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虹の翼(つばさ)〜多次元へと羽ばたく

タロット&数秘、
直感ワーク

愛と気づきに満ちた世界は、笑いがいっぱいの世界♪

子どもたちとお墓のあいだ

2017-05-29 | 死を超えて生きる

こんにちは~

風が気持ちいい季節だね~

 

さて、今日は思わせぶりなタイトルだけど

 

引越して10日あまり経ち、

 

片付けも、やっとあとダンボール1、2個って感じになりました

 

 

不思議なご縁に導かれ、電撃的に越してきたこのマンションの最寄駅「津田山」駅は、

 

今まではハッキリとは書かずにきたけど、

 

駅を挟んで向こう側に火葬場、こっち側は緑ヶ丘霊園という川崎市のでっかいお墓があるところなんだよ。

 

 

 

そのおかげで、開発を免れてて、都心に近いのに、びっくりするほど古い森が残ってる

とてもピースフルなところなんだ

 

 

でも同時に、駅前には、カフェのひとつもない

(隣の「溝の口」駅にも歩いて15分だから、不便はないんだけどね)

 

ただでさえマイナーな南武線のなかでも、いちばん乗降客が少ないって話、

このちっちゃな駅は見事なほどレトロで、階段しかなくって、

 

「ここはどこ? いったいいつ?」

って、タイムスリップしたみたいな気分になるんだよ。

 

 

改札を出ると、

 

観音様がお出迎えしてくれます

 

 

 

駅の隣は小学校で、うちはちょうど校舎の向かい側、

学校がある時間帯は、ワイワイととっても賑やか

子供のエネルギーって、いいよね~すごく元気もらえる。

 

 

大きな大きな霊園は、桜の季節にはお花見客で賑わう。

部屋の内見に来たのは、ちょうど桜の花真っ盛りだったな

ウエルカム感が半端なくって、即決しちゃいました

 

 

 

小学校のことどもたちと、お墓たちの群れーー

 

生と死の豊かさに満ち満ちてる、

この惑星上でも珍しいところかも(なんて、ちょっと大げさかしら〜

 

 

そして隣には、東高根森林公園っていう大きな公園もあってね、

とっても気持ちがいいんだ。 

 

  

今朝、さらさらと流れる水の音に聴き惚れながら湿地の脇で一休みしてたら、

今までに見たことのないくらいのたくさんの白い蝶が舞ってるのに気づいた。

 

ちょうどこの辺り、木々のほんとうに高いところでね、

ざんねんながら、写真じゃわからないけど・・・

 

  

最近ボディを離れた魂たちなのかも・・・と思ったりね

  

 

この世界では、

死という事実は忌み嫌われ、隠されてきた。

 

そのためにかえって、

生きることの意味が見出せなくなったり、

生きることそのものが浅薄になっている、と思う。

 

 

恐怖のあまり、死について見て見ないふりをしたり、

今までの観念を鵜呑みにして、やたらと敵視する時代は終わりつつある、と思う。

 

 

生と死は、昼と夜のようなもの。

 私たちはどちらでもないし、どちらでもある。。。

  

瞑想は、生と死を超えたものを教えてくれる。

私が興味があるのは、もっぱらこのこと。 

 

 

私がシェアしてる数秘やタロットも、

与えられた可能性をMAXに生き、

後悔なく死ぬためのツールだとも言える。

 

生きている間に、取り組めることに取り組みたいと思うよ。

 

 

これからのシェアが、ますます楽しみです

 

今日も来てくれてありがとう

あなたの人生が祝福に満ちてありますように〜

 

 
ワンクリックで、あなたも私もハッピーに 
 

 

 

6月3、4日「体感する数秘ベーシック講座〜数のエネルギーをマスターする」  

ベーシックだけでも、たくさんの気づきが生まれ、

日常生活に気づきの光がもたらされます。

広々とした会場では、のびのびとエネルギーが解放できます。

ご参加お待ちしています

 

 


木々が淡いオーラをまとうとき

2017-04-07 | 死を超えて生きる

こんにちは〜

 

少しずつ、春の気配ですね〜

 

