なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

腕前がわかる?場面

2008-06-30 17:53:45 | Weblog
 危機管理能力という言葉があります。
  勝負事、それもチームで戦うような種目で、ピンチの場面には結構直面しますが、こういう時の対処の仕方が結果として大きな差を生むようです。
 チームが好調な時は何にもしなくても良い方に転がるから、コーチもキャプテンも殆ど苦労はしない。
 しかし、調子が悪かったり、どこか連携が悪かったり、相手が普段以上に力を発揮したりする時はあるもので、、、こういうときの対処の仕方が問題。
 
 囲碁の場合も危機管理ともいえる場面がある
 相手がこちらの弱い石を取りかけに来る時もそうですが、他に大模様に打ち込んだり、打ち込まれたりした時の対処。

 土曜日は図書館の定例日なので午前中に行って来ました。
 今日借りた囲碁の本は棋苑囲碁ブックスの
 「打ち込み後の攻防」 小林覚 九段 棋苑図書。平成13年
  図書館の囲碁関係の本の種類が少ないので、選択肢は少ないのですが、ともかくこの本は読んだことが無いので借りました。
 どういうレベルを対象としているのかは分かりませんが、一局の囲碁には出てくる場面が多い。
 家に帰って本をめくると・・・まず私の囲碁の本の読み方として、最初に前書きを読み、途中にコラムがあればそれをチェックし、後書きがあればそれも目を通します。
 この本の場合はまず前書き・・・これは裏表紙にある・タイトルは
 ●中盤の戦略眼を磨こう○とあって「中盤の戦闘力をアップする一番の方法は打ち込み後の攻防をマスターすることです」と書いてあります。
 私は割合素直にこういう言葉を信じます。
 せっかくこの本を読むのに信じて読む方が良いような気がしますし・・・
 私の碁は相手に大きな模様が出来そうになる場面が多いので、「打ち込み」関する勉強は必須科目です。
 前書きの最後の部分に「有段者必須の本格棋書」ですとある。
  マア、有段にもピンからキリはあるでしょぅが、ともかく一寸覗いた感じでは面白そうです。

 次に途中のコラム・・・これは二つ
 「イジメ成功の二大指針」
  学校や会社・勤め先でイジメはいけませんが、囲碁においては最も確実に勝利に近づく方法のような気がします。
 普段はおっとりと良い人顔をしていますが、しっかりイジメて勝率を上げなくては・・・
 「真価を問われる攻防の大局感」
 要するに腕前が分かる場面ですね。
 アマですから、「やったは良いけれど失敗する」あるいは「考え方はまづまづだけれど力が・・・」そういうのもありそうですが、ともかく「狙い所は良い」という感じにはなりたいですね。
 勿論、最後まで巧く行くのが一番良いのに決まっていますが、当面は「目の付け所は良い」という辺りでしょうか。
 そういう意味では腕前が分かってしまいます。
   

  

フロクで強くなれそう

2008-06-29 16:07:29 | Weblog
今日は朝から雨だし、どこかに出かける予定も無い・・・実は日曜日に雨が降ることを見越して、出かける用事は済ませてあります。
 日常の生活で、TVでニュースを見ることと、天気予報を見ることが大切。
 尤も、晴れたからといって外で何かをやるわけではないので、晴耕雨読とは違います。
 ともかく、今朝は自分の廻りが余りにも散らかっているので、片づけらしいことをしました・・・と言っても、自分の体から半径1mくらいですが、、、しかし久し振りの片付けです。
 普段は女房殿が掃除にやってきますが、この場合はゴミと間違われて捨てられないようにする予防措置が中心です。
 要するに片付けるのではなく、捨てられないようにする緊急避難。
 そういう事を繰り返しているうちに・・・ドンドン溜まってきます。

 昔、縁日で暦を売るような店があったり、なにやら易者みたいな人が口上のように話していたのを思い出しました。
 ホンの部分的ですが、例えば「年回り」・○年生まれの女性の相性はとか、干支でネズミ年の性格は・・・とか。
 マア、そういうくくり方が出来るのなら、同じ生まれ年の人は皆同じ運命とか、同じ性格になってしまうので、子供心にもマユツバでしたが。
 それでもネズミ年は「働き者」「物を貯める」・・・人それぞれですから平均50%当てはまるのでしょうが、私の場合は前半分は明らかに誤りで後ろの方は当てはまるかも知れません。
 但し、お金を貯めるのではなくて、「何でもかんでも」溜め込む性格・要するに整理整頓が出来ない。
 それでも何年に一度かは思い立つこともある。

 私は自分で名づけて「ベッド生活者」と呼べそうです。
 というのも部屋にいるときの大半・イヤ大部分の時間はベッドの背もたれにもたれて、足を投げ出したスタイルで本を読んだり、ネット碁を打っています。
 何かを書いたりするのもそのスタイルです。
 そのために愛用しているのが、キャスター付きのコの字型のテーブルです。
 35cm×45cmくらいのテーブルですが、足がベッドの下で、テーブル部分がベッドの上に来るので大変重宝していて、2年程お世話になっている。
 今は一つですが、もう2つ買おうかなとも思うのです・・・パソコン用、読書用、作業用と使い分けると・・・そこまでやると、恐らく女房殿の目が三角に変形するでしょう。
 それと、もう一つ愛用しているのが、同じくキャスター付きの4段整理棚おき
 こういうもとゴミ箱とをベッドの廻りに置いて、たいてのものが手を伸ばせば届くという文化的?生活をしている。
 欠点は放って置くと身の回りに物が増えてきて収拾がつかなくなるということですから、、、マア、仕方なく一念発起。

 片付けていたら、NHK囲碁講座のフロクがたくさん出てきました。
 これは「練習問題シリーズ」というのですが、一番古いもののタイトルが「星に強くなろう③両ガカリ・ハサミ編」というもの。
 これは2007年6月号のフロクで以下2008年7月号まで全て揃っている。
 初めの「星・・・③」からというのも変なのですが・・・考えて見たらあることに思い当たりました。
 発行が2007年6月号、これは去年「生活習慣病クリニック」に通い始めた時期に重なっています。
 要するに、待合室で暇つぶし代わりにクリニックの近所の本屋で買ったのが始まりで、毎月通院するのでその都度買うことが多いということです。
 たまには発行時期と通院が合わない時もあるのですが、「月刊誌を買う習慣」が出来てしまったらしい。
 ともあれ今は14冊のフロクが残っています。
 A4サイズの4分の1くらいで64ページですから、ゴミに紛れてなくなりそうな感じですが、流石にネズミ年・・・イヤ捨てない性格?なので手元にありました。
 マアもっと古くから定期購読している人のもとには、もっとたくさんあるはずですが、ともかく手元にある14冊のタイトルは、、、
 「星に強くなろう③両ガカリ・ハサミ編」
 「星に強くなろう④小ケイマ構えでのツケ対策編」
 「星に強くなろう⑤三々入り編」
 「小目の基本」
 「目外し、三々の基本」
 「高目の攻防」
 「攻め合いの基本」
 「石を取る基本」
 「コウの基本」
 「ヨセの基本」
 「良い形、悪い形」
 「変化球に対応する①」
 「要石を取る」
 「超簡単死活」
  しつこく全部書き出しましたが、この小さな冊子が月1の発行ですから、今までの物を丹念に読むとすると相当な効果があるような気がするのです。
 こういうテキストと言うか練習問題は対象とするレベルがあるでしょう、、、
 多分NHK囲碁講座ですから中級の上から上級くらいか、物によっては初二段くらいかとは思いますが、これはあくまでも一つ一つのフロクについての対象。
 仮に、いろんなジャンルをテキストの意図どおりに理解・修練出来たならばそれは上級クラスは越えると思うのです。
 確かにある局面では、ある特殊な分野での力によって勝負が分かれるかもしれませんが、棋力という物差しは総合力で測られると思うのです。
 従って、こういう基本中心のフロクも、一見レベルが低そうに見えても幅広くマスターするのも総合力アップになるような気がしました。
 いつもなら、うるさいカミサンをかわすために仕方なく片づけをするのですが・・・今日は自主的な作業で、なんだか得した気分です。
 

