なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

算砂辞世の句

2007-10-31 16:35:38 | Weblog
 今日は時間たっぷりの一日・・・イヤ正しくは”今日も”だろうが
  ともかく平日の休日で、どこかに出かけなくてはいけない用事も無い
 まるっきり無いわけでもないけれど、まあ仕方が無い用事はある
  女房殿が出がけに「今日はオデンを作っておいてください」
  この「ください」が曲者で、これは言いつけられたほうに「自由選択権」は無い
 マア嫌いなものではないし、一日全く用事が無いのも張り合いが無いともいえます
 しかし今は老夫婦二人だけの生活だから作りすぎると2,3日続くことになりそうだし、かと言ってちまちま二人分ジャストと言うのも美味しく出来ないような気がする・・・なかなか量の按配も難しいそうです。
 
 何か作るのは嫌いではない、むしろ好きな方だと思うのです
  それもグルメチックな物ではありません
 ごく普通なものですが、女房殿とは出身地が違うので黙っていたら食卓に出て来ないものが多いから『食べたければ自分で作りなさい』風なこと
 それが平日の休みににはリクエストが来たりするわけです
  但し、「おいしいから」と言うのは注文者側の建て前で、本音はミエミエなんです

 秋が深まって冬に向かって行きますが、その年によって我が家では食卓にブームみたいなものがあります。
 一昨年は「鍋物」で「何鍋にする?」って言う感じでした
 去年は「おでん」で各地の食べ方を真似て楽しんだり・・・
 さて今年の冬は何になるのか?・・・取り敢えずは去年の続きです
 
 さて一日が長い、贅沢な一日です
 こういう長い一日に限って対局数は少ないから我ながら不思議です
 夕べから今のところ打ったのは1局だけ
  流石に平日の昼間ですからそれ程には入場者が多くは無いから、お馴染みさんが少ないこともあるけれど、それでも全部で100人以上は来ていますし(ネットです)・・・打つ相手が居ない分けでもない
 ゆったりとした気分で人様の碁を観戦したり、ナガラ族ではあるけれど画面をチラチラ見ながら本を読んだりしています。
 社会思想社の小さな文庫本のシリーズで「新版・囲碁名言集」
 著者は榊山潤さんという出版関係の仕事をしてきた方の格言集で、プロの編集したものとは少し味わいが違うようです。
 私みたいな横着な性格で、横着な読み方をしているものには丁度いいと思う
 (そういう言い方は褒め言葉にはならないか!?・・・)

その中で二つほど興味を持った話を紹介すると
 「郷に入っては郷に従え」と言う話の導入部分
 ”所変われば品変わる、江南の橘江北に生ずれば枳(カラタチとなる”
  中国では有名な格言だとか
 私にとっては碁の格言ではなく子供時代の思い出です
  故郷はミカンの産地で町の周囲の山は殆どがミカン山ですね
  田んぼが細いあぜ道で仕切られて所有者が変わるのが分かるようにミカン山の場合は所有者の境界はカラタチの木が植えられていました。
 これはミカンの木の台木にも使っていたし、何といってもその棘が侵入者を拒否するバラ線みたいな働きをします。(バラの棘など問題にならない)
 こういう木に激突などということを想像するだけでもぞっとします
  ともあれ橘(今のミカンのご先祖でしょうか)も枳も両方一つの山にあったわけです。
  マア何の役にも立たない話ですが・・・こども時代はこういう山の中を駆け回っていたのです。
  橘も枳も懐かしい(そういえば高校の校章も橘でした)

 もうひとつはあの有名な算砂の辞世の句
 「碁なりせばコウを立てても活くべきを死ぬるばかりは手も無かりけり」
 第一世本因坊で、信長・秀吉・家康に碁で仕えた人で・・・三人の武将は皆算砂に五子で打っていたそうです。
 これは皆同じくらいに強かったのか、信長が五子だったから秀吉も家康も皆『俺も・・・』と言うことだったのか。
 想像では後者のような気がしますね。
 碁打ちの場合「私などは未だ駆け出しですよ」などと言う一方で「同じくらいなはず」と言う見栄みたいなものはあるはずですから・・・
 マア教える方も腕が好かったのでしょうね、そつなく三者に教えたのですから
  ところで算砂65才で世を去った
 当時の医療水準では手の打ちようは無かったのでしょうね
  算砂の場合はコウ粘りみたいな延命策は無かった!
 今・私は必死のコウ粘りの最中みたいなものです
  昔ならとっくに目ナシになるところ、あわよくば両コウに持ち込もうとしているようなものです。
 この本を読み返して見て、なかなか味のある部分も発見できたようです
  
 さて今日はもう一局打ってみようか、取り敢えずは観戦がいいか 

不思議な光景

2007-10-30 18:25:22 | Weblog
 リアルの碁会所で良くある風景ではありますが、席を運営しているものにとっては困った状態
 お客さんが盤を前にしてお茶など飲んでいるのですから、対局者待ちであることは明らか。
 この場合人によっては少々の手合い違いでも、置き石が多くても気にしないで打つ人、或いは誰か好敵手が来るまでの繋ぎならという意味で気楽に応じてくれる人、顔には出さないまでも嫌がる人・・・様々ですがこういう性格・好みの違いを知っておく必要があります。
 逆に下手側の人だって、余り違う人とは打ちたがらない人も居るし、むしろ上手オッカケみたいな人も居るし・・・
 ともあれ、手空きの人が3人以上居ると、お客の世話をする側は心中穏やかではないものがある。
 妙に気の合う仲間が居るのと同じで、逆に気の合わない人というのも居る
  別に喧嘩をしているのではないのですが、、、そこまでいかなくても寸前くらいの心理はあるかもしれませんね
 例えば、対局中に自分の着手に対して「フン俗手が・・・」みたいに実際には口にしなくても、鼻であしらうような感じと言うのでしょうか・・・
 天敵みたいな勝敗に関する苦手と言うより、こういう心理的な苦手と言うものは、大勢が集まれば必ず居るはず。
  『あの人と打つくらいならお茶でも飲んでいた方がいい』ということで・・・
 口では「もう少し休憩しています」などと言いますが。

 <ここまでが枕> 
 さて例によって夜中に一度は目が醒めてしまいます
  ジイサマなので一晩通して眠るだけの体力が無いのです
 (眠るのにも体力が必要なんだそうですね・・・年よりは哀しいですよ疲れていても目が醒めるのです)
 たいていは「草木も眠る丑三つ時」に目が醒めるのです
  子供時代ならこの時間は嫌な時間ですが、その点は年寄りには怖いものは無い
 ネットで観戦と言うことが多いのですが、昨夜は変わった光景に行き会ってしまいました
 ネットの待合所を覗くと対局待ちが3人居ます
  それも皆同じような点数です
 仮にA、B,Cの三人としましょう
 Aさんは持ち時間45分の碁を希望で相手に特に条件は無い(置き碁OK)
 Bさんは持ち時間1手15秒の早碁希望・相手は置き碁もOK
  マアこの二人だけなら対局条件に違いがあるからすれ違っても不思議は無い
 ところがここにもう一人Cさんが登録しています
 この人はスロー碁も早碁もOK、しかも置き碁もOK
  と言うことはA,BのどちらかはCさんと対局していなくてはおかしい
  そういうことで考えられるのは「対局拒否リスト」ですね
 何らかの事情で特定の人と対局したくない時にはリストにその会員番号を登録しておけば対局は無い・・・
  片方か、お互いにかは知りませんがその可能性が大きい
 夜中に打つ人はやはり昼間より少ないのですから、仲間は大事ですがそうも言っていられない事情があるかも知れません。

 私も多少は思い当たる事はあります
   このABCの三者ではありませんが
 以前に「ダメしかないのに、残り時間を全て消費し秒読みになって切断した人」
 この人は私の「拒否リスト」に載せています
  自分で打った人ではないのですが・観戦していて目撃
 対局終了して結果が出ているのに勝敗を了解しない人(切断・セキなどに勘違いはあるのかも知れませんが)
 こういう人とも「ご遠慮リスト」です
  さてABCの三者のうちの一人には私も私も若干含むものはある
 ルール違反ではないから異議申し立てはしませんが、囲碁を楽しむ相手とは言い難いと思うのです
 彼は例えば先番で1手目で天元に打って、3手目をその隣、5手目も、7手目もと言う具合に集4というのでしょうか真ん中をそんな方にしてから打つとか・・・
 初手から3回続けてパスをしてから打ち始めるとか・・・
  これは実際に対局すると楽しくない
 「勝って当たり前ですよ」と言われているような
 「お前さん相手にはこの程度で十分」といわれているような・・・

 まさかアマ高段者が遊んでいるのではないでしょうね(勝とうと思えばいつでも勝てるみたいで、いつも同じくらいの点数です)
  プロならできるはずですが逆にやらないでしょうし
 相手にパス・パス・パスと来られて、やめれば負けになるのは悔しいし、さりとてその対局は楽しくは無いでしょうし・・・
 ルールには違反していなくてもマナーは大違反でしょう
  ですから夜中のABCの皆さんの光景はきっとこれが原因でしょう
   まあ楽しくないのに打つ必要は無いのだから「ご遠慮リスト」です

