なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

風の塔

2010-08-31 01:22:24 | Weblog
 今日は職場で、カメラと野鳥に詳しい人に教えて貰いました。
  「谷津干潟に通っていると言うことですが?」と言う質問は見事に外された。
 「うん、2回だけね」
 「エッ?以前あそこの野鳥観察室の話があったので、年間会員なのかと思っていました>」
 「いや、当日入場券のみで入場しました」
   見事に私の早吞込みでした。
谷津干潟の畔に野鳥観察館があって、そこの大きなガラス張りの部屋から干潟が一望できる。
  つまりエアコンが効いていたり、コーヒーをのみながら・・・食堂も有る。
    私にとって、こういうサービスが有料と言うのがドウモ理不尽な気がする。
 (エアコンの電気代?、野鳥に関する資料や保護活動の資金集め?、あるいは干潟の展望料?)
  自分の行動パターンを物差しにして考えると、有料入場するからには年間会員、、、かなり性能の高いカメラを持っているようだし。
  私の場合、入り口で入場料が必要と言われ、「それなら入りません」という性格(財布の具合も有るけれど)。
 ともかく先日の公園の池でフナを捕食した鳥の写真を見て貰って「アオサギ」で間違いない事を確認。
 それと、もう一羽黒っぽい鳥が来ていたので、その写真を見て貰って、「多分カワウでしょう」と言う事でした。
 成程そう言えば「ウ」でした。
  但しウミウとカワウの区別がつきませんのでネットで検索したのですが、結局撮影した写真の鳥がカワウであると言う確証はえられませんでした。
  こういうものは、もっと沢山見る事でしょうね。

 ところでもう一枚、海の写真を見せました。
  これは結構写真として、よくとれていたのでデスクトップの背景にした。
 東京湾の海の上を自動車道路が走って海に潜っていく・アクアラインを遠景にして、手前の突堤では釣りをしているオジサンとそれを見ている野次馬たち。
 そこまで自転車で行ける突堤で、野次馬の一人などは車いすのオジサンです。
  もしかしたら魚がかかっているかもしれない竿のしなりが写真でもわかる・・・
 しかしそれを見た同僚は「川崎の風の塔が写っているネ」
  恥ずかしながら私は「風の塔」を知りませんでしたので、早速パソコンで検索。
  東京湾の真ん中の人工島で海底のアクアラインに空気を送るためのパイプが設置されている島で、島の上は大きな三角帆の形をしているのが特徴。
  成程、そういう設備があったのですネ。

 しかし、ネットの風の塔の写真は(当然ながら)奇麗に撮れているのに、私の写真は不鮮明・・・と言う事で夕方帰宅後公園に確認に行きました。
 残念なことに、既に黄昏時で、且つ今日は空気の透明度が低いらしく確認できませんでした。
  確認できないと言えば、杭の男・・・あれも今日もまた満潮のため杭は水没していて確認できませんでしたので、併せて宿題が増えて行きます。

 公園の西のはずれ。
  ここに川があり市の公園はここまでで、川を境に県の公園に変わります。
 川沿いに印旛沼まで続く遊歩道・サイクリング道路があるので、この辺りが一応区切りの場所。
  ここから西の方面を見ると、海を挟んで東京のビルが見える、スカイツリーが遠望できるところです。
 夕方ですので、夕日が丁度(山にではなく)”大都会”のビルに沈む直前・・・大きくて丸くて赤い夕陽が雲を染めビル群を赤く染めている。
  良く富士登山などではご来光に手を合わせる・・・特に信心深く無くてもそうなるらしいのだが、ここの夕陽の場合は手を合わせる人はいないけれど、そこに居合わせた人は皆じっと夕陽を見つめていました。
 私には皆手を合わせる事はしないまでもそれぞれが何かを感じながら夕陽を見ているように見えました。
 「沈む日に 心の中で 手を合わせ」感じ事はそれぞれ違っても、多分そうだと思います

以心伝心

2010-08-30 00:01:34 | Weblog
 言葉にしなくても、その場の状況と表情から何を考えているのか手に取るように分かる時も有るものです。
 長年連れ添った女房殿などは、黙っていても新聞とかお茶、あるいは季節のお菓子などが出てくるとかするらしい・・・「らしい」と言う事で我が家の事ではありません。
 家の場合は「必要ならちゃんと口で言って下さい」で一方的にケリ。
  但し言葉にして言ったとして、それが妥当かどうかの審査を経て決定する筈ですから、最悪の進行を考えたら『自分でやった方が無難』だし『あてにしない方が宜しい』ようです。

 さて今日は女房殿が妹と二人で他県に住む母のところに遊びに行きまして・・・日帰りで往復できる距離ですのでいつもは娘たちが交代で遊びに行っているのですが、今日は二人一緒。
 日帰りですから、夕飯は女房殿が戻ってから作ってくれるとして、昼ご飯が問題。
  息子に向かって「どうする、弁当でも買ってくる?」と、話しかけたところ、愚息はチラッと私を見て『ニヤ』・・・これが返事・・・と言う事は概ね答えが分かってしまった。

 普段特に仲が良いとも言えない父子だと思うが、こういう時は「以心伝心」なのです。
  先ず、女房殿(息子にとって母親)の前で言葉で返事をしなかったのは、、、、彼の意図は先ずは自炊あるいは経済的・お安くて便利なお弁当ではない事を物語っている。
 何かと「もったいない」と言われるので、彼の意図はアンチ「もったいない』。
 マアだからと言ってオヤジの財布の事情で、豪華なグルメと言う事でも無いが、、、。
  と言う事は、、、。

 女房殿を駅に送っ帰り道、息子の「昼ご飯だけどな、韓国かインドか?」と話しかけると、「どうして分かった?」と言う返事。
 「あのニヤの答えは明白」と言う事で大笑い。
 どちらにしても安くておいしいBC級のグルメ、一人1000円で楽勝にお釣りが来る。
  韓国のおばちゃんがやっている食堂、あるいはインド人のカレー+ナン。
   共通点は安くて、上手くて、辛い。
 そして爆発的な人気ではないから店が大混雑はしないけれど、確実にファンがいる。
  どちらの店でも私たち親子はお馴染みさんになっているが、だいぶ久し振り。
 結局インドに決定。
  息子はダル(豆)カレー、私はいつもはマトンだが今日はキーマ。
   カレーも美味しいが何と言ってもナンが美味しい。
 セットのランチメニューでお腹いっぱい。
  ナンは食べ残しても持ち帰り出来るが、カレーは出来ない決まりなので、「お腹一臂」と言いながら完食・・・貧乏性なんですネ。

