宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

右シフトは「国の体調バランスの崩れの前兆」早く気付け!

2005-05-08 07:38:10 | Weblog
自民党政権に反対だとしても国としては容認せざるを得ない状態で政権運営を任せてきたことが、国民の総意と、周辺諸国に認定されても仕方の無いことなのかも知れない。
そうであるからこそ、右翼へシフトしていく現状を容認するべきではない。今、まだ唇が寒くない状態の時に言わないと手遅れになってしまう恐れがある。北朝鮮状態では言えないのだ。
皆さんまだ、「まさか」と、甘く考えているのかも知れないが、北朝鮮との戦争と言う事態に直面すれば、戦争を肯定させるために「文句」を封殺させる必要が発生するのだ。
その時はあっ!と言う間に来る。
しかし、バランスを欠いて右にシフトしていく様を見るにつけ、周辺諸国の感情をくみ取らず、ただ我が日本の豊かさのみに力点を置いて生きてきた国の心の、その貧弱なる性質が読み取れ、今更ながらの「右へのシフト」の常識外れも、さもありなんと思う。
現に憲法を直すべきは、私利私欲や逸脱をわきまえられるようなリーダーを登場させることができる環境設定を策定するべきであり、任せて安心なリーダーを私たちは待ち望んでいるのだ。
少なくとも今の憲法を 礎に 私たちは生きて頑張って、平和状態を築いてきたのだ。
15年戦争を繰り返してきた、物言えぬ暗い時代の大日本帝国憲法下ではないのだ。
やっと平民が幾多の権利を曲がりなりにも取得できるようになって、その権利をまた国権に返せ、と言うのか。
いままで、平民が尊敬できることを国のリーダー達はやってきたのか。これからの政治体制、政治風土がこのままである限り、どう、ひいき目に見ても任せて安心なリーダーの登場はムリだと思う。
小泉さんや安倍さんやキムジョイルさんもブッシュさんもみんな 二代目。
人の心や森羅万象の奥深くまでは理解する能力に優れているとは到底思えない。危うい、危うい。
さあ、「初心に帰ろう」あの平和を望んだ、希求した、「もう逃げなくていいんだ」「防空壕へ入らなくていいんだ」「空襲警報もないんだ」「夜には電気がつけられるんだ」核シェルターなんて平民は用意してない。どうする?そんな心配、しなくていい。あの頃に帰ろう。少しずつ元に戻して、削除して、逸脱を元に戻すことで戦争から解放された時代に戻そう。まだ出来る。多分?日本がまだ完全には壊れてはいないのだから・・・・
それとも、戦争やむなしの選択をするか。死との隣り合わせに我慢できるのか?JRの事故、事件で大騒ぎして、通常兵器の貧弱な北朝鮮からは核かサリンしか飛んでこないのだよ。もっと残酷なんですよ。右寄り思想の御方々。
少し元に戻す行為をするだけで、周辺諸国からは大歓迎されることは疑う余地がない。
それほどカヨウニ、日本の右傾化には、各国とも信じられないくらい強烈なるアレルギー反応があるのですよ。
敢えてそれでも、憲法改正などの右傾化への道をひた走ることになれば、核の洗礼を覚悟のことと判断するしかない。世界の人間が生き残るためには、どこかの国の核による全滅のシナリオが必要と思っていたが、他の国への影響を最小限に留めることのできる島国日本が、それに適した国であることは、広島、長崎で実証済みだ。
そして、中国、韓国も多分このままでは、北朝鮮の申告を了解するであろう。痛みをテーマに考えるのは、JRの事故、事件だけではない。もっと深刻な問題なのだ。
これからは、中国が旗頭となって東南アジア各国への日本に対する圧力や働きかけを推し進めるだろうと思われる。
このまま無理を通そうと躍起になればなるほど、日本政治は四面楚歌に陥っていくでしょう。兎に角、日本の右傾化はどの国も眉を寄せているのだ。かつての右傾化は軍事優先社会を形成し、日本帝国の言うことを聞かざりし国を、武力によって思うがままに蹂躙し尽くしてきたのである。
勢いを止め叶わぬ儒教からの「和」を尊ぶあまりの毒々しい本能も、大和民族にはあるのも事実なのだ。それはそれぞれの胸の内に聞くがいい。
然しながら、世界の戦争後検証により、そのことが悲劇を誘発する一因として、世界中の人々の脳裏に焼きつくされることになるでしょう。右の思想に謙虚、賢明、たおやか、穏やかなどと言う言葉は見当たらない。従って弾力性が無く、自分本位で喧嘩腰、衝突への展開も大いにある。
第一右傾化は、あのコワモテ売り物の右翼の男達と同類に近づいていくことなのである。我慢できるかな?
