なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

歓送迎会

2009-04-30 21:43:24 | Weblog
 今日は歓送迎会で帰宅が遅くなりました・・・といっても他の職員に比べたら早い帰宅かも知れません。
 6時に始まってほぼ2時間でお開きですが、そのホテルから我が家までは自転車で30分はかかりませんから、帰宅は8時半。
 宴会があってこの時間の帰宅では、かなり早い方でしょう。
  特に昔の私と比べたら、何たる速さ・・・これも年のせいですね。
 30才台、40台初めは平日に家で夕食を食べたことはほとんど無かった・・・女房殿は意地を張って夕食の私の食事分を翌朝の私に出したり。

 それはともかく、酒を飲むでもない、浮いた話と縁が無いのに毎日遅かったのは・・・仕事が終わってから毎晩碁会所に寄っていたし、そうなると碁会所の閉店後はマージャンだったり。
 麻雀は始めればほぼ徹夜に近いし、半分はそこから翌朝そのまま出勤。
  それでも、女房殿に追い出されなかったのは、いろんな複雑な問題を起こすような遊びでは無かったので、ギリギリ我慢の限界線におさまっていたのかも知れません。
 但し、子供たちにとってはとんでもない不良オヤジだったでしょうね。
  まあ、その頃の不健康な生活で多分健康に悪い影響があって、その蓄積はあったでしょうし、喫煙だけに関しても徹夜すればそれだけで3,4箱煙にする量が増えていたでしょう。
 
 ともかく、嘗ての不良オヤジは寄る年波には抵抗できず、さらに健康被害の借金の請求をされているような状況なので、宴会の日でも帰宅時間は早いと言うのも皮肉な感じですね。
 まあ逆説的に言えば、若い頃遊んでいない人が年を取ってから道楽を始めると、とんでもない深みにはまると言うことになっていますが、私の場合はその逆に近くて「遊びなんてそんなもの・・・」みたいな醒めた感じで遊んでいるのかも知れません。

 いずれにせよ歓送迎会は誰にとっても完全に「お付き合い」の世界でしょう。
  これを楽しむと言う人は・・・
 毎年この時期に三分の一の人が退職するか転勤していき、三分の一の人が転入してきます。
 こういう会に出なければ「付き合いの悪い変わり者」みたいだから欠席する勇気はないし、かといって積極的に楽しむ社交性も無い。
 お酒を楽しむこともないし、かといってホテルの宴会料理に大きな期待はできない。
 従って6時から8時までは浮世義理タイム。
  今年も無事に終わりました・・・納涼会のようなものはパスしますから、後は忘年会まで・・・
 
 ここでもう少し私に社交性があったら・・・いろんなテーブルを回って囲碁を打てる人かどうかの探りを入れられるのに、どうもそういうことが苦手なんです。
 絶好の機会の一つなんだけれど・・・
  それに新所長に近づいて話を聞くチャンスなんだけれどダメなんですね。
 私の人付き合いを段級に表すと5級以下です。
 

軟禁状態!?

2009-04-29 16:54:57 | Weblog
今日は休日と言うのに、午前早くからクリーニング屋さんが来る日です。
 クリーニング・・・部屋のクリーニングですが、今日が予定の日。
  大したカーペットでは無いのだけれど、1年に1回くらいは専門の業者に洗って貰う・・・もう20年は続いているでしょう。
 そういうことで、そこそこ手入れをしているので長いこと使っていられるのかも知れないし、ここ10年は子供たちも大きくなっているので汚れも痛みも酷くはないような気がしますが、マア習慣と言うか衛生上というかたまには洗って貰う。
 但し、絨毯が乾くまではリビングで横になれないし、業者さんが仕事中は自分の部屋に閉じこもることになります。
 女房殿にしてみれば「むさくるしい亭主は出てこないでください」だろうし、実際に業者さんの仕事の邪魔になっても手助けにはならない。
 それに、私にとってはやはり機械の音が嫌なので部屋に閉じ込められる形で、これは作業が終わってから絨毯が乾くまで続く。

 機械音と人が作業する気配がするのでなかなか集中するのは難しい・・・こういうところは普段の鈍感さを返上して割合にナイーブ?な面もある・・・いや集中力が弱いのか。
 従って本を読むよりネットで囲碁観戦と言うことになります。
  これなら、集中していてもいなくても勝敗とは関係ない。
 問題はお茶を飲みたくなったらとか小用
  私は業者さんにとっては依頼主の「主人」なので隠れたり逃げたりする必要はないのだけれど、どうも顔を合わせたら挨拶をしなくてはいけないのが面倒くさい。
 そういう点で私の社会性はダメなんで、こういう仕事の手配・依頼は全て女房殿の仕事で、私は当日部屋から出ないのが仕事みたいなもの。
 お茶は1時間程度我慢するか室温になっているペットボトルのお茶にするか
  小用は1時間程度なら忘れることにする。
 
 1年ぶりと言えば年に1,2回の部屋掃除をしました。
 これは強要されたとか部屋がひどく汚れたわけではありません。
  今週末に義理の母が2,3日我が家に泊まることになって・・・高年齢なので畳に布団というスタイルでは生活が大変らしい。
 と言う事で、ベッドを空けるとなれば私か息子のどちらかだから、これは自ずと結論が出ています。
 ついでに滞在中は私の部屋を使って貰うことになる→従って大きなゴミ、いやゴミだと考えられてしまうものは片付けておかないといけない。
 これは黙っていれば女房殿がやるはずだけれど、その場合は後で元に戻らない危険性が大きいし、何と言っても私にとっての必需品が彼女にとってはゴミ扱いされて処分されてしまうことも考えられる(今までの経験上)。
 普段ベッドから手を伸ばせば大抵のものに届くようにしているし、その範囲にキャスター付きのワゴンとか、パソコン台などを配置しているので結構こまごまと大変。
 義母滞在中はパソコンを抱えて他の部屋に居候です。

