朝日山招魂場にありました。
明治元年戊辰 於奥州帰路 十二月九日 於浪花 見暗殺 行年二十九
厩卒 虎助
当時の感覚から言えば、外国まで行ったくらいの遠い戦場から生きて帰り、その帰り道に大阪で暗殺
(「見暗殺」とは「暗殺される」の意)
いったい何があったんだろう。
厩卒ということで、兵士ではなく馬丁です。
隊は鋭武隊だったらしい。
給料出て、ちょっと浮かれて遊んでて「ちっ長州の野郎が」みたいに殺されちゃったのか。
それとも誰かの馬の口取りをしていて、暗殺者に襲われたのか。
激戦で死なずにすんだのに、故郷に帰ってくることができなかった人。
そういう人もいたんですよね。
馬丁もこうして一緒に祀られています。
ついでながら、向こう側のお墓には「小郡柳井田」の文字が見えます。
こちらは明治3年、リストラされた諸隊兵士の反乱「脱隊騒動」の内戦の戦死者です。
ただし、これはリストラされず残った側(「常備軍」という)の人。
この間まで仲間だった同士の戦い、どちらもつらかったでしょう。
でも、招魂場にお墓があるのは常備軍の兵士のみ。
脱隊者は容赦なく斬首され、どこの招魂社にも祀られることはありませんでした…。
それを救い上げてくださったのが、東行庵なんですけどね!
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当時の感覚から言えば、外国まで行ったくらいの遠い戦場から生きて帰り、その帰り道に大阪で暗殺
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いったい何があったんだろう。
厩卒ということで、兵士ではなく馬丁です。
隊は鋭武隊だったらしい。
給料出て、ちょっと浮かれて遊んでて「ちっ長州の野郎が」みたいに殺されちゃったのか。
それとも誰かの馬の口取りをしていて、暗殺者に襲われたのか。
激戦で死なずにすんだのに、故郷に帰ってくることができなかった人。
そういう人もいたんですよね。
馬丁もこうして一緒に祀られています。
ついでながら、向こう側のお墓には「小郡柳井田」の文字が見えます。
こちらは明治3年、リストラされた諸隊兵士の反乱「脱隊騒動」の内戦の戦死者です。
ただし、これはリストラされず残った側(「常備軍」という)の人。
この間まで仲間だった同士の戦い、どちらもつらかったでしょう。
でも、招魂場にお墓があるのは常備軍の兵士のみ。
脱隊者は容赦なく斬首され、どこの招魂社にも祀られることはありませんでした…。
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