なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

おはよう対局

2008-04-30 14:29:56 | Weblog
 草野球で言えば早起き野球と言うところだろうか、朝6時頃にはグラウンドに集合して、7時半くらいまで野球をやって、そこから直接勤務先に出勤と言う感じか
 しかし、現在の私の健康状態というかコンディションでは不可能な話です。
  走れない・投げられない・右打席では打てそうだけれど左打ちは自信が無い
 それにホームランを打たない限りアウトになりそう
  ということで、私の意志とは関係なく不可能ですから、そこはイソップ調で「運動すれば良いというものではないはず」と開き直るしかない。
 現実に私の場合「ジョギング」も怪しいらしくて、ウォーキングがやっと。
  それも、かなりのスローペースですから「ウォーキングは一定以上のスピードで、歩幅を大きく、腕を振って」という基準からすると、本当に運動になっているかどうか怪しい感じはする。
 ですから、素人考えですが筋力をつける運動ではなくて、体を動かすことで血液の循環を多少は良くする程度の効果でしょう。
 ですから、ゆっくり自転車で通勤するのと同じレベルかな

 ところで、多少早目に目が醒めた時にネット碁を覗いて、たまに同じくらいの人が「対局希望リスト」に載っていたりすると、頭の中ですばやく計算が始まります。
 現在時間+1時間の対局時間+洗面身支度の時間+何か食べる時間+多少の余裕時間で7時45分に収まるかどうか
 マア文字にして書くと大げさな思案ですが、実際は瞬時で「OK、NO」が出ます。
 ところで、今朝は出勤の必要が無いので「待ってたホイ」みたいなものでした  しかし「支度して出勤していく女房殿」を横目に、朝7時から囲碁対局はやや後ろめたくは有りますが、この程度のことを気にかけていては碁キチの名折れ?
 今朝の相手は、向こう先・白4目半コミだし
 この時間の対局相手ですから、年令や生活状況など似ているのだろうかなどと想像したりしますが・・・マア対局が進むにつれ盤面しか目に入らず、周りの音も気にならなくなり・・・女房殿が何時出かけたのかも。
 もっとも、出掛けに「今日休みだったらアレだけは買っておいて」と言い置いて出かけたのは耳に残っている・・・少し悲しい習性?
 さて立ち上がりは黒が低い中国流で私は星+目ハズシ
  序盤で、私数子を捨てて足早に展開する作戦(実際には作戦と言うより、止むを得ず)。
 ただ、その結果確かに黒には小さくない確定地が出来たが、本来中国流で目一杯勢力を張った場合との比較では、白から見たらやや値切った形だと思うのだけれど・・・
 黒さんの評価は違ったのかも知れない。
 というのは、その後は淡々とした展開と言うか、お互いに相手の牽制し合いというか、、、そのまま終局に向かった。
 こういう展開は「疑心暗鬼」に陥りやすいですね。
 私は私で「白悪くない」と考えているのですが、黒も「白を飲み込んだ地はあるし、悪くない」と考えているのかも知れない。
 もし、劣勢を自覚していたらもう少し無理をしそうだし・・・
 お互い動くにも勇気が要るし、動かないというのも勇気が要ります。
  そういう動きが無いということは・・・もしかしたら私の判断間違い?
 1手30秒+トータル10分の考慮時間の対局で、且つ5分ルール(1手に5分以上は消費できない)なので、結構忙しい。
  結果は白4目半ですから盤面9目
 素人の早碁ではありますが、手を考えるのと状況を判断するということで、まづまづ充実した1局ではありました。
 ただ、相手がおとなしい感じで助かったのかも知れません。

 ところで今日は水曜日ですが、図書カードの再発行手続きでコミュニティ二行きました。
 住民票を用意して行ったので手続きは簡単でしたが、逆にあんな「住民票」という紙切れが証明になるということ・逆に言うとアレがあれば「なりすませる」こともあるかもしれない・・・そちらの方が気になりました。

 さてその足で図書館で本を借りましたが今日は4冊のうち2冊が囲碁の本
 どちらも、少し古い本です
「囲碁の実戦的研究」 白川正芳・文壇本因坊 1990年
  内容はプロのタイトル戦の観戦記、プロとの置き碁、作家同士の対局の記録などですが、プロではない人(どれほどの棋力か分からないので、私と同列の”素人”とは呼びにくい)の眼からみたものも読んでみたくなりました。
 内容は古いでしょうが「眼」ですね
 プロ棋士、プロの観戦記者・インストラクター的セミプロとは違うでしょうし
  もう一冊は
「趙治勳打碁傑作選下巻 闘い」 趙治勳 昭和56年
  これも棋譜としては古いけれど、でも見たかったですね。
 巻末に趙治勳が入段してから昭和56年7月までの成績が載っています・・・
  一番初めが昭和43年4月
 それは私が大学2年の時です、、、趙治勳さんの棋歴とは何の関わりも無いのですが、下巻が発行された昭和56年・・・この1年前に私は娘を授かっていますので、その十数年の年月は私にとっては特別ですね。
 

妄想は続く

2008-04-29 17:19:25 | Weblog
 昨日は私たち夫婦が仕事で出かけている間に、娘夫婦がやってきて預かっていた家電製品などを新居に運んだらしい。
 預かり物の置いてあったスペースが広がったのでさっぱりしましたが、元々4人家族だったのが今は夫婦のみなので、少し寂しいとも言えます。
 ”物”も賑わいのうちだったかもしれない。
 昔々見た映画だったか・・・母が若かった頃、主演が森繁だったような気がしますが「元の二人に戻りました」という台詞が突然頭に浮かんできます。
 母がその台詞を呟いて「いつかはそうなるでしょうね」と言ったのが妙に印象的だった記憶がある。
 その映画は見ていないし、どんな場面で言われたのか想像でしかないのですが
 そのシーンを見た5人も子どもを生んだ母親でさえそういう感傷を持ったらしい
 恐らく、今の私たちの状況に似ているかも知れません。

 さて娘たちの新居の住所の書付を見ながら、女房殿が県内の区分地図を広げながら「多分この辺りね。ここなら勤めの帰りにJRを途中下車して私鉄で4駅。そこから歩いて5,6百メートルだから直ぐに寄れそうね」と言っている。
 確かにこの人のパワーと行動力からすれば、きっとそうなるに違いない
 これは、私にとってはかなりの警報でもあるのです。
  第一にもしも女房殿と一緒なら、例え500mでもあちらのスピードに合わせるのは大変です。
  当方は循環器も筋肉も問題だらけですから、、、でも一人で行くのも、、、
 つまり、若夫婦にとって嫁さんの母親だから気軽に寄り易いし相当当てにされているところもある・・・そして実際に勤めの帰り道に寄るとすると・・・携帯に電話を掛けるかメールで
 「遅くなるから、一人で夕食を済ましておいて!」と成るはず。
 これが例えば孫娘の看病だったりしたら・・・「私が行って手助けしなければいけないのよ」となり、更に「ジイサマはホントに役に立たないんだから」に成ることは必至・・・近未来が見え隠れしている。
 まさにその通りだから言い返す気力も無いのだけれど
 そうなったら、コンビニでお弁当を買ってきてネットで碁を打つしかないだろう
  私の唯一の緊急避難・シェルターです