終局寸前の冷や汗

2009-04-28 17:31:43 | Weblog
 大変な・酷い碁を打ってしまいました。
  終盤のヨセのところまでかなりの優勢を意識していましたから、マアそこまではソコソコ打てていたとは思う。
  尤も囲碁に限らず勝負事ですから、私が上手く打てたと言うより相手の方に何か勘違いのようなものがあったとは思う。
 私としてはお馴染みの作戦で、つまり、地で先行する。
   そういうのに慣れていない人だったかも知れません・・・
  隅は二隅ずつ確保しているが、私の地は減らないのに対し、相手の地はもう一手かけないと削れる形。
 相手としては真ん中に大きな地を作る構えですが、そこは見た目は派手ですが周りからすこしずつ減らせる。
 この場合相手は手抜きが出来ないので見た目ほどは大きくまとまらないところ。
  そんな事で優勢だと考えていた。
 それなのに、半コウの争いが私の5個の石のダメつまりに影響する・・・これは放り込んで追い落としの形。
 優勢なんだから誤っておけば1目の問題なんだけれど。
  いつもなら「金持ち喧嘩せず」調で、腰抜けなくらいに慎重なんだけれど、この時は違っていました。
 5子の石を取られる=10目だとして10目以上のコウ立てで応酬。
  それはマア間違ってはいないのですが、私の大カンチガイが隠れていたのです。
 取られるのは5個だけでは無くて+5子で合計10子だった。
  
 この時持ち時間45分のうち15分は残っていたので、必死に計算。
  但しルールで、15分残っていてもここで一気に15分使うことはできない。
 5分以内に1手は打つのが決まりです。
  つまり、ネットでお互いに顔が見えないので、本当に長考しているのか単なるフェイクなのかの区別が出来ないためのルールです。
  そういうことなので、5分以内に状況の把握と対策が必要。
 幸いしたのは相手の取りは後手なのと、私の損害は20目に達するものの相手も12,3目は減っている・・・そこまで相当に形勢が良かったのが幸いしていた。
 終わってみると私の白番で逆コミ4目半を差し引いて6目半残っていた。
  この瞬間に冷や汗を感じました。

 これだけ損をして残っていたのなら、安全策を取るべきところ。
  まあ安全策=ユルミと言う悪い癖もつきそうだから、謂れのない損はどんな時でも避けるのが正しい態度ではあるはずなんだけれど・・・
 結果的に運良く勝っただけみたいな碁になってしまいました。
   冷や汗もダイエットに繋がるのなら良いですが、心臓に宜しくなさそうなのは困ります。

風が吹けば・・・

2009-04-27 18:11:59 | Weblog
 昨日の話の中で私は全くの下戸であると言う話をしましたが、生まれてこの方一滴の酒も飲まなかったわけでもありません。
 高校時代には梅酒ではありますが2,3年ものをコップで2杯ストレートで飲んで登校したことがあります。
 口当たりの良いカクテルをガブ飲みした感じでしょう。
  酔っぱらうほどでは無いにしても、ほろ酔いを少し超えたくらい。
 何でそんな事をしたか?
  夏の暑い盛りなので少々勢いをつけて登校しようとした・・・いつもなら5,6倍に薄めるのに無精なのでついそのまま飲んでしまい、口当たりが良かったので甘いジュースでも呑むような感じで2杯。
 高校での座席が真ん中の列の一番前(背は高かったのですが、後ろだと寝てしまうので教師に指定されている席・私だけ席替えの対象外)なので、先生が顔をしかめていたのを思い出します。
 赤い顔をして臭い息を吐いていたのでしょう。
  まあ、注意もお説教も無かったは先生たちも出来た人たち!?

 大学時代はクラブに入っていたから当然コンパはあります。
  私の場合はキセル型で参加していました。
 最初の挨拶とお終いの締めのところだけ・・・途中は外を散歩していたり近所の喫茶店に避難。
 ただ、親友のM君とは何回か飲んだことはある・・・大した量ではないけれど。
  アパートの一室で、当時の貧乏学生としては安いレッドがせいぜいですが、丁度ロバートブラウンが出た頃・・・マアその程度のお金しかなった時代。
 男同士で四畳半は無いけれど、そういう感じなら少しは飲むこともあったとういうことです。
 気の合った親友とお茶でのどを湿らす変わり程度なら。
  
 名は体を表すではないけれど、私の体格とか顔つきはいかにもノンベエに見えるらしい。
 宴席で初対面の人から酒を勧められた時に「いや、ちょっと・・・」と言えば必ず「今日は車なんですか?」と聞き返されます。
 「いや、そうでは無くて・・・」と説明するのに苦労します。
 半分の人は「あいつは飲めないのではなくて、若いころに酒で大失敗したので封印されているに違いない」と思われている節がある。
 まあ祖父も父も大飲ン兵エだったし、特に祖父は酒で大チョンボをしたので、そういう外見と罪状を私が受け継いだらしい。
 飲めるのか飲めないのかだけで言えば、「飲めば飲めないことも無い」らしいけれど「それは物理的に飲み込んでいるだけ」で「おいしいと感じたことが無い」ことに気がついた。
 むしろ直後の苦しみが怖い・・・
  昔は酒を飲むのも訓練のうちみたいな時代です。
 でも「時間もお金もかなりの無駄をしている」ことになると感じたのです。
  それ以来40年は宴席でも最初の乾杯でコップに口をつける真似・・・最近では最初からウーロン茶。

 宴会に酒はつきものと言えばつきものでしょう、食事会のようなものでもごく当然のごとくビールくらいは出て来ます。
 さてさて、酒が出ない会合は無いものだろうか・・・
  「そんなものでは、話が弾まなくてお通夜みたい」と言われそうですが、私ヒネクレ者としては「話が弾まないのは酒のせいでは無く、もともと話すことが無いのだ」と言いたいところですが、これを公然と口にしたらますます嫌われそう。
 宴席での「禁煙」はあるのですから「酒抜き」の宴会もあっても良さそうですが、そうするとお酒好きの面々にボイコットされるでしょう・・・。

 ところで日曜日は猛烈に風が吹きました。
  この風で多分最後のヤエザクラの大半は散ったことでしょうね。
 落語では「桶屋が儲かる」ことになっていますが、最近では花粉症が問題になります。
 昔なら、風が吹いて埃が舞って・・・猫だのネズミだのが出てきて最後に桶屋。
  そう言えば最近桶屋さんと言うものを見ない。
 町の中は勿論田舎に行っても見かけなくなりました。
  昔は銭湯の桶も手造りの桶でしたが・・・
 味噌とか酒の仕込みも巨大な桶・・・何年か前には桶の修理の専門家みたいな職人さんが健在でしたが、今はどうなんでしょう。
 維持費・衛生面などでホーローとかステンレスみたいなものの方が経済的なんでしょうか。
 それとも伝統技術の伝承が困難なんでしょうか。
  いずれにしてもこんな大風でも桶屋さんが儲かる時代ではなくなったようです。

去る者日々に?

