中国絵画・書跡 特集陳列「中国書画精華」
2006/10/3~ 2006/10/29
東京国立博物館
(前期の記録はこちら)
重文 李白吟行図 1幅 梁楷筆 南宋時代・13世紀 TA-164
詩仙李白を水墨の簡略な筆で見事に表現した本図は,梁楷の「減筆体」の水墨人物画を最もよく示すものといわれる。図上のパスパ文字で「大司徒印」と記された鑑蔵印は元朝に仕えた阿尼哥の印といわれる。狩野家摸本より江戸時代には東方朔図と対幅であったことがわかる。松平不昧旧蔵の由緒をもつ。
結った髪の部分は一筆で描いたのでしょうか?筆のタッチは一筆にしかみえませんが、それで髪の様子をうまく描いています。口ひげ、あごひげの筆遣いも見事。
国宝 十六羅漢図(第五尊者) 1幅 北宋時代・10~12世紀 京都・清凉寺蔵
おどろおどろしく尊者と従者(?)が描かれています。尊者の肩から掛ける襷の青、前掛けの赤が退色はしているがいまだ強烈な対比。従者はまるで金太郎。
重文 十六羅漢図(第五尊者) 1幅 金大受筆 南宋時代・12世紀 TA-298
こちらは同じ第五尊者だが、樹木の下で従者を従え、尊厳なようすで書を読む図。
重文 猿図 1幅 伝毛松筆 南宋時代・13世紀 TA-297
この猿図は単なる写実を越えたすぐれた表現をもっており,数ある宋画の中でも名品として知られている。中国の猿ではなく日本猿といわれ,水墨のみならず金泥を用いた毛描きはきわめて繊細で自然である。南宋の画院画家である毛松の作の伝称は狩野探幽にはじまるものと思われ,その根拠は乏しいものがある。武田信玄より曼殊院覚如に寄進された由緒をもつ。
思わず猿の毛並みの描写に目が行くのですが、猿の顔の描写も表情まで精緻に描かれています。足の指まで立てる様など細かいとこまで目配りしています。
重文 竹鶏図 1幅 蘿窓筆 南宋時代・13世紀 TA-341
蘿窓は南宋末の禅僧。杭州西湖の畔の六通寺に住し,水墨画の名手であった牧谿と画意が等しいといわれた。自賛によれば本図は五更(午前四時)の時,未明の幽暗の中に文,武,勇,仁,信の五徳を備えるといわれる鶏を描いたものであるが,その姿は五更の時に大悟した禅僧の姿のようにも思われる。浅野家旧蔵。
笹の葉が熊笹のように太めです。
重文 高士観眺図 1幅 伝孫君沢筆 元時代・13世紀 TA-356
俗塵をはなれ山中に隠棲し清遊することは中国文人の常に求めたことであった。この高士観眺図は南宋の馬遠,夏珪の院体山水画風を継承し,やがて元の孫君沢につながる表現を示す。雲霧を示す空間表現は極めて自然で余情あるものとなっている。大徳寺塔頭養徳院旧蔵品。
山が半分切れてしまっていますし、手前の川も切れてしまっているような気がするのですが。。。
国宝 寒山拾得図 1幅 因陀羅筆 元時代・14世紀 TA-343
因陀羅は,本図の款記によれば,法名を壬梵因といい,ベン梁(開封)の大光教禅寺に住し大師号を授けられた高僧である。本図は禅林とその周辺の人物にかかわる逸話を主題にした禅機図巻の断巻と思われる。水墨人物画の伝統である面貌を細緻に,衣文を粗筆で表現する手法をふまえているが,本図において筆墨は渾然と一体化し,因陀羅独自の画境を示すものになっている。図上に元末の禅僧楚石梵キの賛がある。浅野家旧蔵品。
因陀羅の断機図は今年3点目。(一覧)、(畠山記念美術館の記録)漸く見方を覚えてきたのか、本当にそうなのか、この1点が一番上手と感じた。寒山拾得の帯の濃い描写など筆もなめらか。
重文 山水図 1幅 李在筆 明時代・15世紀 TA-145
