なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

言わぬが花

2008-05-31 09:27:11 | Weblog
 子どもたちが幼い頃、学校の宿題かどうかは知らないけれど、自分たちの両親がどういう何故・どういう経過を辿って結婚したかに興味を持つ年頃があるようです。
 それも成長の一種かも知れませんが・・・「父さんと母さんはどうして結婚した?」という質問・・・これが思春期、青年期でもあるということは、家の子どもたちの成長に問題があるか、余程のミステリーなのか。
 多分後者のような気がします。
  この見てくれがさえないジイサマが若かった頃とは言え、若かった頃のバアサマが・・・子どもたちには想像を絶することらしい。
 バアサマは昔から、例の質問に一切ノーコメントもしくは別の話に誤魔化すかすかして応えたことが無い。
 だから成り行きとして子どもたちの質問は私に向かう
 「そりゃア、母さんが父さんに惚れたからに決まっている。同じ大学の2年後輩だったからね」
  この答えでは子どもたちは納得しないのだけれど、それ以上は私としても説明できない。
 もし事細かに”暴露”したならばバアサマから強烈な抗議が来ることは間違いないから、それ以上は恐ろしくて言えない。
 
 しかし、子どもたちが感じるように、出世もしないし、そういう面での向上心をカケラも持ち合わせず、稼ぎが善い訳でもなく、さりとて”所謂家庭的”でもないから家事など殆ど手伝わず、暇があれば自分の読みたい本を読むか、囲碁を打ちに出かけるか、ネットで碁を打つだけ・・・
 家の居間でTVを見るのも、自分が見たいものがある時だけで、それが終われば引っ込んでしまう。
 女房殿がもし子どもたちの質問に落語的に答えれば「だって、寒かった」「家の重石代わりでしょう」・・・現実には何も言わないけれど。

 さて、今朝4時半の出来事
 例によって私の部屋の戸が音も無く少し開いて・・・そこから女の手は出てきたと思って下さい。
 そして戸の隙間からベッドで寝ている私の方をチラッと覗って・・・部屋の電気のスイッチをパチッ!・・・「寝ているんでしょう?、節電ね」
 これが殆どの朝に日課的に繰り返される
  こういう時、バアサマの発言内容と事実が多少違っていても決して文句を言ってはいけないのです。
  特に今朝の場合は事実誤認なのです
 いつもは、確かにネットで碁を観戦しながら正体不明になり寝てしまい朝を迎えるので、部屋の電気は明るいままでパソコンはスリープ状態なので、バアサマの指摘通り。
 そういえば、部屋の灯りをつけたまま眠るのは高校時代からの習慣ですから40年以上か続いている。
 昔は灯りをつけたり消したりするのにリモコンなんてなかったから、普通は眠る前に電気を消す、、、眠る予定で電気を消す。
 ところが私は布団の中で本を読むのが好きだったから、読んでいて眠くなれば眠るし、眠くならなければ朝まで本を読む。
 マア、電気を消すために立ち上がるのが面倒だっただけでしょうが
 そんなことで眠ることと部屋の電気を消す事の因果関係?なくなってしまい、何時しか明るいところの方が安心して眠れるようになってしまったらしい。
 医学的にどちらの方が健康に良いかというデータはあるにしても、私はくらいところでは眠りに入りにくい気がしている・・・錯覚かも知れないけれど

 ともかく今朝に限っては違う状況
 マア、部屋の灯りはつけたまま眠っていたけれど、、、目が醒めたのが4時頃で、パソコンを起こしてネット碁を観戦していた。
 横になっての観戦ですから、どちらかと言うと眺めていたということでしょうが、、、いずれにせよ中盤の勝負どころ、もし自分が対局者ならこの場面でどうしたものかとかなり真剣に考えていたつもり。
 こういうとき瞬間目を瞑って考える、あるいは決断を下す前に目を瞑る時間がある、、、皆そうかどうか分かりませんが、自分の癖としてあるようです。
 この僅かなタイミングに女房殿の手が戸の隙間から現れた。
  和風な見てくれの戸ですが、レールに車輪がついていているので、音も無く静かに開き、スーッと手が伸びてくる・・・まさにミステリーの場面です
 ともかく事情はどうであれ「節約に協力」と言う言葉に逆らってはいけない
 もし「起きていたのに」という抗議を発したならば、「今朝は知りませんが、いつもはそうではありませんよ」と日常の生活がジイサマはいかにだらしないかと言う話に拡大されてしまうはず。
 全く昔は向こうに「惚れた弱み」があったはずなのに、今では「居候の弱み」
 

もし片方の目に不具合が発生したら・・・

2008-05-30 17:34:26 | Weblog
 自分の体に将来どんな異変があるか予想は出来ません、、、一般的に言って
 少なくとも循環器、肝脂肪、血圧、血糖、肝機能、脳梗塞後遺症・・・などなどのリコール要素を持っていて、加えて気管支、鼻炎などは子ども時代からの長い付き合いですから、これが買ってきたものならとっくに返品処分です。
 どこかへ突き返すわけにも行かないので、渋々付き合っていて、マア腐れ縁です
  ですから今日職場で、「健康診断を受けますよね」と確認があった時に「私のは不健康診断ですけれど、いいですか?」とへそ曲がりな答えをしてしまいました。
 実際、普通なら「何処か悪いところはあるか」探すのが健康診断ですが、私の場合は「まともなところを探した方が話が早い」のです。
 それに、最低でも6週間おきには定期検診を受け、いろんな検査を受けているので、「健康診断」程度のの検査は・・・
 そんなことで、昔この職場で3年連続健康診断を辞退していたことがあり、相当な変わり者だとレッテルを貼られていた・・・
 多少は変わり者の要素はあるかも知れませんが、「健康診断」に関しては、実は個人的には余り重要だとは思わなかっただけなのです。
 では何故人並みに診断を受けることにしたか?
  マア強いて言えば、人並みに受けておくということでしょうね。
  実際に病気になったら(既になっているとも言えますが)、自己管理が出来ていなかったと言われるでしょうから、その言い訳・アリバイ作りみたいなものです

 さて今日は目の話
 昔・そろそろ10年くらい前になりますが、自転車で”事故って”生垣に顔から突っ込んでしまったことがあります。
 体の方は何とも無かったのですが・・・目だけ怪我をしました。
 それも、際どい?怪我の仕方でした。
 眼球の表面を、木の葉っぱで削いだ形の怪我でして、部分的に剥がれた形
 数時間目が痛くて開けられず、涙を流し続けました
  連休を含めて3日仕事を休んだだけで復帰できましたが、その後遺症か、たまに古傷の辺りがハガレそうになる・・・気だけかも知れ無いけれど・・・激痛が走る
 それはたまたま古傷の場所に重なっているのか、あるいはドライアイみたいな症状なのか?
 眼球の表面と瞼が貼り付きそうになる・・・それが半年おきくらいに
  もっともココのところご無沙汰していたのが、昨日の朝起きてしまいました
 かれこれ1年近く間が開いていたから、少しずつ間隔が開いていく、良い傾向なのか、それとも「忘れてはいけない!」という警告なのか分かりませんが
 
 ところで、仮に片方の目に不具合が生じたらどうなるでしょうね?
  関心事は仕事とかなどより・・・まずは碁は打てるのだろうかという心配です
 試しにやってみて、片方の目でも囲碁は打てそうではあるのですが 
  実際にやってみて、これまでと同じように見えているのか、同じように考えることが出来るのかは、そうなってみないと分からないという不安があります。
 実験では出来ても、本番?で果たして、視力的スタミナ・精神的スタミナが持つものなのかどうかも未知数です。
 それに、今みたいにパソコンがやれるかどうか・・・短時間では可能でしょうが疲労を考えると相当な制約があるでしょう。
 一つ残っても、その一つを大切に使わなくてはいけないのですから・・・
  因みに、危ないのは左目、そして左目は右目より視力が上
 心配している割には、酷使しているのだからいい加減な性格です。

初物!

