宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

思秋期を過ぎて・・・達観か

2005-05-04 07:43:07 | Weblog
50歳をとうにすぎました。
私がそれを思ったのが、青年期にチラッ、そして、45歳くらいのやや早の思秋期に2度目。
物思う思索家には、避けて通れない通行権のようなもの。人間の深みを与える試練だと思っています。多少なりとも考えある人ならばどうしても通らなければならない関所である。無い方もおいででしょうがそれはそれなりの人なんでしょう。区別するわけではありませんが、それでも良しとする自然様の思し召しであるならば結構なことです、と言うよりむしろ、その方が長生きができるようです。むやみに思い込んだり、思い悩んだりするのは寿命を縮める元になるやも知れません。ただ、長生きできると言ってはいますが、それが面白い人生とは言えますまい。
青年期にまがりなりにも中途半端に終わってしまった多くの人生論を、2度目ならば今度は達者な経験と勉強と事柄の多くを組み合わせて、ご自分なりに解決できるようになっていることでしょう。
でも、それらはホンの一部、我々を包含する自然様の巨大性にはホントに頭が垂れる。
平和が維持されているのに、私たちのよりどころとする、心の元の元、である憲法を変えたいと言う、右寄り国民と政治人とマスコミ人たちの無理やり、かつ、きわめて不思議なる選択。なんと言っていいのやらなんとも言いようがない。
こう言う選択をするから常に「戦争と平和」が交互にやってくるようになるんだ。と、妙に納得。
私は、森羅万象から、その自分たるやはなんたるかだけではなく、こういう事象の何たるか、
を求めてさ迷い歩いています。
存在を意識できる喜びは、無より出でし我らにとって、辛ささえもコヤシ。