遠くの木々が、少しずつ淡いピンクとグリーンに色づいていくこの季節が大好き

 

小鳥たちの声も、少しずつにぎやかになっていく

 
 

 

今日は、夕方から

桜にちなんだ瞑想会

 

まさに今、あちらこちらの桜も満開だしね・・・

 

 

昨日の夜は春の嵐、とつぜんの浄化だったね。

 

そして私はといえば、今日は朝から

涙腺崩壊

涙、涙でした。。。

 

インドで過ごした日々の、

ハートにふれる懐かしい曲を聴くうち、

 

生きているこの今、

 

今まで導かれてきた道のりがあまりに

いとおしくて

ありがたくてね。。。

 

 

 

桜のOSHOバルド瞑想会

 

たのしみです

 

 

ワンクリックで、あなたも私もハッピーに 
 

 

死は最大のフィクション

2017-03-06 | 死を超えて生きる

インドから帰ってきました

 

ーーーーって、Facebookにはちょっと前に書いたのだけど。

 

 

マンガラジャパンのメインHPと、

このBlogと、

Facebook(それも個人のページとマンガラジャパンとサマサティヴィジョンのページ、合計3つ)と

ツイッター(って言っても、これはもっぱらBlog連携してのUPなんだけどね

 

いやーおっつかないわ〜〜〜

 

みんな、どうやってこの電脳時代をやりくりしてるのか、教えて欲しい・・・

 

 

ってことで、

ついつい素敵な記事を手軽にシェアできるFacebook一点張りの今日このごろでした。

 

とりわけ、

昔からファンだったペインターのミーラが突如ボディを離れるというアクシデント以来、

 

3月4日土曜日のUstreamで世界に発信された最高のセレブレーションに至るまで、Facebookはミラの話題で持ちきりなの。

 

 

セレブレーションの一幕

 

 

 

 

 

 

 

 

みんなのエネルギーがキラキラ輝いて、

 

最高のバンドの演奏に乗って、

 

いのちそのものが輝く喜びの海のなかに溶けました。。。

 

その一部がYou Tubeで見れますよ。よかったらどうぞ

  「We are One」  「A Song for Meera」 ・・・melting into the brightest light of love・・・この上なく明るい愛の光へと溶けていく・・・という歌詞の、ビューティフルなスローバラード

 

「Joy in My Life」めっちゃノリノリの一曲〜〜〜

 

 

まさに、

 

「死は最大のフィクション」という言葉を、実感として感じる瞬間・・・

 

 

 

来た時より、

 

元気になって、元気もらって帰ったよ〜 って、まさにアメージング

 

(すご〜〜〜い すばらしい〜〜〜 って、これは、ミラの口癖だったんだって)

 

 

ミラはボディを離れたあと、

 

一人一人のいのちにさらにエネルギーを吹き込んだみたいよ・・・ 

 

 

 

最後に、まさにまさにアメージングなビデオをシェアしますね。

 

これは、亡くなるほんの数日前にドバイで収録されたビデオ。

 

Facebookにシェアした簡単な訳と文章と一緒にリンクを貼っておきますね

きっとエネルギーもらえるよ〜〜〜〜〜〜

 

 

「クリエイティビティは特別な人のものじゃない。

リラックスして、自分に、そして生きることに「イエス」をいうとき、誰でも自分の情熱のソースにつながり、クリエイティブになる。

それは、自分の尊厳を取り戻すことでもあるの。

情熱的に、クリエイティブに生きるとき、死ぬことさえも冒険になるのよ」って

 

死のほんの少し前だよ、予感があったのかな。

それにしても、なんて楽しそうに話すんだろうねー。

 

 

思わずつられて笑い出しちゃう、ミラの奇跡のようなインタビューはこちらから

 

 

 


存在の海に溶ける

2017-02-24 | 死を超えて生きる

おとといプネーからゴアに移動。


毎晩、夕日が沈んで闇に包まれていくインド洋を眺めてるよ。

 

70年代から、ペインティングをとおして、

パワフルかつ繊細なケアとともに自分自身とつながるワークを分かち合い続けていたミラが、南アフリカの海でボディを離れたというニュースは、

私にとっても寝耳に水、じつにショックなことだった。

 

