なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

約束の「局面再現」

2007-08-31 18:19:45 | Weblog
 今日(8月31日)は防災訓練で”初動職員”の訓練デー
 いつもですと9月1日なんだけれど、今年はカレンダーの都合で一日繰り上がり
  マアしかし大きな声ではいえないけれどたいしたことはやらない。
  いや当たり前のことが出来ればいいのだからそれでヨシか
 たとえば大きな地震があったとして、指定されえている職員は自宅から最寄の事務所に出勤して次の体勢に入る・・・”出勤訓練”だがこれとて経験しておかなくてはいけないのでしょう。
 訓練のおかげで、いや、余波でいつものFさんとの昼休み碁はお流れ
 Kさんは忙しそうだし・・・なので、前日にFさんと打った碁のある場面再現

 彼は昨日の対局、安心していた隅に白からの様子見で変調をきたし、一隅全滅の事態になってしまった。
 それでも数えれば白のリードは10目だと思うから4子は怖い。
  但し”10目”はこの後互角に寄せ合っての話だから、伸びシロの反対の”縮みシロ”を考えたら15目くらいかも・・・
 隅の頓死は30目をくだらない大きさだから、一隅くらいをもし捨てられたなら白も喜んでいられないことが多いのが分かります。
 ともかく昨日は終局後Fさんは「何故死んだのか」首をひねっていた

 私が思うに、隅の黒はその時点で「死ぬ石ではないが、”損ナシ”で生きるのは無理=数子は捨てなくてはいけない」状況だったのです。
 そして黒から先に手を入れるとソックリ地になりそう・・・従って白は先に様子見を打って黒の出方をみて他に周り、先手でここに戻ろうという思惑
 ところが彼は「1目も損の無い」ような受けを考えていた
  つまり彼は「妥協」「凹み」は打ちたくなかったというより考えに無かったのでしょうね。
 だから最強の頑張り=「蛮勇」に走ってしまった。
  あ、しかしこういう評価は間違いかも知れない!?
 もし時間があれば次のように考えるところ
①、まず”頑張る手”を採用するとどうなるか・・・生きならば後手でも問題ないが、もし”死”ならば手抜きして全部捨てる手は地の大きさがどうなるか
②、一部を捨てて生きについた時の地のバランスと先手後手
 頑張っても生きが無いのならば捨てるか、一部捨てるしかない・・・
  それで、状況が思わしくないなら再度頑張る手を読んで実行して、ダメなら投了!
 どの道この辺りは時間をかけて読むところ
  ここを素通りしているようではいくら昼休み碁でも・・・
 手どころで読む>出入りの損得、その後の寄せ具合、こういう考慮時間も至福の時間だと思うのだけれど。
 考えて考えて敵の腹中に手を発見したり、鮮やかに敵中突破みたいな手とは違って地味ではあり手間もかかるけれど地力を問われているような醍醐味を感じるのだけれど・・・
 Fさんもこういう局面に敏感になって、興味を持って欲しいのです
  何かこう一本調子で接触戦を繰り返すところがありそう

 ともあれ彼は何故死んだのか首をひねるばかりだ
 「死ぬはずの石では無かったですよ」といっても半信半疑だから「それではその場面を図にしましょう」と約束した。
 ここで今日の昼休みのつながります
 まず簡単に4分の1程度の罫線を引きます
 ここにサインペンのお尻の○を使ってスタンプを押して行きます
 更に黒石のところを黒の色鉛筆で塗りつぶし
 問題の白の様子見の手の○の中に△印をつけてコピー
  問題図を作ってみて・・・何のことは無い「生きるだけなら超簡単!」
 死ぬ時ってそういうものなのかも知れない
  これでは「冷静に打てば良い」という格言しか残りそうも無い
   それだけでは不満
 
 石をひとつも捨てずに生きるのは無理だから
  どう打てば一番損が少ないのか?
  最低限の生きを確保して他に回る手はあるか?
  この後の寄せはどうなるか・・・
 そこまで考えるようになれば進歩間違いないのだけれど高望みだろうか
私はそれを「出来る出来ない」ではなくて、まず「やろうとする姿勢」が問題だと思うのですが、彼には「昼休み碁ではとても無理」と片付けられそう
 「終局を目標としない」
 「考えることを楽しむ」
 彼もそっちへシフチェンジしなくてはいけない時期が近いと思うのだが 

久しぶり、師匠

2007-08-30 21:54:01 | Weblog
 昔働いていた職場の仲間にお祝い事があって9時過ぎに帰って来ました。
 夕方から飲み会で、この時間に家に着くのだから何と便利なところに住んでいるのだろうと思うけれど・・・マア集合住宅だから当たり前かも・・・土地つきの家の人はまだ電車に揺られているだろうな。
 会の始まりには時間があったので、本屋を探したけれど見つからなかった
  いや見つけられなかったのです。 
 昔あった大型の本屋さんはビル改装で隣に移転していた・・・隣の入り口が分からなかった。
 その代わりといってはおかしいけれど、知り合いのいる碁会所に顔を出しました。
「よお久しぶり、一局打てるかな?」
  あのK畑師匠に声をかけられて嬉しかったな、本当に久しぶり7,8年対局していません。
 でも残念なことに時間が30分では無理なので事情を話して遠慮。
 その隣で御大がパソコンに向かっています。
  背中の壁には高尾さんの色紙が飾ってあります。
 そう、ここでお祝いをしている写真が雑誌に載りました。
  御大は県代表経験者で今でこそ若手の台頭に隠れているが、知る人ぞ知る打ち手です。
 その先生がなにやら熱心にパソコンを打っている
「先生サンサンではお見かけしなくなりましたね」
  「今日本棋院の方で打っているのだよ」
「あ、幽玄の間ですか?」
  「そうそう幽玄の間」
 
そう丁度御大はネット碁を打っているところでした。
 店番のおばちゃんにコインを渡して缶ビールを買って、パソコンの画面を見たままプルトップを開けて・・・
 なるほどこういう感じか、ネット碁を打つ人の生態?
  自分では打つけれど、誰かがネットで打っているのをみたのは初めてです。
 自分もネットに接続している時は割合遠慮せずに対局を覗くけれど、こういうシチュエイションでは覗きにくい。
 何だかおかしなものですね。

 さてK畑師匠とネット談義・・・いやたいした話ではないのだけれど
師匠曰く「ネットが流行する一方でリアル(碁会所)も今のところは続いているが、そのうち碁会所が立ち行かなく時が来る。日本棋院はそうなった時どうするのだろうか?。」「碁会所はつぶれるならつぶれろと思っているのかな?」「でも”囲碁”にとって碁会所という場は大切だと思うのだがな」
 この先生くらい碁会所を愛して献身的に努力をしている人も少ない。
  マア少しのん兵衛でやや助平なのが玉に瑕というかご愛嬌というか
   それに師匠ネットで大失敗をしたことがあるらしい・・・それでますますネット嫌い
 「当たりと来たから繋いだはずなのに違うところに打ってしまって・・・数秒後に全て打ちあげられて・・・ありゃどうしようもない、何とかならないかね」
 「そりゃあクリックミスですね。ネットによっては”待った”もあるけれど、でも現実には”諦めが肝心”自分のミスですからね」
  私はこういうところは当然ミスした方の罪を強調
 師匠は碁会所の行く末に影をさすネット碁に心配をしながら、クリックミスの恨み言・・・マアどちらも本音かも知れません。
 30分だけど久しぶりに楽しい時間でした。
   丁度Iさんが帰るところで挨拶も
  それにおいしいコーヒーをありがとうございました。
 これから飲み会・・・実はこの隣の23階建てのビルが会場だから15分前で丁度良い時間です。
 「近いうちにきっとまた来ます」
  さてK畑師匠との手合いはどうなっているだろうか、怖いような楽しみのような。 

慙愧の念!?