 御蔭で夕飯は半分も食べられず、自分では気がつかなかったけれど、胃も確実に老化している事を自覚しました。
 「美味しいものを少しだけ戴く」・・・年相応に賢いような上品な嗜みのような・・・しかしチト寂しい。
 何と言っても子供時代。昭和20年代の世の中は「ともかくお腹いっぱい食べる事」だったですよネ。
 

今日も公園

2010-08-29 00:00:31 | Weblog
 今日は夏休み最後の日曜日なので、公園のプールは大盛況。
  朝9時の開園時間には一番近い駐車場は満車状態で、少し離れた別の駐車場を利用しなくてはならなくなっていました。
 それでも徒歩で10分ぐらいなので、家族連れなど遊びの期待感も有り皆楽しそうに歩いて行きます。
 この時間には午前中とはいえ結構気温が上がって来ているので、大荷物担当のパパは大変そうですが、夏休み最後のご奉公なんでしょう大きなクーラーバッグを抱えて・・・。
 子供たちは浮き輪程度ですから本当に楽しそうに歩いて行きます。
 マア、それもこれも同じ今日一日の遊びの一部と言う事でしょう。

 さて今日先ず確認しに行ったのは、先日の海の中に入って釣りをしているようにも見える男、あるいは人に見えるように杭に細工したもの・・・。
  これは、先日西郷さんのイメージで一句行きましたが、もう一句追加で「そこの船 乗せておくれよ 頼むから」。
 磯で沖に向かって「乗せてくれ!」と叫びながら海の中に入って船を追う男のイメージ。
  芝居の「俊寛」雰囲気・・・でも若い人には俊寛と言っても分からないかも知れませんね。
 結果を言うと残念ながら今日は確認できず。
  つまり今日は丁度この時間が満潮なので、他の杭の位置も分からないくらい波が押し寄せていましたので、確認はまた明日。
 今度は多少時間を変えて行ってみる。
  と、ここまで書いて自分のしつこさに改めて気がつき嗤ってしまいました。
 たいていの人は「あれは誰かのいたずら」でお終いなんでしょうが、私はソレを確認しないと気が済まない性分・・・だからどうだと言う事は無いのに性分なのでどうしようもない。

 ところで今日はいつもより空気が澄んでいた。
  風が強いようなので淀んだ空気が吹きはらわれたのでしょうか。
  南の方角、東京湾の出口方向にうっすらと橋のようなもの、その横手にパーキングエリアらしき建物。
 「本日は 視界良好 海ほたる」

 ヨットハーバー付近の海で、波にカモメが浮いていた。
  やはりカモメは海の上を飛ぶだけでは無くて、波の上に浮かんでいる事も有る事が分かりました。 
 波打ち際を歩くカモメもいるところを見ると、波で打ち寄せられる漂着物の中に食べるものがあるらしいし、海に浮いている食べ物も有るのでしょうね・・・。
 観光船などではカモメが寄って来てカッパエビセンなどを空中で捕食する芸を見せるらしいけれど、海に漂うものを食べるところは未だ見ていない。
 場所がヨット・人の出入りが多い海なのでそういう期待があるのか?

 さて公園の西の端で、大型の貨物船(多分自動車運搬船)が入港して来るところで、、、手前の堤防を犬と散歩している婦人の姿、、、そのまた手前の突堤は人影はないがカモメの群れ・・・遠景にスカイツリー。
 東京方面の空気が澄んで見通しの良い日の方が少ないけれど、今日は良く見える。
  「見るたびに 育って行くネ 伸び盛り」
 確かあと200メートルは伸びる、らしい。

 花の美術館近くにある池に寄ってみると亀が池の中の石に乗っていた。
  しかし、池のふちに自転車を移動した音で亀は池の中に隠れてしまい大失敗。
 丁度そこに大きな鳥がやって来て、池のふちでジッと立っている・・・この光景も初めて。
  それで、それを物陰からずっと観察。
 と、その時一瞬でフナを捕まえた。
   鳥の魚を捕まえるところをデジカメで撮ることが出来ました、、、家でパソコンの野鳥図鑑で検索するとどうやらアオサギらしい。
 「その瞬間 可愛いだけでは 無さそうな」鳥=可愛いではないと言うのが第一の感想。 
 何と言っても生きたフナを捕まえるのですから・・・
  もしかしたら犯罪の詐欺と鳥のサギの関連は?・・・フナを捕まえた瞬間の表情は「してやった」という感じでしたね。
 サギに「元々こういう顔なんだ」と言われるかもしれません。
  しかし件のアオサギ、フナ一匹では満足せずその後も池の縁に立って待ち伏せ・・・しかし上から水の中が見えると言う事は、水の中からも鳥の待ち伏せは見えるに違いないので魚が近づかない。
 アオサギ君堪らず池の中に入って強制捜査に乗り出したが、それでもその後の収穫なし。
  何故分かるか?・・・実は私は物陰のベンチで約1時間眺めていた。
 まさに魚釣りの人を「好きだね」と言いながらそれを見ている野次馬と言う事でした。

これも問題解決能力か?

