なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

年度末

2011-03-31 18:16:25 | Weblog
 毎年の始まりは1月1日ですが、年度で考えると4月1日から始まる・・・
  行政・学校など、それに会社などでは概ね4月1日ー3月31日で動いているところが多い。
 但し会社の場合は決算日が会社で独自に決めてあるから、仕事と決算を使い分けているのでしょう。
 マア、そういうわけで今日3月31日は職場の大晦日・年度末。
  仕事で使っている帳簿の全てはこの日で切り替わる・・・だから新しい帳簿・ファイルを用意しなくてはいけないし、古い物をキチンと保存としなくてはいけないし・・・保存期限の切れたものを情報漏れ事故の内容に処分あるいは処分の準備をしなくてはいけないから、予め準備はしてあるもののやはり本番は大忙し。
 しかも今までのメンバーが半分入れ替わる。
  課長が停年退職し、主任的職員が転勤、幸い次の課長はベテランですが転勤の職員の代わりに来る職員には期待する物の新採用だから即戦力では無い。
 と言う事で年度末は大忙しですが、4月1日からは別の忙しさが始まる。

 マアそういう事で忙しい4月が始まります。
  のんびり屋の私にしてもこの時期はいささか気が重いのですが、そこはソレ切り替えの素早さで切り抜けられるでしょう。
 つまり仕事時間は懸命に仕事をしますが、仕事時間が終わったら素早く気持ちを切り替える(残業はしない)。
 そして家でネットで囲碁を打つ、土日休日は思いっきり遊ぶ・・・考えたらいつもと同じです。
  マア悩み事と縁のない性格と言う事でしょう・・・自分では他人様が考えるよりは神経質だと思っていますが、誰も信じないでしょう。

私ってこういう顔なんだ・・・

2011-03-30 21:58:32 | Weblog
 今日は散々な水曜日でした。
  息子は新しい生活を始めるために出かけておりまして、女房殿は引越しの手伝いに出かけるためドフリーの休日。
 簡単な朝食を摂り、7時半にはいつもの公園へ出発(一日中公園ライフを満喫するハズでした)。
 マズ手始めに大きな芝生広場に行きました。
  ここは先週末にマヒワの写真を撮ったところです。
 2,30羽の群れと50羽くらいの群れが芝生の上に居たり、松の木に入ったりしているところ、、、近くに地震の被害を受けなかった池があるので水飲み・水浴び場があるのです。
  前回は芝生の上に居るところばかりだったので、今回は木の枝に止まっているところを撮りたいと思っていましたが、ところが、マヒワの群れが居ない!。
 芝生の上にはムクドリの小さな群れのみ!
  確かマヒワは渡り鳥か漂鳥なので、春にはどこかへ去って行くのだから、今日みたいに春らしい陽気では、もしかしたら旅立ったのかも、、、未だ分かりませんが。

 それでもあきらめきれず別の場所で探す。
  一羽だけ発見!、、、どうやら雌鳥のようですがはっきりしないので、取り敢えず写真に収めパソコンで確認する事にする・・・つまり、一羽だけなので警戒心が強くて近くに寄って写真を撮れないのです。(これはマヒワだと思いますが、距離があり過ぎてトリミングしても。。。)

 さて、周囲には林や藪があってウグイスが啼いている。
  余り上手では無いが近くに2羽はいる・・・ウグイスは藪から出てこないので写真には撮りにくい。

 さて林の方のルリは、、、これが待てども待てども現れない!。
  いつもなら行けばすぐに現れて木の上で鳴きながら待っているのに。
   待ちきれないと、私の頭上のえだめまで来て催促するのに、今日は現れない。
 午前中2時間待っても空振り。
  午後も2時半過ぎまで粘ってもアウト。
 確かにこの鳥も春から夏は涼しいところに移動して繁殖し、秋も深まらないと戻ってこないので、そろそろ移動時期ではある。
 去年は4月10日くらいまでいたそうなんですが、、、今年は昨年に比べサクラの開花も遅いので未だ移動しないと思っていたのに、、、。
  マア今週末にも現れなければ旅立ったということでしょう。

 林のルリスポットでは写真仲間がミーティング。
  カワセミもルリも居なくなるので、これから公園で顔を合わせる機会が減るので、お互いに連絡を取り合えるように電話を教え合いました。
 今年の秋に出会ってからの仲間、、、鳥の取り持つ縁です。
皆さん私から見れば写真・鳥の師匠であり先輩ですから貴重な縁。
 ところで私のカメラの調子を見ていて、AさんがY師匠と私の顔を写真にとってくれました。
  マア、私のカメラですので気に入らなければデータを消去すれば済むのですが、、、家でパソコンで見て見ると改めて自分の顔ってこういう風なんだと分かりました。
 毎日洗面所の鏡では会っているし、髭を剃る時にも見慣れてはいるけれど、『カメラで撮るとこういう風なんだ』と、、、恥ずかしいようなガッカリするような。
 マア自分で自分の顔を撮ることは無いでしょうから悩む事も悲観する事も無いでしょうが。