 さてこの話は書こうかどうしようか迷いましたが、「こういう人も居る」と言うことを話しておきたいと考えました。
 ご本人はそういう楽しみ方をしているつもりでしょうね
  それに出会って何とも思わない人も居るかも知れません。
 少なくとも私は嫌ですね。
  私の方が弱くて4つ置いても勝てないのならそれはそれで仕方ないけれど、3回も4回もパスをされるのは・・・「自由置き碁」のつもりなんでしょうか?
 さてさて丑三つ時には不思議なものに出会うようです 

やはり疲れたらしい

2007-10-29 18:36:15 | Weblog
 日曜日の囲碁大会は楽しい1日でしたが、やはりそれなりに疲れたようです。
  リアルで4局打たなければいけないし(実際には公式戦局と、親善対局2局でしたがトータルでは4局)
 ローカルな大会とは言え、一応個人的には公式戦・対外試合な訳で緊張感が違います。
 それに囲碁のお祭りですから、大勢の人が集まったところに6時間以上も居たのですから人に酔ってしまいます(私の弱点でもありますね)
 更に、駅から会場までのウォーキング・オーバーな表現ですが普段歩かない私にとっては片道20分近いウォーキングは重労働に近いのです。
 健脚な人なら十数分、普通で15分でしょうか 
 実は家から出るときには、場合によっては駅からタクシーという選択肢も考えて細かいお金を用意したくらいです(近すぎて乗車拒否もあるか?)
 実際駅の階段を下りて、駅前ロータリーに出たところにタクシーが客待ちで列を作っている・・・ここで大いに迷ったのです。
 こういう時に突然意地っ張りな性格が出てきます
  『学生時代はアルバイトで山の中を歩き回っていたでしょ?』
 『夏など場所柄、役目柄を考えずに短パン・ビーチサンダル・麦藁帽で(辛うじてシャツは長袖だったけれど)山の中を走り回っていた』
 まあ、若い頃だから出来たことですが、丁度大会会場は私にとっては中途半端な距離です
  ふと『日曜なのに、この客待ちタクシーの列はもしかして大会目当て?』と思った途端に歩くことに決定
  『若い人が15分なら、30分かかってもいいじゃない』『時間ならたっぷりある』
 そういうことで、途中での出会いもありましたし、大会前にK畑師匠やN大会委員長にも挨拶する時間がありました。

 楽しいということとは別に「緊張感」「ウォーキング」で気持ちと体は疲れたようです・・・夜は何時寝たか分からないような・・・早く寝てしまった
  記憶では8時前のはずですね
   但し夜中の12時過ぎには目が醒めるのだからジイサマですね
  そして2時半過ぎには再び寝てしまってあさ6時半までぐっすり
 マア2部制の睡眠がジイサマ臭いですがそれでもトータルで8時間以上9時間近いですね
 と言っても、普段寝付けなくて困るとか、睡眠不足ということではありません
  眠ろうと思えばいつでも何処でも眠れる特技を持っているのでその辺は大丈夫
   普段は起きていて、やりたいことがいっぱいあってとても寝てなぞ居られないというわけですが、この日はそういうものは吹っ飛んでしまってひたすら爆睡
 ところで夜中の0時過ぎに起きて2時過ぎまで何をしていたか?
  余りにも簡単なクイズ・・・答えはご想像通りネット碁でした
 目が醒めた途端、パソコンもスリープ状態だったのでフィンガーパッドをこすって目を醒まさせます。
 対局待ちリストには一人だけウェイティングになっている
  この方は相性がいい方の気がする・・・私レベルでは実力の勝負より相性と運が大事です。
 過去の200局の記録では3回対局して幸いしている
  反対から見るとゲジゲジ・アブラムシの類か、それとも仇討ちのチャンスを待っているか?
 少し対局申し込みをためらいました。
何だか目の前に餌を投げられたダボハゼですね、何だかわが身が浅ましく感じて・・・小用にたって、コーヒーを一杯入れて・・・それでも相手が居ないようなら名乗りを上げることとした。
 ネットで相手が見えないのですがいろいろやっているのです
  さて戻ってきても変わっていなかった

 そこで予定通り対局となりましたが、多少巌流島の武蔵だったかも知れませんね
  序盤・中盤と相手の人もしっかり打っている・・・しかし途中で足並みがもつれた・・・決して形勢不利ではなかったのに
 相当有利ではないにしても無理な手を打つ必要は無かったのに
  想像ですが終盤まで行くとローカイな狸オヤジに寄せで騙されそうな危険性があると感じたのかも知れない
 だから終盤数歩手前で碁を決めに来たみたいな・・・
  これってもしかしたら苦手意識の現われかも知れません
 私にもかなり思い当たることがある・・・勝負に行って潰されて「そんなに無理するところでは無いのに」と言う感想を聞く羽目になる
 
 しかし私も好きですね
  疲れたと言いながらも夜中にも打ってしまいました。
 もっとも2局目を打つことも、他人の碁を観戦する気力も体力も無く気がつくと朝になっていました。 

一日囲碁三昧

2007-10-28 18:04:38 | Weblog
4時半ごろ帰宅しました・・・長い一日・・・未だ夕方ですが。
 前にもお話したJFE趙治勲囲碁大会があったので、家を出たのが朝8時過ぎ
  実際は少し早すぎるのですが、目が醒めたのが7時45分なので、仕度を15分以内に済ませて、途中で何か腹ごしらえするためです。
 蘇我駅はローカルな乗り換えターミナル駅ですが、朝から食べるところはあります。
 まあグルメなど望むべきもないし、朝から贅沢も出来ませんが
  ここはJEFUユナイテッド千葉のホームグラウンドもあるし、そういう便利な店はあります。
 といっても、こちらは年齢が年齢なので朝からハンバーガーセットみたいなものは一寸敬遠・・・これをパスすると後は駅の定番の立ち食い蕎麦・うどん、或いはラーメン、カレーライス・・・ま、贅沢は言えない
  これらをパスすると駅前のコンビニのお世話になるしかない
   こうなると何処か公園を探してベンチに腰掛けて食べることになる
  まあ公園に寝泊りしている人と間違えられることはないはずですが・・・
 こんなに栄養が行き届きすぎた人は居ないはずですから

 さて今回はいつもと開催する場所が変わっています・・・案内図によると駅から徒歩15分とあるけれど、私の鈍足では絶対に15分では着きません・・・やや登り坂でもあるし
 と言うのも若い頃この近所に勤務していたので、土地勘はある
  その頃JFEの前身の会社の関係でここの隣の建物・研修所で研修を受けたこともあった
 そういう意味では、場所そのものにも何かしら感慨が・・・
 時間はたっぷり有るのでぼちぼち行くと、途中で声を掛けられました。
  信号待ちでまっている親子・若い夫婦と子供連れです
 奥さんが手に大会の案内状を持っているので「あの人たちも行き先が同じだなと思いましたが」・・・
 若いお父さんに声を掛けられたのです
 「aizomechouさんではありませんか?久しぶりです○○です」
 いやー○○という名前はよく聞き取れなかったけれど、顔は確かに見覚えがあります(名前が出てきませんが)
 聞くと子供さんが「子供大会の部」に出るので両親で一緒に来たらしい。
  なんとなく「いいなー」と言うムード
 もっとも大人二人は大会にはエントリーしていない様子・・・
  これは少し引っかかる
 親も楽しみ、子も楽しむのが良いのですが、母親とか父親が子供連れて「大会追いかけ」みたいなのは・・・

 さて入り口でわが師匠K畑さんに会いました
  聞けば師匠も出場するのだそうです・・・しかも同じ組
 「先生会場に入ったら離れて座ってくださいよ、前に座ったら1回戦で当たっちゃいますからね」と言うことで少し離れて座った・・・これは両者2連勝なら3回戦で当たるポジションと思われる。
  ところが悔しいことにこの心配は無用でした
 私の方が1回戦を勝てたものの、2回戦では5目足りなかった(向こう先だから当然コミがない!)
 ここで参加賞コースへ
  早めにお弁当を貰って、指導碁見物
 プロの先生たちも仕事とは言え大変ですね、一人5面打ち

 朝に会った親子連れのことが頭にあったので、子供大会の部屋を覗いて来ました
  これが今日の大収穫でしたね
 昔教わった先生と出会うことが出来ました
  中国囲碁協会の5段の先生で3段の妹さんと日本に来たばかりの頃教わったのです・・・イヤ局数で言うと両先生にはそれぞれ30局以上は打っていただいているはず・・・そんなご縁でゼイ・ノイさんに打っていただいたし、中山典之先生の声をじかに聞くチャンスもありました。(マイケルさんも)
 そうマイケル・レドモンド九段の奥さんになったのは先生の妹さん
  この大会には両先生の娘さんが出場していたのです
 いや若かった(今でも若いですが)お二人の子供が大会に出ているなんて、当方が年を取るはずです。
 力力(リーリー)先生は流石に所謂「追っかけ」的な親とは違う
  娘さんに打ったばかりの碁を並べ直している・・・
 「言葉が厳しいわけではないけれど、娘さんの方はキチンと座って教わっています」
 これは普通の親子では難しいですよね
  自分の子供には勉強にせよ何かを教えるのは大変です
 先生も「いらいらしてしまいます」と言っていました
 「先生、私たちアマのザルに教える時と違いますね」とついからかってしまいました。
 先生にしてみれば「娘だからこそ、きちんとした碁を打たせたい」のでしょうね
  教える時は弟子・生徒という接し方ですね・・・母親は難しい
 (木谷礼子さんは泉さんに教えたのだろうか?)
 娘さんは今小2らしいから、来年が楽しみ・・・ここで成長した姿を見られるだろう。
 