李在はホ田(福建省)の人。明の宣徳年間(1426-35)に画院画家となり,山水,人物画をよくした。浙派を代表する画家でもあり,入明した雪舟が師法した画家としても知られる。本図は北宋の李成・郭煕派的な画風を倣った李在山水画の代表作である。
重文 四季花鳥図(冬) 1幅 呂紀筆 明時代・15~16世紀 TA-163
写生と装飾が混在している。画面右端の上部は、写生的に樹木と小禽三羽を描く。画面中央より下に尾長。画面をくねって装飾的な流れが描かれている。
重美 売貨郎図 1幅 呂文英筆 明時代・15~16世紀 TA-345
明の時代の売貨郎。荷車には多くの玩具から陶器までを載せ、唐傘を広げ、そこにも商品をぶら下げてお店を広げる。太鼓を打てば子供たちが4人も寄ってくる。売り物の操り人形で遊ぶ子供いる。明るい色彩で陽気な風景。
山水図 1幅 王世昌筆筆 明時代・16世紀 TA-362
渓谷の道を行けば嵐の前のような風が吹く
重文 四万山水図 4幅 文伯仁筆 明時代・嘉靖30年(1551) TA-153
文伯仁(1502-73)は蘇州(江蘇省)の人。明代蘇州の呉派を代表する文人である文徴明の甥で,文徴明をはじめとする文氏一門の中で最も画技がすぐれたという。本図は,林泉に清遊する文人の姿を白描風の清逸な筆致で描いたもの。各図には,万壑松風,万竿烟雨,万頃晴波,万山飛雪という「万」字を冠する自題があるため,四万山水図と総称されている。各図とも明末の芸苑の中心人物であった董其昌の賛がある。
明の時代の優品なのでしょう。四幅がそれぞれ墨書淡彩だが筆致が異なる。硬い細筆で描いた作品、ぼかしが入った柔らかい細筆で描いた作品、いずれも画面いっぱいに広がる世界。宋元の時代のシンプルな作風とは異なり、細密画といってもいい。
花卉雑画巻 1巻 徐渭筆 明時代・万暦3年(1575) 高島菊次郎氏寄贈 TA-304
徐渭(1521-93)は山陰(浙江省)の人。字の文長,号の天池,青藤などをもって知られる文人画家で,波乱に充ちた生涯を送った。詩文,書のほか戯曲もよくした。画は文人墨戯本来のあり方を示す自在な水墨画をよくし,とくに花卉雑画にすぐれ清の揚州派をはじめ後世に大きな影響を与えた。本図は住友家本の花卉雑画巻と並ぶ徐渭の代表作である。高島菊次郎旧蔵品。
重美 江山無尽図巻 1巻 呉振筆 明時代・崇禎5年(1632) TA-171
さまざまな筆致で風景を描く。
2006/10/3~ 2006/10/29
東京国立博物館
(前期の記録はこちら)
詩仙李白を水墨の簡略な筆で見事に表現した本図は,梁楷の「減筆体」の水墨人物画を最もよく示すものといわれる。図上のパスパ文字で「大司徒印」と記された鑑蔵印は元朝に仕えた阿尼哥の印といわれる。狩野家摸本より江戸時代には東方朔図と対幅であったことがわかる。松平不昧旧蔵の由緒をもつ。
結った髪の部分は一筆で描いたのでしょうか?筆のタッチは一筆にしかみえませんが、それで髪の様子をうまく描いています。口ひげ、あごひげの筆遣いも見事。
おどろおどろしく尊者と従者(?)が描かれています。尊者の肩から掛ける襷の青、前掛けの赤が退色はしているがいまだ強烈な対比。従者はまるで金太郎。
こちらは同じ第五尊者だが、樹木の下で従者を従え、尊厳なようすで書を読む図。
この猿図は単なる写実を越えたすぐれた表現をもっており,数ある宋画の中でも名品として知られている。中国の猿ではなく日本猿といわれ,水墨のみならず金泥を用いた毛描きはきわめて繊細で自然である。南宋の画院画家である毛松の作の伝称は狩野探幽にはじまるものと思われ,その根拠は乏しいものがある。武田信玄より曼殊院覚如に寄進された由緒をもつ。