2010-08-28 02:06:00 | Weblog
 問題解決能力って言葉にすると何とも凄い能力のように感じますネ。
   数学の難問を解決するような能力に通じる力かもしれませんが、実は日常の場面の中に潜んでいる対応力かもしれない。
  囲碁などにおいて定石そのものの選択もある意味では問題解決能力かもしれません。
 隅における生存権を含めて利害関係、同様に辺における問題、更にそれらを含め全体との関連。
 将来起こるであろう領土争いの予測地点、解決方法、解決策の見通し、あるいは解決できない場合の落とし所・・・成程、問題解決能力と呼べる感じがします。
 マア他の分野で当てはめると「政治的」とか「策士」とかと言う言葉とも関連しそうな能力の様にも思えます。
 そういう意味では昔の戦国武将たちの殆どが碁を打ったとか言うのも分かる気がします。
  但し、それが趣味と実益、身分的たしなみのようなものとして、ある程度リーズナブルだとして、では今の政治家、経営者の間でどれだけ囲碁が愛好されているのか・・・碁を打つ政治家はいる・・・けれど思ったほど多くは無い?。
  それは同様な効果が期待できるものが(昔とは違い)たくさんある為なのか?
 私が若い頃勤めていた会社では社長、経理部長、外部から来ていた常務、重役ではこの3人が碁を打って、ともかく120人中8人で碁会を開いた事があります。
 5年前の職場では50人ほどの職員で打つ人は4人・・・と言う事はほぼ同じ確率だったのが、現在では私以外、、、見つかりません。
 マア囲碁と仕事における問題解決能力とは直接関係ないかも知れませんが、仕事以外の場面で総合的に問題解決能力を開発する場面が乏しい?・・・寂しいことです。
 マア、私みたいなザル碁が他人様より解決能力を鍛えてきたとも言いにくい・・・カ。

 さて今日は「問題解決能力」と言えるかどうか難しいのですが、生活の場面でそういう言葉を思い出す出来事がありました。

 その話に先だって7,8年前にあった出来事を話しますと。
  息子の友人が近所を自転車で走っていた時の事。
 道路脇の歩道を走行中、反対側から3列でおしゃべりをしながら走って来た女子高生のグループの自転車と接触しそうになり・・・これは同年代の・・・女子高生から「なんで避けないのヨ!」と怒鳴られたと言う話を聞きました。
 市内では一応成績が良い子が通っている高校の女子生徒なんですが、考えさせられる事件。
  今日は私が、やはり歩道を走っていて3列の女子高生の自転車と擦れ違うことになりました。
 歩道の自転車が走れる幅は擦れ違い予定地点で2.5メートルくらいですから、そのまま直進すれば衝突必至。
 見ていると向こうの列の一番右手の子が「どうしよう、どうしよう」という困った顔をしている、、、解決策は女子高生の自転車の列が縦1列になれば良いだけの事なのに、、、。
 3人で並んでおしゃべりしながら走るのは楽しいでしょうが、臨機応変で横列から従列に変わる・・・それが出来ないように見える。
 それともたいていは対向車のジイサンは道を譲ることになっているのか。
  あるいは彼女たちの他のメンバーが多少自転車のスピードを上げて、従列に変われば良いだけの事なのに、、、個人として、あるいは3人グループとしてそれが出来ないように見える。
 自分たちで動いて事前に問題を回避する・・・そういう事も「問題解決能力」の基本かもしれないと思ったのです。
  いや、もしかすると解決の前段階、問題が起こる事を予測できる事を含めて問題対処能力みたいなものかも知れません。

きっと誰かのシカケ

2010-08-27 00:01:00 | Weblog
 昔、麦畑だったかただの牧草地だったか忘れましたが、一晩でおかしな形に刈り込む悪戯がありましたね。
 以下にも宇宙人がUFOに乗ってやって来て、何の目的は定かではないものの痕跡を残して行った風な・・・。
 真面目にUFO説を唱えていた人もいれば、単なる若者の悪ふざけだと思った人もいた。
  結局どういう結論だったかは記憶に無い。
  多分、玩具やラジコンのモデルを使ってネッシーを演出したのと同じようなものだったでしょう。
 悪ふざけも度を過ぎると迷惑ですが、ある程度の範囲なら笑って済ます事が出来ます。
  しかしネッシー出たらクッシーを言いだす人・・・こういうオリジナリティの無い便乗組には腹が立つやら呆れるやら。

 そうは言っても、面白い事の少ない世の中を面白く生きるためには、節度ある悪戯は楽しいものです。
 先日は、そういう、、、多分そういうものに出くわした。
  いつもの公園の話です。
 人工の浜には海岸に杭が打ってあって、ロープが張ってあります・・・おそらくこれは、「この浜は磯遊び専用なのでウィンドボードは入らないで下さい」の印だろう(別の場所にウィンド専用の入り江はある)。
 尤もヨットなどは磯遊びとはバッティングしないので、この浜の沖合はトレーニング海域のようです。
 そんな事で、浜からヨットの群れの写真を撮ろうと思い、浜を見下ろす芝の丘に出たところで気がついた。

 誰かが波が打ち寄せる海に入って釣りをしている?
  確かに海で腰くらいまで浸かって釣りをするのも有るらしいから、それも有りか?・・・あるいは投網でも打つつもりでタイミングを計っているのだろうか?
  それにしても竿も投網も見えない。
   しかも波の中に居て微動だにしない。
 見えるのは後ろ姿。
  そこであることに気がついた・・・ここの海の中には数本鉄道の枕木みたいな杭が打ち込んである。
  目的は分かりませんが。
 杭は一見して杭のスタイルなのですが、この後ろ姿は一体何だ。
  微動もしないところを見ると、杭に人の姿に見えるような細工・・・服とか網とかをまきつけてあるのかも知れない。
 それにしても良く出来ている、、、帽子をかぶった人がディバッグを背負って海に立っているイメージ、バッチリ。
 イヤ、それでももしかしたら動き出して「アーやっぱり人だった」となるかもしれないので、延々観察を続けてしまいました。
 その間15分以上。
  
 イメージとして落語の世界ですネ
  仮に海で釣りをしている人がいたとして、「さて、釣れるのかどうか」と延々眺めているような。
 落語の演目で言うと「骨釣り」の枕のところに出てくる、釣りをしている人とその見物人と言った風情でしょう。

