なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

悪たれ小僧的戦略

2009-11-30 04:08:19 | Weblog
 日曜日は半端な時間からTVを見始めました。
  12時近かったので、NHK杯の将棋の方は最後の詰めに入る直前の場面・・・相手に大駒を与えても使う余裕も無く攻めきってしまうと言う読みを完了して、最後の攻めを開始する局面。
 続いて12時から囲碁の時間。
  久し振りに「囲碁講座」を見ました・・・テキストは毎月買うのですが、TVの方は殆ど見ないで、テキストだけを読んでいる。
 不謹慎な感想ですが聞き手の稲葉さんて、ブログの写真と少し違うような印象?だとか、横田先生に質問する聞き手ってタイミングと聞く内容が難しそうとか・・・
 稲葉さんの名前のところに「アマ6段」とありますから、分かっている事を聞く難しさ、「わざとらしく無く」「肝心なことを引き出す」・・・。

 ところで、囲碁講座は教育に例えると小学校・中学校に当たるのが初級・中級講座でしょうか?
 これは基礎と基礎の形から派生する問題・・・ここは「分かっているからもういい」みたいな気分にはなりますが、意外とそういう感覚は危険だと思う。
 アマでも高段者には眠たくなるようなことかもしれませんが、普通のアマにとっては基礎ですから繰り返し聞いても悪くは無いでしょう。
 今回の横田先生の講座のタイトルは「厚みの戦略」ですから、この事自体昔から言われている事・基本の繰り返しではある。
 しかし、同じテーマが繰り返されると言うことは理由が二つはあるでしょう。
 ① 一つは常に初級・中級クラスで基礎を理解して貰う必要がある。
 ② 二つ目は、基本的な事なのに案外実戦では軽視されている。
  基本的な死活問題、基本的な定石、布石の考え方、序盤の戦略・・・

 こういう講座は、実戦中心で楽しむ人には軽視され勝ちのような気がします。
  それに・・・
 私は例えば碁会所で3段くらいのランクの人にも「NHK囲碁講座」のテキストを薦めたり、「これが出来たら初段の詰め碁」を薦めたり・・・これが私は基礎として大事なことですから「温故知新」的に手元に置いて時々見るのに良いと言う意味なんですが、案外棋力を低く見られたように勘違いして憤慨されてしまう人が多いので、最近はうっかり紹介しにくいと感じています。
 「基本」て運転免許みたいに合格すればもうお終いでは無くて、繰り返し確認が必要で基本を無視すれば車なら事故に結びつきますが、囲碁ではそういう痛い目には合わないだけ。
 韓国や中国の若手が開発研究した新手法・・・勿論そういう本・知識も良いのですが・・・知って置くのは悪くは無い、しかし自分の碁のレベルの問題としてはそういう勉強は果たして良いことかどうか疑問に思ったり。
 友人に「棋戦で打たれて新聞で紹介されたような新手を必ず試して来る」人がいます。
 そういう意味では新知識が無いと一時的にせよ彼を良い気持ちにさせてしまいます・・・マア対処法さえ知っていれば危険は少ない・・・
 勉強したことを試すのは悪くない・・・しかしそういう勉強で地力がどれだけ向上するかが問題でしょうね。

 話を講座に戻します。
  厚みをホテル・レストランのランキング見たいに☆一つから☆4つまでに分けて表わしたのが先生の工夫のようです。
 厚みの高さと根拠によって星の数が変わります・・・確かに面白い表現ですが、実戦では自分で星の数を決めなくてはいけないのですから、そこが勉強と言うことですね。
 表現の方法でとっつきやすくしたと言うことでしょう。

 ところで12月のテーマは「厚みは囲うな!」で「大きく広げよ」「戦いに誘いこめ」「囲わず追いこめ」「厚みに押しつけよ」となっている。
 全く基本であり尤もなことなのだが・・・この裏返しが私の(インチキ)必勝法でもあるのです・・・マア「お笑い囲碁必勝法」の部類ですが。
 断って置きますが県大会のベスト○○みたいな人には通用しません。
 ○ 相手に地を出来るだけやらない・・・4隅のうち出来るだけ3隅以上は確保して置き、局面の展開によっては何かと引き換えに地をあげても良い。
 ○ 相手に大きく広げさせても良いが時限爆弾を仕掛けるとか、完成寸前に必ず蟻の穴を作っておく。
 ○ 相手に地が足りないような不安を与えて囲いたくなるとか、石を取らなくては間に合わないような気持ちに仕向ける。
 ○ 相手の厚みの脅威にさらされないように、トカゲの尻尾を切り離して、安全に・出来るだけぎりぎり安全に。

 こうして見ると先生の「厚みの戦略」を忠実に活かそうとする生徒さんに「教えられた通りに打ったけど上手くいかない」と嘆かせるような作戦。
 イヤ、作戦と言えるかどうか・・・
  これが教えを守って忠実に実行しようとする人に効果があったりする。
  勿論知識を確実に消化しきれていない段階だけでしょうが・・・。
 難しいのは置き碁の白番の時
  指導碁的な感じではこういうインチキ作戦は取りにくい・・・あるいは黒に咎めて貰いたいと言う意味で打ちます。
  同じ置き碁でも持ち点が変動するような場合は、置き碁の作戦としてはやらざるを得ないでしょう。

 尤も、普段でも先生が「良い子は○○しなさい」の反対をやりたくなる・・・性格に難ありか?
 

囲碁ブログ検索

2009-11-29 00:13:35 | Weblog
 ネット対局などで深夜になり人通りがまばらになってきた時など、ともかく他の方の囲碁ブログを拝見しようとする時、昔は一つづつ”おきにいり”に入れておいてクリックしていたものです。
 そういうやり方ですと余り多くの方のブログを登録していなかったので、訪問先のブログの中のブックマークなどを伝い歩きしたものです。
 最近は更新されると紹介してくれる便利なところがあるので、そこにアクセスすれば新しい更新記事が読めると言う便利な仕掛け・・・私が知らなかっただけで当たり前のことでしょうが・・・。
 私のこのブログもそこに登録してあるので記事を更新するとそちらからでも読んで貰えることが可能な仕組みですから便利ですね。

 ブログって「書きたい」という欲求みたいなものがあって、せっかく書いたのだから他の方に読んで貰いたいとか、そのことについて人の話を聞きたいとか・・・そういう動機があるので始める(私の場合はそう)。
 最初に始めたブログは「回想」・・・これが昭和23年から11年間の話で・・・生まれてから中学1年までの間に生活した場所・時間・生活などなどの思い出。
 これは自分としては生まれて育ったところに自分の根っこみたいなものがある筈なので纏めて置きたいという意図ですから、せいぜいが親族か子孫しか興味を持たないであろうと言う話・・・実際家族も興味は無さそう。
 従ってブログの訪問者数は・・・たまに迷い込む人ぐらいですから、地方のシャッター街より寂しい。
 でも、もともとが読んで貰うと言うことより、自分のことを整理して置きたいという目的なので、有名人のブログとか人気ブログと比較することは無いわけです。
 でもたまに覗いてくれる人がいると嬉しいわけで・・・このあたりが微妙な感じはありますね。

 先日、勤め先の昼休みにネットで「囲碁ブログ」を検索したら、検索するところがいろいろあるので驚きました。
 そしてそれぞれにアクセスランキングが出ています。
  この数字がどれだけ内容を反映しているかは分かりませんが、ある程度は中身の面白さを反映していると想定して、では私のブログは?と探しましたが出て来ません。
 マア、泡沫ブログと言うことでしょうが、他にも理由があるような気がしました。
 私のは「囲碁BlogNet更新情報」に登録しているので、そこではランキングされています。
 それとGOOブログなのでそこでも毎日訪問者数がカウントされて分母132万の中の何番と言う風に出て来る。
 これがその他のところでは出てこない・・・そういう仕組みなんですね。
  更新情報のところのアクセス数とGOOの所のアクセス数は全く別。
 これはどこを通してブログを見たのかで違うのでしょうか?
  と、言うことはアクセス数とかランキングと言っても「どの範囲で」という感じなんでしょうか?

