3月12日長野に震度6の地震がありました。東北大震災の余波を受けての事です。人々の目は東北と原発に注がれている現状でした。゛忘れられた被災地゛として、やっと昨今マスコミが取り上げはじめました。東北で起こった地震は遠く長野や近畿地方にも影響を及ぼしています。 6月23日に岩手などで起きた震度5弱の地震の後、長野は30日に同じ震度の地震がありました
何故、長野なのか ゛に意識を集中してリーディングしてみました
白い衣装を着た行者さん達がみえます。 列になってどこかへ移動しています。面持ちは深刻な厳しいものです。「越さねばならん」とおっしゃっています。「この難局を越さねばならん。私達の祈りと行を持って越さないと国が消滅の憂き目にあう。
長野は木曾の御岳さんがあり御岳信仰の修験者の霊魂が残る場所のようです。
「ここを守らねば全てが崩れる。地震が来るのは私達が試されているから」とのお答え。
先日テレビをみていたら長野の被災にあった村の方が「国や県の救援を待っていたら進展が遅れる。遅すぎる。補助や物資がきたら頂くが、基本は゛自分達の事は自分達が守る゛自治組織が必要だ。私達は組織を作って自衛していく。」とコメントされていました。
自分達のことは自分達が守る゛この意識と行動が「日本を救う。日本が再生することに繋がります。
政治家は もう いらないのかもしれません。
新しい自治組織体制の必要性を多く人が感じていくと良いと思います。
修験者の霊魂は転生して長野の方の中に多くあります。修験道の強い精神力が残る長野が、゛これからの新しい日本の基礎 ゛となっていくように思われます。
ああ、だからキソ、木曾、基礎 という音霊なのか、と気がつきました
「 およその多くの人達のキソ地なのだ」と言葉が降ろされました
魂の修験を念じ行じることは ヒトとしての基礎。のようです。
魂の修験については また改めてお伝えいたします