2007-08-29 15:19:07 | Weblog
 今日は平日の個人的休日・・・ホリデイではないのが残念だけれど。
 気がつくと、いや気がつかないほうがおかしいのだが、世の中というほどのことも無いけれど近隣の小中高はまだ夏休み中なんですね。
 道理で近くの学校が静かなはずです
  そして近くの大型のプール施設もまだまだお客さんがやって来るのですね
 駅のほうからやって来て、あるいはバスに乗って私の住んでいるところを通り過ぎて遊びに行く人とすれ違います。
 みな手に手にビニール製のバッグなど持っているから、あれはタオルと水着で間違いないでしょう。

 私も最近はプール付きの施設に行かなくなりました・・・7,8年になるか
 子供が小さなうちは一シーズンに3,4回は付き合わされた
  近所ですから招待券なども回ってくるからいかざるを得ない?
  夏は昼間はプールに、夕方はロッテマリンスタジアム・・・どちらも自転車で行けるところにあるのが不幸の始まり?
 マア野球は夕涼みみたいなもので、プールのほうは贅沢な遊び?
  実は私いくら夏でもプールサイドのカンカン照りは苦手だし嫌い。
 しかし子供を連れて行かなくてはいけない
  そこで朝一番で並んで入場して午前中の比較的涼しいうちだけ遊ぶ
 そしてお昼には家に帰ってお昼・・・だから正味3時間が限度。
  マア公営だからチケットが安いし、たまには招待券だから贅沢に使えます
さてさて子供は大きくなると親とは行かなくなるし、私も運動機能に欠陥が生じたのでプールと縁遠くなりました。
 
 今日は生活習慣病内科クリニックの検査日、この医院のあるビルの入り口辺りがそのプール施設行きのバスが出る始発停留所
 私の住んでいるところはプールの近く・何だか皮肉な感じ!?
 いや遊びに行く人たちが並んでいるのを見て少し僻んでいます。
 ところが、クリニックの方はと言えば、こちらも朝一番の予約の人たちで結構混んでいます。
 表と裏では世の中いろいろということです
 さて、クリニックの評判は良さそうなので嬉しいというか安心というか
  皆さん年齢も体型も親しみの持てる人が多いので・・・同病相哀れむ!?

 ともかく今日の検査でいろんな数値が世間並みにあと一息というところまで来ているようで一安心
先生から「だいぶ努力の跡が・・・」と褒められたのは嬉しいけれど
  『ちょっとまってくれ』
 心当たりの無いことを褒められてもね、、努力らしい努力は?何かしたかな?
  まあ薬が効いたのでしょう
  それに鰯油の肝油は効いてくれなくては困ります・・・そこそこ高い
 夕食後には何も食べない、間食をしない、コーヒーはストレート、それ以外はウーロン、お茶、杜仲茶などだけ
 それらも努力といえば努力の内かも知れないけれど、これは○○しないということで、どうも何かをしたという実感を伴わない。
 しかも体重は1ヶ月以上かかって1kgしか・・・
 そして時として空腹感に襲われる

 こういう感じで”苦しむ?”のは深夜起きているのが悪いかも
  早く寝てしまえば良いのに・・・分かっているけれどしかし、ネット碁、観戦があるからそうは行かない、ザルキチは寝ていられないのです。
 こういうことと引き換えに出来ることなど・・・
 さて今日ネットに入って対局待ちリストを見ると、先日お話した(想像で)かわいい女の子・・・いやこれはセクハラの内に入るか。
 ともかく女性と思われる人がいます。
  ネーミングでいうと若いでしょうね(またセクハラ?)
 ともかく対局申し込み
  1点差ですから相手の先コミ5目半出し
 前回はかなり大人しい感じだったけれど・・・今回はヤヤ違う
  力碁ではないのですが、”凹んだり損はしない”という態度が良く分かります
 これは大分反省というか並べなおしている感じがします。
  その人の点数を想像すると
 初めに登録して4つ負け越している時に前回私と対戦しています
 ですからその時点で5つの負け越し
 そして今日はその時から3つ星を戻してきています。
   全くの想像ですがかなり自分の対局を見直しているのでしょう
 だからということも無いけれど、中盤で『どうもやられそう』と覚悟を決めた
  タダ、黒の大石にわずかに傷があるように見える・・・
   だからここが勝負だと狙いをつけた。
  そういう意味ではオジサンは尋常な勝負というより”一発勝負”にかけたところがあります。
  そういう狙いが決まってしまったのだから、やはり実戦の経験の差かも
 カッコつけていうと「勝負の臭いを感じる」みたいな・・・
  でも勝ち方自体はとても褒められたものではない
  「勝てば良い」というのならいいけれど、劣勢を鼬の最後っ屁でひっくり返しただけに過ぎないから、何だか悪いことをしたような恥ずかしい気分です。
  但し白石なのも今のうちだけかも知れないのでなるべく粘らないといけないかも知れません・・・何といっても相手と伸びシロが違う。
 ともかく私も反省、これから再びネットの棋譜倉庫に行って、自分のひどい碁と向き合ってきます。 

下克上?

2007-08-28 18:42:45 | Weblog
 NHK囲碁講座という月刊誌の話の続きです。
 9月号の別冊付録が練習問題シリーズ・基本問題「小目の基本」・・・こういうの好きです!。
 問題に星ひとつから、★3つまであって
★は基本問題、まずはしっかりと
★★は ひと目でできるまでトライ
★★★ 実戦でできれば強い有段者 となっている。
 つまり問題だぞって言って、結果がこれだからマア出来たら(甘い?)初段みたいなところか?
 しかし全部で64ページですから量的には物足りないかもしれないけれど、付録でチョイト楽しむのには良い。
 「出来れば初段」という問題に取り組んで一喜一憂していたのは遥か昔ではあるけれど、今だって全く役に立たないわけではない。
 少なくともウォーミングアップだったり、基本の確認だったり、どんどん出来れば気持ちよくなるなんていう他人から見れば馬鹿馬鹿しい理由だってあります。
 
 そうだ、この付録がある程度溜まったらKさんとFさんに贈呈(それ程大げさなものではないけれど)しようと思っている・・・だが今年の4,5月の付録が欠落しています。
 なんとも私らしい間抜けなことです
 4月から付録は「星に強くなろう」シリーズで欠落分は不明ですが
6月は 両ガカリ・ハサミ編
7月  小ケイマ構えでのツケ対策編
8月  三々入り編
 どうです面白そうでしょう?独りよがりかも知れませんが
 今ならバックナンバーが手に入るけれど、付録入手のためというのは少し気が乗らない・・・見送っています。

 さて、昨日河野臨天元の4コウ無勝負の話・・・連想としては初代算砂と鹿塩利玄ですから”本能寺”に結びつきます
 これは3コウの話ですがこれでさえ珍しい・・・だから”本能寺”と結びつけて不吉な兆候だなんて・・・
 マージャンにも九連宝燈という役が出来ると不吉だから牌を焼かなくてはいけないみたいな俗説があるけれど、映画の「マージャン放浪記」以外で不吉なことが起こったという実例は知らない。
 碁の方の3コウは、私自身2回経験しているし、高段者やプロ棋士ならしょっちゅうということは無くてもたいてい経験はあるでしょう。
 まあ私に関しては不吉なことは起こっていない・・・不運の塊かも知れませんがそれは本人の力であって不吉とは違いますね
 それに”ともかく”生きています。

 ともかく、3コウからの発想はキーワード”下克上”でしょうか
 マア趣味の世界では身分は関係ないのだから下克上はおかしいけれど、段級の下の人が上の人をひっくり返すのをそう呼ぶとすると・・・
 自分でも低段の時に何回か経験があります
 ある碁会所の企画でオール互い先の総当り戦で大番狂わせを起こしたことがある
 自慢話ではあるけれど生涯にそう何度も無いことだし、ある意味で自分の転機だったとも思えます。
 普段なら私が3子を置く相手に握って白番で番狂わせ!
  ではなぜそんなことが起きてしまったのだろう?

 今日の話の最初の所で「これが出来たら初段」みたいなことを言いました
 さて詰め碁とかに多いのですが問題集にはそういう”基準”が書かれています
 さてこれが出来れば・・・というのは100問あれば全て出来ることなのか、例えば%出来れば合格ということなのか
 普通は後者の感じですよね
  しかも先ほどの★★★みたいに、実戦で出来れば”強い有段者”という評価の仕方もある・・・
 私が師匠のK畑さんに白で勝てたのは全くのまぐれでもあったが、それでもローカルとはいえ公式戦みたいな対局だったから、少なくとも自分には価値があったはず。
 
 この一局を境にして「必ず追いつける」と自分を励ますようになったのです
 それ以来どれほど進歩したかは甚だ疑問ではあるけれど気持ちのよりどころみたいなものです。
 さて、基本問題を繰り返し・・・実戦でそういう局面で問題集と同じように取り組めること
 実戦局面で問題を解くみたいな気持ちで盤を見られること
  なかなか口で言うほど上手くはいかないけれど、ともかく私の勉強法?は
 難しい問題もいいけれど、まずは基本問題の繰り返し・・・そう思っているのだけれど
  誰です?筋悪の力任せだなんて! 

