なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

C級?グルメ

2010-04-30 00:58:16 | Weblog
 よくTVでグルメの紹介番組が有ります。
  誰かのお招きにあずかりまして、などと言う機会でもなければほぼ縁が無い世界。
 私の感覚では例えば温泉旅館の宿泊費が1万円を越えると、ちょっと躓いて倒れそうな感じです・・・流石に浮世からズレているのかもしれませんが。
 まあそういう感覚ですから、15000円を越えて20000円近くのところで豪華な食事が並んでいても、『何だろうな?』と言う感想です。
 確かに、珍しいもの、美味しいでしょう。
  しかし、しかし、少なくとも私のカロリーの許容量の数倍の豪華さですから、『今回だけ見逃して!』と言う感じで食べるか、あるいは目の保養と言う事で自制心が勝つか・・・でも、そういう事で有れば少なくともそういう食事はナンセンスなわけです。
 仮に600カロリー以下で見た目豪華、そして食べて見て満足な食事なら、これは素晴らしいのですが。
 珍しい原材料で、これでもかと言う感じで並べられても・・・マア美味しいでしょうが「値段が高くて、おいしいのは当たり前」と言う事で、感動は無いでしょう。

 水曜日は仕事は休み、午前中に総合病院で先日受けた胸の超音波写真の結果を聞きに・・・。
 最高の結果・「可もなく不可もなく」ですが、これは普通の人の評価ではありません。
  血管の機能が50%程度で働いていて、それは前回の検査と変わらないので変化なしと言う事で、「どこか自覚症状があって具合が悪いと感じたら直ぐに病院に連絡して下さい」という付箋付きです。
 「そうですね、変化があったら3本の内2本はバイパスが必要になるでしょう」と結構スリリングな日常。

 と言う事で値段とカロリーの贅沢は出来ませんが、許容範囲内でのグルメを楽しむ事を目指す。
 従って普通の町の中に溶け込んでいるエスニック。
  予算で言えば1000円以下で、出来たらネイティブの料理人。
 今のところ近所でこの条件に当てはまるのは「タイ料理レストラン」「韓国料理店」「インド料理店」があります。
 少し離れたところにバングラディッシュの店もあるのですがこれは未だチャレンジしていません。
 エスニックと言う事で、スペイン料理店、ドイツ料理店、フランス料理店もありますが予算の関係で行けません。
 最も数多くある中華料理店も意外と予算上難しいし・・・普通にラーメン屋さんは・・・私、あの熱い麺が苦手なんです。

 水曜日は韓国大衆食堂へ
  私水曜日の定食で550円なのに、、、息子は「サムゲタン」。
  食堂のおばさん「サムゲタン定食ですか?」、息子「はい定食で」
 これは、私の場合鶏肉がダメなので選択肢の外・・・加えて予算が1480円。
  全くドラ息子はようやってくれる。
 鶏肉を食べられる人には相当美味しいらしい。
  朝鮮ニンジンなども煮込んであるので確かに体にも良いらしい・・・
 マア二人で約2000円と言う事でした。
  尤もかなりのボリュームなので息子は食べきれず。
 但しここは食べきれない場合は持ち帰りが出来るのが嬉しい。
  おばちゃん「ご飯と一緒に煮込むと美味しいよ」
 家でも食べられるのならそれほど高くは無いのかも知れません。

 木曜日も昼は息子と食事をすることになってしまいまして
 私(ヤル気なさそうに)「何か作るか?」
 息子「どこか行こうか」
 私「何か食べたいものがあるのか?」
 息子「山傳丸なんかは?」(これは房総の南の漁港から届く海鮮を使ったお店)
  『ムムッツ!こ奴贅沢を抜かしている』と感じですから・・・
 私「インド料理店ではどうだ?」と言う事でインド料理に決定。
  10分か15分で行けるところには3軒ほどインド料理店がありまして、何処に行くにしても初めてです。
 木曜日に行ったのは、私が学生時代からそこにあるインド料理店
  つまり40年にはあったけれど、いつか行こうと思いながらも未だ行っていないお店
 昔のお店と今の店が同じかどうかは分かりませんが、ともかく昔からそこはインド料理。
  マアインド料理店の相場は知りませんが、宮廷料理と言う事でなければ予算的にNGでも無いでしょう。

