高校時代の英語の先生でチャップリンが大好きな先生がいた。よく授業を脱線してチャップリンの映画の魅力を面白おかしく話してくれた。その中で「悲しみとユーモアはいつも背中合わせなんだ」という言葉が強く記憶に残っている。なぜその言葉がはっきりと記憶に残っているのかは分からないが、そういったものが感じられる事柄に強く興味を引かれる。
この前お笑いのコロッケさんの著書「お母さんの あおいくま」を読んだが、幼少のころはすごく貧しくて、毎日の食事もままならなかったとか。それでも毎日家庭には笑いがおこり、ひとつも惨めな気持ちはなかったという。また、コロッケさんは片方の耳が聞こえないと言う。それでも相当の努力をして、あんなに面白いものまねを作り出している。この本を読んですごくコロッケさんが好きになった。
たまに行く近所の洋食屋さんがある。鹿沼の老舗で、マスターはもう75歳を過ぎているがとても元気。時間があるときお昼過ぎあたりに行くと、お客は私一人で、そうするとマスターの話は止まらない。食べ終わっても一時間以上話は続く。鹿沼の景気、新しいお店の情報、噂話・・・「俺はもう遊びでやってんだよ、荒川さんとかと、こうしておしゃべりしたくてお店続けてんだ」なんて言う。もちろん料理はおいしくてチキンカツのソースなんて絶品だ。でも、マスターの代で終わりなんだよな・・・なんか少しさびしいなといつも思う。
ジョンレノンの歌を聞いていると、どこか切なさを感じる。あの声がそう感じさせるのか分からないが、ポップソングでもロックンロールでも何処か悲しい曲に聞こえることがある。僕の大好きな斉藤和義の歌もそうだと思う。
「悲しみとユーモアは背中合わせ」 このブログを書いていて気づいた。そこには真実があるという事だ。ただ明るいだけの人なんかいないし、みんな悲しみや辛いことを抱えている。時にはそれらを笑いに変えてその場をパッと明るくする。歳をとるのはみんな同じだし、いつかは終わりが来る。でも今を生きてる。明るく生きている。ただ表面的なことだけを言って、愛だの恋だのきれいごとばかり並べて歌ってはいない。物事の本質を歌っている。そういうことにいつも心を打たれる。