 尤も、始めた動機「書きたくて」を外れてはいけませんね。
  読んで面白いと思ってくれると嬉しいですが、そのためと言うと少し違ってきそうです。
 ともあれ、GOOのブログランキングの分母132万って凄い数字ですが、
これってGOOだけの数字なんでしょうか?それとも他のも全て含んでいるのでしょうか?
 知ったからどうと言うことでも無いのですが、疑問に思うと知りたくなります・・・誰か詳しい方がいたら教えてください。
 

”ら”の話

2009-11-28 00:39:51 | Weblog
 落語では「世界で一番短い会話」と言う事で、東北方面の言葉で、設定は多分暗くなってから雪道で頬被りをした人同士がすれ違う時の一瞬の会話として・・・「どさ?」「ゆさ」という噺があります。
 私の故郷の言葉では無いけれど、実際にこういうことが起こり得るかどうかは分かりませんが私はこういう言葉が交わされる情景が好きです。(寒く無ければ)
 私の故郷の方言で一番知られているのが「ズラ」です。
  これは言葉の最後について「そうズラ」と言うように使い、単に「そう」と言う意味を強調したり、あるいは同意を求めるような意味で使ったりします。
 イヤ、実は私たちの世代では殆ど死語になりつつありました。
  新民謡の「ちゃっきり節」の歌詞にもなっていますし、祖母などはつかっていましたから勿論意味は通じますが、母の世代では殆ど使わなくなってきていましたし、私の世代はラジオ・TVの影響か、ズラは使わなくなっていました。
 但し「ズラ」を使わないと言うだけの話で、アクセントとかイントネーションとかで「東京弁」とは違う言葉だった筈なので、言ってみれば国籍不明ではあるが所謂標準語では無い言葉だったでしょう。
 (小学校の廊下に「廊下を”とばない”」という張り紙があって、東京方面から来た新任の先生はこれを見て『ここの生徒は廊下を飛ぶのか』と驚いたという笑い話があります)
 こういうことは地方から東京・大阪・京都などの大学に進学するとよく分かる。
 本人としてはTVなどで聞くような言葉で話しているつもりなのですが、周りとは違うことに気がつく・・・別に悪いことでは無いのですが違いに気がつくのです。
 
 そういう言葉の中に”ら”があります。
  「ズラ」のように国籍がはっきりした方言では無いと本人は思っていますから本人は無自覚的に会話で使います・・・例えば「行くラ」。
 言葉としては「いくら」と言えば普通は値段を聞いていますが、それとは少し節回しが違いますが「行くラ」と言えば方言では「行くよね」とか「行くでしょ?」と言うような使い方になる(それぞれ語尾の調子が少し変わりますが)。
 語尾の「ラ」で地方出身者だと言うことは分かる。

 実はこの話は大学受験の時に京都の大学の学生だった人の下宿に泊めて貰った時に聞いた話です。
 (横道に逸れますが、彼は姉の高校時代の同級生で彼の妹さんと私が同級生と言う関係・・・これが単なる同級生で試験の時などに便宜を図って貰えるのですから、田舎の結束は捨てたものでは無いかも知れません)
 「ここでは『映画に行くラ』と言うと、『映画に行くよね』という確認ではなく、映画の値段を気にしているように受け取られるんだよ」という話を聞きました。
 田舎の子でしたから「井戸の外の話」で『なるほど』と思って聞いたものでした。

 つい最近、若い同僚と話をしていて、何かのはずみで「ラ」の話になりました。
  彼の故郷でも「ラ」があるのだそうです・・・但し私の田舎とは使い方・意味が違う。
 彼の故郷は愛知県・・・マア愛知と言っても彼の地元では尾張地方と三河地方の違いがあるそうですが、この点静岡が遠江、駿河、伊豆で気分が違うようなものですね・・・外から見ればどこが違うのか分からないのに自分たちでは違うと思っている。
 いずれにせよ東海方面では「ラ」の一音節に意味があるのですね。

 さてこの「ラ」今でも生きているのかどうかは分かりません。
  学生時代に(40年前)長野から来ていた同級生が「ズラ」言葉をしゃべっていたのに驚きました。
 私の出身地では祖母の時代で消えて行ったような言葉を、彼は堂々としゃべっている(彼は医学部生なのに)・・・一種の感動に近い思いで聞いたものです。
 私と同じ下宿に山梨出身者がいたので分かったのですが、「ズラ」は静岡だけのように思っていたのが、本当は静岡・山梨・長野・共通だったようです。
 と言うことはもしかしたら富士川沿いなのだろうか?。
  とすると静岡では遠州・長野では天竜川地域、あるいは北信濃方面は「ズラ」地域では無いのかも?・・・想像だけですが。

 さてさてラーメンの頭の一文字「ラ」で夜中に遊んでいます。
  読んで下さった方、「お付き合い戴き、ありがとうございました」。
 
 

ラーメン記

2009-11-27 02:33:25 | Weblog
 私はラーメン大好き人間でも無ければ所謂ラーメン通でも無いのでラーメン記などと大層なタイトルをつけるのは多少気が引けるのですが、マアお昼にネットでの対局を観戦しながらラーメンを食べていると言うスタイルなので、思い出すことをお話します。
 ネットで対局を見ながらラーメンを食べていると言いましたが、実はこれが年に1度あるか無いかの事なのです。
 普段は食べないのです。
  カップヌードルなどは年間の消費数が億単位だそうですから、人口当たり・・・データを検索したのですが、世界でどのくらい作られていて一人当たり(世界の)どのくらい食べているのかは分かりませんでした。
 でも記憶は不確かですが・・・確か一人1個以下では無かったような気がします。
 
 話を進める前に、拘りのある人にはラーメン店のラーメンとインスタントラーメン、カップ麺を混同していると叱られるかもしれませんが、両方合わせても私の消費量はこのくらいです。
 嫌いでは無いのです。
  むしろ子供時代に家族で宵の銀ブラ(ローカルな銀座商店街)をして買い物をした帰り道は馴染みの(富司)食堂に寄るのが定番。 
 当然既に夕食は早目に済ませていますから丼物などはいりませんで、麺類を注文することになり、父と私は食べるが母は食べない。
 私の定石は「五目そば」・・・値段的には親から見ると夜食には少々贅沢だったようですがこれは私の譲れない定番。
  ですから麺類が嫌いなわけではありません。

 それに当時は兄の高校受験時期・・・町内にも流しの夜泣きそば・屋台を引いた蕎麦屋さんが来る。
 あの哀愁にみちたチャルメラが懐かしいですね、今ではめったに聞くことはありません。
 母は受験勉強の長男には夜食としてラーメンを頼むのです(姉たちや私の時はそういうことは無かったから、これは一種の差別かもしれませんね)。
  羨ましい気持ちの裏返しが、ラーメンに対する恨み節として沁みついているかもしれません。
 これは後年呼称に問題があったらしいがラーメンでは無くて「シナソバ」だったような気がします。
  具の呼び方が今とは違う・・・メンマがシナチク、チャーシューは焼き豚、それに刻みネギ、ナルト、海苔。
 母が丼を持って行って、出来上がりを入れて貰います・・・そうすると屋台は客が食べ終わるのを待たなくても良いのです。
 さてこれは長男であり受験生の兄だけで、チビ次男は羨ましいが意地で知らん顔。
 こういう食べ物に絡む心理は後を引いているかも知れません。

 学生時代にまだ深夜スナックと言うものが無かった時代に、夜中でもやっている道産子ラーメンが流行りました・・・味は勿論夜中でもやっているのが良かったのです。
 夜中にしか行ったことが無いし
  ラーメンのイメージは私にとって夜食か間食の感覚だったと思う。

 今でもそういう感覚があるから、日本ソバなども嫌いではないが、「これが昼食です」となるとやや物足りなさを感じてしまう。
 「今日の食事はおやつで我慢しろ」と言われているような気がしてしまう。
  大晦日の年越し蕎麦も夕食後に食べるわけで夕食の代わりに食べるのではないし。
 それは栄養的なことでは無くて食事の感覚としてです。
  同様にラーメンの場合も同じ。
 カロリー的には相当あるらしいのですが、塩分制限で言うと「つゆはなるべく食べないようにしなさい」と言う条件では食事の代わりに食べるという気はしなくなる。
  出された食事を「なるべく残しなさい」みたいな感じですから「それではいっそ、ナシと言われた方が話が早い」と言う具合に食事としての意欲は無くなるわけです。
 その他にも実は理由があります・・・
  出来たてのラーメンを美味しそうにすする・・・このシーンは蕎麦などの麺類を食べる時のパターンですが、実は自分では出来ないのです。
 熱いものが食べられないので、箸でラーメンを持ち上げて見たりしながら実は多少でも熱を下げようとしたり、口でフーフーしたり・・・食べ始めるまでに時間がかかりますから、やっと食べ始めた時には同行者は半分は食べています。
 ですからハンデ戦でダッシュして追いかける気分。