安全性の話

2011-03-29 23:44:54 | Weblog
 対局中、競り合っている場面では良い手か悪い手なのかは、、、比較的読みやすい。
  マア、読み間違いをする事も珍しくは無いけれど、それでも自分なりには先の見通しを持って何かを決断しているわけです。
 従って最強の手が交わされるような盤面では、お互い危なそうな形であっても行きつく先のイメージはあると言える。
 と言う事はこういう場面では安全とか危険とかの問題は少ないように思えます。
  ところが序盤などのように、目先の利益とか善悪だけでなく全体の方針と言うかバランスで考える時は相当難しい。
 良く上手に教わる時に部分的な折衝に追われているうちに、結局ポイントは全て白に押さえられてしまうような事が良くある。
  さりとて、白さんの意向を無視すると一気にしかけられたりして形勢を損じたりする。
 これは一種の矛盾でですネ。
  白に対して従順では話にならないし、逆に反抗的過ぎると潰される。
 では、どうすれば良いか?、どうすれば上手の壁を乗り越えられるのか?、、、正解は分かりませんが、私の場合はK畑師匠に、潰されても潰されてもぶつかって行く事でした。
 マア未だ乗り越えたとは言えないでしょうが、横に並んだとは言えないまでも半歩後ろくらいにはついて来ているつもり。
 手を伸ばせば背中に触れられるくらいのイメージです。

 さて、もう一つ。
 序盤で善悪がはっきりしない時、「確率の高い」手を選ぶという方法も有るかも・・・。
  マア、いろんな手筋を理解しているわけではないのではっきりしたことは分からないが、ザルなりにたくさん打って来ているので、イメージとして確率の高い低いの感じはある。
 どういう確率かと言うと、即戦いで決着がつく(私がやられる)か、優劣を先延ばしにして息長くチャンスを狙うかです。
 自分としては同じ棋力の仲間の中ではヨセを得意としていると自負?している(勘違いでしょうが)ので、ある程度優劣不明で勝負が長引く方が有利だと思っている。

 と、ここまでは戦いに敗れてもいつものヘボ碁の話なので命はおろかかすり傷も負いません。
  今、日本はおろか世界の大問題の原発について、、、専門的な事なので報道に注目しているしか無いのですが、原発の事故に絡んで「安全性」と言う言葉に引っかかっています。
 私の学生時代は社会のいろんな問題に学生が関心を持ち行動・発言した時代だっと思う。
  そのやり方については様々な批判も有ろうかと思うけれど、マアともかく問題意識は高かったでしょう。
 私は公害とか自然保護、新空港問題関連などに関心を持っていました。
  やはり新空港の地元の県ですから、、、空港だけでなくその関連設備の燃料パイプラインなどについて関心がありました。
 当時そういうプロジェクトを進める側の論理は「安全性」と言うキィワードでしたが、これはおそらく原発建設などでも地元を説得する手法でしょう。
 「考えられる自然災害を遥かに超える安全性がある」
 「二重三重に危険から守る装置があるので事故は考えられない」とし、一方で協力する地元にはいろんな援助を供与すると言う、いわば飴と鞭。
 、そうしなければいけなかったのかもしれませんが、、、問題は「安全性」というキィワード。
 安全と言うのは思うにオールオアナッシングのようなもので含有率見たいに%で表わせるものではないでしょう。
 つまり90%の安全性と言う事は10%の危険と背中合わせと言うことですネ。
   それと「考えられる範囲の」と言う表現は初めから逃げ道を用意しているとも思える。
 マア、そういう事で「安全性」と言う表現を耳にするたびに『眉つば』を唱えて来ました。

 そうは言っても目の前の危機を回避出来なければどうしようもないですネ。
  
 今回の危機を乗り越えられても、今のレベルの文明生活を維持して行くのなら、これからも安全も危険も一緒の旅と言う事でしょう、、、。
 
 

これは地震の余波ではないが

2011-03-28 23:44:39 | Weblog
 今は3月末、、、ただでさえこの時期は忙しいし、停年退職、人事異動も有るので気持ちが落ち着かない。
 今年はこれに大地震が加わって、直接の被害は軽微とはいえ通勤や計画停電に食料品、日常物資問題で自分の生活もせわしない。
 私に関して言うと、、、地震の二日後にはいつもの公園で野鳥観察を始めたのだから浮世離れしていると見られているかもしれません。
 でも仕事は公園とか道路・川・建築などに関する出先機関なので損害箇所の復旧などでてんてこ舞い、、、当然職員だけでなく嘱託にも影響はある。

 私個人の仕事としては災害に関するものは無いけれど、、、やはり玉突き的に影響はある。
  業務に関しては丁度この4月からは全国共通の新しいシステムに切り替える予定だったのと、新年度用の新しい帳簿類の準備と、古い物の整理。
 それに課長が停年退職、主任的職員が転勤、、、代わりに来る課長は未定なのは良いにしても、新職員は新採用の人だと言う噂。
 と言う事は当分戦力にはなりにくい、、、これは嘱託の私にも影響はありそう。

 ところで例年なら全体の3分の1程度の変化が普通。
  職員の転勤が概ね3年ごとなのでそうなる。
 ところが今年は大幅な変化があって、半分以上が転勤か停年退職、、、所長はじめ次長に課長全て変わるのだそうですから、スムースに引き継ぎ出来るだろうかヤヤ不安。
 団塊の世代が退職する時期ではあるけれど激しい入れ替わり。
  心配ではあるけれど「それでも地球は回っている」?と言うか「それでも・朝になれば日が昇る」と思うしかないでしょうネ。
 