 結果GOOD。
  Aランチでスープ、ミニサラダ、カレー、色のついたご飯(サフラン?)、ナンに食後のドリンクで750円。
 カレーは数種類から選べる・・・流石にビーフは無いのでマトン。
  息子はBランチ・・・奴めはいつもオヤジより高い900円。
 こちらはカレーが2種類でキーマとチキンを選択、それにヨーグルトのようなものがついて来る。
 私はドリンクはアイスコーヒーで息子がラッシー。
  選んでからチャイもあったことに気がつきまして、やや失敗。
 流石インドの人が作ったナンは良いですね、大きくて焼きたてのナン(ベーカリーのナンとは違いますね)。
 これが本場のナンなんだと思いました。
  カレーの方は辛いものの、多分日本人向けに辛さセーブの感じですね。
 お客は私たちを入れて4組ありましたが全員日本人、料理人もウェイターも全員インド人(らしい)
  しかも全員男の人ばかり・・・タイ料理店は作るのは男の人だけどフロアーは日本語の上手なウェイトレス、韓国料理はソコソコ日本語の韓国のおばちゃん、インド料理店は全員男の従業員で日本語が話せる人は一人・・・言葉はともかく全員男の人・インドはこういう感じなのかなと思いました。
 ともあれ女房殿は「いつも二人でズルイ」と言う筈ですから、近いうちにもう一度行く事になるでしょう。

超グルメ!?

2010-04-29 00:57:29 | Weblog
 去年か一昨年だったかはっきりしませんが、私の田舎で特産の魚を釣ろうと言う企画のTV番組がありました。
 確か2日くらい粘ったけれど釣果無しだったと思いますが、その魚は「興津鯛」と言う名前の魚でアマダイの異名だと言うころです。
 この魚は私の故郷の特産で珍しい魚・・・特に生物的に珍しいかどうかは知りませんが、ともかく余り釣れない魚なのです。
 などと知っている風に話していますが、実は私も数年前まで名前すら知りませんでした。 そのくらい地元でもとても一般的とは言えません、、、私など存在さえ知らなかったのですから。
 ところが諸説あるうちの一つに徳川家康が登場するのですから存在そのものは昔から知る人ぞ知る存在だったらしい。
 いくつかある説の一つ
 「家康がこの鯛を見て、『興津の局、これは鯛で有るの?』と言ったとかで、この魚が興津鯛と呼ばれるようになった」
 食べ方は一夜干しが普通で、中骨を取り除いて干してあるのを、さっと炙ってたべるのだとか・・・写真と説明文でしかお目にかかっていない。
 勿論食べた事もない。
  いくつかの地元水産会社のット通販リストに載ってはいるのですが、、、水揚げは少ない・めったにないらしく、それでいて味の評判が伝説的ですので”超高価”。
  素人考えでは、興津鯛はこの海の深いところに棲息するので、普段から美味しいサクラエビをたらふく食べているので自身も美味しくなった?・・・想像だけの話ですが。
 おそらく1枚8000円から10000円くらいですから、記念体験的な食べ方なら食べられなくもないかも知れませんが、庶民としては見た事もないと言うのが普通ですね。
  ともかく干物としては値段からして素晴らしいらしいと想像。
 
 興津の局と言う方は実家が興津だったのでそう呼ばれていたとか言いますが、そういう関係で実家から家康に献上したのでしょう。
 今でも珍しい魚ですが、当時も一般的では無かったと言う事ですね。
  家康の駿府時代はかなりグルメチックだったようですが、それでも知らなかったのですから・・・

 さて30センチくらいの鯛の干物、目の前に有って9000円也の値札がついていたとして、、、さて「お客さん!これを買うか買わないか?」。
 難しい!です。
  女房殿が横にいたならば決断を任せるでしょうね。
  買えない訳ではないけれど、、、
   しかし1度は食べてみたいという気持ちは捨てきれません。

 ところで家康はグルメだったらしいから興津鯛は食べたが、駿河湾の恵みとも言うべきサクラエビは食べていない筈です。
 彼は鯛のゴマ油の天ぷらは食べたらしいので、もし当時サクラエビを入手したら、サクラエビをかき揚げにして食べたことでしょう。
 ところが当時は水揚げされていないのです。
  これは近年(マア明治くらいでしょうか)、アジを網で取ろうとして、間違って網が深いところに入ってしまい偶然に水揚げされたものなのです。
 サクラエビはそれ以来食卓に上がるようになったもので、それ以前には無い。
  新物・生サクラエビを使った料理は結構グルメ・・・私のような庶民向けグルメと言うことです。