2009-04-26 15:42:18 | Weblog
 ”このハガキ”が届くと、何やら複雑な心境になる・・・尤も私が勝手に一人で複雑になっているだけなことは分かってはいるのだけれど。
 以前義理の兄が現役で仕事をしている時、彼の得意先の一人が私の高校時代の親しかった友人であった。
 それは彼らの仕事上の話の中で何かのはずみで分かったらしい。
  それで、義理の兄は妻の弟である私に「たまに故郷に帰ったら”彼”のところにも顔を出したらどうだ。彼も”是非会いたい”と言っていたぞ」という話が帰郷のたびにありました。
 私はこういう話には“弱い”。
まず、例え義兄でも命じられて何かをやると言うことにかなりの抵抗感がある・・・マア、そのことは別として。
  確かに彼とは高校時代かなり親しかった・・・薄暗いジャズ喫茶で一緒にくすぶっていたし、彼の家の二階では彼のおふくろさんにからかわれたり、開業医だった彼の父親が顔を出したり・・・
 風の便りでは彼の両親も弟も亡くなっている。
  こういうとき、多分、普通は「積もる話」を一杯傾けながら・・・と、なるらしいのだけれど・・・どうも私はこの点では普通でな無いのかも知れません。
  
 単純に言ってしまうと「何をどう話すのか」イメージが湧かないのです。
  「昔話に花が咲く」と言う言葉がありますが、「昔の話をして何になるのだろうか?」と冷めた意識もある。
  現在の状況を話して・・・お互いに何の接点も無いのにそういう会話がどういうものなのかイメージがわきません。
 いや「昔話」をするのは良いとして、終わって帰って行く自分の後ろ姿を想像すると「滑稽」とか「何やら寂しい」イメージがする。
 いや、”まだ起きていない”事なのに想像してしまうのです。
  「酒でも飲みながら」という部分んも全くイメージが湧かない。
 『全くもって下戸はしょうがない』感じ・・・「酔う」イメージもないのに「酔いから醒めた時」のイメージだけは感じてしまうのです。
 だから何年たっても「冷たい奴」のままだし、義理の兄の気を悪くさせたまま。

 そういう性格だから「同窓会お知らせ」は嬉しいような、嬉しくないような・・・今回の連絡では中学・高校と一緒だったT君が同窓会長になっている。
 そう言えば彼の母親は中学時代の保健室の先生だったので結構一緒に保健室に遊びに行ったり・・・そう彼の彼の姉さんは美人だった・・・彼とは中学・高校と数学塾も一緒だった・・・でも。
 同窓会ではそういう時代の話が話題になるのだろうか?
  そして今の話が話題になるのだろうか?
 そういう事で心が温まるような気がしないでもないけれど、でも「それが何になる」ような醒めた部分も否定できないところもある。
 それに「友が皆偉く見える?」様な嬉しいような悲しいような。
  会いたいような会いたくないような心理です。
 同窓生の誰かと道でばったり会って「どうしている?」という感じでお茶でも呑むのなら分かるんだけれど、同窓会ってそういう場所を設定する感じなので、効率よく準備したということですが、何やら個人的には白けてしまうようなところがある。

 そう言う事で今回も・・・このパソコンの横に「お知らせ+出欠の返信」の往復ハガキが置いたまま何日も過ぎている。
 迷ったまま返事の期限が迫って来る。
  それにしても、毎回連絡を貰って申し訳ない感じもする。
 いつかはきっと、「あいつに連絡するのは無駄」と連絡が途絶える日も来るに違いないと想像している。

 

1000局以上

2009-04-25 15:25:07 | Weblog
 もしプロ棋士の公式対局が1000局だとしたら、たとえば週1ペースで打てば年間ほぼ50局だから20年かかることになります。
 アマとは内容が違うので比較にはなりませんね。
  それに、その1局に至る過程には膨大な研究とか、前の対局の振り返りがあるはずですから、全て遊びのアマとは違うのは当然です。
 そういう意味ではプロ棋士の場合は負けたら終わりのトーナメントが多いわけですから年間対局数と言うのは数字だけで意味をもってきそうです。
 そこがアマの対局数とは全く次元が違います。

 アマの場合は・・・対局数が多いと言うことは
  単に暇なので囲碁を打つ時間が人より多い?
 これはそうだとも言えるしやや違うとも言える。
  いくら暇があっても趣味が多ければい碁にかける時間はその人の暇な時間の何分の一かなはずです。
 ですから、概ね趣味は囲碁一筋と言うことに近いはず。
  それとたくさん打つには、一局を終わって次の対局までのインターばるが短い方が効率が良い・・・そういう意味では友達が多い人、あるいは似たような友達がいてデスマッチ状態になりやすい人。
  更にいくら友達が多くても一局の時間が長いようではそれほど沢山は打てません・・・一局に2時間近くかかるようでは碁会所などでは1日3,4局が限度。
 
 さて昔の碁会所の知り合いに年間1000局は打つ人がいました。
 これは会員同士の月例リーグ(これは同じ人と2,3局打てる)の成績を崇敬していたので確実な数字です。
 リーグ戦だけで月に80から90局は打っているのです。
  それにリーグ戦の対戦相手が見つからない時は、お好み対局ですから月に100局はゆうに越えている。
 そのためには土日は当然のこととして平日も半分は碁会所に顔を出していることになります。
 仮にひと月に15日碁会所に来ても、1局2時間ペースあるいは対局は1時間以上だけれど観戦が多い人は1日3局程度ですから月に50局は打てません。
 と言うことは数字上は年間で500局程度。
  しかもひと月の半分顔を出す人は少ないから数字の上限はどんどん下がります。
 ですから年間1000局と言うのはなかなかできない。
  例え「ザル」とか「超早碁」とからかっても、幾分は畏敬の念が含まれている。
 アマの道楽とは恐ろしい!
  一銭にもならない碁を、いや席料から交通費、飲食代をかけてこれだけ打つのですから!
 仮に20才台から50年打つとしたら、5万局!?

