なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

嬉しい案内状

2007-09-30 16:29:36 | Weblog
 昨日は毎年来る案内状の中で「同窓会」というか同窓会名簿の話をしました。
 どんなものにせよ、外の社会から全く相手にされていないということは嬉しいのですが、さりとて歓迎できるようなものでもなさそうです。
 普通のDMなら数打てば当たる程度に期待されているのだろうと想像できますから、葉書にせよポスティングされたチラシにせよ、ゴミ箱に入れれば済む
 マア送った方も、何かの折に話題に上れば良いという程度でしょう
  ところが、出身校の同窓会を名乗っているものは困る。
 同窓会が営利活動などしていないはずなんだけれど、全く無関係でもないような そうだ昔東京の下町にあるビルに用事で行った時、別のフロアーに「同窓会本部」という看板が出ていました。
 そういう事業をしている会社ということでしょうね
  何だか胡散臭そうで・・・以来偏見かも知れませんが「同窓会」には良い感情を持っていません
 
 似たようなものにセールス電話がありますね。
  職員名簿などを見て、職場に電話をかけてきます
 海外取引・マンション経営・先物取引・・・こういう誘いに乗る人っているのだろうか?
 不思議ですけれど、全くいないならばこういう電話セールスそのものも成り立たない筈ですね?
  ということは、「オレオレ」もそうだけれど何だか怖い話です
 職場だけではなくて当然家にもかかってきます・・・全く住民名簿のようなものが流れているとしか考えられません
 内容は職場と同じようなものですが、流石に家ですから、リフォームだとか保険だとか・・・更に墓地・冠婚葬祭互助会・・・全く私のためなんでしょうね!
 息子・娘宛にもセールス電話は来る
 「○○さんいますか?」
 「どちらサマでしょうか?」
 「△△と申します、○○さんの友達です」
   自分で友人を名乗る人は、ほぼ完璧に怪しい
   本当の友人は自分で「友人」とは言わない、単に名前を名乗ります
  こちらにしても、いつも付き合いのある友人は分かる。
 「息子の友人に○○さんという人は居ません」
   それでも相手は負けていない「イエ、友人です」
 「本人がそう言っています」
 「イエ、友人です」
 「本人が知らないと言っているのに、おかしな人ですね」
 「あなたは親ですか?、親でも電話を繋がないなんていうことをしても良いのですか?」
 そういう押しの強さは一体何なのか?
  こういう電話は殆ど「電話センター」らしい、バックに騒音が流れていますね
 
  全く歓迎できない電話です、、、さりとて電話機が鳴っているのに放っても置けないし困ったものです。
  さて話が相当脱線気味ですが、本題に入ります
 今朝全く予期せぬ嬉しい案内状が届きました。
案内状に返信用葉書が同封されています
 宛先は「第十回 趙治勲杯囲碁大会事務局」・・・おーやった!。
 実は全く期待していなかった・・・それには訳があります。
 というのは、この催しは年度毎の開催らしい、4月から始まって3月末迄の
 ということで私が初めて参加したのが一昨年の第8回からで
 第9会は昨年開かれず、中止なのかと気を揉んでいたところ、今年に入ってから開かれました。
 考えてみれば年度開催ということで、年1回では有ります
 そういうことですから、なんとなくではあるが次回も年明け開催になったような気になっていました
 しかし第10回はいつもと同じ時期に戻ったようです。
  
 内容はどうやら例年通り
  昨年は団体戦の案内がありましたが、今年はそれが無いところを見ると、全て個人戦に戻ったようです
  クラス分けはABCの三つ、それと子供子供大会、更に会場では加藤朋子五段と鶴山淳志六段の指導碁があるらしい。
  絶対参加ですね
 持ち時間が各35分で切れ負けということでその辺は少し不満ですが、これだけ大人数の大会では主催者も運営が大変だから時間の余裕が欲しいのでしょうから仕方ない面もありますね。
 それにこの大会は、勝ち抜いて全国大会へなどというような大会ではないから、こういう持ち時間も仕方ない問題かも知れません(持ち時間を延ばして2日制には出来ないでしょうね)。
 同じクラス16人が一つのグループになって1人4回戦で全勝者にご褒美
  私は第8回が3勝1敗でご褒美を逃し、第9回は意気込んでいた割には上滑りして2勝2敗・・・今年こそとはと気合が入り過ぎたのが裏目に出たのでしょうが、その点は今年も要注意ですね
 何といっても私は第1局目が始まる前に震えが来る性質ですから・・・ビビルか入れ込むかのどちらか(勿論顔は普段ののんびり顔でしょうが)
 ともかくこの大会では旧交を温められます。
  昔お世話になったK畑師匠の教室の女性人も数人参加するでしょうし、市内の碁会所の仲間、コミュニティの仲間、それに前々回・前回同じグループで碁を打った面々・・・
 そういえば大会委員長はそのK畑師匠のそのまた師匠みたいな方です
  今年は師匠は参加するのだろうか?
 大会委員長の主宰する碁会所にK畑師匠もいるはずだから、これは大会前に覗かなくてはいけませんね。
  いずれにしてもこういう会は、「例え雨が降ろうと槍が降ろうと」はたまた「少々熱があろうと」絶対参加です。
 間違いの無いように締め切りに余裕を持って、明日には参加申し込みの葉書を出そうかな?
  イヤ待て!
 「早く出す人」と「締め切りギリギリの人」がいるようです
  毎年私は即出すタイプ・・・で2回とも同じような人と同じグループになったような気がする(気のせいかな?)
 どういうメンバーのグループに入るかは運でしかないのですが、もしかしたら申し込みの葉書を出すところから”大会は始まっている”かもしれない
  マア、我ながらいろいろ考えるジイサマです 

同窓会

2007-09-29 18:12:20 | Weblog
 毎年届く案内状があります。
 9月と決まっているかどうか定かではありませんが、年に一度は届きます
 全く私にとっては有難迷惑の「同窓会名簿購入案内状」です
 これは何だか変というか、「同窓会」という商売でしょうね。
  毎年毎年案内が来ます・・・一度も買ったことはありませんから、向こうも意地になっているのかな?
 卒業生だから同窓会名簿を購入するのは当たり前みたいな感じです
 結構高額だし、誰が買うのかな?
 どういうことに使うのか・・・マア同窓会だから何かの役に立つことはあるだろうけれど、電話セールスとかDMに使うのが多いのではないのかな。
 手紙を出したりするような親友なら名簿を買わなくても分かるし、誰かに聞けば済むことだし
 毎年400人以上の卒業生があるから、新卒者と未購入者はターゲットなんでしょうね。
 でもこんなに販売数が予測できないものを商売にするのは・・・
  パソコンでデータベースを作っておいて、必要だけプリントして製本するのかな?
 そしてデータベースの提供者は?
 同窓会員で無い人の方が利用してたりして・・・
 何だか胡散臭さがプンプン漂います

 ところで本物の同窓会・・・これもほぼ毎年案内が来る。
 初めは単年度卒業生だけだったけれど、流石に規模が小さすぎるのか、複数年度合同同窓会になっています。
 マアそれでも役員の名前を見るとやはり懐かしさはある。
  私の名前も忘れずに連絡が来ること自体嬉しい・・・でも
 一度も出席したことが無い。
 帰郷して参加と言うのも一寸面倒ではあるが、これが偶に東京で開かれてもやはり参加する気になれない。
  私には「どうしても出席したい」という気持ちが湧いてこないのです
 同窓生を懐かしいと思う気持ちは、多分人並みにあるとは思います、私にも
 でも会って”昔話に花を咲かす”と言うところがどうも
  更にそのためにどこかに行くというのも気持ちに引っ掛かりがあって、どうしても参加する気になれないのです。
 若い頃には「そんなに昔話をしたい年でもないでしょう」という気分。
 年を取ってみても「今更会っても・・・」という物臭的
 勿論、昔皆に迷惑ばかり掛けていたから糾弾される恐れもあるし、偉そうにしていたのにタダのジイサマにしかなっていないという恥ずかしさもあるけれど

 さて出身高校の同窓会は何十回も連続パス
  だから誤解されやすいでしょうね・・・
 多分帰郷した折に道でばったり出会ったりしたら、昔よくとぐろを巻いていたジャズ喫茶(今でもあれば)などでコーヒーを飲みながら懐かしい曲を聴いたりするかも・・・そういう出会いならごく自然に出来そう。
 それにと大勢一緒というのにも弱い!
  それは当たっている、でも100%正解ではありません。
 つまり集まって何をするかが問題なのです。
 懐かしい顔を見て、話が出来れば最高と言う人はそれはそれで良いでしょうが、私は・・・
 もしこれが、「集まって碁を打ちましょう」だったら積極的に世話人を買って出るくらい・・・我が儘なんだろうなー。
 
 だから私は多少は「いい人系」ですが、「いつでも誰にもいい人」ではない
 かなり限定されていて・・・碁を打たない人にとっては良い人ではないかも知れないのです。
 と言うことで卒業の同窓会ではなくて、今進行中のネット碁の同窓会なら是非やりたい・・・以下妄想
 元々実名ネットですから、会員が集まって顔をさらすのは匿名のネットに比べれば問題は少ないでしょう。
 ネット仲間が集まってリアルの囲碁三昧というのはどうだろうナ
  マア当然自由参加で、例えば「首都圏大会」
 開催日に集合して囲碁大会・・・終了後親睦会・・・更に遠くから来た人は宿泊付きで
 半年後には東北・北海道大会なんていうのもいいですね
  「碁石温泉」集合何とか・・・囲碁と温泉と景勝地を楽しむ会
 北陸大会とか九州も良いし四国なども・・・
  だんだん落語の湯屋番の若旦那みたいになっていってしまいそう。
 マア事務局が呼びかけて、賛同者がある程度いないと無理だとは思うけれど、こういう会なら絶対参加。
 どうなんでしょうね? 
 通信教育のスクーリングみたいに、ネットのリアル版もあっても良いかな?
 それではネットの特徴に反するような気もするけれど、いろんな楽しみ方が有ってもいいでしょう? 

