あめふり猫のつん読書日記

本と、猫と、ときどき料理。日々の楽しみ、のほほん日記

呪縛が解けるとき。

2011-05-29 01:23:27 | 本(エッセイ・ノンフィクション他)

主人公が足を踏み入れたことのないバーに行ったとき、同席することになった美しいが教養のない男の子が彼女に訊く。「白鳥の湖ってどんな話?」

彼女は答える。「娘が悪魔の呪いによって白鳥に変えられる」「真実の愛だけが、呪いを解くの」「けれど彼は他の娘を愛する」「そうして、娘は命を絶つ」

すると男の子は(たぶん適当に)訊くともなしに言う。「ハッピーエンド?」と。

もう昨日の夜になりますが、友だちとレイトショーで『ブラック・スワン』を観てきました。

(以下、物語の核心に触れています。まだご覧になっていない方は、僭越ですがご注意ください)

心理サスペンスであろう、とは思っていましたが、想像以上に怖い映画でした。目をそむけるようなシーンもあり、正直途中まではどうしようかと思ったほど。

ストーリーは、真面目で努力家の主人公が夢にまでみた『白鳥の湖』の主役に選ばれたものの、清純で臆病な白鳥はハマり役だが奔放で官能的な黒鳥が演じ切れず、次第に追い詰められてゆく彼女の心の中を追ったもの……と一口に言ってしまえばそういうことですが、そのナタリー・ポートマン演じるニナの内的世界の怖ろしいこと!

次第に妄想に浸食され他ならぬ自分の影におびえるさまは、グロテスクな描写もあって凄まじいの一言でした。

けれど、クライマックスにさしかかり、彼女が黒鳥を踊るシーンになると、ニナに感情移入して脳内アドレナリンが出たのか、妙に高揚して気分がよくなって。

まわりすべてがきらきらし、降るような喝采とスタンディング・オベーション。多幸感というか万能感というか、身体がふわりと持ちあがるような気持ちでした。

そうしてラストシーンでは、不思議な満足感を感じ、たとえ命を賭けたとしても凡百の人間には芸術の高みへは辿りつけないのだし、これはやはりハッピーエンドなのではないか、と思ったのでした。

ことに、当然我こそはという気持ちも妬みもある仲間のバレーリーナたちが心からの賞賛を贈るシーンでは、それはその芸術が本物であるが故で、自分が本物だと思えることはなんと素晴らしいのかと思わずにはいられませんでした。

演出家は何度となくニナに「自分を解放するんだ」と囁きますが、彼女が解放されるにはそれしかなかったのかと切なさも感じます。けれど、本来芸術家に霊感を与える詩神(ミューズ)はその代償に生命を取り上げる死神に他ならないのだと、妙に腑に落ちた映画でした。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
またまた、ご無沙汰致しました[E:coldsweats01] (エラティト・シン)
2011-06-07 17:24:01
またまた、ご無沙汰致しました[E:coldsweats01]

呪縛かぁ…
プーになる直前に、アダルト・チルドレンについての本を読みました。
その中で、『自分は虐待されていたのだ』と自ら認める事が、自分がアダルト・チルドレンである事を認める一歩なのだ、とありまして…
あ、そぉか、そうだったんだ…[E:sign03][E:eye]、という感じでしたねぇ…
『呪縛が解ける』までいかないにしても…自分が長年抱えていた、もやもやしたものの正体が、僅かでも見えたような…[E:coldsweats01]
ただ、そこからどう進むかが、長い、辛い話になるかな、と…[E:weep]
解放は…まだまだ先の話になりそうです[E:coldsweats01](いやぁ[E:sign04]具体的に書くとシャレにならないから、こんなボカした事しか書けませんでした[E:coldsweats01] ゴメンして[E:coldsweats01])
返信する
ど[E:sign04]も[E:sign04][E:coldsweats01] (エラティト・シン)
2011-06-09 16:52:00
ど[E:sign04]も[E:sign04][E:coldsweats01]
前回は意味不明な書き込みで失礼致しました[E:sweat01]
補足させて頂きますとね…
親や兄弟の、度を越したからかいの言葉に傷付いて、悲しい思いをして、抗議したとします。
でもこう言われたとしたら…?
「そんなつもりで言ったんじゃない」
「ちょっとからかっただけじゃないの」
「こんな事で傷つくなんて、お前の感受性の方がおかしい」
…そう言われ続ける事で、自分の方が悪い、という罪悪感を背負ってしまったら…?

親や兄弟の言葉より、自分の記憶や感受性の方を正しいと信じる…
それが、アダルトチルドレンの自己解放の第一歩になるのだ、という事なんですよ…

ハハハ[E:sweat01]
管理人さんは、新たな展開がありましたか[E:sign04]?
私は何も無いんですよ[E:sign04][E:coldsweats01]
じゃね[E:sign04][E:paper]
返信する
『ブラック・スワン』でも主人公のニナは母親に異... (雨ふり猫@管理人)
2011-06-10 22:27:17
『ブラック・スワン』でも主人公のニナは母親に異常なくらい過保護に守られていて、彼女の狂気の原因の一端は母親との密接すぎる関係なのかな、と思わされます。
子どもにとって親というものは、それだけ世界を大きく占める存在なのですね。
また子どもの頃に傷つけられた思い出というのは、大人になっても、老人に近くなっても、忘れがたいものですよね。『赤毛のアン』でアンがリンド夫人に“みっともない子”と言われたことを怒るとき、マリラもふと、自分が子どもの頃そう言われた悲しさを思い出すシーンがありました。
私もおそらく『アダルトチルドレン』なのだなぁ、という自覚がありますが、一方で、でももはや子どもではない、という気持ちもあります。自分、という存在の責任は自分で持たなくてはいけないのです。
もっとも、なかなか理想通りにはいきませんが。
それから、自分もまた誰かを傷つける大人になっているのではないか、ということも最近気になります。
私も、とくに新しい展開はありませんが、まあ、のんびり行きましょう[E:confident]
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