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夜スペ <その1>

2008-02-05 13:59:03 | Weblog

のん太郎君がおいしいネタを提供してくれました♪(謝謝)

 

杉並区立和田中学校の私塾との連携(夜スペシャル)に対する見解>

 

http://www4.ocn.ne.jp/~ttutokyo/sokuhou/080117yorusupe.htm

 

2008.1.17

東京教組

 

杉並区立和田中学校の私塾との連携(夜スペシャル)に対する見解

 

公立学校が教育活動として私塾と連携して有料で授業を行うことは、義務教育の諸原則(機会均等、無償)を逸脱するものであり、学校長の監督下で学校施設を開放し私塾が営業活動を行うことは公共財産の私物化と公教育の破壊につながるものである。

東京都教育委員会は、「公立学校教育の機会均等、公立学校施設利用の公共性及び教職員の兼業・兼職などの観点」から疑義があり実施の再考を求めているが、11日の東京新聞の報道によれば藤原校長は「既に成績下位層向けの補習などを十分に行っている」「費用は実費の範囲内で、実績次第でサピックス以外の業者との連携もある」と反論し、和田中学校「地域本部」は「都教委の指摘はクリアできる」と26日から実施する方針を明らかにしている。

しかし、「夜スペシャル」は、成績上位者を対象に和田中学校教員と塾講師が共同で教材開発し学力向上、受験対策として有料で行うものであり、義務教育の機会均等と無償の原則に反し、公教育が教育格差を助長するものである。

また、毎日新聞の取材(新教育の森)に「将来への投資として有効」(サピックス中学部)、「長期的に見ればサピックスの名も広まるし、通っていない中学生とじかにコミュニケーションが取れるなどのメリットがあると思う」(和田校長)と答えているように、大手塾のシェアの拡大に公立学校が手を貸すとともに、公立学校施設を無償で開放し特定の私塾が営業活動を行い、公共施設を私物化するものである。

私塾は、それぞれの理念、方法に基づき私企業として保護者や子どものニーズに応えた教育活動を行うものである。一方、公立学校は、すべての子どもに学力を保障し生きる希望を培うために教育の機会均等と無償の原則に基づき行われるものでなければならない。教育の地方分権をすすめるとともに、地域の特色を生かした各学校の独自なとりくみは保障しなければならないが、この原則を逸脱することは教育の格差拡大と公教育の破壊を招くものであり、和田中学校だけの問題として見過ごすことはできない。

以上のことから、東京教組は杉並区教育委員会と杉並区立和田中学校に対し、私塾との連携(夜スペシャル)の中止を求める。

 

引用は、以上でーす。

 

むふふ。

 

突っ込みどころ満載。むふふ~♪

 

公立学校が教育活動として私塾と連携して有料で授業を行うことは、義務教育の諸原則(機会均等、無償)を逸脱するものであり、学校長の監督下で学校施設を開放し私塾が営業活動を行うことは公共財産の私物化と公教育の破壊につながるものである>

 

<義務教育の諸原則>とは、文部科学省のサイト(http://www.mext.go.jp/b_menu/soshiki/daijin/04081001.htm)から引用すると、<義務教育は、人格形成の基礎であり国民として必要な素養を身につけるものであって、憲法第26条の定める国民の教育を受ける権利を保障するため、国は責任を果たすことが必要である。義務教育は、全国どこでも、必要な教育内容・水準が保障され、無償で行われなければならない。このような義務教育の根幹(機会均等・水準確保・無償制)は、国の責任でしっかりと担保する必要がある>(太字、わし)。

 

なぜ、「水準確保」を載せないのか?意図的にはずしたな。つまり、「水準確保」には私教育機関の力には及ばず、また私教育機関の力を借りなければ「水準確保」は夢物語だとこの文章を書いた本人も、日教組の連中も、また世間一般の良民常民も薄々気づいているからではないのか。

 