 マア95%は人間に見えるように作ったダミーに見事騙されたのでしょう。
  しかし、、、同じ騙されるのでも私は念入りに騙される。
  初めに見たのは午前中で、その後一旦家に帰って、夕方また同じ場所に確認に。
 この時間は満潮で潮が上がって来ていて確認できませんでした・・・まさか人形が帰ったと言う事は無いでしょうが、他の杭も見えませんでした。
 それにしても誰が作ったのでしょうね?
  8月にエイプリルフールモドキの楽しさを味わいました。
 この杭を後ろから写真に収め、家でパソコンで再生すると、「打ち寄せる波の中に立ちつくす男、それにそれを見ているカモメ」何だか面白い写真になりました。
  一句の方は「公園の 暑さを逃れ 海の中」、我慢強い西郷さんも堪らずに上野の公園からやって来た、、、西郷さんの後ろ姿と言う事で、、、オソマツ。

迷いの一手

2010-08-26 00:01:10 | Weblog
 昨日仕事の帰りに自分の家の入口付近でもたもたしていて声をかけられました。
  モタモタの理由はポケットに家の鍵があるかどうかの確認。
 当然家を出る時に鍵をかけて出ますからポケットに入っているのは当たり前・・・何ですがそこは”年寄り”の念の入れよう、で有り私固有のだらしなさでもある。
 つまり何でもかんでもポケットに突っ込んでしまう性格なので、いつの間にかポケットの中は大切なものからどうでも良いコンビニのレシートから用済みのメモ用紙などで溢れて来ます。
 従って、時々入っている物を確認する必要がある。
  いつもなら指で探れば簡単に区別できるのが、この日に限って簡単には見つからなかったのでモタモタ。
 この挙動不審のパフォーマンスがあたかも後ろから来る人を待っているかのような素振りにも見えなくもないので、後ろから来る人に声をかけられた。
 その人はタマタマ濃い色の大きなサングラスをかけていたので、『一体誰だろう?』と見ているような素振りに取られたらしい。
 しかもその人は近所の知り合いだった・・・イヤーいろいろ偶然が重なりますが、先方に「久し振り」と挨拶されて『実はあなたを待っていたわけではない』などと言うほどには性格は悪くはない。
 その方はTさんで、近所の老人会のメンバーで、集会場での老人会囲碁会のメンバーであり、コミュニティセンターの囲碁クラブのメンバーでもある。
 「明日集会場で囲碁会を夕方6時からやりますから是非来て下さい」というお誘い。
 「尤も、囲碁よりだいぶお酒の会になりそうなんで・・・少し無理かな・・・」と言うことなので、「そうですネ全くの下戸なのですよ」という恰好の御断りの理由は見つかりました。
 私も老人の中では若手に数えられるかもしれませんが、メンバーに入れて戴くにはチト早い。
 「コミュニティの方も近いうちにお邪魔します」と言う事で別れましたが、考えると可笑しいなものです。
 集合住宅の同じ入口の住人で顔と名前が一致す人は少ない。
  尚且つ世間話をする間柄の人はいない・・・25年以上住んでいてこれですが、Tさんは隣の棟なのに話をする。
 これも囲碁の御蔭ですネきっと。

 さてネット碁、向こう先でコミ白から半目出し。
  相手のOさんは最近腕を上げて来ている・・・私の方は腕を下げているから、対局していてもタジタジとなる場面が多い。
 この碁も互角の進行ですから、白としてはコミが心配な流れでした。
  こういう時って私にも身に憶えがありますが、どこかで決めに行くタイミングが問題なんですね。
 黒としては、互角の形勢で推移するのは良いとして、白には独特のいやらしさがあるわけで、出来たらどこかで・早い時期に勝負を決めたいと考える。
 多分そういう心理が働いたと思うのですが、それは白から見るとピンチで有り反面絶好のチャンスでもある。
 この日は、運が良かったらしく白がチャンスをものにできた。

 「行こうか止めておこうか」・・・どちらにしても打つ手は左程には変わらないかもしれないけれど、心理の揺れがやはりどこかに出るのでしょうね。
 尤も頭から飛び込めば成功するとは限らないし、チャンスを後延ばしにして逸するかもしれないからそこのところが難しくて面白いところなんでしょう。

演歌調になりそうな景色

2010-08-25 00:01:00 | Weblog
 連日暑さが続くのに、自転車でで公園を走りまわっています。
  肩からデジカメと貴重品を入れたポシェットを下げ、自転車の前籠には保冷用の袋に入れたペットボトル、ガーゼマフラーを首から下げ、大きめなハットと言うスタイル。
 こういうものは多少てれ臭いようなところも有りますが、ナニ本人が気にする程他人様は気にしている筈もなく、本人が堂々としていれば「そういうもの」と言う事で、多少変わったジイサマという程度でしょう。
 さてこの日は多少面白い場面。ちょっと考えさせられることに行き合いました。
  
 先ずは公園の南の端の海岸部分、ここは(嘗てWCの時にアイルランドチームが練習をした)サッカー練習場の外側に当たります。
 そこに僅かな面積の砂浜がありますが、この日は数羽のカモメが波打ち際に居ました。
  なんとなくシャッターを切って、後でパソコンで拡大して見ると波の中に異様なものが。
 と言ってもミステリーでは有りません。
  波にもまれていたのはペットボトルとかお菓子の袋、コンビニ袋・・・
 そういう事を知ってか知らずか、カモメは砂浜の上を行ったり来たりしていた・・・そこで一句
  「この海に 入りたくなる 魅力無し」出来が悪いけれどそういう感じです。
 ところで、童謡では「カモメの水兵さん」は波の上に浮いている事になっているが、実際にはこの辺りで波に漂うカモメを見たことが無い。
 たまたまなのか、童謡の世界だけの話なのかさあどっちなんでしょう。

 カモメについてもう一つ。
  いつもならウィンドボードがたくさんいる浜は、何故かその朝はボードでは無くてカヌーが数隻出ていましたが、その横の浜では波に足まで浸かってカモメが数羽おりました。
 寄せてくる波など気にせずに立っている・・・何をしているんだろう?
  ここで一句「その明日 迎えに来ると 言ったのに」・・・これは多少軽い感じ
 演歌調のマドロス物ではカモメが約束をして、それを待つ港の女と言う事になっているのだが、これをさかさまにすればカモメを待たせている光景と言う事になるのかも。
 あるいは待っているのが雄のかもめだったり。
  こんなこと考えながら楽しんでいるのです。
 頭の中を読みとられたら道で出会う人に「バカなオヤジ」と言うレッテルを貼られる事でしょう。