可愛い子には旅を

2011-03-27 22:07:06 | Weblog
 息子の話ですが、これが親から見てどうも世間の物差しでは測りにくい感じがする。
  いくら親ばかでもスケールが違う大物だとは決して思っているわけでは無くて、単にスローモーションの人生を送っているように見えるのです。
 高校を卒業して、即大学進学を目指さずに1年間アルバイト暮らしをした後に語学専門学校に通いそこを卒業した後に、1年間の語学留学。
 帰国後に外国にある邦人会社に就職が決まる寸前で「鳥インフルエンザ」の余波で就職できずに、外国人に日本語を教える教師になる学校に通い、この春から関西の語学大学の専門課程に編入。
 彼の中学時代の同級生たちは皆働いている・・・のに、奴は未だこれから大学に行く・・・。
  しかも卒業してどうなるかは全く見通しが無い。
 マア、やりたいようにやっているのは、何分の一かは親の責任と言うか、資金的な援助があるからなんですが、我が家は決して裕福とは縁が無いのです。
 
 どうも家は私も女房殿も4年で大学を出なかったし、娘も、、、そんな中で息子は超スローモー。
  未だ世間様に出るどころかスタートラインにも立っていない。
 本人がどうなるかは本人の責任だし、親の出番は無い。
  『マア、好きにやれ』としか言いようが無い、、、親が最後まで見届けられる筈が無い。

 ところで、前回外国に住んだ時は文字通り他人様の家で生活をスタート。
  仕事ではないが一応人様の家のカマメシを食ったわけだし、どんな問題が起きても自分で何らかの対応はした筈。
   息子を丁稚奉公に出して鍛えて貰うのとはだいぶ違うけれど、それでも親ばか的に言えば「旅に出した」と言える。
 今回は国内出し日本語が通じる場所だから前回程は心配していないけれど、反対に帰ろうとば何時でも帰れると言うところが『アマ過ぎないだろうか』などと内心心配したりする。
 つまり、私自身親として未だ鍛えられていないようです。
 「可愛い子には旅を・・・」と鍛えて、、、実は親も。

 前回は鳥インフルエンザとかリーマンショックなどの影響があって少なからず就職とか進路に影響があったと思われますが、今回は大地震発生。
 直接の被害は少なかったものの、社会的な影響としてはある筈ですから、彼、彼らの年代も結構大変のようです。
  それにしてもスローモー、、、未だスタートラインに着く準備に入るところ。
 やはり私のDNAを継いでいるに違いない。
 

珍しく昼に帰る

2011-03-26 17:20:23 | Weblog
 土曜日の午後はTVでJリーグのチャリティー試合中継とかネット碁の観戦、、、こういう日は珍しい。
  少なくとも晴れた土曜日では姪の結婚式に日を除けば今年初めてでしょう。
 家庭サービスではありません、、、子供は大きくなり私のサービスを必要としないし、そういう事を好い事に自分の好きな事に夢中なので、休みの日に晴れていれば家には居られないのです。
 雨の日以外の休日で病院の検診などの用事が無ければ、日中は公園、夜はTVを見るかネット囲碁ですネ、、、この半年はそういう事の繰り返し。
 
 尤もコノ4月から少し異変。
 マズは公園、近所の公園に行く頻度が減る。
  と言うのは、大地震で池が液状化した泥に埋まってしまい、池が泥地になったのでカワセミが来なくなりましたから、他でカワセミに会える所へ行く事になる。
  これが池の泥を撤去し修理が終わり、その後小魚が棲みついて更にカワセミが飛来するようになるまで続く筈ですから、何時になるのか見当がつきません。
 更にルリビタキの方は、間もなく涼しい山の方に帰る季節。
  そうなればまた11月くらいまでは会えない。
 マア冬の渡り鳥、漂鳥は帰る季節。
   従ってこれからは少なくとも秋が深まるまではこの公園の林などに住みついた鳥を見て歩くか、他の公園に行くしかない。
 車で2,30分の所にある公園でカワセミなどが棲んでいるところがあるので、たまには行くとしても今の公園・チャリで10分に比べると不便になります。
  そういう事もアリ、これを機会にいつも見られる鳥・近所の公園に住んでいる鳥の写真に力を入れようかなと考えています。

 さて土曜の午後は晴れていたのに何故早く帰って来たのか・・・。
  公園の中の記念館の横の日本式庭園にある池・・・ここが地震で大きな被害が無くて池として残っているので小鳥たちの唯一の水飲み場・水浴び場になっているから、ここが狙い目。
  だった筈なのに、この強風に加え、記念館の入口付近の修理のため工事業者が来ていた、、、風はビュービュー、槌音がカチンカチン。
 これでは鳥が敬遠する。
  林の方も強風に木が大きく揺れている、、、こういう条件は最悪。
 晴れていてシャッタースピードは上げられそうですが、狙いの鳥が来ない事にはどうしようもない。
 少々の雨でも鳥は来るのに、、、(尤もカメラの方がダメですが)
  ともかく山に帰るであろうから、ここに居る時間が短くなっているのに会えませんでした。
 もしかしたら既に帰っている?
  ネットで明日の天気予報を調べると、日曜日は晴れで風は3メートルくらい、、、これなら明日再挑戦です。
 囲碁の方も観戦だけでなく久し振りに対局する予定。

見たいように見える!?

