なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

今年も暮れる

2007-12-31 16:47:33 | Weblog
 まもなく平成19年も暮れます。
 いろんなことがあった年ですが、印象としては東大寺の1文字みたいに「偽」が明るみに出た感じです。
 本当の怖さは、「あんなに偽物に取り囲まれて生活していたのか」ということではなくて、「あれは氷山の一角」に過ぎないという方でしょうね。
 昔なら、そういうインチキは小さな町工場とか食品会社が生き残るために已むを得ず手を染めるみたいなイメージがあったけれど、現代では大会社・有名店がもっと儲かるための方便として日常化しているようです。
 大きな会社でも製品のクレームを無視して製造を続けたりしている事件もあったし・・・
 本人たちが弁明するような一時の「出来心」ではなくて、本当は「あらゆる(合法違法を問わない)選択肢の中から選んだに過ぎない」と思える
  経営者習性というか、国民全体がそういう体質に変わりつつあるのかもしれないという空恐ろしさを感じるのです。
  
 私が子供の頃、戦後の闇市なるものは姿を消してはいましたが、例えばパチンコの景品のキャラメルのなかに鉛が入っていたとか、缶詰の中に指が・・・などという粗悪品・杜撰な製品管理などが見られた時代でもありました。
 だから日本からの輸出品は「安いけれど粗悪」というレッテルも貼られているようなところもあったと思えます
  それに日本製品はオリジナルなものは少ないけれど真似するのが巧いと言われていた時代でもありますね
 アメリカなどで開発したものを、短時間でコピーし改良を加えて安く売り出す
  多分にずるい戦法ですが、でも今の時代の基礎を作ったのはこういうことだったかも知れません
 (今,ある国の海賊版や、おもちゃがの輸入が問題になっていたりするのを聞くと、善悪の問題の前に「日本にもそういう時代があった」ということを思い出します)
 それがいつの間にか日本製は世界の一流ブランドみたいな地位を得たような気持ちになっていますが・・・今年のような事件が数多く発覚する・それが氷山の一角に過ぎないかも知れないということは・・・いかにも豊かになったような気持ちでいたのが、本当は私らの子供時代と少しも変わっていないようなことに気がつかされた気持ちです。
 人間、そう簡単に変わるわけが無いとも言えるかもしれませんが。
  
 でも日本が(あまり好きな言葉では有りませんが)「サムライの国」と言うのなら、他人がどうこうでなく「自分に恥じない」ということを・・・
 奇麗事の陰で巧く立ち回って金儲けをしようというのが多いですね
  「サムライ」だけでなく職人気質の「見えないところも手を抜かない」も大事ですね・・・
 いいところもまだまだ残っているはずなのに、本音と建て前を使い分けてしまう頭の良さが欠点なんでしょうか

 さて年の暮、12月は個人的に相性?が良くない月で、この月を無事に過ごせば来年の12月までは何とかなりそうな気分になれる。
 そういう意味では現代の習慣とは違うけれど、年の暮れに1年の清算をして、年が明けたら1つ年を取って、また次ぎの暮れまで何とか暮らすみたいな・・・
  あと数時間で来年1年有効のパスを無事貰えそう
 普段は老夫婦だけの生活ですが、年末年始休みで娘夫婦がやって来ました。
 日常は夫婦の会話はあまり多いほうではない無いので、女房殿などは日頃の鬱憤を晴らすかのようにここぞとばかり・・・娘との会話が弾んでいる(弾み過ぎている)
 私といえば居間にいても手持ち無沙汰だし会話の内容にもペースにも弾き出されて、(この時期面白いTV番組も無いし)結局は「自室オタク」になっている
 ネットを楽しんでいるようにも見えますが、実態は自室に避難しているような・・・1年の疲れ?が取れていないし、何処かへ出かける気力も無いし、指先の運動でキーボードを叩くのが精一杯かも
 
 相変わらずネット、碁を打ったり観戦したりですが、今CD作りをしています
  イエ、オリジナルでは有りません
 実はある人との会話で「囲碁」が話題になりまして・・・
  マア私が話題が狭いので合わせてくれたのかも知れないのですが
 「碁会所では囲碁を教えてくれる人がいるのですか?」という質問があった。
   その時はあまり深くも考えず「教える先生がいたり、席亭などが教えてくれるはずですよ」
 「一人でも教えてくれるでしょうかね?」
 「勿論ですよ、喜んで教えるはずですよ」そこまではよかった
 「でも一人というのは多少問題は有るでしょうね、1対1の個人教授になると教える方は気にしていないのですが、教わる方の人が気を遣ったりするのです」「囲碁ってある程度は続けていないと捉えどころが無い感じがあって、初めの取っ付きが難しいかもしれません。そんな時期に”先生を私一人につき合わせてしまって良いのかな”なんて遠慮勝ちになってしまうことがあるかも知れない」
 などと・・・話をしてしまった(これが気にかかる)。
  後になって考えてみると、彼は囲碁も将棋もやらないけれど、もしかしたら・・・「もしかしたら囲碁をやってみようかと思って、私に打診した?」と思いついた。
 気がついたというより希望的推測に過ぎないかもしれないが。
  例の会話の中で「私は他人に教えるのが下手でしてね」などと世間話調に話したのも引っかかります
 『私の話は教えるのを拒否したみたいに聞こえなかっただろうか?』
   『相変わらず、気がつくのが遅い!』
  と、いうことで、この休みの間に「入門CD」を作ることにしました。
 もしかしたら押し付けになるかも知れませんが、マアその時はその時で諦めればいいだけの話。
 「入門CD」などとかっこいいことを言ってもオリジナルは無理なので、ネットでいろんな所の門を叩いて、無料で紹介しているページをコピーしています
 自分のためのコピーでは無いけれど商売で使うわけでは無いから海賊行為にはなりませんよね?
 さて、何とか超初心者向けのCDは出来そうですが、年が明けて年始の手ぬぐい代わりに渡したらどんな顔をするでしょう、楽しみのようなちょっぴり怖いような

コミの1目

2007-12-30 16:43:15 | Weblog
 私が物心ついて、新聞の囲碁欄を覗くようになった頃には「コミ」というものは存在していましたが、子供心に不思議なものでした。
 棋戦によって違いが有ったり、大手合わせというものではコミがなかったり・・・
 囲碁などは両者が「1・2の3」で同時に打つものでは無いから、先に打つほうが”なんとなく”有利に思える。
 それはろくに囲碁を知らない子供でも感じる・・・では将棋の場合はどうしたものだろう?
 将棋には囲碁のコミに当たるものが無い?これも理解が出来ないことでした。
  ともかく囲碁の話でいうと
 コミ4目半というのと5目の二種類があったように記憶しています・・・と言っても少し曖昧ですが
 つまりコミ5目のほうで、仮に持碁の時に白勝ちとしたと思うのですが、それならば実際はコミ5目半と同じいみですね。
 もしかしたら持碁はジゴのまま集計していたのかこれが曖昧
   10戦して5勝5敗より5勝4敗1ジゴのほうが上みたいになったかどうか
 
 初めてコミなるものが導入される時は大変だったらしいですね
  プロの先生たちの侃々諤々の議論があったらしい
 それでもコミがなければ「先手有利」という大方の認識はあったでしょう・・・ただし「コミ碁は碁に非ず」という先生もいたらしいですが
  「先手有利」という認識で言うと、先手番と後手番の2局で1セットという考え方ですね。
 これでは1対1の強弱関係を決めるには可能ですが、リーグ戦みたいなものには向いていないですね、、、対局数が極端に多く必要です。
 それにもし、2局1セットなら延々勝敗がつかない事だってあります
  サッカーで言うホームアンドアウェイみたいですが、サッカーと違うところはホームで3目勝ちアウェイで2目負けの場合、どちらかが勝ちみたいなルールは無いところでしょうか。
 でも決着をつけるにはどちらかが2連勝するまで戦う必要がある
  そんなことでコミという考え方で1戦で勝敗を決めるやり方が時代に有っていたのでしょう。
 それでも問題はコミの大きさ
 「先手有利」は感じていても、一手の大きさを推定できなくては、コミを一手の半分として合意できにくい
 そんなことで4目と5目の2種類でスタートしたらしい(半は必ず決着をつけるという意味で、0.5という2倍すれば1になる大きさを持ったものでは無いでしょうね)
 