 何やら疎外感があるが、それを避けるためにはジイサマとしては孫の看病などをして良いジイサマになるしかない・・・ジイサマには良いジイサマに成るか、役立たずと言われながらも好きなことをしているか・・・そういう選択肢ですね
 バアサマには後からでも割り込んで行けるるようなパワーがありそうで、疎外感とは縁が無さそうですが、ジイサマ(私)の方はちょっと弱そうな気がするし、どちらの選択肢を選んでも疎外感とは縁が切れそうも無い。
  家族の中に居ても疎外感を感じる方がおかしいのかも知れないけれど、私は人の中にいるだけで程度の差は有っても疲労感が残る
 恐らくブツブツ言いながらもネット碁を打ったり観戦したりしているに違いない
  ということは、このジイサマにはパソコンとTVと食べ物さえ与えておけば、一人にしておいても大丈夫みたいな感じ。
 (私の場合には定期的な検診と大量の薬も必要ではありますが)
 ともあれ、将来に黒い雲が漂っている
  娘と女房殿が仲が良いだけに危ない
 実の親子だし、娘は母親を頼りにしているし、母親は娘を目に入れても痛くないだろうし、婿さんはウーマンパワーには無力だろうし・・・
 となると弱い者通し、婿殿を味方につけるしかない!!
  しかし、趣味がハッキリしない・・・パチンコばっかりやっているような・・・直ぐに友人と集まってお酒を飲んでいるような感じで、どうも波長が合いそうも無い。
  婿殿から見ても変なジイサマだろうが・・・
 唯一の円満解決法は彼に囲碁を教えるしかないのだけれど・・・実現すればどんなに素晴らしいか
  しかし、”やってみたい”と言う気持ちを持たせるのだけでも大変だろう。
 「ジイサマが一人で可哀想だから、少し付き合ってやろうかな」でも許すゾ!!
 
 実際には娘夫婦が隣の市に引っ越してきたというだけで、まだ何も起こっていない・・・しかも孫娘?・・・まだ影も形も無い。
 しかし近未来の想像は果てしなく続く、暇人の暇なGWなのです。

 
  

OH!久し振り

2008-04-28 17:55:18 | Weblog
 今日はなんと忙しい1日だったことか
 あっという間に午後の4時になっていた・・・全く居眠りする暇も無い
  GW真っ最中ともなれば、世の中も半眠り状態のところも・・・イエ”当店”だけかもしれませんが・・・当店に申請・諸届けのお客さんはぐっと少なくなる・殆ど居ない。
 マ、それでも”店”を開けて置かなくてはいけないというところが少し矛盾ぽいけれど。
 年間を通せば一定程度・平均の忙しさではあるから、GW暇の分その前後が立て込むわけです。
 そこへ持ってきて同僚のベテランが月曜を休んで取り敢えずの4連休・・・ヤラレタ
 この皺寄せは大きくて、かくて”思わず午後4時”と成った次第で、今日もよく眠れることでしょう。

 さて今日は久し振りに、嘗ての職場碁の仲間に再会しました。
 久し振りとは言っても1ヶ月足らずですが、それでも以前は毎日のように打っていた昼休碁が、最近は1局も打てないのですから、本当に懐かしい感じです。
 彼Fさんは4月から別の勤務地に転勤。
 もう一人の仲間のKさんも定年後再雇用ですが、別の職場ですから、当時の3人の仲間は皆別々になってしまいました。
 
 Kさんに新しい職場のことを聞くと、たまっていた業務を引き継いだので全く余裕が無い日々だそうで、新しい職場にも一人囲碁を打つ人は居るらしいのだけれど、今のところとても余裕がないとか。
 一人でも”居る”ということは良いですね、いつか必ず打てるはず
 ただ、それ以外の人が打つかどうかは今のところ全く分からないのだそうですから、その辺りは私の職場と同じですね。
 ですから、仲間を探すのに「昼休に、目立つところで打ち碁を並べるとかデモンストレーションをしなくてはいけないね」ということに成りましたが。
 これってなんだか蛍の灯りみたいですね。
  夏の夜真っ暗な中で、灯りを点滅させて「囲碁を打つ人この指止まれ」な感じ
 
 実際に久し振りの対局は時間の関係で実現しなかったのは残念でした
  雑談の中で、彼Fさんと私は生まれた年度が同じだという事が分かりました
 ですから暦で言うと一巡りです、、、それで嘗ての囲碁仲間のKさんは1年上ですから、三人とも似たような年令です。
 団塊の世代=人数が多いから、いつも過当競争を強いられた割には、ご褒美は出ない年周り。
  この世代の三人が碁キチですが、、、何か年代的な特徴があるのだろうか?

GWの入り口で怪しい予感

2008-04-27 17:28:40 | Weblog
 結婚して県外で暮らしていた娘夫婦が転勤で戻ってくることになりました。
 会社に希望を出していたのが2年越しで実現して、4月末には隣の市に引越しをしてきます。
 初めて授かった娘ですから目に入れても痛くないような・・・オヤジには我がまま放題で、女房殿よりも怖い存在ですから、帰ってくるのが嬉しいような嬉しくないような。
 この子が小さな時突然熱を出したりすると仕事に影響が出ます。
 私たちは共働きですから、保育園に預かってもらえないとなると、どちらかが仕事を休まざるを得ない・・・1日は何とかなっても2日3日は難しい。
 そういう時女房の実家の両親が電話1本で駆けつけてくれたものです。
 北関東からですから電車で来るだけでも半日はかかる・・・そして2,3日は面倒を見てくれたものです。
 おかげでこの娘と、その下の息子を育てられた。
 ということは、私たち夫婦は娘からその仕事を期待されている。
 単に若夫婦は生まれ故郷、通った大学がある町が懐かしいわけではないはず
  歴史は繰り返されることになるらしい。

 ところで、夕べネットで調べごとをしている時のことです。
 突然、異常にと言うほどではないけれど眠気を覚えまして・・・キーボードを叩きながらにです。
 ネット碁を観戦しているときに眠ってしまうことはよくあることですが、それは体も指も動かさずに、ジッとパソコンの碁盤を見ているときのことで、何かをしている時ではありません。
 運転中の眠気は・・・それは睡眠不足の生活の祟りで
 ところが最近睡眠時間が不足と言う自覚は無い
 眠気を催すような薬も飲んでいませんから、フシギに思いながらパソコンをネット碁に切り替えて、観戦を始めたら・・・案の定眠ってしまいました。

 そして目が醒める直前と言うか、うとうとした状態で不快な感じがあって、目が醒めてからも続いたのです。
 何か酸素不足みたいな・・・息苦しいような・・・せわしなく呼吸をしたくなるような。
 もしかしたら睡眠時無呼吸症候群?、イヤ、狭い部屋にずっと閉じこもっていたから、酸欠?
 外車並みの肺活量で酸素を消費して二酸化炭素を生み出しているかも知れない。
  まあ、ちょっとオーバーですが、私病気のデパートですから何があっても不思議は無い。
 ともかく、夕べから少し体調がおかしかったかも知れません。
  あるいは不調になる予兆かも
 一時異常に蒸し暑いような感じで汗をかいて、その後暫くして寒気を感じたり
  要するに自分で体温調整が出来ない状態かも?
 もしかしたら風邪気味かな、人並みに・・・
  熱には弱い体質で、普段から平熱が35度程度なので36度は微熱で36.5度ならフーフー言わされ37度ならダウンです。
 せっかくのGWを前にして少しヤバイかも
  今年のGWはカレンダーの休日祭日+自分の仕事のスケジュールでかなりの休みがあるのですが、こんなことではいけません。
 娘夫婦の新居を尋ねる(恐らく緊急呼び出し予行演習)以外は、何処かへ出かける・旅行の予定は無いのですが、ネットで打つ・リアルで打つ・囲碁の本をジックリ読む・観戦する、、、腹積もりりですから何処かへ出かけるより忙しいです。