2008-05-29 18:28:43 | Weblog
 初物を食べると寿命が少し伸びることになっているそうです。
 本当だったら好いけれど、、、マア初物をご祝儀値段で売ろうとする下心が見え透いているような気がします。
 「旬のものを食べると体調に良い」なんていうのがあれば、納得しそうですが、、、ともかく季節に先駆けて、あるいはまだ他の人が今年食べていないうちに食べられるのが嬉しかったりします。
 ですから、季節感が無くなったような、年中手に入るようなものはダメ
 年中食べられるのですから早稲も晩生もない
  さて、本当に初物で寿命が延びるとしたら、高くても初物を買える富裕層あるいは産地周辺が有利で、概ね金持ちが長生きする!?ことになる
  だが、初物を高く売って儲ける人が金持ちになれる?、、、となると、無理して買う人は一体なんでしょうね
  まあ、いろんなことを考えてしまう・僻みっぽい性格です。

 初物といえば、田舎の兄弟がから4月になるとサクラエビを送ってくれます。
 量は少ないけれど生のサクラエビはまあその年の初物のうちでしょう
  それで、輸送の関係かどうか、当方の保管を考慮してか、生のほかに冷凍物も来ることがあります、、、さてそうなると、それは今年の新物を冷凍したのか、去年とか一昨々年の商品か分かりません、、、マア送ってくれる人の気持ちがこもっていて美味しければたいした問題ではないですが
 しかし初物かどうかに拘るならば、昨今はどこかの大きな企業とか、暖簾を大事にする老舗が「羊頭狗肉」的なセコイ事をやる世の中ですから、100%信頼ということは難しいですね。
 それだけ冷凍技術などが発達したということで、喜ぶべきか悲しむべきか

 ところで今週の初めに、マア初物だろうというものを食べました。
  温室物とか輸入物もあるので昔ほど季節感が無いのですが、ともかく2日続けてです。
 厳密の言えば初日が初物で、二日目は・・・
  毎年同僚の職員が家から持ってきてくれます。
 そういうことで、市場の方はさておきその農家のあるところでは初物に違いない
 この時期スイカが届きます
  尤も、私の感覚からいうと5月のスイカは一寸早い感じはする
  ハシリというにしても、、、それでも小玉とか温室物などがあるから、そういうのもありかなとも思います、、、それに中玉くらいですし
 そういう生産なのか、中玉の品種なのか、路地なのかハウスなのか
 ともかく種は白いのに、実は甘かったから新しい品種かも

 さて初物といえば、ネットでの初対局
 昔からの会員なのに初めて当たる人もいれば新しい会員も居る、いずれにせよ新しい仲間ですから嬉しいことには違いないのですが、諸手をあげて喜べるほど甘いものではないのです。
 お互い手の内が分かっていないのは五分の条件ですが、たいていは新会員の方が点数を低めに設定している可能性が高い。
 あるいは慣れないネット碁で現状維持をしているわけで、慣れれば普段の実力を発揮するはず・・・に対して当方は500勝500敗レベルの、中身がミエミエで
伸びシロなど見込めないジイサマです。
 加えて1日平均1局未満は「揉まれている」というほどでも無さそう
  ですから囲碁では「初物には注意!」なのです
   ということは初対局に強い人は本当に強いのでしょうね
  大きな大会などでは殆ど初顔合わせですし、初顔に弱かったら大会に向いていないということになる
  だが、初物!向こうから見ても初物でした
   向こうから見るとさぞ美味しそうに見えるだろう
 つまり、やはり、相手が強くてこちらが弱いという結論になってしまう。

輪ゴム

2008-05-28 20:28:04 | Weblog
輪ゴムの運動のことを書きながら思ったのですが、、、私にとってリハビリですが、囲碁のリハビリと言うかケアとよく似ていますね。
 マア、リハビリの方は多少でもよくなりたいと思うならやらなくてはいけない
 生活と言うか生きていくためには必要不可欠なことで、趣味としての囲碁の場合はやってもやらなくても良いのだからそこに決定的な差ではありますが、、、
 それでも、オーバーではあるけれど趣味が無くては生きている甲斐が無いと感じるならば、決定的な差というほどの大差ではなくなるような気がします。

 私の健康にアドバイスをして下さるお医者様、栄養士さんのいうことは全くの正論ではあります
 ○ 規則正しい生活・キチンと食べてキチンと休む
 ○ 過度な疲労は避けて、適度に運動する
 ○ キチンと薬を飲んで、状態をチェックする
 概ねそういうことではありますが、要するにまず第一に過食はいけない、、、夜9時以降の食べ物は避ける
  それらはお金を出して無駄をとおり越して、害になっているのですからお金を支払って不健康になっていることになる。
  いつも部屋でグダグダしていないで、少しは運動しなさいということ・・・
 「そういうことだから肥満・メタボ、、、成人病になったではないですか」と言われると、その通りでしょうから反論の余地は無い
 しかし、では「運動をして健康を取り戻しなさい」というわけには行かない
 
 いまココで急にジョギングを始めたら命取りになりかねない
 ウォーキングだって、相当怪しいと本人は思っている・・・だから、食事制限はともかく・・・でも何かやらなくてはけない
  「右足中心に一日5分でもいいから」「ともかく毎日続ける事が大事」だそうです、、、やはり続ける事が良いらしい。
 勉強も、囲碁も、リハビリも!
 1度に土砂降りでなくても、「継続は力なり」・・・まさしく

善意の闘いをする日が来る?

2008-05-27 18:16:27 | Weblog
 ミャンマーのサイクロン被害、中国の四川大地震、アフリカの難民・・・海の向こうにも国内にも支援が必要に人はいます。
 要するに善意の問題ですが、これ以外にも人の意識の問題があるように思います。
 余裕さえあれば、その気があるならば多少のお手伝いはしたい事の他に、人それぞれというものもあって、これが少々厄介です。
 例えば私の自転車での通勤路での出来事
 千葉の港湾から続く幅10mくらいの掘割みたいな水路があって、両側に5,6mの緑地がついています。
 その緑地に最近、傘の透明ビニールを利用したようなミニテントがあるのです。
 ミニサイズですから人は住めませんし、歩道脇ですし透明なビニール
 そして、刈ってきた草などを並べていくらか目隠しになってる・・・さて何だろうと思っていた。
 まさかペットのお墓ではないだろうが・・・とは思っていたところ、今日の会社からの帰り道にそこを通って、事情が分かりました。
 ダンボールで看板が出ている・・・それによると「巣から落ちたカラスのカーコです・・・」・・・なるほど中で黒い鳥が動いている。

 さてこの避難所を作った人は・・・多分善意からでしょう
  しかしそういう善意は、それで良いのだろうか?
   落ちたカラスの雛は親に見捨てられて育ちにくいのは事実でしょうが、それを人間の手で助けるのが果たして、良いことなのか?
 もし、そうなら食物連鎖にも介入しなくてはいけないし・・・
  もう一つ、絶滅危惧種・保護対象動物なら助けなくてはいけないが、カラスはどうかという問題もあるでしょう。
 ですから仮に、その場でこの避難小屋を壊すのも私の主張の表現なんですが、もしそれをやったとすると、最近あった花壇の花を切り捨てたり学校のペットを虐待するような種類の人間の行為とされるような気がする。
 ですから、散歩していて目の前に落ちてきたカラスの雛を助ける行為は善意に満ちた人間的な行為で、見て見ぬ振りをするのは冷たい人間・・・で、更にこのビニール小屋を壊すのは人扱いでしょうね。
 ですから私は自分の考えは実行できませんでしたが・・・