 子供の頃・6,7才頃の記憶を交えて書きましたが、それから半世紀以上経つわけですから、時の流れは恐ろしい・・・確実に年を取っていきます
 さてこの間にコミは5目半に統一されましたが、これが不変のものではなかったのですね。
  時は流れて
 国際棋戦で応さんという人が大きなコミを提唱なさったり・・・
  実際に日本棋院でも従来のコミ5目半を見直して6目半を導入しようかという時代の話
 プロの世界ではコミ1目でも生活がかかっているでしょうから、黒番の打ち方が変わるという意味で神経を使っていたでしょう
 それでも国際的な流れとか・・・黒番の積極的な打ち方とか工夫が要求されるという流れにか傾いて行った・・・
 プロの先生の中には7目半でも黒を持ちたいと言うせんせいもいましたが、いずれにせよそれはプロの世界での話

 その頃の私の周りのザル碁の世界で
  私が出入りしていた碁会所の会話です
 会話の主はここに出入りしている常連さんたちで、同じ会社のリタイアで定例会を行っている人たち、棋力で言うと私に三つか四つ。
  彼らの会話を聞くとは無しに聞くと・・・
 「ここでもコミが変わるらしいね」
 「コミが6目半だそうですね」
 「そんなに大きなコミでは、私ら打てませんね」
   話としてはそれだけですが、記憶に残っている会話です
 この碁会所のコミ変更も根拠という意味ではかなり怪しいでしょう
 国際棋戦のマネ・・・ミーハーみたいなものに近いかも知れませんから、もし強行に反対する人がいたなら説得するだけの力無いでしょう
 まあせいぜいが「世の中の流れ」みたいなずるい逃げ口上でしょうか
  しかしそれではリタイア組の会話は何だったのでしょうか
 「私らには打てませんね」・・・なんだかプロを思わせるような
この発言に思わずドキリとして、つい顔を見てしまった記憶がある
    私の場合はコミを貰うのは好きですが、出すのはイヤと言う「シブチン」の典型みたいものですから「大きさ以前の問題です」か

 ところでコミという観念が一手の価値の半分が目安だったと思うのですが、昔コミ4目半の時代は一手の価値が8目で今は6目半だから12目ということだろうか
 なんだか世の中のインフレに釣られている様な気がしないでもない
  それとも、コミというのは従来言われている一手の半分という意味ではなく、別の根拠に基づくと言う事なら理解しやすい・・・
  それはともかくアマの場合点数制でハンデを設定して打ちます
 点数差をコミ換算で打つならば全対局平手で打ち、ハンデを点数差分のコミで清算するのならわかる
 でも現行は置石+コミ(あるいは逆コミ)でハンデを設定しますから置石1子がコミ何目分かというところが曖昧のままのような気がします・・・
  そういう気はするのですが、いろんなところでそれなりに運営されている・・・そういうところも不思議な感じがします。
  暇なジイサマのお話 

マリーシア?

2007-12-29 17:36:58 | Weblog
 サッカーをよく見る人なら知っていると思いますが・・・
  これは確かポルトガル語で「ずるい」みたいなことだったと思います。
 全力でのプレーの中で、ファールを意図していなくても倒されたり倒してしまうことはよくあることで、結果的に加害者的な方がファールを取られて・・・イエローカードだったり一発レッドだったり、場所によってはPKになる。
 守る方にとっては、致命的な状態になる寸前にファールを覚悟で相手を止める・・・事はよくあることなので、そういう守備側の真理・心理を逆用して”ファールによる阻止”に見えるように倒れる・あるいは倒された振りをする。
  これがレフェリーに守備側のファールと認められれば攻撃者の「マリーシア」
  逆に審判によっては「審判を欺く行為」・シュミレーションと取るかも知れないから「演技賞」ものの倒れかたをする。
 普段から相手にとって巧くて危険な選手だから、ファールを受けやすいというイメージを作っておくことも伏線になるかも・・・特にレフェリーに先入観を持たせるのが大事かも
 スロービデオ再生すれば「役者やノウ」ということもママ有るけれど、既にPKと宣告された後だったりする・・・
  最近のNHKもまたずるくなったみたいで、こういう時のビデオ再生をやらない!!・・・「スロービデオの性能」を自慢するのに、一方で「審判擁護」というか、「誤審はありえない立場」というか・・・せめて判決が出た後であっても誤審なら審判の拙劣性を暴露して欲しいもの。
 ともかくこういうプレーがスタンドの観衆の中で、レフェリーの目の前で、TVカメラの前で行われている可能性があります。
  場合によっては退場者が出たり、試合を左右するPKとなったり・・・
  ともかくこういうプレーは大嫌いです
 「マリーシア」などと容認するようなものではないと考えたいですね
  チームによっては、あるいは選手によってはこれも”技”の内だと思っているチームや選手も居るらしいけれど・・・
 相手を怪我をさせるようなプレイと同時に、欺くプレイも憎みます。
  まず第一はスポーツマンシップでしょう、その次にファイトとかテクニックとか・・・そうでなくてはスポーツとして成り立たないはずだし、見ていても白けてしまいます。

 囲碁にはこのマリーシアみたいなものが無いのがいいですね
  イヤ厳密に言うと全く無いわけでは無いのですが・・・たとえば
  相手に時間が無いことを見越して、大差の碁を決して投げずに「ダメ詰め」「場合によっては地を埋める」までして終局に同意せずに、相手の時間切れを意図する。
  マアこうなると「マリーシア」の領域を越えていますね
   ただ、これがマナーはともかくルール違反かどうかというと、「法律論?的」には難しいそうですね。
 他にもネットではチーターという種族も横行するらしいのですが、これははっきり「違反」でしょう
 いずれにせよサッカーの「マリーシア」=「巧いプレー」という評価は存在しないのが原則
  
 サッカーに限らず多くのスポーツでは審判がゲームをコントロールしています
  つまり審判の判断が試合を左右することがよくある
 囲碁の場合も公式戦なら審判がいますが、原則的には当事者同士で解決できないような問題が発生したときに限って登場するわけで・・・
  採点競技によく有るような不可解な曖昧さも無いし、そういう意味でも気持ちが好い。
 基本的には対局の当事者同士の問題
  問題が全く無いとはいえませんが・・・例えばザルの世界では「待った」「はがし」はある
  「地を作る時の境界線をずらす」
  「はま石をごまかす」
 悪い癖の問題から、はっきりインチキまでありますが少なくとも「マリーシア」みたいに「巧い」みたいに表現されることは無いでしょう。
 
  

ザルクラスの作戦?

2007-12-28 18:14:48 | Weblog
 先日打った人は、出だしが大高目。
  これは二つの大高目の方向を変えた形
 もう少し前に対局した人は同じ向きの二つの大高目というのもあたっけ。
  あまり定石の本では見かけ無いようなものとたまに出くわす
   当然びっくりするわけだし、どうしたら良いのかその都度考えざるを得ないので、突然厄介な問題を突きつけられた状態ですが、どう打とうと相手の自由ですから文句は言えません。
 そういう部類のものとしては五5も入るかも知れないけれど、この程度では驚いてはいられない・・・六6作戦もありますからね。
  5五の方は先着してくる、6六の方は星(四4)に打つと、すかさず六6にかぶせてくるという感じですね・・・(6六はアメリカでヘリコプターと言うとか)
 
 どうもこういう打ち方をされると、頭では「相手の勝手」とは思いながらも、どこかに「挑発的な臭い」を感じてしまうのだから人間が出来ていない。
 冷静に、その場面で一番良い手を考えるべきなのに・・・
  もしもこれが良い布石作戦であるならば・・・あるいは”普通にありうる範囲内”ならば・・・これを得意とするプロが居ても良さそうだし・・・そうなれば解説書に定番のタイプとして登場しないはずがない。
  更にプロの公式戦に登場しないはずが無い
 登場しないということは、きっとどこかに致命的な欠陥があるのか、プロには好まれない理由があるはずだと想像できます。
 景気は好いけれどきっと打ちにくい何かがあるに違いない
  だからプロの棋譜には出てこないのだろう
 ということは、そういう手で来てくれたのならチャンス!の筈なんだけれど
    それが解れば苦労は無い!!
  そして最大の欠陥的な問題点でもある
  だからそういうことを見越して、私らザルキチレベルではたまにこういう手が来襲するのだろう?
   正確な対応がわかっていないのだから、少なくとも奇襲作戦としては成立?・・・おたおたした対応が相手を勢いづかせてしまう
  ふと気がついたのですが、仕掛ける方は自分の長所も欠点も承知した上で打っているのでしょうね?
  まさか、仕掛け得というか、「正しく反撃されたらその時はその時」という気分だろうか?
  「まさか」の方を想像すると悔しいですね。
 
