なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

「太郎」の生活

2009-06-30 17:24:33 | Weblog
 日本では長男には太郎とか一郎、二番目以降は次郎あるいは二郎、三郎・・・最後はトメとかとか・・・。
 ともかく名前だけだけで何番目の男子として生まれて来たか分かることが多い。
  そう言えば義理の父が「○一郎」と言う名前で長男、その息子・私から見ると儀兄が「一郎」。
 高校時代の友人父親の名前が「十一郎」で息子・長男が一郎で友人・二男が十郎・・・。
 中国だと・・・陳瞬臣さんの本を読み始めた頃知ったのですが・・・長男には「孟」、二男には「仲」、三男あるいは末っ子には「季」がつくらしい。
 それで昔の武将の名前に「季」がついた時に、読みが「すえ」になるのかと納得がいった・・・つまりその時代の人は「季」の意味・使い方を知って居たので読みが「すえ」だったのでしょうね。

 ところで私は5人目で末っ子ですから長男にあこがれていました。
  両親は末っ子には甘いところがありましたが、それでも子供の中で長男は特別な存在として育てているような感じがあって、何かにつけ(心理的かも知れませんが)差別を感じたものです。
 ましてや兄弟でも11才も上の兄ともなれば、親よりも怖いところがあったりして、「自分にも弟がいれば威張れるのにな」と思ったものです。
 だから、当時私が叔母の家から強引に子犬をもらってきたのは、弟かわりと言う意味もあったのでしょう。
 そういう私でも実生活では”太郎”にはなれる・・・と言うか得意技?です。
  子供の頃、話としての「ものぐさ太郎」は知らないのに兄や家族には「ものぐさ太郎」と呼ばれていました。
 成程、末っ子でも「太郎」に成れるのかと内心嫌な気もしなかった。

 その頃兄からは「お前なァ、人間はふつう”食い貯め”も”寝貯め”も出来ないはずだぞ」と言われていたました。
 ”食い貯め”の方は時代というか・食いしん坊なのですが、”寝貯め”の方も興味のあることですと3日くらい起きていて、その後まとめて寝てしまうようなところがありました。
 流石に今はそこまで極端なことはできませんが、そう言う気分と言うか性格は乗っていないようです。
 ・・・前振りが長くなりましたが、この土日はよく眠りました。
 二日間で家から出たのは1回きりで、家から自転車で5分の所を往復したのみ。
  家で、食事と入浴以外は自分の部屋で寝ているかパソコンでネット囲碁観戦・・・ほぼ二日間。
 おかげで、溜まっていた睡眠不足とか一寸した疲労感は無くなりました。
  そのせいか、ネット観戦も初めから最後までじっくりみることが出来た気がします。
 両対局者と似たようなリズムで考えたり・・・マア、実際には対局者ほどの真剣みはないでしょうが、それでも途中で眠ってしまうことはありません。

 家族が放っておいてくれたのでそう言うことができたかも知れませんが、呆れて見捨てられているのかも知れません。
 これも持って生まれた私の「キャラ」みたいなものかも。
 ところで、生活習慣病クリニックの医師からは「ともかく体重を減らしなさい」と言われているので・・・効率よくダイエットするには、夏場ですから水分は欠かせないものの、入って来るカロリーは押さえて、カロリー消費を増やすことが肝心。
 出て行く方は運動などでは対して減らないし、他の持病との関係で難しい面もあります。
 と言うことは入って来るカロリーを制限するのが一番。
  そう言うわけで、「ものぐさ太郎」も寝なガらはカロリー摂取はしないわけで・・・カロリー制限と睡眠不足解消、更に疲労回復と、なったかも知れません。









五人目家族?

2009-06-30 01:33:41 | Weblog
 私の仕事の中にある業種で所管地域の中の登録している事務所を立ち入り調査をする仕事もあります。
 文字にすると何だか偉そうな感じもしますが、複数で訪 問し先方の状況を見せて頂き、質問し、記録し、間違いあるいは不十分なところがあれば是正を求めるために一緒に行っているような形。
 まあ書記というか記録係みたいなものです。
  そう言う仕事は現実に訪問する本番より前に事前の仕事が結構あるのです。
 例えばスケジュール化して事前に文書を郵送し、先方の住所から住宅地図などで訪問先を確認しておく。
 更に当日使う質問用紙を準備し、現在の登録事項などを確認。
 更に訪問直前には電話で訪問する旨を確認。
  そして当日は質問に使う用紙、あるいは法令に沿って準備しておくべき書類などと、最近配布されたパンフレットなどを一式携行。
 マア、何だかどこかの秘書と言うか、芸能人の付け人・マネージャーみたいな感じです。
 当日は(例外的に自転車訪問もありますが)公共機関のバス電車が基本なので結構ウォーキングで疲れます・・・但し、疲れはしますが週に1日くらいは外を歩く仕事も、それはそれで楽しいとは感じています。

 ところでいろんな準備をしますが、ネットでの検索も事前にやって置くことにしています。
 法人によっては自社の紹介をホームページで紹介しているところも結構あるので、そう言うものを事前に見て置きます。
 検索すると、相手さんが自己紹介しているページ、あるいはニュースとしてその会社が関連している記事などが出ていて、そう言う予備知識を仕入れるのです。
 但し、予備知識の内容と立ち入り調査の内容は必ずしも関連しないのですが、マア、事前調査の内とでも言いましょうか。
 
 検索と言えば、ある時自分の名前をグーグルで検索したら全くヒットしませんでした。
 私のことは勿論同姓同名の人もヒットしません・・・マア世の中に名前の出るようなことは良いことも悪いこともしていないと言うことです。
 これが息子の名前で検索すると、いるいる、かなり大勢の同姓同名の人がいます。
 どうやら私は息子に比較的ポピュラーの名前をつけたようです。
  それに引き替え、私の名付け親の叔父は相当捻ったのかもしれません。