  先日ネットでの知り合いの話をしましたが、彼は私が入会した時はすでにいたのでネットでの先輩にあたります。
 ですから通算対局数が私より多いのは当たり前ですが・・・ネットのシステム変わった時にそれまでの通算成績の表示が0からリセットされました。
 それで私の場合は概ね勝ち負けが750を越えたあたりですから1500局を越えたあたり・・・1日1局未満ですからまあこのくらい。
 ところが彼は勝ち負けとも6000をはるかに超えている!!
 対局数が私の8倍以上・・・と言うことは毎日ネットで7,8局は打っている。
  
 碁会所の古い友人の棋力はあれだけ打って・・・数万局打って級位あるいは甘くてもアマ初段・・・これも碁会所の七不思議のひとつでしたが
 ネットの方の知り合いは、高段者から見ればザルには違いないだろうけれど、点数から見ればただのザルとも言えない。
  夜とか、深夜はよくネットで見かける・・・常駐型と言うか
 あるいは性格・趣味が囲碁シンドローム?囲碁依存症?・・・そんなのは無かったか。
 ともかくもう少しで私の10倍の対局数になりそう・・・と言うことは、現在では私の10倍以上の対局数だと言うことになる!!。

たぶんこれもサクラ

2009-04-24 18:56:14 | Weblog
 花盛りの歩道を走って通勤しています。
  今の季節は街路樹の根元の土の部分・2㎡程度の花壇がいろんな花でカラフルになっています。
 ○○花壇の会などのボランティアの方々の努力のおかげでもあります。
  こういうカラフルな花壇も春らしくて良いのですが、私の好みは例えばノースポールの株みたいにシンプルな感じも好きです。
 ここ数年同じ所に植えられている株が今年は大きくてきれいです。
  別の場所では丸いフラワーポットに盛り上がるような、こぼれるようなノースポール・・・これもまた好いですね。
 私の自転車通勤路の約半分の歩道と車道の間の背の低い植込みはツツジです。
  これが今一気に満開状態。
 これは市の管理の道なので計画的に植えてあります・・・場所によって花の色を変えてあります。
 深紅・淡いピンク・赤紫・白など様々です。
  花の時期が割合短いのが欠点と言えば欠点、盛りを過ぎた花はあまり見栄えが良くない・・・ツツジには少し可哀そうなハンデかも。
 昔は垣根のツツジの花の蜜を舐めたりしましたが、流石に道路わきの背の低い植込みではそんな勇気が無いですね。

 ところでほとんどの桜は散ってしまい、八重桜も花ごと落ちるようになりましたが、まだ少し咲き残っているものもあります。
 遠くで見る限りでは、多分サクラのような気がします。
  少し変わったサクラ・・・たぶんサクラ
 花はやや大ぶりでピンクなのですが、花の中心部分が丸く白抜きみたいになっています・・・この株が2本未だに元気に咲いています。
 さて、本当にサクラなんだろうか?もしそうなら何と言う名前なのかパソコンで調べていますが今のところわかりません。
  桜の種類って多いですね!!
 園芸品種に野生品種。
  いくつかのグループがあって”八重”とか”しだれ”とか、数ページにわたって名前が載っています。
 名前のリストは良いですが、写真とかどこがどう違うのかを図解してくれないとな目だけ並べられても・・・
  こんなにサクラの種類があるのにお花見の季節はソメイヨシノが多い。
 江戸時代にできた改良品種のはずですからすごい勢いで日本全国に広がったのですね・・・ポトマック河畔の桜もソメイヨシノなんでしょうか?。
 ところで、木で白い花も咲いています・・・たぶんハナミズキだと思うのですが、私の視力・知識では断定はできません。
 もしそうだとすると、先ほどのピンクの花はそちらの仲間?
  分かるまで調べようと言う熱心さはないので「きれいなら名前はマア好いか」と眺めています。
 
 ハラハラと花びらがの散り方がソメイヨシノの愛される理由でしょうか?
  成程そういうのもわかりますが、いつまでも散らない桜?も好きです。

 そうそう先ほどノースポールの話をしましたが、形は少し違うものの、小さくて白い花で真中が黄色・・・ヒメシオンかハルシオンでしょう・・・これもどこにでもはびこると思ってみると可愛くないですが、他に花の無い荒れ地でも咲いてくれるのですから、無心で眺めればなかなか悪くはない。
  そう言えばもともと園芸品種的に輸入したのが野生化して広がっているのですから・・・強過ぎる生命力が嫌われているのですから可哀そうでもありますね。
  通勤の道中でタンポポとこのヒメシオンが並んで咲いている・・・そこが何にもない、土が剥き出しの荒れ地だったら嫌ですよね。

 

この世代の癖?

2009-04-23 18:08:25 | Weblog
 ネット囲碁クラブに入場すると、まず対局一覧表が掲示されます。
  その日はプロの棋士が二人囲碁を打っていて、その対局室に何十人も入場しているのが分かりました。
 但し対局は終了しているので、入場して棋譜進行は見ることができますが、残念ながらリアルの進行では無い。
 その掲示板には以下アマ同士の対局状況が載っていて、序盤・中盤・終盤・対局終了などの進行状況が表示されます。
 そして一覧表の一番下に入場者数と対局室の使用状況と対局中の局数が出ています。
 部屋の数と対局数が違うのは・・・対局終了後も残って検討している人とか、私みたいに碁盤の横で居眠りしている人がいる場合、対局は終わってもそこは閉じられないからなのです。
 因みに、この日私は夕方6時過ぎに対局をして・・・投了負けして・・・いるのに夜11時近くにその対局室が閉じられていないことに気が付きました。
 覗けばS氏が部屋にいます。
  何をやっているのでしょうね?
 私の碁を研究していることはありそうもないし、私の相手が鮮やかに勝った碁を鑑賞するんしても4時間以上も!・・・
 やはり眠っている確率が一番高そうですが・・・『もしもし、起きていますか?』と確認する手段が無い。
 それに私も人様の碁を見ながら眠る癖があるので文句を言う筋合いでもない!
  しかし無様な負け方をした碁をいつまでも供覧するのは恥ずかしい。
 「恥ずかしい」のは本心ですが、やはり「人さまには良い碁を見てもらいたい」という見栄があるのです。
 と、ここまでは昨日お話しました。