 そう言えば昔ペアで仕事をしていたオジサン・・・この人は福岡出身で人柄は悪くは無いが唯一の欠点は大のラーメン好き・・・ことに故郷の博多とんこつラーメンには目が無い。
 町中でのお昼時に「とんこつラーメン」の看板は決して見逃しません。
  ここは福岡ではありませんので、必ず食事後「あれは看板とは違って福岡とんこつラーメンとは言えない」とぼやきます。
 「そりゃそうですヨ、ここは福岡では無いのだから」と言いたいのを我慢。
 このオジサンともかくラーメン好きで、昼時になると「今日はどのラーメン屋にする?」と聞いてきます。
 要するに私には「ラーメン屋以外の選択肢は無いのか!」と言いたくなるわけで、この状況では必ず抵抗します。
 「ではラーメン屋に送って行きますから、時間を見計らって迎えに来ます」・・・と言う事で私は別の食堂か、あるいはコンビニ弁当。

 カップ麺1個でいろいろ思い出す。
  ともかく年に1度のカップ麺。
 雨が降っていて外に食事行くのもおっくうだし、何か食べたい物を作ろうと言う気力も無いし材料を買いに行く気力も無い。
 要するに無気力状態のカップ麺。
  実はこうなることを予測し・・・天気予報から雨になることを予測し、多分疲れている事もあって無気力状態になることを予測し前の日の仕事帰りに通りがかりのスーパーでカップ麺を買って置いた。
 用意周到と言うか読みが深いと言うか・・・そこまで読めるのなら他にも活用しそうなものですが、なかなかそうはい来ません。

インフル急接近中!

2009-11-26 00:42:48 | Weblog
 ニュースでインフルワクチンの幼い子供への接種を前倒しにして進めるとか、○国製のワクチンに副作用があったとか、何だか緊迫感が・・・。
 イヤ、前から緊迫していて、尚且つ自分だって重篤化すれば相当危ないのに他人事見たいで鈍かったとは思いますが、気がつけば”切迫”という感じでしょうか。
 女房殿が務める学校でも5クラス学級閉鎖、私の仕事の同僚の子供が通う学校でも学級閉鎖に続き、彼の子供がインフルエンザに感染。
 何だか戦況報道みたい。
  しかし、実際に小さな子供が感染したら大変ですね。
 私も子育て中に子供が病気をすると大変でした・・・というより女房殿の実家の両親の方が大変だったかも知れませんが。
 子供が熱を出すと保育所などでは預かってくれない・・・これが仕事とはいえかなり事務的で「37.5度を越えたのでお引き取り下さい」みたいな返品通知?。
 こちらは共働きなのでパニック寸前。
  例えば朝女房殿の実家に「SOS」を打電すると北関東の県から義父が午後には駆けつけてくれて、数日で義母と交代。
 こういう援助が無くてはピンチの時は子育ては大変ですから、私達はまだ良い方だったのかも知れません。
 それに娘にヘルペスという診断があった時などは病院の医師に「自宅療養でも構いませんが家では我儘が出るし、ご両親の仕事も大変でしょうから入院しても良いです」という事で随分助かりました。

 今回のインフルエンザでは本当に困りますね。
  重篤化しては困りますが、仮に感染した場合の体勢。
 共働きの若い夫婦で親戚が近所に居ない場合、周りから援助を期待できない場合約1週間は最低夫婦のどちらかは仕事を休まざるを得ない。
 これは仕事より大事、でも仕事にも影響が出るのがつらい・・・デスクで進めているようなものは多少の遅れは何とかなる場合もあるし、場合によっては家のパソコンでやることが出来るものもありますが、これが対外的な仕事で相手と約束をしている物については非常事態。
 これは出勤している人間でフォローしていきます。
  こういう状況ですから、これは皆で助け合っていくしかない。

 私にとっての影響は今のところ
  これまで週1日だったフィールドワーク的な仕事が週1.5から2回に増える・・・ウォーキングという健康的ではあるが私の苦手種目?が増えるので疲労は増加傾向・・・これを乗り切れれば健康に近づく?かもしれないが、疲れるので筋肉痛はともかく帰宅後のネット碁で観戦中居眠りが増加・・・ネット対局は減りそう。
 何だか「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話ですが、この桶屋って「棺桶屋」でしょうから一首のブラックジョーク的な落語です。
 しかし、「基礎疾患がある人は重篤化しやすい」あるいは「重篤化したら危険」という警鐘と、「年齢が高いと罹りにくい」という楽観。
 さて私の場合どちらに転がるでしょう。
 イギリスなら保険代わりにブックメーカーで賭ける手もあるかも。
 
 子供時代クラスの数人がインフルエンザに罹り、且つ自分は罹らずに学級は閉鎖されると喜んだところがありますが、今回はそんな呑気なことは言っていられないでしょうね。
 それでも、重篤化しない程度に・・・イヤそこが危ないですね。
  重篤化しやすいと警告されているのですから。
 尤も現在持っている年休が先日確認したらあと34日分ある・・・これってまさに絵に描いた餅ですが、逆にこれを少しでも使わないうちには倒れるわけにはいかないって変なところでファイトが湧いてきます。
  仮に30日くらい休暇が取れたり、あるいは取らざるを得ない状況で、その状況でネット碁をどれくらい打てるでしょうね。  
  打ちまくることが出来れば1日5局だとすれば150局?、いやヤッパリ1日1局のような気がします。
 ネットに接続できる病院があれば良いのに。

秘湯の話

2009-11-25 03:06:42 | Weblog
 これはTVでやるような人里離れた山奥の温泉では無いので、期待して読んでくれる方には”ごめんなさい”です。
どちらかと言うと「東京駅温泉」のような話題とか、都内温泉巡りみたいな感じでしょうか。
 おらが町の温泉というか、隣のご町内の温泉、田んぼに囲まれた・利用者は老人中心の温泉、建物の外観は例えて言えば銭湯付き公民館・集会所で公営なのか民営なのか定かではない。
 ”温泉”を名乗っていたのだからきっと温泉だった筈です。
 先日来生まれ故郷のネタで思い出すことが多かったのと、TVの「秘湯ネタ」がクロスして、記憶の底に沈みそうな事を思い出しました。
 秘湯では無いのですが、そこにあるのに人に知られていない存在の温泉の話です。
  法律的な解釈で、温泉の泉元で摂氏25度以上、そして温泉成分が何か一つ以上含まれていたのかどうか?・・・どうも子供時代の記憶なのではっきりはしないのですが、”ぬるい”という噂は聞いたことがあるから温度はギリギリクリアーだったろう・・・名前に堂々と?温泉を名乗っていたので、多分ではあるが成分条件もクリアーしていたのだとは思います。
 田舎の老人会館風で宿泊施設はありませんし、外観からも単にお風呂に入って休憩するだけのように見えます。

 東海道本線線路脇近くの道路から少し見下ろす場所、周囲が田んぼで囲まれているような場所に、保育園というか公民館スタイルの建物がありまして、これが「峯温泉」という名前。
 もしかしたらネットで調べれば分かるかもしれないと思いましたが、流石にネット検索も万能ではありませんでした。
  ネット検索すると”みね”が峰になった峰温泉で出て来るのは伊豆河津の峰温泉のみで当然そこでは無い。
 現在どうなっているのか不明ということでしょう・・・存続する可能性は低いし、万一残っていても「人に知らせるほどのもの]では無いのかもしれない。
 私が子供の頃・50年前でも超マイナーだったのですから。
 
 この温泉のある場所の地形が何で「峯」なのか子供にも理解しにくい。
  私が高校を卒業する以前にはここには静岡鉄道の路面電車がありまして、一部分で国道1号のセンターラインを走り、国道が清水駅前で直角に静岡方向に曲がる所から国道から分かれて電車は直進して清水港方面へ向かっていました。
 一方の反対側は東は西久保というところで国道と分かれて海沿いを袖師・横砂という海辺の町まで。
 国道と分かれる地点が西久保という停車場で次が愛染町・ここはもう旧清水市では無くて町名は同じですが庵原郡になります、その次が「峯」、ついでに路線案内をすると「鈴木島(すきじま)」、「袖師」、終点「横砂」(蛇足ですが横砂には母の兄のいえがあった、それとここのお寺の保育園に私は電車で1年間だけ通いました)
 
 子供ながら峯という文字の意味は分かっていたので、電車の線路より低い場所なのに何故「峯」なのか分かりませんでしたし、加えて田んぼの中の温泉。
 きっと「田んぼ近くにぬるま湯が湧くような泉があって、そこを塀で囲ってお風呂にして農作業の後に利用した」のではないかと想像出来るような景色です。
 この辺りの地形は、町の裏山・北側(と言っても海抜で1000m近い山もあります)から平地が続いて海に接する。
 これが山から平均した角度の坂で海に進むのではなく、急に下った後なだらかな坂になり、海の近くで2回くらい凹凸が出来る・・・この凸部分に海に並行して旧東海道があったりして、凹の部分は溜池であったり水田、ハス田になっていますが、温泉はまさにこの凹の部分。