 名前と言えば、私の入っているネットは実名で囲碁を打ちます。
  入場者一覧表に名前と点数、累積の勝敗、在住している都道府県が表示されます。
 それによっていろんな想像をすることがあります。
  あまり見かけない姓で名前が一文字違い・・・たぶん住んでいるところが違ううしいが兄弟ではないかな?・・・御兄さんが家を継いで故郷に残り、弟が別の県で暮らしている・・・親子と言うことも考えられるけれど、何となく兄弟のような気がする。
 ある県の会員で同じ姓の方が一度に3人増えたことがあります。
  はじめににその名前の人がいましたので、おそらく家族4人がネットで登録し囲碁を楽しんでいるのだと思う・・・羨ましい限りです。
 ところが今日気がついたのですが更にもう一人増えていたのです・・・家族5人?、いや打つ人だけで5人だから本当はもっと多いかも。
  名前から察すると初めに男の人(たぶん世帯主)が登録し、その母親と孫娘ふたりが入会、更に今回初めの男の人の奥さんが入会した・・・と勝手に想像しています。
 まあ詮索好きと言うか超暇人というか、我ながら呆れますが、名前の感じでそう言う気がします(これは記号の登録ネームでは味わえません)。
  本当は単に同じ市に住む人なのかも知れないし、もしかしたら親戚かも知れないし、家族かもしれない・・・
 まあ想像するだけでも楽しい・・・私が変な性格なのかな。
  5人の棋力は上下3,4段くらいだと思うので、普段はリアルで打っているかもしれないけれど、ネット上では対局しているところは見たことが無い・・・やはり家族かも?。
 

綱渡り

2009-06-28 13:39:56 | Weblog
 パソコンのパスワードは私の職場では5文字以上の任意の文字なんですが、ちょっとした失敗をしてしまいました。
 全てアルファベットの大文字で設定してしまいまして・・・これだと常にシフトキーを押しながらの打ち込みになります。
 もし小文字にしておけばもっと簡単に入力できたのに、なぜかセットの時に気持ちが急いていてろくに考えずにやってしまいました。
 まあ全て大文字と言うのも一つのパターンかも知れないので、仮に善からぬ目的でパソコンを立ち上げようとするとヤヤ面倒かも知れません・・・但し私のパソコンのデータではめぼしいものはありません。

 これが、私の女房殿の職場では情報の機密性が高いので、個人認証は指紋によると言うことです。
 これなら、他の人の指紋に反応すると言うことは非常に小さいでしょうね。
  ところがこれにもやや難点があるのだそうです。
 体の一部を認識するのですが、必ずしも全員が同じようなコンディションでは無いところから、機械は時々誤作動をすると言うのです。
 つまり指紋認証は指が多少湿り気のある人には問題が無いのですが、乾燥系の人の指の指紋には反応しないことがあると言うのです。
 で、そういう時は一定以上のトライに失敗すると認証が取り消されてしまい、新たにそれ専門の部署に行って認証を取り直すのだそうです。
 便利なものにも落とし穴はあるらしい・・・マアそれだけ情報漏えいには気を使っていると言うことでしょう。

 ところで本日は今月の4局目の対局。
  以前に数局対局したことがある人ですが・・・記憶では確か向こう先くらいだったのですが、今日のお互いの点数で行くと私の先で4目半コミ出しですから、点数がそのまま棋力のバロメーターだとすると置き石で1目か半目強くなったのでしょうね。
 うらやましいような、悔しいような、少し嬉しいような複雑な気分ですが、こういうときはどこからかファイトが湧いてくるようです。
 『強くなったかどうかお手並み拝見』とか
 『まだまだ、若い人(たぶん若いでしょう)には負けられない』とか変に力が入ってしまいます。
 そう言う無用な力みを取るためにも、近くにあった扇子を持ってまずは多少のクールダウンが必要です。
 
 対局はお互いの2連星でスタートしまして・・・こういう形はお互いゆったり構えて堂々の布陣と言うか、『どこからでもいらっしゃい』みたいで、相手の方の余裕とか自信を感じられて、再度自分の気持の引き締めです。
 結果は私に幸いしましたが、途中で何度もコウの振り替わりがあったり・・・自分の石が抜けているのに気がつかないで打っていることに途中で気がついたり・・・結果はともかく内容は酷かった。
 ネットですから相手に表情は読まれていないと思いますが、少し差がついての相手の投了で決着がつきましたが、心理的には冷や汗の勝利でした。
 勝ったのではなく「勝ちを拾った」気分です。

 そう言えばこういうのは学生の頃登山で経験があります。
  尾根歩きをしていて、狭い痩せ尾根を歩いていました・・・これが丁度雲か霧で足元しか見えないような形。
 逆に言えば足もとの登山道部分は見えるのですから歩けたのですが、突然霧が吹き払われて足もとがはっきり見えた時心理的に立っているのがやっとでした・・・何も見えなければ歩けるものが、自分の立っているところが見えると恐ろしくなる・・・丁度囲碁で勝ったことだけを喜んでいればいのですが、綱渡りの内容が見えてくると喜んでばかりもいられなくなるみたいに。

必勝戦略!?

2009-06-27 09:18:20 | Weblog
 昨日パソコンの話をしましたが、私の使用しているパソコンは原則として私しかたち上げられないようにするために専用のパスワードを設定することになっています。
 でも、昨日は私が早く帰るためプリンターのセットとか、メールの具合とか同僚に頼んで帰りましたので、私専用のパスワードを教えて帰ることになりました・・・マア、職務上の作業しか使わ無いので少なくとも内部的に秘密にすることは皆無で、外からの不正アクセスでなければ問題はないはずですのですが、「専用」と言うところに拘ると少しおかしいですね。
 尤も作業を受け持ってくれた若い職員はパソコンに慣れているので、私がモタモタとやるより数倍早いし作業も確実なのでそこは安心です。
 更に彼が担当している業務を彼の留守中に代行せざるを得ない時に携帯で呼び出すと「パソコンを立ち上げて、○○の作業をしてください」になるので、私は彼のパスワードを知っているわけで・・・マアお互い様みたいなものです。

 ところでパスワードですが、流石にこのブロブのパスワードは躊躇しますね。
  でも、いろんなパスワードを使い分けるほど記憶力が確かでは無いのが悲しいので、やはり関連のあるパスワードを設定してしまいました。
 銀行の暗証番号とか、パソコンのパスワードとかネットショップのパスとか・・・もし暗証番号表のようなものを作っておいて、それを紛失したりしたら・・・と考えると、やはり記憶力の範囲が無難のようです。