  「挑発と感じる心」は=「自信のなさの裏返し」でもある
  昔「わかんねエーだろうなアー」っていう台詞があったっけ
   まさにそれですね
 「わかんねエー!!」って毎度毎度やられているのも芸が無いを通り越して情けない
  勝敗ではそれ程は偏ってはいないと思うのですが、印象としては良くない・・・”こういう作戦に高い勝率を残せない自分にがっかり”しているのが問題なのかもしれない? 
 いろいろあるから私らのクラスははめ手を含め、手を変え品を変え奇襲作戦が横行するのでしょう。
  それも面白いといえば面白いけれどいつも仕掛けられる方ということは「組しやすいジイサマ」という印象を振り撒いているにちがいない・・・
 そういうものを乗り越えて、動じなくなれば半ランクくらいのアップにはなっているかも知れませんね。 
  

チンプンカンプン

2007-12-27 17:21:54 | Weblog
 チンプンカンプンを漢字表記すると「珍文漢文」だろうか?
  あるいは「珍文漢文」が変化して「チンプンカンプン」と言うようになったのか?
 マアどうでも良いようなことが「地下鉄漫才」ほどでは無いのですが頭から離れない性格。
 どうも私の頭の中身はそういう具合になっているらしい
  肝心なことはともかく、どうでも良さそうなことに拘る
 そういう特徴が生かせる時も無いこと無いのですが・・・
 例えば、何かの会議などの議事録作成などでは
  普通会議中は録音機を回して記録して、そこから会議録を起こします
  私の場合も当然テープは使う・・・但しそれは「そういう発言をした憶えは無い」と抗議をされた場合の反証用みたいなものです。
 勿論出来上がった議事録を読みながらテープも再生してチェックしますが
  たいていはメモ用紙に発言者の論旨をメモったもので間に合ってしまう・・・
  速記者ほど早くは無いのですが・・・それ以外に
 多少の自慢?と自分に呆れるようなことを自分で感じています
  会議中の発言者の表情とか、しぐさとか・・・他の他人に意見に表情が変わったとか、微妙に変化したとか・・・どうでも良いような些細なことを憶えて居る
 議事録として文字に葉表さない部分の記憶が蘇る
  ですから、自分で書いたメモを読み返すと、その場の雰囲気が蘇るような気がします。
  マア「気がする」だけで、実際のところは私がそういう風に思い込んでいるだけかもしれません。

 ところで、最近私のメールボックスに読めないメールが届くので困っています
  まさに「チンプンカンプン」ですが、これが漢字とかハングルではないのです。
 漢字なら中国語を読めないまでも、なんとなく意味を感じることが出来そう
 ハングルなら女房殿に「ハングル講座」で使っていた辞書で調べるように頼めます。
 せめて英語なら自分で調べようがある・・・一つは英語でしたが
  どうも、外国に送られた荷物が「デリバリー失敗」だったという連絡?
   確かに現在送った荷物が届かないトラブルの最中ではあるけれど、その報告がメールに入るのが理解できない
  送った荷物には発送人は住所と名前だけですから・・・
 もう一つは、「あなたのメールアドレスは・・・と登録変更されましたので記録しておいて下さい」みたいなメール。
 しかも変更というのが今使っているメールアドレスと同じ・・・それは一体?
  息子が外国から日本にネットで注文するのにオヤジのメールアドレスに変更したのだろうか?・・・
 あと数通のメールはどうやらスペイン語のようだから全くのお手上げ
  大事な連絡なのか、迷惑メール外国バージョンなのかの区別も出来ない

  現在外国向けの荷物でトラブル中ではあります
 息子があちらで下痢を起こしたとか、風邪を引いたとかで、甘い母親が「正露丸」とか「葛根湯」とかを和風調味料と一緒に送ったところ、たまたま「開封検査」されて、この荷物が「輸入品扱い」とされて現地で受け取れなくなっている。
  同じものを大量に送ったわけでもなく、どういう判断なのか理解しにくいのですが、そのことに関するメール?
 いやそれもおかしい・・・私のメールアドレスが分かっているのがおかしい
   ということは息子が私のメールアドレスでなにかやったのか?
  全く肝心な時には電話もかかって来ない、私の若い頃によく似た息子です 
  

盾と矛か

2007-12-26 17:48:31 | Weblog
 先日話しました「白番布石の徹底解明」をまだ読んでいます。
  何度目かになるのですが・・・著者の小林九段の説明の「良い」「悪い」の判断の理由を読んでいます。
 とても全部解るとかよく分かるというところまで行きませんで、ボンヤリとそういうものかなと感じられる程度ですが、ともかく読んでいます。
 徹底解明というタイトルとしては、パターンが少なくて、対3連星6、対中国流4、対小林流3、対新小林流3、対ミニ中国流2、対その他の平行型5、対タスキ型3、それに対大上段2となっています。
 典型的なパターンとして捉えれば、プロから見れば取り敢えずはこんなものという種類なのか、素人にはよく分かりませんが、ともかく当然ながら、あらゆる(あるいはあらゆるに近い)変化を頭に叩き込んで対処していくということは当然出来ないわけで、著者の考え方、おそらくプロ棋士の共通認識に近い考え方に触れていくらかでも自分の歪を修正しようということです。
 
 ところで、私の本の読み方は「乱読流?」でして、碁の本みたいに目的がハッキリしているようなジャンルでも1冊をキチンと読むことが出来ません。
  今回も小林光一先生の本と並行して「新・呉清源道場」をめくっています。
 こちらの方は”究極の一手は簡明な一手”というサブタイトルに魅せられまして、呉先生の本ということでもあり・・・
  「簡明な一手!」なんと魅力的な言葉なんでしょう
 「簡明」という響きにある種の線の太い力強さも感じてしまうのですが、サテサテ素人の独りよがりでしょうね
  第一プロの言う「簡明」の何処が簡明なのかよく分からないこともあるくらいですから、本を読んだくらいで理解できれば苦労は無い。
 ”読んだ当座は成る程”がどれだけ役に立っているものやら
 「読んでその程度ですから、読まなかったらどうなっているやら」という事でしょう

 ところで小林先生の本に戻ります
  小林九段がよく打つので「小林流」と呼ばれるようになった布石
 あれは黒番の布石なので、今回の「白番布石」の本としては当然白番から見て取り上げられるわけです
  先生自身が「小林流」を必勝布石と言ったことは無いのですから問題は無いのですが、それでも自分のよく打つ黒番布石対策を白番の立場で解説するというのは面白いですね。
 やはり矛と盾を売っているみたいな可笑しみがあります。
  実戦では自分の矛で自分の盾を突くことは無いからいいのでしょうが
 
 しかし、立場を変えて解説できるということは、どういう布石作戦であろうと、当然必勝布石というものは無いから、勝負は別のところで、中盤以降で決まるということですね?
 布石が問題なのは、この段階で不利になってはいけないという事でしょう
  同時にもしも相手に隙があれば突かなくてはいけないという事
 やはり、囲碁は減点ゲームなのでしょうね。
  単独でプラス点をもらえるような手はなくて、相手にマイナス手があったときに相対的にプラスになるみたいな・・・
  なんだか頭がフニフニして来た
 (フニフニ=中国東北部”鶏西”という日本語学校が多い町の日本語学校生の言葉でフラフラを間違って言った・・・12億の人が住んでいる国・東北部の小さな町に日本語学校が幾つもある町があって中国各地から学生が集まっている)
 ジイサマは3連休の間、起きているいる時はネットで打ったり観戦したり、本を読んでいない時は眠って・・・そういえば3日間一歩も家を出ていなかった
  頭フニフニ 

白番2手目の悩み

2007-12-25 19:03:09 | Weblog
 先日「超カロリー攻撃」で頭に浮かんだことがあります。
  食べ物のことではなくて、囲碁関連です
 いや、ある条件で「高栄養のものを与えられ続けられたらどうなるか」みたいな疑問です。
  食べ物では肥満と直結して、見てくれは立派だけれど体力とか、サバイバル能力に疑問とか・・・植物なら「葉ばかり茂って花も実もつかない」とか、「栄養分に根が負けて枯れてしまう」、あるいは「与えた栄養分で害虫が活発になる」とかの弊害がありそうです。
 これが、可愛い息子や娘を思って「学習面」で高栄養を与え続けたら・・・
  本人の希望・受け入れる能力などと条件がぴったり合えば問題は無いのですが、親の期待値とか過剰な養分だったりすると、単なる「肥満」になって、挙句の果ては出来上がったアンバランスな体型は「親の責任」とばかり恨まれかねない・・・そういう事件も多い
  ともかく、何事にも適量があり、適時というタイミングが大事のようです
  