 さて、つい先程家の外での出来事です
 中学生が数人帰宅中で、道端にある道路標識をけるのが楽しいらしい
 道路と言ってもマンションの敷地内ですから私道でして、そこの道端にパイプ状のものが設置されていて、その上にプラスチック上の筒がかぶせてある。
 この筒を蹴飛ばすのが面白いらしい・・・マア中学生の男の子の年令ではそうかもしれませんが
 怪我をすることは無さそうですが、時折プラスチックの50cmくらいの筒が本体から外れて飛ぶのが困る。
 周りは駐車場だし、外れた筒を蹴りながら歩いて行きそう
  これが私の部屋の直ぐ下の道路で起きるのです
 その度に「おーい中学生!、元通り直して行きなさい!」と怒鳴るのが私の役目? やりたくは無いけれど、現実に道路の施設が壊されるのを黙って見ているわけには行かないし、注意しなくてはいけないことは断固言わなくてはいけないという義務感です
 多分中学生たちには、アソコの二階にはうるさいジイサンが居ると言われているに違いない・・・それでも必要ならば嫌われ役も・・・それにいちいち中学校に連絡するのも嫌ですし
 「中学生」と言う呼びかけも多少気がさしますが、マア仕方ない
  今のところ、100%戻ってきて直して行きます・・・同じ子が二度はやっていないはずです。

 いずれにせよ、善意でしたことと・・・他の人の善意と私の価値観がぶつかることはあるはずです。
 それに、善意でしていることで、評判の悪い意地悪ジイサンになることもあるでしょう。
  ですから自分の善意に拘れば、志とは違って他人との争いになる可能性が
 「情に棹差せば流される・・・とかくこの世は生きにくい」
  

古本屋さんの街

2008-05-26 18:23:34 | Weblog
 今朝なんとなくTVを見ていたら・・・
 この”なんとなく”が私のキーワードですね、何と言っても「なんとなく生きている”のですから、人生がなんとなく出来ています。
 生きることに真剣と言うよりも、”ウッカリ”生きているようなもので、落語の出てくる「あの野郎はボーっとしているから、自分が死んだのにも気がついていない・・・」といわれる方の人間。
  それはともかく
 朝目が醒めたらまずパソコンの電源を入れるか、あるいはスリープ状態なら目を醒まさせます。
 だからといって、やらなくてはいけない事があるわけではない
 要するに6時半までの暇つぶしですから、ネット観戦にしても半分眠った状態です。
 だから観戦対局も動く背景・スクリーンになりかねないのですから・・・失礼なことをしているものです。
 ともかく6時半に、身づくろい開始で7時に朝食、出かけるのは7時50分ですから朝からのんびりしたものです。
 大体TVの”ナガラ”ですから朝は「日めくり万葉集」7時からはBS3、7時半にはBS2に戻って、7時45分からは連ドラの「瞳」を5分だけ
 今日のBS3は「こんなすてきな日本(確かそういうタイトル?)」で古本屋さんの街だった。

 学生時代から神田界隈の古本屋さんは有名だったし、多少はお世話になったけれど最近はご無沙汰しています
 古本には大きく分けて2種類あります。
  買って読んだ本が不要になったので、市場に出てくる・要するに古い本
  ただ古いというだけでなく、骨董的価値・人気の初版本など、持っていることにも価値があるような本、、、
 中間もあるかもしれませんが、、、ともかく私は前者専門
  古い本を定価より安く買って、読み終わったら古本として処分(囲碁の本は別絵です)。
  当然買った値段の方が売る値段より高い、、、しかし貸本の料金だと思えば気にならない。
 余程身の回りに置いて置きたい本以外は、家のスペース条例?の問題もある。

 ところで神田の古本屋さんは毎年増えているのだそうです
  活字離れといわれているのに不思議な現象、少し嬉しいですが。
 それぞれのお店に”専門”があって、町全体で一つの本屋さんみたいだとも、、、
  レポーターが歩きながら店の前で「ココは囲碁・将棋・・・」と呟いた
 ボンヤリしていてもこういうのは聞き逃しません
  尤も、通り過ぎただけだから、何と言う本屋さんかは分かりません。
 専門といっても「囲碁・将棋」のみの専門ではないでしょうね、、、
  スポーツ・ゲームなどの大きなくくりかもしれない
 でもレポーターの呟く一言を聞いてしまった以上ココに行かないわけには行きません。
 行ったからといって何か目的の本があるわけでもないけれど、、、、それに珍しい本とか古い本・値段の高い本には手が出ませんが。
 それでも、棋譜中心の本とかミニコミ的な本などがあるかも知れない
  それに、最近の本でも中古で多少は安く手に入るかも・・・
 囲碁の本は古くても余り定価から値が下がらないですよね
  普通の文庫本などは100円とか2冊で100円があるのに、囲碁の方は7割・8割でしょうか・・・でも、「流石は天下の神田!」というようなラッキーがあったらいいな。

碁を打ちながら輪ゴムで運動、、、

2008-05-25 14:59:39 | Weblog
 先日の定期健診で、お医者様の見立てではどうも改善が思わしくないようです。
  一時の一番悪い時に較べたら良くなってはいるけれど、現在は停滞中らしい
  マアこのレベルよりアップを目指すなら・・・やはり運動不足ということ
  それと、食生活の面での改善も再度指導を受けた方が良いことをほのめかす
 先生がきっといつかそう言うだろうと思っていたので、恐れていたものがやって来たというところ
 どちらにしても、やらなくてはいけない事は頭では分かっている
  分かっては居るけれど出来てない
 専門家に必ずや指摘されるだろうと予測していて、改善の行動ではなくて、言い訳を何種類か考えてしまう・・・
 誰のために改善か!?
  ともかくやらなくてはいけない事、やってはいけない事ははっきりしていて、後はやるかやらないかだけです。
 
 こういうことは、隔離・つまり入院などの環境では、与えられたものだけを食べて、規則正しい生活をすると・・・私などはとても模範的な患者になって、目に見えて良くなる。
 しかし、生活もあることだし一定程度よくなれば何時までも病院には居られないわけで、ある点まで行けば「後は自分で努力しなさい」となるわけです。
 「ココまでやれたのですから、これを継続するように」ということですが、これが難しい。
 学校とか熟では真面目によく勉強するけれど、自宅に帰るとだらしなくなるようなものです。
 ともかく栄養指導は少し執行猶予を貰って・・・どうも先生が苦手・・・私より若くて綺麗な先生なんですが・・・
 昔学生だった頃のクラブの後輩にそっくり
  苗字が同じ・・・その人かどうかは確かめていないけれど、確率は半々か
  どうもその先生の前に行くと後輩に叱られているみたいで調子が狂ってしまう

 もう一つの運動の方
 自転車通勤で平日は往復13kmは自転車に乗っているし、週に2,3回は往復30分程度のところにある上級庁に出かけているので、運動はソコソコなんですが、足の筋肉の運動が不足しているらしい。
 つまり自転車と歩くのでは使う筋肉が違うし、特に右足に問題があるようだ
  脳梗塞以後、右手、右足、右足首、右膝・・・ともかく右に違和感を感じているのですが、これが多少の足のむくみを伴うのです。
 特に右のふくらはぎとか右足の甲
  それでお医者様のお勧めは運動用のゴムバンドとかゴムの織物の帯
  余り負担をかけないように運動をしなさいということらしい
 正常?な人みたいに走ったり歩いたりすると、筋肉はともかく心臓破裂が心配ですから、腫れ物に触るみたいに・・・でも鍛えなくてはいけないらしい。
 それで、ゴムバンドでインナーマッスルを

