(笑)疲れた==楽しかった♪
これからは、しっとりと落ち着きのある、そのイメージどおりの「秋の時代」にしたいな~。今までの経験から得たものを自分なりに消化しつつ、かき集めて。じっくりと、やりたいと思ったことに集中して取り組んでいけたらいいな、というのが望み。人生は、いつだって自分の思う通りにならないから面白い、ってこともあるけど、ね(苦笑)
人生というスパイラルの一歩進んだ着地点(素敵な言葉)この着地点が次への出発点になるってことなんですよね。
そんなふうに生きていけるように頑張ります!

クドカン、いいな~

2013-08-13 09:46:43 | テレビ
今朝の「あまちゃん」(笑)
橋幸夫と夏ばっぱの再会のシーン
(見てる)誰もが、橋幸夫は、そんな何十年も前の、地方公演の思い出なんて覚えてるわけないよ~
・・・夏ばっぱが傷つくの見たくないな~、とか思ってたんじゃないかな。

素敵だったね!!!「東京も捨てたもんじゃない」って(笑)
タイトル「あまちゃん」だしね。
本当のことをリアルに描くだけがいいってわけじゃないよね。「こうなったらいいのに」を表現してみせる、ってことも大事だよね。
そして、それがいつか現実のことになったら、最高だね。ヘナート・モタ&パトリシア・ロバートというアーティストに出会った時、表現された世界のあまりの美しさに、未来へのゆめを想像してしまったことを思い出した。そういうことができるアーティストがワタシは大好きなの。
来週は、渡辺えりさん主宰の300公演「あかい壁の家」を観に行きます。山形で、新劇とか商業演劇じゃない公演が見れるようになった!!
30年前からのゆめだったな。「新劇」「テアトロ」に載ってた戯曲を読んで、どんななんだろう、見たいな~って、ずっと思ってて(山形では、話し相手がいなかった。小劇場のよさが伝わってなかったから。)昔、小劇場にいた人たちがみんなメジャーになって、商業演劇に進出していくのを、複雑な思いで遠くから眺めてる自分がいます。変わらないで小劇場を貫いてくれてる人、素敵です。(ジャンル分けは、好きじゃないですけど。)
下北沢、よく行きました!大好きな街。本多劇場もそうだけど、ニール・サイモンのロングランをやってた駅前劇場、それにスズナリ(ぎゅうぎゅうずめ!)
おお、青春!なつかしや~(笑)お盆ですね。

心の叫び

2013-08-11 17:30:45 | 映画・音楽
ここ数日、ブログに昔のこと書き始めた。
歳をとった、ということでしょう。デトックスってあるでしょう・・・体内から老廃物を排出しちゃうやつ。
ここに書くのは、老廃物なんかじゃなく、ワタシにとって大切な過去の出来事ばかりなんだけど、一度吐き出した方がいいよな、って思ってたんだけど誰かに聞いてもらう、っていうのもピン、とこないから、ここに書き散らかしてしまおう(笑)興味のある人だけ読んでね(笑)

タップって、誰かから聞いたっていうわけではないけど、
「心の叫び」なんだ、ってワタシは思ってる。
それは、黒人の苦難の歴史をルーツにする=奴隷船の上で唯一許されたコミュニケーションから生まれたとされる・・・タップ
それは同時に、言葉に替わる、感情が表出したもの、と想像できるから。

タップに出会う前に、実は「心の叫び」という言葉を聞いていた。ずっとその言葉がワタシの心に残っていたから
タップを見た時、自分の記憶と重なったんだと思う。

その記憶とは・・・
ワタシが小学3年生の時、ローマのカタコンベというところでの出来事です!(じぇ、じぇ)
なぜ小学生がそんなところに(いるのか)、というと歌を歌いにヨーロッパへ行ったからです。(じぇ、じぇ、じぇ)
なぜワタシがヨーロッパに歌いにいくのか、という当然の疑問はさておいて(おいちゃいます!運命のいたずらです。)
カタコンベというのは、ヨーロッパ何カ所かに存在する、キリスト教弾圧の時代に教徒たちが逃げて隠れていた洞窟のような場所のことを言うそうです。(当時聞いた記憶)演奏会の前に、美術館で絵をみたり、教会を見学したり・・宗教曲を多く歌うこともあって、その背景を知っていた方がいい、ということもあったのでしょう(ワタシはクリスチャンではありません。)あくまでも、歌うため。