ヤマモモのはずなんだけれど

2008-06-28 17:29:59 | Weblog
 毎年この時期に近所の歩道に赤い実が散乱しています。
 中学校と高層マンションに挟まれた道路の歩道で、ここは秋の国際駅伝のコースにもなっています。
 そこにその木は街路樹として植えられている・・・2本近く。
 実の色は深紅と言うか暗紅なので、見てくれはやや毒々しい気もする。
 落ちている実を見ても、木も葉っぱもどう見てもヤマモモなんですが・・・ヤマモモなら、食べられると思うのだけれど、あるいはシロップとかリキュール漬けになるはずだと思うのだけれど、いまだトライしていないので美味しいのか不味いのか、はたまた食べられるものなのか分からないのです。
 この辺りに引っ越してきて20年以上経つのに、自分は勿論誰かが拾っているところさえ見たことが無い。
 少し離れたところにイチョウの並木があるのだけれど、そちらでは銀杏を拾っているいる人がいるはずです。
 例の独特の臭いのする実が、朝早くには綺麗に片付けられている。
  銀杏の場合、外の軟らかい部分は食べないので道に落ちているものでもOKなのだろう。
 それに引き替えヤマモモは、柔らかい実は落下すると潰れたり、潰れないまでも人が通るところに転がっているわけで、拾いにくい心理はあるでしょう。
 人間の心理はともかく、鳥にも相手にされていないように見えるのが問題?
いや、実の所は分からない・食べているところは見たことがないだけかもしれない。
 近くに大きな公園があるせいか、ここでも鳥の声はかなりしているのですが、これは木の葉の茂みの中で争って実を食べている声なのか、他の木なのかは分からないだけ。
 少なくとも人には相手にされていない木が20本近く街路樹として植えられているのは何故でしょうね。
 彩にはなるかもしれないけれど・・・ドングリの実がなる街路樹と似たような意味だろうか・・・ドングリは拾う人がいますが。
 もしかして、木下にブルーシートを敷いておいて、収穫するという手もあるのだろうが、小鳥も食べないものが食べられるのだろうか。
 ネットの図鑑とか樹木を検索すると、どう考えてもヤマモモだし、ヤマモモだと食べられる風に書いてある・・・
 何時だったか身内の祝い事のデザートにヤマモモの実が出たことがあります。
  生だったか、砂糖漬けだったか定かではないのですが、甘すっぱい味を憶えています。
 ただ、それは直径3cmはあったから、栽培品種と言うことか、こちらは野生種に近い?
 ともあれ、街路樹のヤマモモ、食べられるかどうか20年も迷っている
  人前で拾う勇気が無いのですから、夜中に人通りが無くなってから拾うか、枝先に付いている実を取れば懸案は解決できるのですが・・・実行力・決断力が不足しているようなので、この先も迷い続けるでしょうね。
 但し、仮に美味しいとか、何かの利用価値があると分かればそれはそれで問題が生じる恐れがあります・・・街路樹は公共財産なので、その実を勝手に取って良いのかどうか・・・。

 迷うといえば、勤務先の事務所の横にある大きなガレージの裏・・・そこは小さな水路に面しているのですが、水路とガレージの壁の僅かなスペースにいつの間にか1本だけ枇杷の木が生えていてたくさんの実をつけている。
 つい最近まで、水路の向こうには大きな建物があったので気がつかなかったのですが、建物が取り壊されると枇杷の木が突然出現した。
 さてさて、これはどう考えても我が敷地に生えている枇杷
 どういう経緯でここに根を下ろしたのかは定かではないけれど、他所の人が権利を主張するとは思えません。
 しかも枇杷は高級果実・・・9個で1万円もするギフト専門果実には及ばないでしょうが・・・それでも1個100円くらいの価値はあるかもなどといやしいことを考えてしまいます。。
 しかし、大きな問題があるのです、、、水路脇の狭いコンクリートの平均台みたいなところが10mはあるし、バランスを保ったまま枝の上の実を取るとなると、これはジイサマには困難な作業です。
 もし水路に落ちれば3m近い落差がありほぼ垂直なコンクリート壁があるからずぶ濡れで泥だらけは必至だし、加えて自力では上がれないに違いない。
 となると、若い人の出番だけれど、さて、やってくれる人はいるだろうか?
  それに苦労して収穫しても努力に見合わない味と言う可能性もあるし

 そういえば子供の頃に住んでいた所、、、川を挟んだ向こう側に石油精製会社の独身寮がありました。
 この庭に大きな枇杷の木がたくさん生えていて,初夏には卵形の黄金色の実がたくさんつくのですがこれは美味しかった。
 既製品のお菓子など少ない時代、私の枇杷の味の原点はこの枇杷の実の味です。
 おかげさまで、店頭に並ぶ枇杷に食指は大いに動くのですが、大枚をはたいて買うという”不条理”を克服出来ないので、未だに買って食べたことがありません。
  この時期は近所の悪ガキとオジサンとの知恵比べの時期でもある。
 その頃の記憶がいくらかでも頭に残りかすみたいにあるのだろうか、この年になっても実のなっている枇杷の木を見ると血が騒ぐのです。

中盤以降に勝負どころを持っていく方法?