 ところで入場者数を見る時に思うのですが、現在入場者が点数順に並んでいると、「私は何番目かな?」とつい感じてしまいます。
  並んで何かを貰うような時は、「自分は何番目にいるのか」、「自分まで貰えるものか」・・・は切実な問題ですが、囲碁の場合はそういうものとは違います。
 これは本能的に「思う」のか、見え坊的に感じるのかは知りませんが考える。
  これは私の性格かも知れないけれど、それだけでは無くて私の世代は大勢の同世代の中で常に競争をさせられてきたために身についてしまった「習性」かも知れないとも思うのです。
 高校時代にはテストがあれば全員ではないけれど席次発表が掲示されたし、数学と英語は能力別クラス編成で、尚且つ学期ごとに入れ替えがあったり・・・
 ともかく順番で並べられることに慣れて来ました。
  マア、そう言うことに鈍感にはなっていますが、でも自分の現在の点数と言うものがあると・・・点数順に入場者が紹介されているわけで、ついつい「自分は今日の入場者の中で何番目?」とリストを数えたくなってしまう・・・悲しい性格です。
 だからって「血のにじむような努力で這い上がる」と言うわけでは無いから「見え坊の割にだらしがない」、いやそういう性格なんですね。
 
 「あなたは社会でどの階層に属すると思いますか?」という質問に「中流」の答が多いらしい。
 マア単純に平均的暮らし振りだから中流と答えているのでしょう。
  そのことの是非はともかくとして、平均的な暮らしならまずはひと安心みたいな心理もあるでしょうね・・・私も生活がそれなら十分に満足です・・・ただし囲碁の棋力を尋ねられて「普通」[中くらい」「平均的」みたいなことで満足感は感じませんね。
 さりとてアマでトップクラスとは程遠い・・・プロ棋士との距離ともさほどに変わらないくらいとおいような気がします。
 さてさてどこなら満足か?、困ったものです。

リベンジ?されたのかも知れない

2009-04-22 12:59:56 | Weblog
先日夜10時頃ネットで囲碁を打ちまして、余りの出来の悪さに我ながら腹がたつやら情け無」いやら・・・まあ100手前後で投了しました。
 その時には気にも止めませんでしたが、以前打ったことがある人が対局室に居たようです。
 入室者リストには名前があったはず・・・
  その時は「イヤー恥ずかしい碁を見られてしまった」程度でしたが・・・それから数時間たって・・・午前4時ごろにネットを覗いてみると対局者リストにわたしの名前が残っているではありませんか。
 それは前夜の対局です。
  対局者同士は「ありがとうございまし」の挨拶を交わして退室しています・・・もしやと思って自分が対局していたところを覗いてみると、やはり昨夜終局時にちらっと名前を見かけたアノ人が残っています。

 まさかこんなにできの悪いこの碁を研究しているはずはない。
  今後私をやっつけるために研究を重ねるほどのものでもないし・・・
  しかもあれから5,6時間も経っています。
 「こういう打ち方をしてはいけません」程度の内容ですから見る時間は3分も要らないでしょう。
 と、なると考えられるのは私の得意技と同じで、棋譜を枕代わりに寝ているのか?
 いや、うなされそうな内容だけど大丈夫かな?・・・
  あるいは以前彼の碁を見ながら寝てしまったことがあって(たぶん)そのリベンジみたいに退室せずに接続したままにして置いて・・・この恥ずかしい碁を閲覧に供しているのか?
 その可能性が一番大きいはず。
  性格が悪いのでしょうそういう想像になります。
 まあ仮にそうであったとしても、「打ってしまったものは仕方がない」「笑われようが・・・見て下さい」と開き直るしかないし、「一緒になって”酷い碁”だと笑うしかない」心境ですから、このリベンジは「カエルの面に○○○○」くらいの効果しかなかったと思いますが。
  性格は強い方ではありませんが、割合打たれ強い面もあります。

 さてそれから数時間して再びネットを覗いてみると・・・
  なんと対局リストにはまだ私の名前が残っています。
 そして入室者は彼が一人いるだけ。
  このくらいになるとネットの管理者がパトロールして戸締りをしても良さそうなんだけれど、そういうサービスは無いようです。
  もし眠っているのなら心配はないのですが、それならば長い時間よく眠れると感心しますし、うらやましくもある。
 しかし、それにしても10時間はパソコンはそのまま・・・もしかして何かあったのでなければ好いのですが。
 少し心配。
  「私に恥ずかしい思いをさせる」と言う意味ではこのリベンジは効果がありませんが「心配をさせる」と言うところでは成功かも知れません。
 もっとも電気代等無駄なことをさせたかも知れませんね。

続・本の話

2009-04-21 17:24:21 | Weblog
 一昨日本の話をしましたが、続きみたいな話です。
  土曜日にスーパーにある本屋でNHK囲碁講座5月号を買った話をしましたが、その時別にもう一冊買いました。
 最近はよほどのことが無ければ新刊本は買わないのですが、囲碁関連の本に関して・・・いや、全般的に言えるのですが近所の図書館は悪く言うと大型の古本屋さんとあまり変わらないような気がします。
 勿論図鑑とか辞書とか思いつきで買うには値段が高い本のようなものは古かろうがそこにあると言うことは有難い。
 しかし、新しく刊行された本を読みたいと言う気持ちもあるわけで、囲碁関連の本に関しては古典的な本も読みたいけれど新刊も見たい。
 ところが図書館には、少なくとも囲碁関連の刊行物は古い本が少し並んでいる程度と言っても良いくらいです。
 私としては、そこにある入門・初級者向けの本以外はすでに顔馴染みになっていて、最近刊行された本は見たことが無いのです。
 つまり、そういう本が読みたければ自分で買うしかないということのようです。

 と言う事で、土曜日は本屋さんのNHKの講座もの刊行物売り場の棚から囲碁将棋コーナーに移動。
 ここも囲碁関連は、狭い本棚で2段分しか無くて、しかも1,2割は初心者向けの本、そしてほとんどが囲碁の本棚定番アイテムみたいな本ばかり。
 最近の本は本の数種類しかないから心もとないけれど、ここは東京の大きな本屋さんに行けないならばあきらめるしかない。
 あるいはネットで本の紹介を見て通販で注文するしかない・・・
  これも手に取って決めるのではないから、勘とか運が作用しそうです。