 会場では今大会も懐かしい仲間と顔を合わせました。
  N囲碁センターの仲間、コミュニティの仲間、それに前回、前々回顔を合わせた人たち
 そうそう、Hexagonbanさんは一番若いスタッフだそうで
  おそらくあの人かこの方・・・ぐらいの想像はついたつもりです
 ところで午後の対局
  これがなんということでしょう
 全勝しないと賞品は貰えないということだからか、1つ負ければどうせダメということか、対局場に現れない人が多い
 プロの指導碁とかその見物に回っているのかも知れませんが
  これって大会を運営する人にも同じ参加仲間にも大変失礼だと思うのですが・・・
 私だって午前中に一つ負けたので、確かに午後は消化試合です。
  「でも楽しければいいじゃない」
    そう思わない人が多いのでしょうね
  私の方は午後は親善試合を2局で結局は4局打ちましたが
 やはりこういう早く帰る人、負けたら止める人の対策は大切でしょう
  運営側の挨拶で「負けた碁で強くなることもある」・・・言っていることは間違っていないかも知れませんが、そういうことではないでしょう
 提案としては
  全勝者を表彰するのはいいとして3勝1敗も考慮する
 2大会連続3勝1敗なら何かの賞を・・・これは賞が目的ではなく3勝1敗OK
、つまり2敗敗退という意味です。
  ですから2敗した人は自由対局とか観戦・指導碁・・・
 何か考えていただかないと、「1敗したら帰ろうと続けてうとうと勝手にしろと言われているみたい」

 さて今日は始めて生趙治勲の顔を見て話す声を聞きました。
  加藤朋子先生たちの指導碁に飛び入りして途中から指導したり・・・
 話が面白いですね
 「これは黒が良く見える?・・・確かにそうかも知れないですね」
 「あ、ここはこう打つと1目得をする手があるので、1目の碁なら勝敗が変わりますよ」
 「試しにやってみましょう、・・・そう打って、もしこのように打っていくと白が潰れます・・・あッ、元に戻しますよ(大笑い)」
 「おや、2目差で黒残念でしたね、マアでも勝ったようなものでしょう」
   <隣の盤に移って>
 「少し白が良さそうですね」
 ダメをつめながら「これは良い碁ですよ、こんなにダメが残っているということは、良いところを打っていたという証拠です」「後は上手に地を作ってください」
 「あー8目ですか」「でもここの境界を少しずらせば持碁です」
   こんな感じで楽しい先生です
  勿論プロに指導する時とアマに教える時は別でしょうが。
  力力さん母娘の場合は「プロがアマに教える」とは少し違うのでしょう
   
 長い一日囲碁三昧でした
  
 

暇人伝

2007-10-27 17:37:23 | Weblog
 ひところ自叙伝の自主出版が流行ったことがありました。
 いや、ブームと言うことではなくて定着しているから目立たなくなっているだけかも知れません。
 人は誰でも自分の生きてきた証みたいなものが欲しくなるかも知れません
  銅像とか石像を立ててもらえなくても、何を考えどんなことをしたのか記録だけでも残しておきたいとか・・・
 私もそういう山っ気が全くないわけではないにしても、マイ出版にしたってタダではないわけだし、本にしたって本屋で売れるはずがない。
 となると製本した新本をダンボールに入れて部屋に積んでおくわけにもいかず、大枚をはたいたモノをいきなりトイレットペーパーと交換では切ない。
 さりとて知り合いに配るなどしたら、その後出会った時にどんな顔をしていいのやら・・・
 「本」の影も形もないのに想像して身もだえしております
  落語「湯屋番」の若旦那状態です。
 (こういう例えは今では何割の人に通じるでしょうかね)
  若い人には(趣味のもよりますが)無理かも知れません
 自分の娘・息子の世代でも厳しそうですが、子供たちに事細かな説明をしていると説明している方が疲れてしまいそうで、徒労に終わりそうな努力は省いてしまうので、親子であっても世代間格差は広がるような気がします。
 さて「本」に戻って、よしんば配ることが出来たとして、読む人は十人に一人か二人でしょうね。
 私の経験でも、引退した経営者とか永年勤続記念みたいな本は「積読」なら良い方で、戴くのも正直ありがた迷惑みたいな物がある(実は殆ど)
 受け取りを拒否したら角が立つでしょうし。
 そんなわけで「ソノ気」がないわけではないにしても、経済的な厳然たる理由があって無理なわけです
 もしも、もしも万に一つ実現したとしたら,題は「暇人伝」がピッタリでしょうね・・・題というより「お題」かもしれない

 私、小さな頃から「あくせくしない生き方をしよう」と心に決めたようなところがある。
 心の中ではかなり小さなことにでも、波立つことはあるのですが、まあ表に出る行動としては例えば乗り物に乗る時決して人を押しのけないないとか、実生活ではたいしたことはないにせよスローを心がけています。
 タイタニックみたいなことでは、自分はデッキで救命ボートを見送る側にいたいと思ったのですが、これは実際にそういうことに出会っていないので、真実は分かりません。
  まあ比較的ゆっくり話すし、強硬な自己主張はしない(出来ない)から、「いいところのボン」みたいに勘違いしてくれる人は居たかも知れませんが、本当はただスローライブなだけで、暇があったら碁を打っているとか、本を読んで居るだけの人種
  私からいうと、碁と読書が忙しいからほかの事をやっている暇がないのですが
 
 若い頃は経済の急成長時代で仕事でも猛烈社員が要求されましたが、ノルマはキチンとこなすものの遅くまで残業とかは決してしない社員でした。
 一つの課を任されていた時代も、先頭に立って帰っていたから影では相当・・・
  出世とか何割かの収入増と引き換えに猛烈に働くことは拒否していたし、さりとて周囲とトラブルのも嫌なので周りの人の見る目に気がつかない振り
  自分の興味のないことには極端に鈍感何です
 何といっても夕方、帰路碁会所によるのが日課でしたし
  素人のザルがソコまでのめりこんで何になる?或いはそんなに本を読んで何かの役に立っていますか?
 多分そう聞く人は居るでしょうね
  実際、碁を打ってそういう方面での知己も増えたましたが、そういうことと収入、社会的な地位は関係ありませんし、そういう目的など関係ない。
 本にしたって、「読書」を労働に多とたらそれに見合うような見返りはありません。
 もしこういうことに「やくたいもない」(これは方言だろうか?)と感じる人は暇人のことが分かっていないのです
 「そのこと自体」が楽しいからやるので、見返りなど考えていない。
   世の中とか、自分とその家族の生活に何の役にも立たないことに夢中な人間
  こういう人を世の中では「暇人」と呼ぶのでしょうね
 何もせずにただぶらぶらしている人とは限らない・・・(暇を楽しんでいるのなら立派な暇人でしょうが)
 (私みたいな)「暇人」は結構忙しいものなんです、自分ではそう思う
  他人から見れば何時だって暇な人間が「暇つぶし」をしているように映るらしい

 やっていることの優先順位が変わっても誰も困らないのが暇人たる所以か
  但し女房殿の言いつけに逆らうのは余程の覚悟が必要ですから、私にそんな根性はない・・・素直に従っていないと「暇人」を続けられなくなると言ういやらしい打算もありますし。
 さてソノ程度の「暇人」ですから、わざわざ世の中に足跡を残す必要もないですね。
 そういうのを残したところで世の中に意味のない足跡だらけという迷惑な話
  娘と息子と、最低限DNAは残したし、「お後がよろしいようで・・・」

 

晴れ後雨、時に激痛

2007-10-26 19:01:44 | Weblog
 今週はめまぐるしく天気が変わっていきます
 週の初めごろは晴れそして今日は時に強い雨が降っています
  週末には台風が伊豆・関東目がけて進んでくるとか・・・日曜日はダメですよ、大会があるから!
 その心配はあるのだけれど、今はそれよりも背中と言うか肩の激痛と戦っている
  と言うのは少々オーバーですが・・・
 その痛みは突然やって来ました
  仕事が終わって自転車で帰宅する・走り出して直ぐに来た
   全くの不意打ちなので、「アレッ?何で痛いんだ?」でした
 原因は分からなくても痛みはある・・・さてどうしたものか?
  右の肩甲骨の辺りが痛いのだが、動かすのには支障が無い
 要するに動きと関係なく、ジッとしていても痛いときは痛いからなかなか始末に悪い
 いつも同じように痛いわけではありません。
  朝は比較的痛みは弱く、夕方帰宅する頃が一番痛い・・・それは仕事疲れともリンクしている?・まさか(疲れるような仕事はしていない)
 4日続いているので大分慣れてきましたね、姿勢によっては痛みが和らいだり感じなくなることも経験で分かって来ました。
 右手を体の脇に付け、肘を曲げて指先で頬を触る・例えて広隆寺の弥勒菩薩ポーズが有効らしい
 一見優美?、しかし実は右肩痛
  弥勒様も肩が痛かったか?
 もっと有効な方法を発見した
  首を左右に曲げたりぐるっと1周したりを繰り返す
 これでかなり楽になる・・・と言うことは頚椎・脊髄と関係あり?
  少なくとも骨関係かも?
 よく分からないけれど一過性のものであって欲しい、そして早く出て行け!