勿論、全ての右傾化がけっしてマイナスではない。
ただ、大和魂と言う民族主義が優性意識を持つに至るまではまだ自己満足として許されるだろうが、度を越すと、神の国とか、大東亜共栄圏とか、他の民族の排他主義的に陥ってしまうという問題が発生する。その時は周辺諸国の人々の価値が下落する。
だから、そうなる前に大人ならば自ら気付かなければダメなのだが、哀れなるかな昔も今も日本人の大勢は自ら律することが出来ぬ。どうしても勢いに流されてしまうのだ。どうしてなのかは、力の誇示の勢いは引力が強いのである。普段から「理論武装」の無い者たちは圧倒されてしまい、折角のブレーキも消極的反対として抹殺されてしまうのだ。それを防ぐ手立てはしっかりと「理論武装」するべきであり、しっかり戦争に至る道程や行き違いの心を検証把握しておくべきなのである。
この「理論武装」が日本の破滅を防ぐ最良の「力」なのだ。
排他主義まで行けば、これはもう犯罪のそしりは免れぬ。しかしながら多くは気がつかない内にそこまで行ってしまうのだ。何故なら「和」がそれを後押ししている。その理由は「和」のところで述べた。「善」だと思っている事柄、事象でも、一度立ち止まって、「まてよ?」と反省し振り返るが「良し」なのです。そうです「善」も度を越すと「悪」に変貌するのです。つまり「過ぎたりは及ばざるが如しではなく(より悪し)」が正解です。実は「善」と思い込んでいた事柄が「思い込み善」であったことに気付くでしょう。
バブル全盛時代、皆さんも「金、金、金」だったでしょう。「土地、土地、土地イコール金」だったことでしょう。いまだにそうでしょうね。今は政府の保護もあり「株、株、株イコール金」ですか。
こういう考えの全部がいけない訳ではない。ほとんどの人々がそれでは「自律性」にやや問題があることなのです。バブルが弾けてハッ!と我に返り少しは、人生とは何たるか、を考える人が出てきているように思えますが、それでもまだブレーキは掛かっていません。お金も土地も株も必要な分あればいいのですよ。宮沢賢治さんのような、そんな人を敬える日本であって欲しい。必要以上の強欲は、断罪する国であって欲しい。
自民党に勝たせ続けているのは、そもそもそこからしてバランス感覚の未成熟だと思えます。日本人にバランスを大切に心掛ける風潮がない。常に自分にとって得か否かでしか判断できえないのは幼児そのものです。はっきり幼児と言えます。
どんな状況でも、どんな事でもバランス感覚の弱い人は、考え方でも当然のように病気になることでしょう。お隣りとの付き合い方もバランスです。悪者退治するように追い込む日本とアメリカ、アメリカが北朝鮮にどうのこうのではないのです。何度も言うように、アメリカの北朝鮮への攻撃、それは北朝鮮の日本への攻撃なのですから、日本にとって対岸の火事ではないのです。アメリカに自重を求めねば大変なことになります。中,韓、ロは北朝鮮に武器を送るだけです。難民はいらないのです、表は核反対でも裏心は、アメリカの傲慢、慢心を憎憎しげに思っているだけなのです。みんな離れている日本を除いて、北東アジアの同胞なのです。それもこれも日本人が気がつけば良いのですが、ほとんどは考えも気付きもしません。病気が表面化して初めて気付くのです。幼児だから。
戦争を興すも止めるも「その国の心持ち」しだいなのです。核でもありません。厳密に言えば「心と知恵」なのです。