2011-03-25 19:30:46 | Weblog
 見たいように物が見えたら便利ですネ、、、でもそれに近い事は起こる。
  例えばマッチ売りの少女がマッチをするたびに家族の姿が浮かび上がって、一瞬ではあるが暖かい気分になるとか、反対の意味では怖い怖いと思っていると「幽霊の正体見たり枯れススキ」は裏返し。
 私の場合、先月近所の大型スーパーの庭のカワズザクラに集まるメジロの写真を撮りに行った時の事。
  目当てはメジロでしたが、実際にはヒヨドリとかスズメもやって来るし、足元の藪ではウグイスが啼いている。
 メジロはたくさんやって来るけれど、動きが早いのでカメラで追い掛けてピントを合わせるのが大変だし、せっかくシャッターを押せてもメジロの顔が花の影だったり、全体が日影に入っていて暗かったりするので、明るくて体全体が見えている形で撮れるかどうかは運見たいなところがある。
 何とか青空を背景に花もメジロの目にも焦点があっているのが数枚撮れました。

 ところで、メジロ以外に黒くて小さな鳥の写真が撮れまして、、、なにやら不思議な姿。
  ネットの野鳥図鑑で見てもはっきりしない。
 黒くて汚れたスズメのように見えるけれど、ミソサザイのようにも見えない事も無いように思う。
  これが期待混じりで迷路に入り込む入口のようです。
 ミソサザイかも→ミソサザイだと好いな→ミソサザイに違い無い、、、のようになる。
  多分これは骨董品などで偽物をつかまされて、大損害する構造かも。
 鳥の写真では大損害はしないから好いですが。
  野鳥に詳しい人に写真を見て貰うと、、、盛んに首を捻っていたけれど「スズメが濡れていて黒く写ったんでは無いのかな?」、、、『でも、その頃は晴天続きでしたが』。
 「もしミソサザイならもっと尾羽をピントさせるんだけど・・・」と言う事でチョン。

 しかし心のどこかに『でも、もしかしたら』と思っているのだから諦めが悪い。

 これって囲碁の対局でも、思い込みで「自分の都合の好いように見える」と似ている。
  どちらも都合の良いように見える・考える性格なんですネ。

避けたい対戦相手

2011-03-24 22:39:58 | Weblog
 私、将棋のルールには詳しくは無いけれど、物ごころつく頃に縁台将棋の野次馬をやっていて自然に憶えたままで不自由はしていない。
 つまり一手一手指す事、相手の王様を詰ませたら勝ちなどなど。
  「詰ませる」=動けない状態なんだそうですネ、、、これはずーっと後で知った表現。
 ともかく、勝負が続いてる限りは、何か駒を動かすか駒台のの上の駒を盤上に打つかしなければルール違反になる。
 そこのところは囲碁とは大いに違う。
  囲碁の場合は、対局者の判断で着手放棄の意思表示でパス出来て、場合によっては相手の着手後に新たな着手放棄を止めて着手を復活することが出来る。
 つまり一手一手着手かパスかを選択できる。
  とは言ってもこれを実際に行う事があるのは特別な場合です。
 終盤でもうダメも手入れ箇所も無い時に相手が終局宣言に応じない時、、、自分の地の中しか打つ場所が無いと言うばかばかしい時には、相手に付き合っていられないのでパス宣言。
 但し、相手が当方の地の中に打って来て、その時にパスをすれば大損害を被る時は着手復活となる、、、いずれにせよ滅多にない話。
  尤も無駄な時間を使わせて時計で勝とうとするような心得違いの人もいるかもしれないので要注意ではある。

 さて夜中にネット碁を覗いて観戦。
  対局中のリストを見ると、最近は対局することが少ないが好敵手のMさんが対局中なので早速覗いてみました。
 相手の方も何回か打った事がある人・・・
  この対局はMさんが白で定先くらいの手合い。
 局面は序盤、、、なんだけれど随分形勢が傾いているように見える。
  それも白が圧倒的に良いように、、、。
 両者十数手づつしか打っていな筈なんだけれど、取られた跡も内容なのにこれは不思議???。
  しばらくして「アッそうか」と気がつきました。
 この黒氏表現は悪いが「クセ」のある人だった。
  つまり序盤からパスをする、、、。
 マラソンでスタートの号砲の後5分ほどお茶をしてからスタートするようなもの。
  あるいは野球で5点くらいハンデをあげるとかサッカーで2,3点ハンデを出すようなもの。
 これは勝負としては考えられないような事なんだけれどコノ人は私にもやったことがある。
  勝負としては絶対にこちらが有利の筈なんだけれど、「序盤にこれだけ手抜きしてもお前には負けないぞ」と言われているようでとても嫌な気分。
 万が一負ける事でもあったなら、、、
  それにこういう人に勝っても満足度はホボ無い。
 勝つ事で収入があるのならともかく、打つことが楽しくてやっている碁で、楽しくない碁を打たなくてはいけないなんて話にならない。
 懸命に打った結果負けるのは仕方が無い、むしろ真剣に打って負かされる方が気持ちが良い。
  例えそれが自分のチョンボ交じりであってもそれがその時の実力と言う事で納得はする、、、それなのに「勝って当たり前」「どうだ負かせて見ろ」などと言う態度に感じられる相手には避けて通りたいですネ。
  それが序盤からパスするとか、初めから時間を無駄に使ったりして持ち時間を減らして来る人、、、極々稀に入る。

残り僅かな日々

2011-03-23 22:12:59 | Weblog
 今日は水曜日なので例によって公園へGO!、、、と行きたかったのですが今月の定期検診日。
  これが時間予約制なので、確実に検診を受けられる反面時間的な制約となる場合があるので、やはり物事は二面性がある。
 例えば晴れていれば公園で野鳥写真を撮りたい、、、この場合今までならカワセミならこの時期8時頃からは写真に撮れたから8時から10時過ぎくらいはカワセミの飛来する池で、その後林に移動してルリなどを待つ。
 この場合林の中の日のあたり具合からして11時くらいからが良くなりほぼ3時くらいまで楽しませて貰えます。
  従って検診などの用事は4時くらいなら丁度良い、、、のに。
 ところが予約時間は朝10時半、、、これですと診察が終わり帰宅してから公園に行くとして12時を回る事は間違いない。
  昼食としておにぎりなどを持参するとして、せっかくの休みの日に時間がもったいない?