 家から自転車では10分もかからない距離なんだけれど温泉には入ったことは無い。
 たまに通りかかっても高くなっている道路から建物を眺める程度・・・。
 当時の姉の話では近所のお年寄りが利用しているのだとか・・・きっと時代が違っていれば、営業目的で利用しようとする人が出てきたかも知れないのに、当時はそういう時代では無かったのですね。
 今は・・・こっち方面は清水港の規模が拡大して、こういう計画の地区内に取り込まれてしまっている筈です。
 それに温泉としての利用が続いているのなら、昔みたいにひっそりと続けているとは思えないのだから、名前が聞こえてこないと言うことは消えてしまった可能性が高い・・・しかし。
 名前は消えても、水脈・温泉の脈はどうなるのでしょうね・
  最低でも汲み上げて利用しないといけないような気はします。
 ともあれ秘湯=ひそやかに存在していたお湯でした。

3年目で成功

2009-11-24 00:10:41 | Weblog
 現在三連休の三日目の最終日で金曜日の夜からのネット碁の成績は2勝2敗。
  成績はイーブンで、対局数はいつもより多い。
  この1年の平均が1週間で4局でしたから、いつもの倍のペース。
 誤解が無いように説明しますが、所謂長考派という事で対局数が少ないわけではありません。
 着手そのものはむしろ早いかも知れません・・・イヤ、あ早い時と時間がかかる時がありますが、マア時間という条件で対局数が少ないのではなく、続けて打てる精神的身体的体力が不足しているような気がします。
 尤も、いつも出入りしている碁会所などのリアルだと、ネットほど消耗しないような感じはあるのだから不思議。
  リアルの方がつかれそうな気はするのですが、そうでもないのかも・・・。
 馴染みの碁会所に出かけたなら、多分4、5局くらいは打つような気がします・・・午後2時くらいから夜8時頃までいるのなら6時間は碁会所に居るので、相手を変えながら打てる(これは単に支払った席料を取り返そうなどと考えているわけではありません、気持ちが乗らなければ1局で御仕舞にすることもある)。
 これがネット碁ですと、相手の数はもっと多いのですが、碁会所みたいなアイコンタクトのような、阿吽の呼吸みたいなものが無いのでスムーズに行く時とそうでない時があるような気がします。
 碁会所なら一局終って一区切りついたところで、隣でお茶を飲みながら観戦していた人が「では、いきますか?」「お願いします」で解決しますが、ネットですとそこがやや面倒です。
 「対局待ち」のリストに自分をエントリーするか、既に載っている人と対局するか・・・これが、名前は知っている相手とはいえ、顔も性格も分からないわけで、常に事務手続きをしているような気がして、やや身構えた感じが残ります。

 このオファーとエントリーの二種類って、囲碁を打ちたいと言うのは同じだけれど、少し違う行動パターンかもしれません。
 ① 募集型エントリータイプ
  自分の対局条件を示して、それで条件の合う人はいませんか?という感じ
  先行タイプというか、釣りで待ちの感じ。
  これで「誰でもいいですよ」って言う感じもします。
 ② 応募型オファータイプ
  掲示板の名前を見て、少なくとも「この人となら気持ちよく碁を打てるに違いない」という判断はできるし、相手を選択する作業は出来る。
  ということは応募型の方が多少有利な感じはある・・・そういう意味では囲碁の勝負は五分五分とはいえ、条件を考えると本当に五分かどうかやや疑問。
 だから募集型で勝った時と、応募型で勝った時は多少の評価が違っても良さそうな気がするのだけれども・・・細かすぎるので事務的にも処理しにくいので切り捨てざるを得ないのでしょう。
 碁会所の場合はそこに居ること自体がエントリーみたいなものですから、アイコンタクト・素振り・挨拶がオファーになるので、その辺のスムースさが違うのと、相手のことをお互いによく知っているという安心感の差ですね。

 ところで23日(祝・月)は千葉国際駅伝がありました。
  我が家の近くを選手が走って行きますが、TV中継と違って生のスピードは違います・・・あっという間に通り過ぎて行きます。
 選手の足音、息遣い、それにこの臨場感というかスピード感がTV画面とリアルの違いですね・・・時折歩道を自転車で必死に並走したり選手と並んで走ろうとする人がいますが、TVで見るとおかしな感じですが、心理としては分かるような気がします。
  さて、我が家ではこの駅伝の時に恒例の・・・
 TV中継を見ながら、タイミングを見て女房殿が息子に「そろそろ行くよ」と声をかけます。
 もっとも息子は性格は私に似ているらしく「行くってどこへ?」と言いながらもコタツから出ません。
 「ほら、もうすぐ駅伝が通過してしまうでしょ」
  「通過したっていいじゃない。それとも中継に映りたい?」
 そうなんです女房殿はコース脇の歩道で応援・見物をしながら、中継に映ることを期待しているんです。
 映ったからってどういうことも無いのですが、マアそういうゲームみたいなものでしょう。
 心理としては中継カメラに野次馬がVサインを出すようなもの?
 一昨年は、丁度先頭が家の横を通過しようとした時にTVコマーシャルタイム。
 昨年は、タイミングはよかったのですが、ここでは選手の足の映像。
  それが 今年は一瞬ではあるが、先週の通過の時に歩道の最前列で道路に首を出して左右に首を振るオバサン!。
 コートの色・背格好からして今年は成功したらしい・・・それにしたってあれを見て分かっているのは私しかいないのに・・・良い年して。
 時間にしたら1秒の半分くらいか・・・。それでも成功らしい。
  3年目の快挙の割にあっけない話。

勝手に囲碁ラリー

2009-11-23 00:22:42 | Weblog
 この間1年余りの間にネットで対局したのがほぼ200局で、対戦相手は先・互い先・向こう先に限定すると96人だっという話を書きました。
 今日、ネットに接続して接続者リストを見ていて気がついたのですが、(当然あり得ることですが)過去に対局しているけれどこの1年では打っていない人も多い筈・・・先日の96人以外の人がリストに出て来るのですから。
 打たなかった理由はいくつかある。
  私の対局数が減っている事が一番大きな理由。
 二番目はお馴染みだった人が上に行ってしまったり、下に行ってしまった場合も打つ機会が減ります。
 私の対局条件としては時間の方は「45分タイプ」と「30秒+10分の早碁タイプ」のどちらも打ちますが、対局相手は通常「上は先まで、下は2子局まで」としています。
 たまには私が2子置いて教えて貰ったり、3子置かせることもありますが、マアこれは例外で、私に関して「真剣な碁且つ楽しく打てる範囲」は前に上げた条件というところです。
 3子になるとややもすると苦しみの方が多くなって来るような気がする・・・勝敗に拘らず「指導碁」的な割り切りが出来ればそういうことはなさそうですが、「なかよし棋院」対局以外は全て点数に影響があるので勝敗にこだわらざるを得ないところがある。

 話は以前打ったことがあるのにこの1年では打たなかった人・・・殆どは偶然ですが、中には私が避けたところもある。
 以前互い先の対局をしたことがある人が、点数の変化で向こう2子になっていた場合・・・その人にとっては条件が変わったのですからそこで勝ち星を稼いで互い先に戻る過程だと考えるとは思うのですが、私の方としては『これは打てない』と逃げ腰になるのです。
 冷静な判断とも言えるし、ある意味で卑怯な態度なのかもしれないのですが、打つ前から気持ちが負けていますから対局出来ない感じです。
 逆に以前に向こう2子で打ったことがある人が互い先になっていたり、向こう先がコミ貰いの先になっていたりすると、これは『お手並み拝見』という感じでオファーを出しますから相当自分勝手なところがあると自分でも思う。

 さてネットでは相手のお名前と在住している都道府県が分かります。
  ふと気になったのですが、ネットですから北は北海道から南は沖縄までの方と対局できるわけですが、では実際には全ての都道府県の人と打っているのだろうか?・・・どうでも良いことなのに、気になると調べたくなる癖があります。
 対局者リストに県名も出ていますからどこの人かは分かる。
  それでよく対局する県は自分の住んでいる県、出身の県の人・・・これが不思議ですが何故かそういう傾向がある(私だけかも・・・)。
 もっと会員密度に比例しそうなものですが。
  ところで、何かの催しとかキャンペインでスタンプラリーというものがありますが、もしネット碁で都道府県ラリーというものがあったら。
 地域の人口密度、このネット会員の密度に大きな差があるだろうし、会員がいても対局範囲の持ち点でなければ対局は実現しないので、全ての都道府県スタンプを獲得するのは難しいかもしれませんが・・・ともかく現時点でどのくらいスタンプ?があるのか調べて見ました。
 これは人口密度も影響しますが、たまたま参加している会員と同じくらいの点数という偶然性もあるようです。
 北海道は多いようです・・・東北では山形の人とは打っていないようです。
  福島はネットの事務局があるせいか相当会員数が多い県。
 関東甲信越はクリアー。
  和歌山と奈良県がまだ空白。
 島根と四国は徳島がまだで九州は完了。
  すると、あと5県。(らしい)