 さて先日「天下五目」の話をしましたが、「GO!」様からコメントを貰いました。ありがとうございます。
 早速グーグルで「天下五目」を検索すると、月間碁学から発行されていて、著者は宮本直毅九段だったのですね。
 今は「マイコミ」から復刻されてその紹介がたくさん出ていました。
  こういう本が復刻されれて手に入りやすいといのは嬉しいですね。
 私は昔月刊碁学の方を読んだことになりますが、『こういう考え方もあるのか』と思った記憶があります。
 成程自由に発想する。
 最終的に勝つために戦略的に戦う・・・などなど考えたのですが。
  本に書いてある通りに試してみたのですが、結果はあまり期待したようにはならなかったように覚えています。
 尤も、それは本に書いてあることが間違っているのではなく、使い方が間違っているし、考え方を理解できていないし、習熟していないのですから仕方がないことだったようです。
 それにやはりこういう戦略は向き不向きがあると思います。
  私は自分で思うには、こういう大きな作戦より、重箱の隅をつつきながら「塵も積もれば・・・」というタイプですからこの作戦を活用出来ませんでしたが「そういう考え方もある」と言うことを知ったと言う意味では勉強になりました。

 尤もタイトルのネーミングに「必勝」とあるのには抵抗を感じます。
  マア、商売用のネーミングですからメクジラを立てることもありませんが、こういうことに気持ちが引っかかるのですから、どうも器が小さいことを露呈しています。
 お互いに必勝戦略で戦ったら、まるで「盾と矛」ですね。
  それと、普段の手合いが5子の場合に下手がこの作戦を実行して、上手く打てるのなら実際には手合いが5子以下になっているような気がします。
 作戦の運用を過たず、作戦以前の基本的なことでも失敗しないのならと言う条件です。

新しいパソコン

2009-06-26 18:46:34 | Weblog
 今日新しいパソコンが配布されて、事前に割り振られていたアドレスなどで、セッテングをしました。
 新しいパソコンと言うことでいくらか期待はしていたのですが・・・後で考えればこれが甘い期待でした。
 考えてみればこの3月で団塊の世代がだいぶ退職して、彼らが全員再雇用とか嘱託で残ったわけではありません。
 従って彼らに配布していたパソコンが余るわけで、それらを回収して整備して再配布となったらしい。
 機械は綺麗になっていますが、ソフトに年度が出ているので「なるほど、4,5年は使ったらしい」とはわかります。
 まあ、それでもきっと「きれいなパソコンを使わせる」好意だとは思いますので文句などとんでもないことです。
 それに今まで使っていたパソコンは2年前に転勤した職場で放棄されていたものを私が勝手にオフラインで使っていたもので、型式も古くて汚れていてソフトも一世代前のものです。
 更に、キーボードも何箇所か怪しいのでだましだまし使っていました。
おかげさまで、他の職員は帰る際にパソコンはカギのかかるところに保管して飼えるように言われるのですが、このパソコンだけは盗難の恐れなしなのでいつでも机の上に置いておいてもフリーでした。
 
 不便なパソコンでしたが、実は私職場では2台パソコンを使っていたので、データのやり取りとかネット検索などはそちらでやっていまして、デスクでの作業などはオフラインのパソコンでやっていました。
 データはメモリーで渡せば良いし、プリントはもう一台のパソコンではプリンタと直結させているし・・・慣れればさほどの不便は感じません。
 と、私は良かったのですが、同僚が面倒だったようで・・・
 今後同僚とのデータ文書のやり取りもオンラインで
  それにある基本データが送られてきて、今後の更新などがまかされる・・・それって仕事が増えることを意味してます。

 昔イギリスの歴史の中で・・・産業革命だっただろうか労働者が機械を打ち壊した話がありました。
 そう、機械に使われているような気がしたのです。
  マア、似たようなものでしょう。
 ところで、古いパソコンですが2年余りの付き合いですが何となく愛着がある。
  「だましだまし使う」ようなところはパソコンにしては人間臭い?
   まあジイサマみたいなパソコンをジイサマガ使っていたのです。
 配布パソコンが来たのでこの古いパソコンは廃棄でしょうね。
  たぶんノートパソコンの心臓に太い釘を打ちこむでしょう・・・絶対にデータの流失は無いように。
 パソコンに釘・・・ドラキュラみたいなイメージです。

好奇心と勇気

2009-06-25 18:06:43 | Weblog
 今朝のニュースの中でのスポーツの特集番組で「ツールドフランス」に出場予定の日本人選手が出ていました。
 フランスの自転車プロチームのメンバーとして出場ですから大したものです。
  風を切って走る姿がテープで流れていましたが、かっこいいですね。
 あちらはスポーツレーサータイプの自転車で、こちらはママチャリでよたよた通勤ですから比較にはなりません。
 
 さて今日は自転車通勤にはどちらかと言うと条件が悪い日でした。
  朝家を出て、「今日は自転車の回転が悪い」ことに気が付きました・・・こういう時原因は潤滑油不足あるいは空気圧不足など手入れが悪いか、自分の体重増加または体調不良、もしくは風向きが良くない・・・これらのどれかでしょう。
 今朝は、微風ではあるけれど向かい風だったのです。
  自転車スピードと同じくらいの風が後ろから吹いていれば相対的に無風で、本当の無風なら自転車スピードと同じくらいの風圧を受けていることになる。
 ですから「微風」であっても向かい風は実際には大きく感じる。
  ところが若い人はその程度の風などものともしないでオジンを追い抜いて走り去っていきます・・・マア、息を切らせて追いかけるのはまさに「年寄りの冷や水」なので『今朝はまだエネルギーがあるので、少々の向かい風なら頑張るしかない』と自分に言い聞かせ、『帰りはきっとこれが向かい風になるだろうから・・・』と慰めるわけです。
 ところが、ところが人生は無常と言うか、朝の風がそのまま夕方も吹いているとは限らないのです。
 むしろ「明日は明日の風が吹く」の諺みたいに、朝と夕方の風向きが同じという日の方が少ないような気がします。
 つまり今日もソレで、朝は向かい風・・・夕方も向かい風、「自分で自分をだましたみたいな気分」です。
 それでも家に帰らなくてはいけないので『帰ればゆっくり休めるのだから、頑張るしかない』と言い聞かせ・・・まるでイソップみたいな感じです。