 ついでにもう一つ、ある浜では大勢の人が潮干狩り・・・イヤ潮干狩りは春の季語だそうですから
正しくは貝堀(に違いない)。
 確かにこの浜ではアサリとかアカガイとかは取れるでしょうが、大勢の人が真剣に掘っている光景は何処となく異様な感じもします。
 この浜の貝を食べる勇気がある?。
  あるいは他に食べるものが・・・そんなことはナイか。
 しかし私の知っている範囲では地元の人でここで掘った貝を食べる人はいないから、この団体さんは他所から来た人たちかも。
 それにしてもアサリ・アカガイにとっては夏になっても受難は続くようです。
  潮干狩りで有名な浜は有料で、休日の前の晩に貝をまいておく・・・それで潮干狩りの形になるのですが、ここで貝をまいていると言う事は聞かない。
 と言う事は早晩掘っても滅多に貝などに出会わない浜になるでしょう。
  しかし、貝がいなくなるということは水質の浄化と言う面から見て問題ありですが、「掘る自由」と「掘らせない規制」・・・難しい。
 ともかく一句「大切な 指輪落とした 噂あり」これなら大勢が真剣に宝探しをしている説明になりそう。

源氏パイ・ウナギパイ

2010-08-24 00:01:00 | Weblog
 日曜日に立ち寄ったスーパーの棚に源氏パイが陳列されていて、何やら懐かしくて買ってしまいました。
 特にこの商品についての記憶に残るようなエピソードは有りませんが、何処となく懐かしい。
  ネットで調べてみると昭和40年に世に出たお菓子なんですネ。
  と言う事は私が高校2年生だった頃・・・マア「信じられない」くらい古い。
 ところで何故源氏パイなのか、これもネットで検索すると、特に味も形も縁は無いのだそうで、NHK大河ドラマの義経の前年の発売だったので、そこに乗っかったのだとか。
 上手いと言うかズルイと言うか何とも分かりません。

 源氏と言えば我が家も一応源氏だと言う事になっている。
  家の紋が「笹竜胆」なので、そこは源氏の紋ですが、家紋は誰が何をつけようと、菊と葵以外なら問題ないでしょうから、とても動かぬ証拠とは言えない。
 それに源平藤橘、どれにしたって今は全く問題にならない。
  昔子供たちに訊かれて「家は源氏・と言う事になっている」と答えて置いたが、子供たちも「ふーん」でお終い。
 多分源氏ボタルで有ろうと平家ホタルで有ろうと大差ないと言う感覚でしょう。

 ところで田舎に帰った時のお土産にむすめに頼まれてウナギパイを買った事がありました。
  これは浜松のお土産で広い意味では同県なので故郷のお土産には違いないが、どこかしら「お土産」としては抵抗がある。
 だからお土産と言うより「頼まれもの」を買って帰ったというかんじでした。

 さて源氏パイとウナギパイどちらも浜松の会社で作られた。
  原型も同じフランスのパイから出発してUの字になった源氏と、平らに延ばしたウナギなんだそうです。
 源氏は乾パンのサンリツ、ウナギパイは新幹線や高速道路の発展にも恵まれたのだそうです。

 食べ物についての勉強は楽しいですネ、、、源氏パイの試食付きです。

夏休み最期の日曜日?

2010-08-23 00:01:00 | Weblog
 今年のと言うか、これからはと言うか8月一杯が夏休みと言う事は無いらしい。
  マア一律にそうなのかどうかは分かりませんが、少なくとも東京都の公立小学校では25日辺りから2学期が始まるらしい。
 第一に考えられるのはインフルエンザなどで休校になった影響でしょうか。
  あるいは「ゆとり」の影響で事業時数が足りなくなる心配か?
 いずれにせよ私の子供時代などは母が「早く学校が始まってくれれば好いのに」とこぼしていたのですから、小中学生本人はともかく親の方は歓迎かも知れませんネ。
 
 そういうことですから、もしかしたらたいていの小中学生にとって今日は最後の日曜日。
  道理で近所の公園は混んでいた筈です。
 ここはプール施設があって、そこから砂浜に出られる。
  市の運営で料金がリーズナブルなので大きな駐車場が二つも有るのに、プールに近い方は開園時間には満車状態で、そこに駐車できなかった人達は離れた場所にある駐車場に車を止めて公園の中を徒歩10分ほどで歩いて行きます。
 暑いのにご苦労なことですが、それでも楽しい一日始まると言う事で、皆楽しそうにおしゃべりしながら歩いて行きます。
 浮き輪やクーラーボックスを肩にかけ、、、あるいは車輪付きの大きなキャリーバックを転がし、、、。
 途中に昔ながらの井戸のポンプをが道端にあるので、ガチャガチャ通して水が出ると大喜び、、、マアこういう当たり前の事で喜べるのは、これから楽しい事が始まると言う期待感があるからでしょう。
  
 さてさて今日も2時間くらいかけて公園を回りました。
  実際にいつものコースだけなら1時間余りですが、所々でデジカメ写真を撮ったり、いつもの花の美術館の休憩施設で一服したりで合計2時間。
  毎日同じようなコースで回っているのに、今日も新発見があったりするのが不思議です。
 例えば、公園にの砂浜に近いところではカラスや野生化したハト、それに海ですからカモメの群れなどと出会います。
 囲碁の事を「烏鷺」と言いますが、カモメを白の例えれば、ここでは「烏鴎」、、、。
   浜のある場所では20人近い人が膝まで海の中に入って何やら掘っている。
  その格好を見れば、多分潮干狩りスタイルです。
   アレって夏でもやりました?
 掘ってアサリとかアカガイとかをとっているのでしょうが、別に季節に決まりは無い筈ですので、ほるのは自由なのでしょう(それとも禁漁期間は有るのか?)。
 でも、ここは人口の浜、、、だからアサリとかアカガイとか貝類を取らずに増やしたい気がするのです。
 貝って水の浄化力がスゴイ筈ですからね。
  取った貝で味噌汁などを作るのか?・・・取らないで貝を増やせば今より水が奇麗になる筈なんだけれど。
 私みたいに地元の人間は今の水質程度では貝も魚も食べる気にならない。
  してみると他から遊びに来た人たちなんでしょう。
 もう一つの新しい発見は花の美術館奥庭の花壇に植えてあるメドゥセージの濃い青の花に虫が集まっている。
 一つは俗名でしょうが小さな「銀チョウチョ」、もう一つが見た事のない虫でした。
  胸のあたりが黄色で全体が丸っこくて形も色もミニ茄子。
 現在ネットの図鑑で検索中。