「機会均等」は「夜スペ」でこそ保たれる。つまり、できの悪いガキどもには補習や再試験や原級留置などの処分を施して厚くもてなすが、できの良い生徒にとっての学校授業はただ徒に時間を経過させるためだけの箱になっている。このような生徒のことを「吹きこぼし」(落ちこぼれ、の反対概念)という。「夜スペ」は、「機会均等」を担保する策としては的を射ている。

 

「無償」については、課外授業であるのだから(つまり、通知表に「観点別評価」が記載されるわけではないので)なんら一切の問題を生起させない。遠足や修学旅行は無償ではない。これと同じ。クラブ活動費(部費や道具購入費や遠征の旅費等)は当然実費である。これと同じ理屈だ。

 

< 東京都教育委員会は、「公立学校教育の機会均等、公立学校施設利用の公共性及び教職員の兼業・兼職などの観点」から疑義があり実施の再考を求めているが、11日の東京新聞の報道によれば藤原校長は「既に成績下位層向けの補習などを十分に行っている」「費用は実費の範囲内で、実績次第でサピックス以外の業者との連携もある」と反論し、和田中学校「地域本部」は「都教委の指摘はクリアできる」と26日から実施する方針を明らかにしている>

 

前段は既に述べたとおり。後段については藤原校長の仰るとおり。

 

しかし、「夜スペシャル」は、成績上位者を対象に和田中学校教員と塾講師が共同で教材開発し学力向上、受験対策として有料で行うものであり、義務教育の機会均等と無償の原則に反し、公教育が教育格差を助長するものである>

 

コメントするのも馬鹿馬鹿しいが、<公教育が教育格差を助長するものである>との言説は果たして日教組を始めとするいわゆる左巻き人間に猖獗(しょうけつ)する宿痾と言わざるを得ない。一時「お手手つないでみんなで並んでゴールインする運動会」が流行ったが(男女混合名簿しかり、男女同室での着替えしかり、トイレの表示版の男性と女性を色分けするのは男女差別であるとの妄言しかり)、「格差」という流行語を錦の御旗として自分たちの運動の道具に生徒たちを利用しているだけである。成績上位者にさらに上級な知識・技能を身につけさす指導をして、一体何が問題か。野球のうまい生徒を特別に指導してよりレベルアップを図るのは身体能力格差を助長するものであり、容認できないのか。プロ野球選手は、野球を行う身体能力のレベルが低いものを差別していることになるのか?これらは「格差問題」なのか。

なんら問題はないのである。それを恰も問題があるかのように見せないと、自分たちのレゾン・デートルが失われてしまうから、問題を己で作り出しているだけなのである。火の無いところ(=アジア各地)に放火して騒ぎ立てる放火魔(=朝日新聞)と同じ図だ!!<公教育が教育格差を助長し>ても良いのである。何の問題もない。生徒の足を引っ張って教育格差が助長されるというような“悪い関与”でなければ、No Problem!である

 

塾の講師もボランティアばかりしてられない。生活費が必要。だから塾に学校が謝礼を払わなければならない。従って直接恩恵を受ける受講生から受講料金を徴収することのどこが問題だ。No Problem!である。

 

また、毎日新聞の取材(新教育の森)に「将来への投資として有効」(サピックス中学部)、「長期的に見ればサピックスの名も広まるし、通っていない中学生とじかにコミュニケーションが取れるなどのメリットがあると思う」(和田校長)と答えているように、大手塾のシェアの拡大に公立学校が手を貸すとともに、公立学校施設を無償で開放し特定の私塾が営業活動を行い、公共施設を私物化するものである>

 

ほな、蛍光灯にnationalと書いてたらアカンか?修学旅行の案内のどっかに、近畿日本ツーリストと書いてたら、これは旅行代理店のシェア拡大に手を貸したことになるのか。塾だけ目の仇にするのは止めよ。これはまるで靖国神社だけを攻撃し、靖国神社にだけ「厳格な」政教分離規定を適用しようとする恣意的な、つまりご都合主義という共産党お得意の「技」を披瀝しただけにしか見えんぞ。 

 

公共施設を私物化するものである>って・・・お前らが言うなよ。公教育を私物化して、己の政治運動の道具に学校や生徒を利用しているのは、日教組のばか者ども自身ではないか!!!