 それにしても得意の精神力で凌いでいます・・・と威張りたいところですが、私のは鈍感力という精神力です。
 「鈍感力」と言う本がありますが、単に鈍感さを盾にしているだけです
  それにしてもこれも病気の一種なら、また一歩万病デパートに近づいてしまいます。
 やはり亡くなった母のDNAをしっかり受け継いでいるのか?
  外見と血液は父親が出ているのですが
 どうも健康状態というか体の仕組みは母のようです
  彼女も寝付くことは無かったもののいつも何処かが具合悪かった・・・
 いずれにせよ、熱は無い、腫れも無い、動かすと痛いとう訳では無い
  これは何かの試練だろうか
   <無信心の人間がよく言う!>
 知らないうちに何か悪いことをしたぺナ!・・・それなら分かる?

 さて金曜日はKさんと昼休対局、、、いつもは5子なのですが
1Fの対局室(畳の休憩室)に降りていく途中で
 「最近絶好調だそうですね?」
 「いや、また2子に戻されました」とはいうものの、一度は相手2子にまで打ち込んだのだからこれは自信になるでしょう。
 私は途中寄り道をしたので、早くついたKさんが碁盤・座布団を出して置石を並べています
 マア趣味の世界だから早く来た方が準備するということで・・・
 彼が置石の5つ目を置こうとするので、
「そろそろ減らしてもいいのではないですか」と声を掛けると
「いいんですか?」と言いながら天元に置こうとした石を碁笥に戻しました
「そりゃあもう置石には拘りません」

 置石の数と関係なく常に真剣・全力を心がけるのですが、その辺りが難しい一面も感じているのです
 白も一所懸命に打つということと、勝ちにいくみたいなことの区別がはっきりしないこともある。
 何だかインチキ臭い手だと、心の中で顔をしかめながら打つこともある
  これは置かせ碁がイヤだというのではありません。
 結果としてとはいえ下手を騙すような手を打つ時に、気持ちにわだかまりがあると言うことで、そうでない打ち方が出来ない自己への嫌悪でもあるのです。
 例えば、ある局面で白精一杯の手を打つ
  「ここで反撃されたら困るだろうな?」と考えつつも「どこかでリスクを背負わないと勝負にならない」とも考えるわけです。
  こういう打ち方は問題が多いのでしょうね
 白が旨くやったとして、実は白が上手いわけではなく「黒が咎め損なっただけ」
 こういう経験をした下手は「上手の手を良い手だと勘違いして記憶する」
  そう思いながら打つのもヤヤ気が重いところがある
 そういうことで、置石が少ないほどそういう場面が減るので、置石は少ない方が歓迎となる
  
 それでは堂々と正面から打って、黒にキチンとした手が打ちやすいように白も打って負ける。
 これも人によっては感じ方がまちまちでしょう。
  置かせ碁の王道であるとは思いますが、一方で白無気力とかやる気が無いのと紙一重みたいなところもありそう・・・
 下手から見ると(私がK畑師匠に鍛えられていた頃の記憶からすると)、真剣に打ってくれる白に勝てると嬉しいので、やる気があるのか無いのか分からない上手に勝っても喜び半減みたいなところがあります。
 立場が逆になると難しいものですね。
  向こう4子で・・・白としては”普通”に打って、黒から見ると「上手をやっつけた」みたいな打ち方ってあるだろうか? 

大会イブ状態です

2007-10-25 18:26:46 | Weblog
今月(10月)の始め頃に「JFE趙治勲杯囲碁大会」の案内を頂き、参加申し込みをしたと思ったらもう今度の日曜日は大会です。
 何だかアッと言う間に3週間が過ぎてしまいました。
  子供の頃の運動会とか遠足の前日みたいな気がしますね・・・子供返り?
 楽しみと同時に不安もあります
  この間リアル碁は昼休の置かせ碁を十数局打っただけで、同じくらいの相手とはリアルでは打っていない。
 それに時計を使うような碁を打っていないというのもヤヤ不安材料です
 昼休碁は時計など無くても概ね休み時間に収まるようになっているので、所要時間は同じでも意味が違いますから・・・
 ネットですと当然自動的に時間管理をされているので、手合い時計の押し忘れはありえない(普段楽をしているのですね)
 ネットでは打った瞬間自分の時計が止まり、相手の時計が動き出します
 時間の経過で「残り20分です」など教えてくれますし、秒読みも音声付でやってくれます
 パソコンはあり難いですね
 アマの大会ではそういったものは一切無く、アナログの時計の赤針が時間が来ると落ちる仕掛けです。
 しかも今度の大会は普通のアマ大会より10分短く持ち時間各35分で、且つ秒読み無し・時間が来れば問答無用とばかりバッサリです
 マア、時間そのものは昼休碁で鍛えられていますが・・・そんなことで良いのかな?
 アナログの赤い針は冷淡と言うか愛想が無いと言うかまさに機械的です。
 パソコンの音声付の秒読みも機械的には違いないけれど

 対処方法としたら序盤で余り時間を使いすぎないことでしょうね
 それと初めから余り複雑な形に持ち込まないことでしょう・・・もっともこれは相手があることですが
 と言うことは、これは短期決戦の作戦になると言うことでしょう、きっと!!
① 変化が多くテ落とし穴が至る所にあるような定石を敢えて選ぶ
② 相手はそれを避けようとすると少し損をする
③ 当然自分は細かな変化を熟知していなければいけない!!
  ③が問題ですね
 相手は躓かなくても嵌らなくても良い・・・時間を使うでしょうから、これが後になってボディブローになって利いて来るし
 副次的に相手はこちらを「嫌な相手だぞ」とプレッシャーを感じるかもしれない
  大会専用バージョン!?
   そういうセコイ考えは・・・今からでは無理ですね、来年用なら何とか間に合うかも知れないけれど
 
 私は無理だけれど、相手はもしかしたら同じことを考えて仕掛けてくるかも知れない
 そこが不安ですがその時にショックを受けないように対局前によく顔を見て観察しておかなければいけませんね・・・少なくともショックを受けないように
  マア対策としてそれしかないのが哀しい
 とりあえず「人を呪わば穴二つ」にならないように正攻法が肝要
  ともかく時計の押し忘れだけは要注意
 <押し忘れたりすると>
 (それに気づいた相手は)時計の方など見ないで・・・長考に入るだろう
 大会は禁煙大会だから良い様なものの、昔ならゆっくりとタバコに火をつけるところですね。
 おもむろにお茶など飲んで、サテ打つかと思いきやまた腕組みなどして・・・
 『何でこんな何でもないところで考えるのだろう、全くよく考える人だ』と、ふと時計を見ると自分の時計が動いていたり!!
 「やあ気がつきましたか」とニッコリされてもルール違反では無い
 <着手したら、その手で時計のボタンを押す>というのがルールですから「着手」と「押す」の間が長いのを相手は黙ってみていただけのことなんです
 <教えなくてはいけない>と言うルールは無い、あるとすればマナーと言うか「善意」の問題だけですが・・・
  久しぶりの手合い時計ですから、ペース配分と押し忘れ要注意
 僅かに有利とは言えないけれど、不利にはならないのが時計を置く位置です
 これは規則で白番の人に選択権があるようです
 打った手でボタンを押すのですから右利きの人は時計を右に置くのが普通
 それで世の中右利きが多いから私が先番になっても相手が右利きなら問題は起きないのです・・・私は十年この方サウスポーに転向している
 もし私が白番なら堂々と左側に置けば良い
 問題は相手も左利きで握って私が先番だったときだけ
  マア左手でやればいいし、この時だけ昔に戻って右利きにすれば良いか

 この大会は数百人参加で4回戦の対局ですから、16人に1人全勝者が出ます
  幸運を祈るばかりですが、私などは実力とは縁の無い世界なので、運を頼らざるを得ないのです
  そんなことで全勝は少し荷が重いから目標は3勝1敗といったところでしょう これなら賞品は無いけれど「強い人がいてね・・・」と諦めがつく
  それがダメならせめて2勝2敗
   それなら申請段位は妥当だったと言う慰めになる
 何だかイソップ物語
   やる前に逃げ道を用意しているみたい 
 