定石を憶えて・・・

2007-09-28 19:00:14 | Weblog
 Fさんに定石の説明をしながら頭の片隅では『定石を憶えて2目弱くなり』という言葉がよぎっていった。
 これはかなりの確率で正しいですよね。
 正しいとか間違いとかを言うのに確率はおかしいかもしれませんが、例外が少ないというか、誰しも思い当たるところがありそうという意味で正しそう
 でも、当然のことですが「定石を憶えると弱くなる」という逆説ではない
 そんなことがあったら、定石をたくさん憶えた人のほうが弱くなる?
 それでも、一見そんな風に見えるようなところもある程の面白さもありそう
新しい定石を憶えるとTPOを考えずに試したくなるし、定石によっては使い勝手というか”取り扱い注意”的なものもあるから、なれない火遊びで火傷をすることが多い
 だからその失敗の原因たる2行目を飛ばして、1行目の「定石を憶える」から3行目の結論「弱くなる」を結び付けている・・・面白いというか
 簡単に言えば「生兵法は怪我の元」
  それではあまりにそっけない言い方ですから面白くしたのでしょう

 ところで新しい定石を憶えれば使ってみたくなるのは普通の心理でしょう
 新しい服を買ったら何処かに出かけたくなるみたいに・・・
 つまり外出するために買った服→新しい服があるからどこかへ行きたい、に逆転しているみたいで「定石・・・」の話に似ているところがあるようです。

  一寸寄り道
 新しい履物の場合も似たような心理が働きます・・・昔の話ですが
 小学校時代通学は運動靴でしたが、家の周りでは下駄のことも多かったから、チャンバラや野球まで下駄履きでやったことがある
 更に貯木池の丸太の上も渡ったり・・・(身軽なスタイルの時代です)
 高校の時でさえ雨の日は下駄通学OKだったのですから
  更に昔なら、お盆とか暮れに下駄を貰うということもあったらしい
 まあともかく日常の生活の中に下駄は存在していた
 何といっても台所が土間でしたからね、ここは下駄の世界ですし、今と違って下駄では入館禁止という建物は無かったでしょうから(市内にデパートなどなかったし)
 そんな時代ですから、夏の夜は浴衣に下駄履きで出かけます。
 これなら私服外出のチェックにまず引っかからないですし
  細かな絣模様に団扇か扇子を持って・・・(高校時代です)
 さて新しい下駄を貰うと出かけたくなるものです・・・これは今のように新しい靴と置き換えられないほど「下駄」の方が強いのでは?
  靴の方は人に見せる?下駄のほうは自分の感触を楽しむでしょうか
 但し新しい履物を夜下ろすのは何かのタブーに触れるらしい
  「夜口笛を吹いてはいけない」は魔物などを呼び寄せるというタブーですが、履物はよく分からないが「オマジナイ」は生きていました
 履物の裏に消し炭などで一寸汚す・・・何の意味かは分かりませんが
  今にして思うと「使いなれたものだから、事故には遭いませんよ」というオマジナイか、それとも夜どこかで魔物に見られて「新品をねたまれるのを嫌った」のか・・・さあどっちだろう?
 使い慣れているというオマジナイなら「定石・・・」と一脈通じるものが無いだろうか
 定石の場合オマジナイでは問題の解決にはなりませんが

 私の知り合いに何処かの若手プロの研究成果に敏感な人がいまして、当然ですが難解定石とか一歩間違えば谷底みたいな危険と隣り合わせの定石が好きな人がいます。
 勿論それなりの理由はあるでしょう
  最新の研究成果なら、まだ知っている人が少ないから対応ミスを誘いやすい
  難解定石なら、相手がビビッて避けたがる場合それだけで効果があるかも
  そういう勉強熱心なところを誇示したいという下心も無しではなかったでしょうが、それはマア彼の名誉の為に触れないしてことにして
  さてそういうところがあるから、ハメ手やらナダレやら韓国最新版などバラエティに富んでいる。
 そういう意味では楽しい相手ともいえますが
 (私などこの正反対的で、ありきたりの極々普通の感じです)
 なぜか私がお試し台になることが多かったような気がします。
  試してみるのに格好の相手だったのかも知れませんね、多分相手にとって予想通りの反応をするのでしょう。
 まあしかし、最初の実験みたいなものですから、彼が勝手に転ぶことも多かったから必ずしも成功はしないのです、決まれば鮮やかということでしょうが。
 そのせいか、彼はその成功の味が忘れられないのか・・・今何処かの保険のTVCMにあったですね「彼は成功を忘れられない・・・」

 彼は新しいもの、相手があっと驚くようなものが大好きで、例え失敗しようとメゲルような弱い性格ではない
 それでは彼がこういう半分道楽みたいな打ち方をしなかったら今より勝率が上がるのだろうか?・・・かなり予測が難しいですね。
 それで彼の場合は次々と新しいものを試すタイプで、当然失敗もついて回る
 私も新しいことをやらないわけではないが、当然の失敗に「懲りない」タイプ
  だから、相当しつこく繰り返す
 失敗を重ねないと身につかないという開き直りがあります
  だから「定石を憶えて2目弱くなり」は相当な確率で正しいとして、「それに懲りてはいけない」とも思っているのです。
 定石を憶えて失敗するのはご愛嬌で、せっかく憶えたものを実戦で試さなくてはいけないですよね。
 問題は状況とその定石がフィットしているかどうか・・・でもそれにしても失敗を重ねなければ身につかないものもあるでしょう?なんといっても私は素人ですからね 

何処まで行けそう?

2007-09-27 18:44:49 | Weblog
 今日の昼休みは久々Fさんとの対局
 その碁のことではないですが・・・夕べFさんとKさんは夜遅くまで打ったとかでFさんが車で家に帰って軽く食事をしたら11時だったというから10時近くまで二人で打ったらしい。
 夕べはKさんが好調らしく3子で3連勝で置石が2子になったといいます。
 「二人だけの対局ですから好調な相手と不調な時に対戦したらかなり結果が偏るはずですね」・・・慰めにもならないですが
 そういえば、その前の日Fさんが居ないのでKさんと対局して局後にKさんを励ましている・・・間接的ですが
 Fさんは今彼の仲間内か何処かのグループで2Dとなったらしいのですが、Kさんはその彼に3子になったのが悔しいらしい・・・
 多分KさんとしてはFさんに先なら1D各を名乗れると思っているはずですから
 
 私はその辺には直接触れずに
「Kさん、詰め碁をたくさんやってください。極端に聞こえるかも知れませんが、それだけで1Dや2Dには成れますよ」と強く詰め碁を勧める。
私は極端かも知れないが本当にそう思っています。
 勿論詰め碁以外のことはどうでも良いなどとは言いません。
  ともかく詰め碁をたくさんやることで急所を理解できるだろうし、何より問題を解くということで考える習慣がつくと思うのです。
 更に「問題」=「手がある」から実戦のノーヒントの場面で気がつくようになれば本物・・・そう思っているのです
「詰め碁が出来ると、定石の理解も深くなるはずですよ、寄せにも役立ちます・・・ですからそこまで行けば3,4Dにはいけるでしょう」
 勿論碁会所とか普通レベルのネットでの物差しです
「マア、5Dとなると大局観というか、全体を見る力や構想力が備わっていないと乗り越えがたい壁でしょうが、ともかくそこまではいけるはずですから頑張ってください」
 蝙蝠男といわれようと、ドンドン励ましてしまいます。
 勿論自分でもそう思っていることですから、嘘を言っているつもりはありません。
 マア、多少誇大広告かも知れませんが、人間勢いがつけば本当に実現出来そうです。
 さてその励ましが早速その日の夕方に効果を発揮したかどうかは流石に怪しいですね。
 
 さて先日このブログに質問のコメントをもらいました。
「今から碁を始めてどのくらいまで行けるものなのか?」という趣旨だと思います
  難しい質問ですね、囲碁将棋など向き不向きというか個人差は相当大きいと思うからです。
 でも、何才から始めるかは勿論一つの要素でしょうが、私たちはプロを目指しているわけではないので最も重要なのはどのくらいの時間と気持ちを注げるかでは無いでしょうか。
 昔聞いた話ですが、定年後囲碁を始めた人が5Dまで行ったとか。
  それまで仕事の都合で取り組めなかったけれど、余程隠れた才能として眠っていたのか知れません。
  但し、それなりの努力はしたらしい・・・そこのところが大事でしょうか
 いずれにせよ60過ぎから始めて5Dは例外的なことかもしれませんが、でも1D2Dなら努力しだいでは実現可能だと思うのです。
 
 長年やっているのになかなかDになれないという人がいたらごめんなさい。
  表現はきついかも知れませんが、それは努力はしていてももしかしたら間違った努力かもしれない・・・或いは本人は努力していると思っていてももしかしたら違うかも知れないと思うのです
 厳しい言い方をしましたがDでなくてはいけないと言っているのではありません
  人それぞれに楽しみ方があって、それが最も重要なことでそれぞれが目標とする棋力は「何処で一応満足できるか」目安に過ぎません。
 ですからかなり年配で始めようと言う方は、5Dとか6Dを目指すのはかなり厳しいけれど、そうでないならばかなりのところまで行ける筈と思います。

 私事です
 プロを目指すなら子供の頃から始めるのが良い・・・ですから歌舞伎にせよ他の習い事など子供には6才から始めるのが普通らしい。
 成る程「三つ子の魂」「雀百まで・・・」と言いますが三つはともかく6才がスタートらしい。
 成る程そうしてみると私が小学校1年の時から新聞の棋譜を毎日見る習慣になったのは多少は意味のあることだったようです。
 もしこの時周囲に囲碁の高段者がいて、手ほどきを受けていたら・・・
  ウーム人生にもしもは起こらない!
   まあ冗談ですが、将棋欄のついでの囲碁欄でしたから、ホントについで
 でも、その6才の頭だから大人のように碁のルールなど疑問に感じなかったらしい・・・そこに書いてある通りに受け取った・・・マア理解力は幼稚ですが。
 ともかく打てるようになっていた・・・勿論6,7年後に始めて対局したのですから効率と言う面では非常に効率が悪い。
 そういう意味では時間がかかりすぎですが、ルールを理解すると言う面では不思議と分かっていたらしい・・・隅の曲がり4目の生き死にも

 でも初めて打った時でおそらく2桁級でしょうね。
  まあ、曲りなりに打てると言った程度。
 それでも大学生の頃に、後輩たちを集めて盛んに打った頃(その頃でも指導者はいなかった)でおそらく5,6級かな。
 自称初段と言う人に勝ったり、良い勝負をしていましたが流石に初段はありえない
 その後町の道場で元将棋プロに囲碁を教わって・・・この頃で2級くらいか(もっともこの2Kはやや辛いかも)
 さて碁会所通いを始めて、そこでD仲間に入りましたが「いつかは5Dに慣れるだろうか?」と憧れに似た気持ちを抱いたのが懐かしいですね。
 
 さて現在は職場やコミュニティで多少偉そうな顔をして打っていますが、囲碁を楽しむと言うことでは皆同じ仲間ですね。
 それと「何才から始めたらどのくらいまで行けそうか?」と言うことで・・・
「5Dに成れたら良いな」と思いはしましたが、あくまでも憧れで、それを目標としたことは無いのです
  囲碁が好きで、他のことより囲碁が一番好きなので結局はそこに時間も気持ちも多少のお金も使う・・・その結果ですか。
  そこそこの棋力と囲碁仲間がいるという事です
  勿論同時にいろんなことは出来ませんから、もし囲碁以外の何かをやっていれば得られたかも知れない”何か”は手に入らなかったかも知れませんが、当然後悔するようなことは無いですね。
  マア家族にとっては「バリバリ仕事をしてドンドン出世するような」親父ではないから、まあ不幸かも知れませんが親父本人は好き勝手にやらしてもらっている家族に感謝!! 
 