 話が変わりますが故郷に関連する歌で
 「武士の、かくこ(覚悟)もかかる、時にこそ、心のしらぬ、名のみをしけれ。」
 これは鎌倉時代に頼朝死去の後に失脚した梶原一族が鎌倉から領国の西国に落ちて行く途中、この辺りで討たれた・・・この時の辞世の歌なんだそうです。
 梶原氏と言えば歴史的敵役。
  ここで討たれて、供養する寺があったとは知りませんでした。
 知っていたとしてもどうという事もなさそうですが・・・でも、今度車で帰省したらそのお寺に行ってみるつもりです。

おすすめHP

2010-04-28 01:35:13 | Weblog
 ブックマークに貼ってありますが私の第一のお勧めHPは,100%個人的好のみと独断で「清水こぼれ話」です。
  私の力では語りきれない故郷の魅力が満載されていると感じていますので、是非皆さんに読んで戴きたいと思います。
 これはもう2,3回は読み直して楽しんでいます・・・私が知らなかった私の故郷の話、深く調べてある話、子供時代からもう少しこういう話を知っていれば、何かが変わっていたかも知れないと思いました。
 土地の人って自分たちの土地で起きた出来事とか、その土地にまつわるエピソードに無頓着だったり、あるいは軽視する傾向があるのかもしれませんね・・・それだけここはノホホンとした土地柄なのかもしれませんが。
 嘗てこの土地で起きた出来事・・・歴史的大事件と言う事で無く、歴史的に有名な人にまつわる出来事とか、この土地の人々の暮らしぶりとかここを訪れた人々の話。
 田舎ではあるけれど歴史の教科書に書かれているようなことと無縁の土地では無いことが良く分かります。

 私は生まれてすぐに愛染川のほとりの小さな会社の社宅に引っ越してきて、そこで13年間暮らしました。
 その愛染川について調べたのがきっかけで「こぼれ話」に出会ったのです。
 初めて読んだ時は驚いたし嬉しかったです。
  ここで生まれて育って、この土地に生活基盤がある人が、土地の事歴史的な出来事を調べて、自分でも歩いて書いた記事が並んでいます。
 それにこの方は嘗てはこの川の近くに住んでいたらしい(「ザーザー」と呼ばれている場所を知っている!)・・・文章の感じからすると私よりはやや先輩で、私の2番目の姉くらいの年代の感じがします。
 御商売が市内の割烹(今は旅館業も)で、なんと私の父が死んで49日の法事の時に御世話になった店のオーナーでした。
 高級ですし、元々下戸の私には縁が無い店でしたが、場所と名前は良く知っている。
  高校時代には生活指導の教師の目を盗んで悪友と一緒によく通ったジャズ喫茶の近所。
 もしかしたらどこかで擦れ違っていたかもしれないと思うと可笑しいですね。

 この方がサイクリングで訪れて調べて記事にした場所・・・これは遥か昔・少年時代に近所の仲間と自転車で「遠征」して歩いた場所と重なります。
 訪問の目的も内容も違いますが、文章を読むと昔の記憶が蘇ります。
 愛染川、袖師、波田打(はたうち)川、興津、清見寺(せいけんじ)、江尻、小芝城(おしば)、鉄舟(てっしゅう)寺、龍華(りゅうげ)寺、竜爪(りゅうそう)山、山原(やんばら)堤・・・

 私は父母の話でここには昔西園寺公望公や井上馨の別荘があった事、それより時代が下って常陸宮が少年時代には避暑滞在していたこともは聞いてはいましたが、私の想像より遥かに多くの文化人・有名人がこの土地を訪れている事を知りました。
  私が子供時代には港などでよく映画のロケが来まして撮影がありましたが、一行が旅館に泊まると何故か父のところに情報がはいったらしく、父はよくサインなど戴いて来ました。
 女優の月岡夢路さんの色紙を自慢そうに見せている父の顔を思い出します・・・。
 マア、古い時代には都から西が主要幹線だったかもしれませんが、東海道も幹線だったので多くの人がこの辺りを通って旅をした筈です、、、この辺りが歌を詠むスポットでした。
 歴史に残る秀歌があるのかどうかは知りませんが、数多くの歌が残されているようです。
  評価はともかく”ある”ということが嬉しいです。