 ”らしい”というのには訳があります。
 古い会員名簿がありまして、私はこのネット碁に参加した頃にはこの名簿に対局結果を○×でメモしていました。
 で、名簿には県市まで載っていますからどこの方か分かります・・・但し私もそうですが名簿が出来て以後の会員は載っていないので自分で名前を追加していきますが県までは記載しませんでしたので、どこの方かは分かりません(調べればある程度は分かるとは思いますが)。
 ですから前に挙げた5県の人もいる可能性はある。
  ともかく分かっている範囲では後5県ということです。
 その、名簿には会員ナンバーが出ていまして・・・会員ナンバーの頭の数字は都道府県ナンバーで始まるので、01から47までが頭の数字。
 会員密度で差がありますが全部揃っていたので、後は対局条件が合って、上手く出会える事ですね。
 完全制覇?出来たら、こういうことに賞品というか記念品は無い・・・でしょうね。
 何だかアマチュア無線の世界ですが対局するとお互いに記念のハガキを交換したり・・・今のネット通信の時代にそんなことをするわけ無いか。

 ところで過去1年余りで96人と対局しましたが、例の名簿で対局相手の人数を拾ってみると・・・3年半くらいの期間ですが、326人と対局していました。
 中には置き碁もありますので、それを除くと概ね300人くらいでしょう。
  1局だけのそれこそ一碁一会の人もいれば、Mさんみたいにその間に30局以上打った人も含めて、ともかく300人と打っていました。

 
  

故郷の囲碁情報

2009-11-22 03:08:49 | Weblog
 今実名ネットで碁を打っていますが、時々同窓生と同姓同名の人などに出会います。
 高校の同窓生が3人・・・二人は故郷の県、一人は隣の県在住。
 それに小学生時代の友達のお兄さん・・・この方も故郷の県在住。
 大学時代の同窓生・・・これは彼の出身県在住、それに大学時代の後輩。
  顔を見ていないし話もしていないので、私の勝手な思い込みという事で、みんな単なる同姓同名という可能性は極めて高い。
 そうかもしれないし、もしかしたら本当に彼らかも知れない可能性も0では無い・・・という事で、もしかしたら”そう”だったら楽しいかなとは思っています。

 ところでNHK囲碁講座12月号を買ってページを開くと梅沢さんと愛犬の写真、冒頭にインタビュー記事が出ていました。
 「東京を離れて暮らして・・・」って静岡だったのですね・・・マアそれだけのことですが、「のんびりすることを覚えました」ってなんだか嬉しくなる。
  私の出身県は現在住んでいる千葉と並んで「のんびり」人間の国らしい・・・だから高校卒業後にこの県にやって来て住み着いてしまうことが出来たのかも知れません。
 個人的な判断ですが「ノンビリ度」は[東京]<<<[遠江]・[伊豆]<[駿河]みたいな段差があると思っています。静岡って大昔「駿河」「遠江」「伊豆」の3つの国だったので、同じ県でもお国柄的な気性に違いを感じるところはあります。
 東海道の3分の1が静岡だそうで、横に広いですし、間に大井川と富士川に区切られて3つに分かれているような感じもします。
 目に見える川で何か地域性を感じてしまっているだけかもしれませんが・・・
 
 囲碁情報では出身地の静岡・清水の情報は少ないのですが、同じ県の藤枝囲碁サロンのHP・ブログはよく拝見します。
 旧清水市と藤枝市では離れているので、知っている人の名前が出て来ることはありませんが、それでも記事が気になるのですから不思議です(清水の碁会所のHPが見当たらないですし)。
 今回の記事は静岡のアマ棋戦情報で、県下各地での予選のスケジュール紹介。
  清水区・庵原地区:辻公民館・1月31日・・・住民では無いし参加資格は無いでしょうがここは私の出身地なのです・・・さてどんな人が活躍するのか?・・・もしかしたら知っている人がいるかも?・・・。
 故郷にいた頃はこういう名前の公民館は無かったように思いますが、きっと辻町のどこかに出来たのでしょうね。
 私はここの辻小学校出身(旧および旧々東海道と秋葉神社の参道が交差するので辻という地名がついたのだと思います)。
  そう言えば、囲碁とは関係のない話ですが、漫画では清水は「ちびまるこちゃん」の故郷で、作者とサッカーの長谷川健太監督とは同級生だったことで有名ですが、もうひとつ「キャプテン翼」モデルの少年が活躍したのがこの辻小学校なんです。
 私とはかなり世代が違いますが・・・

 さて、今年は正月に田舎に帰って見ようかな。
 いや、大会に合わせて覗きに行くのも良いかもしれない・・・
  兄姉たちへの年始回り・両親の墓参りより、帰る目的がしっかり?している。
   仮に大会の日に帰ったとして、兄の家は辻町の隣の町内、、、でも泊るのは二人いるどちらの姉の家の方が気楽。
 全く、先の話でアレコレ・・・鬼が笑うと言うか落語の若旦那の世界です。

1年で96人

2009-11-21 00:34:25 | Weblog
 最近は仕事から帰って、一息入れたらネット碁で一局というパターンが増えているような気がします・・・これはもしかしたら仕事のストレス対策で、本能的にそういう風に仕向けているのかも知れません。
 本当に疲れきってしまえば当然出来ませんが、一日何やかやと忙しくてせわしない日、逆にチト暇を持て余して不完全燃焼な日、こういう時はストレスがたまるようです。
 要するに程々に忙しくて、気持ちよく仕事疲れの日などはそうは無いでしょうから、ほとんどの日はストレスディということになりますが、水曜日は仕事では無いので最大でも週4日という事でしょうか。
 
 ともかく、家に帰って落ち着いたら、夕食前にネットで1局というイメージです・・・と言うと、相当に対局をしていそうですが、実はネットで打っている人のなかでは少ない部類かも知れません。
 今日、一局打って棋譜倉庫で其の棋譜を確認しまして、、、
  対局後はその対局室に留まれば棋譜は自由に戻したり、別の手段とかヨセ方を変えて地合い計算をするとか出来ますが、幸いに勝った碁の場合にそこに留まっていつまでも再現・研究などをしているのは相手にとっては良い印象では無いような気がして、これは一旦退室して自分の棋譜倉庫で行うのです。

 たまたま、古い順に並んでいる、残っているうちの一番古い碁は昨年の11月2日の碁でした。
 (許容量が200局足らずで、新しい棋譜が入ると古い順に消えて行く)
 ということは1年余りの間に約200局ということです。
 自分では1日1局くらい打っているつもりでいましたが、実際は1週間で4局くらいのようです。
 それで、自分としては何人くらいの人と打ったのか調べて見たくなりました。
  本当に興味本位というか、単なる好奇心です。
 しかも調べる手段は、人的労力のみ。
  昔むかし、勤め先のパソコンの担当者が私に「パソコンと言っても力仕事専門だから・・・」と私をからかったように、パソコンの機能を活かす技術は無いので、ひたすらデータを人的労力でピックアップ。
 マアそれでも200に満たないデータ量ですから・・・
  逆に興味が湧けばそういう労力を惜しまない性格ではある。

 結果はこの一年余りの間に96人の人と対局(置いたり置かせたりは除外)。
  先番・互い先・白番の碁で180局打っていました。
 この間7局打った人が2人、6局1人、5局4人・・・
  たくさん打っていると思っているような人でも2カ月に1局くらいなものでした・・・碁会所などでは顔を合わせる度に対局するようなところがありますが、流石に会員の絶対数が違うのですね。
 観戦はしていますが打っていないとか、リスト上では名前を知っているけれど対局していない人などいますし、すれ違うことも無い人もいるかも知れませんし。

 それと、「帰宅してすぐ囲碁を打ちたくなる」と書きましたが、休みなどで家にいる日に意外と対局数が少ない気がします。
 それに、「打ちたくて」対局するのですが、2局目が無い・・・要するに続けて打つ体力的・精神的スタミナが無いのかも知れません。
 性格はかなりしつこく粘るところもありますが、スタミナは無いのかも。
 
 
 