暑い日曜日に

2007-08-27 18:44:06 | Weblog
 先週でしたかヤヤ涼しい日があって、体がだいぶ楽をした。
 ところがそういう油断を見透かしたように暑さはぶり返して容赦してくれません。
 この暑さはまだまだ続くという予報ですね・・・昔気象庁に「気象庁は何をやっているのだ!」とやけっぱちの憂さ晴らし電話をした人がいたらしいけれど、なんだか分かるような気がしますね。
 マ、こういう日は無駄な抵抗はせずゴロ寝しながら本を読む日・眠くなれば眠ればいいし、人の碁を観戦しても良い。
 と、電話が鳴った。
  体を動かして起きたくないのだけれど、生憎家族は誰もいない。
 こういう休日の午後の電話は”本当の用事”50%以下だと思うのだけれど、電話には出ざるを得ない。
「伊豆の○○温泉のホテル△△です」やや年配の婦人の声です。
  私そういうところに知り合いがないし、こちらから旅行の問い合わせをした憶えも無い。
  勤務先の親睦会の幹事でもないし
  唯一かすかな確立は両親の遠縁の人がそういう商売をしていたかも知れないけれど・・・そん分けないか。
 ともかく当方からの用事は無い
「どんな御用でしょうか?」
相手は温泉の話とか、何だか分からないけれど会員制のクラブの話とか・・・「入会金無料」を強調している。
「年会費が・・・」おいでなすった・・・タダの話なんか無いでしょう
「申し訳ないが余裕も興味もありません」でけりをつけた。
  部屋に戻ると再び電話機が鳴る
『煩い』とは思いつつも、電話は受身ですね。
今度は家の息子だったから確かに確立50%だ。
 海外でも使える携帯に契約変更するためにショップに行っているとか
「引き落とし口座がオヤジさんの口座だから、身分証明書を提示しないといけない・・・」
 そうだよな21才にもなってこれだから好きなだけ使うわけだ。
  さて免許証を見せればおしまいだけれど・・・ブツブツ言いながらこの暑いのに出かけざるを得ない。
 1日の暑さのピークは過ぎたと言っても暑い・・・暑いのは大嫌い

 さて大型スーパーの3階の携帯ショップの向かい側が本屋さんだからついでに「NHK囲碁講座9月号」を買いました。
 今月はまだ買ってなかったので丁度良かった・・・というより何か他の用も足さないとこの暑さの中を出てきた甲斐が無い
 ともかくこの本の一番良いのはリーズナブルの価格!
  半分冗談ですが半分本気です。
 税込み530円はもったいない気がしません。
  いらない企画を増やして値段を上げているというところもないし・・・
 いや本当は中身が大事
  一番すきなのは先崎学将棋棋士の「桂馬の両アタリ」
  それに女流棋士気ままにエッセイもいいですね・今月は青葉さん、この間は謝さんでした
  何といっても棋譜が好きですね。
   一度TVで見たことがある棋譜をまた見られます。
  私はこういうのが好きですね。
 そうそう、今月号は大矢棋譜セレクションのところで、秋山次郎八段VS河野臨天元の棋譜が載っています。
 もっとも部分だけ・・・つまり「4コウ無勝負」の話
  3コウ無勝負も珍しいのに4コウですね。
これだけ宣伝すれば何か貰えないかな?
 私事ですが、私は3コウが2回・・・集中力がある時代だったような気がする。
  今は私に3コウは起きないですね。
 両者の集中力とか、粘りとか読みとかも関係がありそうな気がします。
  今はそういう力が無くなった・・・もっともこんなに暑い日向きではないですね 

私だって忙しい日もある

2007-08-26 15:49:25 | Weblog
 その日は忙しい1日だった。
 全くこういう日は珍しい
  いやこういうのが普通で、いつもがおかしいのかも知れない・・・
 その日は課長以下ほとんどの人が所要で外出し、残っているのは私とベテランのTさんだけ。
 マアベテランだから何かあれば安心して頼れるが、彼は専任事項の下調べや資料作り、予備知識の整理に忙しい。
 だからほとんど私一人の状態・・・良いのかなそんなんで!

 そういう日に限って電話はかかってくる、お客はやってくる・・・
 全く来客用カウンターをシャットアウトしたい気分です
 こういう時ほど分けの分からないお客が多い(少し言いすぎですが)
  いや本当に分からない人ならまだ良い・・・これは丁寧に説明すれば良いだけ
 困るのはなまじ知識があって、先入観があって、何かの思い込みとか思い入れがあって話をする人。
  そしてあちら様に都合の良い結論で、当方が了解したという既成事実を作りに来る人。
 そういう人は、こちらと基礎的知識を共有しているということは関係ないから、微妙にずれているのにこちらの説明を無視する・・・
 彼らは仕事ですから経済的な論理が行動を左右している面がある
 こちらは同じく仕事でも法律に即して処理しようとする
  そのあたりのズレかな
 もっとも相手がわけの分からないお客なら、こっちだって負けていない”わけの分からないオジサンだぞ!!”

 そんなわけで今日はブログ用手帳に1行も書けなかった
 いや頭の中に、通常業務と並行して書き込んでいくこともできなかった
  いつもなら仕事は仕事でこなしながらも、意識は多少遊離するのですが、全く仕事に嵌りこんでしまった。
 こういう日は仕方ない?
  帰り道のチャリ通勤時間が考えれる時間です。

 さて先ほど”何も知らない人より、多少知っている人の方が始末が悪い!みたいなことを言いました。
 これはスポーツなどいろんな事に当てはまりませんか?
  ”多少の知識”これが問題ですね。
 MLBのイチローなど良い例ですね(彼は碁を打つそうですが、一応野球の打つほうの話で)
 イチローのパパはイチローが高校の野球部へ入るとき「バッティング」をいじらないで欲しいといったそうですね。
 変則的に見えるフォームでも、打つ瞬間ボールを捉えるという基本はできているわけで、なまじ野球に詳しいとされる監督・コーチに弄られたら・・・という心配
 たいていは選手が自己流でやっていることで、所謂”悪い癖”が多いので、一度基本に立ち戻らないといけないことが多い
 そういうことって、昔息子の少年野球のチームのコーチの手伝いをしていることにもそういうことが多かった。

 しかし、しかし自分にもこういう事実は遠慮なく降り注いできます
  私は自分で憶えて、Kクラスのときは勝手に打ちまくって、囲碁道場(教室)で教わったものの結局は碁会所で育ったようなものです。
 だから自分勝手な悪い癖がつかないほうがおかしいでしょう。
  上の人から見たら絶対にそう思うはずですが、しかしそうせざるを得ない事情だって認めて貰わないと困る。
  ともかく、これで筋がよく育ったら奇跡みたいなものですね
 以前中国から来日していたプロの先生に年間で相当打って戴いたことがありますが、さぞや「筋悪の癖がしっかり沁み込んでいる」と思われたでしょうね?
 悪い癖を1枚づつ剥いで基本に立ち返る・・・この歳でそれができれば
  1枚づつ剥いで行ったら中身が残るだろうか?
   ラッキョウみたいに何も無くなってしまうと困るな 

朝からかぶりつき

2007-08-25 16:51:59 | Weblog
 今日は世界陸上の初日で最初が男子マラソン
 そうでなくても過酷な種目なのに・・・なのにこの時期にやらなくても良さそうに思うのですが・・・主催者というか企画する方にとっては欠かせないんでしょうね。
 「この種目だけ冬にやります!」というわけにはいかないんだろうか
  実は私の大好きなサッカーだって日本の季節を考えたら7,8,9月はシーズンオフでも良いのに
 やる側にとっては絶対そうだと思う
  それでいてスポーツにとって丁度いい季節の1月2月が休みなんて少し変
 完全に見る側の我が儘から来ているような気がします。
  ローマの市民が剣闘士の戦いを高いところから楽しんでいるみたいな・・・やらされている側とは(もっともやらされていると感じたらだめでしょうが・・・)
 ところで斯く言う私も我が儘な観衆の一人でして
  サッカーの試合を季節と関係なく見たいし、マラソンにしたって朝7時からTVの前に陣取っていたのだから・・・
 
 最近のオリンピックは夏に行われる・・・しかし東京オリンピックは確か秋10月10日でしたよね。
 このあたりが真夏のスポーツと涼しい方が良い物との妥協点かもしれないですよね。
 冬季オリンピックは物理的に冬でなくてはできないから問題ないけれど、夏の方は選手のコンデションなどを無視しているのでしょう・・・季節にコンディションを合わせろって。
 だからオリンピックは運の強い人が勝つと言われる

 さてそうは言いながら、「口では選手に同情しながら」でも見てしまう。
 苦しそうに頑張っているのを応援してしまう。
 多分日本人の特徴なのか、頑張る=苦しくても耐える=応援したくなる
  そういえば昔元野球選手の張本勲氏が書いていた。
 「日本人は頑張るという張った状態、ぎりぎりまで詰めた状態でないと・・・」そんなような話
 彼の日本人と韓国人の勝負に当たっての構えの話だったと思う
  彼は勝負に際しては「リラックス」が大事だからベルトを緩める・・・対して日本人はきつく締める・・・締めないと真剣で無いみたいに
 だからこういうスポーツで軽々と・ごく当たり前な顔をして勝利する人は案外人気が出ないかな(マア人気は関係ないのだけれど)
 ともかく苦しいのに頑張るところを見るのが好きなんだろうな
  全く勝手な話ですが。
 