 趣味の世界で、、、ザル碁の世界で
  息子や娘に囲碁を押し付けようとするとそういうことも起こりかねないのですが、幸か不幸か我が家では両人に交わされてしまって、そういう事は起こりません
  有るとすれば自分に対してのみですが
    これが難しい
 楽しむだけなら碁会所に通い、コミュニティにも顔を出して、ネットの囲碁クラブで打てればまずはそこそこに楽しめる。
  これまでにもそういうことで多くの方の知己を得られた
 それは碁を打たなければ決して交わることのなかった人たちでしょうから、その面で言うと人付き合いが少なくて下手な私にとっては貴重なことです。
  ではそれで満足しているかというと、それだけでは満足できないのですから厄介なものです
  何が足りないかといえば、囲碁愛好家ならだれでもあると思う・・・「少しでも強くなりたい」という願望です、いや煩悩と言うべきか
  人によって個人差はあると思うけれど、この願望が実現しやすい年令とか、成長するゾーンがあるように思える・・・極普通の碁キチですから
 この煩悩が災いする部分は多いけれど、さりとて煩悩の無い境地は塩気の無いスープみたいなものだと思われます・・・煩悩だらけの身では想像が当たっているかどうか怪しいのですが
  私もご他聞に漏れず、この年になって、成長を諦めたわけではありません
   実身長はそろそろ縮み始める年代ですが、棋力については決して諦めが良くない。
  年々「去年より弱くなっているかもしれない」という恐れは強くなるけれど、強くなりたいという願望を捨てたわけではありません
  そういう意識だけはあるから、新しい本など出るとつい手にとってみたくなる
 イエ、何か新しい本は無いかと本屋を覗くことになる
  (感想では)「新しい本はあっても、新しい内容の本は少ない」のですが・・・
  切り口を変えて、別の角度から見ると理解しやすいように思えるということはある。
  だから「とりあえず買っておいて、読んでみよう」に・・・
 さて、本当に強くなれる能力がある人はそんなにいろんな本は不要かもしれませんね。
 初めに読んだ本で書かれていることが理解できてしまえば、後は「二番煎じ」「金太郎飴」「単なる変わり玉」・・・
  体・頭の中に囲碁の知恵を発生させる装置を持っていない普通ジイサマとしては手を変え品を変え「栄養素」注入し続けなければいけない
 マアそういうことも含めて囲碁の楽しみはあるみたいですが、これが止まった時が私の最晩年?かも。

 ところで3連休3日目の午前中の対局
 向こう先で逆コミ数目で、過去の成績はあまり良くないと記憶している人
 黒1星に対して考え込んでしまいました。
「えっ?そんなアホな」ですね
  私も後では思いましたが、そのときは実に真面目に考え、イヤ迷っていました
 黒1星に、白2がもし対偶の星ならこの人は過去の対局からして、多分中国流で来ると予想される
 それでもし白4を2連星に打つと、多分黒5は高中国流になるだろう
  そういう進行でも「これからの碁」であるかも知れないのですが、実は記憶ではこの人との対局はいつもそういう形でスタートして負かされているような気がする。
 それはそれで克服しなくてはいけないでしょうが、相手が黒3を小目に打って中国流含みに来た時に、中国流には構えにくい白空き隅小目に構どうなるか・・・
 それでもかまわず黒は中国流に来るかどうか?
 イエその前に黒3が黒1とタスキに来るかどうか?
  タスキに来てもその時はその時ですが、ただ普段殆どの実戦が平行型なので経験は少ないから多少の不安みたいなものはある。
 そんなのことを考えていたら、ずいぶん時間を使ってしまいました。
  その時気がついたのですが「結局は黒3が来てから考えるしか無い」
 実際そうなのですが、そうすると白2であれこれ考えたことは無駄だったのでしょうか???
 実戦はやはり黒さんは中国流には来ませんでした
  その後序盤で黒さんに「ちょっとしたミス」があったようなのですが、黒さんはそれを過大に考えたみたいです・・・私としてはそれでやっとフリダシの気分だったのに。
  中盤黒141手目で白の断点に切りを入れたのが、シチョウ当たりに見損じがあったらしく、、、当たりに逃げ出したのが敗着だったようです。
  やや分かりにくいかもしれないのですが切りは成立しないところで、シチョウの石を黒が3回逃げた時に勝ちを意識しました。
 もう少し後で黒さんの投了となりましたが、もし黒がアソコに切りを入れなかったらどうなったか例によってシュミレーション。
  マアそこから先が長いのでなんとも言えないのですが、かなり細かそう
 「細かそう」「どっちに転ぶか解らない」
 ちなみに私の1回目のシュミレーションでは黒の2目半勝ちと出ました。
   やはり運が良かっただけらしい  
   

超カロリー攻撃

2007-12-24 22:34:03 | Weblog
 勤め先での昼食は条件さえ合えば業者の弁当です。
  条件というのは値段とか,内容ではなくて単に昼に事務所に居るならばというだけのことです。
 業者による違いは殆ど考えない、近くにしかるべき店が無いように見える(出かけるのが面倒くさい)、向かいにコンビニはあるけれど・・・大雑把というか杜撰な性格
  マア数週間先までのメニューが配られているから、それを見ればその日はどんな内容かはある程度わかるから、いくつかの出入り業者のお弁当から選ぶという楽しみも無いではないが・・・それは贅沢な楽しみ?
  いや、価格自体が350円とか400円では贅沢も何も無いのですが、私には選択肢が非常に限られているので、選ぶということ自体が贅沢な楽しみに思えるのです。
  ズーッと昔は外に出ることが多かったので殆どコンビニ弁当
    これは値段の問題と揚げ物が多くてカロリー面が難点ですが、それしか選べないのなら仕方が無い
  更についでに何か買ってしまうという悪癖も
  外食では蕎麦では物足りないし、丼ものも恐ろしいし・・・
 まあ今は出かけることがほとんど無いので、配達されるお弁当専門
   しかし、これも少し変化がありました。
  生活習慣病のクリニックで食事チェックと栄養指導があって、一定期間の飲食物を全て書きだすと・・・その頃注文していた弁当業者のメニュー表にはカロリーが出ていて・・・これが約500カロリー余りなのでこれなら良いと思っていたら、これがとんでもない思い込みで、オカズのみのカロリー表示で、表の隅のほうにライスは標準345カロリーとあるではないか
  すると全体では800を越えて900近いはず!
 私の許容範囲は1日合計2000だから、昼だけで900が良いわけが無い
  そんなことで揚げ物とか肉類がほとんど無いという理由だけで、魚中心のメニューの業者に変更・・・しかもライスは1,2割は残す。
  この選択は楽しくない、、、好きなものを好きなだけ食べるということとは正反対!
 チャングムの王様の食事を見ていると、「毎日そんなことで好いのか!?」と恨めしく見えてきます。
   お弁当の選択は食べ物の中味や、味付けとは全く関係がない
  海辺の町で育ったとはいえ特に魚が好きではないのに、、、毎日サバ・イワシ・サンマ、それに見たことも無い魚の煮たの焼いたの蒸したの
 食べず嫌いと言え、今まで避けてきた「サバの味噌煮」をこの年で生まれて初めて食べさせて戴いた・・・『美味しいとも不味いとも思わない、罰当たりな』
  なんだかカツオっぽい魚の煮物がなんだか生臭かったり

 さてさて食べ物を制限されるとなんだか生きている甲斐が無いような、生きている意味が半分は霞んで生きような気がする。
  それもカロリーという数字にコントロールされているみたいな口惜しさ
 そこで従来のメニューのお弁当で、量が3分の2くらいのものを探していたのですが、、、別の弁当で「ミニ」を発見
 これは大きなスーパーとかにある「ミニ弁当」みたいなものですね
  問題は栄養バランスだけなんですが一度試してみようかと
 ただ、この事務所で私一人だけなので、そういうことで配達させるという心苦しさがありそうなのが難点
  量の問題は「それしかない」という習慣が出来れば多分問題がないはず
   靴に合わせてはいていれば、いずれ足が靴に合って来るみたいに、毎日食べていれば胃のほうがそういうものだと思うでしょう
  
 さてお酒はもともと飲まないから良いのですが、ギャンブルがらみの遊び・競馬・麻雀・パチンコなどは意識してやめている、タバコは禁煙暦10年を越えた、そして強力な食事制限。
  将来、好きなものを何でも好きなだけ食べても良いということは起きないでしょう・・・子供も成人したし、夫婦で特に共通な話題も少ないし、これで囲碁を打てなくなったら全く孤独な老人が出来上がります。
 そういう意味では、ネット碁も好いけれど、リアルを増やさないといけないかもしれませんね

 ところで先日勤め先の忘年会がありました
  これが「キッチン○○」とか言うお店で、食べ物攻め?
 最近の忘年会は昔と違って飲む人、飲む量が違うからその辺のスタンスが・・・
  飲む人は好きなだけ飲めて、飲まない人はその分?食べ物が豊富
   結果として、カロリーが高そうな料理のオンパレード
  しかし、これだけ御馳走を前に並べられて、敵に後ろは見せられない?
  カロリーに攻められて、抵抗不能・・・まあ年に1度だからイイカ?

