んま、忙しい。忙しい。
5日間で書きあげろ、と広報局長さんから命令が下りました(しょぼーん)。
でも、広報局長さんも姫路の取材記事を1週間で書かねばならんしね。それはお互い様、ってことで2日間(正味1日)で書きあげました。いや、他にわんさか仕事があるのよ(しょんぼりぼりぼり)。
忙しいのよ~~~~~~~~
約束は守るのが当たり前だ。だからもし交わした約束を果たせないような事態が生じれば、こちらからお詫びをすることになる。日本では古来より「嘘をつけば、閻魔様に舌をぬかれる」と子供に教えて来た。かくも約束を守ることが大切なのだ。我々は「あさなぎ」設立の趣意書を以って、英霊と約束を交わしたはずである。「きっと立派な日本にします」と。英霊の遺書(言乃葉)が多数残っている。多くの方が、「國神社へいらっしゃい」「九段に来ればいつでも会える」と認めておられる。彼らは魂となって國神社へ帰って来て、自分が死んだ後も國神社に魂が祀られ、きっと遺族もお参りに来ているだろうと思って日本の礎となられた。そのような方々のお気持ちを簡単に踏みにじるわけにはいかない。約束は果たすもの。簡単なことである。
9月19日、大阪護國神社にて、英霊慰霊顕彰勉強会を行った。数えてこれで四回目である。第一回目から関西支部が企画運営を担当してきた。これまで大過なく無事役割を果たすことができたが、、何より皆さまのご協力があってのこと。この場をお借りし御礼申し上げる。今回の講師はコラムニストであり写真家の勝谷誠彦氏である。わたくしは氏のファンであり、おそらくはどの「あさなぎ」の面々よりも一番氏の文章を読んでいるという自負がある。演題の「美しき日本人は死なず―ただ生きるな、善く生きよ」も私が考え提案させていただいた。
勝谷氏は「ここに必ず帰って来るからね、と言って出て行った息子の帰りを待たずに、勝手に引っ越ししますか」と我々に問う。英霊は「ここに帰ってくる」と仰って飛び立たれた。我々が勝手な都合で魂の居場所を“引っ越し”ていいわけがない。勝谷氏は次のように言葉を繋ぐ。「当時、『天皇陛下万歳』と言って特攻された方も、ヒトラーのような個人崇拝で行ったのではない。ご両親に対して『泣かないで下さい。喜んで下さい』と言って散華されたのであり、『悠久の大義に殉じる』と言って突撃して下さったのだ」。英霊は祖国を想い、恋人を想い、家族を想い、散華された。日本に殉じた美しい御霊が國神社に鎮まっておられる。
9月17日、菅改造内閣が組閣された。ご存知のように、新大臣の認証式は皇居にて行われる。畏れ多くも天皇陛下により信任状を賜るわけだ。新聞報道にもあったが、天皇・皇后両陛下は19日まで、神奈川県葉山の御用邸にてご静養なさるご予定でいらっしゃった。しかし、天皇陛下はご静養先から、信任状を授与するため皇居へお戻りになられた。「保守と自称するならば、新聞には隅っこにベタ記事でしか載っていないが、天皇陛下の御行動について逐一注意を払うべきだ。これが本当の保守ではないのか」と勝谷氏は喝破する。今年の6月、菅直人政権が誕生した際、今回と同様天皇陛下におかれましては葉山の御用邸にてご静養中でいらっしゃった。しかし平野博文官房長官(当時)は、「それなら日程を変更しましょう」と、認証式の日程を変更した。実は昭和天皇の御代にも同様のことが何度かあったらしいが、すべて陛下のいらっしゃる御用邸へ出向き、認証式を行っている。あたりまえのことである。「もし仮に、百歩譲って、首相まで交代することになったのであれば、こちらから膝を屈して天皇陛下にお出ましをお願いする、とういことはあるかもしれない。しかし、民主党の勝手な都合で数人の閣僚が入れ替わっただけなので、御用邸に出向くのが皇室に対する、ひいては国民に対する礼儀なのではないか」と勝谷節が炸裂する。しかも、17日は秋篠宮ご一家が葉山へ合流される予定であった。そう何度と無い悠仁親王とのご夕食を、今下陛下はさぞかしお楽しみにされていたであろうと拝察する。もちろん、我々の象徴である天皇陛下に将来なられる悠仁親王殿下が今上陛下のヒトコトヒトコトに謦咳されることが何よりも大切なのは言うまでもない。しかし、そのような機会を全て奪い去ったのが現政権である。そしてこの事態を主導したのが仙石由人官房長官であると勝谷氏は仰った。仄聞するところでは仙石官房長官は「俺もついに天皇を呼びつける程の人間になった」と悦に入っていたとのことである。