芋名月の芋

2007-10-24 18:46:51 | Weblog
 火曜日の朝に見たニュースの天気予報
 その日の夜はよく晴れてお月見にはいいらしい
  この時期の名月を豆名月とか栗名月とか言うのだそうだけれど、子供時代の経験からは一寸実感が無い。
 私の生まれて育った所の経験では「芋満月」の方がピッタリです。
  豆を月見のテーブルに供えたことは記憶に無いし、栗の方も思い出せないから多分無かったんだと思います。
 そういえば椎の実は拾ったことはあるけれど、近所にも近くの山とか林に栗の木は見たことが無い。
 芋はこの時期当たり前の収穫物だし「9里より旨い13里半」ですね
 この言葉は知っているのですが本家の(13里半は食べます)9里の方は知らなかったのです
  芋の方は秋から冬は町の駄菓子やさんなどでも売っていたし、現物を持っていくと手間賃で石焼芋を焼いてくれたりする店もありました。
 天津甘栗みたいなものは縁日などで買ってもらうと嬉しかったですが、そういう経験と芋から栗の味を類推する程度でした(しかし、天津甘栗は中日友好協会がらみかも知れないから、この当時の縁日にあったどうか曖昧な気はしますが)
 ところで「芋名月」と言うのですが、個人的な好みと経験から言うと「芋」は里芋がいいですね。
 当時元気だった祖母は健康維持と趣味で小さな畑を持っていまして、菜っ葉類の他に大豆(枝豆)とか里芋を作っていました。
 秋も深まると、私は(外孫ですが)祖母の手伝いで畑に行ったものです
  (もっとも農作業よりコオロギを追いかけていましたが)
 そういう経験からか、里芋は大好きでお月見の供え物には欠かせませんね
  もう少し秋が深くなれば八つ頭・・・もう考えただけでもヨダレ状態
 実は私の祖母はかなり前に無くなりましたが、女房殿の母親が田舎に住んでいるので毎年リクエストに答えてもらっています。
 煮物もいいけれど、子供の頃のお気に入りは大きな塊で軽く塩茹でしてそれを大雑把に切って、七輪の炭火で軽く炙ったもの。
 焼く時に切り口に醤油などを少しつけて、表面を焦がさない程度にパリッと焼く
  今の日常生活と七輪は縁がなくなってしまい寂しいです。
 (つい最近までは七輪と炭はあったのですが・・・マンションのベランダとか近所の公園で燻製を作るのが趣味で、真冬の夜ならご近所に迷惑が少ないでしょう。
 この時スモーカーと七輪、炭は必需品でしたから。但し女房殿がコンロで使う燻製釜を買ってきて、レトロの道具は廃棄されてしまいました)

 <お月見話で脱線気味ですが>
 子供の頃、河口付近の川っぷちの家に住んでいました。
  窓の直ぐ下を愛染川が流れていて、近くでススキなどを摘んで来ます。
 腰の低い窓の下に折りたたみのテーブルを出してお供え物を飾ります
  といってもメインはススキの穂とか母親の手作り蒸かし饅頭
 それに季節の果物・ミカンとかリンゴ・ナシ・ブドウ・カキ・・・バナナは比較的高価だったから並んでいたかどうか
 それとサツマイモに里芋
  月見というと花札では8月ですよね・・・それで花札が旧暦として、新暦なら9月の名月がメインの十五夜でしょうか。
  でも好みは10月の名月ですね
 空が澄んでくるし、空気の爽やか感が気持ち良い
  これが11月になると肌寒くて、月を見る余裕がなくなりますね

 突然ですが、わが女房殿が「今日は友達と○○ホテルの宴席料理の試食会」宣言
  「美味しい料理をいろいろ格安か無料で食べてくる」ということですが、要するに私にとっては「夕食は自分で心配しなさい」(「勝手にしろ})なのです。
 自分で作るか、はたまた外食かそれともコンビニのお世話になるかの3択
  まあ、学生時代からアウトドアーでキャンプなどの経験はあるし、若い頃外食関係の職場でを伝わされていたこともあるから、困りはしないが面倒くさい。
 特に作るのはいいけれど、片付けが苦手
  更に1人分作るのは材料にしても手間を考えても効率が悪い・・・どうしても多めに作ってしまうし、作ってしまえば意地でも残しません。
  さてさてこれも肥満の元になりそう
 我が家の娘も結婚し、息子も今は家には居ない・・・元の二人に戻ったのですが、そうなると女房殿は羽が生えて、髭が出て、ついでに角も・・・
 亭主のことなどどうでもよくなるらしい・・・自分もその立場なら分かるような気はしますが
  マア、そういう時はネットで碁を打てば良いだけのことなんですが
   それではいつもの生活と変わるところが無い
  ということは、いつもと同じ・・・ネット碁オタクというか

 これでボロボロ負けていたら救われない気分ですね、当たるところが無い!!
  (まあ負けても当たったことはありませんが)
 さてさて天気予報のオジサンのお勧めだから月でも眺めようか・・・
  それとも風呂にしようか、いや、とりあえず1局が良いか
  ぐずぐずしていると眠ってしまうかも 

好・不調

2007-10-23 18:30:58 | Weblog
 今私はネット碁では絶不調は脱したとは思うのだけれど、さりとて好調に転じたとは思えない・・・どこぞの国の景気みたいです
 マア普通に不調と言うか、長期低落或いは枯葉の季節で凋落と言うか
 お天気で言うと嵐は去ったものの、秋の長雨は続いている感じ
  どのように悪いのかは言葉では表現しにくいけれど・・・
 まず、細かなところに注意が行き届いていない
 素人の素人たる所以みたいな不注意・見落としは当然或る(威張ってます)
 生き死にの間違い、コウ立てと思い込んで打ったところが無コウで一手でゲームセット、勢いで打った手が恥ずかしいくらいの小さな手でアッサリと手抜きされたり、そういうド・チョンボのオンパレード
 更に序盤構想(少し大げさですが)というか大掴みの方針と言うか、そういうものがどうもマンネリ化していると感じています。
 結果として確かにマンネリですが、それは一手一手よく考えないで打っていると言う感じでしょう、「手になずんだ」と言うか「手馴れた手」を打っています
 打ちながら、『これで良いのか?』と考えながらならまだ救われるかも知れませんが、打ってから毎回反省するのだから困ったものです。

 好・不調を点数制度ですからいつもの(これが難しい基準ですが)点数から見ると、今の私は自己MAXの私に2子置くことになりそうで、通常(この程度の点数でいたい)の自分には常先と言ったところ
 どうしたら脱出できるのか、答えは分かっているつもりですが出来て居ないのだから答えは簡単「本当は分かっていない」OR「弱い」
 ともあれ自己救済策は2つ
一つはこめ細かな注意を持って打つこと
 「考えても分からなかった」と言うのは、これは素人ですから仕方が無いと開き直ります・・・が、打ってから「アッ!!」は救われない
もう一つは、考えること・打つ手の幅を広げるというか・・・
 もっと広く碁盤を見るのは当たり前ですが、どうも打つ手に自信が無い割りに同じような手ばかり打っています。
 結果として一回に一手しか打てないのですが、選択肢は広くないといけないでしょうね。
 
 仕事中のティータイム、昼休仲間のFさんが私のデスクの横を通って
 「金曜日の夜打ちましてね」と話してくれました
 週末に残業碁を打ったようですが、その結果が凄まじい
 「この間、向こう4子までいったのですが、一気に私が2子置くようになりました」
 なんと上下で置石6個分も動いた!
  両者一本調子のところがあるけれど、3番手直りだから15連敗くらいしたのではないだろうか。
 「1局15分くらいでとうりょうしていましたから・・・」と言うけれど、単純に4時間くらいサンドバッグになっていた?
 他人のことだと気楽に言えるのだけれど、なんとなく言いませんでした・・・本人は気づいているでしょうから<どんなことかというと>
 「1局15分の碁だからこれほど偏るのではないだろうか」だから、せめて40分とか1時間時間をかければこれほどは偏らないような気がする。
 それでも当然勝ったり負けたりはあるにしても3連敗を4,5回続けるような事は無いでしょう。
 Fさんもそれを承知でやっているのかも知れないとしたら、そういう「楽しみ方」であるとしか言いようが無い・・・その辺が「言わずもがなであるから言えなかった理由です」
 ただ、楽しみは楽しみとして、こういう楽しみ方でついでに強くなりたいと言うのは少し虫がいいでしょう。
 こういう15連戦よりジックリの1戦の方が貴重なことが多いと思える
  (自分のことを棚にあげると何でも言えてしまいます)
 
 ところでその日のFさんとの対局は3子で二回目
 なかなかしっかりした手を打っていて、白もタジタジというところ
 白は序盤で潰されないように、或いは黒に大きな地や壁が出来ないように進める
 但し黒は「鹿を追う猟師」になりがち
 だから白は一見に逃げながらではあるが、黒にも隙・歪が出来るように考えます
だから白はある時点で一転して反攻に出る。
 これは「終われてばかりで勝機が無いので一発勝負」という時もあるだろうが、たいていは・この日も、「黒の隊列に隙が出来、補給が届かない」とか「この局地戦・あるいは局面では白も五部以上に戦える場面」という認識ですね
 昼の「トテチリチン」が始まってまもなく黒の投了となりました。