働けど働けど・・・

2007-12-23 16:27:13 | Weblog
 有名な詩人にケチをつける気は無いのですが、「石川さん、そんなに働き詰めだったのですか?」という感じが先に来てしまう。
 こういうことは本人の感じ方の問題だし、作者の実体験と作品が同じである必要は無いわけだから私の感想は言いがかりみたいなものですね。
 私も働く割には貧しい部類なのですが、似たような感じを持ったことが無い
  理由はいくつかあると思います
 一番大きな理由は私自身の感性が鈍いのでしょうがそれはさて置き、何がしかの収入のために自分の時間・体力を使って働いて・・・「まあこんなものか」と言う具合であまり深く考えない。
 「贅沢は出来ないけれど、好きな碁を打てるのだから、好いか」ですね
 「貧しい」とは言っても、それ程切羽詰まっているわけでもないというのもあるから、のんびりも出来るのでしょうけれど。
 知り合いから「マア好いか人間」と笑われています
 
 実生活では笑われようとかまわないのですが、これが囲碁の話ですと感じ方に途端に真剣みが出てきますから、まさに遊ぶために働いて居るという証拠です
「働けど働けど・・・」=「打っても打っても・・・強くなれない」
  外見上その通りなのですが
   基本的な部分で間違いがあります、つまり「打てば強くなれる」という保証は何処にも無い・・・それならザルは居ないはずですね。
 量ではなく質の問題なのはハッキリしている
  ある程度までは”量”が”質”をカバーしてくれる事はあるはずだから、1000局も打てば初段になれるなどと言うご託宣もあり、限定条件的に正しいでしょう
  しかし一般的にあるレベルより上か、あるいは個人的に条件が違うか、ともかく”質”が優先する領域があるようです。
 そこから先はただ打つだけなら「打っても打っても、ゴクロウサン」のズンドコ節の囲碁バージョン
   しかも「きよし」ではなくて「ドリフターズ」のイメージですから年令が知れます。
  
 そういうのって私自身もそうだし、身近にも典型的な例が
 私の囲碁を通しての古い友人、彼は愛すべき人柄の人で、同じ囲碁仲間の高段者にも有段者にも、級位仲間にも対局が多い・・・初級・中級レベルの時に彼に鍛えられて強くなった人は多い・・・が、彼本人は万年2級?のまま
 級位仲間ではキャリア充分で強豪として恐れられているのですが段の人には歯が立たない
  年間1000局をはるかに越える対局、それを何十年も続けているのに・・・
   それで同じポジションに居続けるとは、そちらの方がザル囲碁界の七不思議に入りそう
 年間1000局も打てばアマ初段になれるとよく聞きますが、キャリアとしては5,6万局になるはずなんだけれど・・・
  これが彼の楽しみ方であり、他人様の役にも立っているのだから、他人がどうの言うことは無いのですが、自分が少しでも強くなりたいと考える時、多少は反面教師的な教訓が含まれて居ます。
 
 これは、決して他人事では無い
  程度の差は有っても自分自身にも当てはまることでもある
 「働けど働けど・・・」と同時に「友達が皆偉く見える・・・」みたいなのもありましたよね。
  囲碁で言うと、ライバルだと思っていた人が、ある時気がつくとそうでは無さそうなことに気がつく
 この時のショックは決して小さくないですね
  特に趣味の世界であるからこそかも知れないのですが
 以前はお互い持ち点が上になったり下になったりで、「調子が良い方が上の点数」みたいなもので、点数の上下は調子のバロメーターみたいに気にならなかったのが、最近ではそうでは無いことに気がつく・・・
  以前はお馴染みの打ちやすい相手だったのが、手こずるようになり、寧ろ苦手になりかかる・・・
 これは、はっきり相手が進歩している!!
  羨ましいような、悔しいような、情け無いような
 私が「ただ打っている」に等しいのに彼は「打っていることが勉強になっている・実になっている」筈?・・・おそらくそうでしょう
  もしかして彼は未だ若いのか? (すぐ年のせいにして)
   実年令も、脳の年令?も (すぐ親のDNAを持ち出したくなる)
 ザルでもあり、この年での棋力アップは難しいけれど、「そういうことを目指す遊びでもある」という風に切り替えなくてはいけないですね。
  <人のことより自分のこと!>

 ところでネットは3連敗の所からの星は
  ●●●、○○、と来てまた●、その次が○何とか苦しいながらも一進一退
 最後の○の対局の話
  この方はよく考える人で、私も割合に時間を使う方ですが、私の場合はその時々によってムラがありますが、この人は違う。
 持ち時間45分を一杯一杯使って、秒読みになる・・・私の時にだけそうなのか、誰と打つときもそうなのかは分からないのですが
  この対局も中盤の途中で彼は秒読みになって、私の方は半分近く時間が残っていた。
 彼が考えている時間に私のほうも考えていた・・・彼の時間で考えていたみたいな感じ
  ともかくコウ含みの手が残っているし、大石のシノギも絡む難しい局面の連続ではあったので・・・彼の時間が切れてしまった
  相手の人はネット対局室から去りましたが、本当に「勝っていたのか」調べてみたかったので、終局時の盤面を「研究モード」に変えて寄せを打ってみました。
 (観戦者が二人居残っていましたが、こういう盤面は観戦者にも見えるのでしょうか・・・多分私のシュミレーションは見えないと思うのですが。それとも、彼らも独自にやっているのだろうか?・・・はたまた・実は眠っている?)
 ともかく、最善らしく寄せてみてコミを差し引き・・・私の1目半勝ち
  ということは、黒氏はこの差をどうしたものか考えていたのだろうか?
 時間が切れるほど何を考えていたのだろう? 
  
  

曲がり角の対局

2007-12-22 16:27:43 | Weblog
 タイトルは「曲がり角の対局」ですが、私の気分としては「切所の勝負」です。
 天下分け目の関が原とか天下国家が動くわけでは無いけれど・・・せいぜいが道に迷ったジイサマが右に行くのか左に行くのかの分かれ道なのですが。
 片方はともかく、もう片方は泥沼地獄で当分這いずりまわることになるから、負けられない対局ではあります。
  3連敗してから一つ勝って、もし次に負けるとまた3連敗した時点に引き戻されることになり、それはかなりの精神的なダメージ伴い新たな3連敗の始まりになる可能性が高い
  そうなると成績は1勝する間に6敗することになる・・・

 勝ち負けに拘らないほうではあるのですが、こういう状態では「碁の内容はい良いのに勝ち星がついてこない」など言ってられないし、事実内容も悪いことが多い
  いろんな人と打つのだから、こちらがいくら調子がよくても・普通に打てても、相手がそれを少しでも上回っていれば「相手が勝ったりこちらが負けたり」の勝ったり負けたりになるわけです。
  半目とか微差で連敗もありうる
 それが善戦して、結果としての負けなのかというと
  これが素人の哀しさ、どこかで敗着を打っている
   あるいは相手のミスショットになるはずの手を咎めていない
  更には勝負どころを知らない間に見過ごしている・・・
 だから素人の対局では両者がっぷりよつの力相撲で結果半目ではなくて、単なる結果半目。
 だからそういう敗戦が続いたからといって、単に運が悪いだけの話で、惜しい碁を落としているとは言い難いですね