 まあ今は年も年?ですから進歩と言ってもミリ単位どころかナノメートル単位かもしれません。 
 囲碁が好きですから何かやっていたいし、その結果例え僅かでも!
  もっとも昔ダークダックスの歌った「銀色の道」  
   「・・・休めば下がる・・・」当然休む気などありません。
  マア遊んでいるだけですけど 

五十歩百歩

2007-09-26 18:56:48 | Weblog
 先日来政治向きのニュースで、やたらと「背水の陣」を強調している人がいる。
 まあ一歩も引けないという覚悟を表してはいるのでしょう・・・が、気持ちは気持ちとして違和感を感じるのです。
 兵隊たちに前に進むしか生き残る道は無いという覚悟をさせるために敢えて「背水の陣」を敷いたわけで、古来戦陣としてはあり得ないことだったわけで・・・成功したのもその時一度だけだったのではないでしょうか?
 信長も義元奇襲作戦は二度と使わなかった・・・
  イヤ、兵法というか軍学の話ではなくて、単に「五十歩百歩」の話です。
 職場碁では偉そうな顔をしていますが、私より強い人とかプロから見れば、先輩顔をして寝言を言っているように聞こえるでしょうね。
 五十歩百歩であり、多少の置石の差なんてドングリの背比べでしょう

 今日の昼休みは「あれっ!?Fさんが居ない」という感じ
 彼はいつもなら昼休みのお弁当はややフライングの常習犯なんだけれど、昼休み5分前に席に居ないというのは流石に早すぎる。
 どうやら午前中は現場に出て、そのまま外食をして帰るようです。
  成る程業者から届いたお弁当が少ないはずです
 となると、昨日に続いて昼休みは仮眠タイムになりそう・・・マア連日の早起き碁ですから仮眠も良いか。
 そこで、Kさんから声がかかった
 私が仮眠体勢だったので「悪いですねェ」と大いに恐縮している
「いえいえ、いつでも声を掛けてください、さあ、打ちましょう」
『お互い碁キチ同士、遠慮など無しで楽しみましょう』
 年とか役職の上下、棋力などは関係なく、碁を楽しむということに関しては同じ
  まあ楽しみ方に、多少の上下とか、品みたいなものはあるかも知れませんが
 でも「打とう」と声がかかれば1も2も無し!
  例え仮眠が取れなくて、午後に睡魔との闘いが待っていようとも後悔はいたしません。
 今の職場では車で外出する仕事は無いので、そのあたりの危険は無い
 マア、堂々と舟をこいでいたら、同僚と来客には顰蹙を買うでしょうが、その辺りはジイサマの厚かましさで乗り切る?

 Kさんは先日向こう5子で3目残りました。
 「たった3目」なのか「残った事に意味がある」か、さあどっちでしょう
 私などは後者の方に近いのですが、前者の方も割合に多いようです。
私がKさんだったら・・・「例え僅かでも3目残ったということは、大筋正しい打ち方だったはず」と考える・・・イヤ仮定でも良い。
 勿論白にも間違いはあるはずですが、ともかくその様に考える。
  であるなら、再度同じ立ち上がりを試みたいと思うのです。
  白が前回の打ち方を振り返って、工夫を加えるなら必ずやどこかで変化するはず・・・そしてその変化にも対応する打ち方をする・・・
 虱潰し的というか、こういう風に5子を乗り越えたいと思わないのでしょうか?
  そこのところは他人の考えることなのでわかりませんが
 迷路の中で正しい道の発見法みたいな感じかも知れません。
  高みから全体を見ることが出来れば簡単ですが、自分の目線で判断するしかないなら、間違ったらそこからやり直すみたいな試行錯誤で行くしかないと思うのです。
 「暇人は勝手にやっていろ」と言われかねないですがね
Kさんを拝見すると、前回の成功・失敗にかかわらずいつも打ち方を変えたくなるようです。
 「いつも同じではつまらない」或いは「白さんも面白くなかろう」という気持ちもあるように見えます。
 相手をしている私としては全く余計な気遣いだと思うし、「前に打った記憶・記録」は今とどう繋がっていくのだろう?と思うのです。
 上手くいったこと、成功したことをもっと大事にして欲しい
 白は失敗とか、黒にしてやられたところなど必ずや変化させていくのです。
 だから黒が上手くいったことを繰り返そうとしても、白が変えていくのですから同じにはなりっこない。
 ところが黒が失敗などを繰り返すのはこの裏返し的かも知れない・・・

 ともかく、前回の碁の立ち上がりとは黒4で変わってきた。
 『私なら変えないのにな』と思ったけれど、ともかくこれがKさんスタイルなんでしょう。
 もっともこの辺りで『オヤッ?』という手もあった(それは後で)
黒さんは白の数子を取ってかなりの優勢!・・・但しKさんの価値観ではこの「数子」はたいした数ではかなったのでしょう。
 白から見れば「後はさらさら」で黒楽勝なんですが、当の本人は違うらしい。
 前回はヤヤ消極的な感じで3目残した。
 今回は積極策に出て・・・潰れてしまった!
  さて黒さんはここからどういう教訓を得るだろう?
 白をつぶしに行ったのが間違いであって、積極策そのものは間違いではなかった・・・となるだろうか?
 それとも羹に懲りて膾を吹くようになるだろうか?
 この辺りの説明は意外と難しいのではないでしょうか
 積極策=白を潰したいが誤りで、積極策そのものは間違いではない
 但し「気持ちよく勝ちたいから」という部分が混じっていると相当危険因子
 しいて言うなら「白に仕事をさせないような打ち方」だろうか?
  先とか2子ならともかく4子、5子の置き碁ですからね
 ともかくKさんには超積極策と亀さん的消極策が混在しているようです。

 ところで今日気になった定石・・・最も基本的な定石の一つの変化形
 [黒の星に白小ケイマかかり][黒上ツケ][白ハネ][黒ノビ]ここで白が這い黒が押さえれば完全にツケノビ定石で白は大ケイマとか大々ケイマに開き、黒も星とかに開く・或いは固く打つなら1間でしょうか
 ともかく5子でこう打ってしまったら、4隅の内の一隅はなんていうことなく打ち切りとなってしまいそうですから、流石に白は打ちにくい
 そこでホンの少し変化球
 消える魔球クラスではないです、チェンジアップというかシンカー程度
  白ハイでは無くコスミ、黒飛びつけ、白割り込み、黒アテ、白ツギ・・・ここまで他に変化しようが無いが、その次
 黒は次ぐ所が2箇所ある・・・
 この辺りの変化とか、目前の損得と全体というか、全局的な厚さなどを説明
 Kさんはやはり「1目も損をしたくなかったらしい」
  その彼にして頭では中を継ぐところと分かってはいるらしい。
 マアそういうのが「分かっている」ことになるのかどうかという問題はあります
 尤も、それを言ったら教えている白の私だって威張れたものではない
  五十歩が百歩を諭している全くこっけいな図です。
   掛け軸にしてお宝鑑定団に出したいくらい
  まさに怪しげな教えです
 でもマア素人だからこんなものでしょう
  五十歩と百歩は大差ないとは言いながら、やはり五十歩は百歩より五十歩違うのだと開き直るしかないのかな 

今朝は1敗1勝

2007-09-25 18:45:08 | Weblog
 今朝は2回連続の3連休の週明けですから休養十分ですっきりした目覚め・・・マア何時だって休養十分というか、疲れる程仕事をしないというか。
 自分では、仕事のストレスが溜まらないタイプだと思っているのですが、他人様の評価は知りません。
 さてすっきり目覚めてそれなりに颯爽と起き出したはずですが、習慣でまずパソコンの電源を入れてネットに接続 
 早速対局希望者リストを覗くと、居た、おなじみさん
  最初は考えることは考えたのです・・・『置きぬけのボンヤリ頭では敗戦必至』・・・しかし自制心が薄弱というか、碁キチ魂に押し切られたというか。
 碁を打たない人から見たら単なるアホなんでしょうね。
  同じアホなら「早朝野球」とか「早朝ウォーキング」だと健康的な感じですが、それに比べると「早朝碁」はただ「好きなんですね」でお終い。
 時間は朝5時半、1局打つのには時間は十分にありそう
 見れば、打ちたいという人がリストに居るのに、対局相手がなかなか現れないではないか・・・「それはいけない!」
 「義を見てせざるは勇無きなり!?」
 「ここで名乗りを上げなくては碁キチの名折れ」
   まあ頭から飛び込んだようなものですね
 内容は案の定!
  全くちぐはぐ:アクセルとブレーキを交互に踏んで全く何をやっているやら
 対して相手は模様を張って待ち構えていて、飛んで火に入る夏の虫
  朝から餌に食いついて釣り上げられたというか、アリ地獄に落ちたというか
 相手にとってわかりやすくて御しやすい相手だろうな・私は。
  最後は手順前後の決め技を披露して見事なつぶれでした。
  頭にも準備運動が必要なんですね、いまさらながら情けない
 『わかっちゃいるけど止められない』
 序盤戦でゲームセット・・・『やっぱりな』と思う反面やはり物足りない
  そこで対局希望者リストに再入場!懲りない性格ですぞ
 彼の御仁も相当な碁キチと見えて・・・「居た!」
  やあこれを逃してなるものか!?と思う反面『連敗したくはない』と多少弱腰
 他に対局者が現れなかったので、やっぱり自分でオファー
  このとき時間は6時だからまだまだ時間は大丈夫。
 
