長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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諸隊、八幡隊屯所跡

2010年01月28日 | ★幕末維新の長州
幕末の長州の「諸隊」というと、いわゆる民兵部隊です。
最も有名なのは、もちろん奇兵隊

農民のほか、僧侶神職とか、相撲取りとか、猟師(鉄砲が上手い!)とか、また被差別階級者や女子だけの隊(火薬包みを作っていた)もありました。

その中に「八幡隊」があります。


この八幡隊の屯所がここです。うっ…近所すぎる
この門、くぐってたんですよ、あの人たちが。
(現在は、中で宮司さんちが飼ってるコッカスパニエルがひゃんひゃん吠えるのだ



「今八幡宮」(いまはちまんぐう)という、たいへん古い由緒ある神社の社務所です。現在もそのまま使われています。
当時の宮司さんが勤王の志のあつい人で、社務所を志士たちの議論の場に解放していたところ、集まる人は日に日に増え(最初は堀真五郎梶山三郎助=小笠原蓑助)らが「神典取調所」と称して集まっていた)ここで「八幡隊」が結成されました。

諸隊は「一揆ではない」ということを明確にするためもあって、トップには士分を据えていました。
八幡隊の隊長に推されたのは久坂玄瑞でしたが、自由に活動したいからと断ったため、堀真五郎を総督にしています。
ここでの議論は「八・一八政変の報復のために上洛しよう」というものが中心で、賛同した久坂玄瑞、寺島忠三郎、入江九一、来島又兵衛らが、たびたびここを訪れていたそうです。
彼らの多くは、望みどおり上洛したことで起こった「禁門の変」で命を落としています…



八幡隊は大田絵堂の戦い、四境戦争(第二次長州征伐)でもよく戦いました。
その後、編成替え(隊の合併)で名前は消えます。


- おまけ -
総督の堀真五郎は76歳まで長生きしますが、この人、明治元年に旧幕軍のいわゆる「脱走軍」を函館に入れまいとして、各所で思いきり負けました~。
榎本・大鳥・土方完勝w
うっそーん…と青森まで逃げ落ちたものの、指揮官の任を解かれ、翌明治2年の函館戦争には参加してません。
かわりに来たのが山田顕義ってことなのかな?



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