対局中断提案「武士の情け?潔さ?」

2009-11-20 00:09:15 | Weblog
 今日は12月並みの寒さだとか、加えて冷たい雨の中1日中所管地域の事務所を訪問していたので、寒さに凍えるやら疲れるやら・・・仕事をしてうればそういう日もあると諦めるしかない。
 帰り道は、雨合羽着用と言うほどの雨の量では無いが、傘を指して自転車で走るのは法律上も違反だし、安全性という面で問題。
 転倒事故などで自分が怪我をするかもしれないし、すれ違う人が危険かもしれません・・・そうでなくても帰る時間は薄暗くて見通しが悪い。
 という事で、防水の利いた帽子と、撥水スプレーをした防寒兼用上着とオーバーズボン。
 見た目は濡れ鼠一歩手前”うすら寒い”けれど見た目よりは雨に強い感じです。

 家に着いて、火の気がないのでデロンギで部屋を暖めながら着替えをして、ベッドへ。
 コタツもあるし、エアコンもあるのだけれど、何故かベッドへもぐりこみます。
  見た目も生活態度みたいなものが我ながらだらしない感じはするのだけれど、自分の体温の暖かさ、ぬるま湯的なこの暖かさが好きなんです。
 機械ではこのような丁度良い加減の暖かさにはなりませんから、家族以外の目には触れ無いのを良いことに・・・
 ですからこういう日は「夕飯コール」があるまでは自分の部屋に閉じこもることになりますから、やることは本か雑誌を読むかパソコンでネット碁を打つか観戦するか2託。

 ネット碁で、対局待ちリストを見ると未だ打ったことが無い人がエントリーしています。
 メンバーリストを見て在住県を確認(殆ど意味がないのですが)・・・県によって苦手があるような気がしていまして。
 そして彼の対局成績を見ると過去に2000局くらいは打っています。
 私が1600局を越えたくらいですから、お互いにこれだけ打っていてもこれまですれ違っていなかったということですから不思議、、、活動時間が重ならなかったみたいです。
  なんとなく打ってみたくなってオファーを出したのに対局とはならない・・・私の対局条件が間違っていました。
 彼はサンサン棋院条件ですから持ち時間45分設定、私の対局条件は早碁のみになっていました・・・という事で二人は対局希望者リストですれ違い。
 失敗に気づき訂正をしようとしたところ、私の条件で対局者が来ましたので、その方と対局決定。(このネットでは自分の対局条件で対局者からオファーがあった場合棄権負け以外は拒否は出来ません)
 今まで相手の方の方が対戦成績がどういうわけか良い筈ですが、点数が下がっていて今日の対局は向こう先白5目半コミ出し。
 局面はどうという事のない進行と言いましょうか、私としては中盤の終わりころには少々優勢を意識していました。
 多分盤面で10目近く良い筈・・・ですからコミを差し引いても残る筈。
  ここでちょっとした異変が起こりました。
 黒さん・ネット接続が中断→復旧して対局再開。
  対局進行の中で3回は繰り返しました。
 そして相手から「対局中断提案」・・・これは全く「!!」
  もしかしたらその地域の回線の具合が悪い可能性はある、又はパソコンの調子が不具合?・・・しかし・・・仮にそういう状況だったら「中断提案」をするだろうか?
 私だったらしない。
  たび重なる中断で相手に迷惑をかけているとしても、その度に急いで復旧して対局室に戻る努力をするだけです。
 仮に運悪く復旧に時間がかかり過ぎて時間切れアウトになったとしてもそれはその時の事です。
 それに何かの不都合が生じているとしても、ここで中断提案を出来るのは余程大差でリードをしている場合のみだろうと思う・・・心理・心情としてはそうだと考えるのですが。
 一方で、相手がもしも本当に困った状況に陥っているのなら、中断提案を受け入れるのが「武士の情け?」かもしれない・・・しかし、こういう時は「潔く?投了」でも良さそうなのに・・・
 中断提案を受けた側としては結構気持ちが揺れます。
  受け入れないのは「嫌な奴」の烙印を押されそうな気まずさがある。

 しかし意を決して「断固中断提案拒否」
  対局は進行しその後も2回中断・復旧がありそして再度の中断提案。
 そして再度拒否。
  その後は何故か最後までヨセが進んで、終局し地合い計算で白3目半勝ち。
 「この結果で良いですか?」の確認に「OK}を出したのですが対局相手は納得できなかったらしく「対局再開」・・・ということは黒さんは「黒有利」という状況判断で「中断提案」をしていた可能性はある。
 そして、盤面は終局の場面で黒投了。
  
 さて中断提案に、自分が負けそうな対局だとしても今まで「OK」を出したことはありません。
 融通が利かない性格でもあるし、一旦始まった対局を途中で止めることが出来ない性格でもある。
 受け入れないと性格が悪いと思われるかも知れませんが、それでも出来ません。
 

国際戦

2009-11-19 04:02:42 | Weblog
 稲葉さんのブログで国際的な囲碁大会の写真を拝見しました。
  ペア戦の大会ですが、それぞれの民族衣装で対局というのが良いですね。
 囲碁+アルファーの楽しみがありそうです・・・参加している当事者は勿論、見る人も楽しい気持ちになると思います。
 ところで国際的な対局と言えばネットで珍しくは無い。
  私みたいなザルだってパンダで打っていた時はアメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、ブルガリア、などの欧米の人とも打ったことはある。
 当然韓国、中国初めアジアの人とも打っています・・・但し北朝鮮からのオファーには「何故この国の人がオファー出来るのか」不思議なので申し出を断ってしまいましたが。
 タイゼムでは専ら韓国、中国。
ネット碁の場合は、挨拶分の交換以外は両者の棋譜への書き込みが戦いなので、囲碁的な交流ではあっても、人的な交流とは言えないところもある。
 ともかく一昔前とは違って、外国に出かけなくても国際的な対局だけならば出来るのですからまさに隔世の感がある。
 ネットは凄いの一語。
 リアルだとこうは行きません。
 私の場合は記憶に残っているのは一局だけかもしれません。
 碁会所の会員でドイツからやってきた人とかなりの数を打ちましたが、奥さんがドイツ人ですが彼本人は日本人でから、国際的かもしれないけれどちょっと違う気がします。
 ”やって来たのではなくて”帰って来た”。
 碁会所に外国の人が遊びに来たことはあります。
  彼はバックぱっカースタイルだったそうですから、節約して日本へ旅行してきたのでしょう・・・その時はタイミングが悪く私は対局出来ませんでしたし・・・
 マイケル・レドモンドさんが参加してくれた碁会に参加したことはありますが、指導は受けられませんでしたし(もっともこういうのは国際戦とは言わないでしょうが)
 唯一正真正銘の国際戦・・・親善対局という名目の当方としては真剣な対局です(相手にしてもローカルな素人には負けられないでしょうが)。
  アマ選手権の終った後の地元愛好家と外国選手の親善対局。
 今は外国選手のレベルは相当なものがあると思いますが、昔は東アジアの選手、アメリカの東洋系市民、ヨーロッパでも昔から囲碁愛好家がいる地域以外は相当レベルにバラつきがあった時代です。
 『囲碁発展途上国の選手と対戦させて頂ければ、比較的気楽に親睦対局が出来そう』だと思って、参加希望のハガキを出しておいたらラッキーな事に当選して、参加させて頂きました。
 対局の組み合わせは地元チームの責任者・監督(K畑先生のお師匠さんに当たる人・私から見ると間接的に大先生が組み合わせを決定。親善試合なのに対抗戦形式で勝敗を争うのだとか・・・従って監督としては参加選手の力量を考えて、結果を予想しながら対戦相手を決めて行く)
 私の相手は・・・ヤバイ。(作戦上の配慮!?・・・いえ、”親善”ということを強調しつつ”捨て石”。監督としては知りあいにしか出来ないかも?・・・)
 でも余りに強い相手なので、実質的に親善・親睦にならない恐れがあります。
 その大会は優勝が日本選手で、私の相手は準優勝の韓国の選手!
  会場に入って、体全体・事に背筋に寒気を感じました・・・血の気が引いて行くような感じです。
 対局寸前には下半身に軽い震えが・・・(マア普通の大会でも1局目の始まりはフルエが来ますが)。
  そしてオール互い先なので、握りで白番!!
 結果はご想像通りでした。