 「こんな調子で金曜日はKさんに負け続けました」とFさん
『成る程な、この碁にしても30分も打っていないし』
『一貫して、相手を潰したいという感じ・<撃ちてし已まん>みたい』
  しかしこんなに素直なFさんを見ると何かフォローしないといけない
「いや、伸びる前に今は少しかがんでいるだけですよ」なんて優しいことを言ってしまう
 では自分自身の不調は?
 とても「伸びる前に・・・」なんて恥ずかしくて言えないし、思うだけでも
 私など来年は赤いチャンチャンコですからノビシロはもう無いでしょう
  困ったものだけれど現実は現実でどうしようも無い
 赤いチャンチャンコが赤いベストでも嫌ですね、胸に年齢を書いているような気がして
 還暦って、暦が一巡りで赤ちゃんに戻るから赤いチャンチャンコ・赤ちゃん服なんでしょうか?
 もしそうならこれから再度伸び始めてもいいではないですか?
  マアあり得ないけれど 

免状をしまい込んでしまった

2007-10-22 17:27:36 | Weblog
 昨日「認定問題」の話をしましたが、そのPART2的なお話
 私がこの免状を頂いたのは、昔かなりローカルの小さな支部の大会で大まぐれの優勝をしたときのご褒美です。
 昨日も書きましたが、優勝者には支部から棋院に「推薦」があると言うことです
 大会には三段で出ていたのでもう一つ上の免状を取得出来る
  但し、それまでに何の免状もないので「飛びつけ」ということで、形として三段の免状を取得(代金が含まれ)、推薦の四段の免状については半額と言うことだそうです。
 ですから始めに書いた「頂いた」と言うのは本当は、当時の私の受けた感覚とは違うのです。
 礼儀みたいなもので「頂いた」と書きましたが、これははっきり言って「買った」と言った方が実態に合っている感じがする。
 ともかくまだ若くて給料も安かったから「推薦」話もその場では受けられませんでした。
 1,2万円のものならその場で返事できますが
  2年前に或る友人が棋院の六段免状を取得したと本人から聞きました。
  金額を聞くと私が免状を取得した時と比べて段位も違うし時代も違うので3倍くらいはかかったらしい。
 『生活に余裕がある人は違う』という言葉は飲み込みましたが、本人曰く「マア、棋院の活動というか囲碁界の役に立つように寄付したと思えば良い」とか
 マア私などは「無い袖は振れない」

 ところで私の免状を探して見たのですが
  確か2、3年前には押入れの中に小さな箱に納められてしまってあったはず
 よく贈答などでやり取りする風呂敷の箱くらいの大きさですが、どうも見当たらない
 そうですね去年から大幅にリフォームしているいるので纏めてしまい直したはずですね・・・女房殿が!
 マア実際のリフォームの計画とか折衝、或いは片付けなど私は全くのノータッチだったし文句を言える筋ではなさそうです。
 マアしまってはあるのでしょうから、そう信じるほかはありません。
 それに今更出してみたって『それで、何をするつもりですか?』と聞かれても返事に詰まってしまいますしね。
 免状を頂いた当座は多分実態よりもインフレの免状だったはずです、今も多分逆の意味で実態とは違うと思います・・・では出てきたらどうするのか、全く意味不明の免状ですね

 ところでNHK囲碁講座の免状取得規定をよく見ると
 毎月の出題が4問でそのうち2問は詰碁の問題、正解手順の1手目を示す
 これは正解・不正解で10点か0点
 後の2問は序盤の場面での次ぎの1手で盤上にABCDで示された手の内の4択問題です。
 そして正解は10点、次いで8,6,4点となり0点は無い
  さてここで問題が無いだろうか
 4択問題で平均点を取るとすると1問は8点でもう1問は6点、或いは1問正解で10点でもう1問は最低の4点・・・いずれにせよ2門で14点GET
 そうなると免状取得の鍵は詰碁となりますね
 もし詰碁が2問正解なら(詰碁は算数の問題に似て正解を得やすいように思えます)ここで20点で全体で34点獲得できる(計算上ですが)
 これの8回の合計は34×8=272
  五段免状は8回合計で260点以上で申請できるとあるから、絵に描いた餅的ではあるけれど鍵は詰碁という事でしょうね

 実際に申請できるとして無料ということは無いでしょうから、飛びつけ料を含め相当な金額になることが想像できる
 こういうことで良いのだろうか
 「欲しい人がいるのだから、そういう人に差し上げているだけ」・・・確かにそうかも知れ無い・・・しかも私自身が頂いている。
 欲しい人がいるから・・・云々はマアその通りだと思う
  それでは以前免状の発行権というトラブルがありましたが、実際は認定みたいなところでいろんな団体が棋院と別の基準があるように思う
 棋院は「権」は主張していますが、世の中に溢れている「認定の不整合」みたいなところに何時までも目を瞑って「有料」で免状を発行し続けるのはかなり無責任な感じがする。
 高級な和紙に理事長以下名人とか本因坊が筆書きで署名しているのですからそれなりにお金はかかっているでしょうが、棋院の権威を主張するなら認定した「段級」にもしっかりした基準がないと、単なる寄付金の代償でしょうね。
 そうは言っても実際に段位を認定されたいとか、免状をくれるというのなら欲しいというだろうし、かなり気持ちは揺れるのです。
 それはともかく、雑誌などの認定問題など実際の対局無しで申請できる制度ですから、もっと難しくてもいいような気がします。
 しかもその難関を突破できたのなら「無料進呈」が理想ですが 

 

段級位認定問題

2007-10-21 16:43:34 | Weblog
 NHK囲碁講座の雑誌の最後の方に「段級位認定問題」のページがあります。
 いつもはこのページは見たことが無いのですが、今日はなんとなく・・・
  しかし不思議です
  全く個人的な感想ですけれど
 昔は(いや今でもそうかもしれませんが)、囲碁クラブ、棋道などの日本棋院発行の雑誌はもとより各種の囲碁関係雑誌、それに時には新聞の定期的な企画の段級位認定問題の欄などに「認定問題」が載っていて、それに応募すると採点された葉書が返ってきます。
 それを規定回数分溜めて一定の点数を獲得すると段級が認められる仕組みです
  NHK囲碁講座にもその欄があったのですね。
 11月号は詰碁2問に序盤問題2問各10点満点で合計40点満点となります
  詰碁の問題などは正解は一つ或いは正解が複数合ったとしても10点か0点でしょうね?
  序盤とか中盤を問題としたら多分回答にランクがあって10点の答えとか8,6などありそうですね。
  ともかく回答8回分で260点をクリアーできると5段だとか・・・
 本当にそういうことで段位が分かるのだろうか?
  それと回答の葉書の有効期間は1年半!?
 18ヶ月のうち8回分・・・すると、郵便ですから時間の問題も有るとしても、15ヶ月くらい連続応募して点数の良いベスト8で応募することも出来そうです
  それでもいいのでしょうかね?
   もっとも段位を申請できるとあるだけですから、実際には有料でしょう
 それでも免状を欲しいというのでしたら、棋院は認めてくれるのでしょうね。
  「段級位認定問題」のページを見て、ふとそんなことを考えました。
 
 ところで今でもこういう応募型の認定は多いのだろうか?
  昔は(私の若い頃は)地方にいるとプロ棋士の指導を受ける機会も少ないし「推薦」みたいな機会も少ない。
 それに地方の支部というものが少なかったし(支部は定期的に数人の段位を推薦できる)
 ですから雑誌の応募は便利だったから結構応募があったはず
  それとか某アルコールメーカーの「段級位認定大会」
 この場合は4戦全勝で申請段位が無料、3勝1敗で半額、2勝2敗なら全額で免状が取得できたと思いました。
  日本棋院の八重洲などでも同じようなことをやっていましたね。
   こういう大会ですと、4戦全勝で或いは5戦全勝かもしれませんが、ともかく無料出なければ免状を申請しないという人もいて、何度でも参加する人がいましたね。
 大学で「優」出なければ成績を消してもらうような感じです
  さて免状ですが、貰ってもいい(或いは欲しい)けれど高額な寄付金と引き替えというのではいらないというのが正直なところではないだろうか。
  それとも金なら出すから高段の免状が欲しいという人もいるだろうか?
   雑誌の認定問題に応募して段位が認定されるのは、有料ですが段位認定の根拠があると言うわけです。
  さて、そういうことで免状を取得する人がどのくらいいるのだろうか
   欲しいと思うのを悪いことだと言っているのではありませんが、年を取ると「勲章」を欲しくなるようなことと似た臭いがしないことも無い。
 
 斯く言う私も実は免状を持っています。
  支部の大会でのご褒美で半額での取得をしたものです。
 昔の規定でしたが飛びつけ段位だったので当時としては安くは無かったから、女房殿に相談したら「貰っておけば」とあっさり言われて驚いた記憶があります。
 ともかく7万円近い金額で飛びつけ段位の免状を取得した・・・当時の実際の実力以上の肩書きだったと思います。
  ですから免状を欲しいとか、かなりの金額で取得するのは直接間接に囲碁界に支援しているということとして・・・問題は認定問題というものは本当に正しい数値で出てくるのだろうかという疑問です。
  プロが直接打って見て、或いはプロが認定するアマの段級位の人と数局打つとか、或いはその棋譜で認定するとかでなくて分かるのでしょうか?
 マア認定できるという根拠が無くては認定問題は存在しないと言えるのでしょうが・・・ 
  