思わず猿の毛並みの描写に目が行くのですが、猿の顔の描写も表情まで精緻に描かれています。足の指まで立てる様など細かいとこまで目配りしています。
蘿窓は南宋末の禅僧。杭州西湖の畔の六通寺に住し,水墨画の名手であった牧谿と画意が等しいといわれた。自賛によれば本図は五更(午前四時)の時,未明の幽暗の中に文,武,勇,仁,信の五徳を備えるといわれる鶏を描いたものであるが,その姿は五更の時に大悟した禅僧の姿のようにも思われる。浅野家旧蔵。
笹の葉が熊笹のように太めです。
俗塵をはなれ山中に隠棲し清遊することは中国文人の常に求めたことであった。この高士観眺図は南宋の馬遠,夏珪の院体山水画風を継承し,やがて元の孫君沢につながる表現を示す。雲霧を示す空間表現は極めて自然で余情あるものとなっている。大徳寺塔頭養徳院旧蔵品。
山が半分切れてしまっていますし、手前の川も切れてしまっているような気がするのですが。。。
因陀羅は,本図の款記によれば,法名を壬梵因といい,ベン梁(開封)の大光教禅寺に住し大師号を授けられた高僧である。本図は禅林とその周辺の人物にかかわる逸話を主題にした禅機図巻の断巻と思われる。水墨人物画の伝統である面貌を細緻に,衣文を粗筆で表現する手法をふまえているが,本図において筆墨は渾然と一体化し,因陀羅独自の画境を示すものになっている。図上に元末の禅僧楚石梵キの賛がある。浅野家旧蔵品。
因陀羅の断機図は今年3点目。(一覧)、(畠山記念美術館の記録)漸く見方を覚えてきたのか、本当にそうなのか、この1点が一番上手と感じた。寒山拾得の帯の濃い描写など筆もなめらか。
李在はホ田(福建省)の人。明の宣徳年間(1426-35)に画院画家となり,山水,人物画をよくした。浙派を代表する画家でもあり,入明した雪舟が師法した画家としても知られる。本図は北宋の李成・郭煕派的な画風を倣った李在山水画の代表作である。
写生と装飾が混在している。画面右端の上部は、写生的に樹木と小禽三羽を描く。画面中央より下に尾長。画面をくねって装飾的な流れが描かれている。
明の時代の売貨郎。荷車には多くの玩具から陶器までを載せ、唐傘を広げ、そこにも商品をぶら下げてお店を広げる。太鼓を打てば子供たちが4人も寄ってくる。売り物の操り人形で遊ぶ子供いる。明るい色彩で陽気な風景。
渓谷の道を行けば嵐の前のような風が吹く
文伯仁(1502-73)は蘇州(江蘇省)の人。明代蘇州の呉派を代表する文人である文徴明の甥で,文徴明をはじめとする文氏一門の中で最も画技がすぐれたという。本図は,林泉に清遊する文人の姿を白描風の清逸な筆致で描いたもの。各図には,万壑松風,万竿烟雨,万頃晴波,万山飛雪という「万」字を冠する自題があるため,四万山水図と総称されている。各図とも明末の芸苑の中心人物であった董其昌の賛がある。
明の時代の優品なのでしょう。四幅がそれぞれ墨書淡彩だが筆致が異なる。硬い細筆で描いた作品、ぼかしが入った柔らかい細筆で描いた作品、いずれも画面いっぱいに広がる世界。宋元の時代のシンプルな作風とは異なり、細密画といってもいい。
徐渭(1521-93)は山陰(浙江省)の人。字の文長,号の天池,青藤などをもって知られる文人画家で,波乱に充ちた生涯を送った。詩文,書のほか戯曲もよくした。画は文人墨戯本来のあり方を示す自在な水墨画をよくし,とくに花卉雑画にすぐれ清の揚州派をはじめ後世に大きな影響を与えた。本図は住友家本の花卉雑画巻と並ぶ徐渭の代表作である。高島菊次郎旧蔵品。
さまざまな筆致で風景を描く。