 昔草野球をやっていた頃遠投の力を鍛えるようにやっていたことがある
  それと同じようにともかく右を鍛えなくては・・・いや鍛えるというよりはもっと使うことでしょうね。
 最近では文字・箸・ハサミは右ですが、ちょっとした仕事は左手でやっています
  囲碁で石を持つのは左だし、パソコンの場合両手でやるか、左手中心で入力しながら右手でメモを取る形・・・ともかく先生の話ではもっと右手を使わなくてはいけないということです。
 右手がダメなら左手で代用させる・・・それだと当座の生活はケアできますが右手のリハビリにならないのだそうです。
 
 さて自室のベッドに腰掛けてネットで碁を打つ時に、右足と右手に運動をさせています。
 ベッドの背もたれに太いゴムバンドを繋いで、一方の端を右足に繋いでを伸ばす
 同じように右腕を伸ばす
  ゴムバンドは柔らか過ぎず硬すぎず、、、過多な負担にならない程度
  直ぐには効果は望めないかも知れないし、実際どの程度の効果があるのかも分かりませんが、マア何もやらないよりは良いでしょう。
  そういうわけで、ネットで左手でカーソルを動かしながらクリックする一方、右足を伸ばしたり曲げたりです。
  リアル碁では人に見られてしまうからとても出来ませんね。
 家のバアサマも「何を始めたのでしょうね?」といった顔で部屋を覗いています
  多少は関心を持っているだけでもいいか。

 ところで輪ゴムと言っても少し違う・・・普通の輪ゴムのジャンボサイズです
 (ゴムの紐とか帯はスポーツ用品店とか介護用品を扱う店で売っているのですが、今回はとりあえず手近なもので間に合わせました。)
 直径が10cmくらいで幅5mmくらいのゴムバンド・・・事務所で書類がバインダーなどに止められないくらい多い時に使うものです。
 これ1本では軟らかすぎるので、3本ずつでゴム跳びようの紐のように繋げて作ったらそれらしいというか、引っ掛けるところがあるのでかえって使いやすい道具が出来ました。
 効果があるかどうかは数ヶ月先でしょう
 ですから今は「信じてヤルしかない」、イワシの頭も信心から
  

お茶があり難い年になりました

2008-05-24 17:22:01 | Weblog
 私の故郷は「旅行けば、駿河の国に茶の香り・・・(古い!!)」ヒロサワトラゾウを知らない人の方が多くなっているような気がしますガ、家庭用と言うか一般消費用と言うか、そっちの方で産地。
 昔の農家などには自家用のお茶の木があったり、友人の家が御茶屋(お茶と海苔のお店です)さんが数軒。
 伯母の家も農家で、屋敷周りが茶畑になっていて多少お茶が取れまして、自家消費用の一部を送ってくれたり、、、ともかく「茶っきり節」の土地(これまた古いナ)・お茶の産地でもあるので、母がいた頃はこの時期には必ず送ってくれたものです。
 (送ってくれるのは高級茶ではありません、、、ところが田舎で飲むお茶は美味しい、、、お茶の葉の違いはともかく水は全く違うのは確か)
 送ってくれる人がいなくなると有り難味が分かるというのが実感ですね
 出身地との繋がり、母とのつながりを物で計るのは少しいやらしいけれど、マア実感です。
 4月ならサクラエビ、、、これは生は無理な時は冷凍物と乾燥エビ
 5月は新茶ですね、、、そんなに素晴らしい商品ではないのですが、近くの農家の自家用程度、、、新ものが入った茎茶というか荒茶ですが単位が1kgとか2kg、、、
 果物も季節によって八朔か温州みかん、イチゴは農家の手作りジャムが来たり

 季節のものが送られてきますが、「今年も来たか」程度で特にあり難いとも思っていなかったのですからバチアタリな息子ですね。
 しかも若い頃は送られてきたお茶を自分の家で飲んだ記憶が無い!!
 その頃は殆ど飲むのはコーヒーか紅茶だったので、お茶はいつも誰かにあげていた
 新茶が届くと、小さなお茶の缶に小分けしてガムテープで密封、冷蔵庫などで保管します。
 それで、貰ってくれる人がいればお分けしてただけ・・・だから半年以上たって、翌年の冬に新茶を飲んだり・・・
 職場に持って行ったり同僚に配ったり・ご近所に配るために母が送っていたようなものです。
 ところが、年を取ると好みも変わってくるようで、今ではコーヒーとお茶の比率が大逆転しました
 こうなるとお茶を戴くのがあり難い・・・冠婚葬祭でお茶を戴いても役に立つ
 しかし、皮肉なことに既に田舎の母はいないわけです
 故郷には兄と姉二人がそれぞれ一家を構えてはいるのですが、ヤハリ親と兄姉では大きな差がある。
 特に私はできの悪い子どもほど可愛いの典型で、しかも5人兄弟の末っ子ですから、何時までも手間がかかる息子のまま甘やかされて年だけとったわけです
 ところがこういう甘やかしは親と兄弟では違うので・・・現実は厳しい

 それでも3人の姉のうち2番目の姉が毎年送ってくれる
 量は母の時みたいに多くは無いのですが、季節ごとにタタミイワシとか生サクラエビとか、果物類、それにお茶
 今年のお茶には新製品が入っていた
  いや新製品と言う表現は正しくないのかもしれませんが
 私はお茶・煎茶ですが詳しくはありません
  ですから、いろんな銘柄のお茶が、お茶の木そのものの品種の差なのか、お茶の木の管理のしかたの違いなのか、あるいはお茶としての製法の差なのかっていません。
 マア茎茶とか荒茶とか棒茶などというのはなんとなく分かりますが
  ところで今年のお茶は新しい産地だとか。
 新しい産地と言ってもローカルな話で、地元出身者の私でも聞いたことが無いような地名、、、全くの新生産地と言うことではなくて、産地名称を独立させたらしい。
 聞くと、私の田舎から更に田舎、山間の川霧がかかるような場所らしい
  知り合いとか、親戚の家からも近いらしい、、、さて早速今夜は新銘柄のお茶を試してみます。
 美味しかったら、善意の姉に逆指名して来年も頼まなくては、、、末っ子は何時まで経ってもアマえっ子で厚かましい役どころで、そういうキャラクターで押し通しています。
 その方が、そういう人間と認知されて気が楽です
 
 さてさて、研修の疲れなど取れにくい体質?・年令になりました。
  ネット碁のほうもココ2日は観戦オンリー、「お茶しっぱなし」状態です。
 PS,今日朝早く1局打って、通算成績が650勝650敗のイーブン
 数年前システムが変わってからの通算です
 初期登録から17点上がったところでシステムに変更があって、そこから後が”膨大な0”状態です。
 さてこれは、何時までも囲碁を楽しめて良いと言うべきか、進歩が無い状態と言うべきか。
 

 