でも、なんという不思議だろう。

彼女がこの世をあとにしたのは2月21日、

OSHOバルドのワンデイコースが行われてたまさにその日、

 

参加者のみんなが自分の死についての想いを語り合い、

瞑想の空のスペースへと溶けていき、

死についてのネガティブな思い込みを含め、たくさんのレットゴーが起こった日だったんだ。

 

 

さらに夜には、夢のように美しいチャンツーのホールで、100名近い参加者とともに、

マニーシャとスディールによる初めてのライブのOSHOバルド瞑想が行われたのでした。

 

「・・・あなたが死んでいくわけではない。

ただ、夢が終わるだけ。

今こそ、それが夢だったと知るとき・・・

 

あなたは身体という殻を抜け出し、蓮の葉から雫が滑り落ちるように、意識そのものとして存在の海へと溶けていく・・・

 

あとになってみれば、

ミラもまさにそのとき、このホールにやってきてて、

その至福のスペースを、私たちと一緒に体験してたんじゃないかな、とも思う。

 

ミラは「死について41の答え」の出版をとても喜んでくれて、

いい仕事してるねー、みんなにとって、今とても必要なことだよね、応援してるよーって何度もメッセージくれてた。

ほんとうに、気前の良い人だった。

 

 

そして今年、ペインティンググループを終えたミラが、

献身的なサポートチームとともに行った素晴らしいパフォーマンスのなかで語ってた言葉が、とても心に残ってる。

 

「ここで私は、風や鳥や竹たちが存在の絶えざるお祝いに参加しているのを感じています。

今でも、OSHOがボディにいたときと、まったく同じようにね」

 

この海の延長線上で、

ミラがこの上なくミラらしく、美しい生をまっとうしたことをお祝いしたいと思う。

 

たくさんの愛と感謝をこめて 

 

ミラのバイオグラフィー(英語)

OSHOライフトレーニング (Facebookページ・日本語)

 

 

 

 

 


垂直に生きる生き方

2016-09-13 | 死を超えて生きる

こんにちは〜

 

先週末、先々週末は、

マニーシャの瞑想のワークショップでした。

 

 

 

OSHOのもとで長年過ごした弟子の人たちには独特の香りがあるけれど、

マニーシャもその一人。

 

 

彼女はいわゆる死に関するワークで有名なんだけど、

 

 

死について考えるわけじゃない、

 

生きられる唯一の時である「今」にフォーカスする。

 

それをどう生きているかを見直し、そこにあるリアルなエネルギーにつながり直す、

 

そこから、

 

決して死なないものに触れていく、っていう体験型ワークをしています。

 

 

そのワークはとってもシンプル。

 

シンプルだけど深い。

 

 

シンプルだから深い、と言うべきか。

 

 

笑いも、踊りも、歌もいっぱい。

 

 

「えー、これが死のワークなの

 

ってビックリかもしれないねー

 

 

十分に楽しんで、十分に生ききった人だけが、

 

後悔なく死んでいく。

 

 

 

強烈な「今」だけが存在する、

 

垂直のエネルギーのなかで時間が消え、

 

「私」が消え、

 

それとともに、「死」も消える・・・

 

 

 

瞑想と死のなかでは、

 

エゴが消え失せる。

 

 

 

瞑想は、

 

もっとも良い、死のための準備でもあるのです・・・

 

 

 

 

チベット死者の書で有名なバルドというものがありますが、

 

それは、魂が死後さまよう冥界のようなもの、

 

 

 

そのなかで、魂が意識を失うことなく純白の光として旅していけるように、

 

現代版バルドとして、

 

OSHOバルドのガイド瞑想がマニーシャの手により誕生。

 

ただいま、英語版のみだけど、

サイトからダウンロードもできます。

 

 

日本語版もつくりましょうとの、

動きもジワジワとあるので、

 

 

どうぞ待っててね〜

 

 

興味があれば、

 

Facebook「サマサティヴィジョン」もどうぞ〜 

 