 さて観戦後今日は図書館デーです(私の)
 今日借りたのは
「目ハズシ定石」 名誉本因坊 坂田栄男 1989年
 これは一度借りたことがあります。
  一通りは読んで返したのですがまた読みたくなりました
 マアこの本でなくてはならないと言うほどのことではないのですが、最近良く目ハズシを見かける気がするのです 
 私のよく対局するMさんは必ず「星+目ハズシ」だし、ほかにも数人
  大体が私レベル(ほかの人も勝手に仲間に入れてしまいますが)だと得意と言うか手馴れた布石で立ち上がる・・・
 だからMさんは「星+目ハズシ」私の場合は2連星、必ず黒番なら中国流の人もいるし数人は高目が好きな人もいる。
 と言うわけで、自分の好きな形だけを知っていればいいのなら問題は少ないのですが、相手がやって来るのだから「ちょっと待って」とも言えないから、何度でも泥縄式で本を読みます。
 マアどれほどの効果があるかは自信は無いけれど、やらないよりは良いでしょう

 この本の中の「昔の目ハズシ」と言うコラムで面白い話が出ていました
 目ハズシは江戸時代以前から打たれていた。
 初代本因坊算砂と鹿塩利玄の碁に出てくると言いますから相当昔からある
  あの本能寺の話に出てくる両人ですよね?
 そして道策なども打っているし、高目とか大斜とかとも関連して発展していく
 幕末頃では太田雄蔵が好んで打って、秀策との棋譜紹介されている・・・
  ともかく奇を衒った打ち方ではなく、ともかく好み・作戦ではあるに違いない
   しかしなれないと受け損ない、あるいは自分で損な対応をしそうでなんだか危ない臭いが漂うのです。
 本当は自分が信頼できないので何だか気持ちが悪いのです 

「十年一日のごとく」とは言うものの

2007-08-24 17:37:12 | Weblog
 昔このタイトルで書いたことがあるかも知れません・・・
 本人はヨタヨタしながらも少しは進歩しているつもりでも、外から見たら十年一日のごとくただの横好きの道楽としか見えないだろう・・・
 もっともそれ程の興味を示すなら良い方で、単に「また今日もやっている」程度だろう。
 
 少年時代この「十年一日」と言う言葉のイメージを少々間違っていました。
 「十年という長い年月がまるで1日みたいに感じられる」・・・どこと無く間違ってもいない様な感じですが「月日の経つのは早いもの」に似た感じだと思っていたからやっぱり間違いですね。
 少年時代に誰かに指摘はされなかったけれど、使用例からして何処かおかしいとは感じていました。
 「いつ見ても同じことをやっている」も意味として正しければまさに私は「十年一日」タイプです
 「牛の涎みたいに」そこまでは言わないで下さい
 ベッドに腰掛けてキャスター付きの小さな机の上にノートパソコンを置いてネット碁を打つかブログに入力・・・「十年」とは言わなくても「三年」は続いているでしょう。
 だから家族が見たら「親父はいつも同じ格好」で「同じことをしているらしい」=「進歩が無い!!」となる。
  意味はともかく言っていることは当たっているから困る・・・悔しいけれど。

 30くらい前にKからDになれたけれど、それは町の碁会所レベルの話で、当時は日本棋院より少し甘かったかも・・・後に棋院のアマ段位はまさに”甘段位”になったと思うけれど・・・
 ともかく遥か高みから見ている人にはそのクラスでKだろうがDだろうが同じ景色だろう
 そういう見え方で言うと家族もそういう風に見ているはずです
 うちの親父が○段だろうと・・・たとえプロ棋士に出会っても興味の無い世界なんですから唯の叔父さんだろう。
 (タイトルホルダーでTVや新聞に載る人は別だろうけれど)
 要するに別世界の住人に近い・・・それでいて家族だから奇跡かも
 
 強弁的に言うと、マクロでは「十年一日」に見えるとして、個人的見解・ミクロでは「だいぶ変わってきている筈」なんですが・・・「では、どこが?」と追及されると弱い。

 実は進歩していないと困る事情がある
 私の序盤は2連星居士みたいなものだから、それで十年一日なら
 「今日も2連星」「やっぱり2連星」「何が何でも2連星」というところ
 まさに十年一日なんだけれど、数多くの失敗と反省に学んで修正しているつもりなんです。
 そして、その上でなおかつ2連星というしつこさです
  病気に近いのかな?

 私の相手をしてくれる人は年々変わっていきます
 勿論古いネット仲間も多いのですが、新しいメンバーも結構います。
 なぜ新しい(若い)人と分かるかというと、少年少女大会とか中学生大会で見かける人もいたのです。
 ある少年はおそらく中1のときはほぼ互角(1勝2敗で分が悪い)だったのに、彼は急速に進歩して今なら私は2子は確実に置かなくてはいけない。
 そういう彼が全国大会では予選リーグで敗退・・・中学生おそるべし!
 
 小学生の方もネットでの知り合い(名前だけですが)もいました
 その子は予選リーグを突破してくれたから嬉しかったですね
  小学生も恐るべし
 ともあれこの年代の進歩派目を見張ります・・・だから私など止まっているようにしか見えないのでしょうね
 いや後ろに進んでいるとか
 今度ネットであったら「オジサンの2子番ですよ!」なんていわれそう
  マアそれでも少しは役にたっているのかな?
  肥やしぐらいにはなりたいですね。

 ところで変わった名前の人と対局がありました。
 多分女性かなとも思う・・・マアネットですから・・・
 ともかく私らの子供時代の女の子○子、○江、○代さんなどとはまったく違う
 男性の可能性は0とはいえないけれど、もしそうなら俳号みたいなもの
 どちらでも好いとはいえ、普通に考えれば小中高の女性
  さてすごく筋が良い・・・筋悪の私が褒めたら反って信用が無くなる?
 マア素直な感じでしょう
  ここでこう打ったら反発必至という場面で、小考の後受けてくる。
 「辛抱が良い」のか「筋悪相手にもてあましている」のか
 しかし要所要所で手を止めて考えているのだから、やはり何かを感じているのでしょうね。
 ともかく今の時点では「筋はいいけれど力が不足?」というところかも知れない
  でも私と1点しか違わないのだから、想像道理だと来年は危ない。

 終局して今度はパソコンに驚かされた
  地の自動計算がでたらめ!
 私の計算では20目近くいいはずなんだけれど、パソコンの計算では私の50目負け!
 間違いの原因は:二箇所ある私の地の中に相手の石が1個づつ入っているので、パソコンはこれを生き石と判断し、その地を全てダメ計算としていた・・・
 結局間違いが分かったので修正して相手に確認を要請したのだが・・・今度は相手が考え込んでしまいました。
 結局は承認があったのですが、あのインターバルは?
  もしかして途中自動計算を頼りに打っていたのだろうか?
    大楽勝のつもりで打っていたのかな?
   だから当方の修正要求に戸惑っていたのだろうか?
  なぜかふとそんな気がした  
 

A4封筒の手帳

2007-08-23 17:55:44 | Weblog
 いつか書いた”紙への拘り”の続編みたいなものでもあります
 A4の白い角封筒が1つ(勿論使用済み)あれば、文字とか宛名シールを避けて両面真っ白でA4の四分の一(より少し小さい)くらいの紙が4枚取れます。
 これは封筒にしたときの糊しろなども避けておきます
  普通のノートみたいに両面が使えるノートの材料が出来ます、片面しか使えない紙だって捨てたりはしません・・・何かが書いてあったりシールが貼ってあれば、それは白い裏面を表にして袋トジの帳面になるからこれは先ほどの手帳より一回り大きいものが出来ます。
 細かい話ですが、元角封筒の表面だった紙でも両面使える所もあるから、袋とじと両面を組み合わせると文字を書ける面が7ページの手帳となります。
 あるいは片面だけ使うメモパッドです
  で、両面使えるノートは4枚ですから8ページ、これに定型サイズの薄茶とか薄いブルーの封筒の裏面を出して表紙にして綴じるたり、あるいはホッチキスで綴じるところだけ1cmくらい帯をつけると手にも優しいし昔の和綴じ本みたいなムードで結構さまになる。
 それでこのブログの下書きを書いています。
  と言っても「書くぞ!」という感じでデスクに向かっているのではなくて、何かの拍子に思いついたことをメモって行く感じです。
 ともかく材料はいくらでもあるし、数分で作れますからノートは買わなくて済みます。
 それでこの自家製手帳に約6割程度書くと、ほぼ毎日のブログ投稿量に相当します。
 本当はそれだけではやや少ないのですが、本番の書き込みでパソコンに入力する時になると表現を変えたり、別のエピソードを入れたりするので必ず量が増える事はあっても減ることは無いのです。
 昔ならこういうメモ用の紙は新聞などのチラシの裏で作れたのですが、最近のチラシは裏面が使えないものが殆どです
 両面カラー印刷だったり、ツヤのある仕上げだったりしますから、これは鉛筆には向かないし、ボールペンでもインクが乗らなかったりします。
 その点封筒の裏面は使いやすくていう事がありません
  スケッチブックにもなりそうです。
 