 土曜日は「マイコミ囲碁文庫シリーズ」がまず目に入りました。
  これは紙の質は落としてありますが、サイズとしては持ち運び(カバンの中に入れる)のには丁度好い。
 何と言っても1000円と言う価格が私としては嬉しい。
  仮に1800円とか2000円を越える囲碁の本があったとして、それを買うのにはよほど内容が気に入ら無ければ、私としては買えない。
 囲碁の本ではないけれど例えば塩野七生さんの「ローマ人の物語」のシリーズなどは一冊の値段が高くて、数か月ごとに続巻が発行されました。
 こういう本は買えるけれど・・・

 本については「面食い」みたいなところがあって、タイトルでひきつけられたりブックカバーが気にったりするミーハーですが、この本はタイトルかな。
 「碁の戦術」これは気に入りました。
 アマのどういうレベルの人に照準を合わせて書かれたのかはわかりませんが、現実の囲碁にはレベルとは関係なく作戦・戦術は必要なわけですから、ある意図をもって碁盤を見るとか、碁盤の状況を生かして作戦を立てると言うことは大事に違いない。
 だから”そういう目”でものを見る訓練みたいに、こういうタイトルの本を読むのもためになると考えました。
 尤もサブタイトルの「アマの知らない21の秘策」は誇大広告かも知れないし、売るためのキャッチコピーかも知れないので、余り印象は良くはないけれど、マア見なかったことにして置きましょう。
 ともあれ毎日昼休みに1章ずつ読むとすると4週間はかかることになる。
  これで昼食後15分の読書と15分の仮眠・・・休み時間もスケジュールで埋まっています。

明け方に・・・

2009-04-20 17:42:03 | Weblog
 年のせいか(都合の悪い時は全て年のせいにします)一気に7,8時間睡眠を取ることが難しいようです。
 最大の原因は体力不足だとか・・・
  眠るのにも体力が必要なものらしい。
 体力が無いから夜は早く眠る、いや転寝ぽくだが意識が何くなる・・・が、しかし3から5時間後には目が覚めてしまう・・・こういう時どうするかが結構難しいのです。
 ある程度は眠った後ですからすぐには眠れるかどうかわかりません。
  さりとて十分な睡眠とは言えないだろうし、翌日の仕事を考えればその時間に起きてしまうのは無茶な話。
 昔から「眠れない不安」とは無縁でしたが、年をとって目ざとくなってしまったようです。

 目ざとくなったのには外的要因も少しはあります。
 家の辺りの新聞配達の時間が概ね3時半ごろなんですが今は昔の配達システムと少し違うような感じがします。
 昔ならそれぞれの配達員さんが新聞店から配達に来たと思うのですが、外の気配から察すると新聞店から車が来て配達地区でそれぞれの配達係の人に配っているような気配がします。
 確かに家の辺りは集合住宅が多いですからその方が効率的でしょう。
  そういう所を見たわけではありませんが、外を走りまわるバイク・自転車・足音から・・・一斉に来て一斉に去ってく感じからそういう気がします。

 それで結局その時間には最も目が覚めやすいので、パソコンにお守りをしてもらっているような感じです。
  ネットでニュースを見たり天気予報を見たり。
 当然ネット碁は観戦します・・・いつものクラブには必ず寄りますし、そこで打っている人が少なければパンダさんも覗きます。
 それで今朝も変な時間にネット碁を覗くと、いつものMさんが対局待ちリストに載っている。
 目が覚めたばかりに対局を申し込むのは大変危険なことですが、でもフラフラと私もオファー。

 今日は私が先でコミ2目半出し。
  4手目までは予想したとおり[私が2連星で白氏は星+目外し]
 ここまでは予想通りでしたが、今日は5手目をいつもと変えてみました。
  ところで寝起きの一局は、私本人は充分に目が覚めているつもりでも、やはり肝心のアンテナ部分は半睡眠状態のようです。
 まあ自分の不注意にそういう言い訳をします。
 隅の死活を読み切れていなかった・・・というか「当然生きているつもり」が白氏の読み通り「白先黒死]。
 何とこれで勝負が終わりなら・・・運の良いことに、「これを捨てたらどうなるか?」と言うことに思い至った。
 1手30秒+考慮時間10分の早碁ですが、ともかく「死んでしまったものは生かせない」「取りに来たんだから取ってもらう」という開き直り戦法にシフトターンするために持ち時間を使いました。
 後から考えてみると「白先黒死」の所を、白氏がすぐに取りに来てくれたことが運が良かったのだと思います。
 確かに隅の石を取りきれば実質40目以上にはなるわけで、取れるものなら取ってしまいたいのは人情。
 そこが結果的に落とし穴だったような気はします。
  
 取られた石が結果的に半捨石的な効果があったようです。
  序盤の絶望的状況から何とか終わって見れば黒5目半残り。
 終局は午前5時・・・今からもう一眠りすると・・・1時間で起きなければいけないから結局は中途半端。
少しでも良い碁を打ちたかったら、明け方・目覚めて直ぐは避けなければいけないと思いつつ、止められない意志の弱さ。
 勝率も望めませんが・・・マア相手をしてくれる人も同じような狢かも知れないですけどね。
 

初心者向けの本

2009-04-19 14:44:08 | Weblog
 昔将棋の棋士の方が書いた文章の中に「囲碁の話はここではしてはいけない」みたいなことが書いてありました。
 ”ここ”とは将棋会館だったと思います。
 なぜ話題にしてはいけないかと言えば、将棋と囲碁のライバル意識みたいな”狭い了見”とは縁が無い。
 むしろその逆で、棋士の中には囲碁好きがおおぜいいるために、ついつい話がヒートアップして「それではいっちょう来い」になるからだと言うのです。
 本業将棋の棋士で趣味が囲碁と言う方は多いらしい。
  ゲームとしては少し違う感じはありますが、”考えて結論を出す””方針を決める”ところ・・・いやもっと単純に言えば「座って」「盤を挟んで」「時間に追われる」ところなどそっくりな感じがします。
 そういうことでは、囲碁将棋と縁のない人、特に女性には囲碁も将棋も区別がつかないかも?・・・いや碁石と駒の違いはあるから区別はつくかも知れませんが、親戚どおしの遊びくらいの認識かも知れません。

 昨日・土曜日に病院帰りに大きなスーパーの中にある本屋さんに行きました。
 ”帰りに”とか”ついでに”と話の都合上書きますが、クリニックと調剤薬局、スーパーとは100メートル以内にある。
 しかも3階の本屋さんに行って、地下の食品コーナーを覗いて、更に表に出て隣のレンタルCD屋さんを覗く・・・全部で5軒の店に行って家につくのが10時半。
 これだから、こういう便利なところから離れません。