研修疲れ

2008-05-23 17:27:45 | Weblog
 木曜日は一日研修絵でした。
  電車に乗って東京まで行くのはいいけれど、、、まあ1時間ぐらい座れなくたって文句は言いませんが、私は人が多いところは苦手なのです。
 あんなに大勢の中を歩いていて、それでいて知り合いに出会うことなどマズ考えられない、、、当然ではあるけれど、余程のことが無い限り他人には無関心なのです。
 この辺りが、非常に複雑なところで、田舎みたいに町を歩けば知り合いに出会うこと無しでは済まされないようなところは疲れるし。
 その反対の極も疎外感がある。  
  贅沢と言うか無いものねだり、あるいは、いつも何かに不満を抱く嫌な性格なんでしょうね。
 少しだけ、良いことと言うか悪くは無いこともありました。
  会場の案内図がファックスなので、潰れた線やかすれた印刷で非常に判断しにくくて、、、要するに迷子になりかかって。
 充分に時間の余裕を見てきていたので問題はおきませんでしたが、
 二人の人に目的のビルの場所をを訊きました
  昔なら、東京で道を尋ねて10人に一人相手をしてくれれば良い方だという印象がありましたが、今回は二分の二ですから大変化です。
 そして二人目の人で大ヒット、開始5分前に滑り込んだ。

 ともかく夕方5時過ぎまでたっぷりとお勉強させて戴きました。
  私などは1時間で来られるからまだ良い方だったかも知れません。
 静岡とか栃木とか、いや私と同じ県でも遠い人は、朝6時過ぎの高速バスで来たらしい、、、しかも途中で渋滞につかまったというから大変です。
 こういう人は、、、私などは6時半には家に着きましたが、それから1時間は余計にかかるでしょう。
 それと、中には明日もまた連続で、テーマを深化させて研修を受ける人も数人いる、、、1泊2日らしい。
 マア遠いところから来た人は反ってこの方が楽かも知れません。
 
 それにしても、当然とは言いながら真面目な研修でして、、、
 1日では時間が足りないくらいの量をこなさなければならない。
 しかもパソコンで「何故そうするか」的な部分は省いて、ともかくオペレート中心。
 しかも立場の違う人も混じっているのですから、何故こういうことをやるのかわからない部分や、どう言う時に必要な作業か分からない部分も含めて、ともかく「この場合はこうする」的な「鵜呑み」というか「頭から丸呑み状態」
本当は質問したいことを用意して言ったのですが、それどころでは無さそうなので控えてしまいました。
 それと、いつも使っているパソコンで、システムの説明通りに動かないことがあるので、それが作業ミスなのか機械的な原因なのか知りたかったのですが、とてもそこまで余裕が無かった。

 マ、それでも昨年1年やってきたことを復習して、新しいことも多少は分かったし、収穫はあったということらしい。
 もっとも、最後に”支給された”研修終了証という紙切れで、何かを勉強して来たという証明になるらしいから笑ってしまいます。
 というのも、昨年この仕事に就いたとき、本来業務を教えてくれるはずの人が忙しくて引継ぎ無しで始まった。
 ですから業務用のシステムなど、半分は意地で半分は必要に迫られて電話帳みたいな説明書を読んで覚えたわけで・・・この自習と言う努力には終了証も努力賞も無いのです、、、

 囲碁もスポーツもゲームも多少似ているところがあるようです。
  教えてもらいたいと思うだけでは、多少甘さが出るような気がします。
 憶えたいと思う時、先達に教えて貰うのは勿論いいこととして、それだけでなく「自分で何とかしたい」というところとの兼ね合いが問題でしょうね。
 教えてもらうのもいいけれど、これが口で教えてもらうことだけではなくて、横にへばりついてでも教わるようなところも・・・
 例えば碁会所で自分では1局しか打たないのに、K畑師匠の対局を横に座って何局も見せてもらったり・・・勝手に見ているだけですが
 若いころ(30才代から40才代前半の頃)平日の夜・土日には碁会所に通っては、そういうことをしていました。
 自他共に認める一番弟子・・・弟子の中で一番強い弟子ではなくて・・・一番古くからいる弟子と言うか師匠に一番手間をかけさせている弟子ですね。
 ”出来の悪い子ほど可愛い!”、、、可愛がって貰いました。

 さてさて研修に疲れて、慣れない電車で立っていたので疲れて、早く眠ったので、、、ジイサマは早く目が醒めてしまった。
 朝の4時半に目が醒めると、バアサマも起きていた
  年はとりたくないというか、同じように年をとったというか
 目が醒める前に研修絡みの嫌な夢を見たり、眠った割には疲れが取れていない感じがする・・・これが老化なんでしょうね。
 

先んずれば人を制す!?

2008-05-22 18:51:02 | Weblog
 この言葉は勝負事においては絶対ではないにせよ、かなりの確率で正しいような気がしています。
 スポーツにしても先に相手にポイントを与えて、それが自分に有利な展開になるというゲームは思い当たらない。
 僅かにマラソンみたいなレースで、マークする相手を先に行かせて、その後につくみたいなのはあるかもしれないが、、、
 野球・サッカー・バレーなどのポイントを争うゲームで、先にポイントを上げて、そのあとの展開を楽にするというのがセオリーで
 たまに、途中で追いつかれる展開になり、「追うものの強み」などというのは結果論みたいなもので、ヤハリ逃げる方が楽な気がします。

 さて「先んずれば人を制す」
 これがゲームだから良いのですが、実生活で直面すると、ゲームの王道=人生のセオリーとは言いにくい気がするのです。
 昔・3年ほど一緒に仕事をした人がいるのですが、この人の処世訓・座右の銘が「先んずれば人を制す」だった、、、これは本人が話してくれたのですから間違いないでしょう。
 「一流ブランド好み」「スタンドプレイが好き」「少しでも利益が上がることに敏感でコツコツ貯める・・・」
 ソレ、何処が悪いのかと言うと、、、悪くは無い
 要するに私と全く性格が違うということですね。
 私の口癖は「マッ、好いか」ですから、彼の積極性・計画性の反対で、自分でも無責任の臭いがします
 
 私の方は物事がうまく行っても、思わしくなくてもどちらも受け入れて「マッ好いか」ですから、よく言えば温厚に近いけれど覇気が無い。
 彼の方は積極的ではあるが印象としては「セコイ」「嫌な奴」
 さて温厚で人と摩擦を起こさないけれど、どちらかと言うと「清く貧しく(美しいかどうかはかなり疑わしい)」生きるのが良いか、多少のトラブルは起こりうることとして多少豊かになるのが良いか
 いずれにせよ、どちらか100%は無くて、どちらの要素が多いかどうか、あるいは問題別にどちらの傾向が強いかということでしょう。

 仕事などで、例えば上司から何かのテーマが与えられた時
 どういう事が期待されているか透けて見えるような時がありますね。
 期限を守るのは当然として早ければ早いほど良いのか、テーマの中で何処に力を入れて回答するのが良いか、独自性が問われているのか・堅実なものが良いのか 
 こういうときテーマを出した上司と疑問を感じることなくシンクロできる人は強いでしょうが、私の欠点はここにも在ります
 何かの意図を感じた時、あえて意図を外したくなる・・・天邪鬼とまでは言いませんが「そうそう言いなりにはなりませんよ」の気分になってしまう。
 
 私の子供時代は「ギブミィ チョコレートの時代」・・・これ分かりますか?
 私の育った所は港町だったので米軍艦船が入港した。
 岸壁に子どもが群がって「ギブミィ チョコレート」と叫ぶ・・・
 高い甲板の上から水兵さんがチョコレートとかガムをばら撒く・・・
  こういうところを見るのも嫌だったので”危険な場所”には近づかなかった
 並んで何かを貰うにしても、急いで並ぶということは敢えてしなかった
  「早く並ばないと、もしかしたら貰えない」・・・そういうことを心配してなりふり構わず並ぶ人・・・ソレが出来ない性格。
 自分のやっていることを冷ややかに見ている自分がいる。
  もし大災害などで被災して、救援物資を貰う時・・・そういうのんびりした性格が一変してしまうだろうか?
 その時にならないと分からないけれど、、、予想では「マッいいか」の性格は大きくは変わらないと思う。
 
