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乞食菅

2010-09-04 17:02:19 | Weblog

<【靖国神社ウォッチ】超党派議員団41人が参拝>

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100815/plc1008151203005-n1.htm?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

 超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久参院副議長)は15日午前11時ごろ、東京・九段の靖国神社を参拝した。参拝者は衆参計41人。政権交代後初めての終戦の日となったが、閣僚、副大臣、政務官の参拝はなかった。  

 参拝者の内訳は、民主党11、国民新党1、自民党26、みんなの党1、たちあがれ日本2人。尾辻参院副議長のほか、衛藤征士郎衆院副議長も参拝した。  

 事務局長の水落敏栄参院議員は参拝後の記者会見で、菅内閣の閣僚の参拝がなかったことについて「非常に残念だ。戦没者に対して敬意と感謝を捧げるのは党派やイデオロギーを超えたものだ」と批判した。

靖国神社を参拝する自民党の三原じゅん子参院議員=15日午前、東京・九段北

靖国神社を参拝する自民党の三原じゅん子参院議員=15日午前、東京・九段北

2010.8.15 12:02

 

(読売も朝日も毎日も聖教も、この記事を載せていない。産経だけが載せている)

 

三原じゅん子、見直した!!よくぞ参拝した!!

これから応援するぞ!!

 

私は日本の為に戦って命を捧げられた方々に頭を下げるのは当然のこと。この姿勢を変えるつもりはありません」←8月26日、日本外国特派員協会での三原氏の記者会見。

 

顔はやばいけど、ボデーボデーだ!!!

 

 

それにひきかえ、何だ↓の記事は。

<閣僚の靖国参拝ゼロ、一部アジア諸国への配慮か>

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100810/plc1008101812026-n1.htm

 民主党政権として初めて迎える15日の終戦記念日に、菅内閣の全閣僚が靖国神社に参拝しない考えを10日の記者会見などで表明した。自民党政権ではほぼ例年、現職閣僚のうち何人かが終戦記念日に参拝していた。閣僚が1人も参拝しないのは、民主党政権として靖国参拝に反発する中国、韓国、北朝鮮といった一部の国への配慮を示す狙いがあるようだ。  

 菅直人首相は10日の記者会見で「首相在任中に靖国神社にお参りしないということは就任の時にも申し上げた。私の姿勢は明確に示しており、理解されると思う」と主張。仙谷由人官房長官も会見で「閣僚は公式参拝を自粛するのが、従来の日本の政府の考え方だ」と述べた。  

 千葉景子法相も「近隣諸国の感情を総合すると、首相、閣僚の公式参拝は控えるべきだ」と指摘。国民新党の自見庄三郎郵政改革・金融相は「近隣諸国に考えの違う国があり、国の代表である閣僚としては参拝を避けるべきだ」と述べた。  

 民主党は昨年の衆院選前にまとめた政策集で、靖国神社で「A級戦犯」がご祭神となっていることを理由に、新たな国立追悼施設の設置を主張している。  

 長妻昭厚生労働相は新追悼施設について「広く参拝が可能な在り方を検討し、実現することが必要だ」と強調。前原誠司国土交通相も「できるだけ(「A級戦犯」の)分(ぶん)祀(し)の議論を進めてほしい。そうなれば責任ある立場でもお参りしたい」と語った。

2010.8.10 18:11

(この記事は、読売も朝日も毎日も聖教もwwwww載せている。どういうことだ)

 

8月15日が近づくにつれ、テレビをはじめとするマスコミが醸し出す風潮には、正直うんざり。教育現場に巣食う反戦平和妄想主義者たちが、この時期になると居丈高になり、意気軒高に闊歩する。その姿にもうんざり(今年は8月6日に教頭先生から朝日新聞の社説を読まされた)。

 

ZEROかERO(エロ)か何かようわからん番組が、有名(??)な女優さんを使って、「戦時中は音楽(軍歌)さえも戦争の道具に使われた」とのテーマで当時の日本を糾弾していた。「世界共通言語である音楽さえも戦争の道具に使われるなんて。戦争は悪いわー、悪やわー」と音楽活動を仕事にしている出演者の方は憤りを見せていた。