 


死を超えて生きる

2016-01-16 | 死を超えて生きる

 OSHO「死について41の答え」

 この本が発売されて、まるっと1年経とうとしています。

 

1年前のブログ記事はこちら。良かったら見てね

 

 

この本は、450ページもある厚い本なので

 

これを一気に読もうとすると、息切れがするかもしれない

 

 

でも、そんな必要は、まったくないの

 

現実の生活に密着した問答と、

 

すぐに実践できる瞑想法がつまった編集本だからね~

 

自分の興味があるところから読み始めればいい

 

 

 

そしてこれは、実際、死がやってくるまで、一生使える本

 

だから、コスパもすばらしく良いのです

 

 

 

とはいっても、死については、なるべく触れたくない、

 

考えたくないってのが、フツーだよね。

 

 

 

でも、私たちの死亡率は、100%だからねー・・・他人事ではないのです

 

 

つい最近も生まれ故郷・名古屋で、このテーマでお話と、瞑想のガイドをさせてもらったよ

 

 

瞑想は、

 

私たちが身体でもなく、

 

マインド(思考)でもなく、

 

感情でもない、

 

純粋な気づきそのものだと教えてくれる・・・

 

 

 

肉体の「死」は、古くなった洋服を脱ぎ捨てるようなもの。

 

古くなった車を乗り換えるようなもの。

 

 

あるいは、準備ができていれば、

 

この宇宙そのものに溶けて、還っていく機会なの 

 

 

 

瞑想とは、

 

まさに、肉体の死がやってくる前に、

 

身体と心との同一化を離れ、

 

無限であり、不変である本来の自己を思い出すことなんだ。。。

 

 

 

もちろん、

 

親しかった人たち、愛する人たちとの別れは悲しくないはずはない、

 

涙がとまらないかもしれない。

 

 

でも、

 

起こることすべてのなかに、

 

その背景に、

 

変わらぬ光はいつもいつも満ちているから・・・

 

 

 

親しい人の死は、

 

私たちもいずれ形なきところへと戻っていくことを思い出させてくれる、

 

 

 

その、慈悲に満ちた知らせを受け取るかどうかは、私たち次第なんだ・・・

 

 

 

遅かれ早かれ、

 

それは、いつか必ずやってくる。

 

 

 

だからこそ、その正体、その真相に向き合うのが賢明だと思うんだよーーー

 

 

 

そしてこの本は、

 

「死について物知りになるための本」

 

 てはまったくなくって、

 

 

「死を超えて生きるための実践の書」

 

なのです。

 

 

OSHOは、こんな風に語っています。。。

 

 

 

「できる限り内側深く、あなたの存在の、まさに中心へと入るのだ。

自分の存在の中心では、あなたは永遠だということに、驚き、感嘆することだろう。

 

そこには死はない。死など、あったためしはなかった。

 

実際には、何一つ死にはしない。

ただ、形が変わるだけだ。

 

病気はあなたの身体をむしばむことはできるが、それは、いずれ朽ちるものだ・・・

 

死がそこにある、それは絶対的に確かだ、と気づくようになったのはいいことだ。

今こそあなたの内側に不死なるもの、死を超えたものを見出すときだ。

 瞑想のために、これ以上の時は見つからない。

 

そして深刻にならないことだ。

死は自然なことだからね・・・

  

あなたの永遠の存在を知ること、あなたはいつもここにいたし、いつもいるだろうと知ることは、とてつもない啓示だ。

その啓示の中に、祝祭がある」

  

今日も来てくれてありがとう

 

あなたの人生が、喜びと祝祭に満ちたものでありますように

 

 


生まれもせず、死にもせず・・・

2015-09-16 | 死を超えて生きる

2012年にマンガラがこの世を去ったこと、

それが、OSHOの「死について41の答え」を翻訳する大きなきっかけになったよ。

 

私たちは普段、たくさんの思い込みの中に生きているけど、それにはほとんど気づいていない。

 

まさに、夢を見ながらさまよう、

夢遊病者のようなもの

 

 