勝手に一句5・7・5

2010-08-22 00:01:00 | Weblog
 NHKの番組は「カシャット一句5・7・5」で私のは「勝手に・・・」。
 広い公園を自転車で走り回って、公園の様子を摂っています。
  普段なら何とも思わずに見過ごしてしまいそうな場所でも、パロディーと言うかコント的な見方で見ると意外と面白い。
 スーパーでヤヤ上等の印刷用紙を買って来て、家でカラープリントして、勝手に一句の「俳句モドキを」と感じた事、考えた事を文にしてこれを印刷して見開きのグラビア形式でリングファイルに綴じている。
 しかし、出来については全く自信が無いので家族の誰にも見せていない。
  自分から「見ろ」と言う勇気は無いし、さりとてせっかく作ったファイルを誰にも見せないと言うのも何だか寂しい話。
 なんとなく家族の目につくところに転がして有るのだが・・・誰も手に取らない。
  そうですネ、普段は家でいろんな興味を持った事を検索して、記録したいものはプリントしてファイルしていますが、そういうファイルが本棚にゴロゴロしています。
 今では所謂「本」より印刷物の束の方が多いくらいで、自分だけに分かる「整理法」なので家族が例え掃除でも触られるとよい顔をしないのですから・・・手を出す人はいません。

 と言う事は・・・
  ミニ写真集+ミニ随筆は私が別世界に旅立った後家族によって発見される。
 イヤこれもかなりの幸運を期待しての話。
  実際は「一山幾ら」あるいは「全てゴミ」扱いで整理されるに違いない、、、だからこれはポケットティッシュ数個分の価値なんです。
 
 1回の公園パトロールは1時間半から長くて2時間。
  長い時はたいてい花の美術館の奥庭にある休憩所で休んでいますから所要時間と運動量は比例していません。
  休憩所の横には飲料とアイスクリームの自動販売機があり、屋根付きでテーブルと椅子があっていつもすいているのです。
 ここで、メモとボールペンを取り出して思いついた事を書きとめる。
  デジカメに残っているファイルを覗いて、勝ってに一句考えたり。
   これも至福の時間ですネ

 しかし、シャッターを切る頻度は1日出かけても0の日も多いし、摂っても、3枚の事も多いのでこれまでのトータルはさほど多くは有りません。
 SDカードのデータはパソコンに入れていますがこの半分くらいは「一句」付けて有る。
  他の記録を見てもヤヤ難しい、、、従ってこれから再びシャッターを切りに出かけなくてはいけません。
 丁度テーマは「残暑」「盛夏の名残」「秋の兆し」と言ったところでしょうか。
  人物関係は難しいですネ。
 プライバシーの問題も有るし、私みたいな素人が通りがかりの人を撮るのは難しい。
  マア他の被写体を撮った筈が、関係無く映り込んでしまう場合は有る・・・
   それが、意外と自然体の家族写真だったりするから難しいものです。

 マアともかくこれから旧暦でデジカメ秋の陣が始まる。

5期ぶりなんですネ

2010-08-21 00:01:02 | Weblog
 水曜日にNHK囲碁講座を買いました。
  例によっ手生活習慣病クリニックで薬の処方箋を貰いに行ったついでに本屋さんに立ち寄りました。
 そして例によって先崎学さんの「桂馬の両アタリ」から・・・やはり今月号も面白い。
 NHK囲碁将棋ジャーナルの話でしたが、ハプニングというものは有るのですネ。
  真面目な人が真面目に反応して、その行き違いに気がつかない面白さ。
   こういう話って好きです。
  受け狙いでわざと間違えたり、ダジャレで落とすような話は、マア面白いものも有るけれど、たいてい「お疲れさん」あるいは「白けるから解説するな」と言う事が多い。
 ベテランの9段が「5期ぶりにリーグ入り」が発音では[ゴキブリ・リーグイリ」
  それを聞いた横田9段が「ベテランが若手に交じってこっそりとリーグ入りしたのがゴキブリ流」みたいに受け取ったとか。
  アー、解説している私は面白みレベルが低いですネ。

 マアこの種の話が実際の生活の中で起こると面白い。
  例えば高校時代の若い国語の先生が何かの話で自分の子供時代の話を始めて「僕の家は山の中で」と始めましたから、生徒は大受け、、、この先生の出身は栃木県だそうですが姓が「山中」だったのです。
 さてこれが実は計算された受け狙いの疑惑も無いわけではないが、自然のボケ90%くらいでしょう。
 この先生には面白いエピソードがあります。
  始業のチャイムが鳴ってから少し遅れて教室に来る癖がありまして・・・マア授業時間が短くなるのは構わないとして,終業のチャイムが鳴って休業を続ける癖がありました。
 本人としては初めが遅れたので、後ろを伸ばしている感覚でしょうが、これは生徒にとっては迷惑な話でもある。
 友人のS君がスッと起立して「先生、お願いがあります、始まりの規則があるのですから終わりの規則も守って下さい」・・・マア先生としては半分はサービスみたいな気持ちだったかも知れない。 「ヨシ、分かった」と言ってその授業は終わりましたが、次の国語の授業が始まる前の休み時間、その先生は何と廊下で待機していた。
 こういう面白いキャラは最近すくないですネ。

 そうそうこの間気がついたのですが、勤め先の近所にコインパークがあって看板が出ています。
  現金の他銀行カードOK,クレジットカードつかえます。
 1日最高で700円程度の駐車料金ですが、深夜どこかで2日跨ぎになれば最大1400円と言う事も有るし、コインを用意しなくても良いと言うメリットがあるのでしょう。
 但し「クレジットカードが使えなかったら?」看板に偽りありとお客は怒るでしょう。
 そこで「つかえます」と言えたら相当な大物ですネ。
  「わざわざ平仮名で注意のために書いて置きました」・・・言うわけ無いか。
 以前この暑さ、妄想力旺盛、そうそう妄想半島の住人です。
 