こんなことを書いていても、私は左翼ではありません。常に右へシフトすれば左へ舵を取ろうと心掛け、左にシフトすれば右に舵を取るアマノジャクであります。いやっ、やじろべえだったか。つまりバランスを大切にして生きているつもりの人間です。





思秋期を過ぎて・・・達観か

2005-05-04 07:43:07 | Weblog
50歳をとうにすぎました。
私がそれを思ったのが、青年期にチラッ、そして、45歳くらいのやや早の思秋期に2度目。
物思う思索家には、避けて通れない通行権のようなもの。人間の深みを与える試練だと思っています。多少なりとも考えある人ならばどうしても通らなければならない関所である。無い方もおいででしょうがそれはそれなりの人なんでしょう。区別するわけではありませんが、それでも良しとする自然様の思し召しであるならば結構なことです、と言うよりむしろ、その方が長生きができるようです。むやみに思い込んだり、思い悩んだりするのは寿命を縮める元になるやも知れません。ただ、長生きできると言ってはいますが、それが面白い人生とは言えますまい。
青年期にまがりなりにも中途半端に終わってしまった多くの人生論を、2度目ならば今度は達者な経験と勉強と事柄の多くを組み合わせて、ご自分なりに解決できるようになっていることでしょう。
でも、それらはホンの一部、我々を包含する自然様の巨大性にはホントに頭が垂れる。
平和が維持されているのに、私たちのよりどころとする、心の元の元、である憲法を変えたいと言う、右寄り国民と政治人とマスコミ人たちの無理やり、かつ、きわめて不思議なる選択。なんと言っていいのやらなんとも言いようがない。
こう言う選択をするから常に「戦争と平和」が交互にやってくるようになるんだ。と、妙に納得。
私は、森羅万象から、その自分たるやはなんたるかだけではなく、こういう事象の何たるか、
を求めてさ迷い歩いています。
存在を意識できる喜びは、無より出でし我らにとって、辛ささえもコヤシ。

日本の行く末の洞察。

2005-05-01 00:16:19 | Weblog
あまりに日本人はその残酷なまでのリアルさを感じていないので、こうも簡単に右傾化へ歩を進められるのだ。右翼の街宣車の行動を見れば全てわかるではないか。乗っている人間の風体を見ればわかるではないか。あの延長線上に遡上しているのが憲法であり、教科書であり、北方領土であり、竹島などの領有権であり、台湾、北朝鮮、中国問題であり、日教組たたきであり、中曽根さん、石原さんなどであるのだ。あの団体をまとも、と感じることができるだろうか。しかしながら民は、彼らの考えに抵抗できない脳になっているのが実情なのだ。次第にそんな右翼に近づいているのだ。それが問題なのだ。大いに問題なのだ。昔だったら受け入れることの出来ない考えなのにも拘らずである。石原さんは自分の考えが自民党のなかで極論過ぎて通らないので国会議員を辞めたくらいなのに今では、待望論さえでている。平和維持を目指してここまでやってきた憲法の精神を変えるなんてバチあたりなのである。必ずトガがやってくる。
 一度、戦場国へ自衛隊が乗り込んで行ってしまった以上、これからもあっちの国、こっちの国と練れ慣れして、きっと巧みになっていくのでしょう。戦争玄人は素人よりマシですか?人殺しなんて素人の方が良いのではないですか。葬式慣れするとか、人殺し慣れする、喧嘩慣れする、なんて無いほうがいいのではないのでしょうか。挑発、脅迫、喧嘩を無上の喜びにしている人たちには良いかも知れないが、そのための犠牲は必ずしも彼らではなく弱き一般の民、女、子供、お年寄りなのである。