 そういえば夕べもネット碁はかなりの対局数だった。
 年末年始は移動している人が多いせいか、対局数はさほどでは無いのですが、さてGWはどうだろう。
  

 同窓会・・・

2008-04-26 16:19:05 | Weblog
 毎年のように同窓会の案内が来ます。
 尤も半分は偽物だとは思うのですが・・・それは「同窓会商売」のような気がします。
 以前偶然に知ったのですが、東京のあるビルの一角に「○○同窓会・・・」という看板が出ていた。
 どうやらそれはいろんな地方出身者の「同窓会業務代行」みたいでもあるし、「卒業者名簿」を作成して販売する業務でもあるらしい。
 ですから、もしかしたら何らかのニーズがあって生まれた商売かもしれないけれど、なんとなく胡散臭い気もしてしまう。
 私のところにも「○○高校同窓会」の名前で”卒業者名簿購入案内”が送られて来る。
 それも毎年のようにです。
 確かに毎年卒業者があるのだし、古い先輩たちも変化しているには違いない
 が、しかし毎年のように送られてくる「名簿を買え」は故郷が懐かしいというより、何やらいやらしさを感じてしまいます。
昔みたいに活字を組んで印刷していたら、採算の部数が大きかっただろうが、今ならデータをパソコンに保存しておいて、変更と新しいデータを入力すればいいのだから、採算ラインがかなり違うということもあるのだろう。
 まだ一度も買ったことが無い私に、「今度こそ買え」とばかりに案内状が毎年来るのです・・・DMの押し売りと言うか、我慢比べというか、あるいは新卒業生に販売したついで・残りを。
どの程度の売り上げ・購入者が居るのだろうか
 新卒業生の何割かが買うのだろうが、運転免許センターで安全協会に入会するような感じかも・・・つまり卒業と卒業者名簿がセットみたいな・・・
 それとも、「消防署の方から来ました・・・」みたいに半なりすまし商売?
  そして、新卒で無いのに名簿を購入する人って居るだろうか?居るとすれば何のために、、、DM作りには役立つでしょうが、私は後輩にとっては役に立つ先輩ではないから、名前の後の住所・電話など空欄でいいでしょう。
  
 ところで、本物の同窓会もあって、こちら方の案内状も来ます。
 高校の同窓会で毎年幹事が変わるようで、嘗ての同窓生の名前が並んでいて、「○月○日△△ホテル・・・」とあるから、こちらは間違いなく同窓会だろう
 返信用葉書の出欠に印をつけて、一言コメントを書く・・・つまり毎回欠席
  というのも「同窓会アレルギー」というか「同窓会シンドローム」というか、そういうものがあるような気がする。
 私が小学校6年の時、クラスの担任の先生とクラスの生徒の殆どが折り合いが悪かった・・・所謂「先生」と言う感じに馴染めなかったというか、甘える気になれないというか・・・そういう感じで、当時私が学級委員長。
 卒業間近のある時、その先生自身から「同窓会について、委員とかどうするのか決めて置いてくれ」みたいな提案と言うか指示があった。
 つまり生徒の自発的行為が無いことに先生が焦りを感じて発言したのかも知れない。
 教師から見て、当然行われることが無いということで催促みたいな、、、
 私とクラスメートはそれを無視・拒否し続けた。
 イヤ、私の一存であったかもしれない・・・クラスメートの意志を感じて
 ですから、小学校の同窓会は1度も呼びかけも無いし、開かれても居ない。

 中学校時代の同窓会は1度行われた。
 これは高校時代だったから、流石にまだ早かったかもしれません。
 卒業して別々の進路とはいえ、たいていは地元に住んでいて、町を歩いていれば顔をあわせることもあるのだから、、、
 それに、時間の経過というか、「アノ頃は楽しかったネ」みたいな話題も、「今どうしている?」も熟していないというか。
 次回の幹事を決めた筈だけれど、今のところ2回目は開かれていない。

 さて、高校時代の同窓会
 今まで何十回も欠席に丸をつけて返信用の葉書を送ったのですが、、、私は自分で考えて、どうもこういう催しが苦手だということに気がついた。
 もし、旧友に出会ったとして何を話すのかイメージが無い。
 年令から見たら、4昔以上も昔の話。
 マア、思い出話に花を咲かせるというのもあるのかも知れないが、「まだそんな年ではないゾ」と思いつつ何年も経ってしまったような。
 本当は、年取った姿を晒すのがイヤだという、見栄もあるし
 高校時代は少しワルみたいなところがあったから仕返しが怖い!?・・・
  第一旧友と杯を交わす・・・この図が有り得ない(飲まないし)
  それに、大勢の中の一人という宴会形式は苦手ですね、数人で料理をつつきながらジックリ話をするのならいいけれど、大人数の方は反って疎外感がある。

 でも、もしも第○期卒業生囲碁大会があれば・・・有りそうも無いけれど
 きっと出席するだろう。
  同期420人居たのだから、確率5%でも21人同じ趣味の人が居るはず。
  それに当時の先生の中にも数人は打つ人が居るはず。
  更に前後5年・・・10期程度合同なら対象は200人くらいになるはずです
 もっとも、何のための碁会と聞かれると、何のための同窓会と同じですから、どうどう巡りです・・・

 碁を打ちながら、「彼はこういう碁を打つのか」とか「性格は昔のまま・・・」、「勉強は出来たけれど碁は甘そう」とか感じることが出来るはず。
 私にとって、お酒・料理・話を介して伝わるより、碁盤を通しての方がより自然に伝わってくるだろう。
 そして、「1年経ったらまた碁盤を囲もう」になるはずなんだけれど・・・勝手な言い分で勝手な想像だろうな。
 

もし彼らが碁キチになったら・・・

2008-04-25 17:23:26 | Weblog
 昔、、、学生時代の先輩ですが、この人が所謂本の虫でして、時折東京の大きな古書店に出かけて大量に本を買ってきました。
 要するに新本で買うと定価ですから古本屋さんで買うのです。
 その量たるや、、、本を紐で縛って両手に下げて帰って来ます。
 電車で1時間近くかかりますから、結構重労働ですし晴耕雨読の範囲を超えています、、、当然天気が悪ければ持って帰られません。
 
 さて囲碁の本ですが私の行動範囲での2軒の大きな本屋さんでの比較
 Aは電車の駅ビルの中のテナントで、Bは大型のショッピングセンターの中の本屋さんです。
 Aの方の囲碁将棋コーナーはBの店同じコーナーの3倍から5倍はあります。
 店のスペースではBの方が少し狭いと思うのですが、加えてテナント料で考えたらAの方も高いだろうと考えられるので不思議です。
 店主あるいは店の方針でそうなっているはずなのですが、採算面での品揃えもあろうかと考えるとAの店の客層とBの店は違うということになるのだろうか。
 新書とか毎月発行の講座の本とかはBの方が圧倒的に多い・・・こういう事がその店の特徴でもあるのでしょうね。
 但しどちらの店にも私としては文句を言いたいのは、、、
 どちらもコミックのスペースが異常に大きいと思うのです。
 店全体の割合から考えて、あれが本屋さんの売り上げに比例しているとしたら、、、だから雑誌とコミックで大半が占められて居るのでしょうね。
 少し哀しいような気がします。
 私もコミックが嫌いだとか全てが悪いとは言いませんが、アソコまで・・・とは思います。
 本屋さんが商売として売れ筋商品を並べるのでしょうが、なんだか「迎合」というか、本屋さんも世の中の「安易化」というか「低品位化」みたいなものに手を貸しているような感じもします。
 電車の中でいい年したオジサンが少年雑誌のコミックを見ていたりすると・・・一つの文化だと割り切れません。
 マア本屋さんも商売ですし、最近の自治体が何でも「独立採算」を旗印に掲げているご時世でもあるから当然でもあるけれど。

