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夜スペ <その2>

2008-02-05 00:52:14 | Weblog

このブログ、ひとつの記事で保存できる文字数が10000字までなんです。

久しぶりに10000字超えましたね。ははは。

 

以下、<その1>の続きですわ。

 

②東京都の杉並区だけ実施するの、いくら有料とはいえ「不公平」であるのは確かだ。今後全国の公立中学校へ「夜スペ」を広げる用意をしないのは問題。しかし、現状全国に広がることはまず、ないと思って差し支えないであろう。まず杉並区で、その後全国へ徐々に広げていくというビジョンを持ってもらいたい。

 

③「夜スペ」が評価されたとき、生徒が学校の先生を尊敬しなくなる可能性がある。子供の前ではお父ちゃんの悪口を絶対言ってはならない(家族破壊→地域破壊→国の破壊=今の日本、となってしまうので、絶対駄目!!)。同様に、いろいろと文句を言いたくなる気持ちはわかるが、「先生」というだけで偉い!という風潮がないと教育は成り立たない。お巡りさんに対する尊敬の念が欠落しつつある昨今の治安もしかり、である。学校の先生も塾の先生に対する陰口は慎まねばならない。果たして可能なのか、疑問である。

 

④今回は東京で有名な「サピックス」という塾と提携した。今後杉並区以外の地域(全国でなくても)へ拡大したとき、さまざまな塾が参入してくるだろう。塾業界を熟知しているわしとしては、こんな危険なことはない。「塾の方が教えるのがうまい」というのは、はっきり断言しますが、迷信です。一切関係ない。学校の教員でおかしなもの、狂ったもの、税金や保証された地位を悪用するという劣化人間がいます。しかし、塾にもおかしな劣化人間はいます。塾にも日教組顔負けの左にひん曲がった赤い人はいます(割合は・・・塾の方が高いと思うのだが)。塾だからということで安心することはまったくできない。

 

でも、わざわざ「夜スペ」に派遣される先生だから、やっぱり人気者で教えるのが上手なのでは、と思うかもしれません。そうであって欲しいの願望はありますが、その保障はありません。むしろ、客商売なので生徒と迎合するバカの数が学校教師より多いかもしれません。これでは却ってマイナスです。そして、塾が抱える最大の問題は、「教え方」よりも「教える内容」です。それなりに流行っている塾は週に1度集まって、「模擬授業」を行いお互いに研修をし、研鑽をしています。しかし、導入の仕方から本論、演習、まとめというサイクルで塾は指導しますが、そのサイクルが旧態依然としていることが実に多いのです。忙しいサラリーマンなので、最新の指導法の論文を読むなどといいうことはまず考えられない。その旧態依然のカビくさいやり方を学校現場に鳴り物入りで持ち込むことは大きなマイナス材料だと思います。

 

(たとえば、現在完了という相(aspect)を時制(tense)の変異(variation)と教えてしまうため、現在完了という相矛盾するネーミングが持つ特性を掴みきれず、挙句の果てに「現在完了形は日本語には無い形式です」と法螺を吹き、分類した和訳を機械的に当てはめるだけ満足してしまう。だから現在完了相がわからないし、理解できないものとなり、難しいとの烙印を押されてしまう。しかし、「日本語には無い」形式と教えるにもかかわらず、どうやって日本語に「訳させる」(日本語にないのに、どうやって日本語に直すのだ?)のか。

受動態(passive voice)はただ単に主客を逆転させたものという程度の理解しかなく、「能動ー受動」の統語的振る舞いにミスがあるか否か、ということにのみ意識が向けられている(「この車はトムに乗られる」←果たして、これは日本語か?)。

willとbe going toを同意文として書き換えをさせるため、法助動詞(modal auxililary verb)が持つ認識様態的意味は一顧だにされず、知的意味にのみ焦点が当てられる。これではまさに片手落ちである。などなど。

はっきり言って、「間違ったこと」が平気で教えられている。塾側(学校もそうだが、少なくもと塾よりは勉強する機会が多いのは確か)がこのような「間違い」を、「間違い」と認識する用意が果たしてできているのか。これからできるのか。甚だ疑問である)

 

というわけで、そろそろ飽きてきたので結論と参りましょう。

 

渡部昇一先生(上智大学名誉教授)が大昔から提唱なさっているように、すべての塾を公の教育機関と認めよ!これに尽きると思います。業界に詳しいので、すべての塾を正式な教育機関と認めることは、実に、実に危険なことです。しかし、このことは公立の学校にも当てはまります。よって、方法としては良い学校、塾は残し、悪い学校、塾は統廃合する。しかし、どのようにして良し悪しを決めるのか。どのようにして峻別するのか。事実上このような分類は不可能です。だから、認めるしかない。現在ある(あるいはこれからできる)すべての塾・予備校・学校を正式な教育機関として認めること、これが現在の教育が直面する閉塞状況を打破する唯一の扉であると思います。

 

松浦光修先生(皇學館大學教授)は、「義務教育を廃止し、教育の“自由化”を」お仰った。「文部省もそろそろ、明治以来の既得権を手放して、民間に教育お権限を委譲することを考えはじめたほうがよかろう」(『いいかげんにしろ日教組』(PHP研究所))と仰る。

 

今の教育荒廃、学力低下の原因は学校が信賞必罰を体現できなくなったことにある、と考える。今の世間一般の人間相手に信賞必罰の精神で子どもを指導できますか。すべての塾を正式の教育機関と認めることにより、信賞必罰の荒波に揉まれた塾や学校が生き残る。そうやって徐々に回復させていくしかないではないか。

 

このことを真剣に議論すべきときが、ついに訪れたぞ!

 

 


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