 それから長い年月が経ちましたが、出来の悪かった碁の内容は鮮やかに記憶に残っています。
 出だしはポピュラーな形なので今でもその布石を打つこともあります。
 黒小目、白小ケイマかかり、黒2間高挟み、白2間トビ、黒2間ヒラキ、白小ケイマかけ、黒出切り・・・
 そこからの変化で、相手に弱点を咎められ序盤で劣勢になりました・・・
  アマの高段者であり、その大会に優勝したら一気にプロも目指しそうな勢いのある人にコミがあると言っても白番ですから、見事に潰され・自分でも潰れてしまいました。
 それ以後もこの定石を打つ機会は多いのですが、未だにその時の韓国選手とのような形にはならないのです・・・これは不思議ですね。

 楽しそうな国際対局の写真を見ても、真剣なタイトル戦を見ても、自分の「投げ時のみを考えていた対局」を思い出してしまいます。
  

勝っても味気ないもの

2009-11-18 03:34:05 | Weblog
 今日は出がけからついていない感じでした。
 週に一度息子と同じ時間に家を出る日・・・私は自転車で職場へ向かい、息子はバスでJRの駅に出て東京の教室で勉強する日なのです。
 よく親が息子と一緒に杯を交わすの楽しみにするという話はありますが、私の場合は完璧な下戸なのでこの種の楽しみはありません。
 こういうことを拡大解釈して、大人になって一緒にやれる、同じ楽しみという事にすると、先ほどの一緒にバス停まで歩くとか、サッカーについてあれこれ話をしたり一緒に観戦(スタジアムおよびTV観戦)くらいです。
 まあ、たまには外で一緒に食事をしたりはしますが、家で作るのが面倒なだけで、楽しむためではないようなので、これは除外します。
 ともかく朝一緒に家を出る日。

 これが丁度出かける頃に雨が降り始めました。
 それまでは少し降ったり、止んだりでしたがとうとう本降り。
 という事で寒い朝、雨の朝となりました・・・当然別行動です。
 それが一日続いて勤めの帰りも雨・・・しかもかなり寒い。
  それでも風があまりなかったのが幸いだったかも知れません。
 もしも向かい風が強ければ、自転車は進まないし、カッパ着用でも唯一顔は出ているのでやはり寒さを感じる。
 ともかく、いつもと違って何処にも寄り道せずに最短距離で帰宅しました。
 しかも、いつもなら他の人に追い抜かれてばかりいるのに、今日は追い抜かれたのは一人だけで、逆に4,5人追い抜いたのです。
 体調が良いとか、足の筋肉がついたとかでは無くて、寒くてゆっくり走れなかったので早く走ったと言う事でしょう。
 まあ実態はそんなところですが、体をいつもより活発に動かしたことで、いろいろテンションが上がったらしく、帰宅して着替えを済ませてすぐにネット碁に接続しまして・・・。
 対局待ちリストを見ると、高校時代の友達と同姓同名のMさんが載っています。
  名前が同じなだけで実際はどうか分かりませんが、故郷の県の隣の県の在住となっているので可能性は0では無いでしょうし、同窓生のM君なら高校生時代から落ち着いた雰囲気があって、人当たりが穏やかで、なんとなく囲碁を打っていそうな雰囲気はある。
 尤も、囲碁を打つ人が皆穏やかで優しいかどうかは断言出来ないので、この点は根拠薄弱・・・まあ都合が良いように解釈しています。
 
 概ね同じような点数ですが、今日は彼の方が5点上になっているので私の先でコミ1目半出しで、早速対局ボタン。
 ところが、、、彼の対局準備が整わないらしい、あるいは急用とか、突然具合があるいのか?。
 挨拶コメントを送ったのに返信が無く一方的にスタートする始末、、、2,3分後にネット碁に遅れて着席。
 ともかく間に合ったと言う感じ。
 ところが私が1手目を右上星に打ったのに対し、彼は初めから大長考?
  ここで考えるのはプロでもあまりないでしょう。
 それに1手30秒+考慮時間合計10分の早碁ですから、もし中盤過ぎに考える時間が必要な戦いになったならば序盤での時間の消費がこたえる筈です。
 考慮時間が3分を越える・・・
 『もしかしたら遅れて着席した分、自主的にペナルティを課している?』・・・そこまでする必要は無いのに。
 やがて4分を越えて白の反則負け。
  私は初の反則勝ち・・・1手打っただけで。
 『これって、サービスでは無いですよね?』
 古いパソコンを使っていた頃に、パソコンの調子とか回線の不具合で反則負けになったことは何回かありますが、勝ったのは初めて。
 でも、これは嬉しくも無いですね。
 勝ったと言う実感がない。
 それに意気込んでネット碁に接続して、打ちたかっただけにチョッと外された感じ・・・まあそれでも勝ちを辞退はしませんが・・・。
 一旦対局室を出て接続者リストを見ると彼の名前は載っている、、、しかも対局室にいることになっている。
 対局室、私と打っていた筈の対局室?
 対局室リストを見ると確かに彼の名前が残っています・・・ということは、どうやらパソコンの故障か何かの回線不具合があったのかも知れません。

 さて、勝ったことは勝った、と言っても当然囲碁を打った満足感は無し。
 さりとて対局意欲もはぐらかされた感じ・・・さてさてブログの下書きをしたら本でも読むことにします。

殆ど徒労?

2009-11-17 00:02:00 | Weblog
 日本棋院が本気になって(今でも真剣では無いとは思いませんが)アマチュア向けサービスを行えば、小さなネット碁などは相当営業的に押されるに違いないと想像はしています。
 何といっても参加する会員の数が多い方が、打ちたい時に待たされることが少ないだろうし、いろんな人と打つチャンスがあるの利用者にとっては便利な筈です。
 それにプロの碁に関しても、なんといっても棋院はプロの本家なわけですし、そういう意味でも日本棋院関係のネット碁が一人勝ちになっても不思議ではない・・・そうならない方が不思議な感じです。
実情は?
 ① それほど本気とも言え無い
 ② 本気ではあるが、ネットの利用価値を低く見ている
 ③ ネットの利用の仕方が下手
 ④ 公的機関が民間を圧迫しないように配慮している分及び腰
  さて正解はあるのだろうか?現実はどうなんでしょう?
  私などは今属しているグループの将来がどうなるのか多少の不安を持って見ているのですが、今のところ利用者には分かるような変化は無いようです。
 こういうサービスはマイナーかまたはメジャーかだけでも差がつけられてしまいます・・・スケールメリットと言う部分での利用のしやすさとか、満足感などの差が決定的になりやすいと思うのです。
  ですから、よほど特徴が無いと生き残りにくいだろうし、少々の差もスケールメリット的な要因で押しつぶされることも起こりかねない・・・実名で打つというところに決定的な違いがあり、その分チーターなどが入り込みにくいし、マナー違反は殆ど起こらない利点があるのですが、逆に実名を晒すという事での限界性もあるので、急成長するような変化も望めない。
 従ってIDで打つところは決め手は料金制度・利用料金とサービスのバランスなどが決め手になって、どこかの大手に絞られていく変化が起こったとしても不思議ではない・・・日本ではそういう仕掛けは棋院がやるかやらないかにかかっていると思います。
 まあそれでも実名サイトは常に希少価値的存在として残るような気もしますが、さてどうなる事やら。

 会員数などについては、会の事務局での発表などは無いので判然とはしませんが、実際に毎日利用している際に増減の変化は感じていない。
 つまり会員が増えていつも繁華街状態と言うことも無いし、逆に閑散として地方のシャッター街になったということもない。(退会と新規会員のバランスが取れている?・・・)
 本当はこういう状況が危ない状態。
  社会的に少子化傾向にあるし、囲碁を愛好する絶対人数も、年代別での愛好する人の割合も減って行く傾向にあるような気がします。
  ですから、私のような団塊の世代の残存率が減ってけば、目に見えて囲碁人口は減少が目立つようになると思われます。
 実際には変化があるのかも知れないけれど、目に見えるほどのものは無い。
  本当は今が瀬戸際・土俵際かもしれないけれど・・・。