 ところで、若い頃・・・これは私が30から40才の前半頃です。
 仕事でよく、東京の日本橋とか東京駅周辺に出かけることがありました。
 ですから(と言えるかどうか)、多少時間の余裕を持って出かけて、マルゼンとかギャラリーを覗くのが定番でした。
 仕事をサボっているというか、リフレッシュタイムというか微妙ですが、私個人のキャラクター維持のためには欠かせませんね。
 それでマルゼンですが、最近は10年以上御無沙汰しているので分かりませんが、当時は流石に囲碁の本も種類が多かったです。
 今ほど囲碁の本の新刊本が多くは無かった時代だと思いますが、、、
 大きな建物が本屋さんですから、全体からの割合は小さくても囲碁のスペースは結構あったのだとは思いますが、、、でも老舗のプライドみたいなものもあったのでしょうね。
 現代の地方都市の本屋さんが同じやり方では出来ないのでしょうし。
 老舗のプライドも商売としてみたら、それはそれで売り物の一つかも知れませんし。
 
 本屋さんといえば高校生時代の思い出があります。
 小中高と同じ学校に通った友人、いや彼から見たら私は単なる顔なじみに過ぎないとは思いますが。
 彼は一風変わったキャラで、真冬でも薄いYシャツ一枚で平気で外出します。
 それほど体が丈夫だとは思えないのですが・・・それで行き先は本屋さん。
 家がお金持ちですから気に入った本は買いますが、その前に彼の趣味が立ち読みらしい。
 ですから市内の大きな本屋さんに行けばはたいてい彼が立ち読みしている。 
 行動範囲は市内には留まらず、約10km離れた県庁所在地の大きな本屋さんも彼のテリトリーで、真冬でもYシャツ姿で電車に乗って出かける。
 ですから、あるとき家で急用が出来て彼を探した時・・・母親が隣の町の件の大きな書店に出かけ「いつもYシャツ来る子・・・」で話が通じたそうです。
 さて彼はどんな本を読んでいたかは定かでは無い
 いろんな本を読むから読み尽くすことが無かったのですね。
  
 彼みたいな人が囲碁を趣味にしたら・・・想像するだけで楽しいような恐ろしいような・・・さてさて彼の少年も同い年ですから私と同じジイサマです。
 田舎に帰ったら会えるだろうか。
 
 
 

たまには本屋も

2008-04-24 17:29:56 | Weblog
 しつこいですが、健康保険証を紛失して、現在再発行手続き中
  そういうわけで、今月初めに診察を受けた医療機関では、同じ月の中なので、診察券あるいは顔パスで保険医療を受けられます。
 ところが、今月初めての場合は、そこの先生の意向もありますが、、、原則的には保険による補助無しで全額支払う覚悟が無ければ受けられません(期限以内に再発行された保険証を提示すれば、7割還付はあるとは言いますが)
 
 そんなことで循環器系の医院での診察を受けられなかった(気分は拒否された)ので、、、診察はともかく日頃飲んでいる薬のうち2種類が無くなり、他もだいぶ心細くなってきた。
 そして、再発行の方も・・・時期が悪くてだいぶ手間取っている。
  この時期社会保険事務所は新規採用の社員用とか、更新みたいなものがあるだろうから時間がかかる。
 それで、当初1週間もあれば再発行してもらえると甘く見ていたのが、だいぶ予定が狂ってきた。
 この調子では完璧に手持ちの薬が底をつく・・・そこで非常手段(オーバーですが)総合病院に訴えて薬を何とか調達できまして、おかげさまでいつものようにパソコンのキーボードを叩いていられます。
 しかも、今回からジェネリックということで、後発薬品に切り替えられるものは変えてもらい、かなり薬代が安くなった
 3割は違うような感じですね
  ただ切り替えの初回なので、時間が必要とかで30分は暇潰しが必要
 薬局の近くの大型スーパーの本屋で立ち読み・・・イヤ、雑誌などのコーナーは昔どおりの立ち読みスタイルですが、驚いたことに通路のアチコチに椅子が置いてあります。
 高齢者がその椅子に座って本を読んでいるのです。
  図書館ではないから、買う気の無い人が読むわけは無いでしょう・・・
 しかしこういう事が一般化すれば「立ち読み」という言葉が消える?・・・そこまでは行かないでしょうが
 ところでその店の囲碁コーナーは相変わらず貧弱なものです。
  本のコーナーの責任者の認識・趣味の反映か
 いや、商売ですから売り上げ実績の、傾向による品揃えでしょうが、、、しかしこの品揃えでは負のスパイラルは間違いないので、将来はもっと削減されて、お印程度になってしまいそうです。
 
 ところでたまには本屋さんも良いものですね
  いつも図書館ばかりだと表現は悪いけれど、中古品ばかりを見ていることになります。
 本屋さんの方は、流石に前面に新発売とかベストセラーとかが並んでいるわけです
 今日は本屋さんの本のタイトルから感じるものがありました。
  私、世情に疎いので、それがどの程度新しい本かは知りませんが、、、
 「品格」という言葉に目と気持ちが引っかかりました。
 「国家の品格」「男の品格」「女の品格」という使い方です
  本をめくっていないので、本当にタイトルから受ける感じだけです
 この言葉から受ける、、、「品格」のイメージが好きですね。
  子ども時代から「貧乏だけど躾がやかましい」感じだったし、「武士は食わねど高楊枝・・・」「男の子は親の死に目意外には人に涙を見せてはいけない」???単に古いだけですが、、、
 ともかく「躾」=「品位」みたいな
  物質的な豊かさとは別な次元で「品格」が

 では「お前さんの碁品はいかほど?」と問われると、答えに窮してしまいますが
 

自分が物語の中心!?

2008-04-23 04:02:39 | Weblog
 朝早く、意識は眠たさと寝起きの境界線あたりの狭間を漂っていました。
  こういう時、一種独特の意識と言うか、状態にあることが多い・・・夕べ見た韓ドラのストーリーの中にいたりするのに、自分がドラマの中の何の役でも無くだ、そこに流れる空気みたいな存在で物語の進行を見ている。
 それで、自分の見ているものが「夢」というか「現実ではない」と言うことは感じていて・・・一方で(あまり綺麗な話しでないが)便意と言うか尿意を感じながら、カーテン越しの明るさとか、周囲の物音を感じていて『そろそろ起きなくてはいけない』と感じているわけで・・・
 「虚」としての夢と現実の感覚がごちゃ混ぜになっている、、、それも面白いと言えるけれど、将来こういう感じのなかに、どっぷりと浸かった日常がやってきたらと想像すると怖さも少しあります。

 ところで昨日「オッパー」と「妹」の話をしましたが、、、
 女房殿の借りてきたドラマのストーリーに多くの共通性があることに気がついた
 勿論全てに言えることではないのでしょうが、、、ドラマが思春期あるいは少年少女時代を始まりとして、ヒロイン一人を巡って二人の幼馴染的な存在があったり、交通事故とか、記憶喪失とか、、、
 ストーリーの劇的な流れと言うかうねりと言うか、別の言い方をすると「都合よく」出来ている。
 お話を面白くするのに、禁じ手でも何でも繰り返し使うような気もするし、一回ヒットしたトリックを何度も利用するような気もする。
 世の中そんなに「記憶喪失」「行方不明」が多いわけではないのにと思うのだけれど・・・女房殿に言わせると「良いのよ、面白ければ」となるらしい。
 だからこの事を余りしつこく言うと「嫌なら見なければ良いでしょ」となるわけで、何本ものドラマの共通点が問題ではなくて、一つづつの物語が問題なんですね。
 