 と言う事でマズはクリニックの方でフェイクと言うか強行突破!。
  朝10時前にクリニックに行き、受付で「今日、急用が出来たので早いですがお願いします」・・・それでも検査を終え、診察が済んで家につくと11時を回っていて、公園には11時半。
 何だかセコイ手を使った割には大したことは無かった。
  しかもインチキな手を使って生み出した30分を無駄にしてしまいました。
 今日みたいに曇りと日が出る事が繰り返される日は撮影が厄介なのです。
  元々林の中なので明るさを合わせるのが難しいのですが、「晴れ」「曇り」で設定をこまめに変えなくてはいけない。
   それと日差しの加減とシャッタースピードも調整が必要。
 こういうのって、なれた人には当たり前の事なんでしょうが、未だ経験1年未満の駆け出しにはなかなか大変。
  前半はセットミスで無駄撮り、、、マア、フィルムカメラで無いからSDカードのメモリー削除で済みますが、せっかくのシャッターチャンスを無駄にしてしまいました。

 ところで、池のカワセミは池そのものが地震の被害で埋まってしまったので飛来せず・・・今後の見込みが立たない。
  林の中のルリはもうそろそろ「山」に帰る季節、、、そう「漂鳥」なので冬から春までしかいない。
 ですからもう数週間しか会えない。
  次の冬(多分11月頃)再び帰って来る保証は無いけれど、帰って来る事を期待するしかない。
 
 さてさてこれらの青い鳥が居なくなったらどうしよう。
  鳥たちが好む水場・洗い場も少なくなっている・・・と言う事は残った池は貴重ですネ。
 

マダはもう、もうはマダ。

2011-03-22 18:11:35 | Weblog
 これって一般的に通用する言葉かどうかは知りませんが、私がまだ30才になる前の事で、同僚であり競馬のお師匠さんであったKさんから教わった言葉。 
 奥が深い言葉ではありません。
  要するに自分が信じる馬券、期待が出来る馬券を買えばいいのであって、その日の流れとか周囲の評判とかに流されない方が好い事が多いヨと言う意味でしょう。
 例えば10頭出走する馬の能力を正確に把握できるのなら相当高い確率で結果を予測できる筈。
  それでもほんのわずかな要因で結果が変わってしまうと言うのがギャンブルです。
 そういう結果が例えば○ー○と言う当たり馬券の結果になって、今日はやけに8枠が良いとか、3はダメだなとか言う流れになったとします。
 本来は数字が結果を操ることは無いし、単に数字に過ぎないのは分かっていても、そういう流れが一日続くのではないかと思ったりもする、、、そこが人間の弱いところでもあるカモ。
 あるいは反対に、数字は結局平均化する筈なので、そろそろ3が来るだろうなどと、あたかも数字が走っているかのような錯覚をしたり。

 そう言う流れの時に「まだまだ続くと思ったのがもう終わり、もう無いと思っていたのがマダ続く」と言う意味で、結局「惑わされる事無く自分の考え通りヤレ」と言う意味である。
 マア、そうすれば確率が良くなるわけでも有りませんが、自分の信じるものが外れた方が、変な流れに惑わされて外れた時より納得がいくでしょう。
 競馬などギャンブルは胴元に20%以上ピンハネされていますから、普通損をします。
  単発のレースで儲かったりはしても長い目で見れば必ず損をする筈、、、自分だけは違うと思っている人は余程お人よしか自信過剰だと思う、、、だから負けたと言うよりお楽しみ代金を払って遊ばせて戴いたと思えないならやらない方が良いですネ。
  見物料とかお賽銭みたいなもの。
 そういう事で納得のいく負け方が出来るかどうかが楽しく遊べるかどうかでしょう。

 そういう所は囲碁も多少似ている。
  勝負事ですから当然似ている部分はある。
 勿論囲碁でキャンブルはしませんが、勝ったり負けたりの中で勝ちの方は問題が少ないとして、問題はどういう負け方をするかと言う事でしょう。
 納得のいく負け方のようなものは、残念ながらまだ悟りを得ていない私には難しいですが、それでも「懸命に打って、ミスらしいミスをしなかったのに負かされた」時は、さっぱり味の負け方と言いましょうか、あまり悔しさが後を引かない。
 これが変な負け方が続くと、、、「そろそろ勝てるだろう」などと根拠のない心理で、一つの価値を欲しがったりする、、、。
 詰まり○連敗しても、今日の最後に1回勝ちたいナドト、、、全く根拠のない期待ですネ。
  マア点数制度ですから負ければ点数が下がって、相対的に勝ちやすくなる筈だと言う事を何かの錯覚で「そろそろ勝つ頃」にすり替えているのでしょう。
 私の感想では駄目な時はダメなので、そういう時は修業して出直さないといけない。