2008-06-27 18:36:49 | Weblog
 先日勝った「簡明定石だけで勝つ方法」という本は、第一印象の魅力で買った様に書きましたが、実は本屋の棚の前ではかなり迷った挙句に買ったのです。
 手にとって、本棚に戻して・・・を3回はしたはずです。
  他の本との比較もありますけれど、「簡明定石」自体、今手持ちの定石の本を読み直して「黒簡明」とか「簡明な分かれ」と注釈があるものを集中して拾って行けば同じかも知れないと考えたりしたものです。
 ま、それでも「何かの寄せ集め」とか「同じ木を切り口を変えて見せただけ」でなく、新しくは無いにしても何かの考え方に沿って作ってあることに期待したのです。
 定石の変化図そのものは、「簡明」を期しているだけに難しくは無いので、一見レベルが低そうですが・・・確かにそうかもしれないのですが、もしかしたらこれが印象と実態のワナかも知れないと考える。
 つまり、実戦の変化にレベルの高い低いは意味の無いこと(私そのものは低いですが)、問題は簡明=低レベル、難解=高レベルというイメージではないだろうか
 マア、理屈はともかく「勉強し直し」でも良いから、この本を読んでみようと思ったので買ったのです。

 複雑なことを考えない・やらないで勝てるのですから、性格的にあっている?
 苦労して難しい変化を憶えなくても良い・・・憶えられないのですが・・・
  実戦で「簡明」と「簡明」がぶつかれば、それなりに盤上に火花は散ると思いますが、私のザル碁仲間にも「簡明路線では碁を打った気がしない」というような人が少なくとも二人は思い当たります。
 私は彼らと対局をする時いつものように複雑なことは考えていませんが、彼らはあたかも局面の複雑化を目的としたような打ち方をして来る。
 つまり私は単純化を、彼らは複雑化を目指して、盤上で火花が散る。
  もし、相手の目指す方向を避けるために妥協する形で回避したりすると、受身と言うか、単純化以前に凹み状態になりかねませんから、その時点で相手のポイントの可能性があります。
 かといって相手の誘いに乗って真っ向からぶつかるのも、相手の狙いのうちで、訳の分からない闇試合に引きずり込まれたりして、これまた相手の思う壺。
 単純・簡明が良いとは思っても、「揺るがない簡明」見たいな土台がしっかりしているのは結構難しいですよね。

 ところで、簡明の反対は難解です
 難解定石は手数が長い、途中に枝分かれみたいな変化が多い、大きな図になることが多い・・・従って情けないことに憶えにくいし理解しにくい・・・更に「憶える」というのもなんだか情けないような。
 ちょっとしたミスで、まるで嵌め手に嵌ったような劣勢に陥る怖さもある、、、この恐怖が難解定石を遠ざける理由だろうし、逆に難解定石を武器として好む人の心理かも知れませんね・・・特にザルレベルでの話しですが。
 相手が嫌がる定石を仕掛けて、相手が間違えば大戦果だし、嫌がって凹んでくれても良いわけです。
 何事も起きないにしても、もしかしたら相手に心理的プレッシャーになったかも知れない、消費時間で差がつく可能性だってある。
 更に「こんな難しい定石も知っているのだぞ」みたいな脅しになるかも?
  ともかく「簡明定石だけで勝つ」にはそういうことを乗り越えなくてはいけない
訳で「相手は奇を衒うのが好きだ」と澄ましてもいられない。
 その辺の問題点としては、簡明定石しか打たない方針だとしても相手があるわけで、「簡明定石だけ」を知っていれば事足りるかどうかと言うことでしょう。
 孫氏ではないけれど「敵を知り己を知れば・・・」であるならば、簡明を目指すにも難解は避けて通れない?

 ところで、難解定石とか新研究の新しい手とか、プロの世界・アマでも高段者の世界では1目もおろそかにしないを通り越して、何とか捻り出そうとする世界難でしょう。
 それに最近はコミの変化もあるし、、、ともかくトッププロが打った手をザル碁も真似する人はいるわけで、、、新開発の武器なのか単なる新流行のファッションなのかはともかく、対局で相手が打った手にクレームをつけるわけには行きません。
 ですから、簡明を目指しつつも、新手も難解にも無知ではいけませんね。

 盾と矛ではありませんが「簡明」対「簡明」で対局したならば、「簡明必勝法」というわけには行かないし、元々勝負事に必勝法があるかどうか(ほぼ無いと考えている)。
 つまり相手が間違えるとかがなければ勝負の振り子は傾かないのではないだろうか?
 ということは「必勝法」ではなくて「中盤以降に勝負どころを持っていく方法」となるのが正しそうな感じがするけれど、いかにも景気が悪いタイトルですね。

こいつに教えたい!

2008-06-26 17:41:25 | Weblog
 家の婿さん、と言っても同居している訳でもないし、同じ姓でもない。
 単に娘の配偶者に過ぎないのですが、、、彼が残念なことに無趣味な人間
  イヤ広い意味では趣味のうちに入るかも知れないが、、、
 仕事は真面目にやっているようだし、飲み歩くような趣味は無いからまずまずなんだけれど、敢えて遊びと言うとパチンコとかゲーム機のゲームとかパソコンのゲームだけらしい。
 人と話すのがやや苦手らしく、彼の趣味を考えると他人との接触無しで遊べるものばかり・・・社会経験を積み年とともに立場も変われば変わって行くとは思うけれど、そこが気がかり。
 それに、最近のパチンコは昔の競馬・競輪並にお金が出て行ってしまう危険性があるでしょう。
 さてこれは、嫁である娘のオヤジとして何か一言垂れたいところだけれど、社会人なんだから口出し無用か?、、、ジイサマとしては我慢のしどころかも。

 娘が可愛いから勝手にやきもきします。
  大学では好き勝手に羽根をのばし、卒業後試験に受かって免許を取得したとたんに結婚宣言して・・・「結婚してもいい?」ではなくて「結婚します」ですから、小気味が好いともいえるけれど、同時にわがまま勝手な娘でもある。
 そんな風に育ってしまった責任の何割かは私にもあるかもしれませんが。
  そんなことを考えていて、気がついたというより思い出した。
 もしかしたら婿さん人との関わり方が下手だとか、話をするとかコミニュケーションが苦手だとか・・・そういうことって、私も若い頃はそうだったかも
 パチンコのギャンブル性を心配しているけれど、ギャンブルに関しては私の方がめちゃくちゃだったかも。
 その私が婿さんに小言を言えるのか?
  
 私が結婚してこの娘を授かるまでには多少時間があって、その頃の趣味で既に碁は町の囲碁道場とか碁会所には通っていた。
 当時は上級から初段くらいだったでしょうか、相当熱心にやってはいましたが、若くてエネルギーが余っていたのか、ギャンブルも相当でした。
 仕事は真面目にやりますが、それは平日の昼間の話。
  徹夜麻雀で雀荘から会社に出勤するのも珍しくなかったし、土日ともなれば競馬です。
 中山開催なら土日ほぼ皆勤で、東京府中も日曜日には行っていましたし、中央競馬が休みの年末年始は地方競馬の船橋にも・・・
 競馬の遊び方としては、月曜日に発行されえる競馬週刊誌で週末の出走馬を調べたり、血統書を見て馬について勉強したり、金曜日には競馬新聞でレース展開を考えたりという・・・
 自分では単にギャンブルとしての競馬ではなくてもう少し幅広く楽しんでいるつもりではいましたが、人が見れば同じ競馬キチですから、今から考えると女房殿もよく黙って見ていたものです。
 加えてパチンコだってよくやったし・・・マアこれは今のコンピューター管理のパチンコではなくて、釘師vs客の腕のパチンコでしたが、、、
 ともあれ考えて見ると今の婿さんより、私の方が酷いような気がする。
  ただし、私の場合年とともに、子どもが出来るのも動機ともなって囲碁の方に軌道修正して、今では囲碁1本になっている。
 うちの婿さんもどこかでパチ・ゲームから足を洗う日が来るだろうか?
  そうなって欲しいのだけれど、是非囲碁に方向転換して欲しい。
 囲碁ならばギャンブルでないのは勿論ですが、碁盤の向こうには相手がいるわけで、人との関わりも不可避なわけです。
 今から囲碁を始めて高段者になれ無くても、そういう関わり合いが大事だと思うのです。
 是非彼に囲碁を教えたいのだけれど、唐突に捕まえて「そこへ直れ」で碁を教えるわけにも行かないから、何かきっかけを作らなくてはいけないですね。
 碁をやってみたくなるように心が動くものってありますか?
 

