先日来毎晩見ていた世界卓球は素晴らしい試合の連続でした。
ただ、毎回この種の放送で感じるのはTV局側のショウアップの仕方・・・これは「臭過ぎ」気持ちが悪くなる。
しかも毎晩同じ映像を1週間は我慢する羽目になる・・・きっと「文句があるなら見るな」という提供側の言い分なんでしょう。
私としては試合の内容を忠実に放送してくれれば好い、余計な解説はいらない・・・それなのに過剰サービスの放送が当り前で、もしかして、世の中こういう見方・感じ方が多数派なのかあるいは、こういうバカみたいな表現をしないとマスコミ界ではやっていけないのかも知れないのか知れないが、かなりの押しつけです。
あるいはJRの駅のホームで「白線の内側に下がってお待ちください」と言うアナス・・・あれは未就学児童扱いに聞こえる。
それとも「これはこれ」みたいに聞き流して黙って見ているのが日本人的なんだろうか?
いかにも身内ネタや内面暴露、持ち上げネタで選手本人も居心地が悪いと思うのだけど、想像ではTV局の要請にスポーツの協会側が応じている形でしょうね・・・放映料=協力金と言う、札束で引っ叩いてでも視聴率を上げたいと言う露骨な感じがミエミエで気分が悪い。
選手本人にも「協力せざるを得ないプレッシャー」と言う感じだろうか?、あるいは・・・本当にアレが本音の世界?(一応世界で通用する一流選手の心の内側は凡人には窺い知れない)
マア、そこのところを我慢しないと放送を見られないので我慢しているのだけれど・・・もしかしたらそうしているうちに洗脳されてしまうのかも。
選手のトレーンング方法とかメンタル面でのケアなど、例えば「求道者」とか「スナイパー」だとか・・・分かりやすく説明してくれているつもりなのかもしれないけれど、余りのデフォルメで実は少しずつ意味がずれて行くような気がします。
あるいは何をやっても中途半端な私などの理解を越えた世界を表現しているので、私には理解できないだけなのかも知れない。
そういう意味では、何にせよ本人の口で表現しないと信頼は無いから、TV局の放送では軽薄さには辟易とします。
これは世界陸上とか水泳も同じでI原さんあなたもですか・・・であり12チャンもマスコミに違いないと確認。
盛り上げたいという気持ちはわからないでも無いけれど、視聴者を馬鹿にしていると言うか甘く見ている感じだし、、、どうせ放送に送り出したものしか受信できないという開き直りを感じます。
ザルのネット碁の世界では、プロとは違うのですから当然求道者みたいな精神性は求められていません。
そういうものは反って必要無い・・・そういう仲間が居れば敬意は払うけれど必要不可欠でも無い。
基本的には楽しければ好いのであって、問題はどういう事に楽しさを感じるかと言う事。
勿論負けてばかりでは楽しくないから自分で満足できる程度には強くなりたいわけです。
それでこの「強く」の中に技術的な事、対外的なマナーも含めた気持ちの持ちようなども入って来るでしょう。
負けてばかりでは面白くないだろうし、逆に勝ち負けに拘り過ぎるようでは面白さを理解できないでしょう・・・面白さが理解できないから勝ち負けに拘るのかも知れませんが。
ところで、アマの碁ですからその時の気持ちの状態が無いように大きな影響があると想像できます。
例えば負け始めると、何をやっても上手くいかない。
せっかく善戦しているのに肝心の寄せで台無しにするようなミスをしたりします・・・だから連敗する。
それでいてギャンブルでも無いのに次こそ負けを取り返そうと言う焦り、続いて打ちたいと言う気持ちで連戦しますから連敗に歯止めが利かなくなる。
まさにどこかでブレーキをかけなければいけない・・・最も効果があるのは「打たなければ負けない」状態にしてオーバーヒートのラジエターを冷まさないといけない。
これはもう棋力とかの問題では無くてメンタルの問題が大きく左右していそうです。
そういう状況で最近マイナス10点に落ち込み、そしてそこからプラス15点。
今度は何をやっても上手く行くかのような盆と正月が一度に来たような景気で、この間半目勝ちが2局もある。
それにいつもですとやっつけられている上手にも善戦して勝ててしまう。
「勉強だと思って勝ち負けなどを気にしないで、自分の判断を信じて打ってみよう・・・」と言う気持ちに素直に成れる。
こういう状況が「無欲の勝利」なんだろうか?
