日々の泡

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タップのこと(と、それまで)

2023-01-25 13:34:28 | 演劇

では、「よいお芝居」についてはどうか?

「よいお芝居」があるなら、当然、「わるいお芝居」っていうものもあるんですよね。

・・・よいお芝居って・・

よい、って何でしょうね?

ここが難しい点(ところ)だと思うのです。

標語のように、ざっくりとただ「よい」という言葉を使ったのか、たくさんの意味を敢えて「よい」に込めたのか・・・・

たくさんの人を集めることで(何か目的を)実現できるようにする組織、

それを存続させることの難しい点、って。まさにここなんですよね。

何をもって「よい」お芝居だというのか。・・・それは、一人一人違うはず。そもそも、会に対する思いだって、会員間の温度差はかなりあるかと。。。

文化に飢えすぎているような状況であれば、どんなものを見ても幸せを感じられる、と思うのですが。。。

人間はどうしたって、わがままな生き物ですからね。

先輩方の様々な努力の結果、やっと地方に住んでいても生の舞台に触れられる機会を得られるようになったとして・・・

会員を増やすためにはどうしたらいいか、引き留めておくためには、どんな演目を例会に組み込んでいけばいいのか。。。。

役員の方は、さぞかし悩んだことだろうな・・・・

そんな苦労があること・・・若かった時にはさっぱり思いが至らなかったな・・・・

時代が変われば当然、役目を終えるものも出てきますよね。

でも、演劇鑑賞会に限らず、

全ての出来事において、

過去に、何かを始めてくださった方々がいた、ということが

どれほど素晴らしいこと、なのかを忘れてはいけないな、と。また、改めて反省したところでした!

 

 

 

 

 

 


タップのこと(と、それまで)

2023-01-24 14:36:39 | 演劇

「よいお芝居を より安く より多くの人で」

を、基本理念として、演劇鑑賞会は結成されました。というのが、前回のお話(笑)

このことについて考えてみましょう。(考えてみましょう!)

「より安く、より多くの人で」という部分は、

演劇の素晴らしさに気づく人が一人でも増えてほしい、受け取った感動は、一人でも多くの人と共感し合いたい、という思いももちろんあったのかもしれませんが、

(現実的に)安く観られるようにするために、たくさんの人を集めなければいけない。という、、、「より多くの人で より安く」かな

なぜ、演劇鑑賞会が各地に作られるようになったか。。。。

それは、演劇が、なかなか観られないもの、だったからでしょう。特に地方では(でも東京にもあったみたいです。)

演劇を見たい理由がそれぞれだったとしても(社会運動に近いもの、から有名人に会いたい、みたいなものまで)どうしたら演劇を見られるようになるんだろう、と考えた時、同じように「演劇を見たい」という人をたくさん集めて組織をつくれば、一人一人の負担がそれほど重くならずに、劇団を呼ぶことができ、尚且つ、劇団側としても、まとまってレパートリーを持って公演ができるので、双方にとってメリットが大きかったのだと思います。

でも、これは、演劇が「なかなか、見たくても見られないもの」という前提があってのこと・・・ですよね。


タップのこと(と、それまで)

2023-01-23 11:26:08 | 演劇

ところで、今まで書いてきた文章に、

「労演」って文字があるんだけど、実は私が会員だったは頃すでに

会の名称は、「山形演劇鑑賞会」だった。でも、よく労演、労演、って言葉を聞いていたし、短くて言いやすいから、意味を深く考えることもなく・・・クラシック音楽を楽しむ団体を「労音」っていってるから・・ま、いっか・・・って。「労演」の「労」ってなによ!!!?

どうやら、労演の労は、、、、勤労者の「労」らしい。正式名称は、「(山形)勤労者演劇協議会」って、何それ??