 それに、昨日のドラマにはそうとう無理な話があった
  ヒロインが日本でパパラッチ行為をするのですが、、、バイクを持ち主の目の前で乗り逃げし、日本での無免許運転で、車を壊して放置して、、、神戸警察署の留置所に入れられるのだけれど、保険会社の御曹司が被害者・警察署と話をつけて、一晩もしないうちに無事釈放!!
 いくらなんでもそういうのは無いとおもうのだけれど・・・
 被害者が「多額な弁償金さえ弾めばよしとする?」、、、警察も事件を不問?
  有り得ないと思うのだけれど、、、「面白ければ良い」のだろうか
 「日本の警察を嘗めるな」とまでは言いませんが、韓国の警察だってそれは無いでしょうに。
 例えば時代劇を現代劇のセットでやるようなチグハグなものを感じてしまうのだけれど、「ドラマを理屈で見ている」言われてしまうかも知れませんね。
 新しいドラマのCDを借りてくるたびに「今度は誰が事故にあって、誰が記憶喪失になる?」とからかうのですが、、、

 しかし、こういうことをあまり突き詰めて追及しない方が良さそうではある。
  日常よくあることかもしれない・・・
 つまり自分の囲碁を考えたら、いくつも共通点が見つかりました。
 無理なストーリーの囲碁を何度も何度も飽きずに繰り返している訳だし、、、その回数たるや韓ドラの本数どころではない。
  第三者から見たら相当無理なストーリーを展開させていたり、事故で流れが変わったり、記憶喪失はおろか事実誤認もあれば読み間違い・解釈違いも・・・あまり人のことを言えないですね。
 しかも、毎回自分がストーリーの中心で居ようとするわけで・イヤそれが無ければ「つまらない」のかもしれない。
 韓ドラを見ながら、主人公の擬似感覚で意識を重ねあったり、第三者的に流れを楽しんだり・・・囲碁に酔っている時もそういうものに似ているかも知れない。
 むしろ、そうでなければのめり込まないのかも
  そうだとすればこれまで何万本の不完全なドラマを演じてきたり、途中で壊してきたりしたのでしょう。
 そして、人様から見ればいかにも三流のドラマに酔っている?ということになる
  尤も、多少は酔うことが無ければ、ザルはやってられないし、酔うからザルなんですね。
 私は全くの下戸ですが、「酔わないようではやってられない!?」
 

未だに門前の小僧です

2008-04-22 18:28:04 | Weblog
 私が囲碁を覚えるきっかけは門前の小僧的なものでしたが、あれから半世紀は経っているのですが、「門前の小僧風」なところは今でも引きずっている。
 例えば、居間にノートパソコンを持って行ってネット碁を打ったり、観戦をすると、、、当然自然にTV放送の音声と映像が入ってきます。
 サッカーの贔屓チームの試合では、応援・観戦専門ですからそういうことは無いし、文字による試合中継ならパソコンはそちらに使うから無理ですが、それ以外なら両方できる。
 特に自分で打つのではなくて、対局観戦の場合は気楽に・・・
  まさに「ナガラ族」ですが、そういえばこの言葉は私たちの世代が、ラジオ番組を聞きながら受験勉強をした時に出来た言葉だったような気がします
 そうだとすれば、「ナガラ」+「門前小僧」は今も続いていると言うことになる

 さて、家の女房殿はかなり晩生の韓ドラファンでして、友人の熱狂的早稲韓ドラファンが持っているCDを借りてくるのです。
 CD10枚組みとか、20枚組とか、、、1枚に2話から4話入っていますから、、、全部見るのは大変な作業ですが、着実に・次々と・・・結構似たもの夫婦かもしれない。
 ですから居間でネット碁を観戦すると、目はパソコンの碁盤を見ているが、耳にはドラマのBGMと、役者の台詞が流れている。
 全く、こういうことに慣れて?来ると、それほど真剣に見ていなくてもドラマの流れもなんとなく分かったりして(韓ドラの共通点を感じたり)・・・どちらも中途半端というか、分裂気味にどちらもできてしまうと言うか
 台詞は韓国語で字幕スーパーですから、ストーリーはちゃんと見て無いとわからないはず・・・なんですが、欧米系の字幕物とは全く違う、、、仮に画面をろくに見なくても、言葉の調子、たまに見たときの役者さんの表情、ドラマのムードでドラマの流れが分かるような気がするのですから、同じ東アジア系と言うか、慣れって恐ろしいですね。
 韓国語も聞いているうちにだんだん慣れてきます(やはり中国語より距離が近いという感じがする)。
  以前から挨拶の「・・・ハシムニカ」とか「・・・スミダ」は知っていましたが、「カムサハムニダ」のカムサ=感謝、ヤクソ=約束とか、耳から入ってくるだけでも、慣れてくると分かることがあるのですね。

 ところで、あるドラマの中で、一流会社の会長の豪邸がソウルの平倉洞(ピョンチャンドン)と言うところにある(違ったかな?)・・・チョウ・フニョンさんの本の中に「このインタビューは平倉洞のご自宅で・・・」とあった。
 財閥の会長の自宅と言うのだから、日本で言えば田園調布とか代官山とか青山(私地方出身なのでその程度しか思いつかないけれど)のイメージでの設定でしょう。
 となると、チョウさんは凄い所に住んでいる?
 囲碁界の第一人者の一人だし、地位・名誉も収入もあるだろうから不思議ではないけれど、興味深く「平倉洞」という地名を見ました。

 ところで、韓国の恋人同士・・・女の人は男性を兄貴的親しみを込めて「オッパー」と呼ぶらしい。
 2枚目スターの追い掛け少女たちが「オッパー」と叫ぶことから「オッパ隊」と呼ばれているから・・・
 ところが字幕をみると「オッパー」のところが「○○さん」と訳されている
 「○○さん」なら「○○シィ」でも良いのに
 要するに訳しにくい言葉なんでしょうね・・・イメージは分かっても言葉にしにくい
 そういえば日本には「妹」がありますね
  血縁的な妹ではなくて、恋人とか妻とかの・・・
 日本には男からみて「妹」、韓国では女性から来て「オッパー」
 さてさて、いくつになっても「ナガラ」の癖は抜けないし、ジイサマになっても門前の小僧です。
 真剣に打っている筈の碁より、「ナガラ」の方の情報が溢れてくる・・・
 こういうことだから進歩が無いはずです、確かに。

本人であること

2008-04-21 18:11:54 | Weblog
 年をとると愚痴っぽくなっていけません・・・私のことです。
  紛失したものの緊急措置も忙しいが、後そのの処理と言うのも結構面倒臭い
 例えば運転免許なら、区役所に行って住民票を用意して運手免許センターで手続き・・・手間と料金がかかる
 銀行のカード・クレジットカードなどの処理も面倒・・・電話で済みますが、数日は口座の実害が無いだろうかと心配。
 保険証カードも再発行されるまでに日数がかかって、その間不自由
  行きつけの店のポイントカード、テレホンカードなどは、少し残念だけれど諦めるしかない
 
 さて、図書貸し出しカード。
 2週間の貸し出し期限が来たので、本を返さなくてはいけません。
 それは当然のことであるし、借りた本は読んでしまったので、その問題は無い
  返すのには全く問題が無いのですが、カードが無いと次に借りられない
 ではカードの再発行は? 
  運転免許証再発行後なら問題ないでしょうが、その前だと・・・
  窓口で確認すると、「本人であることを証明するものがあれば再発行できる」と言うけれど、忙しいので、運転免許証の再発行が終わっていない・・・免許証なら顔写真もある。
 「本人であること」とは「名前と住所」を確認できることらしい、勤務先の身分証明証は・・・顔写真と名前は入っているし首長が保証しているのだけれど・・・住所が無い。
  マア確認の意味にも多少の問題はありますが・・・

 免許証が無ければ・・・住民票を用意する・なんだか図書館カードにしては大事になってきたような、あるいは公共料金の請求書・名前住所がかかれている・・・これなら先日電気代の検針メーターがあったはず。
  しかし、住所と名前が入った公的料金の請求書が本人の証明で、名前と顔写真の入った身分証明証は本人の証明にはならない!
 ともあれ、図書館カード一つで大変です。
 図書館の本も公共財産であるから、管理上必要だと言えばそうでしょう。
  そうではあるが紛失した側から言うと、何でも自分の都合で考えたくなりますから勝手なものです。