 A4サイズの封筒を開いて宛名の書いてあったほうの裏面はソックリ使えますね
  もう片方は糊しろなど重なりあっている所があるから、そこを避けると小さな手帳向き。
 この紙は鉛筆でもボールペン、サインペンでもかけますから、色鉛筆でもよさそうですね。
 問題は描き手の腕が最大のネックだから、実際にはスケッチブックには作っていません。(利用価値の可能性は感じるのですが)
 代わりと言っては・・・勤め先周辺の地図はカラフルに作った
  当事務所に来る人が電話で道を尋ねてきた時に、見ながら応答するためです
 これは定規で描けるから、ボールペン・サインペンに色鉛筆を使い・・・絵心とは関係ないので、なかなかのできばえ(自己満足)
  いずれにせよスケッチブックは出来たとしても、事務所の執務時間中にはまさか広げて描くわけにもいかないから・・・マアいいか!
  でもいたずら書き調のスケッチブックなども面白そうなんだけれど・・・
 サインペンや鉛筆、色鉛筆はあるのでいつか書きたいとは思っています
 ただ裏面に張り合わせの無いものが封筒1つに1枚は取れるのですが、それは棋譜にならないかと計画中です。
 コピー機で極薄い色で灰色っぽく印刷すればそれらしく出来そうですね。
問題は綺麗なA4サイズに裁断できるかどうかでしょう。
 もし紙の不良などで詰まったりしたら「何をやっていたのか」お咎め必至でしょう
  ですからトライするとしてもかなり成功の見通しが無くてはチャレンジできない。
 もし出来たら、バインダーに挟んで、FさんKさんの碁を取材できます・・・
  そんなことをしたら彼らが目を丸くするかも・・・いや
 その前に、余りのスピード進行に記録がからが目を回すかも知れない
  多分100手もしないうちにギブアップだろう
 こういう二人の対局記録を確実に記録するとしたら・・・初めからパソコンで対局してもらって、プリンターで印刷>>>それでは棋譜用紙が不要!
 ムム
  両氏とも振り返るのが嫌いみたいだから元々必要が無かったか
 紙があるからヤルというのも本末転倒だし・・・ 

紙の拘り番外編みたいな話
 民間の会社で働いている若い人には想像もしないと思われることです。
 マアそうは言ってもそんなに凄いことでもないのですが
 私が以前、この事務所に転勤する前に勤めていた所などでは必需品でしたね・・・紙縒りです。
 本来は和紙で紙縒りにして使うのですが、現在は紙縒りという製品で仕入れています。
 昔の若い女子職員などは暇があれば和紙で細い短冊を作って、それを紙縒りにしてストックしていたという話も聞いたことがあります。
 使い道は、ホッチキスの無い時代ですから、千枚通しで書類に穴を開けて紙縒りで綴じていたのです。
 紙の紐ですが丈夫なんですよ。
 ホッチキスの無い時代と書きましたが、実はこれは誤りです。
 現在でも必需品なのです。
 前の事務所では、土地に関する書類を扱っていましたから、関係者の協議で出来上がった書類は子々孫々影響を持ってくるわけで、なるべく綺麗な形で保管する必要があります。
 電子的な記録はともかく書類の方の問題です。
 ココで先ほどのホッチキスの件ですが、アレは古くなると錆が出てきて書類に痕が残る、あるいは針が折れてバラバラになるかも・・・そういうものを気にしなければいいみたいなものですが・・・その対策で、まず書類にファイル用のパンチング、そして紙縒りで(独特の綴じ方で)シッカリと縛ってファイルに綴じこむのです。
 この作業は今でもやっているのです・・・知らない人が見たら何のために事務所に紙縒りが置いてあるのか不思議でしょう。
 (尤も最近は文房具屋さんから仕入れた紙縒りで、均一な太さだけれどやや弱いかな)
 今でも古い書類をコピーする時などは紙縒りを鋏で切ってからコピーし、その後元通りに縛り直す・・・これに一寸したテクニックがあるので、新任の職員などは戸惑うのです。
 必需品でありノスタルジーも感じる・・・感触も好きです 

 さて話が戻って廃品利用の手帳
  ブログの原稿を書くには(私には最適です)
 ちょうど1回分というのも良いけれど、この手帳に書くときは市販のものと違って、少なくとも無駄に資源を使っていないという気楽さがいいのでしょうね。
 どういうわけか、私にはきちんと机に向かってきれいなノートを広げたらほとんど何も書けなくなってしまうのです。
 ところがこの手帳だと書ける・・・不思議な手帳です
 以前は外仕事とか車で出かけることが多かったからソリジェニツィン・スタイル=働きながら頭に書き込む方法
 今は事務所から出ないし、ボケ頭には「手帳」があっているようです
 今年の5月頃から始めて・・・机の下に使用済みの手帳が溜まってきました
 チリも積もれば>やっぱりゴミの山かな?
 ともかく家族には判読不能な文字が並んでいる!自分でも時には輪から七位のだから 

自画自賛みたいな

2007-08-22 22:40:49 | Weblog
 私はTV番組はニュースと天気予報とスポーツ番組が中心ですが、例外的に「お宝鑑定団」が好きでほぼ毎週見ています。
 これも火曜日と衛星の木曜日さらに日曜の再放送があるから・・・
 それとドラマは好きというほどではないのですが例の「チャングム完全版」・・・これがシリーズの4回目!!
 韓国語はわからないのですが日本語版のときのストーリー展開を憶えているので、字幕を見なくてもおおよその台詞の見当がついたりします。
 もっともノーカット版なので、毎回必ず今までの版でカットされていた場面に出会いますが。
 それと好き嫌いではなくて生活の習慣みたいに(時間を掴むのに)見ているのが「どんど晴れ」これが「総合」「BS2」などで最大一日4回も見ることができます・・・そこまでは見ませんが・・・たいてい朝7:30「BS2」です
  トータルすると自分で思っているよりは、案外TVを見ているのかも。

 脱線しました
 話を「お宝」に戻して・・・ここでは日本画とか中国画、掛軸などが出てきますが、たいていの絵に文字が添えられています。
 確か”賛”というのですよね。
 ものによっては絵と同じくらいの存在感があったりして・・・絵の作者と違う人が文字を書くことが多い・・・こういう書き込みがあったほうが良いのか無いほうが良いのかわかりませんが・・・、ともかくものによっては自分で書いている
 そんなところから「自画自賛」という言葉が生まれてきたのでしょうか?
  私も誰にも褒められないから、やむを得ず?自画自賛をする癖があります

 一番最近の碁は309手完という手数でした
 手数だけでいうとヤヤ長めの部類に入るでしょうか・・・内容ではなくて、手数の多さで自慢する見たいで、しょうがないザルです。
 味わい深いとか、人様に胸を張ってお見せするようなものではなくて。
 棋譜にはコウとか取り後の着手など、棋譜の中にかけないものを欄外に書かざるを得ないのですが(たとえば黒178=131)、そういう着手が34ありました。
 勝負がかかった見たいなコウが2回できて、両者ぶつかり合って延々とコウが続いた感があります。
 打ちながら「こういう碁は棋譜を作るのが大変だろうな」などマアいらぬ心配をしながら打ったのですが・・・実は予想に反して難しいという感じは無かったのです。
 おそらく争点がはっきりしていて、両者引くに引けないのですから・・・逆に分かり易かったのかも知れません。

 その碁は私の先番で2目半コミ出し
 最大の争点は、白の生死がかかった切断をコウがらみで仕掛けたところから始まりました。
 何の手がかりも無く切断されてしまえば、超大石なのでこれは勝敗は論外
 しかし何といっても大石ですからそばコウが多くて延々と戦いが続く
 黒319手目のコウ立てに白は受けると次のコウ立てが無いのでそこで投了となりました。
 それは20目程のコウ立てですが、さすがにこれは大きい
 途中6目の白石(実質12目)を取るゾというコウ立てもあったのですが、白氏は徹底抗戦を選んだので、棋譜の見直しではこの辺も課題だった。
 何といっても時間にも追われながらの戦いでしたので、それほど自信があって打った手ではなかったのですから・・・
 もしそのコウ立てで白はコウを解消していたら・・・そこから延々と深夜のシュミレーションです。
 そこからも隅の白石をセキにする手=後手6目があったり・・・マア最善らしく寄せて黒8目半勝ちらしい。
 なるほど白氏は「コウは譲れん」と打ったわけです。
  相手は見えていたのか・・・それとも単に引くに引けなかっただけ?
 いや自分より上手の白氏です
  私の直近の最長手数の棋譜は361手です。
 この碁の記憶不思議と無い・・・多分コウに次ぐコウだったでしょうね、近いうちに倉庫から引っ張り出して見なくては