 つまり敗戦が続くにはそれなりの理由があると思われる。
  基本的な力の差はもちろんですが、メンタル面も拍車を掛けるでしょう・・・その分かれ道が3連敗後の1勝の後の対局に来る様な気がする。
 だからこれは私にとっては大事な一局
  (相手にとっては単なる1局かも知れませんが)
 素人の道楽ですからこれに勝っても何かご褒美が出るわけでも無いのですが・・・
 一局一局の内容はそれぞれに夢中になって楽しませて戴いている・・・一局ごとの内容は別のものですが結果としての勝敗は関連があるような気がする
  なんと感じようといずれは打つ1局ですから、碁キチが打たないわけには行きません=「ドキドキ感」も含めて楽しませて戴いていると思うしかないですね。

 ところで以前に紹介したことがある本
「白番布石の徹底解明」 小林光一 200年 
  これを泥縄式にもう一度読みました・・・特に「対中国流」編
 大雑把に言うと「徹底解明」は少し誇大広告でしょうと恨み言を言わしていただきます。
 対中国流でたったの4局は寂しい・・・高中国流2に低中国流2
  相手の布石への対応で典型的な形を解説してくれているのですが、やはり総花的な気はする
  私のリクエストとしては相手の作戦・布石に対する対策を・・・例えば高い中国流+低い中国流のみで1冊
  解説が詳しければ嬉けれど、それでは価格に跳ね返りそうなので
 序盤から中盤の入り口くらい、50手くらいまでの棋譜集で相手の布石別に纏めた者・・・そして解説というより、その時考えたことなどのメモみたいな
 そういう棋譜集が欲しい

 少し脱線しましたが、小林先生の本に文句をつけながら読んだのに、実は実戦では役に立ったみたい・・・こんな即効性があっても良いものか
  分かれ道の対局で相手は黒3までの手では中国流含み
   そして白4小目に打つと、相手は気分的に中国流にはしにくい・・・これは以前から知ってはいたのですが・・・知っていたけれどやっていないのだから知っていたといえるのか問題ですが・・・
 ともかく相手は中国流を取らなかった
  ということは、相手の人も相当勉強をしているのかも知れないと感じたのですが、別のことが頭にひらめきました。
 おそらく間違いだと笑われるかも知れませんが・・・
 私が白番で、相手に中国流で悩まされていたのは実は白2が問題だったと気がついたのです
  オーバーに言うと(私に関しては)白2が敗着!
 どういうことかというと、黒1星の時白2を対隅の星に打っていた
  これは次ぎの黒3が小目に打たれればほぼ中国流は阻止出来ない・・・まあ白4で割り打ちもあるかもしれないけれど。
 白2対偶星が私なりに理由が無いでもない・・・それは「平行型」の布石の方が「タスキ型」より好きなので、白2が対偶ならばタスキはありえないという理由
  それが、黒3で中国流含みに小目に打たれる理由だったのです
   なんと単純なことに気がついていなかったのでしょうね、馬鹿みたいな話です・・・とにもかくにも小林先生の「白番布石・・・」のおかげで一応危機脱出
  また近いうちに危機に見舞われるはず・・・そのたびにもがく
   そういう勉強ですから泥縄ですね。 
 

公然の秘密?

2007-12-21 18:36:20 | Weblog
 私がたいして強くないことはネットで対局した人、たまたま観戦してしまった人にはよくお分かりだろうと思います。
 加えて、宵っ張りな割には、観戦中に熟睡してしまい終局後も一人対局室に居残りになることもしょっちゅうなので、ほぼボケ老人に近いと見破られていることでしょう
 それらは公然過ぎて秘密の部類には入らないでしょうね
  以前ここで、「中国流が苦手」書きましたが、訂正では無いのですが、実際に棋譜倉庫で直近の200局の内、私が白のとき黒氏が中国流で来た場合の勝率が以外にも5割りだとも書きました。
  ですからそれは、「大の苦手」=勝率も悪いのではなくて、「苦手意識が強い」という意味かなと自分を慰めていたようなものだったかも

 さてそういう情報?、あるいは自己弁護的カバーとは関係なく、「奴は中国流に弱い」というのが常識になっているのかも知れない・・・
 私が白番の時に相手が中国流で来ることが実に多い・・・と感じる
  それはイジケた被害者意識に違いないのだが
  情報云々は自意識過剰で、「あいつにはこの作戦で充分」くらいか、「苦手意識過剰」から勝手に舞い踊ると思われているのか・・・
 ともかく私のほうも○○の一つ覚えみたいに2連星居士だから、白の2連星には中国流が勝率が良いというデータがあるのか?あるいはそれは私個人限定なのか?
 それとも中国流を得意の作戦とする人が多いということなのか?
  いや、ひねって考えれば、素人は中国流に弱い?から、黒番の勝率が良い?
   さてどうなんでしょう?
 
 それはさておき、ここのところ中国流に3連敗を喫して、名実ともに苦手なことを証明してしまいました。
 対局して5手目に相手が中国流を宣言した時点で、気分はブルー
  マア相手の人の責任ではなくて、専ら自分自身が情けないだけではあるが
 内心では「打ちにくくても、勝率は5割」と念仏のように唱えて自分を励ますのですが、結果は3回続けて成仏させられてしまったというわけです。
 どうにも「先が見えない感覚」です
  相手の大模様を消しにいくと逆襲を喰いそう出し、深く行くと、生かして戴いた時点で大勢が決まってしまいそう・・・「これならマアマア」が見えてこない
 さりとて「あなたはあなた、私は私」みたいに行くと盤面は黒の天下になりそうな強迫感がある
 私としては黒に模様を張らしても「黒さんの模様は大きくて立派だが、実利は白」=「花は黒、ダンゴは白」みたいなのが得意戦法のはずなんですが、今が変調なのか?あるいは本当に中国流に弱いのか
 大名屋敷に忍び込んだこそ泥が、それこそ袋の鼠になってしまうような・・・関係ないけれど来年は子年で年男・危うし鼠ジジイ。

 ともかく情け容赦もなく捻り潰され3連敗
  性懲りもなく4戦目・・・また中国流が来た
 ところがこれがそれまでの高中国流とは違う低中国流!
  黒5の位置が1路違うだけで、全く印象が違うと感じました。
 プロの分析ではどれほどの違いがあると見ているかは定かでは無いのですが、私素人としては少なくとも緊張感は感じなかった。
 「広く構えてはいるが迫力は感じない」というか「相手は勢力も地も二股狙い」みたいな感じ・・・そういう感じ方がどうなのかは知りませんが
 少なくとも黒さんに地を作らせれば勝てそうな・・・
  ともかく3連敗の後ようやく1勝です
 問題はこれからですから未だほっとするわけには行きませんね
  3連敗の後1勝といことは、5割ラインに近づく傾向があるとすれば、2連勝するか近いうちに2つ勝ち越さなくてはいけない
  しかし、ここからまた連敗が始まるのもよくある話ですから、次の1戦がターニングポイントかも知れません。

 次ぎの対局、また高中国流が来る可能性大だから、泥縄でも・付け焼刃でもいいから何か良い対策が必要ですね。

今年も越せるか?12月

2007-12-20 20:43:21 | Weblog
 私自身について言うと、どう言う巡り合わせか12月は危ない月です。
 昔みたいに支払いが盆暮れ払いでは無いから、資金繰りとか決済の問題ではありません。
 健康問題の節目がどうも12月にやって来くるみたいな危険

 私が子供の時代なら12月は大掃除とか正月の準備で子供だって駆り出されるから、いかに上手く難を逃れるか、尚且つ戴けるものは戴くかが問題の月でしたが・・・流石にこの年ではそうではありません
 第一大掃除なるものが、少なくとも我が家では消滅に近い
  町内会とかの催しでは、雑草を取りましょうとか側溝を綺麗にしましょう、あるいは防災器具のチェックなどあるにしても、家庭内の作業は昔に比べたらごく僅かです・・・仏壇とか神棚は無いし、物置みたいなものも無いし、障子ではなくドアの生活だし、生活空間も限られているのでしょうね。
 それに私の深謀遠慮の賜物でもあるのですよ
  「掃除が必要なら、暮れにまとめてやらずに普段から心がける」
  「窓のガラスの汚れ、排気口の周辺の油汚れ、風呂場のタイルの目地のカビなども・・・」
 これは、最近の強力な掃除機とあいまって、私が動員をされない布石です
   正月の準備・・・これも昔とは雲泥の違い
  オセチは作らないから、せいぜいがセット購入です。
 しかも、今年はそれも止めようかと言うことになっている。

