虹の翼(つばさ)〜多次元へと羽ばたく

タロット&数秘、
直感ワーク

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日常の背後にある聖なる力

2017-11-14 | 死を超えて生きる

こんにちは。

 

11月11日のお茶会の告知をして以来、

久しぶりの更新になりました。

 

母のお葬式のために名古屋に帰って、戻ってきたところなんだ。

 

 

最近はFacebookの方が手軽で、

そちらを読んだ人にはかなり重複した記事になるけど、

こちらでしかつながってない人たちもいるので、良かったら読んでね。

 

 

母危篤との知らせが来たのは、イベントが始まってまもなく、瞑想の直前のこと、

亡くなったとの知らせがきたのは、それから1時間も経たないうちでした。。。

 

 

食べるのが大好きだった母。

 

施設の職員さんの話によれば、

前日も午前中も変わったところがなく、

いつもは完食のお昼ごはんを2割ぐらい残して自分で食べたあと、

 

おやつの時間ごろに急にグッタリして、

みるみる意識が混濁して呼吸がゆっくりになり、そのまま旅立ったとのことでした。

 

 

11月11日、彼方へのゲートが開く日に逝くとはね。

それもほとんど苦しまずに。。。

 

 

このお茶会、もともと12日に企画したのに、

HPに何度記事をUPしようとしても原稿が消えてしまい、

結局今日にしたって、

お茶会で話した直後のこの知らせでした。

 

 

7年前に歩行困難になって、今の施設にお世話になってから、認知もゆっくり進んでたの。

 

人の世話にはなりたくないって、

何年も前に尊厳死協会に入ったんだけど、

 

お迎えがくるまでは旅立てないからね、

ずいぶん辛い想いもあったんだ。

 

 

そんななか、

 

認知もゆっくりゆっくり進んでいき、  

心配性な所がどんどん落ちていって

子どもみたいにどんどんシンプルになっていった。

 

面会に行くと、キラキラした目でじっと見つめてニッコリ笑ってくれた、あの目に会えないのはものすごくさみしいよ

 

 

だけど、

  

おっきなつながりのなかで、

導かれて、

時満ちて、 

 

まるで熟した実が落ちるように、

晴れて、見事に旅立っていったお母さんに、

 

ほんとうにお疲れさま〜〜ありがとねーと言ってあげたい。

 

 

 
 

私が暗中模索、試行錯誤のただなかの若いころから、

私の行動が理解できなくても、いつも味方してくれてた母。

 

 

お茶会をちょっと早仕舞いさせてもらって名古屋に帰り、

小さな斎場に運ばれた母の遺体と一緒に眠ることができたのは、ほんとうに良かった。

 

主人のいない肉体は、

抜け殻というか空き家みたいでもあった。

 

不自由で重い肉体を脱ぎ捨て、ほっとしたんだと思う。

透明な光が感じられたよ。。。



ちょうど亡くなる3日前から、たまたま2晩続けて死のガイド瞑想・OSHOバルドのCDで瞑想してたんだ。

なので、その日もそうしました。

 

お茶会の前にも、

急にOSHOの講話を聴きたくなって、

たまたま選んだのが「Death:Greatest Fiction(死はもっとも大きな虚構だ)」だったのも、

 

不思議なシンクロというか導きだったんだね

 

 

さらにおもいかえせば、

 

11/11のイベント直前、

ガラスのコップを洗おうとした時に、

いきなり縁が割れて、人差し指を切ってしまってたのも、知らせだったんだね。

ちょうど母が危篤になりかけてたころだよ。

 

人差し指はお母さん指。。。

 

その日に限って、いのちの燃え立つ真っ赤なバラを買ったりもしてたんだ・・・

 

 

さらに火葬場のお部屋も11号室、

私の帰りの新幹線も11号車でした。

 

うちのお母さん、軌道数(誕生数ともいう、人生の目的と使命の数)11/2だったんだけど、

 

瞑想には興味がなくって、

そんな話が共有できないのを残念に思ってたの。

 

でもあらためて今、

 

生き方死に方をとおして、

何気ない毎日の背後にある聖なる力の働きを、身をもって教えてくれてたんだなあって、

 

そんなことをしみじみ感じているところ。

 

 

すべてに、ただただ感謝だよ・・・

 
。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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