歴史スキーなら、けっこうお墓に慣れてて気味悪がらないですね(私なんか、墓地が大好きだ)。
そして、「自分ちのご先祖はあの時何してたのかなあ」とか考えること、ありますよね。
ま、よーするに一般の人に比べて「昔の人に思いをはせることが多い」と思います。
ウチは去年お墓を移したので、お墓の話なんか書いてみようと思います。
(幕末史とは関係ありません)
うちのご先祖さんは、別に名のある人では全然ないが、こちら に書いたような話があります。
維新後、禄を失った士族の一人として東京に出てきて郵便局をやってたため、うちの墓は東京世田谷、籍は渋谷です。
しかし東京では、お参りに行ける親族もほぼ皆無になってしまい、末っ子ではあるがウチの父が見ようということに(実質私なんですけど~)なり、移しました。
世田谷のお墓は、お寺にありました。
が、その宗派がこっちにない。
今さら別の宗派のお寺の門徒になるのは気が進まない。
というわけで選んだのが神道^^;
世田谷のお寺に、お墓を移したいことを伝えたら、法律で決まっている手続きが意外とややこしいことがわかってびっくり
「私」とそのお墓の関係が証明されないと、さわることができなくて…。
その証明のために、戸籍謄本、除籍謄本、こっちに墓地の用意が既にあるという証明書などが必要でした。
しかも籍が渋谷にあるので、いちいち渋谷区役所と…めんどくさっ
なんかね、思った以上に書類が必要で、まずは何がいるのか調べるところから始まるし、もし「うちの墓も移さなきゃと思ってるんだけど」って人がいたら、年取ったらできないので、早くしたほうがいいよーーー
それで書類をガッツリ揃えてお寺に行き、供養のお経を読んでもらって骨壷を出してもらいましたが、これがまたどれが誰のだかわからん。
お墓の下の納骨室に、8つの骨壷が入ってました。初めて見た。
幸い、メインの(何のメインだ)祖父・祖母ははっきりしていたのですが、他が誰のだかわからない。木の札がつけてあったみたいだが、既に全く読めず…フダ自体腐りかけてるし。
お寺と石屋さん(石屋さんも頼んでおかないといけないのだ!実際の作業をしてもらうために)が「じゃあ、誰のかわからないお骨は少しずつとって1つに入れて、先祖代々ということにして、合計3つにしたらどうでしょう」と言うので、そうしてもらいました。
「こんな骨壷、大正時代までのだと思いますよ」と言われた古いのもありました。
(お寺ともめてる檀家だと、移したいと申し入れても拒否されることがあります。知りあいんち、ずっとそれでもめてる…)
さて。
骨壷3つ、本当は腕に抱えるべきですが、さすがに無理なのでキャリーバッグに入れて移動。
お墓は世田谷。世田谷の松陰神社、近っ
お骨を受け取って余った時間、松陰神社に行きたかったのだが、神社に死骨を持って入ってはいけないのだ。
神社は清浄な場所なので、遺体とかお骨はNGです。
なのであきらめて日野に行った
↑そう来たかと。いやー、骨壷持ってどんだけ移動してるんだ私ww
日野のホテルにおいて、側で寝ましたが、不思議と気味が悪いとは全然思わなかった。
あれ多分、赤の他人の骨だったら、そこで寝るのとか嫌だったかも。
血縁って不思議なもんだなあと思います。
その後、日野で2日遊んで(爆)、せっせと帰り(その後、通称日野風邪で3週間寝込んだ)、こちらに新しく建てたお墓に入れ、家では仏壇ではなく御霊社(ごれいしゃ・みたまや)を祀りました。
御霊社って見たことない人いると思うので、載せてみますね。
こんなの。
ま、仏壇白木バージョンでちょっとデザインと小物が違うって感じです。
これはお正月の写真なので、輪飾りや鏡餅ついてます。
まあそれやこれで…。
両親とも末っ子の私は、それまでこういうことに縁がなかったのですが、経験できてよかったなーと思いましたよん。
やっぱさ、その人がいなかったら自分いないんだもん。
ずーっとつながってるんだよねえ、ずーーーっと。
んでもって、またピグ話だが、なぜか今、自分のサムネイルが目をつぶってる。
やろうったってできないバグなんで保存ww
着替えて保存したら消えてしまうと思うので。
・・・モノクルはなんなんですかねwww
海賊のところで新発売になったやつなんだけど、ピグの土方さんが「あれ買ってる奴、見たことねえww」って言うから、試しに買ってみたら爆笑だった。
なぐられたアザか、これは。
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そして、「自分ちのご先祖はあの時何してたのかなあ」とか考えること、ありますよね。
ま、よーするに一般の人に比べて「昔の人に思いをはせることが多い」と思います。