 本の話ですが・・・買ったのはこの時期(月の後半)ですから「NHK月刊囲碁講座翌月号」。
 まずはじめに読むのが先崎さんのエッセイです。
  「将棋連盟囲碁部復活」、これが今月号の話題・・・これを読んで昔読んだ話を思い出しました。
 次の読むのが王メイエンさんの「ゾーンプレス超入門」
 この「自分っぽいところを主張する」という説明が大好きです。
  そして後はネット観戦をしながら読んでいきます。
 ところで、4月号から石倉さんの初心者入門コースが始まっています。
  囲碁と言うゲーム・文化を少なくとも維持していくのには常に入門者が必要なわけで、有名な棋士に(ゴーストライターものを含めて)入門講座が無い人は少ない。
 女性棋士でも梅沢さんとか小林さんなども入門ものを書いています。
  さて、手を変え品を変えと言ったら表現が悪いのですがこれだけの入門ものがあると言うことは一応ニーズはあると見てよいのでしょうか?
 本屋さんの本棚には常に1,2割は初心者向け・入門書が並んでいるのですから・・・
 しかし、私の経験では囲碁を始めようとして、まず本屋に並んでいる「入門書」を買ったと言う話は訊いたことが無い。
 私に限って言うと娘や息子に囲碁を教えようと「野望」で買ったことはあります。
 つまり要領よく要点をまとめてある本の力を借りようとした。
  そんなことを考えると覚えたくて自分で買う人より、教えるためとか「囲碁でも覚えろ」と買い与える方が多いかも・・・

 結果論的な話ですが、入門書で覚える人ってどれだけいるのでしょう?
  私の場合「新聞の囲碁欄を毎日見ていて・・・」ですから入門も何もない。
 職人仕事を見て覚えろみたいなものです。
  職場の昼休み碁を見て覚えた人も似たようなものですね。
 と言うことはもっと目に訴えるものが必要・・・例えばゲーム感覚で覚えられるCDのようなものとか、いろんな場面に囲碁のシーンが出てくるとか、有名な人のハ無しの中で囲碁の話題が出るとか。

三日ぶりに対局

2009-04-18 23:08:47 | Weblog
 ブログに書いていたように食べ物のことばかり考えていたわけでもないけれど、実戦から少し遠ざかっていました。
 尤も3日だけですし、ネットには毎日接続して観戦をしていたので、囲碁と接触が無かったと言うことはありません。
 いや、接続するたびに「対局希望者リスト」を見ていたし、”丁度条件が合う人がいれば対局しようかな”とは思うのですが・・・
 打ちたければ対局者リストに登録すれば良い・・・「45分の対局タイプ」「持ち時間10分の早碁」あるいは「対局相手指名」、「結果による点数変動が無い”なかよし棋院”」のどれか、あるいは複数の条件を決めて、相手が誰でも良いのか、あるいは先の範囲とか2子までとかの条件を入力すれば良いだけ。
 面倒な手続きみたいに見えますが、条件一覧表みたいなページがあって、過去の条件が残っているので簡単な手続きです。
 
 但し、私としてはちょっと厄介に感じる問題もあるのです。
  対局条件の中に「忌避者リスト以外」みたいな条件がある。
 私としてはホンノ2,3人ですが、この人との対局は遠慮したいと言う人もいるのです・・・2,3千人会員がいれば当然そういう人も含まれるとは思う。
 例えば私との対局で、形勢が悪い時に投了をせず・時間切れ直前に切断した人。
  観戦中にそういう場面を目撃した人。
 あるいは下手相手の置き碁で、どうにも”あこぎ”な打ち方をする人。
  そう言う人を私のMY情報リストの中で「忌避者リスト」に入れてありますから、仮にそう言う人の名前が対局者リストに遭ったとしても「対局」とはなりません。
 それは良いとしてそれは不公開なわけで、対局者リストには一見条件の合いそうな名前が並ぶことになります。
 点数が同じとかお互いに対局範囲の人同士の名前が並んで掲示板に並ぶ。
  となれば片方がもう片方を忌避しているか、お互いに拒否し合っているかと想像できます。
 マア、そういう風に見えることに少しためらいがあるので、無条件にオファーを出せません。
 但し、打ちたくてたまらない時は自分の名前をリストに載せて、「誰かお願いします」もやりますからいつもと言うわけでもないので、要するに気分屋のところがあるのでしょう。

 そんな事で、ここ3日は何となく対局無しでしたが、土曜日に私が先でコミ6目半貰いと言う人と対局しました。
 コミが貰えると言うセコイ喜び、それにもし負ければ先から2子になると言うちょっとした緊張感が好きです。
 それに「先輩!教えてください」みたいな一種の安心感があるのです。
  結果としては、2子の白番・向こう先・向こう先と3連敗した後の黒番での連勝となりました。
 手合いなどは相手が全て違うのであまり考慮する意味が無いのかも知れませんが、それでも白で3連敗して黒で連勝には違いない。
 と言うことは、しばらくは先番専門で相手を探した方が良い?のかも。

羊のミルク

2009-04-18 18:07:32 | Weblog
 先日NHKの昼の番組を見る機会がありました。
 昼のニュースの後番組で、いろんな地方に出てふるさと自慢の紹介のような話。
  その時は、どこの地方かわかりませんが羊牧場と循環型農業で、レポーターは羊のミルクと羊のチーズ、それにイチゴ・・・こういうレポーターって好いですね、うらやましい。
 普通の「うまいものレポート」ではレポーターも相当苦痛なこともあるそうですね・・・ボリュームのあるものを次から次へ試食するとしたら確かに幸せな気分を通り越しだろうし、取材にそれほど時間をかけられないとしたら一口味わって感想を言う仕事も楽では無いでしょう。

 それはともかく羊のミルク!
  これは私の思い出は一気に50年は昔に飛びます。
 私は羊のミルクを1回だけのんだことがあります、それもコップに1杯。
  その時は何気ないことだったはずなのですが、意外とその時の情景とか羊のミルクの味とか記憶が薄れることはありません。
 
