平成調査結果:研究&調査 若山 牧水(自然主義文学短歌推進) 1885.08~1928.09
映像:牧水が晩年八年間過ごした沼津市の牧水お気に入りの千本浜にある牧水記念館
(by 公式 HP )浜辺には「幾山河 越え去り行かば 寂しさのはてなむ國ぞ
けふも旅遊く」の石碑がたっている。多くの人々に愛されてきた名作中の名作。
宮崎県出身、早稲田大学卒後中央新聞社入社、その後退職し、尾上柴舟に師事。短歌
俳句で活躍。旅と酒を愛し日本全国に歌碑が点在している。大量の飲酒で体調を崩し
43才の生涯を静岡県沼津で終焉。北原白秋、石川啄木と交友歴がある。創作社創設。
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解説:渋温泉では旅の記録文が石碑に刻まれていた。長野県の山中を徒歩で移動した
記録は、現代で言えばトレッキング記録。渋温泉で旅の疲れ等が癒された模様。
一方、 3.と4.は短歌石碑である。当時は温泉地が最大の娯楽先。二首とも
山里の温泉場の情景を良く 詠み込んでいる。流石に自然主義文学者の面目躍如
たる由縁。筆者の温泉紀行では観察した歌碑は少ない方だが、この他にも住ま
いの近くの三島大社にある歌碑には『のずゑなる 三島のまちの あげ花火 月夜
のそらに 散りて消ゆなり』と刻まれ、終の棲家の平穏なひと時を思わせる歌意
観察:若山牧水の早死の主因は、大量の飲酒習慣ともされる。一日一升。この現象は
同じく酒と自然を愛し蔦温泉で客死した文人大町桂月や、旅を続けて山口県で
亡くなった自由律俳句の山頭火を想わせる。文人が酒で若死にする大正の時代。
参照#① 芸術 &温泉 &文学 探訪紀行
② 大町桂月(酔仙人) 探訪紀行
③ 山頭火 (放浪の俳人)探訪紀行
④ 石川啄木 (悲哀歌人)探訪紀行