 話は変わりますが、ネットでの本人確認
  絶不調的に連敗をしていた人が、これが同じ人かと思えるように強くなったり・・・それが「調子」と言うものであるか、あるいは「進歩」であるか。
 確かに自分でもそういうことはある
  馬鹿みたいに単純なミスで一局を失ったり、序盤の決定的なアホで壊滅したり・・・そうかと思えば、細かな碁を競り勝って半目勝ちしたり、上手から金星を上げたり。
 これが同じ人間か?と自分でも思う事だってあります。
  自分の中に二人分のキャラクターが潜んでいたりするなら、当然どちらも本人である。
 ところが、ネットの場合は相手が見えない 
  見えないから、「本当に同じ人なの」という中の「本当に」が増幅されたりする・・・被害者意識を抱くほどやっつけられたりすると。
 囲碁の強さ・棋風だけでなく、突然信じられないマナーの変化があったり
  所謂、豹変
  「本当に同じ人?」です。
 世の中切れやすい人が増えたとは言うけれど、同じ人が本当に・・・
  それとも他人の暗証番号を使った成りすまし?
 ネット事務局ではそういうことは出来ないとは言うけれど・・・
  もし旅行先でパソコンを借りて、自分の暗証番号・パスワードなどで接続できれば、旅先でもネット碁を打てる・・・もし、それが出来るなら別人が接続できるはず?
  そして、赤の他人ではなく、親戚・兄弟・知人なら可能性は0とは言えない
 もし出来ないとすれば、故人が会員登録していると言うより、パソコンが会員になっていて、パソコンのオーナーは単なるオペレーターみたいなブラックジョークが出来そうです。
  仮に移動先でネット碁を打ちたければ、持って行かなければならないが、荷物がかさバッタリ、移動中の衝撃などの問題もでてくる
   新製品の超小型があれば出来そうではあるが
 それに病院に長期入院するときはパソコン持参で回線を借りられる?
  あるいは病院にTVレンタルみたいにリースパソコンが出来たり

 そういう事のほかに
  今までくみしやすしなどとナメていた?人にあまりに手強く・鮮やかにやっつけられると「本当に同じ人?」
 まさか助っ人がキーボードを叩いているわけではないでしょうが、チラッとでもそう感じる自分が情けないですね。
 黒澤明の「用心棒」張りに「点数アップ請負人」みたいに・・・
  遊びですから,そこまでやる人はいないハズだけれどね。
 

薬は偉い!?

2008-04-20 15:43:46 | Weblog
 エー、ようこそのお運びありがとうございます  毎度馬鹿馬鹿しい愚痴話にお付き合いください。

 この1週間は、後期高齢者医療の改正(改悪?)などのニュースがありますが
 私個人としても、大いに不満たらたらの1週間でした。
  それは先週財布をカードなどの貴重品と一緒に落としたところから始まっていますから、公的医療制度と故人的なミスによる責任がごちゃごちゃですが、ともかく不満が噴出しています・・・そしてマダマダそのフォローとかそこから発生するストレスが続くでしょう。
 ですから、囲碁の成績が上がらなければ、そのせいだと今のうちから言い訳・逃げ道を作っておきます。
 良い事を見つけるのは大変ですが、悪いことなら山ほどある・・・

 「多病息災?な体」なので昨年までは、何の疑問も無く公立の総合病院のお世話になっていました。
  ここは医療技術水準はどうなのかは知りませんが、ともかく設備はマアマア整っているし、急な変化にも、あるいは夜間医療もあるから、そういう意味では安心です。
 入院しても、外来のいつもの担当医が、入院中も見てくれるのですから
  それが、地域医療の整備と言うか、調整と言うか、、、本当は公立病院の赤字解らしいのですが、、、地元の医院で検診を受け持ち、検査などは総合病院が受け持つとい風に変わった(どんなことでも利益を上げなくては・独立採算でなくてはいけないらしい)。
 いかにも合理的な感じがしますし、先生の指示ですから逆らえない
  それで、初めての検査(心臓超音波)結果についての話を聞きに行きました
 すると以前の内科が内科と循環器内科に分かれていて、、、以前通りに検診を受けている人も居ることが分かった。
 どうも、その患者さんたちは私より高齢の人たちばかりに見える・・・と言うことは年令順に切り捨てられて外部の医療機関に回されたような気もしないでも無い。

 さて昨日の土曜日は、総合病院から紹介された循環器系の内科クリニックの2回目の検診日。
 これは、大いに不安がありまして、、、
 つまり先週の大ドジのため診察券も保険証も運転免許証も、身分を証明できるようなものは何も無い
 ですから、早めに行って事情を説明しようと思ったのですが・・・
  ともかく診察順1番だったのですが、、、
  先生の説明によると、健康保険証の提示が無い場合は全額払って貰い、25日までに提示があれば7割を返金する・・・薬局も同じ・・・
 確かに原則的にその通りです。
  健康保険証は同じ番号で、再発行される予定であると説明しても、、、「実際には番号が変わる人も多いですから、再発行されないと分からないですよ」
  全く信用されていないし、医療費の取りそこないを恐れているのでしょう・・・マアそれはそれで分かるのだけれど、私も相手の人情に訴えているわけで
 結局は「それでは、健康保険証が再発行されましたら、受診してください!」と180度Uターンをした。
 普通の商店だったら、多少は悪態をつきたいところだが、相手がお医者様ですから将来何がどうなるか分からないから、多少は押さえ気味ですが、胸の中は爆発寸前・・・私は心臓機能に欠陥が有りますが精神構造的にも欠陥があるようで・・・
 
 マア全額仮に払っても良かったけれど、頼んだのに断られたと言う意地ですね
 もっとも仮に全額払うとしたら、私は薬の種類が多いから診察料と薬代を合計したら3万円近くなるでしょう・・・保険で助かっているわけです
 ところで、意地を張ったはいいけれど、先週から手持ちの薬の中で、毎朝服用していたものを2種類切らしてしまっている。
 これはこの医院が先週臨時休診したせいでもあるのだけれど、、、ですから、今日その薬が手に入らなくては2週間薬切れになる・・・そのせいか最近動悸がするような
 心臓に欠陥がある人は意地を張ってはいけませんね、、、もしかしたらオーバーに言えば命がけの意地っ張りです。
  この問題は、何とか解決しました、、、その薬をてに入れて飲んで1時間もすると、、、フシギ・動悸を感じなくなった。
 と言うことは、やはり薬が無かったせいで不調だったらしい。
 更に、薬が無いと生きていけないという事実を確認させられたわけです。
 やはり「お釈迦様のおかげ」と同じように「薬のおかげ」で生かしていただいているのです。

 さて薬を飲んで落ち着いたところで、ネットで対戦
  結果は1勝1敗ですからまずまずではあるけれど
 もし、「囲碁・読む薬」とか「囲碁・見る薬」があれば・・・これは保険適用外だろうから、高そう
 

 