夏休みの気温

2010-08-20 00:02:00 | Weblog
 昨日一昨日の暑さはまさに殺人的で、今日はやっと一息という感じです。
 でも子供時代に育ったところでは、32度はほぼその年の最高気温だったような気がします。
  夏休みの宿題帳で、毎日の天気と気温を記録するところがある・・・気温はその日の10時頃と最高に暑い時。
 マア、こういう宿題が私にとって一番苦手な科目。
  毎日日記を書くとか、観察記録をつけるとか、気温を記録するとか・・・親に言わせれば「ただ見た通りに書けばいいんだから・・・」そういう事が出来ない性格。
 それに比べたら算数の問題の方は気楽なもので。夏休みが始まって一週間後には「問題」部分は終わっていたものです。

 さて気温と天気の記録。  
 これは「少年マガジン」か「少年サンデー」に助けて貰ったものです。
  8月の最終号には日本全県の記録が一覧表になって載っている。
 これは隣のN君3兄弟が持っているので、8月31日には「チョット貸して」と行ったものです。
   そういう意味では案外気温などを憶えている。
 東京の気温が33度・・・自分の宿題とは関係ないけれど、こういうところを見て驚いていた。
  住んでいた所では31度を越えることは少なかった記憶しています・・・そういう経験からか「東京には住めないナ」という刷り込みが出来たようです。

  昨日の当地の気温が35度?、イヤもっと高かったか。
 こういう記録は条件の良い箱の中の温度ですから、日向に出たら全く違う筈。
  職場では一応エアコンを使わざるを得ない・・・大して冷やしてはいない筈ですが、無かった事を考えたらぞっとしますね。
 例えば執務室の外のトイレに行くとします。
  そこはエアコンとは無縁の世界で、窓を開放しているので熱風が吹いてきますから、恐らく温度差は10度は有るに違いない。
 私の体温が35度を僅かに越える程度ですから大変です。
  尤もこれだけ汗をかいても、結構補充は上手くやっているし、夏でも食欲は落ちた事が無いので夏瘦と縁がない・・・お医者さんにはダイエットするように言われているのですが「夏のダイエットは、無理!」

 よく市販されている栄養ドリンクのラベルに「栄養補給に」とか書いて有りますが、それと「虚弱体質に」と書いて有ります。
 さてさて夏に弱い、病気持ちの私は虚弱体質に近い筈なんですが・・・栄養ドリンクをのんだことが無い。
 と、言う事は案外強いのか?
  イヤ、暑いと先ず体から警報が発せられ、取り敢えず弱ってしまうので案外大事には至らないのかもしれません。
 してみると、普段病気一つない人にはイエロー経験が無いでしょうから案外いきなりレッドの危険があるかも・・・。
 イヤ、なんにしても暑いのは(寒いのも)ダメ!!。
  エアコンも好きではない・・・。

信じられない

2010-08-19 00:00:49 | Weblog
 本当は「信じられないと考える自分を信じられない」と言うところでしょう。
 世の中に趣味と言えるものは数え切れないくらいいろんな種類があって、誰が何を好むのかはそれこそ個性であって自由でもある。
 そういう事は当然だと思っているので、自分の趣味を他人に押し付けたりはしないのですが、それでも頭のどこかに所謂無趣味という人がいると言う事が信じられない・・・イヤ本当は自分が何の趣味もなく生きていけるとは思えないと言う事でしょう。
 マアその程度の感想なら未だまともですが。 
  
 例えば職場の若い同僚たちが、丁度子育て時期で有り、仕事は真面目だし熱心ではあるが、どうも見ていてこれが趣味と言うものが分からない。
 マア外から見て私には見えないだけで、きっと何かあるのだろうとは思うのですが分からない。
  趣味がなければいけないと言う決まりはないし、他人の事なのでどうでもい事ではあるけれど「どうして?」という不思議な感じ。
  
 もし仮に将来一日中TVばかり見る生活になったとして、「趣味はTVを見る事」といえるならそれはそれで好いのかも知れませんが、それが単なる時間つぶしだったとしたら・・・と、こんな事を考えている自分がよく分からないですネ。
  

ひかれものの小唄

2010-08-18 05:05:22 | Weblog
 終局後に見直す場合・・・今より棋力が低かった時代の話です・・・なるべく対局後直ぐでなくては並べ直すのが難しい。
 従って一局が終わって直ぐに次の対局を始める事は出来ない。
  対局を「打ちっぱなし」にしてはいけないと信じていたし・・・
 碁会所においても、当然相手も同じように考えるものと思っていた・・・
  マア、それでも勝った時は、それを何度も並べ直すのは、相手によっては嫌がるかもしれないので勝碁の場合は相手が並べ直す気配がない場合は遠慮するくらいの”つつしみ”はありました。
 但し、負けた場合はそういう遠慮は余り考慮しなくても良いみたいなところはあった。
  しかも、負け碁を「何処で負けたのか」「何が悪かったのか」を自分なりに考えるのは大切な事の筈だし、相手も向こうが勝った碁の場合はある程度は気持ちよく付き合ってくれる。
 そして勝った方の勝因より、負けた方の敗因を探ると言うような視点でも、マア割合に嫌がらないものです。
 
 ところが、当時愕然とするような事が・・・
  今で「も心の傷」みたいに残る記憶が有ります。
 その時の(今ではその方は引退していますが・・・)席亭から「いつまで”死んだ子の年を数えている”、早く次を打ちなさい」と言う言葉に耳を疑った。
 今なら多少は冷静に「客商売なので、誰か手空きの人と打たせたかったのか」あるいは「私の態度が女々しい行為のように見えたのか」くらいは思いますが、当時は大げさ聞こえるかもしれませんが、頭から冷や水を浴びせられたくらいのショックは有りました。
  「振り返り」無しで、次々と打たせようとしている・・・。