 ところで通勤の途中にピラカンサの生垣の公園がありますが、先日そこで勇気?のあるご婦人を発見しました。
 ピラカンサのそばにヤマモモの木が1本あって、丁度その実が落ちて散乱していて地面が赤い実で真っ赤でした。
 そのご婦人はその実を一つ拾って口にしていたのです。
  そういう身を食べなくては生命を維持できない風には見えませんでしたから、純粋にどういう味なのか、おいしいのか不味いのか、食べられるのかを確かめたのだと思う・・・
 私もいつか試してみたいと毎年思ってはいましたが、もう何年も経っています。
  誰も拾わないのだから、取りさえ群がらないのだから不味いに違いないという推測はしていますが、多分そうだろうとは思うのですが、自分で確かめたのではない分あくまで推測。
 やはり確かめるのなら自分で食べるしかないのですね。
  それに自然状態ではおいしくなくても砂糖漬けに向いているとか、リキュールに漬けると良いとか・・・自分で体験しないとわかりません。
  ヤマモモを口にしたご婦人!、他の人はどう思ったかは知りませんが私には自分にない勇気を感じています。
 但し、その後数日たっても辺りの状況が変わらず、地面に散乱するヤマモモと木の枝に残っている赤い実・・・と言うことは、期待したような結果では無った、あるいは「思ったとおり、やはりダメだった」と言うことでしょうね。
 あるいは、今年は見送って来年の6月を狙っているのかな?

イメージトレーニング

2009-06-24 23:36:06 | Weblog
 今日は歯科大で歯の治療をしてもらう日でした。
  近所にも評判の良い歯科医院もあるのですが、特殊な治療でもないのに歯科大の病院なんです・・・これには訳があります。
 10年近く前には私も近所の歯科医院の御世話になっていました・・・イヤ、数回御世話になりました。
 その時歯医者さんが私の口の中を覗いて悲しそうな顔をする・・・そしていかにも気の毒そうに「私ではは手に負えないので、歯科大を紹介します」と言うことになったのです。
 要するに手間暇がかかる割には、歯科医院の経営には向かない患者と見たか、純粋に余りにも状態が悪いのでより設備の良い所を紹介したのか・・・どちらも当たりの気がします。
 確かに歯科大ではお医者さんの卵の方がそのまた先生の指導のもと手間などは考えずに治療に当たってくれる・・・先生(まあ先生の卵かも知れませんが)とそのまた助手の人の二人で患者一人に1時間くらいつきっきりで診てくれるのですから・・・
 それに私の場合は持病の薬の件もあり、これは総合病院の先生と連絡を取り合ってくれるのですから、結果的にはこちらを紹介して貰って正解だったようです。
 以来何かにつけてここの御世話になっています。

 さてここの待合室は明るい大きな窓があり、表の大きな通り越しに近くの町がよく見えます。
 予約制なので待たされる心配はないのですが、逆に先生を待たせてはいけないので、私はだいたい15分くらい前にはここにやって来ます。
 さて背もたれのある長椅子に腰かけて名前を呼ばれるのを待つのですが、この時私はいつも意識を集中させるのです。
 日頃さして姿勢の良い方ではありませんが、この時ばかりは意識します。
 背もたれには背中をつけないようにし、背骨のラインが真っ直ぐお尻の下のソファーに突き刺さるような感じで、且首はやや前方下を見るような角度で目は綴じる。
 これは、自分では「椅子式の碁会所で姿勢を正して静かに考える」ポーズだと思うのですが、さて、どうでしょう。
 目を閉じていますから、周りの人から見たらヘンなジイサマガ何だか空気の違うような感じだと思うかも知れません・・・マア、周りが見えないのが幸いです。
 ともかく、「リアルで囲碁を打つならこの姿勢だ」というイメージで治療の前の僅かな時間恰好だけトレーニングをしている。

 それで、それが何かの役にたったかどうかという点については非常に心もとないのですが、治療を待つ間に何もしないで待つのですから、何かを意識して座るのも良いかも・・・独りよがりではありますが。

 追記的にお話しますと
  私は大学生くらいの時には椎間板が悪かったらしく30代半ばではかなり傷んでいて整形外科の先生の御世話になりました。
 背骨と腰との間にリング状の軟骨がクッションの役をするのが通常ですが、私の場合はそのリングがレントゲンに映らない。
 どういうわけか摩耗して無くなったようなので、上下の骨はクッション抜きで直接接しているら敷くて骨にリング状の模様が出来ている。
 クッションが無くても立ったり座ったり歩いたりするので、この部分は周りの菌に無を強くすることでカバーするしかないのです。
 さてそういうことで、普段の姿勢の悪さを補う意味でも、たまにはきちんとした姿勢を取らなくてはいけない。
 そういう意味でも、囲碁を打っているイメージで座ることは体のケアであり、多少は気持ちを落ち着かせる心のケアになっているかも知れません。
 まあ余り難しいことは考えずに「背骨のラインが長椅子に突き刺さった」イメージです。

犬も歩けば!!

2009-06-23 18:33:08 | Weblog
 本来の意味は「犬も歩けば棒に当たる」は「むやみに出歩くとどこに災難があるか分からない(出歩くのを慎みなさい)」と言う意味ですが、あえて間違いの方で・・・「家にばかり居ないで、外に出てみるとどこかにいいことがあるかも知れません」的に使うことにします。
 間違いはともかく、この方が前向きに暮らしてりるような気がします。
  それに、出歩くのを犬に例えるのですから、わたしみたいな行動パターンに失礼ですから、良い方に意味を捻じ曲げる必要がありそうです。

 ところで今日は週一の町の中を歩いて訪問する日・・・ただし今日は殆ど自転車移動だったので、オール歩きに比べたら楽でしたが、まあ、それでもこの暑い日に出歩くのですからそれなりに疲れました。
 言ってみれば程よくバテた状態。
  それでも帰り道で、真っ直ぐ家につかないのですから、いい加減な性格です。
 疲れたのなら真っ直ぐ帰れば良さそうなんですが、帰り道にペダルをこぎながら低血糖になりそうもなければ、「疲れはあるものの極限では無い」という安心感?で「どこに寄ろうかな?」と考えながら自転車で走るのです。