 ということで「年を越せるかどうか」とはまさに・・・「閻魔様の名簿に載せられているかどうか」の問題です。
 私の巡り合わせかどうか、これまでに12月には危ないことが起こるので、何時頃からか12月を意識するようになりました。
 昔、突然胸が苦しくなったのが12月でした。
  駐車場で車を降りて、家までホンの僅かの距離なのに苦しくなって何度も何度も立ち止まって休んだ
  二階までの階段も途中で休まなくては上がれませんでした。
   その夜は、横になると苦しくなるので一晩中座って夜を明かした・・・翌日診察の結果わ心臓肥大
 2番目の個人的な事件は
   大晦日に家族が出払って、私一人が留守番で、台所でサービス?「トマトビーフシチュウ」を作っていた・・・寒い台所がいけなかったのか、突然体の平衡を保てずに倒れて・・・
 床に転がったまま「どうなっちゃうのかな」「ガスを消さないと危ないな」「一体自分に何が起きたのだろうか」なんて考えていた・・・そう意識はあったが体が動かなかった。
  何とか体が動くようになって、自分で救急車を呼べたので危機脱出・・・この日から約週間海辺リゾート(入院生活)になりました。
  これが血糖値の急上昇だった
 自転車に乗っていて、足をつこうとしたら、その足が何の支えにもならずに転倒した。
 転びながら右手でつかまろうとしたのに、その右手も私の意志を見事に裏切って、何の力も出せなかった・・・
  右手、右足に力が入らない、むくみが出る・・・何処か舌がもつれるような違和感
  直ぐにお世話になっている総合病院へ行くと、脳の中を輪切りにして観察
 先生の言葉が面白い(本当は面白がっていてはいけないのでしょうが)
 「血圧が高くて、血糖値が上がって、心臓に負担がかかって、脳梗塞を起こして>>>ちゃんと順番どおり来ていますね」
 「!!!それって脅迫」
 いや、真面目な顔をして言うだけにブラックジョークなら迫力がある。
  まあ、病名の割には「日帰り」で済みましたが、後遺症と言うか影響は今でも引きずって生活している。
 碁石を置くのを左手に変えたのはこの時以来です

 多分ピンチみたいなことが起きたはずです
 これらがみんな12月にやって来たのです
  だからサンタのお爺さんでは無いけれど、もしかしたら今年も「プレゼント」が届くかも知れないので、12月は嫌いな月です。
  先生方の正直な意見では「順番どおり」が守られたら次は・・・
 そうでなくても以前にお世話になった主治医からは「バイパス手術必至」のお墨付きを戴いている
  この頃話題になっている、先端医療の目ざましい進歩が間に合うか、それより早く「12月プレゼント」が届くか、自分の事出なければ籤にして売り出すところです。
  
  まあ、ビビッテばかりでは生きていけませんから、実際の生活は普段どおり
 ネットを覗いて観戦したり、碁を打ったり
  心配するほどには「なるようにしかならない」「ウィルビーウィルビー」「ケセラセラ」
 年が明けると本心から「あけましておめでとう」と挨拶をするのですが、自分に言っているようなものです。
 但し、このところの暑い夏も苦手で
  猛暑日のたびに
 「子供の頃の夏休み天気調べの気温は最高でも33度だった。それも東京での話、住んでいた田舎はせいぜい31度だった」
  だからこのところ毎年「今年の夏は越せるのだろうか?」
 「?それでは危なく無いのは春と秋だけ?」それも怪しいかも 
  

きょうは寒い

2007-12-19 14:57:14 | Weblog
 今朝は寒いですね
 朝起きた時から・・・いやズーッとベッドに潜り込んでいたから、目が醒めた時には寒かったと言うべきでしょう。
 きょうは出勤予定は無いので、布団から片手だけ出してネットに接続
  ついでに?・・・対局してしまった。
 結果は予想通り、相手が強かったのと、私が起き抜けの(布団からは抜けていませんが)1局だったためか、見事に敗戦・簡単に潰されてしまいました。
 相手の人にしたら、あまりに手ごたえが無さ過ぎて申し訳ないような碁でした。
 
 さて、寒い1日になりそうですから、そのままベッドに居られれば良いのですが、定期検診があるので出かけなくてはいけない・・・しかも時間が半端な
  10時の指定で予約なんですが、これが殺生な時間
 今日の予定は空腹時血糖などを調べるので、夕べからは食べ物禁止で、カロリーの無いお茶などで水分は補給してくださいね・状態
  そして検診が終わるまで食べられない
 だから故意にフライングして30分も前に窓口に行ったのですが・・・結局は予定の時間厳守
  一番初めに採血ですが、それが済んだ時点で「食事は未だでしょうから、何か口にされてもいいですよ」>>>『聞いて無いよ』
 知っていればカロリーメイトでもスティク状の食べ物でも持ってくるのに
  待合室で血圧を測るといつもよりかなり高目になっている
   自動測定器で、結果がレシートみたいなものに打ち出されるのですが。『やり直そうかな』と思っていると、看護婦さんが「今日は寒いので血管が収縮するためか、影響があるかも知れませんね」といいながらレシートを持って行ってしまいました。
  血糖値も、空腹時の割には高目・・・
 『血糖値は、寒さの影響は無いのだろうな?』

 まあそんなわけで、今日の結果は思わしくない>>>みんな寒さのせいにしてしまいたい。
 大の苦手のこんな寒い日に検診がめぐり合わせたことも
  早起きネット碁?で酷い負け方をしたのも・・・
 でも、普通なら2月の初めが一番寒い筈ですから、これからもっと寒くなる予定?
 それは困りますね・・・困っていても仕方ないのだけれど
  今年は暖かいのと寒いのが繰り返されるからなかなか体が冬バージョンにならないのでしょう。
 だから寒い日が来るたびに震えてしまいます。

 寒いので、昼は暖かな「静岡おでん」・・・本当はただの「おでん」なんです
  「静岡おでん」ならば食べる時に味噌ダレをかけた上に、青海苔と粉の鰹節を振り掛ける、尚且つ具の中に「イワシの黒ハンペン」がなくてはいけない
 そのどちらでも無いですから、これは単に静岡出身者が作ったおでんでしかない
  具といえば「大根」「こんにゃく」中心でローカロリーといえば体裁がいいですが、暖かいだけがとりえの貧しいおでん
  今日は検査が終わったら、食べ損なった「朝」と「昼」と一緒に食べたいくらいにおもっていたのですが、検査結果を聞いて全く意気が上がりません。
  今年は未だ忘年会は残っているし・・・
 先生からは早々と「新年の注意」はあるし

 午後からは、今日買ってきた「NHK囲碁講座」を読みながら、ネット観戦です
  見ていたら我慢できなくなって打ちたくなるだろうな
   打つのは悪くないのですが、今日は誰と打っても勝てそうもないような予感はある。 

火事と喧嘩は大きい方が

2007-12-18 18:05:01 | Weblog
 私も人並みに野次馬精神があるようですから「よそんちの喧嘩と火事は大きい方が面白い」くち・・・いや、誰かが血まみれで倒されて、尻馬に乗って興奮するような悪ではないんですが。
  最近は何処からライフルの弾が飛んでくるか分からない時代ですから、おちおち野次馬もやっていられないかも知れません。
  仕事中に表通りで急ブレーキの音の後に「ドーン」と来れば、それって感じで日頃のスローモーとは打って変わった俊敏さ。
 そういう野次馬でも、現実に怪我人などがいれば対応に役に立つと言うこともあるでしょうね・・・動機は不純でも
  去年は自転車で帰宅途上、歩道に倒れている人と側に立っている人がいた。
 これは見過ごしにはできません
  「どうしたのですか?」と尋ねると、急病人らしい
 携帯で救急車を呼んだり、救急車が来るまで側にいてあげることぐらいは出来ますから、まんざら「野次馬無用」では無いでしょうね。

