長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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知る人ぞ知る来島さんの碑

2010年01月27日 | ★幕末維新の長州
続、亀山公園。

カトリック聖堂と維新史跡が混じってる場所です。
(事情は前回書いたとおり)

来島又兵衛顕彰碑。



周布のと同じく、上のでかい字を毛利さんが書き、下の碑文を聞多が作り、清書を野村くんがやったコラボ作品。
周布さんのより数年あと建ったみたいですが、テイストは一緒です。
この作り方は文字が風化しなくてきれいだなあ。

ただ、こちらは台座にのっているため文章がよく見えません。残念。

あと、どっちも全然説明板とか建ってないのだ。
なんででしょうね…


ふたつの碑は、聖堂前の駐車場周辺にあります。
ここからさらに階段を登った「山頂広場」が、もともと「銅像公園」と呼ばれていた亀山公園。
戦時中に供出して以来ずっと何もなかったんだけど、近年ひとつだけ像が復活しました。

それがコレ。


毛利敬親です。
なんか、ちっちゃ!
ももちぃさんの話では、徳川慶喜もハンパなくちっちゃいというか、短足であったらしい…。
このタカチカ公、ポージングが無駄に萩の山縣有朋の像とそっくりです。

そういえば、何回萩に行ってもあの像を撮影したことがないなあ。
なぜだろう・・・・・フwシwギw 


ちなみにここの聖堂はスペインの、フランシスコ・サビエルが生まれた城のファサードを模したデザインだったので、異国情緒あふれてて大好きだったのですが、焼失してしまいました。
石造りだと思ってたら、木造モルタルだったのです。
そりゃそうだよねえ、建ったの1952年だもん。そんなお金ないよね。
二本の塔が煙突の役割をしてしまい、ステンドグラスも祭壇もパイプオルガンも、あっというまに炎の中に崩れ落ちてしまいましたよ…
そんで再建された時、すんごい前衛的だったのでびっくりでした。



どうっでもいいけど、ピグ部屋のこの位置にタンスを置いたら、猫がよくはさまるようになった。謎だw



この場面と逆に、上半身だけ出てもがいてた時もあったぞ。怖いんですけどw



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