だからこそ言うのだ、彼らの攻撃性は他の民の攻撃に向けている事と同じなのだ。拉致の被害者が、それをネタに攻撃すれば、北朝鮮の攻撃を受けて都民が犠牲になるやも知れないのだ。つまり、考えようによっては、拉致被害者が実は、都民の加害者にもなるのだ。日本のためを思って行動することが、実はそうでもないことに知ることによって、我々は愕然としてなければならない。
戦いの同時進行もあるやも知れない。各国の用心棒代わりになるかも知れない。それとも戦争精算国か。
そんな戦場では、疑るだけで普通の民を殺すこともある。不敵な笑いと苦笑の違いでピストルを撃つこともある。おかしな動作で市民を殺すこともある。信用していた市民がある時、爆弾を腹に巻いているのかも知れない。気がついたら病院のベットで切断された脚の痛みにもだえているのかも知れない。
何処から弾が飛んでくるのかは分らない。気がついたら無意識に呻いて死んでいくのだ。
そうなった時、日本人もイラク人も互いに恨みを持つ。そしてその恨みは世代を継いでいくのだ。恨みは被害者意識だ、自然様は被害者に重く意識させ、加害者に軽く意識させるか、無意識にさせる。この現象とこの世の(自然様)無情は自己精神修養と社会性意識の差なり。
どの国へ仲裁に行っても、必ず敵味方がいるものである。そして、米国のような大国でさえ失敗することがありうるのだ。商人政治社会日本のことだ、最初は無料で仲裁するだろうが、すぐ思うようにしたい利権を求めるようになる。あるいはその味方の国からのシノギ料の上納かも知れぬ。さあそこからが問題だ。すでにある他の大国との、利権争いになりかねない。他の大国が応援を受理して日本にイチャモンをつけてくるかもしれない。コソコソ逃げるか、いずれにせよ15年戦争どころではない、4年戦争の幕開きである。
一度、タガが外れると悪しき心の持ち主たちは、その利権の誘惑に抗しきれない。
自らのブレーキ制御機能の脆弱なる者たちは自ら勝ち戦の戦いたき者たちの勢いを止められぬ。
戦いたき者たちは、米国のようにいつも格下を相手に選ぶ。そりゃそうだ、やけどして負ける戦はしたくない、勝てば官軍は何しても良いがいまだに心の中にある粘着性強き者も上にいる。理屈はいついかなる時でもつけられる。その口の巧みさにかけては「まかせておけ」の政治の訓練社会。特に自民党は鍛えられている。商人日本は損得勘定だ。君主軍国の時代とは選択が違う。
今の君主軍国は北朝鮮だ。日本人には損得計算があっても、彼らには、株組織の損得計算の日本が逆に解らないのだ。北朝鮮の人一人の命は多分、全体社会のためにイラク人民値段より安いんだ。意味、解っていただけるでしょうか。
そんな国に日本人は挑発しているのだ。その挑発行為は、実は日本自らに向けられていることなのである。
つまり、北朝鮮から見た日本人は下衆であり、値段も最低ランクに位置している。
日本の右傾化も中国、韓国、北朝鮮への挑発であり、宣言なのだ。そのことは被害者の心を逆撫ですることなのである。その微妙な心をどれほどの人々がわかるのでしょうか。
攻撃性が極端に強き者たちには届かないでしょう。精神的未熟者たちだからホルモン制御機能が鍛えられていないのです。
その攻撃性は、それ自体では罪はありません。が、破壊願望も併せ持つと犯罪へと走ります。
他の国の連中の作った憲法を破壊することが、自ら与えられた責務と考える輩がいないとは言えない。他の国との付き合いは慎重にし尽くしても尽くしきることはない。