セール除外品

2008-04-19 16:26:59 | Weblog
 昨日に続いてNHK囲碁講座ネタです。
  現在マイケル・レドモンド九段の講座の二月目で、タイトルは「基本は格言にあり」です。
 昔から囲碁格言集をそれぞれの先生なりの味付けで解説した本があります。
 中にはアマチュアが作ったもの、観戦記者の方の著書もあります。
 そして、諺の「定石を覚えて2目弱くなり」の逆を行って「格言を覚えて強くなる」「得する」というようなものもあります。
 ともかく、格言は”表と裏”があって、両面から理解すればかなり役に立つものではあると考えます。
 それは囲碁の長い歴史の中から生まれて来ただけに、格言の言わんとすることに間違いは無いのでして、受け取り方が間違っているとか、格言の一面だけを見ているとか、格言の運用方法が間違っているということなのでしょう。
 そういう意味では、昔何かの本に書いてあったような気がするのですが、格言の信憑性というか、格言の言わんとすることと現実とのぶれの度合いを示したものがありました。
 マア、どういう物差しで確率を測ったのかまでは知りませんが、信用性100%と言うものは稀であったし、当然20%以下のようなものでは格言になりえない・・・たいてい60%から80%前後だったような記憶がある。
 そういえば昔よく碁を打った仲間で、打ちながら必ずといってよいほど格言的なコメントが合いの手のように入る人が居ました。
 「ツケにはノビよ・・・っと」、「切り違い一方伸びよ」、「三・3、四・5、五・8・・・」攻め合いの九九まで出てきます。
 そして必ずコメントの後ろに「ネッ!、先生そうでしょう?」がつく。
 私の答えは「・・・時による!」と混ぜっ返す。
 ともあれ、格言に沿って打てないことは無い・・・概ね無難に打てるとは思える、しかし、前にも紹介したようにそれでは囲碁を打っていると言うより”格言を打っている”と言うことになるし、それにもまして信頼性が60%から80%と言うのも・・・
 全体でこの確率ではなく、一手につき・あるいは1局面につきこの確率ですから、そういうフィルターを3回通れば確立は50%以下は間違いない。
  
 ですから、対局中に考える時「格言的事実が当てはまるかどうか」の検証と言うか、適用除外部分の20%とか40%を考えることが多いのでしょう・・・特に序盤は。
 だからといって「格言無用」ではありませんし、今回特に格言を英語で言うとどうなるかが楽しいですね。
 ネットで「囲碁格言を英語で言うとどうなるか」のHPがありますが、そういう辞書的なものも良いけれど、講師の先生の説明を読みながらも良いですね。
 それに今回は更に聞き手の青葉かおり棋士の「格言とかけて名古屋ととく」が面白いです。
 
 私の生まれて育った所は東京と名古屋の丁度中間ですから、本当は所謂標準語・共通語と名古屋弁が半々でも良さそうなのに、ラジオ・テレビのおかげで殆ど共通語の世界になりました。
 まあ、多少のイントネーションと言うか発音に地方色は残しておりますが
 子ども時代の良い例と言うか、、、例えば少年時代の野球帽、、、今でこそいろんなロゴがありますが、昔は殆どプロ野球チームです
 圧倒的に多いのがジャイアンツで次いで阪神、三番目はかなり差がついて(ご当地が春のキャンプ地だった)大洋ホエールズ、更に少数派が中日 
 パリーグは南海ファンが少しいてあのNHマークが・・・HTとも紛らわしかったかな・・・
 そういうことで名古屋弁も関西弁より聞く機会は少なかった
 マア「・・・にゃァ」「・・・キャー」「・・・ナモ」と来れば名古屋という感じはしましたが・・・その程度の知識ですが。
 今回小文ではありますが、名古屋弁を全面に出しての話は、なかなか面白い
  
 5月号で羽根直樹さんの話が出ています。
 「セール除外品は高いから怖くて買えません」という・・・
 この話の状況とか、前後とかが分からないと何を言っているのか分からないでしょうが、、、そういう方は図書館にもこの雑誌はあるはずですから読んでください
 ともあれ囲碁においてセール除外品とは、青葉さんの解説によると「相手が強いところ」ですから、近づいても良いことは無いところ。
 名古屋弁で「たっきゃーで、よう買わんわー」となるんだそうです。
 写真でしか知りませんが、青葉かおりさんのあの容姿と名古屋弁
 名古屋生まれで名古屋育ちでしたら名古屋弁は当たり前でしょうが、、、やはりアンバランスの面白さがある。
 さて、自分の生まれ育ったところの方言でやるとどうなるか・・・哀しいことに言葉を失ってしまっている。
 子ども時代、祖母は方言で話していたはずなんだけれど、、、聞くことは出来たはずなんだけれど、話すことは出来ない。
 それでも、何処かに出身地の臭いが残っている?・・・なんとも中途半端

ちょいとお得を

2008-04-18 18:20:37 | Weblog
 NHK囲碁講座5月号で気になるのが「ゾーンプレス」。
  ですから雑誌を買ったらまずここからスタート・・・と、言ってもクリニックの待合室での予約待ちタイムですからホントにパラパラとめくります。
 まず「○○っぽい」では困る時とあります。
  確かにシチョウで取れるのか?とか、黒先で生きているかどうかなどの時に「取れてるっぽい」「とか生きているっぽい」はダメなわけで
 しかしたいていは「自分っぽい所のトータルが、相手っぽいところより」おおきっぽければ良いとある。
 「読みきれない場面では”っぽい”事意外に信じられるものが無い・・・それでいいのだと言って貰うと安心と言うか、嬉しいと言うか。
 結果はともかく信じて行けることが大きいですね、結果は結果です。
 
 ところで「っっぽい」にはもう一つあって、例えば「呉清源先生の講座の又聞き」とか、「21世紀の打ち方」の受け売り的な打ち方とか・・・
 私は、まず真似をしてみたくなる、開き直って言えば「まずマネから入らなくては何も始まらない」くらいに思っている。
 よくプロの先生が、アマチュア向けにも「自分らしく」とか「自由な発想で」などと言いますが、それは大切なことでしょうが、「真似することも結構大切」だと思っています。
 やってみて、うまくいくこともあれば、失敗もある。
  その積み重ねの中から、知識・経験の集積となり、自分らしさも出てくるように思うのです。
 ま、そうは言っても碁敵から「オッ!、○○風で来たな」などと冷やかされますが、「○○風」はお世辞+軽いジャブで、真意は「○○っぽい」という程度。
 それでもいつかは、それが自分流になるように頑張ります。
 でも、スープっぽいカレーがどっちつかずの半端物ではなくて、オリジナルになれるかどうかみたいですね。

 もう一つ嬉しい話が出ていました。
 「ちょっとだけ大きく」・これがいいですね。
 私のは相当いい加減ですが、「ちょっとだけお得」を心がけています。
  調子の良い時しか成功しないと言ういい加減さではありますが・・・
 囲碁は勝負事ですから、当然流れに乗って打つのが肝心。
  相手にミスがあればそれに付込むのも流れであるし、作戦みたいな方針で打つことも流れを作っていくことですね。
 流れの中で勝利を目指すのですが、一局の流れの中での自然な流れのほかに、対局者のパーソナリティみたいなものがあるような気がする。
 一気の勝負が好きな人、無理にでも何でも手を作るのが好きな人・・・いやそうなってしまうこともあるのだけれど。
 私の理想と考えるのは「少し得をするうち方」・・・
  刀と刀の真剣勝負だとして、ぶつかり合い・鍔迫り合いの繰り返しの中で「ホンの僅かづつでもいいから得をすること」・「それを繰り返すこと」
 それが一番確実というか、確率の良い勝ち方だと思っている。
  一気の勝負手ではないから、バランスを崩してこけるような心配は少ないし
 寧ろ、相手が「形勢挽回」を目指してカウンターパンチを繰り出した時に、クロスカウンターの確率が高い。
 
 私はそのように考えるのですが、ザル仲間には違う考えの人も居る(当然でしょうが)
 つまり「少しづつ得をする」→「安全な勝ちを目指す」→「確率で打つような・・・」
 「そういう打ち方はつまらないうち方」と考える人も居るわけで、、、「思うように打つ」というか、「ロマン派」というか、、、勝つときは鮮やかですが、負ける時はボロボロ、、、それは良いとしても勝率にヤヤ難があるかも。
 彼らに言わせれば、その「勝率云々」がつまらないのでしょうね。