ウチは去年お墓を移したので、お墓の話なんか書いてみようと思います。
(幕末史とは関係ありません)
うちのご先祖さんは、別に名のある人では全然ないが、こちら に書いたような話があります。
維新後、禄を失った士族の一人として東京に出てきて郵便局をやってたため、うちの墓は東京世田谷、籍は渋谷です。
しかし東京では、お参りに行ける親族もほぼ皆無になってしまい、末っ子ではあるがウチの父が見ようということに(実質私なんですけど~)なり、移しました。
世田谷のお墓は、お寺にありました。
が、その宗派がこっちにない。
今さら別の宗派のお寺の門徒になるのは気が進まない。
というわけで選んだのが神道^^;
世田谷のお寺に、お墓を移したいことを伝えたら、法律で決まっている手続きが意外とややこしいことがわかってびっくり
「私」とそのお墓の関係が証明されないと、さわることができなくて…。
その証明のために、戸籍謄本、除籍謄本、こっちに墓地の用意が既にあるという証明書などが必要でした。
しかも籍が渋谷にあるので、いちいち渋谷区役所と…めんどくさっ
なんかね、思った以上に書類が必要で、まずは何がいるのか調べるところから始まるし、もし「うちの墓も移さなきゃと思ってるんだけど」って人がいたら、年取ったらできないので、早くしたほうがいいよーーー
それで書類をガッツリ揃えてお寺に行き、供養のお経を読んでもらって骨壷を出してもらいましたが、これがまたどれが誰のだかわからん。
お墓の下の納骨室に、8つの骨壷が入ってました。初めて見た。
幸い、メインの(何のメインだ)祖父・祖母ははっきりしていたのですが、他が誰のだかわからない。木の札がつけてあったみたいだが、既に全く読めず…フダ自体腐りかけてるし。
お寺と石屋さん(石屋さんも頼んでおかないといけないのだ!実際の作業をしてもらうために)が「じゃあ、誰のかわからないお骨は少しずつとって1つに入れて、先祖代々ということにして、合計3つにしたらどうでしょう」と言うので、そうしてもらいました。
「こんな骨壷、大正時代までのだと思いますよ」と言われた古いのもありました。
(お寺ともめてる檀家だと、移したいと申し入れても拒否されることがあります。知りあいんち、ずっとそれでもめてる…)
さて。
骨壷3つ、本当は腕に抱えるべきですが、さすがに無理なのでキャリーバッグに入れて移動。
お墓は世田谷。世田谷の松陰神社、近っ
お骨を受け取って余った時間、松陰神社に行きたかったのだが、神社に死骨を持って入ってはいけないのだ。
神社は清浄な場所なので、遺体とかお骨はNGです。
なのであきらめて日野に行った
↑そう来たかと。いやー、骨壷持ってどんだけ移動してるんだ私ww
日野のホテルにおいて、側で寝ましたが、不思議と気味が悪いとは全然思わなかった。
あれ多分、赤の他人の骨だったら、そこで寝るのとか嫌だったかも。
血縁って不思議なもんだなあと思います。
その後、日野で2日遊んで(爆)、せっせと帰り(その後、通称日野風邪で3週間寝込んだ)、こちらに新しく建てたお墓に入れ、家では仏壇ではなく御霊社(ごれいしゃ・みたまや)を祀りました。
御霊社って見たことない人いると思うので、載せてみますね。
こんなの。
ま、仏壇白木バージョンでちょっとデザインと小物が違うって感じです。
これはお正月の写真なので、輪飾りや鏡餅ついてます。
まあそれやこれで…。
両親とも末っ子の私は、それまでこういうことに縁がなかったのですが、経験できてよかったなーと思いましたよん。
やっぱさ、その人がいなかったら自分いないんだもん。
ずーっとつながってるんだよねえ、ずーーーっと。
んでもって、またピグ話だが、なぜか今、自分のサムネイルが目をつぶってる。
やろうったってできないバグなんで保存ww
着替えて保存したら消えてしまうと思うので。
・・・モノクルはなんなんですかねwww
海賊のところで新発売になったやつなんだけど、ピグの土方さんが「あれ買ってる奴、見たことねえww」って言うから、試しに買ってみたら爆笑だった。
なぐられたアザか、これは。
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なかなかそういうことを体験する人なんて、いないでしょうから今回は、かな~りタメになる話を聞いたな~と思いました
あんなに面倒だとは思わなかったよーー。
特に私の場合、お寺まで行って書類不備があったらアウトなので、しつっこく聞いてーたり調べたりして書類を揃えたんですが…。
「お墓だけが田舎に残ってるので」みたいな理由で移す人、多いそうです。うちは逆だけどな^^