「死」に関してはとくに、いろんな想念やら感情やらの厚い雲におおわれて、

この現象をクリアに見るのはとてもむずかしい

 

 

でもね、

 

 

死が与えるショックは、目覚めのための、とても大きなきっかけにもなりうるから、

 

OSHOのこの本のメッセージが、今、大変な思いをしている人に届いたらいいな・・・

 

と祈らないではいられない。

 

 

真実を知ることが、自由になるための鍵だから

 

 

 

Facebookでは1年半ほど前から、「サマサティ・ヴィジョン」というページを立ち上げたよ

 

意識的に生き、意識的に死を迎えるためのサポート「OSHOサマサティ」

 

 

私たちが、生まれもせず、死にもしない、自分自身の本質に目覚めることができますようにーーー

 

            *  *  *

 

私たちの提供する本質的な鍵は、「サマサティ」という言葉の中に含まれています。

 

どこで何をしていようと、あなたはこの鍵を使うことができます。

 

「サマサティ」とは「正念」と訳され、「正しい想起」を意味します。

 

「正しい想起」とは、私たちの本質は身体でも心でもなく、それを超えた気づき、意識そのものだと想い起こす、ということ。

 

やって来ては去る、あらゆる現象

―思考や感情、身体の感覚も含めて―

を見守る、

 

気づきそのものであることに気づくーー

 

これこそが瞑想の本質です。

 

瞑想は誰でもでき、宗教的な信条や哲学とは一切関係ありません。

 

OSHOは神秘家として、体験に基づいた知恵や洞察を分かち合ってくれていますが、最終的には、個々人の体験がすべてです。

 

サマサティ・ヴィジョンは、死に革新的な違いをもたらします。

 

・もし死が怖くなくなれば、人生はどうなるでしょう?

 

・もし旅に出るように、身体を去る準備できるとしたら? 

 

・もしあなた自身や愛する人たちが、平安なばかりでなく、喜びに満ちて死ぬことができるとしたら?

 

素晴らしいことに、たくさんの人たちが死に対する考えを問い直し始めています。


死に対する関心を

「病的」だとか

「生からの逃避」だとか

「死期を早める」とか

「縁起が悪い」と考える、従来の見方を見直そうとしているのです。

 

死は、誕生と同じく自然です。


OSHOの言葉を借りれば、「私たちは死をはらんで生まれてくる」のです。 

 

 

死が避けられない、そして、死が恐怖や不安をもたらすとしたら、


その事実を受け入れて、それが何を意味するのか、「今」知ったほうがよくはないでしょうか?


 
息を引き取る寸前まで延期するのは、飛行機の上でパラシュートの布を織るようなもの、

産気づいてからマタニティクラスを受けようとするようなものだと思いませんか?

 

 

興味深いことに、「死」というテーマに深く足を踏み入れれば踏み入れるほど、

私たちはいのちを強烈に感じます。

 

死を目前にした多くの人々が、自伝を書いたり、出版したりしています。

 

「死が近づいている」と知るとき、生の比重は、とてつもなく大きくなるのです。

 

もし、限られた時間しか残されていないと分かれば、

あなたは、今まで決してしたことがないほど大切に、濃密にその時間を生きるでしょう。

 

もう長くはない、いつ終わりが来てもおかしくないと分かれば、あなたは、「今ここ」へと連れ戻されます。

 

時は凝縮し、くつろぎの中で、かつてないほどに大きな自己感覚を手にし、

あなたは、今まで決して試みたことがないほど情熱的に愛し、強烈に生きることでしょう。

 

死を目の前にした多くの人たちが、あきらめからいやいや運命に従うのでなく、

エクスタシーに満ちた意識状態を体験しています。

 

こうした理解があなたの人生の香りとなれば、息を引き取るときにあわてることはないでしょう。

 

さらに興味深い事実とはーー


リラックスしながらも、この瞬間に最大限に気づいている状態、


時が止まり、自己感覚が変容し、生きとし生けるものとすべてとつながっているという感覚、


エクスタシーといのちに満ち満ちた気づきの状態とは、


瞑想の味わいそのものなのです。 

 

生においても死においても、瞑想は私たちにとって、とても自然な道です。


 

