長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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廃道を行く -長州路- ←違w

2009年11月26日 | ★幕末維新の長州
↑ いやそれは「街道を行く」だから

しかし、かの萩往還(の、山口・萩間)は、事実ほぼ廃道でした。
もともと防府--山口--萩を結ぶ道としてあったのを、毛利氏が萩に築城させられて以来、参勤交代にも使う「御成道(おなりみち)」として道幅を広げ、整備しました。
…が、車社会になって全く廃れ、一時は草に埋もれ、通ることはできなかったらしいです。

しかし近年かなり整備されました。
草をとり、積もった土をどけたら石畳が出てきたところもあるとか聞きました。
石畳の道。




山口と萩の間は高い山なので、坂道続きです。
特に急な場所は、土の流出を防ぐためもあって、石で「舗装」されてました。


もちろん小さな川にも全て橋がなくては渡れません。




この写真じゃわからないけど、板状の石をドーンと置いたのではなく、下からかなりしっかりと固定用の石が支えています。
そういう作りは長州独特らしく、瀬戸内海側の塩田や干拓地にも見られます。
「らんかん橋」と呼ばれています。

っていうか、ピントが手前の花に合っている件について…


こういう段もあります。
当時手すりはなかっただろうなあ…




しかーーーし。

そんなに全てが石畳や段々ではないのだ。
ほとんどの部分は




こんな感じの土の道!
つか、怖いんですけど。暗くて


この道を、みんな通ったんです。
吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一、吉田稔麿、山縣有朋、伊藤博文、山田顕義、井上馨、来島又兵衛、周布政之助、大村益次郎、木戸孝允…いやもう、まったく名前を挙げ切れません。
(なんか重要なのが抜けてるかもしれん…木戸サンを最後に思い出す私だし…ぐはぁ

あの人も、あの人も、一刻も早く伝えたい意見や、知らせたいニュースを抱えて、きっとつんのめるようにして小走りに歩いていったんでしょう。
時には懐に大変なものを隠していたかもしれません。


道というのは需要に応じて作られたり廃れたりするものだけど、こんな古い道には、そこを通っていった人たちの情念が残っているような気がします。



ときに。

またピグ

昨夜は長州藩の部室で濃いお二人に会いました。




向かって左から私、yuihouさん、みんかさん。
命題:なぜガタは嫌われるのか。
…みんかさんが「ウザいからじゃない?」とバッサリ斬ってくださった

いや確かに執念深いわガタ…。
赤祢の件とかね。
大田絵堂とかの山縣は全然嫌いじゃないんですけどね~



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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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趣がありますねー (みさと)
2009-11-26 23:14:27
歴史を感じる良い道ですね。
こういう場所を復旧させる努力は素晴らしいと思います。
二枚目の写真、花にピンがきてるのは、これはこれでいい感じです。
竹やぶ、久しぶりに見たかも。キレイです。
独特のにおいがあるんですよね、竹やぶって。

にしても、北海道だったら確実にヒグマ出ますね、最後の道(  ̄m ̄)
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Unknown (内藤昶)
2009-11-27 22:53:21
大丈夫です、こっちもツキノワグマ出ますもん(大丈夫とかじゃないっ)。
最近、鹿もよく出るんだわ…。・鹿・猿。
いのしかさる・・・惜しい。
返信する

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