 先ほどの対局は白番の私が2連星で相手は3連星
  よくある布石だったのですが、どこかおかしなことをやったようです。
 今度は少しばかり工夫をしている風に、少しだけ変えてみる
  マア多少は頭も目覚めてきたようだし・・・
 黒氏はまず2連星、私の方は2連星にしてもいいのですが、そうすると黒氏は先ほどと同じように3連星になるだろう
 そこで白4は一つずらして小目にしてみた:要するに中国流含みというか
  黒氏は先ほどとは違い3連星にはせずに、白の中国流を拒否してきました→小目の白にかかりです。
 これは期待通りです
  良いとか悪いとかではなくて、黒から動いてくれるということですね
 大きく構えを見せられた碁では、私が堪らず仕掛けてしまう癖がある。
 確率的?にも仕掛けたほうに隙が出やすいのではないでしょうか
  いや元々隙だらけの体質ですから、そこを突かれると脆いのです。
 だから相手に動いてもらうのが何より
  但し、相手がキャシアス・クレイ=モハメド・アリなら別です。
 蝶のように舞、蜂のように刺されてしまう!
  「ともかく中国流でいくぞ!」みたいなフェイクが成功したのか・・・ともかくも相手に少し隙というか手がかりを感じたのです。
 さて中盤から終盤にかけてターニングポイントを迎えた・・・気がした。
  勿論何もせずに淡々と寄せるのもあったかもしれない。
 悪くはなさそうに見えるのけれど、どうも今ひとつハッキリしない
 加えて黒からのコミは1目半しかない。
  ここに白から仕掛ける手を発見した・・・但しコウにして黒取り番のコウだからかなり強引だし、たいてい負ければ敗因になりかねない手です。
① コウで切断に行く手を実行してコウに負けると12,3目損となりそう
② 但し白にとってはコウは地の問題であるが、黒にとっては壊滅状態になるからコウ立てではどこかで譲歩をせざるを得ないだろう
③ だから、コウ立てしだいでは相当面白い展開が期待できそう
 ①から③を考え合わせ・・・別の隅で白がコウを立てたとき黒が受けないとして・・・白がそこを2手続けて打つと手になるところを発見した。
 だから白がここをコウ立てで打つときには黒はコウを解消せざるを得なくなればいいわけです。
 しかし上手くいく時は怖いものです
  落語のお神酒徳利みたいに・・・
 さて狙いの隅は、まず地が15目は消えたからこの時点で僅かだけれどコウの仕掛け得
 更にここの黒石は両コウ含みで、よくても後手セキで白からは天下コウとして勝負に行く手もある。
 白はまずまず得をしてから、最後の勝負どころを横目で見ながら、寄せを打ちながら相手からのコウ立てを消していく・・・
 1局目の裏返しみたいな状況になった
  相手は堪らず投了・・・この時7時10分・・・コーヒーが美味しい
 1敗1勝で辻褄が合った
   多少は相手が緩めてくれたのかも知れませんが
 そう、昔碁会所などでは「友達を大事にする人」「友達をなくすタイプ」が居た(勿論冗談半分です)
 さて私も今朝の黒さんもどちらも碁キチで、どちらも友達を大事にするタイプのようです 

ム、反則負けか

2007-09-24 17:36:05 | Weblog
 全く我ながら、自分の性格の悪さに驚きます
 ネットで私のパソコンの不具合か或いはネットの回線自体の不具合かは定かではないのですが、ともかく調子が悪くなった時の第一感が「第三者による妨害?」とかの類の感想でしたから・・・
 今の光ケーブルになる前に、昔何時だったか回線の異常な輻輳みたいなことがあったらしく、数時間回線異常が続いた事がありました。
 その時は「私のパソコンがおかしいのでしょうか?」と問い合わせをしたところ後刻そういう答えがあって、回線復旧と自分のパソコンの異常ではないということで安心はしたのですが。
 今朝の突然の異常事態は何だったのだろうか?
  いや以前はよくあったような気もするけれど、最近はなかった

 ネットで対局オファーを出した瞬間にフリーズした
  いや正確には出した瞬間ではない、それなら好かったに
 オファーを出して、「対戦相手が決まりました」という案内がでた瞬間です。
  このときは対局開始の挨拶が開始の合図になっているのですが、そこでフリーズしたのですから、目の前の[お願いします]ボタンを押しても何の反応もない
 挨拶ボタンはもとよりパソコンの画面の何処をクリックしても反応無しで、やっとフリーズに気がついた・・・久しぶりのフリーズで反応が遅かったか、この遅れが”致命傷”
 おそらくは、私の[挨拶]が遅れていても、対局開始となっているはずですから、ここからは時間との勝負です
 こういうときに良い復旧方法はあるのでしょうか?、私は[強制終了]しか知らないので、何とかの一つ覚えですが仕方ない。
 こういうときは待つ時間は長い。
  [5分ルール]というのがあるのですが、初めにフリーズに気がつくのに少し時間を使ってしまっているのでかなりの切迫感がある
  そして画面復旧→ネットに接続→対局室に戻った時・・・「反則負け」となっていました。
  マア、対局相手に対して迷惑をかけたのですから仕方がない・・・しかし「反則」というのは少しきつい表現ですね。
 再度対局待ちリストに戻ると、先程の相手がリストにあるので再挑戦
  何だか往生際が悪いというか、執念深いというか
  私のフリーズと相手の方は関係ないのでしょうが、何だか仇討ち気分・・・申し訳ないけれど正直言ってそういう気持ち
  ですから、というかいつもの通りというか尖がったような手が多かったか、かなりの戦いの碁になってしまった。
  やはり私が仕掛けているんでしょうか
 仕掛ければ反動がある・・・クロスカウンターが来ます
  一瞬グラッ来たが、これで負けると「返り討ち?」、イエ相手の方は単なる連勝なんでしょうが
  まあ危ないところを何とかこらえて「反則負け」のマイナスポイントは返していただいた。
  しかしこんなに苦労して元に戻っただけですからね

 思えばフリーズを起こす前なんですが、上手の方々の対局を観戦していました
  熱戦で勉強させてもらいましたが、黒番の方が「回線切れ」→「復旧待ち」→「回線復旧・対局再開」を何度か繰り返している
  私が見ている間だけで5,6回あったけれど、無事再開に漕ぎ着けているということは5分以内には復旧しているということでしょうね。
  これはパソコンの不具合というより、その地区の回線異常があったのかも知れませんね
  ともかく中断が多いので観戦を止めて対局室を出て、自分が対局しようとした矢先の出来事でした。
  まさに「人を呪わば・・・」わが身にしっぺ返し?
  いや単なる偶然が重なっただけ?

 しかし「反則負け」はレッドカードみたいに「悪!」のレッテルみたいで、自分のおでこに貼られてみると気分が宜しくない。
 リアルで言うとコウ立てを打たずにコウを取り返したような・・・いやそれならまだ「うっかり者」で済むのですが、承知で二手打ちしたとか、地を作る小指で境界線をずらすのを見つけられたというか、どこかで拾った石を碁笥の蓋に入れたというか・・・ともかく鉄火場で偽のサイコロを見つけられたような
  表現が悪いですが、これも生まれ在所のせいですね
  ともかく「反則負け」という言葉にはそういう響きを感じます。
  何で「時間切れ負け」でないのでしょう?
  故意のものと偶然のものが区別がつかないのですから単純に「時間切れ」で良さそうなものだと思うのですが
  復旧に時間がかかって、時間内に間に合わなかったということで諦めがつくのですが・・・どっちにしても負けは負けではあるか 
 

早起きは三文の得

2007-09-23 05:48:38 | Weblog
 この言葉は当然と言うか私の子供時代にはあった言葉で、「三文」という表現は江戸時代の金の単位でしょうか
 ですから言葉としてはあったけれど「三文」自体の価値がピンと来ない感じでしたね。
 これが「一銭の得にもならない」みたいな「一銭」も「一厘」も既に無くなっている時代ですから
 さて私と女房殿は既に老夫婦と呼ぶ年代です
  娘は結婚し息子はまもなくホームステイとかで出て行く予定だから、約30年前の元の二人に戻る
 マア仲がいいから結婚したのですが、ご時世の熟年○○というのも怖いので、昔とは「力関係」が変わってきているみたいです
  さてその女房殿、昨日(土曜日)の朝も5時に起きている
 本人曰く「5時に起きるのが長年の習慣になっているので起きてしまう」
 私:「目が醒めても横になっているのは拷問みたいでしょ?」
 つまり、目が醒めるだけではなく、起き出さずには居られないらしい
 かく言う私も、目が醒めればネットを覗いて、時としては対局までしてしまうのだから若い頃とは違うのです。
 若い頃ならまずは目が醒めなかっただろうし、仮に目が醒めても「観戦」がいいところだったでしょうね
 
 ともかく、そういうわけで「老人」は早朝目が醒めた
 周りの音が刺激になっているのでしょう、外ではバイクのモーター音とか自転車のスタンドのガチャガチャという音が聞こえる。
 これは概ね3時半です
  新聞配達の人たちの音
 働く人たちの音だし、朝刊は各戸の入り口まで届けられるのだし・・・この音については嫌いでは無い
 昔なら牛乳瓶のガチャガチャがあったけれど、今は配達時間が違うらしい
  実際の音の「ガチャガチャ」が刺激だったか、目が醒めた時直前まで夢を見ていた記憶が残っていた。
 夢の中で私は「トムキャット」になっていて暴れ回っていた
  誰がこの猫の首に鈴をつけるのか・・・そういう夢
  真っ暗になっているパソコンから石音だけは聞こえてきます(あのガシというかバシッというか金属音みたいな電子音)
 自分が猫なのに、周り全体と自分が同時に見えたり変な夢、しかもトム走り回っているのが碁盤の上
 やはり私は碁キチ?・・・只の○○老人かも知れないが