ぼくのオジサン

2008-04-17 18:11:07 | Weblog
 私は5人兄弟(全て姉・兄)の末っ子です。
  兄弟が3人4人と言うのは珍しくなかった時代・・・まあ5人は多い方かも知れませんが。
 一番上とは14才違いですから、姉と言うより何処かのオバサンみたいなもの
 母の一番下の妹と、家の姉は年が近かったので、まるで姉妹みたいな付き合い・・・おかげで「伯母」だけれど「従兄弟」みたいな感じ
 それはともかく、私は12才・小学校6年でオジサンになりまして・・・姉、兄の子供たちから「○○オジサン」と呼ばれるようになった。
 ですからオジサンのベテランで、あと数年で半世紀オジサンをやっていることになる
 今日のタイトルの「ぼくのオジサン」とは私で、甥・姪から見たオジサンです
 (昔同名の映画がありましたが、内容は全然知らないのにタイトルだけはハッキリと覚えている不思議な映画)
 さてオジサンこと私は、甥・姪には人気がある・・・と言うか多少尊敬されている(多分・・・)
 それと同じ理由で彼らの親から(つまり私の姉・兄)からは「とんでもない」とレッテルを貼られている。

 甥・姪から見ると「オジサンの生き方が理想!」「自分のやりたいことをやって生きている!」・・・と、こうなる。
 確かに、確かにやりたいことをやっている、というか、やりたいことしかやっていないような感じ。
 麻雀に血道を上げて、セミプロ数歩手前まで行ったり
 毎週土日には、中山か府中にいたり・・・年末年始はは船橋で
 そういうものから足を洗ったら、囲碁にどっぷり浸かって、まさに病コウモウニイル状態。
 富も名誉も出世も関係ない暮らし・・・これでは親たちは「とんでもないことを言うな!」の大合唱です。
 私にしても「尊敬するのは自由だが、これでなかなか大変なんだぞ」と内心思っている。
 つまり好きなことをするには、外見「やらなくてはいけないことをやらない=だらしない性格」と映る筈ですが・・・マア当たっていますが、「堅固な意志?を持って、好きなことしかやらない」と言う覚悟が必要なわけです。
 ですから、生半可な気持ちでは出来ないはず?
 生活も女房殿に依存するところが大きいし、娘や息子たちから「何で打ちは貧乏なの」と言われても、平然と「何でだろうね?」という顔が出来なくてはいけない。
 それで居て、ザルに過ぎない囲碁に夢中で・・・
 掃除洗濯はしない、食事は作らない・・・夕食時に「ご飯ですよ」と声がかかっても「・・・まだ、、、もうチョット、、、今試合中」
 このくらい堂々と出来るのだから、我ながらたいしたものです。

 甥や姪たち! 本当にやりたい好きなものがあって、それが出来たら他はどうでもいい・・・そこまで出来るかな?
 まあ、私にしても孫悟空がお釈迦様の手の平で暴れているみたいに、女房殿の手のひらで遊ばせて貰っているだけかも知れませんが・・・
 さて何年か後、あるいは十数年後・・・「いい人生だったと思えるだろうか?」
 私の予想では、何時までも煩悩の塊ですから「まだ遊び足りない!」と駄々をこねるでしょう。

囲碁の三角ベース?

2008-04-16 15:52:02 | Weblog
 例え話としてですが、三角ベースを思い出しました。
  私の子供時代は、子供に最も人気なのは野球と相撲だったでしょう。
 街頭TVなどが出現すると、プロレスも人気が出ましたが、アレは真似は出来ても本気では出来ないですね。
 ですから、夢中になってそれらしくやれるのは、やはり野球と相撲です。
 玉子焼きはともかく「巨人・大鵬」と言われる所以でしょう。
 ところで、育ったところが町内に家が十数軒という、(人口が)小さな町・・・広さはかなりある。
 今の過疎とは違って、町内は製材・木工所・貯木場が並んでいるから、マア木場の超ミニ版です。
 そんなところですから、近所で野球をやる時は最低人数3人対3人です。
 これは野球のフェアグランド90度の角度を60度ぐらいにし、2塁ベースを省略、更にキャッチャーは相手のサービスですから盗塁は無し・リードオフ禁止。
 二人の野手が内野も外野もやるのですから守るのにも工夫が要ります。
  攻める方も制限があります。
 場所に制限があるから、ファール3本でアウトとか・・・ボールが無くなっては困るから特大ホームランはアウトとか・・・つまり打つ方もフェアゾーンの狙った所に打つ事を考える・・・

 こういうことは、少ない人数で、しかも限られた場所で遊ぶために考え出され、それなりに戦術やらテクニックが身に付いてくるもののようです。
 家の近所・町内では冗談みたいな三角ベースですが、数人が学校の代表選手になり市内の大会で優勝したりするのですから、それなりにレベルが高い(地域のレベルが低いか?)から不思議です。
 三角ベースは遊びの話ですが、私が中学・高校の体育でやったのは9人制バレーですが、高校2年の時の東京オリンピックでは6人制バレーボール。
  コートが違ってきて、ローテーションというルールが入ってきて、サーブ権でのポイントとなり、いろんなテクニックが編み出された・・・
 元は同じなのに、かなり違うもののように感じられたものです。
 それが最近ラリーポイント制ですから、なんだか9人制時代を思い出します。
 ビーチバレーともなると、また別のテクニックが必要でしょう
  似たような変化では、サッカーとフットサルも
 ボール、コート、人数が違ってルールも多少違ってきて、フットサルには独特のテクニックも必要。

 ところで囲碁の場合
 例えば9路盤ですが、「9路盤選手権」みたいなものがもし本格的に行われたら、似たような変化が起きるだろうか。
 あるいは13路盤部門とか17路部門とか、、、ボクシングの体重別タイトルみたいに碁盤別にタイトルがあったりしたら、、、
 もしかしたら、フィールドによる戦術的変化は起きるかも
  ルールは、19路も他の盤も同じだとして、時間と言う制約でも戦術的な変化が起きるかも?
 冗談みたいな想像ですが、将来囲碁というものの発展・継承を考えると、「囲碁は19路であるべき」と言う観念も揺らぐ時代が来るかも知れません・・・これも空想ですが。
 ところで、時間の制約と言う条件の変化で、僅かではあるけれど変化が出ていると思う。
 但しプロの世界の話ではありません。
  日本の公式戦が長い傾向にあり、国際棋戦が比較的短くて・・・そのことと囲碁の内容との相違など分かりません。
 しかしアマのザルレベルでは相当に違うような気がしています。
  例えば、私はタイゼムデの「持ち時間5分+一手30秒の秒読み3回」という対局条件は苦手ですから、当然成績が悪い。
 動揺にパンダ時代での「25手=3分以内」みたいな条件では、やる前から結果は見えていました。
 (苦手ならやらなければ良いということですが・・・)
 それでは持ち時間「45分+一手30秒の秒読み付き」の対局では勝率が良いのかと言われれば、胸を張れるほどのことは無いですが、まあ、ソコソコ。
 自分での評価は長い持ち時間の対局と短い持ち時間の対局では2段くらい違ってくるような気がする。
 ですから長いところが強いのではなくて、短い方で弱くなるみたいに・・・
  
 それでは短い方で強い人は、持ち時間が長くなると成績が下がるのだろうか?
 時間があると弱くなるとか考えられなくなると言うのは変ですね・・・と、なると時間が長くても短くても強い人は強い?・・・だったら私は「弱い人だから弱い!」
 どうもそうなるようです。
 「慣れ」と言うことはあると思うけれど・・・囲碁の三角ベース?
基本的なルールは同じでも、テクニックに多少の違いがあるような・・・