「決め打ち」PART2

2007-10-20 16:32:53 | Weblog
 決め打ちは初心者か初級者向けみたいなことを言いましたが、私に限って言うならそれは間違いですね。
 例えば白番で相手が中国流できた場合、私が2連星としたら黒5まではいつも同じなわけです。
 別に相手の方と約束したわけではないし、相手も1局ごと変わるわけですが、黒番なら中国流と決めている人と連続して当たればそうなる分けだし、ネットとは言え私と何度か当たった人なら「奴は中国流を苦手にしている」という臭いがしているかも知れません。
 そん訳で、私の序盤の黒5までの形では
① 黒の中国流に白の2連星がかなりの確率で出現します
   マアそれだけと言うことは無いので、その他には
② 黒3連星に白2連星
③ 黒2連星に白2連星で黒5が白の隅に小ケイマかかり
   稀に黒2連星・白2連星、黒5が白の2連星の間を割り打ちでしょうか
ですから短手数ではあるけれど出だしは決め打ちに近い
 マンネリみたいなものでしょうかね
  先日相手が中国流ではなくて小目の向きが違っていたので、思わず「おっ!」と叫びそうでした・・・夜中だからぐっとこらえましたが
 良い悪いは知りませんが何だか新鮮に見えるから不思議です。
  決め打ち的な話で
 対中国流白6の場面でプロ棋士の棋譜をよく見て「何処が良い手」「何処が普通」なのか知識として再学習が必要です
 そしてその後どういう考え方で打つのが良いのかも
  素人ですから当然どこかで必然コースから外れて、素人ロードに迷い込むでしょうが、少なくとも方向だけはしっかりと認識して繰り返しやってみる必要を感じています。
 ですからこれは黒5までの決め打ちコースです

 昼休の職場碁も決め打ち的な要素はあります。
  特に私の打ち方がそうかも知れませんが・・・
 例えば4子、5子以上の多子局などそういう傾向はあるかも知れませんが
  私は4,5子局で白1は隅に小ケイマかかりから始めることが殆ど、稀に4子局で白1天元から始めますが
 ともかく黒さんが受けるか挟んで来るか聞きます、または手抜きもあるかも知れませんが・・・これが白の勝率が良いと言うことではありません。
 私の気持ちとしては、白が毎度同じことをやるわけですから、黒最も自分の打ちやすい手とか、白を楽にさせない手を考えて下さいと言っているのです。
 だから単なるマンネリと受け止められては困る
  もし、黒が上手く打てて白に付け入る隙を与えないとか、白を完膚なきまで痛めつけたのなら、白も手を変えようということです。
 但し白もしつこいから、2度くらいは同じような手順を確かめます。
  勿論前回白が上手く行かなかったと感じる辺りでは別路線を取りますが・・・
 さて2回連続黒大成功なら3度目は白も別な打ち方を考える
  そして3番棒でやられれば3番手直りとなるわけです。
 ということは、毎度同じ様に白が打って、勝ったり負けたりしているということは・・・黒さん勝ったとしても「勝因を認識していない?」
 黒さん大成功の手順ならば、何度でも繰り返せばいいと思うのですが・・・黒から手順を変えたりすることが多い>>これだとなかなか置石が減らないような気がする。
 ともかくこういうところにも「決め打ち」的要素があるような気がします

 昨日の昼休碁
 実はその前日Fさんが「今日から3子」ということで石が減りました。
 3子に減らすだけのことはあって、なかなか力強くなっています。
 白1空き隅星、黒2小ケイマかかり、白3辺の星からハサミ、黒4ハサンダ石に横からツケ、その局はそういう形で展開した・・・20手辺りまで打ったところで不意の来客がありこの後は打たずに、Kさんと膝代りでしたが
 どうもこの進行は白が面白くない!
  白が危ないということではないが、余り局面に変化の余地が無いので多分こういう対戦は最後まで打っても10目くらい足りないような碁になる予感がします。
  それでその日の午後、そして家に帰ってからその碁を思い浮かべてどうしたものか考えた・・・(休むに如かずですが=ぐっすり寝ましたから)
 そしてその次ぎの昼休碁、再度その形に挑戦(白のほうが挑戦気分ですぞ!=黒さんこういうのに気がついて居ないかも知れませんが)
 途中まで全く同じ(数手ですが9
 黒3子の置き碁、白1空き隅星、黒2小ケイマかかり、白辺の星からハサミ、黒挟んだ白石の横にツケ=ここまで前日と同じです。
 今日は白ツケにはハネ:1日考えたけれど白ハネないと形に成らない気がする
 本来なら黒さんここはいろいろありそう・・・
 ハネ返すとか切り違えるとか、一番おとなしいのかジックリなのか黒引き
  白も3線にノビ(これはハネたところを継ぐものなのか・・・でも伸びれば必ず黒が切ってくるでしょうから・・・)
 黒断点切り>ここから戦いというか競り合いが始まった。
  白から手を作るのは隙が出やすいけれど、黒から動いてもらうと自然に展開できそうな気がして、それも注文の一つですね(間違っているかも?)
 ともかく「決め打ち」的な打ち方をしました。
 この次同じ手を白が打ったら黒は何処で変化をしてくるのか楽しみです。
  そうですね、これを楽しみと思うか、相変わらずのマンネリと見るか人それぞれかも知れません。  


決め打ち

2007-10-19 17:36:49 | Weblog
 昨日に続いて「NHK囲碁講座」ネタです
 「決め打ち」と言う方法が紹介されていました、石倉昇九段の話です。
 「決め打ち」と言うと第1感”マージャン”を連想してしまいますが、最近の若い人は余りやらないでしょうからそういう混乱は無いでしょうね。
 マージャンでの「決め打ち」は配牌から目指す「役」を決めてまっしぐらと言う感じで、周りのこととか自然な流れは無視しますから、上手く行けば望外の利がありますが確率的には余り褒められません。
 野球にも「決め打ち」があって、例えばカウントによっては『次はストレートでストライク取りに来るはずだから強振』と決めるとか、『どんな球が来ようとライト狙い』とか・・・
 囲碁の場合は少し違います、意外と面白いかもしれません。
  但しこれは初級者とか初心者用ということですから、上級者には面白みは少ないでしょう。
 やり方は簡単です。
 ある棋譜を140手とか150手くらい並べてからスタートします。
これは、お手本となるくらいのオーソドックな碁を並べて、途中から好きなところに打って、対局の練習をするということです。
 スタート時点は中盤から大寄せと言ったところでしょう
 初心者としては盤の広さに戸惑って何処から始めていいのか分からないでしょう
 マア訳も分からず・見よう見まねで打つのですが、この「捉えどころの無さ」と言うのも碁の取っ付き難さの一つでしょう。
 だからプロ同士とかアマ高段者の碁を途中まで並べて、そこから始める・・・そういうのもアリのような気がします。
 グライダーがワイヤー引っ張ってもらって離陸するみたいな感じ
  途中までにせよ、人の碁をなぞっていくのがいやな人にはお勧めではないですが。

 ともかく「決め打ち」について続けますと
  ある程度力がつくまではオリジナルがどうの言うより、人の真似をして覚えるのもアリでしょう。
 だから初めの方が全くお手本どおりだとしても、その時は分からなくても序盤の練習にはなっているはずです。
 初心者には終局の仕方も難しいかも知れませんが、ともかく序盤と中盤の練習にはなるはず
 そして慣れてきたら今度は80,90手くらいからスタートします。
 更に30手くらいから打てるようになれば相当な進歩でしょうね。
  このように途中までお手本どおりに並べてから実戦を開始するのが「決め打ち」です。

 私も初心・初級の頃は何処から打ち始めていいものやら途方にくれたような記憶があります。
 当時は9路盤のようなものが無いので、いきなり19路ですからなおさらでしょう。
 ではどうしたか?
 初心者といえどもどこかに打たなければ始まりません
 「打ち出しはヘボとは言えど小目なり」だったでしょうか?
 高段者・プロ棋士は理由があって打ち進める。
  勿論各自好みはあるでしょうが・・・
 素人の場合はこれが逆転したりします・・・「好みはあるにしても、誰かの真似だったり」、、、いやそこまで言わなくても「なんとなく」が多いかも
 私の場合は「新聞」「雑誌」に載っている棋譜がお手本・・・イエ真似元
  当時の解説書にも「隅は1手で効率よく隅を地にしたり、勢力範囲に出来る・・」など書いてはあって読んではいるのですが、何処まで理解できているかは怪しい
 多分マネをしていたのでしょう
  余程の天才でなければマネからスタートするでしょうから、マネそのものは恥ずかしいことではないでしょう?
 特に素人ですから(プロならともかく)

 水鳥のカモの一種だったか雛の習性を思い浮かべます
 卵から雛に孵って最初に見たものを親だと認識するのです。
 ですから雛が始めて外の世界を見たときに人間が背を低くして傍にいたのを見れば、その人を親だと認識するらしい。
 だから何処にでもついて行く(人間がたって歩くと雛は不満のブーイングをするらしい・・・人はしゃがんで歩かなくてはいけない)
 囲碁の場合も多少似ているところがあるでしょう
  始めに教えてくれた人が、その時点ではこの世界での全てですから、当然真似るから似てくるわけです。
 ザルに教わればザルになる!・・・責任重大!
  もっとも人間の場合は本人が「こりゃ少し変だ」と気がつくのも成長のうちでしょうから、そこから別路線に乗り換えてもらえば済むことですね。