お題目

2008-06-25 16:46:03 | Weblog
 この「お題目」という言葉を割合最近まで誤解していました。
  うーんと広い意味で「お経」と同じように思い込んでいました。
 例えば時代劇で土壇場に追い詰めた相手に「お題目でも唱えろ」なんていう台詞が出てきたとすると、「自分で自分にお経を唱えろ」くらいに考えていた。
 マア、概ね間違いではないにしても、正しくは「お題目」=「南無妙法蓮華経」なんですね。
 いい年をして知らなかったのかと哂われそうですが、言い訳をすると・・・家は何処の檀家でもなくて、お寺での法事もお葬式も他所の家の用事です。
 父と母の葬式はお寺で行いましたが、お墓の土地を借りるための方便みたいな感じですから、私個人としては両親を弔ったという気分はややうすかったか。
 どちらにしても、神仏を信じていると言うわけでもないので、その分そっちの知識も少ない。
  今、図書館から借りて読んでいる本で知りました(前にも聞いたことはあるような気はしますが、忘れていたのかも知れません)。
 宮沢賢治の遺言の話で「お題目」が出てきました。
  しかし、これから話したいのは宮沢賢治でも遺言でもなく・・・
 ありがたいお題目を唱えることで何かしらありがたいことが起きるのなら、囲碁の方でも何か唱えれば、少しは効果があるかも知れない・・・という安易な発想
 早速手元にある、図書館から借りた「正々堂々 高尾の力学」からお題目みたいな・テーマの脇に付いているサブタイトルめいたところを抜粋
 第1章 力を貯める
  1 弱点を無くせば碁は簡単になる
  2 堂々と構えて左右を見合う
  3 石が弱くなる前に打つ
  4 弱い石は一つまでに
  5 愚形をさける
  6 早目の警戒
  7 ぼんやりはつなげる
  8 相手を厚みに追い込む
 第2章 力を出す
  1 力を出してわかりやすく攻める
  2 目を作らせると難しくなる
  3 見た目の外回りにだまされない
  4 強い石からは踏み込む
  5 石は連絡していれば強い
 第3章 わかりやすく打つ
  1 大きいところを2つ残す
  2 次の手をわかりやすく
  3 味のない方へ追う
  4 守りと踏み込みの呼吸
  5 攻める時こそ気配りが必要
  6 攻められない石とは
  7 取るべきか取らざるべきか
  8 形を決める加減

 書き出して見るとたくさんあるので驚いています
 それぞれ棋譜とタイトルがセットですから、言葉だけでは分かりにくいかもしれません。
 そういう意味では「お題目」のワンフレーズに較べたら大変な量ですが、それでも囲碁を打つのにはこのくらいなら「簡明」な部類ではないでしょうか。
 いつでも正しい・何にでも当てはめられるかどうかは100%ではないにしても、一つの参考になるとは思うのです。
 打っていて、ふと思い出したりして。

 「高尾の力学」について整理したり、本を読み終えなければと考えたのには、返却期限とは別にもう一つ訳があります。
 今日は、いつもの病院(二つ通っていますが)の定期健診日で、近くに囲碁・将棋の本が割合たくさん置いてある本屋が近くにあります。
 本屋に寄るついでに病院に行くような気分です。
 しかも病院の薬は出来るだけジェネリックにしてもらい、浮いたお金で本を買おうというわけです。
 そんなわけで、検診日は必ず本屋に寄りまして、今日は
「簡明定石だけで勝つ方法」 林海峰 2008年5月 を買いました
 マア、中身をどうと言う前にタイトルが好きです。
  内容は、多分手持ちの定石関係の本で、「黒簡明」とか書かれているような定石形を選び出してあることでしょう。
 中で、「黒オススメ」「白オススメ」とあるので、簡明・オススメを選んで行く闘いを学ぶことになるのでしょう。
 ともかく、高尾のサブタイトルと「簡明」とは無関係ではなさそうです。
  
 簡明=基礎と言うことで、=やさしい=低レベルと考えられ勝ちだとは思うのですが、私個人としては、何度も何度も基礎部分のチェックが必要だと考えています
 マア、ジイサマですから土台がシロアリにやられているかもしれないし
 「最新の定石・研究」のようなものにも興味はありますが、自分のレベルでは基礎優先でしょう。 

町にキリン?

2008-06-24 18:11:40 | Weblog
 キリンと言ってもお笑いのキリンさんではありませんで、正真正銘のキリン
  月曜日の帰り道に自転車で走っていて、ふと前方を見ると・・・斜め前方の平屋の屋根の上にキリンの上半身が出ている!
 ここは動物園ではありませんから、「いきなりキリン」と言う感じで驚きます。
 初めは「何でキリンがいる?」と驚きましたが、、、そう言えばここはサーカスのテントのあるところだと思い出した。
 キリンがいても不思議ではないけれど、しかし、「キリンって何か芸をするのだっけ?」
 熊とかライオンなら分かるけれど、キリンの芸はまだ見たことが無いと思う
 ま、ともかくタダでキリンを見ちゃったみたいな、少し得した気分です。

 ところで月曜の夜から火曜の朝にかけて、久し振りの快眠・熟睡です。
 なんだかこういう表現をすると、普段は不眠症みたいですが(生まれてこの方、眠れなくて苦しんだことはありません)
 子ども時代には遠足とか運動会の前夜寝付けないとか、大人になっても囲碁大会の前に日とかに軽い興奮があったりはしましたが、それでけのことで、苦しんだことはありませんし、悩み事で眠れない・胃が痛いなども皆無です。
 ともかく夕べの話・・・日曜日のぐうたら振りが尾を引いている。
 土日は一歩も家から出ずに、ひたすら視神経などを酷使したらしい
 特に日曜日は酷い
 早指し将棋に早碁の番組、何でも鑑定団の再放送、落語特選会、「篤姫」をBSで夕方5時から見ておいて、7時からは女子バレーのアメリカ戦とサッカーのバーレーン戦を掛け持ち、その後はファンジニ・・・しかも合間を縫ってネットで2局打って、本も4分の1程。
 常に目を使っていたことになり、しかも殆ど光る画面

