長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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高杉晋作、萩の庵あと

2010年09月22日 | ★幕末維新の長州
願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月のころ

ってのは、私が中坊からコーコーセーの頃に最も好きだった歌なんですが、ご存知、作者は西行法師。


高杉晋作はこの西行をもじって「東行」と名乗っていました。


そもそも高杉ほど立場の変遷が忙しい人もいないw
文久元年(1861)くらいまでは、まだおとなしいんですが、その後がね~

【文久2年(1862)】
・4月 上海に渡航
・11月 夷人襲撃計画(未遂)
・12月 英国公使館焼き討ち

【文久3年(1863)】
・1月 白昼御成橋を突破して「罪人」吉田松陰を改葬
・3月 帝の行幸を見物(「いよぅ、征夷大将軍!」はフィクションらしいが)
・3月 10年の暇乞いを許され剃髪、「東行」と名乗る
・6月 藩主に馬関御用係を申し付けられる。奇兵隊結成
・9月 奇兵隊総督を免じられる

【元治元年(1864)】
・1月 来島の爺さん説得に失敗し、自分の方が脱藩
・3月 脱藩の罪で野山獄へ
・6月 自宅謹慎に変更
(このあたりで、池田屋事件・禁門の変があり長州人大量に死亡。
 その後の事を考えると、この時期高杉が牢にいてよかったとか思えん!)
・8月 四か国連合との講和談判で「ルシファー家老」を演じる
・10月 俗論派が政権を握り、九州へ亡命
・12月 功山寺挙兵

【慶応元年(1865)】
・1月 大田絵堂の内戦、クーデター
・3月 下関開港を画策
・4月 狂信的攘夷派に狙われ、四国へ亡命、初夏帰国

【慶応2年(1866)】
・4月 イギリス密航を断念し、代わりに勝手に軍艦を買ってくるw
・6月 海軍総督に就任
・6月 第二次長州征伐(四境戦争)、大島口で幕府海軍を夜襲 ←「龍馬伝」今ココw 隣に山田がいなかった~。
・6月 同、小倉口の戦い、最初の奇襲
・7月 2度目・3度目の奇襲
・8月 小倉城を陥とす

【慶応3年(1867)】
・4月 病死


とまあ、こんなに忙しい人生もないわ。
もともと上士の生まれで苦労がなく、さらに「有能な若い人材に甘い」という長州の、イイとこばっかりを存分に受けたような一生。
「何やっても怒られない」みたいなw

吉田松陰にしろ高杉晋作にしろ、他藩であれば、まず自分の藩によって潰されていた可能性が高いと思う。

あ。もちろん「何やっても」ってのは、ただの好き勝手という意味ではなくて、国を思えばこそのあれこれなんですけども。
   ・・・いや、藩の金でけっこう遊んだりもしましたが・・・ゴニョゴニョ


いやまー、それでですね。

文久3年の3月(24歳だよ)に「なんかもー、いろいろアレなんで10年世を捨てます!」と言った時に、坊さんとして庵を構えたのが、ここです。
(その文久3年3月といえば、のちに新選組になる浪士隊ができた月です)

よく耳にする「東行庵」(下関)とは違います。

ここは萩松本、松下村塾から坂を上った団子岩と呼ばれるところ。
なんのこたーない、吉田松陰誕生地の隣。徒歩1分。
はるかに萩城下と日本海が見渡せる高台です。




庵をむすぶにあたって、たまたまここに空き家があったらしいんだけど、「松陰先生の家の隣」というのがやたら気に入ったらしいw
若い奥さんである雅さんは、菊屋横町の家から着替えや差し入れなどを持ってはここに来ていたそうです。

菊屋横町から松本までは、近いとは言わないけど、当時の人なら歩くことは苦にならない程度の距離だと思います。

が、…あの坂を上るのか…うえええ…_/ ̄|○ ←絶対に車でしか上らない人


結果的に、10年どころか3ヶ月にも満たないうちに藩主から呼び出されて還俗させられちゃうのだった。
(以後死ぬまで髷を結うことなく、ザンギリ頭のまま。これも上士としてはあまりにも型破りです)

この文久3年というのは「5月10日をもって攘夷決行」と、幕府が朝廷に約束してたんで、長州はその日マジメに外国船を砲撃。
あっというまに反撃食らって圧倒的な兵器の差を知り、あわてて晋作を呼びに行ったみたいな。


ま、あの時期10年世を捨てるなんてできませんね。
もし、何が何でも10年こもっていたとしたら、10年後は明治6年ですぜ(笑)



今この団子岩は「吉田松陰生誕地」であり「高杉晋作庵の地」であり、そして「松陰・松門(松陰門下生)・杉家(松陰実家)墓所」でもあります。

高杉の墓もあります。このブログで掲載済み。
「高杉晋作、萩のお墓」
ここの墓にはへその緒と赤ちゃんの時の髪がおさめられています。
墓碑銘は「東行暢夫之墓」。

そして、亡くなった地である下関の墓には、ただ「東行墓」と刻まれています。




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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (きーこ)
2010-09-23 02:53:14
年表、お疲れ様ですwww

庵跡も生家跡も復元しない萩市が素敵だと思ふw

そしてあの場所が萩では一番好きですw
返信する
ルシファー家老・・。 (ちぃ)
2010-09-24 18:20:21
ツボでした、ルシファー家老(笑)
返信する
Unknown (内藤昶)
2010-10-03 20:33:27
ルシファー家老を別項で記事にしちまいましたw
返信する

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