こんにちは。
11月11日のお茶会の告知をして以来、
久しぶりの更新になりました。
母のお葬式のために名古屋に帰って、戻ってきたところなんだ。
最近はFacebookの方が手軽で、
そちらを読んだ人にはかなり重複した記事になるけど、
こちらでしかつながってない人たちもいるので、良かったら読んでね。
母危篤との知らせが来たのは、イベントが始まってまもなく、瞑想の直前のこと、
亡くなったとの知らせがきたのは、それから1時間も経たないうちでした。。。
食べるのが大好きだった母。
施設の職員さんの話によれば、
前日も午前中も変わったところがなく、
いつもは完食のお昼ごはんを2割ぐらい残して自分で食べたあと、
おやつの時間ごろに急にグッタリして、
みるみる意識が混濁して呼吸がゆっくりになり、そのまま旅立ったとのことでした。
11月11日、彼方へのゲートが開く日に逝くとはね。
それもほとんど苦しまずに。。。
このお茶会、もともと12日に企画したのに、
HPに何度記事をUPしようとしても原稿が消えてしまい、
結局今日にしたって、
お茶会で話した直後のこの知らせでした。
7年前に歩行困難になって、今の施設にお世話になってから、認知もゆっくり進んでたの。
人の世話にはなりたくないって、
何年も前に尊厳死協会に入ったんだけど、
お迎えがくるまでは旅立てないからね、
ずいぶん辛い想いもあったんだ。
そんななか、
認知もゆっくりゆっくり進んでいき、
心配性な所がどんどん落ちていって
子どもみたいにどんどんシンプルになっていった。
面会に行くと、キラキラした目でじっと見つめてニッコリ笑ってくれた、あの目に会えないのはものすごくさみしいよ
だけど、
おっきなつながりのなかで、
導かれて、
時満ちて、
まるで熟した実が落ちるように、
晴れて、見事に旅立っていったお母さんに、
ほんとうにお疲れさま〜〜ありがとねーと言ってあげたい。
私が暗中模索、試行錯誤のただなかの若いころから、
私の行動が理解できなくても、いつも味方してくれてた母。
お茶会をちょっと早仕舞いさせてもらって名古屋に帰り、
小さな斎場に運ばれた母の遺体と一緒に眠ることができたのは、ほんとうに良かった。
主人のいない肉体は、
抜け殻というか空き家みたいでもあった。
不自由で重い肉体を脱ぎ捨て、ほっとしたんだと思う。
透明な光が感じられたよ。。。
ちょうど亡くなる3日前から、たまたま2晩続けて死のガイド瞑想・OSHOバルドのCDで瞑想してたんだ。
なので、その日もそうしました。
お茶会の前にも、
急にOSHOの講話を聴きたくなって、
たまたま選んだのが「Death:Greatest Fiction(死はもっとも大きな虚構だ)」だったのも、
不思議なシンクロというか導きだったんだね
さらにおもいかえせば、
11/11のイベント直前、
ガラスのコップを洗おうとした時に、
いきなり縁が割れて、人差し指を切ってしまってたのも、知らせだったんだね。
ちょうど母が危篤になりかけてたころだよ。
人差し指はお母さん指。。。
その日に限って、いのちの燃え立つ真っ赤なバラを買ったりもしてたんだ・・・
さらに火葬場のお部屋も11号室、
私の帰りの新幹線も11号車でした。
うちのお母さん、軌道数(誕生数ともいう、人生の目的と使命の数)11/2だったんだけど、
瞑想には興味がなくって、
そんな話が共有できないのを残念に思ってたの。
でもあらためて今、
生き方死に方をとおして、
何気ない毎日の背後にある聖なる力の働きを、身をもって教えてくれてたんだなあって、
そんなことをしみじみ感じているところ。
すべてに、ただただ感謝だよ・・・
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