 ウォーキングが体に良いとか言う以前の問題ですね。
 自分の部屋に閉じこもっているわけではないけれど、バアサマからは「たまには表を歩いたら」と小言を言われています。
 昔は親から「天気が良い日は表で遊びなさい」と言われたものですが、この年になっても同じことを言われています。
 本当に、たまには表に出て目と体と頭をリフレッシュしなければ生けないでしょう・・・分かってはいるつもりですが、仮に実行したら季節柄即雨になるでしょうね。
 ともかく土日はそんな感じでしたから、目と神経は疲れていたらしい。
 体は疲れていませんから、気がつかないのですが、、、
  一見図太い感じですが(体も神経も)、意外と神経が疲れれる体質(ホント)。
 そして月曜日には真面目に居眠りもせずに働いて(当たり前ですが)・・・夕食後「今日は面白い番組が無いね」とすぐに部屋に引き上げたのが8時頃。
 そして目が醒めたのが午前3時
  ネット観戦もせず、本も開かず7時間近く眠っていたことになる。
 そして30分もしないうちに眠って、次に起きたのは「朝ですよ」のバアサマの声で、、、これが6時半だからトータル10時間近く眠ったことになる。
 完全に連続ではないところがジイサマの情けないところですが、それでも10時間眠る体力がついたのかも・・・それなら良いのですが。
 ともあれ、月曜日は囲碁については空白でしたから、火曜日は打たなくてはいけないと思う。
 但し、こういう日は要注意日、勢い余って滑ってこける可能性大
  これは私だけかどうか、体調万全見たいな日は・・・案外勝率が悪い
  勿論体調が悪ければ結果が良い訳はないのですから難しい。
 理想的?なのは、僅かに疲れ気味、あるいはどこかに怪我をしていたり・・・いずれにせよ力みが無く、力が抜けている状態。
 こんなに限定条件があっては勝率を上げるのは難しい。

消化試合!?

2008-06-23 18:29:38 | Weblog
昔、ワールドカップアジア地区最終予選の最終戦、試合終了間際に相手の得点を許して、日本の初WC参加が4年遅れたことがありました。
 日曜日の夜の後半終了間際の得点でそんなことをチラッと思い出しました。
 と言っても状況は全然違います、あの時は最終予選で夕べは3次予選、しかも両チームとも次のステージへの切符を手にして、謂わば消化試合。
 ですから、「勝負事は負けるより勝った方が好い」と言う程度だと思う・・・
 後日抽選をやり直して組み合わせが決まり、同じ相手とまた当たる可能性があるから、「やりにくい相手」という印象を与える意味はあるとは思う 
 そういう意味では主力4人抜きの相手に終了間際の不思議な1点止まりというのは、「日本の最後まで手を抜かない執念の表れ」と評価できるか「本当は相手も相当強い」と評価すべきか・・・私は悲観主義ではないけれど、どうも後者のような気がしている。
 プロの評論家ではないから巧く説明できませんが、例えばこんなシーンを想像するのです。
 バーレーンチームは帰りの飛行機の中で(イヤ宿舎でも好いのですが)、監督が選手たちに話しかける・・・
 「終了間際にドサクサに1点取られたが、今日は主力が4人抜けているのに、もう少しで得点できる場面もあった。日本とはお互いにホームで買って1勝1敗だけれど、我々に充分チャンスがある」
 それで、怖いのは元々”クセ者”が多い中東勢のことですから、次の最終予選ではかなりの力を出して来そう。

 水を差すようだけれど、これはエキジビジョンマッチ
 一部新聞の派手な記事を読んで、白けてしまいます
  ホーム有利として、そこでこの程度の内容で本当に良いのか?
  勝てば官軍で、PKの失敗とか、精度の悪いCKとか消されてしまって・・・
 マア代表チームの監督以下、サポーター向けの顔と選手向けの顔が違っていて、中では相当厳しいでしょうが・・・そうでなければ話にならない。
 いずれにせよ、最終予選は皆仕切り直しでスタートのやり直し
  仕切り直しと言えば、昔パリーグが2シーズン制だった頃、野村監督率いるチームが前期リーグを優勝して、後期リーグは大不調?だったことがあります。
 ところが年度優勝決定戦では見事にシリーズを勝って優勝!
  この後期リーグの不調を「死んだふり」と言いました。
 サッカーに死んだふりがあるかどうかは知りませんが、ともかく消化試合でラッキーパンチが当たって勝ったくらいで、喜んでいるのが怖い。

 勿論別の見方だってあるでしょうが
  例えば、だいぶ前ですが将棋の先生の本に、「相手にとってどうでも良い様な対局でも、そこを勝つことで流れを掴むことが出来る・・・」たしかそんな話だったと思う。
 順位戦で、昇級も降級もない相手にとって消化試合でも、それを勝つことでこちらは波に乗れる可能性があるという意味だったと思う。
 相手が勝ちに執着しない試合でも、こちらはキチンと勝っておく。
  そういう意味では勝ってよかったとは思う。
 ただし、やはり日曜の試合は勝敗以上に、何かの課題を試す試合だったはず
 そこのところが少し曖昧な気がする。

 囲碁で例えれば、相手の思わぬ善戦に手こずったものの、最終局面で相手が寄せをミスしたために運良く1目半勝ちになった・・・その程度の勝利
 勝って良かったのだけれど、結果から物事を見るクセがついたら怖いですね。
  

雨らしい雨に

2008-06-22 16:49:12 | Weblog
 今日は朝から雨が降っています。
  降ったり止んだり、弱い雨だったりかなり強かったり・・・マア雨も必要なので仕方が無いのですが、さきの被災地の方々は大変だろうとお察しいたします。
 私の出身地は「もうすぐ大地震が来るぞ」と言われ続けているところで、いろいろ防災対策を進めているらしいのですが、神戸・新潟・能登・東北と他の地域で先に大きな地震が発生しました。
 全く天災というものは気まぐれなものですね。
 私の故郷は火山性の地震の可能性もあり、フォッサマグナもありで、いつか必ず起こるであろうとは思いますが、そのいつかが分かりません。

 さて被災地では大変でしょうが、そういう危険が無ければ雨そのものは嫌いではありません。
 窓越しに聞こえる雨の音、ベランダの手すりか、あるいは電線からか立ち木の枝先からか、垂れる雫の音が好きです。
 町全体が発する音が少し低くなって落ち着いた感じが好きなのです。
 日曜日は敢えて出かけるところも無いので、いつも以上にのんびりムード
 NHKの将棋の対局を見たり、MLBの試合を覗いたり、お宝鑑定団の再放送、故古今亭しん朝の落語を見たり・・・結構忙しい。
 ネットで囲碁を2局(明け方に1局、午後に1局)
 6じからBSで篤姫とACL、7時からのバーレーン戦と女子バレー
 更にファンジニにチュモン・・・
  全くWブッキング状態です、、、こんなにTVやパソコンばかり見ていて良いものか、われながら心配になります。
  この過密?スケジュールの合間に本を読んだりしていますから、目を酷使しているかも知れませんし。
 全く平日にちゃんと休んでおかないと、土日にはしっかり遊べないと言うことを実証していようなものです。

