グーグーだって猫である〈2〉 価格:¥ 1,155(税込) 発売日:2002-12 |
1巻のラストの方にちょっと触れられていた卵巣腫瘍の手術についての顛末が、『人生の大晦日』という2巻冒頭の章に詳しく描かれ、なんとなく身につまされました。
私もひとり暮らしでこそないですが、おひとりさまで妊娠・出産経験がなく、婦人病のリスクは高そうだな~と思っているので他人事でなかった。
それにしても大島氏が人生の一大事に比較的落ち着いていて、毅然としているのには感心します。
おひとりさまこうあるべき、と、自分は無理かもしれないけど憧れます。自分の死にもしっかり向き合い、身の振り方やまさかの時のことをきちんとしておくのがマナーだなあ、と思ったりして。
もっとも、大島氏はまったくのひとりではなく、猫たちという家族がいるのでした。
しかも、最初は初めての猫故サバが去った後、グーグー1匹と始まった生活が、あれよあれよと家族が増えて……4巻以降も新しい猫との生活が描かれるのだなと思うと、楽しみやら、他人事ながらちょっと怖いやら……
そういえば、余談ですが読んでいてちょっと心にひっかかった描写がありました。
大島氏が退院したとき、グーグーがキャットシッターの方に愛想がいいのにショックを受けるのですが、ビー(2番目の猫《サバのぞく》)は意外と冷静で、拾い主が誰かを認識している。
そうして、大島氏は考えて納得するんですね。“ケガをして空腹で暗闇をさまよっている時、キャットシッターされたらだれだってその人を忘れない”
そのシーンで、5月に逝ったウチのあやを思い出したのです。あやは迷い猫だったのですが、1ヶ月たっても風邪が治らず、病院に連れて行きました。
そのとき病院が怖くてパニックになっていたのですが、「大丈夫だよ」といって撫でると、とたんに顔が穏やかになって、身を寄せてきたのです。出会ってたった1ヶ月でこんなに信じるものか、とちょっと驚いたのですが、あやもレスキューされたって感覚があったのだろうかと思いました。
閑話休題(それはさておき)。あんまりネタを割ってはいけないのですが、大島氏は3巻ではさらに大きな人生の転機を迎えます。それの遠因には、やっぱり猫たちの存在がある。
そうして、このシリーズではないのですが、大島氏が友達に桜の開花を追っての長い旅に誘われて、「サバがいるからいけない」と言い、友達が、じゃあずーっと先でもいい、と妥協したのに、それでも断って呆れられ、「それじゃ、結婚よりきつい束縛じゃないの!」と言われるシーンをふっと連想しました。
そう言われて、大島氏はなんと、その“束縛”ということに幸福を感じるのです。
人生はやっぱり、少し、不自由な方がいいのかな。人ってまったくの独りでは生きていけないものなのかな。
そんなことを思わされて、シンパシーと、多少複雑な思いとを同時に感じました。
このシリーズは5巻まですでに発行されているようで、大島氏の猫とともに生きる女の人生をまた追体験したい、と思っています。