恵みの雨

2011-03-21 16:21:56 | Weblog
 日曜日は天気予報通り未明から雨が降っています。
  雨が降らなければ(オーバーに言って)世の中カラカラに乾燥してしまい、植物は枯れてしまいます。
 イヤ植物に撒く水が無くなるし、生活用水にも事欠くようになるから、定期的には雨は必要ではあることは考えれば分かるし、季節的にスギ花粉に敏感な人にもおそらく恵みの雨でしょう。
 地震被害が酷かった地方の中にとっては、きっと頭で分かっていても恨めしい雨でしょうネ・・・
  当地の地震被害は地面の液状化に関連するものが殆どで、私の所は道路の亀裂・敷地と道路の段差が残るものの停電やガスストップは発生せず助かりました。
 水道が断水して飲料・料理・トイレ・風呂・洗濯などに不自由しましたが、マンションのタンクの水と学校の水道・トイレ開放、スーパー銭湯、コインランドリーで急場を凌ぎまして、結局2~3日で一応復旧しました。
  被害の程度がコレなので、喉元過ぎれば・・・と言うか雨程度で文句を言っています。

 ところで、こういう時に食料品、主にレトルトとか米、粉類、パンそれにトイレットぺーパーなどを買い漁る人!、、、何を考えているのでしょうネ。
  せんべいやチョコレート、ポテトチップスなどなど、売り場の棚は殆ど空。
 その時必要なものだけにすれば良いのに、お金で手に入るのなら自分だけあるいは自分の家族だけはと思うのでしょう。
  辛い時はそのつらさも分けあうと言う考え方とか、そういう事に基づいた行動が取れない人が多いのに何やら失望を感じます。
 被災地の避難所では皆が助け合っているのに、、、遠く離れた当地では自分だけ良ければ行動。
  ガソリンだって毎日スタンドには数百メートルの給油待ちの列ができます。
 たまたまリビア情勢の影響とか東京湾沿いの製油所で火災があったりして品薄だったことは確かで最悪のタイミングでしたが、でも並んでいる車が皆が皆本当に今ガソリンを必要としている のでしょうか?。
 どうも疑問、、、それに給油待ちの時にアイドリング!
  周辺の大気汚染の原因だし、、待っているのにもガソリンを使うなんて何を考えているのだろう。

 さて液状化の影響で泥が地面に湧きだして来まして、泥は撤去したものの連日の晴天で泥が埃になって駐車場の車は真っ白。
  「雨が2,3回降れば流されて奇麗になるさ」と思っていたで、そういう意味では恵みの雨。
 但し道路から撤去してどけて置いた泥が雨で流されないようにしなくてはいけないので、これはヤヤ緊急事態ですから、何でも2面性がある。

 ところで私、未明からの窓の外の雨の音を聞いてカーテンをあけまして、、、「天気予報通り」だとがっかり。
  もし幸運にも予報が外れて、しかも日が出ていたりしたなら公園に行くつもりでした。
 金曜日に地震があり、翌々日の日曜日には公園でバードウォッチング、その後水曜日と、土曜日に出かけている、、、「家に居てもやることは無いし、場所ふさぎだからネ」と言う事で。
 公園としては地震後の整備などが終わっていないので公式には閉園中ですが公園と言う形状からして何処からでも入れるので、完全閉園は無理なので「公式閉園」であり事故は自己責任と言うことです。
 ところで土曜日にいつもの林の中の道の脇で鳥の写真を撮っていたところ、お揃いの青い帽子を被った15人くらいのグループが通り過ぎました。
 リーダーの人に「この先にトイレがありますか?」と質問されました。
  「この先にはトイレはありますが、断水・排水管の関係で使えるかどうかは分かりません」(これは公園の警備員差から聞いた受け売り)と返事、、、見れば高齢者(少なくとも私よりは平均10歳は高齢に見える)の団体。
  「これって、この時期に一体なんだ?」
 高齢者が元気でハイキングするのは結構な事だし、、、ここには林も有るし人工の砂浜を散歩も出来る。
  しかし、今!?。
   マア、自分も勝手に公園に入って鳥の写真を撮っているのだから、五十歩百歩もいいところですが。

 ともあれ月(祝)は雨で火曜日も雨の予報。
  雨の日は通勤は車にするところですが、ご時世ですから火曜日は自転車通勤の予定。
 放射能?、、、300キロ近くはなれた当地で怖がるなら、呼吸を止めて100%汚染していない食品の身を食べなくてはいけない、、、それは危ないものは無い方が良いに決まっているが、過剰に怖がるのもどうでしょう。

 仕事のある日が雨で、休みの日が晴れますように・・・それなら恵みの雨t言う事で。

 

要らぬお世話?

2011-03-20 04:02:24 | Weblog
 大地震以降リアルは勿論ネット碁も打っていません。
  当地は大きな被害があったところから遠いので、揺れは酷かったもの命にかかわるような被害はありませんでした。
 勿論揺れているその時に足場の悪いところに居たり、高いところから物が落ちて来るようなところは別です。
 地震当時は事務所で仕事中・・・マア建物の横がJR京葉線の高架なのでその揺れには肝を冷やしましたが。
 そう言えば効果線を支える支柱の周りに鋼鉄のシールが巻いてあるのは、阪神淡路大震災を教訓とした補強工事だった筈ですネ。
 毎日見ていると忘れてしまいますが、もしこれが無かったならどうなっていたでしょうネ?
  大丈夫だったのか、どこかに損傷が出たか?、、、落ち着いたら検証して欲しいです。

 さて地震以来碁を打っていない。
  未曾有うの非常事態に囲碁など不謹慎だなどと言う意識は無いし、私の場合は地震二日後には公園に野鳥写真を撮りに行っている。
 意識としては、皆が深刻な事態に陥っている時に一緒に落ち込むような性格では無い、、、「どうしようもない時は笑ってしまうしかない」と言うような感じですから、恐らく周囲からは良くて「鈍感」悪ければ「不謹慎」だと思われている筈です。
 そんな私が、ザルキチの私が打っていない。
  ネット碁なら囲碁を楽しんでいるかどうか分かる筈は無いのに、、、(分かったからと言ってどうという事も無いが)。

