2008年 平泉の世界遺産登録の試みは「浄土思想が理解されていない」という理由から登録延期になりました。延期が決まった時「まず日本人に浄土思想が拡がらないと指定にはならないな」と感じたものです。
浄土思想といわれて即座にピンとくる日本人は少なかったのではないかな、と思います。
浄土思想とは、全ての命が浄土に帰していくという供養の心をあらわす仏教思想。
藤原清衡には゛敵味方の区別無く、人間、動植物の区別なく供養されたし゛という願いがあったようです。
3月の地震で私達の心は清衡に近くなったのではないでしょうか
大勢の命の救われを祈りました。 亡くなった人達が天国(浄土)へいけますように祈りました。動物の命も植物の命も救いたいと思いました。
そして今も祈っています。 被災した人達が元気を取り戻し再出発できますように。動植物が保護されますように。 原発が早く終結しますように。
今でなければ浄土思想は広がらないのです。
思想というより信仰なのでしょう。信仰とは「神向」しんこう。 「神の方を向く」事の意味。 自然への崇拝と万物に神が宿るという日本古来の神道の信仰心をベースに、供養の心の仏教がミックスされていくこと。
そのような浄土神向を東北から発することで日本が変わります。日本から発することで世界が変わります。変わらなければ世界は続かないような気がします。
私達は 世界の変わり目の現場に居合わせているようです。