尤も「勝利を目指して」の「無欲の勝利」は変だから、結果から見ての話。
要するに何も考えない方が好いらしい・・・それではあれこれ考える事を楽しみにしている事と矛盾する部分もありそうで困る。
もしそうなら少し理解できる事もある。
「強い人は黙って囲碁に専念している」ようです、、、
ただ、毎回この種の放送で感じるのはTV局側のショウアップの仕方・・・これは「臭過ぎ」気持ちが悪くなる。
しかも毎晩同じ映像を1週間は我慢する羽目になる・・・きっと「文句があるなら見るな」という提供側の言い分なんでしょう。
私としては試合の内容を忠実に放送してくれれば好い、余計な解説はいらない・・・それなのに過剰サービスの放送が当り前で、もしかして、世の中こういう見方・感じ方が多数派なのかあるいは、こういうバカみたいな表現をしないとマスコミ界ではやっていけないのかも知れないのか知れないが、かなりの押しつけです。
あるいはJRの駅のホームで「白線の内側に下がってお待ちください」と言うアナス・・・あれは未就学児童扱いに聞こえる。
それとも「これはこれ」みたいに聞き流して黙って見ているのが日本人的なんだろうか?
いかにも身内ネタや内面暴露、持ち上げネタで選手本人も居心地が悪いと思うのだけど、想像ではTV局の要請にスポーツの協会側が応じている形でしょうね・・・放映料=協力金と言う、札束で引っ叩いてでも視聴率を上げたいと言う露骨な感じがミエミエで気分が悪い。
選手本人にも「協力せざるを得ないプレッシャー」と言う感じだろうか?、あるいは・・・本当にアレが本音の世界?(一応世界で通用する一流選手の心の内側は凡人には窺い知れない)
マア、そこのところを我慢しないと放送を見られないので我慢しているのだけれど・・・もしかしたらそうしているうちに洗脳されてしまうのかも。
選手のトレーンング方法とかメンタル面でのケアなど、例えば「求道者」とか「スナイパー」だとか・・・分かりやすく説明してくれているつもりなのかもしれないけれど、余りのデフォルメで実は少しずつ意味がずれて行くような気がします。
あるいは何をやっても中途半端な私などの理解を越えた世界を表現しているので、私には理解できないだけなのかも知れない。
そういう意味では、何にせよ本人の口で表現しないと信頼は無いから、TV局の放送では軽薄さには辟易とします。
これは世界陸上とか水泳も同じでI原さんあなたもですか・・・であり12チャンもマスコミに違いないと確認。
盛り上げたいという気持ちはわからないでも無いけれど、視聴者を馬鹿にしていると言うか甘く見ている感じだし、、、どうせ放送に送り出したものしか受信できないという開き直りを感じます。
ザルのネット碁の世界では、プロとは違うのですから当然求道者みたいな精神性は求められていません。
そういうものは反って必要無い・・・そういう仲間が居れば敬意は払うけれど必要不可欠でも無い。
基本的には楽しければ好いのであって、問題はどういう事に楽しさを感じるかと言う事。
勿論負けてばかりでは楽しくないから自分で満足できる程度には強くなりたいわけです。
それでこの「強く」の中に技術的な事、対外的なマナーも含めた気持ちの持ちようなども入って来るでしょう。
負けてばかりでは面白くないだろうし、逆に勝ち負けに拘り過ぎるようでは面白さを理解できないでしょう・・・面白さが理解できないから勝ち負けに拘るのかも知れませんが。
ところで、アマの碁ですからその時の気持ちの状態が無いように大きな影響があると想像できます。
例えば負け始めると、何をやっても上手くいかない。
せっかく善戦しているのに肝心の寄せで台無しにするようなミスをしたりします・・・だから連敗する。
それでいてギャンブルでも無いのに次こそ負けを取り返そうと言う焦り、続いて打ちたいと言う気持ちで連戦しますから連敗に歯止めが利かなくなる。
まさにどこかでブレーキをかけなければいけない・・・最も効果があるのは「打たなければ負けない」状態にしてオーバーヒートのラジエターを冷まさないといけない。
これはもう棋力とかの問題では無くてメンタルの問題が大きく左右していそうです。
そういう状況で最近マイナス10点に落ち込み、そしてそこからプラス15点。
今度は何をやっても上手く行くかのような盆と正月が一度に来たような景気で、この間半目勝ちが2局もある。
それにいつもですとやっつけられている上手にも善戦して勝ててしまう。
「勉強だと思って勝ち負けなどを気にしないで、自分の判断を信じて打ってみよう・・・」と言う気持ちに素直に成れる。
こういう状況が「無欲の勝利」なんだろうか?
尤も「勝利を目指して」の「無欲の勝利」は変だから、結果から見ての話。
要するに何も考えない方が好いらしい・・・それではあれこれ考える事を楽しみにしている事と矛盾する部分もありそうで困る。
もしそうなら少し理解できる事もある。
「強い人は黙って囲碁に専念している」ようです、、、