 人に関して、清水と言えば次郎長が有名ですが、特殊な職業とは別の面で一時期養子だった天田五郎・愚庵、山岡鉄舟、正岡子規なども登場する。
 高山樗牛も清水を愛した文人ですし、一時期病の子規もここに移り住もうとしたことがあったとか、、、そうそう芥川竜の介も訪れている。

 皆それぞれ生まれ育った所にはそれぞれの思いがある筈ですが、是非是非大勢の人に読んで戴きたいです・・・是非HPにどうぞ。
 

春の風

2010-04-27 00:27:06 | Weblog
 毎朝TVで天気予報を見るのが日課です。
  女房殿の場合は洗濯物をどうしようかと言う事で、実は前の晩に天気予報を見て置いて当日朝は確認の意味、私の場合は当日に自転車で通勤しても大丈夫かどうかの確認です。
 雨具不要なのかどうか、場合によっては自転車は止めて車にするかどうかを決定する。
 月曜日は雨の心配は無し。
 気温もどうやら春らしい予報です。
 予報士さんの話によると、今月は平年並み以上は7日だけでその他は平年を下回っているのだそうです。
 気温も上がらないし、雨が多いし場所によっては雪だったり。

 さて、月曜日の予想最高気温は19度。
 この辺りの真冬の気温が一桁ですから十分に春の温度ですが、しかし、記憶では確かサクラが開花するのが22度くらいだったような気がしています。
 と言う事は最近の気温としてはまずまずだけれど、サクラが(ソメイヨシノですが)散ってしまった後としては温かいとは言いにくいような気がします。
 
 マ、それでも春は春と言う事で、私としては思い切って薄着で身支度。
 上は半袖下着にYシャツにジャケット、下はトランクスの上に薄手のズボン・・・流石に寒がり屋の私としては不安を感じまして、下には薄いオーバーズボン、上は露出部分のカバーにやや厚手の手袋とネックウォーマー・・・これで予想外の温かさになっても対処可能ではあるけれど、見た感じ我ながら”なんだこれは”です。
 マア、こういう時は「ワシは年寄りジャケン(何処の言葉だかわかりません)」と唯我独尊状態で行きます。
 結果的にはこれは年寄りの冷や水だったかもしれません。
  事務所で仕事をしていて、午後に何やら寒気がする、、、誰か知りませんが窓を開けている!状態だったのです。
 それが、私は震え出す寸前くらい寒いのに、他の方は誰も何も言わない・・・と言う事はこれが皆の快的状態のようです。
 私一人が震えている・・・なんだか文句を言い難い状況なので、何気なく席を立って外を眺めたついでに目立たぬように窓を閉め。
 もう一人の自分が笑い出すのをこらえて見ていました。

 ところで、自転車を走らせていて、「これは早春の風」だと思いました。
  真冬の風なら単に冷たいのみで、今朝の風は気持ちの良い風・・・所謂普通の温度の適度の風これに少しヤヤ涼しい風が混じっている・・・これが早春っぽい。
 風のの成分?もそうですが、混ざり方も早春のイメージ。
 単に私の勝手な感じ方ですが、いろんな成分が完全に混ざってしまったものではなく、春らしい温度の風に涼しげな風が織込まれるように混ざっている感じ。
 溶けて一体になっているのではなく、織物のように混ざっている・混然としている感じ・・・マア観念的に自分で作り上げているだけなのかも知れませんが、ともかく4月も末近くに、早春の春の風を感じました。
 
 近所・通勤途上のソメイヨシノは全て散り、どの木も新しい葉が出て緑になってきていますからこれも春ですね。
 一方ヤエザクラなどのサクラは満開ですからこれも春。
 

俳句心?