カタコンベの中に入ることができました。洞窟なので、暗くて、ひんやり。こんなところに隠れていたのか、と思うだけで涙が出てきます。このなかで何を思っていたんだろう、って。。小学生のワタシは胸がいっぱいになってしまいました。時空をこえて、あの時代のこの場所に-ただクリスチャンであるがためにー息を潜めるように隠れなければならなかった人たちーそんなことを想っていたら、壁から、無数の人の気配が。たくさんの人たちが「生きていたかったよう」ってワタシに向かって訴えかけてくるように思えた。全然怖いとは思わなかった。悲しくて悲しくて。悲しそうなたくさんの人たちの魂に飲み込まれるように、「生きていたかったよね」って心で話しかけてた。
洞窟から出た時、指揮者の先生が、宗教曲を「きれいに歌おうなんて思わないでください。」とおっしゃいました。
「魂の心からの叫びだと思って歌ってください。」と。
そのあと、サンピエトロ寺院の広場で、「さあ、練習だと思って歌ってみましょう」って、突然歌うことに。
もちろん、歌う時の気持ちは、カタコンベを見る前とはまったく違うものになっていた。
この時から、なんかワタシの心のなかによくわからない固まりみたいなものが入っちゃった気がする。そして、洞窟を出る時、ひとりじゃなかった気がしてしょうがないのは・・・・読まなかったことにして、スルーしてねっ!!

でもね・・・part2

2013-08-10 10:50:56 | ダンス
この話には続きがあるんだ。。。。

いくらTAPを習いにNYに来ているからといって、TAPが上手なわけでも、ダンサーとしてプロを目指してるわけでもない自分が(TAP始めてからも、継続してレッスンに行けてたのは2年くらい?)
いきなり、ホテルの一室のようなTVの収録現場で、タップの世界でいったら神様みたいな人たちが踊るのを、ほんとに間近、目の前で見れちゃうというのは、(そして、エキストラのような任務?もあった)少し時間がたって冷静に考えたら、やっぱりものすごーく驚きだった。例えば、小さい頃からバレリーナになるためだけにレッスンを続け海外に勉強しにいったり、コンクールで入賞するような才能あふれた人でも、簡単にモーリス・ベジャールとふれあえたりするものだろうか?最低でもプロであるという条件は必要とされるのでは?
TAPって、なんて素晴らしい世界なんだ、って感動してしまいました。こんな経験ができる人生が自分を待っていたなんて...想像すらできませんでした。山形でダンスなんて見た事なかったのが、いきなり!ですよ~。上京後との、すごすぎるギャップ(笑)

ワタシがこの経験で得たものって、最近ふりかえって反芻することが気がつくと多いんだけど、
自分が感動してたものの核の部分を自分に問いかけると、あの時も、今も決してタップの技術ではないんだよね。ワタシがたまらなく惹かれてるのって、それぞれのマスターの人間としての生き方、その生き方がそのまま現れているのが・・タップ。であるからして、決してこのふたつを分けることはできないんだよね。それと、マスター同士が存在する時につくり出す空気!!これは、お互いの才能を認め合って同じ世界を生きるものとしての・・・そういう人間同士が出会った時にしか生まれない素晴らしい世界なんだよな~~~(溜め息)

ワタシは、たまたまタップという特殊ともいえる世界に幸運にも出会うことになったから、人生の早い時期にこんな自分の日常からは想像もつかない世界があることを知ってしまった(しまった、なのか?!笑)
だけど、もっと驚くべきことは、TAPを皮切りに・・・それが、決してTAPの世界だけに存在するものではない、という当たり前といえば当たり前のこと、にも遭遇してしまう。演劇、音楽、映画、絵画・・・・それは、とっても幸せなことで、それは疑いの余地がないんだけど

どうしてこんな経験ができたのか。
運がよかった、かもしれない。自分の努力も少しはあった。
でも、それだけじゃない、って、、、自分が一番知ってる。
その時、その時に、与えてくれた人がいた。
ワタシは、若さに甘えて、与えてもらうばかりで。ほんのちょっとでも返せたらよかったのに。
(どうやって返したらいいのかわからなかったし、今でもはっきりした答えは見つけられない。)
・・せめて、返したいと思ってる自分を伝えることができたら、って。

人生は予測がつかなくて、面白い。できるのは、今を生きることだけ?・・・・な~んて、ね。