 

生徒の自殺や自殺宣言文書の投書が話題になって全国が震撼しているときに、「自衛隊のイラク派遣はんた~い」と国会議事堂前で油を売って生徒を見捨てた日教組連中のことを、わしは決して忘れないぞ!税金泥棒め!当時の生徒に詫びよ!

 

私塾は、それぞれの理念、方法に基づき私企業として保護者や子どものニーズに応えた教育活動を行うものである。一方、公立学校は、すべての子どもに学力を保障し生きる希望を培うために教育の機会均等と無償の原則に基づき行われるものでなければならない。教育の地方分権をすすめるとともに、地域の特色を生かした各学校の独自なとりくみは保障しなければならないが、この原則を逸脱することは教育の格差拡大と公教育の破壊を招くものであり、和田中学校だけの問題として見過ごすことはできない>

 

<公立学校は、すべての子どもに学力を保障し生きる希望を培うために教育の機会均等と無償の原則に基づき行われるものでなければならない>

 

よくもまぁ、いけしゃーしゃーと・・・(ーー;)

<すべての子どもに学力を保障>してくれ。たのむから、保障してくれ。もぅ、キチガイの相手はごめん蒙りたい。<すべて>の子供の学力を保障してくれるなら、「日教組もなかなかええとこあるやんか」と言って宣伝してやる。

 

無理やろ。

 

おどれの無能を棚上げして、対策に塾を使われるのが悔しいのか。だったら、おどれ自身の学力を、指導力を、統率力を向上させんかい!!

 

<この原則を逸脱することは教育の格差拡大と公教育の破壊を招くものであり、和田中学校だけの問題として見過ごすことはできない>

 

・・・・・・みなさん、公教育の破壊を招いた原因は何ですか?

 

答えは、日教組ですね。

 

もぅ・・・つける薬がない。ないっす。ないよー。ないよー。

 

では、「夜スペ」の問題点をいくつか述べておきましょう。

①世間の一般的な認識は、指導力や技術力は別として、公務員である学校の教師の方が塾の指導者よりも社会的な立場が上、ではないないだろうか。「人格まで含めた教育をする」学校と、「学力に特化した指導」(=心の指導をしない。できない)をする塾とでは、学校の方に「分がある」との認識があるのではないか。そのような認識の下で学校へ塾の指導者が出かけると、「ペコペコする塾」「ふんぞり返る、あるいは偉そうに、または見下す学校の教員」という図が頭に浮かぶのだが、いかがでしょうか(ちなみに、私は「塾の先生」ではなく、「予備校の先生」です。塾と予備校はまったく違います。よく例えで言うのですが、もしわしが何らかの専門学校の先生だとしましょう。専門学校の先生を「塾の先生」とは言わないと思います。予備校は学校で勉強する学科を直接指導するので塾とよく似ていると思われるかもしれませんが、実態は専門学校に近く、実際法人格は学校法人であり、専修学校と規定されています。もし余裕があれば、村上龍の『13歳のハローワーク』で「塾」と「予備校」を読み比べてください。あれ、なかなかよく書いてますわ。立ち読みでええよ)。学校の教員に協力する姿勢がないと、足の引っ張り合いになります(わし、週一回キチガイ丸出しの高校へ教えて行ってますが、これ、学校教師の脳みそがスカスカだと、せっかくの授業が100パーセント無駄になります。「夜スペ」が斯様な憂き目に逢わないたとも限らない)。今のままでは、「夜スペ」を成功させるよりは失敗させる方が遥かに簡単で、万が一失敗すると二度と「夜スペ」の実施ができなくなるのではないか。

 <その2へ、つづく~~>


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