 子供の頃、初めて直ぐ側で火事を見た時のことです
  我が家から10mくらいの道とその向こうの7,8mの道路を隔てたところに立っている、石油会社の寮が全焼したことがあります。
 1間くらいのスレートの塀の向こうの敷地に立つ、木造2階建て
  近所で遊んでいたら兄が迎えに来て、兄に背負われて生まれて初めて火事を見た。
 火事の熱での顔の火照り、興奮か恐怖か震えが来て・・・
  母に言われて兄が迎えに似たのは、家族の点呼みたいなものだったようです
この時の母の命令による教訓
① 家族の点呼というか、確認
② 家族全員に水を飲ませ(要するに落ち着かせ)
③ 何かあったら即対応できるように見守る
 まあ当たり前過ぎますが、「何かあったらそういうことに注意しなくては」とは思った・・・マア兄の背中ではありましたが
  当時の安物ガラスのせいでしょうか、火事の現場に向いている窓ガラスは熱で変形してしまいまして、後日火元の会社で取り替えてくれたほど火元に近かった。
  
 火事を見ながら「火事は初めと終わりで風向きが変わる」と言っている人がいましたが、正しいか間違いかは分かりませんが、火事で風向きに注意と言うことはインプットされました。
 火事の勢いのあるときは、少々の放水など物ともしない燃え方をする・・・そういう脅威を間近でみた経験・・・幸い二度目の体験は未だ来ていない

  さて火事は怖いけれど、我が身が危険の外ならば江戸っ子でなくても「火事と喧嘩」は・・・
 実際にはここ2,30年近所では火事は無いし、繁華街ではないから喧嘩などまづ起きない。
 結構な事ではありまして、代わりといってはなんですが、ネットで他人様の対局での「火事と喧嘩」をみるのが大好き
 それこそ「よそんちの火事と、ひとの喧嘩は大きい方が面白い」
  一緒になって・・・いや当事者では無いからネットのこっち側で勝手に成り行きを見ているだけですが。
  争点のハッキリしているという意味では、見物人も分かりやすい
 地味な寄せ合い見たいな碁も嫌いでは無いのですが、これは「喧嘩碁」よりも見ている方も細かな神経が必要でしょうね。
 ともかくボケかかった頭の野次馬ですから「火事と喧嘩とお祭りで・・・」地方出身ですが碁だけ江戸っ子? 
 

勘違い話・続々

2007-12-17 17:47:54 | Weblog
 先日私は運のみで合格した話をしました。
  今から振り返って見ると、こういう運が果たして幸運だったと言えるのか非常に微妙な感じがする。
 もしかしたら不運の始まりみたいなものだったのかも知れないのだが、これは家の中では広言できません・・・地方出身者同士が出会って・・・
 ともあれ、人の親になって、娘や息子が受験生だった頃に自分の若い頃を思い出さずにはいられなかったので「しっかり勉強しろ」とは言えなかったですね。
  例え自分の子供に親の立場でものを言うにしても、自分の若い頃を考えたら恥ずかしくて説教など出来ない。
 せいぜい「しっかり勝負度胸とか運を磨いて、いざと言う時に発揮しろ」くらいだろうか・・・これでは子供たちをギャンブラーに育てるみたいですから、口には出せません。
 
普通に親馬鹿な親なら「十で神童、十五で天才、二十過ぎればただの人」ともう少し子供をちやほやしても良さそうなものですが、(ふと思い出したのですが)私の父は私が子供の「将棋」「トランプ」「花札」「ルーレット」など買ってくれました・・・これって「勝負に強くなれ」という事だったのかも・・・父自身はギャンブルは勿論、勝負事のゲームは一切しなかったのに相当怪しい
 私は自分の子供に「勉強頑張れ」とか受験の話は全くしなかった。
 「やりたいことや、親の援助が無ければ出来ないことについては相談すること」マアその程度の話です。
 しかも「援助が出来ること、出来ないことはあるけれどネ」と断りを入れている
  全く頼れない親です。

 私が自分母親によく言われていた決まり文句
 「お前はやれば出来る子なんだから・・・」母親は甘いですね。
 これが正当な評価のはずが無い、それは単なる励ましなのか>>叱咤激励にならない甘チャン編でしょう。
 「やれば出来る」>>>この言葉そのものは正しいでしょう
 しかし裏面からいえば「やらないから出来ない」となるわけで、「やる」即ち努力出来ることも能力のうちであり才能なんだと言うことを軽視あるいは無視している。
 私の場合自分ではこの能力が人様より劣っているとは認めたくないのですが、その前にもう一つフィルターみたいなものがあってそれが問題。
 「人並みにやろうとする」という姿勢、あるいは「人並みでいたい」と言う意識が著しく希薄・欠如しているらしい。
 「自分がやりたいことは人並み以上にやるが、興味が無いものには気持ちが向かない」=「人並みに出来ないことがあっても一向に気にならない」となるから、「やる気になる」ものと「全くやる気にならない」ものがハッキリしている。
   (この点血液型の類型の典型的なB型らしい・・・私の性格をBのプトタイプに決めたかのように)
 「やれば出来る」と言う言葉は正しくても「やる気にならない」ことについては「やれば出来る」は起こり得ない。
  テストの出来が悪い時、通信簿が思わしくない時、母親から「やれば出来るのに」と叱られながら心の中では『だって、やる気にならないもの』と呟いていたものです。

 さて囲碁にも似たような話があるのでは無いだろうか
  (勿論私くらいのザルレベルの話)
 私がよく対局するリアルでの話です。
  例えば相手にいくつか置かせた場合でも、私は自分では”考えるところ”ではは考える・・・と思っている
  これは当たり前の話ですよね
 白の立場で言うと、置かせ碁は互い先の碁より条件が悪い分だけ難しい筈
  「いづれどこかで相手は間違える筈だから、適当に打っておけばいい」みたいに相手のミスを織り込んだような手は打てないはず
  少なくとも局面での折衝で、相手のミスを期待した戦いは出来ない
  相手が間違わなければ潰される危険性が高いわけで・・・
   マア、白としては序盤からの無理な戦いは避けて、「構想」で戦うみたいな気分でしょうか
  それでも局面の戦いで相手に隙が見えれば、そこを突くのが良いのか、あるいはその弱点をもう少し拡大する方向に導き、チャンスを大きくした方がベターか・・・などなど考える。
  
 だから、白を持った方だって結構時間を使う。
  黒さんも白が考えている間に一緒に考えている筈なんだけれど・・・普通はどうなんだろう?
  白が打ってから考える?・・・そんなことは無いと思うのだけど
 ともあれ、非公式であり単なるお楽しみ碁ですから時計など使っていない
  従って対局時間=考える消費時間の割合は、白>黒となり、対戦成績もまあ白>黒となる。
  だから「上手にあんなに考えられてはかなわない」=「上手が考えるのはズル」みたいなことを言われてしまう。
 置かせて、ろくに考えずに打てるのなら相当に強いか、置石が少ないかだと思うのです・・・
  心の中では『あなたも考えて打てば好いでしょう』なんだけれど、これは喧嘩の売り買いみたいな台詞だから言えないです
  
 マアそういうやり取りもアマのザルならではでしょうが、多少の勘違いと錯覚を含んでいるようです。
  例えば、プロに指導を受ける時、アマは充分に時間がありプロは早碁並の時間で打つ・・・5面くらいの多面打ちの時間的条件はそうでしょう
  この時アマは時間的優位性を遺憾なく発揮できるだろうか?
 アマが考えて考えて打った手に、プロは盤を見た瞬間に打ち返し、再び考え込まざるを得なくなる・・・
 あるいは考えて打った手が必ずしも最善とは限らない
  つまり考えれば良い手が打てるとは言えない(勿論考えても考えなくても同じだとは思いませんが)
 要するに時間をかけることが最善・最強手を選択するために影響はあるけれど絶対条件ではない。
 
 それでは「考えて打たなくてはいけない」と思うことが勘違いを含む??
 少なくともアマに関して言えば単にプレースタイルかも知れません
 考えて打つスタイル、あまり時間をかけないで打つスタイル
  ただ、碁会所やコミュニティなどリアルで観察していると、置き碁では白を持っている方が時間を使っているように見える。
  (だから私も普通ですよね)
 多少失礼な表現になるけれど、「時間をかけないと置かせる碁は難しい」と同時に、「時間をかけて(考えて)打たないと、置かせる立場の碁は打てない」になるような気がします。
 持って回ったような言い方なのでストレートに言うと「たまには黒さんもちゃんと考えて打たないと、いつまで経っても上達しませんよ」になる?・・・これを言ったら喧嘩になって「考えて打ってもその程度でしょうか?」と切り替えされるから「碁は難しいですね」とごまかすでしょう
 そして、「考えても考えなくても五十歩百歩かも」と落ち込んでしまいそう。