 さて今日の対局は
 明け方の1局では、自分のアホさ加減に今更ながらがっかりしました。
 やや非勢の局面から、形勢不明の状態に戻せたと思った瞬間、大チョンボを打ってしまった。
 1手のミスで、無条件生きになるところを相手にコウでの勝負手を提供してしまった、、、全く打った瞬間「アッ!!」状態。
 しかも試合巧者の対局者は、すぐに勝負に来ないで、アチコチコウ立てをチラつかせて打ちまわし、最後に止めのコウ争いに。
 私のミスから始まったとは言え、そんなにうまく打たれてはかないません。
 しかし始まりが始まりだけに情けない1局でした。
  午後の対局の方は、朝方の失敗を引きずらずにマアマアうまく打てた感じ
  ひさしぶりに私が大模様で打ちました。
 これは相手の実利対私の大模様と言う展開ではなくて、両者の模様の張り合いと言う1局。
 こういう碁は地合い計算が難しいところがあるらしい・・・
  私としては大差のリードだと考えるのですが、相手は結構細かい寄せを丹念に打ってきます。
  こういうとき疑心暗鬼の囚われそうになります
 何度も何度も数え直し、、、残り僅かな時間を地の計算に多くを割いてしまいます、、、『何で投げてくれないのだろう?』と考えてしまうのですから、きっとこういう心理状態は”不遜”であるし”無用な思案”なんでしょうね。
 自信の無さの裏返しでもあるでしょう。
  終局すればやがて明らかになるのですから。
 結果は20数目差・・・結果に対する同意のサインに時間がかかったのは、相手にとってはきっと予想外の結果だったんでしょうね。

はじめが半分

2008-06-21 16:34:34 | Weblog
 韓国の諺に[はじめが半分]というのがあるらしい。
  正確な表現はわからないし、諺としてあるのか、誰かがその場の思いつきで言ったのかも分かりませんが・・・ドラマの中の聞きかじりなので、詳しいことは分かりませんが、意味としては分かるような気がします。
 「困難なことでも、始めれば半分やったようなもの」とか「ともかく始めなければ何も始まらないとか」「出来る出来ないは確立半々ですから、始めた時点で半分の確率」そのような意味ではなかろうか。
 日本の言葉で言えば「物事を思い立って始めれば、半分は出来たようなもの」くらいな意味でしょうね。
 確かに始める前にいろいろ考えあぐねて腰が上がらなかったのが、重い腰を上げた勢いで半分は行きそうです。
 多分に楽観的ですが、何かをやろうとする時はそのくらいが良い。
 ところが、ほぼ反対の意味の格言らしきものがあるから油断できません
 「最後の詰めまで来て、道程の半分」みたいな戒めです。
 合せると「はじめが半分で、最後の仕上げが半分」・・・すると、途中は勢いだけみたいですが、まあ細かいことは考えないことにしましょう。

 さて金曜日の業務は、朝から馬力をかけて取り組んだおかげで昼ごろにはほぼ片付いてしまいました。
 週末ですから気分は「店じまい」状態です。
  しかし、仕事は出来高払いではないので、「仕事をしているかどうかは、その時そこにいるかどうか」みたいなものですから、、、まるで「のんびりやっている人のほうが真面目」に見える、、、私みたいに「暇を作って遊んでいる?」のは悪い方の見本みたいですから、午後はまとまった仕事は無いのにあたかも「何かをしている」ようなジェスチャー大会です。
 悪いことに同僚たちは現場に出かけてしまい、残ったのは上司と私の二人きりで、差し向かい状態。 
 イヤそれでも、目の前に仕事があると後先を考えず片付けてしまう?・・・「性分」ですね、、、おかげで週末に午後の地獄の苦しみです。

 机の周りを片付けたり、ファイルをチェックしたりしたり・・・それも終わって、こうなったら最後の手段は棋譜並べしか無い。
 と言っても碁罫紙とかパソコンの画面でやるわけにはいきません。
  これは頭の中でやる作業です。
 それも、古い碁とか先日の挑戦手合いの棋譜は無理なので、自分の直近の負け碁が並べるには良さそうです。
 机の上に資料などを置き、ノートパソコンの画面を見つつ、実は頭の中では棋譜並べ・・・作業中、私がボンヤリとアホ面していようと、スタイルは仕事中
 時々パソコンの画面がスリープになるのはいけませんから、右手でマウスを時々動かしたりする芸の細かさ。

 ともかく、負け碁の一人反省会
  囲碁の門外漢の人が聞いたら「何をしている」と怒るかもしれないし、碁キチ仲間でも呆れるかも知れません・・・しかも、熱心な割には効果が・・・
 しかも、いいところまで来ると、電話が鳴ったり
 不意の来客が立て続けに
  やはり仕事は楽をさせてくれません。
 

上手くいかない時

2008-06-20 17:29:39 | Weblog
 先日「釣り紀行」の番組で故郷の川が出てきました。
  厳密に言うと「オブナ釣りしかの川」というほどんれ親しんだわけではないが、今回の大合同以前に市町村合併するまでは隣の町でしたが、高校が小学区制で同じ区域なので、同級生の家があります。
 それにこの川筋は山越えで甲州に抜ける国道になっていて、道筋に親戚の家があり、夏休みなどは吊橋を渡って遊んだりしたところです。
 そして街道筋に小さな小さな1万石の大名の領地があったり(1万石から大名ですから、一番小さい大名家の一つ)。
 そうそう、次郎長が売り出す前までは、ここに小島(おじま)桃太郎だか金太郎というご同業がいたらしく、そちらが老舗だったとか・・・
 さて釣り紀行では天然鮎の毛鉤釣りです
  私も若い頃は川によく釣りに行きましたが、鮎はやらなかったのでこの川には来ないで、伊豆の狩野川がホームグラウンドでした。
 それでも、友釣り以外に毛鉤で鮎を釣るのが許されているとか、関東方面では一番解禁が早いとかは知っていました。
 いずれにせよ二重三重に懐かしい川です。
  それに先日姉が送ってきてくれたお茶もこの川の上流が産地です。
 同級生のミカン農家、川原に大きな石があるところ、、、
  懐かしい物、事が一杯ありますが、将来行くことがあるかどうか甚だ怪しい
 要するに「遠くにありて・・・」です。
  嫌なこととか辛いことがあったわけではなく、単なる不精です。

 さて、最近ネット碁で4連勝まではしましたが、やはり?ホドホドというか5連勝は出来ませんでした。
 しかも内容が悪い・・・とても残念な碁とは程遠い。
 序盤の・・・本当の立ち上がりから打ちにくさを感じていまして4手目で迷って時間を使ったり。
 こういうとまるでプロの挑戦手合いみたいですが、内容は全くの他人で、私のは単にどう打てば損をしないで済むのかが分からずに迷っていただけです。
 それは言葉の遊びではなく・・・例えば「どうやれば自分がよくなる・将来の形をイメージできるか」と「どうすれば大きな損・出遅れにならないで済みそうか」を考えることは、多少似ているけれど気持ちの面で大きな差がありそうです。
 残念なことに、私はどちらかと言うと後者の要素が多い精神構造らしくて、相手が局面の主導権を持っていて、私は後からついて行って、、、相手にミス・やり過ぎが出たときが出番みたいな碁。
 ところが、相手がドンドン先に行ってしまうとか、こちらから仕掛けたくなる気分とか・・・要するに「待てない」形
 今回はまさにそれで、、、中盤で差をつけられ終盤に勝負手らしいものを放ちましたが、無理をした分揺り返しがあって形勢挽回ならずでした。