 マア何でも囲碁関連の夢になってしまうというのは、多少訳があります
 単純なことです、ネットに繋いで観戦したまま寝ているのでした。
「観戦」「睡眠」の区別が・・・
 ともかく3連休の真ん中だから昼間眠いなら寝れば良いという感じ
  暗転している画面をフィンガーパッドをこすって元に戻す。
 するとまだ寄せ合いが続いている
  半コウを争って・・・今打たれたのがしろ324手目・・・
 1時間半は熱戦が続いているみたい
   あれ!?私は1時間半しか寝ていないらしい
 マア細切れに寝ているからトータルでは辻褄が合っているのでしょう
  観戦局が終局したので対局待ち画面に戻ると3人もリストに載っている
  この時間にしては珍しい・・・流石3連休
 リストに向こう先くらいの人が居たので早速オファー
  なぜか目が醒めたばかりなのにためらわなかった、多分私の頭も連休バージョンなんでしょう
 しかし、やはり寝ぼけ老人だった
  接続したのは向こう3子局の相手でした
 イエ別段文句を言っているのではありません自分の予想と違っていただけ
  私の対局条件が持ち時間45分では3子までとなっているから、当然3子は条件範囲内です。
 リストにあった向こう先の人より3子の人のほうが先にエントリーしていたのでしょう。

 ところで私は職場でFさんの向こう4子、Kさんの向こう5子で鍛えられているせいか、向こう3子は何とか打てそうな感じです
 自分に言い聞かせることは「早く追いつき追い越そうと急がないこと」「黒さんに大きな模様を作らせない」「部分を打ち切ってしまわないで・・・決まりをつけないというか中途半端な形にしておく」
 これが正しいかどうか分かりませんが、そういう感じですね
  ネットでの初めての人との置き碁はとても気を使います
 「思いやり」みたいな「気を使う」ではありません
 例えば現在手合いが3子でも本来(本来というのも難しいけれど)向こう先とかが正しい手合いかもしれないものもあるはず。
 或いは低く登録した人が勝ち捲くっている途中だったり、伸び盛りの若者が急成長だったり
 だからそういう時は完膚なきまでやっつけられてしまうのです。
  「こちらは老人だ!そこまでひどいことをしないでくれ」です
 しかし情け容赦なく、3つ置いている人がどちらが白だか分からないような厳しい手でビシビシ鞭打たれることも・・・多々ある。
 だから、出だしは特に慎重
  「ゆっくりゆっくり」と呪文のように唱えるのです・・・これはホント
 ベッドの上に胡坐をかいて、扇子をパチパチさせながら

 今日の相手の人は「白、何するものぞ!」という感じが強かったのか?
 或いは素人のボケかかった老人相手に「3つも置けば・・・」というところでしょうか、少しファイトが空回りしていたようです。
 置石の威力は大きいけれど、しかし上手く使わないと威力を発揮しないことも
   ともかく勝敗だけで言うと幸いしました。
 気がつくと、働き者の女房殿が起き出している
  台所仕事の音がしている・・・その次は洗濯です
 仕事をしている人に早朝から遊んでいる所を見られるのは少しばつが悪いから、暫く狸寝入りを決め込むことにします。 
  

負けに行ったみたいな

2007-09-22 17:47:51 | Weblog
 この日(昨日金曜日)は久しぶりに、昼食後Kさんから声がかかった
 午前中にいつものFさんが休みなのに気がついたので、今日はどうなるかなと考えてはいました。
 迷い気味で弁当を食べ終わり入れ物を片付けたところでKさんから声がかかったのです。
 このとき自分で『本当に私は人付き合いが下手!』と、いまさらながら思いました。
 Fさんが居ないのだから、打つのはKさんと私しか居ないわけで「Kさん打ちましょう」と声をかければ自然ですよね
 ところが「Fさんが居ないから代用みたいに声をかけたと思われたくない」とか
「Kさんは遠慮がちだから、こちらから余り声をかけるのもプレッシャーというか押し付けみたい」などなど先回りして考えてしまうから・・・どうも「打ちたければ声を掛ける」それだけのことになかなかエネルギーが要るのです。
 だからKさんから声がかかれば渡りに船です
 
 さて階段を下りて「対局室」へ向かう途中
「Kさんとは最近どうですか?」
「今3子になってしまいました。2子で3連敗してしまいましてね」
 成る程それはいけない
  早碁を集中して打つ人にはよくあることなんだけれど・・・
  同じ人と続けて何局も打つと偏ることが多いでしょう
 でも3連敗はいけないと思うのです。
  同じ人と打っていると3連敗してもどこかで3連勝するから同じことだと考えるのでしょう
  確かにそういうことが多いからバランスが取れているのかも知れませんが
 でも連敗してもその後で止めるという努力というか、工夫が大事だと思うのです
 勿論そう思っただけでは、そうはならないことが多いですが。
  ともかく「連敗しない」あるいは「3連敗はしない」という努力もまた上達への力にならないだろうか?

 さて対局はKさんの向こう5子局
 立ち上がりで少々幻惑気味の手を打ったところ、黒さん少しよれ気味だった
  黒氏は無難といえば無難、消極的といえば消極的な感じがするけれど、これがKさんのキャラクターというか気風?だと思えば今後のKさんの指針というか方向が見えてきたような気がします。
  何だか今日は勝負事というより、今一醒めた感じで碁盤を見ている・・・自分でファイトのようなものを感じないのです。
  そういうこともあるのですね・・・年かなやはり!
 ともかく5子とはいえ細かくなるのは必至だろうと思える。
  黒氏は白の数子を捕獲して大きな地が出来たことで満足している様子。
  実はその反対側で黒の大きな地になりそうなところが消えているのに気がついていないかも・・・但し5子故に一箇所づつ綺麗にケリがついてしまうのは白としてあまり歓迎できないのですが。
 ともかく私の方は無駄なあがきはせず素直に打ちまして・・・
  かなり細かくなったことはなったのですが、それでも白は追い込みきれず黒3目勝ちとなりました。

 片八百長とまでは言わないけれど、これは白として闘志不足の一局とは言えそう
 怪しげな手でも何でもガンガン繰り出せばきっとどこかで黒が間違えたような気はするのですが・・・それが好いことかどうか?
  綺麗に負けたというか、白が平々凡々と打ったような
 ともかく今日の並べ直しで、まづ隅の定石の説明
  今日は白から隅の星に小ケイマかかり、黒1間受けで放置していたところで白が挟まれて隅にツケ、黒3三押さえ、白2段ハネ・・・あの変化
 もう一つは中盤での、何処に手をつけていくかの大局観に関する話
  実は私程度が人に教えるなんておこがましいとは思う
   自分でも所謂半可通だと思うのですが
  でも彼が素直に私の言葉を聞き入れれば少なくとも私程度にはなれるでしょうから、そこのところは余り気にしなくてもいいのかも?
 さてそういう意味で、大間違い見解かも知れないが・・・
 Kさんの性格からすると、一見消極的でも損はしていない手!そういう手が意識して打てると着手と気持ちがフィットしていくような気がする
 マア上手く言えないのですが。
  常に一杯一杯に打つことが良いことであるかも知れないけれど、その人にフィットしているかどうかは別問題だと思うのです。
 激しくなくても・一見穏やかでも決して遅れては居ない:但し相手が理不尽な、或いは道理を外れた手を打った場合には厳しく追及する・・・そういうのを身に着けてくれると良いなと思うのです。
 実はこれは私自身にも合っていそうでもあるのですがね
  マア今日のところはいつもK畑師匠が言っていた「棋道奨励」ということで、やる気を増幅し多少は自信を持ってくれたら、綺麗に負けた甲斐があるというもの?・・・

 ところで彼はやはり、地元の公民館で打って居るのだそうです
 成る程それなら対局不足という危惧はなくなります。
  そこでは元院生という人が居るのだとか
   その人はアマ5段!?
  一寸!それは低すぎないか?
 公民館には他に5段が大勢居るとか・・・『エ?院生経験者と同じ?』
  「イエ、同じ5段でも他の人とは2つくらい違うらしい」
  「成る程!、それなら分かるような気がする」 
 

いつか芽が出る?

2007-09-21 17:43:56 | Weblog
 昨日の朝の話です、何だか得した気分。
 家のベランダのアオバナの花がまず1つ咲きました。
  これは繁殖力があるというか、生命力が強いと言うかしっかりした花です。
 それもそのはず元は「露草」だと思われる
  あの草むらで咲く青い花です
 私はこの花も好きですが、家には無いから、ある遺跡のある公園の近くで見つけたので、掘り取って来て家のプランターに植えたことがあります。
 これだけ繁殖力のある、所謂雑草ですからドンドン増えると思っていたところ、期待に反して全て根付かず枯れてしまった。
 ところが暫くすると枯れた筈の植木鉢に露草が出てきて喜ばせてもらった。
  あの青い色と、シンプルな形が好きです。
  但し家族には評判が好くなかった・・・多分道端に咲いている植物をわざわざ家のプランターに植えたのが理解できなかったみたい。
  好きならいいのにね
  結局は知らない間に片付けられてしまった
 それで、今朝咲いた「アオバナ」はこの露草の染色体の倍か3倍くらいの植物のような気がします。
 形はそっくりですが全体に大ぶり
  染色体が奇数倍かな?・・・あの南の島の料理用バナナのイメージです
 露草の悲劇にめげず、今度はお金を出して買ったものです

 さてこの花は、流石にそこら辺では手に入らなくて、園芸品みたいに植物業者から送ってもらったものです
 花は咲いたら直ぐ摘んで手書き友禅の下絵の染料にするとか
 葉と茎は乾燥してお茶にすると糖尿に良いとか・・・
  まだ試していないのですが・・・というのも
 花が終わって葉と茎を取り入れて乾燥させようと楽しみにしていたのに
  あるとき「働き者」の女房殿が「雑草を綺麗にして置きましたよ」とノタマッタ・・・嫌な予感!
 案の定「青花」は雑草として全て引き抜かれ、ゴミ袋に詰められて・・・
  更地になったプランターが残されていた”!!