 さて、明日は個人的休業日なので、今日は意識的に夜更かし可能日。
  それで、CDレンタルを数枚借りてから大型スーパーに寄って見ました。
 ここで嬉しい発見。
  この大型スーパの1階入り口に「チョコクロワッサン」で名前の知れた店・オープンカフェみたいな店があるのですが、そこに私より一世代上の先輩方が7,8人テーブルを並べて並んでいます。
 何だろうなと思って近づいてみると、真ん中のご婦人二人が磁石盤で囲碁を打っていまして、後の人は観戦していました。
 今日はそのスーパーの火曜売り出し日なので結構出入りが多い日・・・凄いデモンストレーションです。
 マアこういう光景がこれからも見れるかどうかは店の都合もあるでしょうしわかりませんが、ちょっとうれしいですね。
 人目につくところで囲碁を打つと言うことですと、ここから100メートルも離れていない所に駅前広場の藤棚の下の木陰のベンチ+テーブルもある・・・
 それより、どういうグループなんでしょうね?
  一人だけは顔見知りの人がいたので、一回り上の世代らしいと分かったのですが、他の人は全く見たことが無い人たち・・・さてどういう。
 
 こういうところで打てるのですから、棋力がそれほど低いとは思えませんから、今後見かけたらもっと近くで見てみたいです。
 観戦していた人・私が知っている人は・・・同じ町内で一度だけ彼らの老人会囲碁将棋部に招待されて打ったことがある人でした。
 このあたりにはコミュ二ティがあって位碁が打てるし、その隣のビルには市の「お元気倶楽部」みたいなものがあってここでも囲碁が打てる。
  それに今日みたいにオープンカフェで打っているなんて、楽しくなります。
 但し、囲碁ファンの年齢が高そうなのがやや不安ではあります。
 

  

負け惜しみかな?

2009-06-22 18:14:03 | Weblog
 日曜日は宵の内から寝てしまったので、目が覚めたのが午前2時。
  連続5時間しか眠れない体力ですが、それでも以前は4時間くらいだったので、1時間分体力が上向いているのかも知れません。
 ともかく、こういう時間に目が覚めても、隣近所や家族に迷惑はかけられないので、やれることと言ったら本を読むかネット碁の観戦ぐらいです・・・と言う事で、時間からしてPネットです。
 短い手数の対局で、時間を長く設定している対局を観戦。
  これは局面は序盤から中盤に移るところで、時間制は10分で25手ですからPネットでは一番長い感じです。
  尤も、一番長いと言っても・・・持ち時間の10分をまるまる使って打つわけでは無いから、概ね8分程度で打ち進めるでしょう。
 と、言うことは一人が150手打ったとして6×8で48分となります。
  結果としてみれば素人の碁ですから、消費時間はこんなものと言えるかもしれませんが、これは実は<平均>という落とし穴があるように思えます。
 
 アマの対局では、よく持ち時間45分で、切れ負けなどと言うものがあります。
  これはローカルの地方予選など、結構公式な手合いでも採用されています・・まあ45分が50分であったり60分もあるでしょうが、それと比べて48分なら良いでしょうと言うわけには(特に私みたいな人間には)行きません。
 初めから45分を与えられていて、45分を自由に使える中での切れ負けと、48分の中で5か所も関所があってその中での切れ負け設定があるのとでは全く条件が違うと思うのです。
 
 この対局はPネットの対戦にしては時間を使う対局でした・・・両者ともある程度納得が行かないと打て無いみたいな進行。
 結局は黒さんの時間切れ負けで決着・・・たしかにこの時点で白融資だったとは思いますが。
 この対局を見ていて考えたのですが、もしかして時間の制限が厳しい対局では、難しそうな仕掛けをしていくとか、簡単には打てないような状況を作っていくという作戦もあるかも知れないと。
 勿論それが違反などでは無いし、難しい定石とか、難解な別れで損をしない形を理解しているとしたら日頃の勉強の成果であるとも言えます。
 しかし・・・そういう碁が楽しいかどうかはわかりません。
  勿論、勉強していない方が悪いのだし、初めから納得して時間を設定しているのだから、負けてから文句を言えばこれは負け犬みたいなもの。
 でも、もしもこういう風にやられた時に「負けた」と言う感じが、相手への尊敬と同時には湧きにくい気がします。
  騙し打ちとは言いませんが、なんだか相手+ルールに負けたと言う感じ。

 さてこれはアマのザルの世界。
  ではプロではこういうことは起きないのでしょうか?
 日頃の研究成果を実戦で試すと言うのは、プロとして当然でしょうが、最近の対局の時間制はだんだん短くなってきていますから、ますます日頃の勉強・研究が大事だろうとは思います。
 それにコミが大きくなっていますし、ますます厳しく仕掛けることが多くなっているでしょう。
 昔・私の子供の頃は名人とか本因坊とかの二日制のタイトルマッチで、考えに考えた末の着手の応酬で勝った方がチャンピオンと言う感じでした。
 挑戦者決定リーグでも長かったはずです。
 まあ、新聞社などのスポンサーが無くては無理でしょうが。
  最近の世界戦などは皆短い戦いですよね。
 仮にNHK杯みたいな1手30秒で考慮時間が1分×10回の対局が短距離型とすれば、持ち時間3時間物は中距離で、持ち時間6,7時間だとマラソン型みたいと言えるでしょう。
 すぐに結果が出て、対局も初めから終わりまで見られると言うのも魅力ですが、私としては、思いっきり時間を使って考えに考える棋士の姿もまた魅力なのです。
 いつか、持ち時間各8時間くらいで二日制の世界戦が出来ないでしょうか?
  
 

やっと両目が開きました

2009-06-21 16:11:35 | Weblog
 日曜日の午前中にネット碁に接続して久し振りに対局。
  この接続して対局と言う流れが自然にスムーズに行くのが大切なんですね、きっと。
 イヤ、たかが素人のザルが碁を打つくらいで大袈裟みたいですが、「さあ打つぞ」という感じで行くと、どこか心に構えたようなところがあって、「変な碁は打ちたくない」のならまともですが「負けたくない」とかの雑念が先に立つようです。
 そういう時は、「ネットの待ち合室に誰がいるのかな」と探るような気分・・・どこかのリアル碁会所の戸を開ける時だって同じことを考えるでしょうが、「苦手は嫌だな」という逃げ気分半分というところがいかにも小心者です。