 ところで避難所では災害復旧が軌道に乗るまではやれることは少ない
  現実に行動範囲も限られているし、寧ろあまり動き回らない方が良いこともあるでしょう
 それに余りに突然の災害なので気持ちが動転しているはずです
  避難所でジッと動かない人が多いのは、仕方ないし当然でしょう
 地震などで復旧作業が必要な場合は別として、、、
  さて現実にやれることが少ないけれど、もし避難所などに碁盤を置いて棋譜など並べていたら・・・
  碁敵と一日中碁を打っていたら・・・
 私はやりそうなんですが、もしかすると外から見えないように衝立で目隠しされそうですね。
 被災者は深刻な顔をしていなくてはいけない
 同じ絶望的な顔をするにしても、碁盤ではなく出来事に対して・・・
   不真面目な被災者として批難されそう・・・救援される資格を疑われる
 お腹がすいたら「ギブミィ チョコレート」と叫ばなくてはいけないかも
 チャンスがあったら、一番前に並んで配給を貰わなくてはいけないかも
  何かあったら素直な反応をしなくてはいけないかも
 「大地震も大きな台風も来ませんように!」
  
 

半コウ二つ

2008-05-21 15:38:02 | Weblog
 ネットで打っていて、酷い内容で連敗をしました。
  マア、酷い内容も連敗もよくあることなので、さほどのショックは無いのですが、逆にそういうことに慣れている自分が情けない。
 相変わらず序盤が悪くて、あっさりと潰されたり、最後まで打つ甲斐が無い碁形なので早めにギブアップしたり、、、ともかく負ける時は話が早い
 ということは中盤までもてば、かなりの勝率と言うことかな?
  結果から見るとそういう事になりそうなんだけど・・・
 序盤を、無理をせず離されずについていくことを意識して出来れるならば、それはそれで一つの武器なんでしょうが、私は今のところ結果オーライなので「そういう傾向があるらしい」としか言えない。
  ジックリした立会い、自分から何かしないと相手に仕事をされてしまいそうな強迫感・・・ですから自信を持って動かないということは難しい
 武田信玄の「風林火山」・静かなること林の如しの相手にとっては不気味な怖さ
 これが理想ではあるけれど、理想と現実の落差を味わっています

 さて連敗後の対局
 この碁も序盤から思わしくない展開・・・マアしかし3連敗目ともなれば開き直りもある。
 向こう先逆コミ5目半ですから本来白としてはのんびりはしていられません
  弱い石は拘らずに捨てて、相手に取り切って戴く
  捨石などで先手を取ったり、利かせたりして付込まれないように・・・
 こういう作戦が効を奏したらしい
  結果でしか分からないので、打っているときは「こんなんで好いのかな」と半信半疑状態・・・それでもその路線で行ったのは「二つ負けも三つ負けも似たようなもの」という開き直りです
 相手にしても「序盤からリードしている」と思っていたはずです。
  それも相当有利だと思っていたはず・・・これは後で分かるのですが
 さて、私としては終盤の追い込みで「形勢不明・あるいは白有利」になったと思っていました。
 自陣の手入れでミスをして1目損をしてヒヤッとしましたが、それでもまあ大丈夫かなと
 最後に半コウが二つ残ったのが私にとって幸運だったらしい
  黒はどちらかのコウを継ぐことは出来るが、二つとも勝ち継ぐことは出来ない
 それで地を数えると・・・パソコンが数えるのですが・・・白半目勝ちと出て
  黒の同意が無い!
 恐らく黒さんから見たら何かのマジックで「白半目」と出たと感じたに違いない
 ですから「結果に同意」ではなくて「対局再開」という返事
 再開と言ってももうダメしかないし、間違って損をしたら大変
 パスをしていれば無難ですが、ともかくリアルみたいにだけを全部打って見ました・・・こういうのって緊張しますね
 リアルでは「もうありませんね」と両者の合意があってダメ詰めになるので「事故」は考えられません。
 「ありませんね」と言ってから「損得が出たらおかしい」訳です。
 ところが、ネットでのダメ詰めはもしかしたらミスするかも知れないから緊張するのです
 ともかく再度地の計算をして、当然結果は変わりませんが、なかなか「同意」来ません。
 その間時計が動いています
 3分・・・確認したのか、気持ちが整理できたのか
  逆の立場なら私も同じかも
  
 

幻、悪魔の囁き

2008-05-20 18:24:54 | Weblog
 ネットでオカルトを検索すると、家の近辺にも数箇所ある!
  こういう記事がどの程度の信憑性があるのか、もしかしたらゲーム的な気分で書き込まれているのか分からないので、100%は信じないけれど全く否定する根拠も無い・・・
 マアこういう話題は嫌いではないですね、積極的に好きではないけれど。
  昔学生時代に行き来していた場所が、実は江戸時代追分・分かれ道で、ココが罪人の晒し首の場所だったとか。
 歴史的な事実と、現在との関係でだからどうだとは思いますが、気の弱い人を脅かす材料にはなりますね、、、実際駅前なのに松林として取り残されているかんじですから、声を落として「実はね・・・」と始めれば効果がありそうです。
 戦中の無線送信所のコンクリート作りの廃墟とか
 戦前から療養施設のある小高いうっそうとした森
  マア、だからどうだということですね。
 私も小学校の頃は人一倍ビビリ屋でしたから、従兄弟や兄弟に面白いようにオカルトのターゲットにされませした。
 それの改善?の為なのか、当時は夜のお使いは専ら私が行かされたものです、、、最年少なのに、、、児童への犯罪が無かった時代だったからか。
  事件・事故現場、外套も無い寂しい道、、、今なら「児童虐待」と言われるし、こういうお使い自体批難されそうです
  ともかく童謡「叱られて」の世界に近い
 この世のもの以外とは出会わなかったし、「世の中では生きている人間が一番怖い」と言い聞かされたり
 マア、その甲斐あってか、オカルト好きになったかも

 ただ、”ほんもの”には出会ったことが無いので、”ある””なし”は保留中です。
 これはアリバイと同じで、「ある」と言う証明は可能ですね、、、見たり、出会ったりすれば良いわけです。
 「無い」と言う証明は難しい、、、未だ出会っていないだけかも知れないので、証明が出来ない。
  高校生の頃不思議な体験をしている(本当は不思議かどうかも分からない)
 夜中にたまに出かける海釣りの場所です
  沖に向かって100mくらい突堤が出ていて、ここがクロダイ釣りのポイント
 それで突堤の付け根辺りでリール竿を振っていた・・・
  白い着物のおじいさんが突堤の先の方に歩いていった(ような気がしただけかも知れない)
  かなりの時間が経っても戻ってこない
  本当に見た事なのか、見たと思い込んでいるだけなのか・・・今となってはあやふやな。