 事ここにいたっては文句を言っても「スピリットミルク・ノーリターン」ですから、せめて「その鉢の土は絶対に捨てないで適当に水だけはやってくれ」
  それが精一杯ですね
 僅かな期待だったが、期待通り!数ヶ月後にはあの露草と同じような形の草の芽が出てきた時は、本当に嬉しかった。
 今日のこの花はそのアオバナの子孫たちです。
  先ほど話したような危機を、2,3度乗り越えている
 見た目は優しいけれど、生命力は猛者たちです。
  今朝はまず1番花
 ところで自転車で通勤途上で普通の露草の一群れを見つけました・・・この季節に咲くのですね。
 何だか年中咲いているように思っていたのですが錯覚だったらしい。

 さて露草の仲間は種で増えるというよりか、土に残った根で増えていくのだろうか?
 経験ではそのような気がする
  多分根で増える?
 と言うことは・・・もし人間ならば
  例えば子供の頃に経験したことが、中断していても何かのきっかけで動き出すようなことは?・・・どうだろうか
 都合の良い期待なんだけれど
  昔、家の娘が小学生の頃、近所で「初心者囲碁講座」があったので、近所の1才上の女の子と二人で通わせた。
 勿論強制ではない(そんなことをしても無理ですからね)・・・が
  「囲碁は一度憶えれば楽しいし、とても為になる」と多少誇大宣伝して騙したみたいなところはあるかも知れない。
 マア講師が知り合いだったので、内容については多少安心していた面はある。
  しかし「初心者向け」は私の勘違いで、正しくは初級者講座でした。
 この違いはかなり大きいですね
  ルールなどは分かっている人と、全く何も知らない小学生ですからね
 それでもと言うか、全10回のうち8回は行った
  しかし9回目には二人でエスケープ
 
 もしかしたら、その二人は将来何かのきっかけで囲碁を始めるということはあるだろうか?
  何かの間違いでも、そうあって欲しいとは願っています。
 露草の根が残っているみたいに・・・相当微かな期待ではあるけれど・・・彼女たちは無理でもその次の世代でも良い!
 マア私は確認できるほど長生きはしないでしょうが

 ところで自転車で帰り道の道端で淡紅色の小さな花の群れを発見。
  あるところには群生している
 自転車からでは良く分からないのですが、花の色からして「ネジバナ?」
 いや、そんなはずは無い、あれは「みちのくの・・・」と言う歌にあるように多分北のほうの春の花
 関東のこの辺りでは6月位か?
  帰ってから早速図鑑で確認
 ツルボという名前らしい・・・漢字で書くと「蔓穂」となるか?
  秋のお彼岸前後に咲く・淡紅色・20cmから40cm・花穂だから間違いなさそう
  ピンクの槍の穂先みたいな感じ
 これもまた所謂雑草のうちだろうけれど、なかなか可愛くて良い花です
  学名? Scilla scillaides さて何と発音?
 さて雑草
  役に立つならば雑草ではないとすると、十分楽しませてくれるのですから雑草と言う評価は可愛そうな感じ
 どこか身につまされるような  

?棋譜集

2007-09-20 17:45:17 | Weblog
 今週は健康週間!?でした。
 二日の間にまず勤め先の健康診断(私の場合は不健康度チェックですが)
 続いて翌日は総合病院で主として循環器関係と内科全般の定期健診(約2ヶ月ぶり)続いてハシゴで生活習慣病内科クリニック・・・
 お世話になっている薬局は一つなので薬の量と金額は!!
  この金額を支払うには単純に働くしかない
  働きながら病気を改善するのは少し(?)な部分はある。
   おちおち病気も出来ないということです
 悪いスパイラルなのかも知れない・・・が、働いていないと生活に張りが無くなってしまうから、そうなると認知症が怖い。
 何と現代はいろんなことが分かっているから困ったものです
  知らなければ気にならないことも怖くなります。
  ともかく連日の血液検査・採血と尿検査で両腕に採血後の絆創膏

 ともかく「ヘモグロビン」の値、「血糖値」「血圧」などは相当改善されているらしい。
 習慣病の先生から「模範生」だって!!
  マア、叱られるよりは良いけれど、「良く」て普通なだけですから手放しでは喜べない。
 それと一つ何だか矛盾した話を聞いてしまった・・・いや必要悪というか
  ある薬は血糖を下げるのによく良く効くのだけれど、一方で体重が落ちにくいというか増え易い副作用があるのだそうです。
 勿論私もその薬を服用している・・・しかも体重を下げるのと血糖値を下げるのが至上命令。
 これはやや矛盾を含んだ作戦?
 僅かに体重は減っているのだが
「なかなか減りませんね」だって!・・・それは
 
 さて内科クリニックの診察日は普段ならNHK囲碁講座」の購入日でもある
 今回は勤め先の健康診断の都合で市内の中心地に出かけたので、帰り道に大きな本屋に寄って購入しました。
 今月は「囲碁講座」が良いですね
 講師は結城聡九段、聞き手は万波四段
  テーマは「結城聡のこれが世界の新感覚」
 これは良さそうな話ですね相当期待できそうで10月は
  恐怖の肩ツキ(万波編)
  華麗なる一手(陳耀編)
  王者の悪夢(李世ドル編)
  ワンポイントクリニック)となっていて10月から始まって翌年3月まで
 新研究とか、プロが嵌る話のようです。
 これはまだざっと1回しか見ていませんがかなり面白そう・・・久しぶり
 
 先崎学さんの「桂馬の両アタリ」もあい変わらず楽しい・・・いや今回は楽しい話ではないのですが・・・
 ネットでのチーターというかマナー違反というか・・・延々終局しないという嫌がらせを受けた話。
 奥さんはプロ棋士だからか、割とあっさり「投げればいいのよ」といったとか
 しかし先崎さんは将棋棋士な訳で、とことん「投げない相手」と戦った・・・
 全くこういう相手に出会うのは不運というか
 流石に実名サイトではこういう輩は居ないですから先崎さんもこっちへ引っ越して下さい・・・
 実名というのが原則ですが、場合によっては考慮されるそうですから、どうでしょう?

 この先崎さんのエッセイの隣のページを見て、少しがっかりした。
 いやここは記事のページではなくて1ページ広告なので、マア編集というか記者の責任ではないかも知れませんが
 これが「碁界 黄金の十九世紀」という本の宣伝
  日本棋院の本です。
 江戸後期から明治時代にかけての代表的な棋譜175局が載っているそうです
 確かに為になる本だとは思う・・・しかし
  手を替え品を替えという感じがする
 音楽などで「ヒットパレード」「名曲集」などのタイトルで似たようなアルバムが次々出されているのに似ている
 音楽の場合は出版する年代によって楽器だとかリズムだとか編曲に多少は手を入れる・・・同様に棋譜の場合、新しい観点とか解説が違うとか言うのだろうか?
 こういう日本の記念碑的な棋譜集として持っていたいという人には良いかも知れ無いが
 でも「耳赤の局」「吐血の局」など何度・・・いや何度でも良いという人にはいいのかも知れないが、私個人としては同じネタを使いまわしているだけに過ぎないという印象の方が強い。
 同じ棋譜集でも私が密かに期待しているものはこういうものでは無い。
 いや古いのが悪いといっているのではなく、もう繰り返しはどういうものかといっているのです。
 私が期待しているのは、例えば隠れた名局・熱闘譜みたいなもので
 研究会などでは評判になったようなもの
 それとか新しい研究を実戦で試したようなもの
 プロ棋士のプロ棋士らしい戦い、あるいは素人にも手本になるようなきっちりした碁・・・
 そういうものは出版されないのでしょうか?
 対局者のネームバリューがないとダメなんでしょうかね
  でも○○研究会編なんていう棋譜集が出ることを期待しているのだけれど・・・
 ともかくPRのページを見て、的外れかもしれないが多少の失望感といくらか怒りに似た感じ 
 

うっかりジイサマPART2

2007-09-19 19:01:35 | Weblog
 昨日は私としてはよくやる「うっかり」の話をしましたが、考えて見るとこの種の話はたくさんある
 石川五右衛門の「世に盗人の種は尽きねエー!」みたいに「うっかり」の種も尽きない。
 最も「うっかり」と言う表現が正しいかどうかという問題は感じるのです
  たいていの場合「うっかりミス」は敗局につながるのですが、「うっかり」があったから負けた=無ければ負けないみたいなところが出るとまずいですね。
 自分の性格も技術も思考能力もトータルで棋力なわけですから・・・特に「うっかり」は「欲の皮の突っ張り」と結びつき易かったりしますから、単なる不注意以上のものがあるでしょう。
 今日の話は「うっかり」の一種ですが、「ぼんやり」に近い話・・・マア終わってみればどちらにしても情けないことには代りが無い。

 昨日の話は「しめた」と思った瞬間自分で掘った穴に落ちたと言うか
  一瞬の暗転で、まさにドラマチックな幕切れ=悪夢
 尤もこういうチョンボは余りにハッキリしているので気分は切り替えやすいかも知れません。
 それに比べると今日の話は後を引きそうな負け方
  それに半目差負けと言うこともあります。
 何故後を引きそうかと言うと・・・ひどい負け方

 中盤から終盤にかけてヤヤ有利だと思っていました。
  それはなんとなくと言うことでは無くて、実際に何度も数えての結果です
 皆同じようなものだと思いますが、この辺りで何度も数える習性があります
  数えなければ打てない気分・例えが正しいかどうか分かりませんが「数えない碁は羅針盤の無い船が航海しているようなもの」と考えている。
 途中までは手とかバランスを「考える」ことが主体ですが、終盤になれば実際に数字としての地を数える時間の比率が高くなる。
 ジイサマの脳のネジの緩さとか記憶装置の容量不足から何度もやり直すのです。
 それは何度もやり直して答えが出ないと言うことと、何度でもやり直さないと安心できないという両方。
 何度も財布を覗いて銭勘定しないと安心して町を歩けないみたいに・・・