 対局数が少ない時は勝負勘が鈍っているでしょうから、所謂常連さんのカモになる確率が高いと想像できるし、そういうことを気にして対局を躊躇っているとますます対局から遠くなる。
  なんだか負のスパイラルです・・・囲碁は好きなのにスムーズに対局が出来ないみたいなところがある。
 朝目が覚めて、顔を洗って歯を磨いて朝食を食べて着替えして・・・こういうことに躊躇いなど無い筈ですから、囲碁については「打ちたいから打つ」でなくてはいけないですね。
 ともあれ今朝はネット碁に接続して、たまたま同じくらいの人が「待ち」でしたので対局。
 後から考えれば、多分この人は私としてはやや苦手なタイプでしょうから、余りあれこれ気にしていたら他の人のオファーが先になっていたと思われます。
 条件は向こう先で私が白番でコミ3目半出し、1手30秒の早碁+10分のの考慮時間つき・・・「まあいいか」「ともかく打ってみよう」でオファー。

 囲碁そのものは、心配したとおり勝負勘が鈍いと言うかどこか不自然な思考と言うか、余り褒められた状況ではありませんでした。
 しかも相手はこちらの欠点をよく知っていると思われるし、白の不備を厳しく追及してくるタイプ・・・やはり怖い苦手(考えようによってはこういう人がいないと勉強にならないのですね)。
 戦いは序盤に私の大ピンチ発生。
  タネ石が切断される。
 切り離された元の大石を助けようとすれば、なりふり構わず行けば何とかなるかも知れないが、それでは切られたタネ石は見殺しとなる・・・
 早碁なので最大で30秒+10分しか時間的余裕はないのですが、ここで半分5分を投入。
 結論「大石を捨てる方針:これは石数とダメ空きを考えると40目近いのだけれど、個の石を黒が取りきるには中央が不自由になるだろうし、周辺の打ち方に制限される面があるので、思い切ってこれを捨てる」
 マア、ダメモトみたいな博打ですが、相手も「大石を取りきって、他の面での少々の不自由な所をしのぐ」方針だったかも知れません。
 結果としては白5目半残ったのですから、方針が正しかったのか?・・・いやもっと他の要因で勝負が決まっていたかも知れません。

 ともあれ、初めに大ピンチを招いた事の大半の原因は自分の棋力にありますが、他にはもっと実戦を打たなくてはいけないということもあると思われます。
 観戦と本を読むのは良いものの、もっと打たなくては机上の空論とか畳の水練みたいに頭でっかちになるかも知れません。
 尤も、余りに対局が多いと、自分で気がつかない悪い癖が当たり前のことのように肌に沁みついてしまうかも知れないかも・・・そういうことは困りますが。
 この対局の後自分の棋譜倉庫で確認すると6月で3局目、2勝1敗でした。
 週に1回のペース・・・以前は日に1回だったからこれをペースと言えるかどうかわかりませんが、マア、これからきっと対局数が増えて、長い目で見ると年に360局みたいなことになるでしょう。
 
 対局の勝敗は、私自身の棋力が下がることはあっても上がりはしないでしょうから、相手さんの腕と運次第と言う事で「他力本願?」いや、お相手さん次第と言うことにしましょう。

見えないものを見る修行?

2009-06-20 13:42:27 | Weblog
 「にんじん物語」という話があります・・・本は読んだことがありませんが、だいたいの筋書きは知っている。
 女の子ではシンデレラにしても白雪姫も、男の子ならニンジンみたいに兄弟姉妹と差別される話。
 子供時代に父が映画・それも洋画が好きで、映画館の新しい映画がかかると、私はそういう気分を味わったような思い出があります。
 実際には両親に差別されていたわけでは無いのですが・・・映画以外のことでは姉たちは弟である私に両親が甘いと思っていたので、両親にとってはバランスをとっていたのでしょう。
 つまり、当時封切られた外国映画に両親は姉たちを連れて行くのですが、私は常に「留守番」役なのです。
 映画館には早い夕食をとった後、夜の部に行くのですが、5人兄弟で長女と長男は既に働いていてその時間には帰っていません。
 次女と三女を連れて行くので・・・残されるのが末っ子の私一人。
  これって逆みたいな気がします・・・一番ちびの私が残される・・・毎回。
 (だから姉たちは「旅情」とかオードリ・ペップパーンのでてくる映画は殆ど両親と見ている・・・それに対し私は看板でしか知らなかったし、後に「懐かしの名作映画」でしか知らない。まさに「懐かし」であり「恨めし」ですね。)
 
 昔は家族が出かける時に「留守番」という役が必要だったのか、防犯上今より危なかったのか分かりませんが、鍵を掛けて家を留守にするより、出来るだけ留守番を置いておくことが多かったように思います。
  盗まれるような骨董品も財産も無いし、重要な連絡が来るとも思われないのに誰かが家にいなくてはいけない理由はないのですか・・・
 ともあれ、市のはずれの方にある町内ですし、夜ですから静かで暗い。
  家の中の電灯を全てつけても寂しい。
 洋画ですからラブシーンなどがあるので小学校の低学年の男の子に見せ宅は無かったのかも知れないし、ストーリーを理解出来ないだろうと思われていたのでしょう。
 それに長い時間映画館にいると必ず頭が痛くなる体質だったので、連れて行かなかったのでしょう。
 ですから、どうせ連れて行って貰えないのなら、留守番でいくらかこずかいの割り増しを貰う方を選択・・・子供としては開き直っているのですが、大人には分かっていたでしょうか?

 こういうとき一人でやることは、まずは本を読む・・・本に飽きたら・・・行者のような修行?があります。
 暗くて寂しいのに敢えて家の中の電気を全て消します。
  そして部屋の真ん中にローソクを1本立てて火を付けて、この火をメートルくらい離れたところから見つめる・・・
  誰かに教わったわけでは無いのですが、神経を集中すると普段見えないものが見えてくる修行だと思っていたのです。
 ローソクの炎に集中、ゆっくり揺らめく炎を見つめます。
 どういう根拠なのかなど考えずに、何も見えてこないのは修行が足りないせいだと思っていました。
 さてさて、子供が闇の中で目を細めてローソクの火を見詰めるなんて、滑稽と言えるか、何やらオカルトじみて怖いでしょう。
 夜の留守番は子供には怖かったかも知れませんが、自分が怖い存在になれば他に怖いものが無くなると言う様な感じもあったかも知れません。
 さてさてここで何かが見えたのなら、今頃私は常人の人生では無かったはずですが、残念ながら何も見えませんでした。