 さていずれにしてもマネというものはありますね
 私の大スランプの始まりは中国流だったかも知れないのです。
 中国流に弱いから、そんなに中国流の勝率が良いのなら自分が黒番なら中国流を試みれば良い訳で・・・実際にやってみた結果
 中国流を相手がやった時は勝率が低く、自分で試みたら失敗が多い
  結局勝率ガタガタです
 「鵜のマネのカラス」と言うか・・・単なるマネだけですから、相手は的確に反応して結果X
 それでいつもの2連星バージョンに戻したら、結果も戻ってきつつある
 2連星にしてもマネから入ったと思うのだけれど、何処か自分に合っているのか、自分なりのものが少しはあるのだろうか・・・
 マア、素人ですからたいしたことは無くても。
  それに引き替え私の中国流は単に形の真似なんでしょう 

ミニ中か・・・

2007-10-18 17:24:26 | Weblog
昨日はかかりつけの病院の検診日、一月ぶりです。
 ここは、診療科目名なのか病院名なのか知りませんが「生活習慣病」と言うことで、従来の病院みたいなそっけなさとか、上から患者を見下すようなところは全く無い。
 先生が大学病院で教えていた人らしいのですが、大学病院の持つイメージとは全く違うような気がするのです。
 何が一番違うのか・・・治療法や用いる薬などは多分同じでしょう
  「扱う病気」の治療には患者本人のやる気がキーポイントだと考えているのでしょうね、患者の扱いと言うか・・・ともかく下世話な言い方で「ヨイショ」が上手い。
患者はお客さんだし、数ある医院・病院の中でここを選んだわけだけれど、それ以上に治療方針というか接客?方針と言うか
 看護婦さんや栄養指導の先生など患者を「褒めて」その気にさせる方針?・・・いや、人と人との付き合いでは本来そういうものかも知れませんが、、、
 何処か、学校の指導方針とか、親の子育て法にもそういう感じの物があったかと思うが・・・「そういう方針に過ぎないのだと捻くれた見方をしていても、実際何か何処か褒められたり励まされたりすると良い気持ちになってその気になるのだから単純なものです・・・私は
 それが先生のヤヤ厳しい指摘や指示とあいまって上手く行っているみたい。
  何時行っても待合室で新しい患者さんが、アンケート用紙に記入しているのを見かけますから、世の中同病の方が多いのだなと言う感じと同時に、ここはきっと評判がいいのだなとも見受ける。
 
 さて一月ぶりの定期健診ですがおかげさまで順調で薬の量が少し減ることになりましたが、ここでの受診の楽しみはこの近所にある本屋さんに寄って、丁度一月の今時分い発行される雑誌を買うことです。
 子供が何かに釣られて病院に行くみたいなものですが、自分で自分にご褒美を買うのですから世話は無い。
 ともかく「NHK囲碁講座」が発売される時期です。
  これを病院の予約時間に余裕を持って出かけて、まず本屋に立ち寄って雑誌を買い、病院の待合室で読むというのが定石手順です。

 それ程厚みのある雑誌ではありませんが、まず真っ先にめくるのが先崎さんの「桂馬の両アタリ」・・・こういう話は好きですね将棋と言う分野ですがプロ棋士ですから、プロの持つ独特の厳しさがあったり、それでも囲碁に関してはアマなわけで何処と無く親しみがあったりして。
 その次は(先月号から始まった)「これが世界の新感覚」結城九段と聞き手万波四段です。
 今月は「ミニ中国流進化論」、何だか読むと直ぐに役立ちそうな感じがしてきます。
 ミニ中国流の布石は江戸時代道策の碁にもあるとか・・・古くて新しいというか、研究・見直しが繰り返されているのですね。
 コミが1目変わったのも研究に拍車がかかった原因とか・・・その辺りは素人はついていけませんが。
 ミニ中国流の「新時代的布石」とか「従来の価値判断が逆転」とかどこかで研究が深められ変わって行っているようです。
 細菌がどんどんタイプを変化させるような怖さ・・・意味が違うけれど
  素人とは言え知らないと痛い目に遭いそうな気がします。
   万波四段の「知らないので嵌った」、「ミニ中国流を試みて失敗、相手にミニ中国流をやられて負けた」・・・何だかホッとさせてくれますね。
 

ほんの少し恩返し

2007-10-17 17:41:35 | Weblog
 昨日の昼休は大がっかりの昼休でした。
 と言うのも、あろうことか11時55分(昼休5分前)に来客で、しかも私が担当者・・・事前にその日の”午前中”に来所との通知は確かに貰ってはいた。
  確かに本人からの申し出通り午前中にはいらっしゃった!!
 内容は書類の閲覧と言うことで、事前の申し込みにはOKは出ている
  しかし!!
 5分で済む筈が無い。
  閲覧の書類は閲覧の仕方に制約があるし、管理上からも当方の目が届く範囲で閲覧してもらうしかないので・・・今ここに私しかいない。
 5分後の12時には、或いはお弁当を食べ終わる12時15分には二者択一を迫られると予想されます。
 「昼休ですので一時中断させていただきます」と宣言するか
 「12時以降もOK」なのか
 この場合監視ではないけれど、近くにいなくてはいけないし、”サービス”の面からも中断は言えません・・・これは難しい。
 昼休消灯にしたってこの人の真上だけは蛍光灯を消さないでいるのですから
  中断宣言はお客との摩擦やら、相当エネルギーが要るでしょうから”気の小さな”私には無理なことです。
 結局せっかくの昼休碁は辞退です。
  無駄なエネルギーを使わずにこのブログ原稿を書いている・・・
 尤もFさんはKさんを誘って下へ降りていったので、私が打てなかったというだけの事で迷惑はかけていないから、単に私個人の問題だったのかも

 但し一つだけ彼も楽しみをはぐらかされたかも知れません
  その前の昼休碁を終わって執務室へ戻る途中で、彼から「置石を一つ減らしてもいいですか?」と言う話があった。
 当然私は快諾していたから、その日に打てば3子局でしたので、彼も意気込みがあったかも知れません。
 4月に転勤してきて打ち始めた頃始めの2,3局は3子でしたが、その後彼からの申し出で4つとか5つになり、再び4子に戻ってきていた。
 私は特定の相手と打っていて、相手が上手で、石を置く時は相手の方と相談しますが、相手の人が置く時はその人の判断で良いと思っています。
 これは何かの大会みたいな公式・準公式の手合い割りとか、点数制度で打つ場合は別ですが、当事者間の問題だけなら下手の意志で良いと思っています。
 いずれにせよ一つ減って3子の申し出は彼のある程度の自信の表れとして歓迎です
 4子では気持ちよく打てているか、4子では私相手に物足りないものがあるのでしょう
 彼はソコソコ年配だから伸び盛りということは無いでしょうが、まだノビシロが在るのでしょう。
 それともここ以外で良い先輩に鍛えられているか?
 はたまた良い本とか素晴らしい勉強法とか、ネットで始めたとか・・・
  但し!!私が弱くなっていて相対的な差が縮まっているに過ぎないと言うことも大いに有り得る、、、嬉しくないけれど。
 二者間の置石の差は打ってみれば分かるけれど、各自の絶対的な棋力と言う方は物差しがハッキリしない
 だから相手の背が伸びて、私の背が縮んでいるだけかも
  そういえばネットでスランプの真っ只中だから脳味噌が収縮をしているかも
 そういうことだから相手にとって不足になってきたかも・・・
  しかしおかげさまでと言うか、物忘れ、言葉のつまり、文字忘れなどは始まっていないようだけれど・・・単に自覚不足か?
 スランプの方は一時的であることを祈るのみです
 長期的だとか、スランプ傾向だと嫌ですね

 さて置石についてのこと
  自分の若い頃です
 始めにK畑師匠に教わったのが5子からです。
 この人を師匠と思い定めて、先生が暇そうとか手空きの時は打って貰ったものです。
 一番弟子とか二番弟子とか言われるくらい・・・(強い順の一番・二番ではないです、これは対局数でしょう)
 始めは3番手直りで教わり、3子で打てるくらいになってからは1番手直りです
  これで何局打ってもらったか、数え切れません
 単純に計算しても年間で200或いは300局でしょう
  ですからトータルすると3000局以上にはなる筈。
 K畑先生の場合は私が「今日は2子で教えて下さい」と言えば気楽に相手をしてくれましたし、「今日は先から始めて1番手直りでお願いします」もあった。
  こういう風に受け止めてくれる上手はそうは居ないから、私の碁の恩人と言ってもオーバーではないでしょう。
 恩人にはお返しが必要です・・・実の親への親孝行はせず終いですが、こちらの方は律儀なタイプです。
 それには私が先生に教わった様に、私も後輩に教える・・・イヤ教えるは無理だから相手をするということでしょう。
 そういうことが囲碁に関するほんの僅かな恩返し
  Fさんとの対局は師匠と私との対局数に比べたら僅かなものですが、マア流れとしてはそういう方向でしょう。
 私も楽しみながら恩返しも出来ます。