 さてこの碁に直接当てはまらないとは思いますが、今日買った「NHK囲碁講座7月号」ゾーンプレス超入門に面白いことが書いてありました。
 <うまくいかないと考える理由>
 ① 本当はうまく行っているのに、古い基準に当てはめて、失敗したと感じているだけ
 ② 考え方は正しかったが、実行部隊がしくじった
 ③ そもそも「広さ」に対する認識や、「強弱」の認識が間違っている
  これは王さんの講座の4[急場の考え方]の一節ですが、何かと参考になりそう
 私の場合尤も嫌疑濃厚なのは③ですが、①も②もあります。
  全く救いがたい。
 

ロングスパート

2008-06-19 16:28:54 | Weblog
 毎日チャリンコ通勤していて感心するのですが、ママさんパワーと言うか、子どもを乗せたお母さんは速いのです。
 高校生たちともすれ違いますが、こちらは若い真っ盛りですから速くて当たり前
  お母さんたちの場合は、、、恐らく子育ての最中で、通勤の途上で保育園などに寄って行く都合もあるのでしょうね、毎日体力的にも時間でもギリギリの勝負をしていると言う緊張感があります。
 二人乗・場合によっては三人乗りは決して良いこととは思いませんが、子どもたちに今はやりのヘルメットなどを被せて走って行きます。
 私などは、緊張感とは無縁の町並みウォッチングムードですが・・・もうこの道を通うのも7年目になるので、益々惰性で且つ体力は落ちるばかりで、後ろから来る自転車に抜かれっぱなしです。
 それでも、たまには私と似たようなジイサマはいるらしく、私の帰り道に同じ方向に走っている人と抜きつ抜かれつとなりました。
 マア、少し差をつけられても信号待ちで追いつくと言う展開ですね
  あちらはどう思っているか定かではありませんが、私の方は妙にその人を意識し始めて・・・
 私の通勤路は概ね6.5kmですが、最高点と最低点の差は2mも無い平坦路。  そして、直線が約4km続きます。
   そこで先行する人を追いかける展開となりまして、直線残り1km地点
  何故1kmと分かるかと言うと、ここは秋に行われる国際駅伝のコースなので、道路脇の縁石に1kmごとペイントされているのです。
 その地点で彼のジイサマとは約50m差をつけられている。
  残り1kmで、50m差を逆転するロングスパート開始です。
 しかし、考えてみればアホらしいことではありますが、勝手にこういう遊びをしないと退屈してしまうでしょう。
 それに、私は高校生のような若さはないしママさんパワーも無いし、元々ダッシュは苦手ですが、ロングスパートなら出来そうです。
 小中高と体育の時間で短距離はクラスでもビリから数えた方が速いのですが、不思議と長い方は得意でしたから、ダッシュはダメでもロングは向いているかも
 
 マア、900m付近で交しましたから、お遊び成功でした
  さてロングスパートをしながら、心の中で『囲碁の追いかける展開もこういう感じかもしれない』などと考えていました。
 私は特に一気の追い上げにはパワーが不足しているし・・・その場合相手のミス・隙という協力が必要でしょうし。
 ジリジリと妥協しない折衝で追い上げて行く・・・これも自己満足度ではかなりのものがあるはず。
 尤も、追いかける展開になることは良いことではないから、そこが問題ですね
  ロングスパートなどとカッコいいことをいいましたが実情は、「はじめにアホな事をやって、余りのアホさに相手が油断しているところを、後ろからバッサリ闇討ち」、それも返り討ちに会う事も多くて何とも情けない。

夏休み恐怖症

2008-06-18 17:57:13 | Weblog
 随分先のことだと思っていたのですが、今年も夏休みがあと一月でやって来ます。
 今年の夏休みは家のバアサマが旅行に行くので張り切っている
 そのスケジュールにいつの間にか嫁いだ娘が相乗りになっていて「二人の方が安心でしょう」と開き直りです。
 そしてツアー最終日には現地に居る息子と観光するのだそうで・・・私の目の前で楽しそうに計画を立てたり打ち合わせをしたりしている。
 一寸癪に障るのは、ジイサマははなっから人数に入っていない!
  堂々の「お呼びでない」状態です。
 確かに体中悪い所だらけで薬漬けだし、旅行先で歩くにも人様に遅れがちだから「旅行に向いていない体」ではあるのですが・・・
 「こういう旅行は思い立った時に行かないと行けないものでしょう」とのたまってくれた。
 強くなった?・・・イヤ前からだったですね。
  息子が語学留学したいと言った時に、バアサマは大賛成したのは半分はこれが目的だったでしょうね・・・それが娘まで連れて。
 ともかく、夏の間の1週間か10日、炊事・洗濯・掃除をしなければならないのが頭痛の種です。
 食事は生存のためには何とかするだろうとは思いますが、、、掃除と洗濯は結婚に以来35年間で何回やっただろう?
 今までのツケを一気に払わされて・・・バアサマが旅行中に私はバツゲーム状態になるでしょう。

 もし仮に文句を言うと・・・多分返って来るのは
「誰に気兼ねも無く、好きなだけネットで碁を打てるでしょう?。それにコミュニティでも碁会所でも何処でもいけるし、時間制限も無いのだから天国みたいでしょ」となるだろう。
 過ぎた日々?を考えれば、「そのとおりでオマス」としか言いようが無いのですが、、、
 家に帰っても話し相手もいない・・・パソコンに向かってひたすら碁を打つ
  なんだか嬉しいような侘しいような
 マアその期間中も私はありがたいことに夏休みとは縁が無くて出勤予定なので、それが案外救いかも知れませんね・・・ともかく昼間は話す相手がいる!
  尤も少しは良いこともあるにはある
 いつもの夏休みですと、バアサマが夏休みに入った途端に家で活発に活動が始まって、部屋の掃除やらいつもは放っておいたところの片付けが始まり・・・ついでにジイサマへの小言が激増する季節。
 私はさほど清潔好きではないし、むしろ少し汚れ気味・薄暗い方が気持ちが落ち着くのだが・・・それを主張したらまるで人類ではないかのように白い目で見られる。
 部屋を片付け、掃除して、天気なら毎日でも布団を干したいらしいから・・・私は家で身の置き場が無くなる。
 ゴミの一種として片付けられそう。
  何かしたら、せっかく片付いたのに汚す?散らかす?・・・と言うことでジッとしているか、図書館に緊急避難するかどちらか。
 今年に限っては、少なくとも前半は旅行と旅行疲れで「お目こぼし」だろう
  そういう意味で恐怖の夏休みは、今年は半分になるはず・・・期待。

サーカス

2008-06-17 18:00:00 | Weblog
 良いお天気が続きそうで、梅雨の晴れ間というか、既に夏みたいな陽射しもあったり。
 それでもジッとしていても汗が出ると言うほどではないから夏本番はこれからと言うことですね。
 寒いのにも弱いのに暑いのもダメです。
 春秋の丁度良い季節が良い。
  夏になっても食欲が落ちることも無く、寧ろ体重が増える季節。
  それで居て冬に体重が減るわけでもないから・・・増えるしかない?
 冬は血管が収縮する危険性があるけれど、夏の方はそういう心配が無いだけ良いかもしれません・・・暑いのさえ我慢できれば。
 と言うのは暑いのには弱いのにクーラーは嫌いで、、、マア、真夏は扇風機の「微風」で凌ぐ一手です。