 残念ながら常人以下かもしれません。
  碁盤を見ていて、自分が対局している局面で、誰の目にも見えている筈の手筋なのに見えない場合がある。
 マア、見えないと言うのは例えで、正確には「見えている筈なのに理解出来ない」と言うのが正しいかも知れません。
 プロの先生なら、いくつも石が無い盤面から、かなり先の光景をイメージできるのでしょう・・・それも何通りも。
 それがプロ修行の結果と言うか、そう言うことが出来なければプロにはなれないのでしょう。
 と言うことは、アマである私がそういう事が出来なくても恥ずかしくはないとして、問題は先のことでは無くて、今起きているいる結果としての盤面の状況が分からないのが悲しい。
 盤面はそこまでの「結果」であるはずです。
  そこから現在の状況を理解して、将来の展開を模索して手だてを考える。
 そう言うことが完璧にできれば・・・かなりの打ち手になれそう。
  悲しいかな、多分結果としての現状把握の盤面が見えていない。
 子供の頃、見えないものを見ようとしたなんて滑稽ですね・・・今でも見えているはずのものが見えていないのですから。
 
  

サボタージュの余波

2009-06-19 19:03:46 | Weblog
 サボ!!、イエこれは職場での話では無く、我が家の出来事です。
  家の古女房殿は定期的にストライキと言うか、サボタージュを行うのです。
 何かに怒っていると言うわけでもなさそうですが・・・いや日常的に怒りのエネルギーを貯め込んでいるに違いない。
 若いころから共働きではあるが、家事育児の大部分はあちらさん任せでした・・・マア、私は選択掃除は全くの苦手科目で、料理には興味があるものの、それは家庭の炊事と言うか・・・。
 下戸なのにおつまみになりそうなスモークだとかなら人一倍熱心なんですが、普段は食事の後の皿洗いもしない。
 自分の食器を片づけるのが精一杯で、夕食後などはたいてい自分の部屋に引っ込んで、ネット碁三昧ですからあきれられていると言うか、諦められている存在ですねきっと。
 それでも、お茶が出てくるのですから感心しますが、多分これは出す方の習慣なのかも知れません。

 そういうわけで、定期的と言うか周期的に「職場の友達と食事会があるので金曜日の夕食は要りません」と言う宣言になる。
 厳密に言うとこれは正しくないのです、「金曜日の夕食サービスは致しません」という宣言なのですから・・・
 この時点で私は最低でも自分の夕食を自分で用意するか、あるいは近所のスーパーでお弁当を買うか、はたまたファミレスに行くかの選択をしなくてはいけない。
 「何で勝手に突然」とか「何か作っておいてくれ」とかは・・・元々友達夫婦としては言えませんから、結局は自分の分だけでなく息子の夕食の心配までする羽目になるのです。
  と言うことは、息子はどっちに転んでも食事が出てくるのですから・・・彼は将来お腹がすいたらどうするのでしょう?
 きっと、コンビニの側で暮らすのでしょうね。

 ともあれ夕食らしきものはすみましたがかれこれ2時間くらいタイムロス?をした感じがします。
 更に休憩が必要な気分。
  たまの出来事でこうなんですから、女房殿には元気で長生きしてもらわなくてはいけません。
  まあ私が後になる心配はなさそうですから安心!?。

悩める?観戦

2009-06-18 18:26:02 | Weblog
 右に行くべきか左が良いか?、イヤ、ハムレット調で「生きるべきか死すべきか」実戦ではなかなか決めにくいことが多い。
 実戦では、勿論対局者自身が悩みに悩むだろうし、時間に追われてどこかで結論を出さざるを得ないこともあります。
 ですから、実生活で嫌なことを先送りし、逃げまくって生きていられるのに、囲碁は人生の縮図みたいなところがあるので、方策を立てて何かを実施(あるいは放置し)結論が待っている。
 それがつらいゲームでもあるし、反面それが面白いゲームでもあると思います。
  こういうことは対局していれば、ほぼ毎局直面するのですが、対局者でなくても、観戦でもある程度は体験させて貰える。
 実際にはそう言う気分にならない対局もあるので、ある程度対局者的気分を味あわせて頂ける対局を見せて頂けると、ありがたいと思うのです。

 私にとって感染していて難しい対局は、概ね「淡々とした進行」で「寄せ合い」の勝負みたいな一戦です。
 勿論これは、私にとって相当に難しいと思う。
  囲碁では、結果的に勝負はつくわけですから、淡々とした進行と言えどもどこかに勝負どころがある・・・はずです。
 その勝負所に敏感であるかどうか、流れを変えていくような力があるかどうか・・・その辺の自信は全く無い。
 要するに結果的に状況を数字で考えることがヤヤ(同じような棋力の人の中では)得意技だと考えていますが、しかし、これはあくまでも結果の状況把握であって、状況を作り出す力では無いところが、棋力的に及ばないところです。
 いずれにしても、こういう剣客がにらみ合ったまま動けないようなイメージの碁は苦手を通り越している。

 やや分かりやすいのはやはりアマチュア的な戦いの碁です。
  少なくとも戦いでは部分的の場合もありますが、結論は出しやすい。
 それでも悩む時もあるから困ったものです。
 例えばある局面で、野次馬としてはA-B-Cのような手順で進むと思ってみていると、必ずしもそうはならないこともあります。
 こういう時に例えばCと言う手が初めに打たれると、C-B-Aとなるとは限りません。
 むしろ予想とは全く別な道を辿ることになります。
  そういう具合に両対局者による戦いが進行していくと、野次馬としてはなんだか置き去りにされたような気分になるのです。
 まあ野次馬を置き去りにしようがしまいが対局者の勝手ですが、野次馬としては「どうして予想と違う展開なってしまったのか?」非常に不安な気がします。
  予想が勝手読みだったのか、あるいはどちらかに偏った考え方だったのか?案外悩むものです。
 これはリアルなら当然局後にインタビューしたいところです。
  ネットではそうもいきませんから、やり残した宿題が溜まっていくような・・・マア、でもそういう予想外なことが多いから囲碁は飽きないのですね。