 これは経験と言えるかどうか分かりません・・・起こったことなのかどうかも定かではないのですから
 囲碁では似たようなことが頻繁に起きますね
  「勝手読み」というのがそれですね。
 マア、何の前触れも無く幻が見えるということではなくて、「将来を、見たいように見る」ということでしょう。
 自分勝手な進行を考えているわけで、相手の立場に立って最強な対応は抜け落ちている。
 だから酷い時には、打った瞬間に頬をひっぱたかれて夢から現実に引き戻される
 あるいは、こちらの欲だけで不完全な手を更に際立たせるような手で返されたり
  ではこういう手は全て排除されれば良いか?
   いやいや、もしかしたら応えは”否”かもしれない
 もしも、こういう欲の皮が突っ張った手を打たなくなったら、かなり強くなってしまうに違いない
 単純なミスをなくし、冷静な対応が出来れば高段者になれるかも知れない
  つまりザルからの離脱・・・これは希望の実現ですが、もしかしたら良いことだけでは無いかも知れません。
 尤も恐ろしい友達を無くすかも
  夢は夢のままの方が世の中平和かもしれない
   かくして、私は何時までも碁友達に愛されるのでした(ナンチャッテ)

 そう言えば”幻”を見る他に”悪魔の囁き”と言うのがあります。
  私としての語源はかなり昔の競馬ファン時代ですが、囲碁にも当てはまりそう
 「起こりそうも無いけれど、もしそうなればかなりの高額配当」
  これが悪魔の囁きになって耳の中に鳴り響く
 ココでのポイントは「もしそうなれば」ですね
 絶対は無いでしょうから確率は0ではない・・・ですから賭けてみる手はあるかも知れない
 こういう事・射幸心=ロマンと勘違いして
  1着・2着を当てるゲームと言うことを忘れてしまう
 配当から馬券を考えたりするのは順序が逆なわけです
  マア、囲碁の場合は確率ではないから「より正しい(らしい)」ことが中心になるはずが、「こうなって欲しい」「期待」を読みと勘違いする
 こうなれば大儲けというバラ色路線で期待の一着を打った途端に読みから抜けていたリバウンドが・・・予想外?ではあるがよく考えれば当たり前の反発だったりして・・・それを境に悲しい話が始まったり。
 どうも耳の後ろに悪魔が取り付いているらしくて、肝心な時に囁いてくる
  時には悪魔のドンチャン騒ぎです。
 してみると悪魔は確実に存在する!?

久し振りの研修

2008-05-19 17:50:44 | Weblog
 今週は久し振りに研修を受ける予定です。
 昔、民間の会社で営業関係の仕事をしていた頃はごく当たり前みたいに研修がありました。
 バブル時代は特に多かったような気がします・・・よく言えば、浮いたお金の使い道を、人的投資としたのでしょうか。
 「地獄の○○」などという怖そうな2週間合宿に派遣されたのもこの頃です
 人里はなれた山の中の施設で、多くのテーマを消化して合格しないと2週間経っても家に帰れないという、絶望と脅迫みたいなやり方です
 そういう追い詰められた状況から隠されていたエネルギーを出させるみたいな狙いがあるのでしょう。
  朝5時に起床して夜9時まで缶詰状態で気持ちが自由なのは眠っている時間だけです・・・逃げ出したくても山の中だし、新聞もTVもありません・・・タクシーなど絶対来ない。
  こういう研修は実は私”得意”なようなんです。
 それは能力とかそういうことではなくて、直ぐにゲームに溶け込むみたいな適応力と言いますか、その気になる性格というか・・・「やるしかない」なら「やるしかない」とスウィッチが切り替わるらしい。
 こういうのはこじつけかも知れませんが、囲碁の効果かも知れません。
  尤もチーフ的な講師に助けられたのかも知れません・・・囲碁の縁で
 合宿中研修生は毎日日記を書くのですが、たいていの人は「苦しい」「大変」「勤務姿勢の反省」などを書くらしいのですが、私は悔しいから絶対にそういうことは書きません・・・「毎日寝る前に瞼を閉じて棋譜を並べている・・・」「天井の升目が碁盤に見えてきます」・・・そういうことばかり書いていた。
 それを読んだ講師、実はこの方も囲碁好き人間だったようで、半年後に碁会所で待ち合わせて対局したことがあります。
  マア囲碁コネクションで助けられていたに違いない

 一局の碁には同じものは無いのだけれど、それでいて過去の進行とか事例を参考と言うか思い出しながら、その時その時で最善を志向する・・・
 マア、ヘボではあってもその時の自分でやれる最善・最強
  結果は全部自分の責任と腹をくくる、、、研修にもそういうところがありそうです
 ココへ派遣した社長や重役には文句の一つも言いたいところですが、研修中はそれを考えてはマイナスになります、、、それは帰ってからの話
 こういう切り替えが出来るかどうかも結果に差が出るようです。

 実際、当時は子どもが小さかったので、共働きでなにやかやと雑用がありましたが、この合宿では朝5時起床ではあるけれど、配膳はともかく食事は三度三度出てきます。
 掃除などは好きではないけれど、大勢の研修生と一緒だし、洗濯は無い。
 合宿ですから通勤はない
 マア間食とかレジャーは無いけれど体は楽です
 ですから研修は”地獄”でも、生活としてみたら”極楽”みたいなものでした。
 地獄の中に極楽を感じていたのが良かったのでしょうか、ともかく同期80人あまりの中では一番早く卒業できました。
 
 思い出から、今週予定の研修に戻ると
 だいぶ内容が違うはずなので、ヤヤ不安
 できるとか、出来なければどうだということも無さそうではあるけれど、昔の経験とは少し違うようです。
 今度のは公的機関のパソコンに関連した研修ですから、要するに「営業」とか「考え方」みたいな研修ではなくて「技術」そのものみたいな要素が多い。
 従って半分ボケかかったジイサマとしては誤魔化しは利かない不安が・・・
 昨年らい担当してきたネット化したパソコンなので、復習の部分はいいとして応用・活用部分が問題です。
 マ、得意の開き直りで行くしかないか、やれることしかやれないのですから。
  

変わらない!?

2008-05-18 15:00:49 | Weblog
 土曜日に買った「NHK囲碁講座6月号」と「圍碁6月号」を読んでいます。
 雑誌ですから本のような重量感というかボリュームは感じませんが、2冊同時ですから忙しい感じはある。
 急がなくてはいけないことも無いのですが、買ってきた勢いみたいなものがありまして、手持ちの未読の本・図書館から借りてきた本などの中で優先順位が高い。
 週末ですから、サッカーの試合を見ながら・・・これも地上波・衛星放送・スカパーと帯みたいに繋がっていきますから結構忙しい。
 それに、いつものネット碁があるわけで、体は家にいてTV画面かパソコンの画面か、そうでなくては本を見ている状態ですから、およそ運動とは縁の無いスタイル・・・「少しは表を歩いてきたら?」と言われるのですが、そんな暇などあるわけが無い。
 体は疲れなくても、目は疲れるから時々目を閉じてジッとしているので、これは周りから見るとどう見ても「TVを見るか、寝ているか」に見えるらしい・・・確かにその通りみたいなものです。

 さて、久ぶりに買って読んだ月刊誌
 私としては一番初めに読んだのは大学生の頃ですから、40年前ですね
 時折本屋さんで「囲碁クラブ」を買って読んでいましたが、たまに買い損ねた時とか、売り切れてしまった時にそれがあれば買って読んだものです。
 月刊誌ですから、当然連続ものの企画とかあるのですが、そういうものが繋がらないという不満とか、時事的な記事が3ヶ月くらい前のものですから古い新聞をお金を出して買っているような不満もあるにはありましたが、それでも買って読んだということは・・・
 そういう情報に飢えていたのでしょうね
 当時私は囲碁を学生の仲間内で打つだけで碁会所とは縁が無かったし、ネットなど無い時代です、月刊誌は「棋道」|囲碁クラブ」「圍碁」しか無かったような気がします。
 ずっと後になって「週間・囲碁」が新聞形式で発行されて、嬉しかったものです
 これは新聞屋さんに頼んで定期購読したものです。