 局後の検討と言うより愚痴の連続で敗戦の心を癒しているに過ぎないと映ったのか、、、「死んだ子の年を数える」ってそういうことですよネ。
 でも開き直って言えば「それだってやらないよりは好い」
  問題は相手が付き合ってくれるかどうか。
 仮にリアルの場合、このへんの呼吸が相手と合わないと出来ないから、もしかしたらどうしてもやりたければ一人でやるしかない。
  この場合相手は,直ぐに次の対局をしたい場合対局相手を探す事にはなる。

 時は流れて・・・現在はネットで打っていますが、この場合ネットでの検討ソフトも有るらしいけれど利用したことはなくて」、専ら一人で自分の棋譜倉庫に移って対局を再現することになります。
 一日に1局あるいは2局程度ですから、こういペースと言うかローテーションで打つ。
  しかも、手空きの人が待っているわけではないし、そういう遠慮なども無用。

 但し勝った時は「プロ野球ニュースを何度も見て、翌日スポーツ新聞まで勝ったりする心境」と自嘲気味。
 負けた時は昔の「死んだ子の年を数える」を思い出します(マアそのくらい心に刻まれている)。
  それでも当時のその言葉を発した人の年令くらいにはなっているので、良し悪しはともかく開き直りは出来ていて、「ひかれものの小唄を聞いて下さい」くらいは言い返せそうな気はしています。
  「ひかれもの」:処刑前に市中引き回しの”ひかれもの”、運命は変わらないのにいつまでも「あの時に・・・」「ああすれば・・・」とこぼすのを「小唄」と言うのですネ。
  
 プロの先生でも局後の検討でいろいろ有るらしい。
 「あの時にこうしていれば・・・」と負けた先生が言えば「その場合は、こういう手があります」と言う風に全て対応するので、実戦と検討で二度負けるような感じがするとか。
 あるいは、相手の反省の言葉に「そうそう、そう来られれば難しかったですネ・・・」と暖簾に腕押しタイプの先生とか。
 私など「横好き」なザルですから、本来検討は似合わないかも知れませんが、少なくとも誰にも迷惑がかからないところで「ひかれものの小唄」を気の済むまで歌いたいですネ。
 「模範的な検討」とは違い、それで棋力が向上するとも思いませんが、少なくとも自分に「癒し」「心の糧」みたいな活力源にはなりそうです。
  マア「小唄」が心からの「反省」と違うのが「のど元過ぎれば熱さ忘れる」的な・・・
   それでもアマなんだから『好いか?』

 ところで昨夜の一局。
  中盤の折衝を終ったところで有利になったと思っていた・・・が、その次の一手が酷かった。
 「そこは後手でも自分の大石に手入れが必要な所」
   そこまでが一連の流れでの区切りになる筈が、、、勘違いの「後手嫌い」な一手で石が明後日の方に跳んだので相手にとどめを刺されてしまいました。
 棋譜倉庫で、その場面に戻って「手入れ」でシュミレーションすると。なんと私が20目以上残る・・・それなのに「死んだ子は帰ってこない」「覆水盆に帰らず」、、、「ひかれものの小唄」。

そこで終局ですか?

2010-08-17 00:01:01 | Weblog
 深夜に目が醒めてパソコンを見ると、MさんとNさんが熱戦が続いている。
  普通(?)観戦しながら不覚にも眠ってしまった場合、目が醒めた時には終局していて、両対局者は対局室に居ない。
 ところがこの碁の場合は中盤の入り口から記憶が無くなり、気がつくと大寄せの真っ最中ですから、私の眠る時間が短かったか、両者の時間を使っての戦いが続いたか・・・
 観戦して居ると、両者とも慎重な性格らしく寄せでの当然の一手だと思われる所でも意外と時間を使って打ち進めている。
 この二人とは仮に対局するとすれば向こう2子の手合いになります・・・二人とも1,2回は2子で打った事があった筈です・・・こういう打ち方・時間の使い方・念の入れ方には感心します。
 こういうところが私の欠点・弱点の一つだと自分でも思っている。
  つまり『一連の折衝の中で、実際の局面で一手一手時間を使うのはどこかおかしい』と思っているので実際の対局でも、流れの中で『事前の読み通りに打つ』事が多いし、『そうでなくては事前の読みの意味がない』と考えている。
 読みが正しければ問題はない・・・あるいは相手がこちらの読み通りに動いてくれれば結果的に読みは正しい・・・
 ところが現実には、どこかで読みの中に”抜け”があって、修正が必要な事や、対局相手が当方が事前に考えていた事と違う目的を持っているらしいなど、当初の準備と違う事が生じる事も有ります。
 イヤ、実際にはそういう事の方がよくある。(だから面白いのですが)
  
 こういうことに対する対処法は、一手一手見直す・確認する事しかなさそう・・・
  結果そういうところでミスショットを出す性格ですから『おっちょこっチョイ』と言う事になるのですが、普段スローモードの性格なのにこの点だけ反対の欠点を持つなんて、世の中皮肉なものです。

 さて件の対局、終盤でとんでもない事が起きた・・・イヤ両対局者の自由ですが。
  寄せが進んで、後手1目のところが2箇所、半コウ絡みのところ2箇所、それに外ダメが全て詰まったら地の中に手入れが必要となるところが1箇所・・・それなのにそれらを全て省略し[終局提案」が出され相手も「終局に同意」!!。
 野次馬が一人で『ウワ-ッ』って叫んでもネットですし、本来対局者の自由かもしれません
  リアルで、どちらか一方にのっぴきならない急用が出来た場合などは”ある”かも知れないけれど、ネットでは考えにくい。
  仮にリアル対局では最後の整地で気がつく所、、、但し手入れ箇所は対局者双方が気がつかなければそのままでしょうが。
  問題はこういう半端な形でパソコンが計算するかどうか、あるいはどういう計算をするのか・・・。
 カケ目は1目扱いで、後手で1目出来るところは地には扱われない・・・マア当然と言うか
  そして最後の地の中の手入れは無視。
 局勢がコミを入れて10目近い差があったので結果が動くことは無かったですが、しかし不思議な終わり方でした。
 勘ぐると「変なジイサマガ見ているので早目の店じまい]の終局だったのだろうか・・・。