 今回の碁は、私の方はそこまで細かくは見えてはいなかったけれど、花見っぽかったし、悪くないはずという感じで打っていました。
 ともかく私の碁はコウの出現率(?)が高いようです・・・もちろん勝手に自分で思っているだけで、勿論ザルレベルでの話。
 自分なりに極力頑張るとコウも辞せずとか、コウで踵で凌ぐとか・・・ですよね
 だから相手が気づきにくい所を狙って行くとか・・・相手にとっては油断を狙うみたいな。
 桶狭間というか一の谷、屋島急襲というか・・・碁敵とか下手にとってはきっとイヤラシイ奴と思われている。
 そういう打ち方も「ゴリ押し」とか「力碁」の部類に入れられてしまうのでしょうか?
 半分当たっているような、半分は「それは無いでしょう」なのですが 
 
 

難渋 棋譜入力

2007-08-21 17:30:00 | Weblog
 先週は昼休みには1局しか打ちませんでした。
 お弁当を食べ終わってからの実質の昼休み時間は約45分、この時間は節電タイムですから事務所はウス暗くてデスク仮眠には丁度良い。
 体のためには・午後の執務に備えて仮眠が良いけれど、45分全部は”仮眠”と言うにはヤヤ長い・・・それにここで寝ているようでは碁キチの看板を下ろさなくてはいけないでしょう、食べた直後の睡眠でもあるし?
 「牛になってしまう」などと言うほど働き者タイプではありませんが専門クリニックでは・・・。
 碁を打たないまでも、碁の本を読むとか何かしないと損をしたように感じる貧乏性・碁キチです。
  だからこういう日の為に手書き棋譜とフラッシュライトメモリーをいつも鞄に入れている・・・

 手書きの棋譜をパソコンの棋譜管理ソフトに打ち直すのに、3日目になってやっと完了しました
 実質で100分はかかっている
  という事はネットの棋譜倉庫の記録を手で書き写して更に入力した時間は多分150分から200分はかかっている。
  コレは実際の対局時間の倍近いでしょう
 すると・・・昔の学生時代を思い出します。
  入学して、ガイダンスで「1時限の講義について2時間の予習復習を必要とする」・・・と確か書かれていた。
 当時は講義が一講義2時間それに+2時間が必要となるのだから、もしその日3つ受講したらトータル12時間が必要・・・まさに名前の通り”学生”です
  当然そういう生真面目な学生ではなかったのです・・・1講義サボればトータル4時間浮く方に注目するタイプです
  ともかく「アフターケア」には手間も時間もかかる・・・1局の棋譜整理にコレです。
 しかも入力した棋譜を再現しながら気がついたところなどコメントを入れたり、その時考えていたことなど思い出して入力・・・終わりが見えない状態
 
 序盤から中盤にかけての入力は順調でした。
  コレは憶えていたり思い出したりしますから、私レベルでも自分にとっての分かりやすい進行だったのでしょう
 ところが大ヨセに入った辺りから渋滞が始まりました。
 手書きの棋譜の下手な字と言うこともありますし、細かな所を気を使って寄せているのか・・・
 手数が289手と言うのはかなり長いんですね。

 ともかく4日目に入っても続いているのです
 時々手を止めて・・・何だか可笑しくなってきます
 高段者が見たら嗤ってしまいそうなことを一生懸命考えて入力しています。
  見る人が見たら寝言みたいな事かもでしょう
 しかも出来上がったとしても、単に自分のための記録でしかない・・・誰に見せるでもなく、恐らく見る価値も無いでしょう、子孫に残して感謝されるようなものでも無し
 全く無駄なことに時間を使っているような気分なんですが、それでも居眠りしているよりはましかも・・・(但し午後の仕事に備えての仮眠も大事かも;難しい)
  
 幾何学が好きで(マア中学高校レベルですが)重心・外心・内心・錘心などの定理を思い出しては証明問題を解いてみる・・・遊びですがそれに似て
 全く人のためには役に立たないのですが自分のボケ防止にはいくらか役に立つ・・・そんな程度のお遊びなんだろうなと、何だか片方の頬がピクピクします。

 この日健康診断用の過去のデータと次回の問診表を貰ってがっかり
 正直に記入したら膨大な記入箇所があります・・・それの一つ一つの説明が求められるでしょうから考えただけでゾッとします。
 健康診断は自分で健康だと思い込んでいる人のために、「本当に大丈夫だと更に安心するため」に調べるのが目的でしょう?・健康な人は
 私の場合は完全に「不健康診断」、悪い所だらけですからね
 そういう意味では「良い所もありました」と報告してもらえるならば私にとっての”健康診断”です
 それに担当医とのやり取りのシナリオはすでに見えている
医師「だいぶ悪い所がありますね」『よく生きていられる』
私 「アレとソレは総合病院で治療中」「コレは経過観察中」「専門クリニックで改善を・・・」「栄養指導も受けています」
医師「そうですか、それでは続けて治療に専念してください」『勝手にどうぞ』
  要するに悪い所はすでに分かっている・・・それ以上に見つかれば新発見
 さてこの医師も、総合病院の医師も、専門クリニックの医師もみんな同じ大学の医局出身だと思われるのだから、あれこれ言うのは仲間内の縄張りの侵害みたいでしょうから、話はコレでお終いでしょうね

 ドリフではないけれど「もしもこんな囲碁クリニックがあったら」
  プロ棋士がドクター役でしょう
「だいぶ悪い所が多いですね、自分では何か感じます?」
「自分でも時々変かなとは思うのですが、自覚症状と言うほどのものは・・・」
「そうですか経過を見ると段々悪くなっていくように見えますが」
「何か手遅れになるような病気でしょうか?」
「体質と言うか、病気と言ってもいいでしょうね」
「何か良く効く薬は無いでしょうか?」
「便利な特効薬はまだ開発されていませんね。コレはね根本的に直すのには大変な手術が必要でしょう。」
  さてこの後ドクターは「一つだけ良い方法がある」と言った・・・と思う
  しかし、このとき昼休みが終わりで、誰かが執務室の蛍光灯のスイッチを入れて部屋が明るくなりました。
  返事は聞かずに目が醒めてしまった、残念! (意識しないで仮眠していた)

長考警告!!

2007-08-20 18:20:44 | Weblog
  互い先の碁で例えば私の白番としましょう
 黒1は私のパソコンの左下に表示されます・マこれを星として、白2は右上星
 黒3はイロイロありそうですが、あまり考え込む人は少ないですね
 2連星か中国流含みで左上小目が殆ど、それ以外は少ない。
 ココまでは黒さんの「お決まり」と言うか彼の打ちやすい形で概ね決まっている
 例えば左側に黒2連星で来たとしましょう
 この時白の選択肢は・・・勿論何処へうとうと自由ですが・・・
 ① 白右辺側の2連星
 ② 右下目外し
 ③ 右下に中国流みたいに小目
 ④ いきなり左下星にカカリ
実はほぼ決まっているのです。
 私の好みは①の2連星
 当然熟慮の結果ソレを選ばなくてはいけないのが建前なんですが、私は動機が不純なんだろうな
 いや時間は掛けるのです
  勿論ココで長考は無いのですが、まあお茶を一服するくらいの気分です
 この場面は私にとって一番出現率の高い場面だから見慣れているし手馴れた局面(まだ3手ですが)と言える。
 しかし直ぐには打たない理由がある(恥ずかしいが)
 この場面は多少とも考えなければいけない場面であるとしましょう
  ですからココで即打つのは何か相手に対する失礼をしている気後れがある。
 もし反射的に打ち返すと、そういう流れで行きそうな怖さを感じる
  インターバルを意識して入れるのとどう違うのか問われると・・・

 もう一つ理由があって、こちらはハッキリ格好ツケです
 ノータイムで打ち返すのは自ら「早打ちのオジサン宣言」でしょう
 相手に「組しやすし」とナメられるか「軽く」見られるのは必定(そう考える性格の悪さ)
 従って序盤でも時間を使うというハッタリ作戦。
 リアルならこんなことはミエミエで出来ないでしょうね
 そこが姿の見えないネットのおかげ・・・しかも自分の持ち時間内での話ですから何処からもクレームは来ないはずです。
 マ、でも実情はお恥ずかしい
 この4手目の1呼吸はともかくとして、1局全体のペースを変えられるような気はします。
 スポーツではないから”ペース”は可笑しいかも知れませんが、自分の時間は自分でコントロールするということでしょう・・・内容がレベルアップすれば言うこと無いですが、私オジサンとしては形から入るしかないです。