 久ぶりの月刊誌の紙面
 読んでみて、、、何やら懐かしいような、、、
  昔読んだ時と同じような気がした
 マンネリなどと失礼なことは言いませんが、構成がニュース的な部分と囲碁についての解説・講座みたいなもの、詰め碁の問題、認定テスト・・・
 一体他に何を期待しているのか聞かれても返答に困りますが、ともかく構成としては昔と変わらない感じです。
 それの何が悪いのかと言うと、これもまた返事につまります
 逆に、「いつもの」的に安心感はあるのですが、一方で「こんなものなのかな?」という気がしないでもない・・・マア無いものねだりみたいですね
 内容は昔読んだ物と全く同じではないはずですよね・・・例えば1980年代バージョンとか21世紀のコミ6目半バージョンとか、多分違うはずです。
 それに、その時代に合わせたような説明のしかたみたいなものがあるはずですね
 いずれにせよ、プロ・プロになれる人が1回でわかってしまうこと・アマでも強豪なら数回で分かること、それをコチトラ100回かかっても理解できていないらしい。
 その証拠に似たようなことを繰り返し繰り返し読んでいるような感じで、しかも棋力は下がることはあっても上がらないみたいな・・・
 雑誌としてはその時代時代で読者が世代交代していくようなところがあるでしょうが、、、私・進歩が無いが故に、似たような内容で楽しませていただいている、、、嬉しいような寂しいような感じです。

 ところであるページに「日本棋院免除料金」という表が出ていました。
  それによると初段の免状を欲しいとすると税込み31500円だそうです。
 欲しければ誰でももらえるわけでもないでしょうが、一応そういう料金・・・この金額が高いのか安いのかは人によって違うとは思いますが、ともかくマア払えない金額ではないとは思えます。
 しかし四段ともなると、仮に飛びつけ(三段の免状が無い人が四段の免状を受ける)の場合89250円となる、、、この辺りになると「!?」
 私の場合、かなりの昔ローカルの囲碁大会のご褒美として「半額の免状取得権」を頂いた。
 飛びつけだったので三段の免状料+四段の免状料の半額で頂いた・・・いや今にして思うと「買った」というか「買わされた」感じもあります。
 碁会所との付き合いと言うか、日本棋院への寄付行為というか
 六段飛びつけともなるとこれが210000円!!となる
 ニュースでみるワーキングプアーの月収より高い
 新卒の月収より高いでしょう
  勿論買える人が自分のお金を出して取得するのに、第三者がとやかく言う筋合いではないことは確かですが、感想としてははっきり言って「貧乏人は相手にしていない」という印象ですね・・・僻みが大部分を占めますが。
 
 免状の持つ意味を考えたら、棋力認定としての免状と寄付行為は分けて考えなくてはいけないと思うのです。
 棋力認定は普及にも影響がありそうですが、これと寄付は本来別物のはずです
  「寄付はするけれど見返りは望まない」というのが本来の寄付行為のはずですが、「寄付してくれた人には特典があります」などというのは大いに変
 そこの所が整理できていない社会なのか、あるいは棋院だけなのか・・・
  ともかく210000円という正札は、はっきり言って「馬鹿にしている」という印象です。
 「嫌な人」「お金が無い人は買わなければ善い」ということでしょうが、こういうところが変わらないと明るい未来は無いでしょう。
 売りたい人がいて、買いたい人がいるから勝手でしょうという論理は正しいかも知れません。
 でも、免状に関する限り、好きになれない最大の理由の一つです。(囲碁は好きだし、プロ棋士は尊敬している方が多いのですが棋院は嫌いという意味です)
 そして、こういう体質は多分この世界の発展の阻害要因の一つだと思う
 寂しい話です。

ジェネリック効果!?

2008-05-17 16:09:57 | Weblog
 これは健康な方には縁の薄い話ですね。
 私の場合は「生活習慣」とか「循環器・内科」で毎月検診を受けています。
 これに眼科や歯科が加わると毎週どこかの病院に通うことになる
 誠に面倒ではあるし、医療費・薬代も馬鹿にならない・・・そうはいっても必要な薬だから飲んでいるわけで・・・「お薬」のおかげで生かして戴いているのですから文句も言えませんが。
 しかし、考えて見ると薬って不思議ですね
  どこか悪いところがあるから飲むのです、、、要するに何らかの症状を治すために飲む、、、だから直ってしまえば薬はいらない
 だから、患者の側から見れば完璧に治るのがよい薬、、、しかし、モシカシテ薬屋さんの側から見ると、ソコソコ直して評判を取って使い続けてもらうのが「良い薬」?かもしれない・・・「生かさず殺さずが一番儲かる?」そんなことは無いか
 マア製薬会社も競争があって良い薬を開発してくれていると思いますが
  その開発費などが薬の値段に載ってきているのも事実で、利く薬ほど高い?
 それに私みたいに何種類も必要な人間は診察の度に大量の薬が書き込まれたアリガタイ処方箋を戴いている・・・
 これが定年後も続くはずですから、見通しの暗い未来が口を開けて待っているとも言えますね・・・収入は限定されて、出て行くほうは確実
 しかもその未来に到達できるかどうかも・・・まさに「生きるも地獄・・・」だいぶオーバーです。
 ところで最近は後発品という救済がありまして「ジェネリック」というのだそうです。
 先発品の製法特許などが切れたものを後発のメーカーが作ったもの
  表現が悪いですが、公的な「海賊品?」、イエとんでもない!、救いなのです
 先発品とほぼ同じ効果が期待できるが、開発費などがかかっていないし、薬の効果もテスト済みみたいなものですから値段がダンチです。
 先月から病院の先生や調剤薬局にお願いして、後発品が出ているものは後発品に替えて貰いました。
 この差が大きい!!

 これと囲碁と関係が・・・
 今朝、内科の診察を受けまして
 ココで4週間分の薬の処方箋を戴くのですが、これらの薬の値段が数種類トータルで半分とまではいかにけれど相当違う
 思わず薬局の帰りに、そのすぐ側にある大型店の本屋さんに寄ってしまいました
  せっかく浮いたお金ですからネ
 でもまあセコイ買い物ですけれど
 囲碁関係は、丁度NHK囲碁講座の発売時期でしたので6月号を買って、ついでに?月刊の「圍碁」を久し振りに買いました。
 発売日の関係なのかどうかは分かりませんが、棚に「囲碁クラブ」「棋道」などが無かったので選択肢としては買うか買わないかだけでした、、、
 表紙の一番下に「新連載 呉清源 新布石構想 白の打ち方」とあったのが決定打で買うことに決定!。

 呉先生の「21世紀の・・・」あの本とかビデオとかも確か誠文堂関係だったはずで、ビデオはK畑先生の持っているものを見せてもらったりしたし、王立誠九段との3巻セットの本は図書館にあったので読みました。
 新機軸なのか焼き直しなのか、それとも微調整改訂版かは知りませんが、呉先生の大ファンですから嬉しいことです。
 構成・記述を見ると牛力力とある!
  来日したばかりころから、私にとって老師ですから(若くて美しい女性でも中国語では”老師”には違いないので、わざと”老師(ラオシ)”と呼んだものです)
  小さな見出しに「白の布石3」とあるから、これは1,2を入手しなくてはいけないですね。
 それにしても牛先生とは去年のJFE趙治勳杯以来です。
 今回は紙面での出会いですが、なんだか嬉しくなってきます。
  これで、当分は毎月この月刊誌もチェックしなくてはいけませんね。
 ともかくこれもジェネリック効果かも知れません。
  朝から嬉しい一日になりそうな予感。