 さて計算の結果ヤヤ有利だと思っていた、思い込んでいました。
 数字で2目半、悪くても1目半は残ると計算していました。
 勿論私は素人ですから、正確さには多少問題はあるでしょうが・・・それでも「残っている」と信じていたし、計算には変に自信があったり(自惚れて)、何度も数えなおしていることだし。
 しかし!終局して私の半目負け。
  向こう先で白からコミだしは折込済みな訳だし、このショックは大きい
 終局直前、もうダメしかなくなったところで私の方から「終局要請」
 両者それに合意して終局、パソコンが自動計算
  そして「黒番の半目勝ちです」・・・結果に同意するかどうかの選択です
 ガーン!! 直前まで勝利を疑っていなかった
 同意できなければ「対局再開」、同意するならば「結果送信」・「対局ありがとうございました」いずれかのボタン
 暫くどちらのボタンも押せなかった
 いやこの間2,3分でしょうが私としてはフル回転で検算・・・
  哀しいことに何度計算してもパソコンの答えと一致しない
 「結局は敗戦受け入れのボタン」を押すのですが、相手は往生際の悪いジイサマと思ったことでしょうね・・・でも自分ではこの時点でもまだ納得していたわけではないのです。
 この時点では、どちらかと言うと「パソコンが正しいだろう」ということと、「余り相手を待たせるのは気が引ける」と言う気分
 マア負けを認めるボタンを押すのにはそれなりの決断は要るでしょう。
 タイゼムでは「二度と結果は翻ることはありません」という念押しが入るくらいですから。
 ともかく何度数えても間違っていたと言うことが情けない
 それもきっと同じところで同じように間違えていたに違いない
 私としては自分では碁の中で「アーチスト」的な要素は得意ではないものの、単に数えるという「事務的な仕事」には自信があった分落ち込んだのです。

 仕事では、公文書を作成するのに下書きがOKならばプリントアウトして読み合わせを行います。
 作成者が読んで、第三者が聞く・・・
 これは作成者は自分では気がつかない間違いをする危険性があり、同じところで間違う可能性が大きい!・・・なんだか似ている。
 しかも2目は違っている
 さてさてどう直したらいいのだろう?
  要するに「間違わなければ良い」だけのことなので簡単なんだけれど、それが出来ないのだから”弱い!”のです。

 では、途中で自分が不利だったと気がついたとして
  あるいは形勢不明だと分かったとして
 さて何処まで遡れば良いのだろう・・・これが次の課題でしょう
 状況が分かれば何とかなるというものではない・・・それでは相手に余りにも失礼
 ともかく見直して見るしかないでしょう

 こういうことがあるから、私を含め素人は必要以上に頑張る傾向があるのかも知れません。
 相手を少しでも引き離して置きたいと言う気持ちですね
 確かに勝負事ですからそれは間違いではない・・・しかし出来ることと出来ないことがあるし
 引き離したい理由が、マラソンで言うと「トラック勝負は苦手」と言う感じでしょうか、自信の無さの裏返しのようです。
 となると、今回は(も)読み間違いで失敗したけれど、正確に数えられると言うことももしかしたら武器になるかもしれないですね。
 相手が終盤に自信が無い分中盤で多少の無理を承知で来るとしたら、そこにチャンスがあるかも知れない。
 もし自分が僅差でも有利であると把握できれば・・・
  やっぱり正しい計算、正しい検算が大事。 
   
 
  

また、やってしまった

2007-09-18 18:30:35 | Weblog
 表題は「また」ですが、本当は「またまた」「毎度おなじみ」の大チョンボ!・・・「馬鹿は死ななきゃ直らない」「・・・死んでも直らない・・・」一節唸らなくてはやってられません。
 全て身から出たさびな訳で、その厳しさが好きではあるが、定期的?に「直面」するのだからたまらない。
 昨日の対局:向こう先逆コミの白番
  中盤で大振り変わりがあって・・・これは私の中央の大石が怪しい状況なので、かろうじてコウに持ち込んで、黒の大石との振り変わりとなった。
 白にとって幸運だったのは、不利な状況からのコウの振り変わりなのに、黒がコウを解消するのが後手となったのです。
 まだ中盤戦で多方面に大きな手がゴロゴロしているところでの「先手」は大きい
  
 実質的な取られ石+周囲の影響などをAとして、白が振り代わりで得られるものをBとすると・・・当然不利な状況からの振り代わりですからA>Bです・・・が
 A-B=Cとした時にCの大きさと、先手で打てる大きさの比較が問題
  さてこの碁ではCより大きな手があるから、コウの振り代わりは白損では無かったようなのです。
  むしろ得をした気分
 それが正しければ黒さんが損をしたことになり、見た目の不利変わりに目が眩んだことになるのかも知れません。
 見た目は黒が派手に立ち回ったような感じ・・・しかし白から見ると「名誉は黒に、実利は白」と言うところで、一人ほくそえんだ
  ・・・ここまでは良かった!。
 いつもの事ながら次の一手を誤った。
  白が打った瞬間黒からクロスカウンターを食らって目から火が出たのです。
 私は更に儲ける手を選んでしまった。
  そう、先ほどの「C」が大きければ白有利に拘ったと言うか、目が眩んだ
   魔が差したとは少し違うかも・・・
 全く囲碁格言の正しさを嘗めさせられてしまったのです
 「大場より急場!!」
 せっかくチャンスを掴んだのに
  チャンスを掴んだと思った瞬間自分の手で壊してしまいました。
 当然とは言え、黒さんは白の間抜けな手を見逃さず、急所を突く!
  一瞬で息が詰まってしまった。
 「やった!」と思った瞬間が危ない
 「人を呪わば穴二つ」?いや「禍福はあざなえる縄の如し」「塞翁が馬」
 「チャンスは前髪しかない?」
  何だかわけの分からない格言をブツブツ唱えても時すでに遅し
 「オーバーターンのスピリットミルク?」・・・この後数手で投了・ゲームオーバー!!

 そこからが、せっかくの「教訓的敗戦」を無駄にしてはいけないというか、単にしつこいと言うか・・・対局室から棋譜倉庫へ直行
 人に見られたらかなり恥ずかしいけれど、倉庫なら一人で出来るし誰の迷惑にもならないでしょう
 さて問題の場面を再現
 これを「死んだ子の年を数える」と言われたら非常に醜い臭いもするが、「研究」と言うことでやらずには居られません。
 「もし」白が欲の皮を突っ張らせずに、自分の急所に手入れしたら
  その手自体は7,8目の手で、おそらく黒はその時は手を抜く筈で、後で手を戻す確率を考えると5目くらいの手に相当しそう
  そこから延々とシュミレーション
 素人ですからせいぜい20から30分だし、シュミレーションの精度も問題ですが、ともかく結果はコミを引いて白7目半残りそう
 うーん「急がば回れ?」いや「後悔先に立たず」、「親の意見と冷酒は後になって利いてくる」・・・念仏再開。

 良くあるとはいえ哀しい一刻
 立ち直りも早いですけれど
「三日見ぬまの桜かな」ではなかった、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」・・・一般には良い諺ではないのだけれど、何時までも熱がっては居られません。
「羹に懲りて膾を吹く」では腰が引けすぎでしょう
 小心ではあるけれど、生真面目さと慎重さは欠如しています!!
 ノビ太のジイ様バージョンを想像して下さい
  但しドラえもんが居ないのが辛い
ところで倉庫から出て対局一覧表に戻ると「対局室に灯りが・・・」
 対局相手の黒さんと観戦者の二人が残っている
  終局から30分近くたって居る!
   まさか眠っているわけではないでしう、やはり問題の局面をつついているのだろうか?
 いや、なぜか違うような気がしたのです。
  あそこに至る前の局面のような気がした・・・
 つまり黒から性急に白を攻めたのがあの局面な訳で、結果として攻めそこなったわけで別の作戦を検討しているような気がした。
 黒さんは名前からの印象は若い人だと思うのだけれど、あの研究熱心さを持ってすれば直ぐに追いつかれて追い抜かれそうな気がしてウカウカしていられません
 とは言うものの、私は生まれつきの「うっかり屋」だから困ったものです 

ああ暇人

2007-09-17 12:29:32 | Weblog
 長い休みでもどこかに行きたいと言うような気が起こりません。
 若い頃なら私自身が若いし、子供も小さいからどこかに行きたいとか、どこかに連れて行きたいとかはあったけれど、今はもう邪魔なオヤジですから・・・
 そういうことで、今度の三連休も三日目になるともう休み疲れというか休みに飽きると言うか何だか只云しまりの無い一日を過ごすことになりそうです。
 勿論ネット碁とブログはやりますが
  ネット碁などは三連休の最初の日みたいな「さあ打つぞ」と言うような意気込みや緊張感が希薄な気がします。
 これは相当危険な?状態かも
  これも大負けと言うか大連敗のパターンかも
 
 だからなるべく人の碁を見ることにして、残暑の厳しい昼間を過ごしている
  自分の部屋には扇風機があるだけでエアコンはありません・・・マアでも少し風が入ってくるのでこんなもので何とかなりそうです。
 と言うか変に意地を張っているところがあります・・・何に意地を張っているのかと言うとどうも暑さそのものに意地を張っているような、何だか自分でもわけの分からない意地っ張り
 江戸っ子のやせ我慢とは違う・・・単純に江戸っ子ではないし
  暑さ寒さには強いほうではないのですが、一方で私の特徴の?鈍感さがこういう状況から自分を守っているみたいな所はありそうです、暑ければ暑いで「そんなものさ!」と脳から自分の体に信号を出しているらしい。
 
 そうだ暑さといえば生涯忘れられない「暑い・熱い」思い出がある
  中学1年の6月末か7月初め、期末試験の直前だった
  高熱と激しい頭痛で中学校のグラウンドで倒れた。
  今ならまず熱射病を疑うところかもしれません。
ともかく季節が夏・気温が高いから暑いのと自分の体が暑いので訳が分からない状態
  しかも経験をしたことが無いような激しい頭痛
 「お医者さんの診断は・・・脳膜炎」
 何時自分の神経がフェードアウトしてしまうか恐ろしい数日
  こうなると熱があるとか頭が痛いとかより恐怖との戦いだったですね
 夏になるとその思い出が必ず蘇る
  悪口とか囃子言葉で「クルクルパー!」とか「脳膜炎!」と言うのが生きている時代ですから。
 そういえば病気が治って始めて登校して職員室に入ったら、豪快な女の先生が「オウ、頭は大丈夫か?」と言われた
  今なら問題になりそうな発言だけれど、当時はその先生の個性みたいな感じ
友人からは「却って頭がよくなったのじゃ無い?ずるいナ」・・・そういうの有りか!
 さてさてジイサマは昨日のことより50年近い昔のことの方が鮮やかに浮かんでくるのです・・・年を感じる
 
