なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

八つ当たり気味

2010-08-09 00:01:00 | Weblog
 土曜日にはサッカーの贔屓チームが良い試合をしてくれたので家族全員(現在名だけですが)で大喜び。
 これで数日間は家族内の平和が保障されそうです。
  負けたからと言って家族内が殺伐とするわけでは有りませんが、会話が少なくなることは事実。
 つまりサッカーに関する話題が減るので話題が減って会話が減ると言う仕組みです。
  概ね週半ばまでは影響が有りまして、週後半になると週末の試合が話題になるので会話復活。
 マア、結果はともかくとしてスカパーでの試合の再放送は数回は見るから・・・無言でで見るか和やかに見るかの違いでしか無いかもしれません。
 ともかく今週は結果は幸いでしたから”ご祝儀”気分では有るけれど・・・もう一方の趣味の方の囲碁はネットで連敗。
 囲碁の負けは相手が強かろうと、相手の調子が好かろうと、負けたことについては自分が弱い事調子が悪い事を含めて自分の責任で、誰に当たる事も出来ない。
 しかし、全く心理として鏡のような水面みたいな訳にはいきません。
  何と言っても横好きのオジサンなんですから・・・

 と言う事でTVのニュースで気がついたこと(感じたこと)。
  甲子園で野球大会が始まりました。
 私も子供時代は野球少年でしたが最近はサッカー一筋というか比重がだいぶサッカーに傾いている。
 昔ですと甲子園の時期はほぼTVをつけっぱなし状態で試合放送を流していたものですが・・・
  ともかく大会の開会式の模様で・・・
 何年か前にも書きましたが選手宣誓で引っ掛かりました。
  行進のスタイル=軍隊?とか、宣誓の大声の口調=元気が好い・はきはきしている?・・・この辺りは感じ方の違いも有るのでしょうから、眉をひそめる感じ。
 但し宣誓の言葉で気になる一節があった・・・これはどうにも引っ掛かります。
  どうでも良い事と聞き流せば良いのでしょうが気になるものは気になります。
 それは宣誓者の「見ている人に感動を与えられるように・・・」言葉はこの通りでは無いかもしれませんがこのような感じ。
 意味、気持ちとしては好意的に解釈すればそれだけの事ですが・・・
  「与えられる」と言うところがどうにも聞く方の居心地が悪い。
 与えると言う言葉は上下の方向性を感じてしまうのですが、言葉を発する側はそういう事を意識しないのだろうか?。
  選手のプレ-の結果としてそういう現象が起こるのならそれは結構では有るが、意識的にやる事ではないし、結果として起こる事でしょう。
  オジサンはへそ曲がりなので、「感動なんかさせられるものか」と言う気分になる。
 最近のペットブームで犬や猫に餌を与えるのではなくて”あげる”という言い方をする人が増えている気がしますが、それと対象的に”与えられる”・・・のか?と思ってしまいます。
 こういう事って高校生にもなったら感じないものだろうか?

 重箱の隅を突いている感じで我ながら細かい、あるいはもしかしたら私の感じ方に問題があるのかと戸惑いも有るのですが・・・気分は八つ当たり気分なのかも。