 ところで、まだ気になっているインフレ問題・・・気になると頭を離れません。
  そして、事務局なら実態を把握している筈ですが、具体的な発表は無いので、いろいろと自分で詮索を始めるのです。
 こういう風に調べるのも楽しみの一つかもしれませんね。
  今回はネットで一部公表されていたランキング表の中で、自分との手合いが互い先・先・向こう先の中で自分に近い人・・・上下合計12点くらいに入る人をピックアップ、その人の2004年当時の点数と比較しての変化を見る。
 マア2004年当時の点数と言っても、その時点での点数に過ぎないのですが、今回発表のものは今年の8月末時点だと思われますから、たまたま任意に区切られた時点での変化と言うことになります。
 結論から言うと”よく分からなかった”・・・だらしないですが。
  ただ、多少面白いこともありました。
 この5年間での変化で、15点以上(実際には最高で38点)アップしている人が8人いました。
 コミが6目半ですから点数制度ですと13点で手合いが変わるので、段が変わると言う事です・・・38点なら3段くらいのアップ。
 ではこれがインフレかと言うとどうもそうとは言い切れないようです。
  実は私もその中の一人で20点以上アップしています。
 原因は当時の初期登録時の設定ルールにより上限があったので、登録当初は勝率が良かったということでして、新規登録者の場合はこういう事が起こりやすい。
 もうひとつは、急激アップ会員の半数は「今風」の名前、つまり若者で、急激な棋力アップの軌跡を想像させることとはなっている。
 彼らとは実際に対局した事がありますが、初めて打った時と次に打つ時では手ごたえが違うくらいに成長していくのです。
 ともかく大幅の変化はこの二つが原因らしい。
  そこでこの間に登録された新規会員を除き、さらに急激な変化をした会員の変化状況を除いて集計するとこれがトータルでマイナス28点。
 一人当たりにすると1点にも満たない変化。
  問題はこの間にこの辺りの初期点数で新規登録されたと思われる21人の変化がどうなっているのか?・・・これが分からない・・・各自の出発点が分から無いので、計算できない。
 乱暴に新規会員以外だけで計算すると、大幅変化の分を含めると平均で会員当たり1点くらい上がっているかも知れません。
 尤も今回は限定的な点数に属する人だけでの計算なので全体でどうなのかは言えません。
 それに新規会員の設定とその後の変化状況と言う肝心なことが分からないと仮説も想像も出来ない事が分かりました。

 と言うことは、休みの間にどこにも行かず・・・紙と鉛筆で集計した事が殆ど徒労だと分かりました。
 マア、それでは結論が出ないという事が分かっただけでも収穫かも知れません。
  
 しかし急激に進化した人の名前はマークできました。
  問題は更に進化をつづけているのか、一応休眠状況なのかですが、ともかくそういう人と当たった場合は楽しみが増えたという事です。
 いきのいい人の碁に刺激を受けたいですが、要注意人物でもある。
 
  

末の松ちゃん?

2009-11-16 00:37:46 | Weblog
 今年もヒタヒタと年の暮が忍び寄ってきます。
  まだ11月の半ばなのにと思われそうですが、ハローウィンが終わったと思ったら、気の早いショッピングウィンドウにはクリスマスの飾りがあったり。
 勤め先では、近年の不景気と職員の綱紀粛正に鑑み、今年は忘年会を見合わせようかなどの話題が飛び交っていたり・・・それより毎朝印を押している出勤簿の残りの枠が本年度分が残り少なくなっている・・・それを毎朝見るのです。
 酷暑を乗り切るとほっと一息の秋で、それもつかの間今度は冬を無事に乗り切らなくてはいけません。
 私の体のウィークポイントでは冬の方が厳しいのですが、マア毎年の事なので、今年無事だったから来年も大丈夫ということにして置きたい。
 それでも来年の事を話せば地獄の鬼が高笑いするでしょうから、あまり先のことを考えずに目の前の1日1日なんとなく無事で楽しければ良いかなと思っています。
 こういうのは刹那的というか、自堕落な生活との区別はつけにくい面があるのですが・・・「真面目に生きている」と「不真面目」の中間ぐらいかなと思っています。

 ところで、今年の反省というより生涯の失敗は女房殿にも娘にも息子にも囲碁を教えられなかったことです。
 女房殿は囲碁には拒絶反応。
  囲碁そのものには、考えながら遊ぶゲームという事で敬意を払うフリをしますが「私には教えようと思わないで!」宣言、要するに敬して遠ざかる。
 若い頃に毎週末、家に友達が集まって来て麻雀をやりましたが、これについては「私にも麻雀を教えて、仲間に入れなければ家での麻雀禁止」宣言。
 従って友人たちと皆で教えた結果、徹夜の入り口あたりではメンバーに入ることになりました・・・そうしなければ麻雀をやれないですからね。
 しかし囲碁の方は全くダメ・・・やはり亭主が教えるのは子供に教えるのよりもっと上手くいかないのかも知れません。
 娘の場合は、市の企画で近所の公民館で「入門講座」が10回連続で開かれた時、講師が知り合いだったこともあり、近所の1才上の友達と二人を参加させた事があります。
 二人とも全くの囲碁未経験で、全くの予備知識無しで、「何のことか判らない」と言いながら7回目までは通った・・・他の生徒の年齢が高かったので違和感があったのか、何をやっているのか理解できないのが耐えられなかったのか、二人は8回目からエスケープ。
 その後囲碁の話はしませんが、多分子供時代の記憶から奇麗に消えていると思います。
 息子の方は、座っているより動いている方が好きなタイプですから、こちらが教えようと言う気持ちが足りなかったとは思う。
  本当はそういう子供こそ教えた方が良いとは思うのですが・・・。
 今彼を観察するに、今からでも遅くは無いとは思う。
 ヤヤ騙し気味ですが「海外で日本語を教える時、言葉だけでは無くて日本の文化を教えるとか、一緒に楽しむことをやった方が自然に言語+文化を教えられる」という事で行こうとは思うのですが、「それは囲碁でなくてもよいでしょ?」という反論が来そうな気がします。
 囲碁でなくても柔道でもサッカーでも良いわけだし。
 ファッションだって音楽でもアニメでも漫画でも・・・

 ところで囲碁とは別に子供たちに伝えられなかったことがあり、残念に思っています。
 それは、御正月にには定番だった筈の百人一首です。
 これは子供時代には正月だけでなく真夏にも遊んだ記憶がある。
 田舎の市の一番外れの小さな街のそのまた東はずれ。
  家の横を流れる小さな川が行政界です
 町そのものが14家族しか住んでいない、そのうちの4,5軒の子供だけですが、何故か百人一首を楽しんでいた。
 世の中の暮らしを上流とか何とかで区分けすれば下流に入ることは間違いないですから、裕福な家の子供たちでは無い。
 でもイヌボウかるたでも、キャラクターかるたのようなものでも無く百人一首が子供たちの間での人気でした。
 問題は詠み人で、たいていは家の母か隣のおばさんが手が空いていないと出来ない、それも暇な時に2,3回戦が限度ですから、そこが問題だったようです。
 ともあれ、百人一首というゲームで自然と歌が耳から入って来て、理解は出来なくても言葉を覚えなければ札を取れないのですから、自然に憶える努力をする。
 100首全部勝つわけにはいかないので、この札は負けないと言うスペシャルな句が出来て行く・・・

 ところで先ほども言いましたが、高貴でも無く優雅な暮らしをしているわけでもなくゲームとしての百人一首です。
 それもスポーツかるたみたいな真剣勝負とは程遠い、、、まあいい加減な遊びですから「歌の解釈など無しで、ともかく自分流で楽しむ和歌でありかるたです。
 そういうことで一番記憶に残るのは清原元輔の「ちぎりおきし かたみにそでをしぼりつつ すえのまつやま なみこさじとは」の歌。
 子供にとっては詠み人が「ちぎりおきし」と始めれば、「すえのまつやま・・・」をいかに他人より早く探すかが問題。
 最初の「ちぎり」=「すえの」という思考回路が出来なくてはいけない・・・まあゲームとしてはそういうことですね。
 それで母は歌を勝手な解釈に基づいた読み方をする「末の松ちゃん、波子さじトハ」・・・ですから「松ちゃん」とか「波子」さんを歌ったのかとか?
 取り札の平仮名だけしか見ていませんから在原行平の「立ち別れ 因幡の山の峯に生ふる まつとしきかば いまかえりこむ」・・・これを取り札部分に集中して耳できくだけですから「松と敷きカバーってなんだろう?カーペットの一種なのか?」などと思うわけです。
 ゲームとしての百人一首ですから歌の解釈は一切無し。
 とんでもない連想をすることはあっても、何度も聞くうちに分かって来るものもあるし、のちに教科書とか何かの本で「そういう意味だったのか」と分かることもある。
 落語にも和歌を使ったものもある。
  有名なのは在原業平の「ちはやぶる・・・」、それに崇徳院の「われてもすえにあわとぞおもう」。
 もしかしたら、いきなり囲碁を教えようとしたのがいけなかったのか?
 百人一首みたいな遊びを教えながら、紫式部・清少納言も囲碁を打ったのだよと行かなくてはいけなかったのかも知れない。
 
 PS.落語で年の暮と言えば「掛け取り」、和歌というより狂歌みたいなものですが、何故か記憶に残る一首「貧乏を すれどこの家に 風情あり 質の流れに 借金の山」。
 まあ、決して豊かではありませんがローンなどの借金が無いのは幸せなのかも知れません(借金も財産の内ではあるのですが)。