長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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カトリック聖堂の側にある史跡

2010年01月25日 | ★幕末維新の長州
山口の「サビエル記念聖堂」(ザビエルじゃなく、サビエル)は、もちろん信徒の方の大切な聖堂なんですが、観光地でもあります。
山口市役所の隣にある「亀山」という小山にあります。
小山自体「亀山公園」と呼ばれています。

ふもとにはイタリアンレストラン、登っていくと教会の幼稚園、そして聖堂、神父館…という場所なのに、とーとつにそこには妙なものがあるのだ!

周布政之助顕彰碑と来島又兵衛顕彰碑、それから毛利敬親

なにげにネットで検索してみると「どうして教会の敷地に維新史跡があるのか不明」と書いてあったりします。

私はその答えを知っているのだー!


この亀山、蔵六山とも呼ばれていました。
蔵六とは亀のこと。手足を引っ込めた亀のような形の小山だからでしょう。
ここは1600年前後に毛利氏が城を築きかけて中止した場所で、そのまま毛利家の土地でした。
維新後…というか明治33年なんですが、ここを整備し、数々の銅像が並ぶ公園になりました。
(誰の像があったのか不明。また調べてみます)
その前後に、周布・来島顕彰碑も建てられています。



これが周布さんの顕彰碑。


亀山は「銅像公園」とも呼ばれ、当時すごい人気スポットだったらしい。
◆旧制山口中学校校歌より
  正義は啓(ひら)く 維新の大義
  いさおし更に 継がんは誰ぞ
  蔵六山に 香山園に
  銅像豊碑 仰げば高し

しかし戦時中の金属供出で銅像はなくなってしまい、石碑だけが残りました。

そして1948年(昭和23年)、カトリック教会が土地の一部を毛利家(毛利家には維新後カトリック信者がちょこちょこいます)より購入。
1952年、初代聖堂落成。


カトリック教会偉いな、と思うのは、元からあったものを残してくれていることです。
教会のそばに石灯籠や石碑や、道祖神(笑)まであります
他の人が大切に思っているものも尊重するって…いいよね!

今、聖堂や幼稚園部分はカトリック教会の土地で、そこから一段高くなった公園部分は市の土地のようです。
境界、わかんないんだけど。
周布さんと来島さんの碑があるのは、どう線を引いても教会の土地だと思う~。



↑周布さんの碑と聖堂。



↑明治の年号が入った石灯籠と、なんか石の用水桶みたいなものと、聖母マリア像と、周布さんの碑(矢印)。
いやー、コラボレーションと言うかコンフュージョンというか、でもでも、すごく好きです、こういうおおらかな混在。

そのかんじんの碑ですが、周布さんの活躍ぶりを漢文で綿々と綴ってあります。
毛利さんと井上・野村の3人で建てております。

一部を見ますと



おおお、四国艦隊が来たとか、講和のためにどーのとか、高杉晋作や、支藩岩国の吉川経幹の名前も見えますね。
この碑は一番高い位置でも2メートルかそれくらいの位置なのと、文字がくっきり刻まれた楷書なので、今でもとても読みやすいです。
読めるけど読めませんが_/ ̄|○


来島さんの碑と、毛利敬親像はまた別の日に。



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