 ともかく見栄とハッタリで小考を繰り返すようなもので中身は空虚だ。
 そういう事はとっくに見破られているでしょうね、何と言っても小細工しても中身はそうは変わらないのですから
 ところで直近の200局で相手の長考による時間切れ勝ちは2局(私の時間切れ負けは0)
 持ち時間45分を使いきり1手30秒で打っての時間切れ、あるいは早碁なら最初から1手30秒で打ち考慮時間合計10分と言う持ち時間です。
 マア2局の内の1局は1手も打たないでですからこれは何かの事故でしょうから出現率は0.5%ですね。
 但し時間切れと言うか変な中押しもあった
 相手がもう半目の手も無い所で残っている持ち時間25分を全て使い、更に30秒の秒読みの残り2秒で投了・・・全くよくわからない高段者(私の2子局)。
 ところでそのことをこのブロブで書いたせいかこういう事例防止の”改善”がされていた。
 対局中にある局面で、私は長考した・と言っても素人ですからねそんなに長くない
 ソレは考えざるを得ない局面であり、そうそう結論が出にくい場面
  その時突然画面に警告表示「あと30秒で5分間着手が無いと負けになります」・・・確かに無理やりな引き伸ばしは出来ない・出来にくい。
 しかし、本当に考えたいと言うのにソレは無いでしょう!
 もしも「もう少し考えたいのですが良いですか?」と相手に許可を求めることができても良さそうなのに。
 あるいは「継続考慮中宣言」ボタンがあればいいのに
  元々自分の権利の時間内なのにね・・・
 他に方法が無かったという事だろうな・ならば「止むを得ない?」
 しかし5分で警告負けとは!!
  マア立場が変わると勝手なヤツだと思われるだろうけれど 
 

「手数について」

2007-08-19 17:17:44 | Weblog
 物騒な例えですが、時代劇で悪役の殺し屋が抵抗する相手に止めを差すときに言う台詞「成仏しろ」の他に「手数をかけさせおって」
 自分に例えれば・・・私は必死の延命工作中で、最後の時を迎えて白衣の先生の先生から『手間をかけさせおって』とつぶやかれたりして・・・ソレを最後の言葉として聞き取っていたら”成仏は出来ない”・・・まあブラックな空想が好きです

 囲碁で「着手」と言うのは「1手毎の動作」「打った石の位置」ではありますが「手間」ではないですね。
  手間をかける手間と言うマイナスの意味ではない
  尤も「手間をかけていますね}みたいな丁寧な仕事の意味もあるから一概には悪い意味とも言えないのでしょうが
 そういう意味でも短ければ良いというのは無い、勝敗の最短手数を意識しすぎで本筋から少し外れるところもありますね
 地を数えて目差が大きいほど良いみたいに、手数も短いほど良いなどの評価の仕方があったら・・・
 柔道みたいに開始30秒で1本勝=「秒の殺し屋」で手間をかけないほど強い!
  相撲では勝負が遅い力士は「相撲が好き」といわれるとか
 当方は碁キチの端くれですから「碁が好き」なのは間違いない。
 ともあれ「囲碁を楽しむ」と言っても長ければ良いというものでは無い・・・話に「冗長」と言うものがあるようなものですね。
 
 そうは言っても手数と言うのは、数字で見る事の出来る数少ない要素かも知れないから「元々退屈男」の私としては首を突っ込んで見たくなる
 何かの為になるかどうか?・・・ソレは考えない方が良いです・・・何かをやる前にトコトン突き詰めて考えるタイプではない。
  さて先日、この半年で半目勝負が4回目と言う話をしましたが、昨日5回目を記録(レコードとかではないでしょうが)
 その5回の手数が287、268、283、279、278となっている
  このくらいの手数の時半目勝負が出来やすいのか?
   マア関連は薄そうですが不思議と手数が揃っています
  この辺りにはよくUFOが出現しますみたいなものかな・・・何だか分からないけれど、そうなんだみたいな

 ところでこの間から入力している棋譜が「289手完」
  自分としては少し長めな感じですが、昔読んだ碁の本の中に「プロの碁はアマの碁に比べて手数が長くなるものが多い」と書いてあったような気がします。
 細かな所に気を配って、1目半目を疎かにせずに打てば当然そうなる筈ですね
  細心の注意を払い、正しく対処する力がある人同士の対局ですから、傾向としては当然そうでしょう
 そういうプロ棋士と比べるなど考えていませんが、自分なりの手数を見ると(例によって直近の200局・この3月くらいから)
 最短手数では58手という対局があります。(当然中押しの決着です)
 (相手が1手も打たずに時間切れと言うのは記録としては手数0ですが、コレは除外)
 100手未満のものを探すと<98><58><75><86><60><68><70>と全部で7局ありました。
 コレは単に相手が何かの間違いをしたか、私が取り返しのつかない失敗に気がついて「挽回不可能」を宣言したのであって勝った方が強いとか負けたほうが弱いとかの話ではないでしょうね。
 一応は5勝2敗だけれど、いずれにせよ本格的な競争になる前にどちらかが躓いて転んだということでしょう。

 さてプロと背比べする気などありませんが、手数の長い方
  感想としては意外と多いのです
 200局中の自己最多手数は361手と言うものがありますが・・・残念ながら18目半負けています。
 恐らく僅差の碁を粘って、何処かで勝負に行って傷を深くしたのですが、終盤なので最後まで打ったのでしょう・・・(多分に自己弁護ですが)
 300手を越える対局で調べると全部で15局
 このうち320手を越えるものは先ほどの対局を含め5局・マア長ければいいということではないでしょうが
 前に話した半目勝負の手数が280手前後が多かったのに対し、長い方がそれほど細かい碁にはなっていない。(勿論私の場合に限定)
 結果が5目未満で決まっているものは5局、逆に10目以上のものも5局ある
  コレだけ長い手数で打っていると投げにくくなっているのかも知れません
 ともかくこちらの勝敗は6勝9敗
  相手は『手数をかけさせおって』と思っているかも
  粘る割にはダメな碁が多いのかも(ソレを言ったらダメ碁だらけですが)
 それとも280手前後で勝敗の確率変化があるのか?(パチンコみたいに)
  悪い碁程粘りたくなるのか、見えていないから気持ちの整理がつかないのか・・・

 しかし我ながら暇人ですね、手数に何か意味があるのかな?
 ありそうでもあるし、無さそうでもある。 

道具は流れる

2007-08-18 15:33:21 | Weblog
 碁盤も足付きのものとなると、カヤ材など言うに及ばずスプルース輸入材だってそんなに安いとはいえない。
 だから!! 私の家にはそれが無い!
  嘗ては表面を化学処理した碁盤で、折りたたみ式の金属性の足がついているのを持っていて、これで並べていました。
 機能は確かに碁盤ではある
 アノ硬質な表面に石を打つ感じは・・・カチッカチッ・・・不思議ですね
 そういう経験があるから、木の盤に石を打つ感触は好きです。
  まあやがて化学板の盤は子供たちのお絵かきボードになってしまいましたが

 「道具は流れる」
 時節柄「精霊流し」みたいに川を流れる・・・
 碁盤の文化伝統の流れ・・・
 私みたいな貧乏人だと「流れ」といえば「時の流れ」「雲の流れ」「水の流れ」などよりまず「質の流れ」を連想してしまいます・・・話はそちらの方が近いかも
 碁盤と言う機能・・・逆に言うと囲碁にしか使えないものですが、あるところで不要になっても案外必要とされる所に伝わっていくようです。
 最近はネットオークションと言うものもありますが、そういう「市場」で値がつかない程度のもの、あるいは元の持ち主がそういう手間を嫌う人、あるいはボランティア的な気持ちの持ち主の場合です。

 時々顔を出すコミュニティの囲碁クラブは、素晴らしいとはいえないまでも一応足付きの碁盤が揃っています。
 但し、盤によっては漆の罫線が消えかかっているものもあるのですが、それでも畳の和室ですから足付き盤がサマになります。
 もし折りたたみ盤とか板盤ですと机・椅子とするか、寺子屋みたいな小机が必要となる筈ですから、足付き盤なら座布団だけで良い・・・
 そういう盤が十数面並んで、まだ押入れにもストックがあるからたいしたもの
  ココは市の施設ですがコレは市が用意したものではありません。
 市は好意で座布団は貸してくれる・・・なんたって和室に備え付けです
  碁盤碁石についてはほぼ全部囲碁活動への好意の寄贈品なのです
 おじいちゃんが亡くなって、家では不要になった盤石だとか・・・
  マア市の施設で使うだから家族にしても故人の供養にもなるということでしょう。
 それと廃業した碁会所からの寄贈品
  例えば家の離れなどで碁会所をやっていた人が何かの事情で廃業した時、道具はヤヤ嵩張るお荷物になります。
 再開する予定が無ければ”処分”あるいは”寄贈”となる
  コミュニティは格好の受け皿みたい
 その前までは商売敵みたいな時があったにせよ

 さて家賃を払って駅前などで碁会所をやっていた所が廃業したりすると・・・
  そこはたいてい2寸盤などで机・椅子ですからこういうところへは寄贈されません。
 私の住んでいるマンションの老人クラブの囲碁将棋会などが受け皿みたい
  先日そこに”招待”されて打ちに行きましたら、碁盤は少し前に廃業した駅前の碁会所から来たものだとか。
 3セット貰ったらしい。
  ちゃんと情報が伝わって、「貰いたい」という希望が伝わるのが面白い
   品物としてはたいしたものでは無いけれど、誰かの形見みたいなものだったり、いわくがあったり・・・
 碁会所は経営的には家賃問題が大きいでしょうし
  客を掴むのに”有料”が”無料”の公的施設と争っている所もあり
 減少傾向のあります
  公的なサービスが民間の碁会所を圧迫している面・しかし誰でも楽しめる場所としてのコミュニティ
 何だか対立しているようであり・・・でも道具の繋がりがあったり

