昨日たまたま用事で朝からずっと市外に出てて、夜帰ってきてからもローカルニュースを知らず、寝る頃になって携帯メール着信に気づいた・・。
「宮市兄部家全焼」と…。
えええええええっっっっ!
あわててニュースを探したところ、22日早朝(3時頃)、母屋の風呂場あたりから出火し、奥さんは逃げることができたけれど、ご当主が焼死され、家屋も全焼とのこと。
シ ョ ッ ク す ぎ る・・・
4月末にBSの街道番組で、中村勘太郎(へ、平助… ←)が萩から防府までの萩往還を旅する番組が放送され、そのときに見たばかりだったのに。

兄部は「こうべ」と読みます。
兄部家は、萩往還に面した本陣で、九州の殿様が参勤交代の時に利用していました。
国指定史跡になってました…。

亡くなったご当主の兄部次郎さん(84)。ご冥福をお祈りします…。
夫婦二人暮らしでした。


番組で紹介されていた「間取り印刷用の版木」と「薩摩の殿様が宿泊された時に表に出していた札」。
おそらく、こういうものも一緒に灰になったのでしょう。
あの家においてあったのなら。
出火原因は、まきで焚いていたお風呂の焚口の残り火が、何かに燃え移ったらしい。
なんて不運な・・。
ひとつ、防府から江戸時代を感じる建物が消えました・・・。

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「宮市兄部家全焼」と…。
えええええええっっっっ!
あわててニュースを探したところ、22日早朝(3時頃)、母屋の風呂場あたりから出火し、奥さんは逃げることができたけれど、ご当主が焼死され、家屋も全焼とのこと。
シ ョ ッ ク す ぎ る・・・

4月末にBSの街道番組で、中村勘太郎(へ、平助… ←)が萩から防府までの萩往還を旅する番組が放送され、そのときに見たばかりだったのに。

兄部は「こうべ」と読みます。
兄部家は、萩往還に面した本陣で、九州の殿様が参勤交代の時に利用していました。
国指定史跡になってました…。

亡くなったご当主の兄部次郎さん(84)。ご冥福をお祈りします…。
夫婦二人暮らしでした。


番組で紹介されていた「間取り印刷用の版木」と「薩摩の殿様が宿泊された時に表に出していた札」。
おそらく、こういうものも一緒に灰になったのでしょう。
あの家においてあったのなら。
出火原因は、まきで焚いていたお風呂の焚口の残り火が、何かに燃え移ったらしい。
なんて不運な・・。
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実にショックであります・・・。
ご主人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
由緒ある建物とご当主いっぺんに消えてしまったとは、筆舌に尽くしがたく残念な思いです。
ところで、私、昨日勝坂の砲台を訪れようと山道に入ったのですが、行けども行けども草ぼうぼうで砲台に辿り着けませんでした・・
262号線からけっこう遠いのでしょうか??
始めまして、取り急ぎ。
勝坂砲台は残っていません。
262沿いのコンクリの壁に「勝坂砲台跡」と書かれた板が取り付けられている場所がありますよね?
あの、レストランなすびのちょっと山口側。
あの案内板?の上が砲台跡です。すぐ下の道に撃ちおろせなきゃおかしいので、山の中じゃないです。
以前は小さい民家が一軒ありましたが、だいぶ前から空き家でした。今でも建ってるかどうか。
とにかく草ボーボーで、周囲の山以外に当時を偲ぶものはありませんでした。
萩往還を挟んだ反対側(西側)にも砲台があったそうですが、これはもっと早く取り払われ、造成したりなんかで、さらに当時の様子はわかりません。
小郡の柳井田関門のところもどんどん変わってしまい、仕方ないけど残念です。
ちなみに、県庁の裏山も砲台だったそうです。政事堂とかいいながらしっかり軍備w
確かに民家はありました。
もう空家になっているようでしたが・・・
悲しいですね。
歴史の面影を残すことをしないなんて。
豪雨に流されなかっただけでも幸いなのでしょうか・・