日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

「治った!」のあふれる時代へ。

2019-05-01 22:45:39 | 発達応援
 新しい、令和になりました。

 祖母に、「明治、大正、昭和、平成、ってすごいね!」と言っていましたが、
自分も三つの時代を生きています。

 今のところ、戦争がなく、飢えることもない幸せな時代を生きています。
幸せなことだなぁ、と思います。

 平成の時代、私は社会に出ました。
ほとんどを教育に関わる仕事をしてきました。

 高校の教員をしていたとき。
本を読んだり、字を書くこと、テストを受けることや提出物を出すことは、
当たり前のこととして受け止めていました。

 小中学校で支援員をしていたとき。
はじめの頃は、できないことをできるようにするにはどうしたらいいか、ということを考え続けました。

 できないことをできるためには、その子のやり方を変えなくちゃいけない。
そう考えていたので、宿題を書き出して終わったらチェックを入れる、とか、
こだわって前に進めないときは、こだわらないように促したり、
子どものやり方を変えるように促すしか思いつきませんでした。

 でも、そんなやり方は、人が持つそれぞれの意識のリズムや身体のリズムを否定するもので、
付きっきりで学校でやっていればできるのですが、子ども自身の力をつけることにはなりませんでした。

 そんな中、身体を動かすエクササイズで字が書けるようになる、
本が読めるようになる、というやり方に出会いました。

 更に、学習を受け入れる土台が子どもの身体にできあがっていない、ということを学び、
学習をするためにはとにかく勉強させる!だけだったやり方から一変、
身体がキーポイントではないの?と思うようになりました。

 学習のみならず、気持ちの変化に自分で向き合えない子どもも、
言葉で云々言うよりも、身体を整えてあげると言葉が入りやすくなることを体験したり、
感情の爆発も身体を動かすことで落着きを取り戻すことができることなども知ることができました。

 そして、発達に凸凹がある子どもたちが、
あれっ?イヤーマフしてたよね?聴覚過敏、治った?
寝付くまでに何時間もかかってたよね、数分で眠るようになったの?過敏さ、治ったね〜〜〜!と
身体からのアプローチや言葉以前のアプローチで、治る時代がやってきました。

 どこかに紐で繋がれた人生ではなく、
自分の人生を自分で決めることができるように、治った時代幕開けの令和となるといいな、と思います。
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