 有料でもそこで打ちたいという、碁会所には夫々魅力があるはずです
    席料は500円くらいからありそうですが私の家の周辺では800円から1000円が普通です。
 都心のホテルにある超高級クラブで1万円だったでしょうか、ともかく会費を払ってでもそこが良いわけです。
 会費を払っている所ほどその雰囲気をお客が大事にするでしょう
  そうでなくては有料クラブの常連になる意味が無くなる
  この辺りはネットでの有料クラブと無料クラブの雰囲気の差と似ているかな?   
 話が脇道に反れました・・・道具の話です 
  いろんないきさつがあっても皆盤だとか石を大事にして、使われるであろう所へ受け渡していくのが嬉しいですね。
 自分が要らないと言って、廃家電みたいにその辺に捨ててある盤はみたことが無いです。
  勿論一面何十万と言うようなカヤだの桂、ハマグリや那智の厚手の石は別です
  そういうものはそういうものなりの行く末とか経路があるでしょうね

 さてコミュニティみたいな責任者がはっきりしないところでは困ることもある。  使っている石がだんだんミックスされていく・・・瀬戸物にガラス練りこみとハマグリや那智の薄いものが混じって行く・・・
 ボランティアの石洗いの際混じったり、チョット石が足りないと無造作に持っていくのですからね・・・それも奇妙な面白さと言うか少し悲しいというか。
 碁盤の方は少し深刻です
  先ほど話した罫線の問題とか盤の汚れ
 根本的に修理・手入れをするなら専門業者に頼んで表面を削り直し漆で線を引き直してもらわなければいけないのですが、どんなに安くても一面5千円から1万円はかかる。
 さてさて、ただで遊べるというのが利点のコミュニティで・・・ 
 だから将来的には道具の受け入れが止まったら、ごしごし表面を洗ってマジックで線を引くしかないのだろうと予想しています。
 そんなんで良い筈は無いのだけれど 

やつあたり気味

2007-08-17 17:34:15 | Weblog
 先日他の人のブログに書き込むとき、少々感情が出すぎと言うか表現がきついと言うか・・・ともかくブログ主さんに余計な気を使わせてしまい反省しています。
 言いたいことを言う年寄りの甘えと言うか、何歳になっても”未熟なままの熟年”でお恥ずかしい限りです。
 テーマは「筋悪」「力碁」だと考えますが、コレを「碁会所のオジサンみたいな」という形容がついた文章について・・・
 イエ、ブログ主さんが言ったのではなくて、紹介されただけです
  それも重々承知で・・・結果的に噛み付いたみたいな形に似ている。
 何と言っても私自身が碁会所のオジサンだったし、碁会所のオジサン仲間も多いので「碁会所のおじさんの何処が悪い?」あるいは「碁会所のおじさんだってイロイロ居るぞ!!」
 本当は所・急所を突かれると痛いのですよ。
 「成る面白い表現だわい」と感心する反面、チョット嫌な臭いもする・・・マアさっき言ったように”過敏”なわけで。
  
 何かのアマの全国大会を観戦した記者がその一つの対局なのか全体的なのか、感想として「無理やり力で押し捲るような碁」を「碁会所のオジサンみたいな碁」と表現したとか・・・私の場合は伝聞であり原文は知らないのですが・・・
 こういう大会の記者さんと言うのは主催者側から派遣されている人が多いですよね。
 囲碁ライターと言うからにはさぞや筋がいいでしょうねとイヤミの一つも言いたくなる(ライターにはプロ棋士、院生経験者もいるかも)
 アマとしても高段者くらいの棋力の持ち主だったりするでしょう?
 だからその人は「筋悪」「力碁」について苦々しく思ったのでしょうね。
  しかもアマとは言え全国大会に出てくるレベルの選手で、何たることかと言う気分だったでしょう。
 でも「碁会所・・・」は何か差別発言的な表現のような気がします。
  例えばそういうものを「タイゼムでよく見るような・・・」と表現しますか?
   そういう勇気はありますか?
  あるいは「日本のコミュニティでよく見かける・・・」と言いますか?
  「碁会所のオジサン・・・」もそういわれると「ああいう感じ?」と想像は出来ます・・・がオーバーに言うと国際問題にもなりかねない表現を、国内向けで、何処からも反発が無ければ問題など無しとするのだろうか?
 何故単に「力碁」「筋悪」ではいけないのだろうか?
  確かに比喩として面白い記事を書きたかったかも知れないけれど、少し書いている人におごりの気分が臭う気がする。

 アマとはいえ「筋悪」「力碁」など全国レベルでは通用しないのですから、完璧に負ける・・・それで良いではないですか、「筋の良い碁には敵わない」・・・それだけのことでしょう。
 プロの先生が自分の弟子に「そういうことでは一人前の棋士にはなれない・・・布団を背負って田舎にお帰り!!」と叱るのと少し意味が違うと思う。
 アマ全国大会だとしたら、それで予選を通過したのかも知れませんぞ
 
 昔私は・当然アマの道場・・・囲碁教室みたいな所で教わっていたのですが、先生が急死されて、碁会所に通うようになりました。
 まだ級クラスの時代です
  初めての碁会所で正直言って確かに力で圧倒されました
 立ち上がりの序盤の布石段階ではどうと言うこともないのですが、接触戦になると力を出してくるタイプが多かったのです。
 ハメ手みたいな手も随分仕掛けられていたと思う・・・こちらは気がつかない程弱かったのでしょう。
  そういう意味では、私の周りには”碁会所のおじさん”が多かった筈だし、私もやがてその一人になったでしょう。
 ともかく当初は相手からは「筋はいいけれど力が無い」とからかわれたものです。
  要するに実戦による経験が不足・細かな所の注意・気配りが無い・・・要するに弱かった
 こういう感想は後年パンダネットとかタイゼムでも似たようものを感じました。
 確かに欧米も中国も韓国も力が強い・接触戦に強い=よく読んでいる。
  表現は悪いけれどゴリゴリ手が目立つといっても、相手のパワーを受け止め損なったらフッ飛ばされる・・・
 その時相手は思うだろうか・・・「こいつは、筋はいいけれど力が無い!」
  勝てば官軍とか勝つことが全てでは無いが、彼らも「筋が悪いヤツには敵わない」的なことは言わないでしょう。
 単に「弱い日本人」だと思うでしょう
 
 筋の良い碁が結果として”強い”ことを証明すれば良いだけの話ですね
 柔道で例えると「柔よく豪を制す」(剛でしたっけ?)に拘って、「力で押し捲られた」・・・
 「技なら負けないのに」といったら滑稽でしょう
 イヤそういう論理が国内では通用するかも知れないけれど、国際的には話にならないと言うのが現実でしょう。
 
 先ほどタイゼムの例を出しましたが、そこの国のプロにわが国のプロは後塵を拝しているのが・・・
 それはプロの世界のことでアマの世界とは関係が無い?
  確かにそうです。
   プロ棋士の目から見たらザル碁は「コレが同じ碁というゲームとは思えない」くらい違うでしょう。
 ザル碁キチの私にしたって「筋の良い碁を身につけたい」と思い、目標は先輩の高段者であり究極の目標はプロ棋士みたいな・・・ではあっても、それはあくまでも方向性と言うことであり、到達できない現実も承知の上で、尚且つ碁を楽しむことに情熱を注いでいるわけです。
 
 話が脱線気味
  さて、アマが碁を楽しむといえば一昔前なら碁会所か、それこそ囲碁好きのご隠居さんみたいな人の家の座敷が主流でしょう。
 コレに最近はコミュニティみたいな公的な施設
 更にネットが増えています。
  プロ棋士あるいはコーディネーターが関与する教室とか指導碁は別でしょうが
 圧倒的多数のアマが夫々の方法で碁を楽しんでいる
 一方でアマの中でも強豪は全国大会などがあります・・・
  ではそういう大会の参加者は、われわれ「楽しみ派」の代表なのか、あるいは「イヤミな言い方だけれど」アマ強豪=プロにはなれない人たちの大会なのか・・・
 「碁会所のオジサンみたいな碁・・・」と貶されようと、地区予選を勝ち抜いてきたのですから「碁会所のオジサン」としてはそういう人を応援したくなるではありませんか。
 そういう人が「筋の良い碁」に勝ったりしたら拍手喝采です。
 まあ実現の可能性は低いでしょうが
 取り敢えず「同じアマがプロ的な批評家の立場の人と一緒にアマを貶す」コレはイヤですね。