(ものすごく偶然に、会の歩みに関する書物が私の手元に。脳科学的に(?)この文献を読んだことが引き金になって、私の過去の記憶が再生されようとしているのかも?この世に偶然はない、全てが必然だ、っていうなら、ノリノリで乗っちゃうよー♪)

労演の基本的な考えとしては、「よいお芝居を、より安く、より多くの人で」見ようと結成された観客組織。

でも、時代背景としては、「60年安保闘争」の余波がまだ巷に燻っていて、次第に右傾化する社会状況があった、という。心の隅には、勤労者を先頭に、反動的な文化攻勢と闘わなければという気負いがあったかも・・・とも。関わっている人の心の中を全て知ることはできないが、中には演劇を通して社会を変えたい、と思っていた人が少なからずいたはずだ。青臭い、と言われれば全くその通り、と今は思うのだけれど、劇中の宮沢賢治に恋焦がれた私は、まさに。平和な世界が来てほしい、世の中が少しでも優しくなってくれたらいいな、と思って演劇を志しました。ーなんて、そんな偽善的で僭越なこと、恥ずかしくてとても言えなかった。。でもそれが、もしかしたら本田さんとの出会いに繋がったのかな。

演劇の誕生の歴史を知らなくても演劇ができない、ということはない。

というか、むしろ、知らないなどというのは当たり前で、誕生の歴史とはかけ離れていくことの方が多いのではないかな。現代では、演劇などは一部を除いて、どんどんエンターティメント化していってる。

私がタップを真剣に続けたい、と思うようになったきっかけは

NYに行ったことだ。そこでマスターと呼ばれるTAPの神様みたいな人たちと直接会って、そのショーを見たことだ。神様の人としてのありよう、生き方がタップを通じてビンビンに私の心に響いたから!

なんでNYに行くことになったのか、とそれまでが飛びすぎてるね〜(笑)

そのうち、埋まる、かな??(笑)

 

 


タップのこと(と、それまで)

2023-01-21 12:33:06 | 演劇

タップのことについて書こうと思って書き始めたのに

なんか段々、自分でも書いていて、どこに向かっていくのかわからなくなってきた!(笑)

今私は、書きたいから書いている、というよりは

書く、という作業が必要、と感じている。書かなければいけない、という謎の義務感(笑)

書くためには、(必然的に)過去を思い出し、その時、自分はどう感じて、結果、どのような選択に至ったんだっけ?・・・そんな作業(検証)をいちいちやることになる。

多分それをやることが、今の私に必要なんだと思う。これから、本当の意味で自分の人生を生きるために。

東日本大震災にはじまって、プライベートでの大きな転換。そしてコロナ。

時代の変化のスピードはこれまでにない速さで、私たちが信じていた価値観を根本から揺さぶっている。

その度に少しずつアップデートを続けている自分、であると信じたい。

目の前に迫っている新しい時代を生きていくために、考え続けてきたこと、自分の本当に好きなこと、どんなふうに生きていきたいと自分は感じているのか。

扉を開く前に、考えを「書くこと」で整理する必要があるんだな、と感じている。

無理やり絞り出すように書き始めたり、(とりあえず書き始める、って大切!)

脈絡もなく、その時書きたい、と思ったことを書いたり。。。

吐き出す、っていう気持ちよさもあるかも〜

体を動かすこともそうだけど、何かを創作する、っていうことは(人に見せるために上手くやらなきゃいけない、っていうことでなく)いい効果がたくさんある、と思うんだよね。

 

 

 


タップのこと(と、それまで)

2023-01-16 10:37:52 | 演劇

(1月13日からの続き)

レッスンはどれも楽しかったな。

宮本先生のボイストレーニング、ユニークバレエシアターのバレエの基本のキ(女性の先生)、神崎先生の地唄舞。

演技は、それこそたくさんの先生(メソッド、実践、戯曲分析)木山さん、小林裕さん、俳優座の亀井さん。役者の松熊信義さん。。。講義は、扇田昭彦さん。そしてタップダンスは、最初は研究所の先輩たちに・・・(私は四期生で、その上の・・・)

稽古場は、千駄ヶ谷の青年館の中にあった。

レッスンは、平日の午前中。演技の課題がある時はほぼ一日中、青年館の中庭や、近くの公園で自主稽古、といいつつ研究所専属の世話係、というかー演出助手の方がフォローしてくれていた。

プロデューサーの名前は、本田 延三郎さん。

五月舎という、プロデュース公演を行う演劇集団。

私は、オーデションを経て、そこの研究所の四期生として入所。

 

五月舎は、今はない。本田さんも、ずいぶん前に(オウム事件が世間を騒がせていた頃)亡くなってしまった。最後は、演劇界からも離れていた。。。らしい。

なんだか、自分にとって奇跡と思える本田さんという方、との出会いを

ただただ、思いつくままに書き留めておきたい、かも?という気がしてしまったので

自分の生き方を整理するつもりで?書いていこうかな・・・