勝谷氏は講演会の冒頭「本日お越しの年配の皆さん、英語で言えばベテラン(実際は、veteranは退役軍人という意味で、日本語のニュアンスは英語には無い)の皆さんにこそ立ち上がってほしい」と仰った。わたくしもそう思う。ベテランの皆さんに立ち上がって欲しい。そして、このような不敬極まりない政治家を日本国から叩きだすよう主導して欲しい。日本人全体が盛り上がるよう導火線の役目を切にお願いしたいと思う次第である。もちろん、我々若者は日本を善道するためのコマとして、身命を賭して行動する覚悟だ。
「このようなことを言うと右翼だ、と言われるが、違う。ただの日本人だ。地道に国のことを考える。これが愛国心だ」との勝谷氏の言葉には、1ミリたりとも間違いがない。
菅直人首相は8月15日に國神社参拝を自粛するよう全閣僚に要請した。岡田外相(当時)に至っては「バターン死の行進」について元米兵に外務省で謝罪をしてしまった。8万人の米軍捕虜が80キロを歩かされるという「捕虜虐待」が行われたとされているのだが、勝谷氏は「しんどいのはお互い様だった。日本軍は2万人だった。2万人で8万人の世話をするのは大変だった。そら、病気になったり、残念ながら亡くなった人もいたでしょう。でも、日本軍も世話をするのが大変だったはず」と正論を吐く。“証拠”とされていた写真もAP通信が「誤報であった」と打電したばかりなのに。「バターン死の行進」については本間雅晴中将が「日本が将来名誉ある地位につくのであれば、喜んで死のう」と仰って、“冤罪”を堂々と受け入れられた。「英霊の言乃葉は、日本民族のマニフェストであり、このマニフェストを守り抜くことが日本人のアイデンティティであり、日本人としての最低限の礼儀である」。この勝谷氏の言葉が胸にしみて仕方がない。冒頭、約束を守るのは当たり前、と書いた。しかし、約束を実行するのはもっと簡単だ。なぜなら、國神社へお参りに行けばいいのだから。
※以上、2533文字。「あさなぎ」会報まるまる一面に掲載されますが、写真が2枚だと、1600文字くらいに削らないといけません。おそらく、広報局長がばんばん削ってくださり、見た目も文体もオリジナルとは似ても似つかぬ文章になると思いますので、両方読むと2度楽しめるという計算です(局長さんは、このブログ読まないね?)。がはははー。
※勝谷さんの大ファンだと書きましたが、当日お会いしたところ、つっけんどんだし、「アホは向こう行け」というオーラがバンバンでているし、挨拶しても虫けらを蹴散らすかのような不遜な態度だし、それぞれの主催団体がお呼びしたのには、それぞれの団体の意思や理由があるのだが、そんなこと知ったこっちゃないという風情でまったく意に介さないし、いままでのその団体の歴史的な経緯や方策は無視するし、とやりたい放題。正直、人間としては???と疑問符が付きます。でも、わたくしは勝谷さんのファンであり続けるだろうし、配信メールも購読し続けるでしょう。
※小沢一郎との関係についても講演会で触れておられました。おそらく、本講演会にお越しいただいた方々には、なぜ勝谷が小沢を推すのか、(100%とまではいかないにしても)ご理解いただけたことと思います。誤解というよりも、質の悪い邪推に飛びついた人がいて、それが面白いので広まったのですね(+自分こそ国を憂う真の愛国者であ~る、という勘違い。いや愛国者なのだと思いますよ。でも異論を排してはダ~メ)。で、勝谷さんがどうのようなことを仰ったかって?うーん、少し書いたが、消しました。書くのやめておきます。どーせ誰も読んでいないし、質の悪い下品なスパイはお前の方じゃ!と言いたくなりますから。がっはっはっはっはーー。