 余りに暇なので・・・いやどんなに暇でも時間を無駄にしない暇つぶしを考えるのです(役に立つことは思いつかないけれど)
 またまた例のネット碁の名簿を取り出して
  これが発行されたのは2004年4月1日
   私が入会する数ヶ月前のデータです
  取り敢えずこの名簿に載っている人で打ったことがある人を数える
 対局条件は私は上は先まで下は3子までです(一度二子局はあったかな)
  それでこのネットのシステムが変更になるまでの間はこの名簿は対局記録を兼ねていたから、名簿に○×がついているからその数が対局者数。
 更に名簿には載っていない人・・・私もそうですが発行後に入会した人
 あるいはシステムが新しくなってからとか最近入会した人・・・これをマーキング・・・延べ157人+アルファー
  アルファーはっきりはしないが名簿に載っていない新しい人
  いずれにせよ200人前後ということらしい
 これは多いのか少ないのか? 
  どうでしょうね、普通の碁会所で言うとかなりの数だとは思うのだけれど
  つまり碁会所に来る人全員と打つのではなくて、条件が合う人との対局なわけです。
 それは主として棋力ですが、ネットに入る時間帯ですれ違って居る人もいるに違いない
  ネット観戦しながら帳面をめくって数える・・・忙しそうな暇人

 ところでネット碁ですからランキングとか持ち点数の話
  私が入会した当座はネットのホームページにランキングが載っていたのです。
 一寸信じられないかもしれませんが事実です。
  会員でなくても誰でも見ることが出来るHPです
 前月末に締め切って翌月に発表
  上位はプロ連ですから、これは全員401点だし、碁が商売の先生ですから問題は無いとして・・・
 アマの方は1位から最終何千番まで順位・名前・点数が載っています
  まるで進学校の試験成績発表みたいでしょう
 ま、高校時代からそういうのには慣れていたから特に嫌だとは思わなかったけれど・・・むしろ励みにするようなところもあったかな?
 でも人によってはこれはたまらないでしょう
 良い時は良いけれどいつも良いとは限らないわけで
  誰だって成績が良い方がいいに決まっているから「楽しみ」の碁が「苦しみ」に成りかね無かったでしょう。
  やがてこの欄はなくなりました。

 まあこういう欄は上がっていく人には楽しみですが、そうでない人には大変なわけで・・・それでも私自身は何かの形であってもいいかななんて思ったり
 でも、会員以外の人にもオープンなのはどうかとは思う。

 ところで約3年前には対局した人で、当時の点数と今の点数が確認できる人がいるのでそれをチェック
 (目的とか意味などありません、ひたすら暇つぶし!)
 3年前の点数は名簿で,現在の点数は入室一覧表をメモ
  30数人は比較できました。
 たいていは+-10点くらいの中に居るから、まあ私と同じ十年一日仲間か?
 ところが20点以上上がっている人が4人、それ近い人が2人!
  逆にー20点くらいの人は2人
 一番初めに気になったのは全体にインフレ傾向かどうかということ・・・マアこれは事務局で調べるしか分からないでしょうね
 上がっている方が多いのですからインフレの疑いは濃いのですが、しかし下がってる人も居るのだから、やはり伸び盛りの人なんだろうなと想像するのが自然でしょうね。
 かく言う私も入会した当時は「自己申告」は低めだったし、入会時の基準が今より厳しかったから・・・その時より20点以上は上がっている
  但しこれは姿勢制御?みたいな調整?
 いずれにせよ全体の点数が上がるということは=インフレですね
  もしそうではないとしたら減った方の点数は何処から来たのでしょう?
 
 多少関連してもう一つ気になることが出来ました
  入会当時よく対局した人で、最近名前を見かけない人が居ます。
   退会したのだろうか?休会中か?
   それとも単に私とは時間帯が違うだけなのだろうか?
    あるネットをやめる理由としたら・・・私の場合場合は
  ①嫌な経験をした
  ②会費等がリーズナブルでない
  ③対局相手が少ない
  ④会の運営が理解できない・・・などなどありますが、もしかしたら加えて
  ⑤勝てない!!

 ⑤が現実にあるとすれば、そういう人の点数が出回っている?
   表現が悪いけれど・・・成績が思うに任せなければ嫌になるかもしれないし
勿論やめた人が皆⑤の理由だなど思っていません。
 勿論やめたのかどうかさえ分からないのですが
   
 名簿で最近見かけない人の名前を拾って行って
  アイウエオ順で「ア」でやめました
 これが検事?のアリバイ調べと同じですね
  そこに居るという証明は簡単ですが「居ない」方はとても無理だということに気がつきました。 
 どこかで打っているならいいけれど、碁はやめてないことを
 そして単に一休み状態であることを 

ちゃんばら碁

2007-09-16 16:00:14 | Weblog
 今はサッカーオヤジで、自分で言うのも可笑しいけれど口先だけならなかなかの評論家です・・・
 土地柄もあるでしょうが、ボールの無いサイドでの動きにも結構煩い
 そういえば私の出身地のチームのサポーターの平均年齢が一番高いのだそうです
 おばさん連の普通の話題がサッカーの戦術・システムに関してだったり
  だから例えば左サイドでボールを奪った時、観客はいっせいに逆サイドのスペースに顔が向く・・・マアオーバーに言うとそういう土地柄
  でも私が子供の頃はサッカーはまだマイナーで一番は野球  
   私もご多分に漏れず野球少年でしたがその次に子供同士の(男の子の)遊びは「ちゃんばら」
 これは商店の多い町の子供の遊びではありません
  私の育ったところは市の一番はずれで、町内は木工所とか貯木場、貯木池が多いところ
 ですからちゃんばらの道具の刀には事欠かないし、「ごっこ」ではなくて本当に「切り合い」のような遊びです。
 戦いながら走り回る、そういうフィールドには事欠かない・・・
  池ノ上の木の上(昔は身が軽かった)、貯木の木の山
 そう言えば、葦を切って手投げ矢もありだった・・・そういう実戦的?遊び
  私の町内のちゃんばら仲間は中学に入ると「剣道部」に入った。
   (木のきれっぱしの刀から)本物の竹刀を持って自慢そうだったな

 ふと、自分の碁をネット棋譜倉庫で再現しながら「ちゃんばら碁」だと思ったのです。
 切った張ったの実戦的ちゃんばら
  時代劇で言えば長脇差の腰の引けたちゃんばらかなァ
 マアそういうことで有名な人が居た土地柄ではあるけれど。
同じ刀を振り回すのでも「剣道」と「ちゃんばら」では受ける印象も、実質もかなりの差がありそうですね。
 正眼に構えてじりじり押していく・・・こういうのが憧れなんだけれど・・・”じりじり押すつもり”が相手が下がらなかったら、こちらがうろたえてしまったり全くだらしが無い話
 二人の剣客が構えたまま動けず・・・じっとりと汗をかき呼吸が荒くなる・・・
そして相手の呼吸を計り間合いを詰め・・・そういうのは碁でもありそう。
 但しプロかアマの高段者
  結果だけで、例えば半目勝負の碁でも私の場合は偶然の半目
   勿論両者拮抗して善戦しないとそうはならないとは思うから、少なくとも私一人の責任ではないけれど、常に半分は責任があるし、
 こういうものは片方がじっくりした碁を目指しても相手がそう考えなければ、マイペースというか”唯我独尊”と言うわけにも行かないだろうから、難しい

 ところで、今日のNHKの将棋の方の解説で
「お互いに1歩ずつ持っている将棋は・・・懐に拳銃を持っているような油断できない感じ・・・」
  序盤の[角]交換ではなくて「歩]でさえそういう感じなのだそうです
 流石プロの世界だなと感じました。

 さて話が「ちゃんばら」に戻ります
  まあ剣道のジャンルでしょう
 司馬遼太郎の小説での話だけれど、坂本竜馬は相当な使い手、桂小五郎もなかなかの腕だったらしいがかなり異質だったとか
 桂の剣道は細かな動きが多くて相手にするとわずらわしいような剣だったそうで
  だから小説も剣道も素人の私にとっては、これは剣道と言うより「ちゃんばら」に近いかなあ、などど勝手に想像して楽しくなります。
 当時の剣道界(そういうものがあったとして)では「ヤヤ品位が問題」とされたらしい・・・が試合では弱くは無かったらしい
 
 そこのところが決定的な差か・・・品位も力も無ければ問題にならない
  マア自分のことはこの際棚の隅に片付けて
 この間は猛烈な碁を見てしまった(ネット観戦です)
  観戦を始めて・・・私は対局室に入る時極力「序盤」の対局に行きます
   出来るだけ最初から見たいし、場合によっては現在進行中を一旦放っておいて初手から再現して、現時点に追いつきます。
 ところが、この碁は猛烈に速い!
  途中でリアルタイムに追いついた時、80手:両者の消費時間は合計5分!
 念のために両者の時計欄を見ると、持ち時間45分の碁です。
  平均(余り意味が無いのかな)すると1手4秒足らず
 確かにノータイムで打つところはある・・・ツケにはハネよとか、ハネにはノビとか・・・
  気合負けしてはいけないみたいな場所もあるでしょう
  しかしこれは速い
 マア昔何かの雑誌で読んだことがありますが
趙治勲先生が「普段疑問に思ったところなど早碁で打っておいてあれこれ試しておく・・・」みたいなことを読んだ記憶があります。
 (前後の状況は省きますが)
 でもこの場合は先生の言うようなことではないでしょうね
 ところでこの碁の結果は211手完、どちらかの3目半勝ち
 残り時間[36分24秒]、[40分42秒]→消費時間12分54秒
  うーむ、昼休みでも3,4局打てる!
 単なる数字の計算で時間をかけない碁が悪いという短絡的なことは言わないまでも、1手平均3.7秒足らず!
 これで1局打てるということ自体脅威ではある・・・が
  これだけ速いとちゃんばらにもならないだろう
 しかしこれが両者の普通の対局時間なのか、このときは闘士が溢れてブレーキが利かない状況だったのかは定かではない。
  しかしそれで結果3目半!何だか辻褄は合っているみたいな・・・
  [時間をかければ良い碁]とは必ずしも言えないとして
  結果3目半という[小差だから良い碁]とも言えないでしょう
    中身が問題、但し中身を見る前に目を回してしまいました