 

たしかにわたくしも怒りを覚えることは多々あるし、悲しい出来事がたくさんあったことも想像できるし、やはり、戦争の惨禍が起きることなく平和裡に過ごせたらどんなに良かったか、と思います。

 

しかし、今こうやって安全な環境で音楽を享受できるのも、戦争があったからではないか、と思うのです。

 

根本的なことですが、戦争は一国だけではできません。日本だけでは戦争は成り立ちません。当時は帝国主義の時代であり、列強は世界各地に植民地を持っていました。当然の如くアジアの東にある日本も狙われていたのです。当時のアジアの地図を見れば一目瞭然。外国の累加が及んでいない国は日本とタイの2国だけでした。

 

何年前でしょうか。クリントイーストウッド監督が『硫黄島からの手紙』という映画を作製しました。幸か不幸かその映画のおかげで硫黄島(いおうとう)が人口に膾炙した感がありますが、その硫黄島の闘いは人類史上稀に見る激戦の地でした(アメリカの教科書には硫黄島が出てくるのでたいていの米国人はこの島の名前を知っているそうだ)。

 

当時、硫黄島を死守すべく2万数千名が守備していたのですが、そこを10万を超える米軍が包囲しました。これでは勝てるはずもありません。実際米軍は3日で落とせる、と豪語していたのです。、ところが、いざ戦闘がはじまると、米軍は苦戦し、硫黄島攻略に30日以上もかかってしまいました。日本人の死傷者数2万数百名。米軍の死傷者数2万6868名(?数字は多少違うかも)。なんと死傷者数は米軍の方が多かったのです。

 

この硫黄島を占拠したあと、米軍は日本本土を空爆し、そして上陸するつもりでいました。女、子供を殺し、日本民族を殲滅する目的で。

 

しかし、この硫黄島の決戦があまりにも激烈であったため、もし米軍が日本本土に上陸すれば、想像以上の死傷者が米軍側に出るかもしれないと考え、本土上陸を諦めたと言われています。

 

自らの命を省みることなく戦闘機で敵艦へツッコンデくる特攻。周りを包囲され、勝ち目がないとみるや、突如として万歳突撃をしてくる日本軍。日本、そして日本に住む子供、妻、友、恋人のため、自分の命を差し出してでも守りぬくのだという気概。御国のためなら喜んで死ぬ。このような気魄があったからこそ、「日本民族など絶えてしまっても何の問題もない。消えてなくなれ、ざまーみろ」という気持ちが敵から消えたのではないでしょうか。むしろ「敵ながらあっぱれ」と称えるような気持ちなったのではないでしょうか。少なくとも米軍は日本本土上陸は諦めました。今の平和な日本を維持でき、大好きな音楽に興じることができるのは、このように捨て身で全力で敵に向かって行かれた方々のお陰ではないでしょうか。もし弱かったら、間違いなく本土上陸は決行され、日本の文化遺産などははたして残っていたのでしょうか。だから、日本のために命を使ってくださった方々をお祀りしている國神社へ、日本人なら参拝に行くべきだ、とわたくしは思うのです。

 

相手の顔色を伺ってへーこら、へーこら、するよりも、「俺たちの主張はこうだ!!」と毅然とした態度を見せた方が、余計な“ちょっかい”を出されずにすむので、むしろ平和な世の中になるのではないでしょうか。「配慮」は相手をつけあがらせるだけ。チンピラの行動を想像してみてください。簡単なことでしょう。

 

日本の首相や閣僚は何のために、誰のために首相や閣僚になったのか。今の日本があるのは誰のおかげなのか。分かっているのか。

 

外国に魂を差し出した菅首相をはじめとする民主党の閣僚をわたくしは信じることはできない。支那や朝鮮、創○学会からおいしい何かをもらっているのだとしたら、まるで乞食だ。

 

参考http://blog.goo.ne.jp/ampon123/e/349a8be0b90e0162f4719a04d839f79c