 私が育ったのは地方の市のそのまた市のはずれで、川を挟んで向こう側は当時は月の行政区で郡・町でした。
 港に近く木材が集まって来るところでもあったので広い町内に製材会社が3つに父が勤める製紙会社のパルプ工場、それに漁港に氷を納める製氷会社がありましたが商店は0、住んでいるのが14家族ですから。
 そういうところですから今とは違って子供たちは皆仲が良い。
  必然的と言うか同じ年代だけでなく年齢差を超えて遊ぶのです・・・そうしなければ遊びにならないですから当たり前のことですね。
 小学校の町内対抗ソフトボール大会では、高学年だけではチームが作れずに低学年までチームに入れ、尚且他の町内の選手に洩れた子を借りて9人しかいないチームであわや優勝と言うところまで行くのですから、日頃の遊びで出来たスポーツ勘とかチームワークが良かったようです。
 ともかく一番はずれにある町内ですが、そのまた町の外側に家がありました。
  
 港に繋がる道筋にある町、と言っても町名はあるけれど人が住んでいるわけでは無いから感覚としては町という感じはしません。
 そういう所にI君の家族は引っ越して来た。
  その町内にはI君の家族しか住んでいない。
 引っ越してきて周りに一軒も家が無いので自然に近所に友達が出来ると言うことはなかったのでしょう。
 彼のお母さんが心配をしてI君とその弟を連れて私たちが遊んでいるところへやって来て「一緒に遊んでね」と言うことになりました。
  学校では転校生としては知っていましたが、この町の隣に住んでいたこと、兄弟がいることを知りました。
 ある時彼の家を訪ねた時、同じ町内では当たり前ですがI君の家では喜んでくれました・・・こういうことは今なら分かりますが当時はなぜそんなに喜んでもらえるのか不思議でした・・・。
 彼の家は道の横を流れる2mほどの水路を木の橋で渡ります。
  家の前には空き地と言うか作業用の広場みたいなところがあるのですが、その脇に羊小屋がありました。
 羊と言うのは見てわかりましたが、実際に家で飼っているのは初めて見ました。
 そしてI君のお母さんから羊のミルクを貰ったのです。
  私の叔母の家では乳牛を飼っていたので、一升瓶でしぼりたての牛乳を貰うことはあったのですが、流石に羊のミルクは初めて。
 少し青草の匂いのする独特の味です。
  このたった1回の記憶が50年も生き続けるなんて不思議ですね。
 
 もし広い土地を持つことができたら羊を飼いたいし、スーパーで羊のチーズを売っていれば買いたくなります。
 昨日も自分の食いしん坊の性格の話をしましたが、やはりそう言うものは子供の時から始まっているのですね。

 そう言えばその町内には池や川があって海も近かったからいろんな物を取って食べました。
 海ではアサリ、小アジ、ワタリガニ、川や池ではドジョウやアメリカザリガニ、淡水のコエビ、モズクガニ・・・。

食いしん坊

2009-04-17 18:31:39 | Weblog
 子供の頃、仏壇のある家がうらやましかった。
 理由は単純で、お供え物を狙えるから・・・尤もお線香の匂いはやや苦手です。
  父の生家が神主の家で、家族に亡くなった人がいなかったので仏壇が無かったのは当たり前で、家には神棚だけなので、線香では無く榊と言うことで匂いはしません。
 そのせいか、仏事での焼香とか線香のにおいとかは苦手な部類で、蚊取り線香の匂いを嗅ぎ過ぎるとお腹が痛くなるような気がします・・・マア気のせいかも知れませんが。
 
 ともかく当時は家族7人!・・・両親と子供だけで7人ですから今から考えると凄いですね。
 当時としては子だくさんのうちに入るもののそれほど珍しくはなかった。
  とはいえ一人っ子とか子供が二人だけの友達は、親から何でも買って貰えるようで羨ましかったですね。
 但し、自分が5人兄弟の5番目と言うのが矛盾だと気がついていましたから”子供ながら”偉いかも(自分で言っていれば世話はない)。
 子供の人数で言えば、すぐ上の姉・三女と私・二男で末っ子は存在自体が矛盾みたいなもので、その当人が「兄弟が多すぎる」とは言えないことは子供の時から分かっていたと言うことです。
 まあ、そうは言っても夕食の時などはまるでホームドラマの食事風景みたいなもので、90センチ四方の食台を囲む。
 これは昔サイズの半畳の大きさで冬になれば切り炬燵になるところ。
  それで私の定位置は父と母の間、ここが末っ子としての権利を享受するのに最も都合がよい場所なのです。
 
 最近の子供は何種類かのおかずがあると、好物を食べるのを後回しにするとか・・・うちの子供もそういう傾向があるかも知れませんが、そう言うのは子供の数と関係があるでしょうね。
 ともかく7人家族・子供が5人ではそんな悠長なことでは生き残れない?
  大皿に盛られたものなら競争確率は兄弟で同じですが、一人ずつに盛られたものであれば両親の間に座っている利点を発揮します。
 「親は末っ子には甘い」という弱点をフルに利用しますから、姉などには「この子はおかずが3人分あるようなもの」と非難されたものです。
 マアそれでも、姉たちも「末っ子は両親と暮らす年月が一番短いから仕方がない」と言ってくれるのを良いことに、食いしん坊で甘えん坊の末っ子が出来上がったのです。

 姉と言えばい一番上と二番目の姉も故郷で暮らしていて季節ごとに食べ物を送ってくれる・・・両親は無くなっても、今でも末っ子の特権が続いているようなものですね。
 お茶とミカンの産地ですから初夏には新茶暮にはミカン。
  それに最近では品種改良された柑橘類や暖かいところで育つ果物類、姉たちの知り合いのイチゴ農家から分けてもらったイチゴの加工品。
 海苔や鰹節、タタミ鰯などの海産物。
  海産物と言えば今の季節なら何と言っても「生サクラエビ」
 TVのニュースではサクラエビの天日干しを見ましたが、丁度サクラの季節にサクラ色のエビですから、4月は好物のサクラエビとホタルイカ。
 ホタルイカは富山湾ですが、サクラエビの方は親戚に漁師さんがいたせいか、当たり前のようにおすそ分けにあずかっていた。
 今にして思うと簡単には手に入らない。
  生のシラスに生サクラエビ・・・食べ物で故郷を懐かしんでいます・・・ほんとに都合が良い時だけ故郷が懐かしい。
 今年は姉からまだサクラエビ便が届いていない・・・さて催促も出来ないし。
 最後の手段は、故郷に行って贔屓チームのサッカーの試合を見る・・・あのサッカー場の近くに姉の家があるのです。