子供プール

2009-06-17 18:54:36 | Weblog
 子供時代、小学校にはまだプール設備はありませんでした。
  中学校時代にも無し・・・建設のための寄付金は要請されましたが、出来上がったのは私たちが卒業してからで、学校にプールがあって夏の体育の授業で水泳があったのは高校に入ってからです。
 そういう条件は悪かったのですが、生まれ育った町内の男の子供はたぶん100%泳ぐことが出来たと思います。
 潮風が吹くような海に近い町で、町内を流れる川は満潮時には海から潮水が上がって来る、自転車で15分くらいで海で泳げる場所に行けるくらい近かったから、泳げるのは当たり前かも知れません。
 尤も、子供自身にとっては泳げなければ真夏には友達との遊びに参加しにくいので、泳げるようになるには努力をしたのです。
 それが、町内のある子供プール!?。

 その辺りの地形では、北側に約1000メートルの高さの山があってその裾野に道があり、海に続いている形です。
 雨が降れば水は地表を流れるものと地下を通って海にながれるものがあると思いますが、いずれにせよ一気に流れ去ってしまうのではなく、海の近くで垂水のような地形ができるらしい。
 昔の人の知恵か土地の利用のためか、ところどころに池があったり、蓮田のような水田に出来ない土地が出来るようです。
 町内にも池がありまして、そこは貯木場として利用されていましたので流石にその池では泳げません。
 普通は川の水が池に供給されるのですが、その池に水は川水では無くて地下からわき出している水でした。
 まあこれが綺麗な湧水なら近所の名所に成れたでしょうが、そこまでは良い水では無かったらしいのですが、それでも湧いてくる水の量は多いので50メートル四方くらいの貯木池を満たしていました。
 その湧き出す口のあたりがコンクリートで固められていてプール状になっていました。
 冬には障子の張り替えの時の戸の洗い場くらいにしか役立ちませんが、夏は小さいながらも子供用のプールでした。
 正確に言うと、泳ぐと言うより水遊び用のミニプールでしたが、それでもここでまず水に慣れ、泳ぎの基本を覚えたのです。
 そして、真夏には海に突き出す突堤。
  中学生くらいの大きな子が小学生の面倒を見ると言うか、怖い鬼コーチと言うか・・・マア日頃水に慣れているので海に投げ込まれても大丈夫なんです。
 このあたりの海にはワタリガニ(ガサミ)がいるので、泳いだ後のご褒美があるのです。

 地形の話をしましたが、近所にある野球が出来るくらいのグランドの隅には7,8メートル四方の岸を丸太で固めた池があります。
 誰ももぐったことが無いので深さは分りませんが、かなり深い感じがします。
  この池に流れ込む小川はありませんから、要するにここは周囲からの水を抜いているか、ここに湧水の出口があるのでしょう。
  他にも近所には池があって鮒釣場だったりしましたが、池の形は奇麗な長方形でした・・・今思うと自然の水で出来た池だけれど人の暮らしのために長方形で人家の中に存在していたのでしょうね。
 暑くなって来ると、子供時代の「プール」や池が多い土地だったことなどを思い出します。

 自分の嗜好ですが、レンコンが好きなのはこういうところで育ったからかも知れません。
 特に蓮の実など懐かしい・・・こういうものは大きなスーパーでも売っていません。

 

強くなった気分

2009-06-16 18:39:33 | Weblog
 今日は管轄地域の関係事務所の立ち入りデイ。
  聞き取りなど調査をする立場ですので、見落としなどが無いようにする事以外には特段の注意は必要ないのですが、私個人としてはどういう地域をどれだけ歩くのかが大問題です。
 先週は最悪に近かった。
  つまり、まず自分の勤め先からバスターミナルのある駅前ロータリーまで歩き、バスで移動後は歩くしかない。
 それも坂道の多い住宅地。
  心の中ではヒーヒー言いながら、顔は同行者に悟られないように・・・
 行った先に駐車場が期待できる所なら良いのですが、1日の訪問予定が全て駐車場完備と言う保証はないし、公務としては僅か30分でも路上駐車は出来ないし、やはりこの脆弱な足に任せるしかないのです。

 ところが今日は歩く距離が短かったし、ほぼ自転車で移動できる地域でしたので、それなりに機動力があり、且エネルギー消費が少なくて済みました。
 私はマイチャリ、同好者には事務所備品のチャリ。
  流石市街地の公務はチャリンコでエコですねと誰かが褒めてくれても良さそうなんですが・・・
 まあ、私としては徒歩移動では無いから、誉められなくても満足。
  しかもいつもの疲れ方とは全く違います。
 まるで私の体力が増強されたかのように・・・今日は疲れ切った状態とは違います・・・先週は体内バッテリー切れ寸前だったのに、今週は余裕です。

 ところで、自分が強くなったみたいな勘違い話をもうひとつ。
 夕べは久し振りにPネットで観戦しました。
  Pと言えば一つしかないので、わざわざPということもないのですが、多少悪口めいたこともあるのでPとして置きます。
 例によってなるべく手数の少ない、自分とあまりかわらないであろう棋力の方の対局を覗きます。
 観戦したのは、進行がだいたい20手あたりの対局。
  例によって?ここは激しい戦いが多いような気がします。
 この1局も序盤から捻じり合いになっています。
  その捻じり合いの最中、黒の仕掛けに白危ういと見えた瞬間、白も最強の対応で、黒が妙手を放ったかに見えた・・・。
 しかし多分これは黒さんの勝手読みで、黒さんの読み通りに進行すれば確かに黒の妙手であったはず。
 しかし、白さんの立場で、黒の期待する手順を変えると・・・アララ、黒のタネ石が抜けてしまう。
 つまり、この場面で勝負あったと見える。
  しかし、この後数手黒さんは打つのです・・・が、投了。

 さて、そもそもこのくらいの棋力の人にしてはウッカリミス。
 そしてミスを咎められた後も少し打ち続けた・・・やはり気持の整理か?
  こういうものを野次馬で見ているとなんだか自分は対局者に見えないものが見えているようで、なんだか強くなったような気分。
 でも、これが当事者と観戦者の違いなんですね。
  このネットで、10分ごとに25手は長い方なんですが、それでも1手平均24秒。
 「平均」と言うものが曲者ですね。
  対局していて必ずしも「長」「短」のとりあわせが程よく混ざっているとは限らないし、場合によってはいくらでも時間が欲しい時もある。
 そういう中で打っている人と、お茶を飲みながらの見物とは大きな差があるようで・・・(事実は違うのは分かっているけれど)強くなったような気分。
 ァー、これは幸せな勘違い。