 ネット碁に入場はしている、、、毎日入場して観戦はしているが実戦は無い。
   もしかしたら自分の中で「打ちたい」気持ちが「打つ」というところまで行っていないだけなのかもしれない。
 ともかく観戦はしている。

 観戦と言えば、、、。
  自分の中に野次馬的なところを感じてしまい、思わずクスッと笑ってしまいます。
 と言うのは、例えば上手同士の対局なら進行を見るのに「そういう風に打つものなのか」と見せて頂くのが、下手同士の碁だといろいろ批判めいた事を考えながら見てしまう。
 自分の棋力を考えれば「50歩100歩」なのにと思いながら、、、。

 マア、ネット碁ですから観戦しながら何を言おうと対局者に聞こえはしませんが、、、もしこれがリアルだったら小さな呟きでも、あるいは動作にも気を使わなくてはいけないでしょうネ。
 例えば、重大な手がある場面で両者がそこに気がつかずに進行している場合、、、。
  「じれったい」などと思いながら盤側で見ているのはダメですから、私の場合は他に用事が出来たふりをしてそこを離れる。
 でも、もしかしてそれだってわざとらしくて対局者に何かしらのヒントになる危険だってある。
  多分、そこに居てフリーズ状態で見るにが良いのかも知れません、、、が、でも何も考えずに観戦すると言うのは難しいし、感じた事が100%表に出ないと言うのも難しい。

 先ほど観戦した碁、、、私より下手の人が更に下手の人に3子置かせて打っている。
  途中からの観戦なので中盤に至る経過はよくわからないが、ヨセに入ってミスが目立ちました。
 中盤と違ってヨセの場合は計算と言うか、手順を考えて打つ事が出来そう、、、ある意味ではそういう事が出来るかどうかが上手と下手の差の一つでもあると言えるかも。
  ともあれ両者ヨセの順番が???。
 もしこれを実戦で見ていたら、、、
  マア細かなところでどういう転び方をしても勝敗に影響が出ないかもしれませんが、でも手順を尽くしていないと言うのも居心地が悪いものです。

 仮に、もし何か漏らしてしまったら?
  昔リアルでM田先生の口癖を思い出します:「教えてくれって頼んでも居ないのに、教えたがる奴がいる!」。
 確かに「楽しければ良い」のだから「要らぬお世話」ナ場合が。

お師匠さんは凄い!!

2011-03-19 17:44:07 | Weblog
 お師匠さんは凄い!!と敬服。
  囲碁のプロは勿論アマとは次元な違い分けで、ザルキチの尺度で凄いと思うのも失礼にあたるかも知れないと考えている・・・と言うのも私程度の棋力では本当のプロの凄さが分かっていないのかもしれないからです。
 感心して目を見張っているそのまた奥がある筈、囲碁であれ将棋であれ、スポーツにしても多分プロと言う人種はきっと別次元の何かがあると想像している。
 
 ところで今日も公園に行きまして・・・実は大地震以来公式には公園は閉園中。
  門の所には職員さんがいて関係車両が来た時だけ明けている。
   一応関係者以外は入園出来なくなっている、、、が、公園内の損傷部分を承知の上で、事故等が起きても自己責任と言う形で入園は黙認。
 園内ではランニングクラブの人達がウェアーに着替えて準備運動していたし、犬の散歩の人もウォーキングの人もいる・・・地震前に比べれば相当人数が減っていますが、マア中に入る人はいる。
 かく言う私も中で野鳥の写真を撮っている。
  地震の際に出来た道路の亀裂に躓いて転ぼうと、液状化現象で湧きだした泥で滑ったり、泥が乾いて埃になったものを吸い込もうと、はたまた入園中に新たな地震に遭おうと全て自己の責任である事を承知して中に入っています。

 カワセミは池が泥で埋まってしまったので、おそらく数年は絶望的。
  他の鳥は多分以前と変わっていないと思われる、、、但し数は分かりません。
 実は私、地震の二日後の日曜日、その次の水曜日、そして今日と地震後三回目。
  新しく購入したカメラを使ってます。
 取り扱い説明書を何度も読んで確かめたり、部屋の中でテストを繰り返しましたが、実際に外で使わなくては手に馴染んでこないので、ともかく使うことですネ。
 カメラ歴超初心者で、まだ1年になっていない。
  だから専門用語での会話にはついていけない分、実戦でなれて行かなくてはいけない。

 撮影中にY中さんが来てくれました。
  この方は「カメラをかいかえるならコレが好いよ」と教えてくれた人。
   カメラの値段はきりが無いが、私の低予算の割には欲張りな希望に合わせて機種を考えてくれました。
 それに全国紙の月刊賞を受賞するくらの腕前なのに私みたいな初心者にも丁寧に教えてくれる、、、まさにお師匠さん。
  今日は私の新カメラの具合を見てくれました。
 カメラっていろんあ細かな調整で全く違ってくるのですネ・・・自分では取り扱い説明書通りでカメラの持つ能力で撮影しているつもりが全く違っていた事が分かりました。
 お師匠さんのチューンナップ後の写真は同じカメラで写したものとは思えない画像でした。