Facebook「サマサティ・ヴィジョン」

 

そして、

 

今晩は7時から「死についての瞑想会 Vo.4」

 

身体のある人も、

ない人も、

 

どなたでもウエルカム~

 

 

 

 

あなたの人生にエールを送ります

 

 

今日も来てくれてありがとう


発売からもうすぐ4か月

2015-05-20 | 死を超えて生きる

死についての既成概念をことごとくくつがえす問題の書

「死について41の答え」

発売からほぼ4か月たち、

おかげさまで順調な売れ行きです

 

発売元OEJブックスの新社長・ガタサンサこと江谷さんは、

これを機会にOSHOを広く一般の人たちに知ってもらおうと、ブログを始めています。

 

ちょっとマニアックかもって内容もアリ、

興味があれば、こちらへどうぞ

 

しかし、やはり、「死」というテーマは重い、

ということで、

向き合う気にならない人もいるかもしれませんね。。。

 

重いといえば、物理的に手に持って重~い厚~い本でもありますが

 

懇切丁寧に、いろいろな切り口からの話を集めているので、

実際は、順番に、最初から最後まで読まなくてはならない本では決してありません。

 

興味のあるところ、どこからでも読みたいところから読んでもらえばいいのです

 

みじかな人の死に接して、このテーマに興味を持った人には、

とても深くから訴えかける、本です

 

さて、1週間前になりますが、出版後はじめて編集チームが一堂に会してお祝いでした

 

バリバリ元気でお茶目な編集長、アナンドギート

この写真は、今年1月の新宿紀伊国屋でのフェアのものなんですが、

彼だけはちょうど山口に引っ越したところで、参加ならず。

 

残念

 

歳をとって、目が悪くなっても読みやすいようにとの配慮から、この本の活字は大き目。

それは、この人のおかげなのです~やったね

 

さて、会場は鎌倉の「ガーデンハウス レストラン」

おしゃれで流行の、人気スポットなんだとか。

 

ガイジンさん多く、イタリアン主流の、ちょっとばかしエスニックの香りのするお料理。

タケノコのレモン風リコッタピザとか、

サラダにもフルーツが乗ってたりしてて、おいしかったです。

 

入り口はこんな感じ。

室内からも緑がいっぱい見える

窓の外のテラス席もよさげですよ。

リバイスって知っていますか?

翻訳したものを、もう一度原文と付き合わせして赤を入れる、大変なお仕事。

お互いの感性の違いもあるからね、

おかげさまで原稿は真っ赤っか。

それを見直すのがまた大仕事だったんだけど、

繊細な彼の感性のおかげで、素晴らしい出来になりました。

 

そのリバイスをしてくれたニラーラ、

存在がアートなんだわ。

 

古~いサニヤシン(OSHOの弟子)で、

話も面白いんだけど、

やおらオランダ産とやらの煙草のハッパを取り出し、手巻きしだして、

アヤシイ行為ではないのですが、何かそれらしくも見えてしまい

みんなが手元に見入っておりました、とさ

あの、真っ赤なカバーのデザインが好評の、デザイナーのジュンちゃんは、

つい最近、新宿から、自然豊かな森の中の自宅の隣に事務所を移転、

(うー、羨ましいです)

さらには本のカバーのように真っ赤なアルファロメオに乗り換えたんだって

 

写真撮ったら、こんなになっちゃったよ。

神々しいね~

 

次に出版される本は、

70年代からOSHOのそばで通訳を務めていた、これまた古~い日本人のお弟子さんナルタンの自伝なんだって。

 

近くにいた人にしか書けない濃~いストーリーのなかに、ニラーラもたくさん登場してるらしい。

今から楽しみ~

 

帰りはみんなでフォトセッション。

 

この上ないチームに恵まれて形になったこのOSHOの本、

たくさんの人たちに届きますように

 

 


『死について41の答え』お話&瞑想会・沖縄

2015-03-14 | 死を超えて生きる

 