 ところで、通勤の途中に大きな駐車場があったのですが、少し前に地鎮祭をしていたので「何が出来るのかな」と思っていたところ、大きな赤いテントが現れまして・・・サーカスがやって来ました。
 子どもたちが小学生くらいだったら、きっとせがまれていただろうなと思うと、子どもの成長も嬉しさ半分寂しさ半分ですね。
 私の子供の頃は、田舎にやって来るのは小さなサーカスでしたが、冬の火祭りの祭礼の時、何年かに一度は来ていました。
 ブランコとか、地球儀みたいな中を走り回るオートバイが好きでした。
  私は今でもそうですが動物の芸より人の曲芸の方が好きでした。
 そういえば高校時代に、家の前が空き地だった頃そこにサーカスがやって来まして、家のまん前がサーカスの入り口ですから賑やかなことと言ったら・・・
 そんなことで、「迷惑料」かわりに家の家族はサーカスにフリーパスでした。
  しかし、そのサーカスで何を見たか全く記憶に無いところを見ると・・・もしかして私は見なかったかも。
 「タダでどうぞ」といわれると天邪鬼な性格が・・・
 それでも、そこのサーカスのライオンに赤ちゃんが居まして、ライオンの赤ちゃんを抱っこして写真を撮っていました・・・長いこと忘れていたのに通勤途中のサーカスでそんなことを思い出しました。

さて観戦した一局
 壮烈な捻り合いの碁でした。
 その両対局者、普段はそういう碁を打ちそうにも無いのですが、見物人が見ているということで引くに引けないような具合になったのだろうか。
 それにしても難しそうです。
  白氏は強烈の攻めで成果を挙げているような雰囲気はあるのだけれど、それが現実のどの程度かと言うと、案外差が無かったり・・・
 ボクシングとレスリング、ウェイトリフティングにサーカスが混ざったような碁?
  人の碁だと言いたい放題ですが、多分私の碁も似たようなものでしょうね。
 時間を置いて棋譜だけ見せられたら、散々悪口を言ったりして「実はお前さんの碁ですよ」と言われてがっくり来るシーンが目に浮かびます。
  まあサーカス碁でも良いけれど、綱渡りでも空中ブランコでも落下しないようにしなければ・・・
 もっともプロのサーカスなら「落ちそうで落ちない芸」、当方は「決して安心して見ていられない芸?」。
 冷や汗をかいてスリル満点ではある。
 


 

睡魔が襲う

2008-06-16 17:57:00 | Weblog
 休日の土日の話で、運転中ではないので一応生命の危険は無いのですが。
  どう言う時に睡魔の犠牲になるかと言うと、食事中とか見たいTV番組を見ている時ではない、当然自転車の通勤中でもない。
 面白いことにベッドで横になって本を読んでいる時でもない・面白い本を読みながら眠ることはありえない・・・仕事中に書類を見ながら眠ることはありそうですが。
 そして、最近は仕事中・午後暇な時もない
  前の職場ではこういう条件の時・・・規模が小さな職場で、職員の数も少なく、お客も少ない・・・静かな、睡眠条件の整った?職場でしたので、眠い午後は必死でしたが。
 今度の職場はそこと全く反対で、お客は多い・横の通路をいつも誰か通って行く・どこかで電話がよく鳴る・・・これで眠っていられるほど私も図太くない。
 それに何気なくツバメウォッチングもあるし
  ともかく睡眠時間不足のツケが一気に押し寄せてくるのが、ネット観戦です
 (睡眠時間不足と言いましたが、それは忙しくて眠る時間が足りないのではなく、単に老人性のスタミナ不足で、連続して長い時間眠れないとか、細切れ睡眠症候群?みたいなもの)
 
 疲れていて眠いのか、年寄り的な眠気なのか区別がつきにくい・・・
  ともかく観戦していると、いつの間にか眠気に誘われて、気がつくと終局してたり・・・
 これはまずい
  加えてここのところの対局の少なさです。
  眠いから打たないのか気力が無くて打たないのか境目がはっきりしない、、、このままでは「無気力症候群」になりそうな危険を感じる
 そういうことで、日曜日ネットん入った時、対局待ちの人が居なかったので、私が最初にエントリー。
 「碁を打ちたい人この指とまれ」です
  さて誰が来てくれるか楽しみ半分、私をカモにしている・苦手の人が来るかも知れないドキドキ。
 待つこと十数秒・・・苦手でもお得意さんでもなく、まずは一安心
  尤も私の知っている彼の点数よりは少し低目な感じがします。
 向こう先黒半目コミ出しで対局開始です。
  黒は星+小目の中国流含みで、私は2手目が星で4手目を打つときに『これは先日の本因坊戦みたい』だと感じました。
 もし白が4手目で黒の小目に1間でかかれば、そこまでは先日の進行と同じ
 マア、そのときの王九段の解説ではないけれど、「中国流対策で白4が小目なら普通」の小目を選択。
 この小目は中国流の勢力を遠くから制限しているとか・・・理由は聞いたことがあるけれど、実感としては今ひとつで、それでもやるのですから、”先生の言うとおり”みたいです。
 
 さてともかく局面は険しい競り合いになって・・・相手が秒読み。
  この時私はなんとなく時計を見ると、なんと持ち時間10分の早碁でした。
 全然気にせず打っているのですから、いい加減な性格がモロに出ています。
 もし私が考慮時間を使っていたら、いきなり秒読みをされたかもしれません
  ここの「早碁」ははじめから持ち時間1手30秒で、30秒を過ぎると合計10分の時間があり、全てを使い切ると時間切れ。
 概ねNHK杯並ですが、考慮時間が1分単位でないところはやや助かる。
 早碁と言う名前ですが、アメリカなど外国人が好きな25手を3分で打つ碁と較べれば、かなりの余裕はあります。
 そういう意味では、これは早碁かどうか・・・
  普通の持ち時間各45分+1手30秒の碁に較べると、30秒の部分が先か後かの違い・・・持ち時間が35分違うから、その分短いですが。
 ともかく相手は中盤の激戦で時間を使い果たした。
  こういうスパイラルは、長考の応酬ではなくて、一方が長考し、その間にもう一方も考えるパターンが多いので、一方的に時間が消費されるらしい。
 そこがプロとは違う?、もしかしたら私だけ?
  相手が考えて打ち、私は比較的アッサリ着手を決める・・・
  ともかく長考の応酬ではなくて消費時間が偏りました。
 結果は、黒の時間切れ負け
  そこからの方が長かったです。
 相手の時間切れと言う結果だったのですが、「それでは現実に最後まで打つとどうだったのか」そこがわからないと喜べないようなところがありまして。
 自分の弱点を相手がもし突いて来たら・・・勝負手はあるか・・・最強・最善の寄せでは・・・そんなことをシュミレーションしないと気持ちが悪い。
 
 ともかく久し振りに3連勝ですが、、、その直後観戦中にまた寝ていた!。
  抵抗できないと言うより自然に眠りに取り込まれている、やはり寄る年波には勝てない。