 「何事にも先達はあらまほし・・・」
 これで明日からはもう少し良い写真が撮れるような気がします・・・ますます公園・野鳥・写真に嵌って行きます。

一番怖いもの

2011-03-18 18:14:35 | Weblog
 昔から怖いものの例えは「地震・雷・火事・オヤジ」だった。
  そのランクについてはそれぞれ異論はあるかも知れませんが、此の頃変動があるようです。
 マズ、「オヤジ」は最近では怖いもののリストからハズレそうですネ、、、いまどき怖いオヤジは一般的では無い。
 それは、今でも怖いオヤジはいるかもしれないが、あまり一般的では無い。
  最近の理想、特に子供とか家族から見た理想は普段は優しく、いざとなったら頼りになるオヤジでしょうから、そんなオヤジは無い物ねだりのような気がする。
  たいていは家族の中の居場所を安定させるために「甘さ過剰」のような気がするのだが、そんな事を感じるのは私のようなへそ曲がりオヤジだけなのかな?。
  私は昔から過剰な家族サービスはやらない・・・面倒くさいと思う心が優先で、マア未だに自分の事で精一杯なところがある。
  それにそういう態度を指摘されたり批判されても、面倒だから説明も反論もマズしない。
 そういうことなので、怖くが無いが優しくも無い
  マア確かに“いるっ”て言うだけんでしょう。

 怖いものの一番上が変わったと思う。
  地震は勿論怖いのですが、怖いものの上に「超怖いもの」が出来た。
 そう超一番は原発だろうな、地震も怖いけれどそこから逃れても、、、三国志的な表現で言えば「前門のオオカミ、後門のトラ」ですネ、オオカミが地震でトラが原発といったところ。
  それから、直接的な怖さではないが、結構怖いのが「人間心理」で、集団ヒステリーみたいな流れが出来たりするのが怖い。

 地震で日本列島が揺すられ、根こそぎ洗い流されて、、、人の心も揺すられて変になってるかもしれない。
 被災地の大変な状況は連日報道されている。
  そこの人達の方がアノ状況でも耐えている・・・マアそうせざるを得ないという面もあるが、それに比べ私の住むところは酷い。
  スーパーの棚からパンや牛乳やレトルト食品、コメや小麦粉などが消えている、、、入荷しても直ぐに売り切れる。
 そんなに消費する筈が無いのに、、、それとも被災地に自発的に送っている?
  こういうわけのわからない心理や、集団ヒステリーみたいなところが怖い。
 みんな「変だな」とは思っているだろうが、「取り敢えず買って置け」みたいな心理がどんどん増幅して行くようです。
 こういう所は怖いところでも有るし情けなくも有る。

 整理する?と、A列即怖いもの「原発」「地震」「雷」「火事」でB列として「集団心理」「わけのわからない奴」「女房殿」の順番になりそうで、オヤジは”怖いものリストから外れて「可哀そうなもの」リストに移行でしょうね。

国民性?

2011-03-17 19:33:27 | Weblog
 我が家の車は日曜日の外出時に燃料補給警告ランプがつきました。
  そこで通りがかりのガソリンスタンドに寄ろうとしたのですが、入り口で店員さんにストップされました。
 理由は「売り切れ」なんだそうで、、、非常に気分が悪かったのですが、店員に悪態を突いたり脅かしたり、あるいは懇願なんて嫌なので、「あっそう」という感じで立ち去りました。
 その後GS周辺は延々長蛇の列か、取り巻く順番待ちの車、車、車。
  こんなにこれ程多くの車が同時に燃料補給を必要とするわけが無いと思うのだが、、、もしそうなら、こういう混雑が日常的な筈ですが、そうではないと言う事は今回の地震が問題。
 千葉県の石油会社のガスタンク炎上が引き金なのか、それとも今後ガソリン供給に問題が出ると言う予測のもとに取り敢えず満タンにしようと言う事だろう。
 尤も現在はひとり10リットルとか20リットル程度しか入れられないらしい・・・
  私が疑問が思うのは、満タンにして車で何をするか?。
 マア家族の誰かが具合が悪くなって病院に行くのに使うとか、買い物の荷物を載せるとか、通勤の最寄り駅までの送り迎えとか・・・車があれば便利だけれど、無ければ生活が出来ない訳ではない。
  それとも何時でも遠くに逃げ出せるような備えなんだろうか、、、狭い日本、どこに逃げても大差ないと思わないのだろうか?。
 この時期にどうしても車を使わなければいけない?・・・皆が皆?。
  どうもこういうのも国民性?、、、それともこういう事は人間が社会生活をしていく上での集団心理?。
 
 我が家の近所は駅まで歩いていけるし、病院も買い物も近くで済ませることが出来る。
  徒歩でも行けるし自転車でも行ける。
 だからどうしても車が無ければ生活が出来ない地域ではない、、、燃料が絶対に必要かどうかは?。

 さてこういうのは、誰かが「並ぶ」とその気になる国民性だろうか?
  「災害対策物資」の家庭レベルでの備えがいい加減なのに、いざとなると泥縄式に買いに走るので一気に品不足になる。
  こういうのも被災地の救援活動に対して阻害要因になるように思うだけれど。
 水道断水のためにやむを得ずタンクを買いに走るのは仕方が無い面はあるが、「計画節電」と聞いただけで乾電池類・懐中電灯・ローソクが店の棚から消えるのだから、、、何だか変。
 そこまで必死になるのなら普段の備えが必要なのに。
  「無いものは仕方が無い』という諦めも悪い。
 私?、「ウィルビーウィルビー」か「ケセラセラ」で生きて来たし、これからも続くだろう。
  なんせモットーは「まっ、いいか」で生きている