『死について41の答え』お話&瞑想会・沖縄

OSHOの新刊である、この本の出版記念瞑想会は、

名古屋・東京に次いで3回目。

気がついてみたら、なんと13日の金曜日で、

なんつーぴったりのタイミングって笑いの渦

 

13という数は縁起が悪いって信じられてるけど、

秘教研究によれば、マジカルナンバーなんだという説もあるのです

 

会の前には、大好きな「ゆしどうふ やま」の沖縄定食をおなかいっぱい食べたよ

うーん、しあわせって顔してるね~~

 

そして会には10人余りの人が駆けつけてくれて、

笑いに次ぐ笑い、

 

瞑想で生まれ変わったあとは、ノリノリのキルタンでお祝いの、とっても楽しい会になりました~

ガイドしてくれたKaiちゃん、ありがとう~

 

エッセンスと、参加してくれたみんなも、ほんとありがとうね~

 
 

会を重ねるごとに、

深刻さがなくなって、

OSHOの笑い声が聞こえてきそうな、

かけがえのないいのちを抱きしめる

光いっぱいのいとおしい会になってきていますよ~

 

広島では23日の午後、

東京でもまた、31日に瞑想会行われます。

興味がある方は、ぜひご一緒しましょうね

 

 


Doing Dying Differently-今までとは別の、死の迎え方

2015-02-27 | 死を超えて生きる

 

 

 

マニーシャの今回のワークショップは、

意識的に生き、意識的に死ぬためのサポートOSHOサマサティのシリーズのひとつ、

 

ここでは、

「死」という現実に向き合う際の私たちの抵抗に焦点を当て、

フレッシュな見方と広々としたスペースへと私たちを優しくいざなってくれました

 

今回のワークショップ、

 

中国と台湾の参加者が全体の半分を占め、

日本人は私ひとり、

 

なんとびっくりしたのは、

日本人にもおなじみのイタリア人のガーラが一緒だったこと

 

ずっと前、彼女のコースの通訳を何度かする機会があって、

それ以来の久々の再会に2人とも盛り上がり、

深い縁を感じたよ~

 

また、ドバイからは、イスラム教の家庭の出身の女性も。

(彼女の話は、こんな状況の中、すごく興味深かったし面白かった)

 
 
世界中から集まった参加者と、

この、不可避のテーマに向き合った3日間、

 

私たちにとっては国境も、人種の差も、さまざまな境遇の差も、言ってみれば些細なことで、 

 

誰もが同じ舟に乗っていることを突きつけられた3日間。 

 

と、同時に、

究極のところで、

 

あなたはすでに目覚めた意識であって、

身体と心(感情や思考)はあなたではない、

 

といくら耳にしていても、

 

私たちの日常生活は、この三次元で起こる現象と、身体と心が受け取る印象と反応でほとんどいっぱいなので、

 

この「死」という現実に向き合うのは、

通常はやはりとても怖いこと、

 

そして、この世や、周囲の人々との別れはあまりにも悲しい・・・

 

だから、

 

なるべく見たくない、避けたい、考えたくもない、

そして、その可能性は、無意識の闇へと押しやられることになる

 

でも、別のやり方で、このテーマに向き合うことは可能だし、

 

可能どころか、

 

強烈に生き、

瞬間を楽しみ、

 

ためらいなく愛し、 

人と人を結びつけ、

 

人生を意味深いものにする、

素晴らしいチャンスでもあるのです

 

今回のナイトセッションでは、

みんなで「おくりびと」を観て、

大いに笑い、大いに泣いたよ。

 

笑いと涙にも、国境はないよね

 

 

死は生に敵対するものじゃなくって、

生を補い、豊かにする、

 

素晴らしく貴重なティーチャーにもなってくれる

 

 

去年来日して、深いスペースを分かち合ってくれたマニーシャ、

 

今年も来日して、

 

9月末に神戸、10月の第1、第2週末には東京、それから札幌でワークショップをしてくれることになりました

 

詳細は、Facebookサマサティヴィジョンで追ってお知らせします。

 

 

今回ここで初めて会ったときから、マニーシャは椎間板を悪くしてて、つねに痛みがあるらしい。

 

だから興味があったら、

機会を逃さないでね