2010-04-26 03:37:23 | Weblog
 土曜日の午前中にはNHK衛星で俳句の番組,日曜日は短歌に番組をを見ることが多い。
 題の決まっている句を出演者が1句づつ出して、作った人の名前を伏せて投票してその句について話す・・・こういうシステムが好きです。
 普通、提出した作品は権威ある先生のツルの一言で評価が下されるようなところがありますが、、、結果としてそれに近い事も起きますが。
 権威ある先生の見方考え方は大事なことが多いので大切な事だと考えますが、同時に権威では無い人の自由な意見も大事だと思うからです。
 マア普段は順位を争うわけではないので見る方も気楽、少なくとも参加者の印象を聞く事が出来ますから、「合評」案外これがを聞くのが楽しい。
 私自身は俳句にせよ短歌にせよ全く音痴なんですが、この番組を見るのが好きですし、読書でも何かエッセイの間に句・歌が挟まれていると『イイナア』と思うのです。
 
 この土曜日は、たまたま「ニッポン全国俳句日和」と言う番組でした。
 お題は「春の水」「地名を詠んだ句」そして当日発表の「空」。
  メール・FAXなどから参加できるので、是非是非参加したいと思いつつ・・・地名を詠んだ句で参加したいと思いつつ・・・出来ませんでした。
 TV句会・何やら俳句コンペみたいな番組は5時間番組でしたが、あいにく土曜日は家族全員サッカー中継を見る日なので、マイ句会は中止。
 次回は半年後の秋の句会に・・・

 さて、地名を詠んだ句・・・形になりませんでしたが、私にとっては育ったところの地名が刷り込まれている。
 愛染川、、、潮が上がって来る川で、家の庭先から木の橋(10mくらい)がかけてある。
 近くには丸い形の土の橋もありました。
  この川が子供時代は行政界で、こちら側が市で向こう側は同じ町名でも郡でした。
 ある人のブログを見ると、1000年くらい昔の国の分け方で、この川より西は有度(うど)、東は庵原(いほはら)だったと言うことです。
 川幅で10mもあるかないかの川なんですが国境の川だったのですね。
 この辺りから、興津・清見寺(せいけんじ)にかけては東海道・街道筋の歌どころだったようでかなりの歌がのこされている。
 清見寺では豊臣秀吉の歌もあるのだとか・・・小田原に行く途中だったのでしょう・・・マア歌は調べてはいませんが。
 さて愛染川については「人心 かねて知りせば なかなかに 逢い染め川は わたらさらまし」という古い歌があるのだそうです。
 当時は逢染川とか藍染川とか書かれているらしい。
  歌を詠むスポットで育ったわけで、そういう意味では歌を詠みたい気持ちがあっても不思議では無いのですが、如何せん肝心の歌が出て来ません、、、これが情けない。

正夢?or逆夢?

2010-04-25 00:14:01 | Weblog
 土曜日の朝ふと目が醒めて、気がつくと女房殿が一人で朝食を食べている雰囲気。
  これは食パンの焼ける匂い+トースターのタイマーに回る音でかんじられます。
 一瞬『ああ、そうか、朝食を早く食べて田舎の母親のところへ出かけるのだな』と早合点しましたが、次の瞬間『待てよ、予定では確か日曜日の筈・・・』と訂正が入る。
 どうやら洗濯機も働いている様子、、、と言う事はいつもの朝とほぼ変わらない。
  ふと、、、『女房殿はあと1,2年でリタイヤした後も毎朝こういう光景が繰り返されるのだろうか?』と言う、なんとなく不安。
 つまり、早く起きて仕事をする人が「御苦労」で「偉い」ので、『うるさいなア』などと文句を言うなど御法度。
 つまり、もしそういう未来ならば、文字通り「泣き寝入り」の毎日となる。
  
 我が家は昔から土日などに家族で朝寝坊と言う事とは縁が無い家で、「せっかくの休み、有効な一日にしよう」みたいなスローガンで暮らして来ました。
 従って1週間で休みが2日ペースの場合はそれで良いとして、365日連続ホリデイの場合は、多少は暮らし方を変えざるを得ない筈なのですが・・・そこのところどうなんでしょうね。
 
 さて、周りの気配で目が醒める時によくあるように、うとうとしながら夢を見ていて、かなりはっきり目が醒めた後も憶えている。
 土曜日の午後は贔屓チームのサッカーの試合で、夢の中でこのTV中継を見ていたのです。
  夢の中では、どちらの応援と言う事でも無く、かなり冷静に試合を見ていて、解説やら感想などのコメントを話している。
 つまりTV観戦者と試合の解説者の二役を受け持っている。
  マア、夢ですから、それは良いとして。
 試合のコメントで「攻めている時に決めないと、後で大変なんですよね・・・」などと分かった様な事を言っています。
 これが我が贔屓チームが先制し、相手は得点を決めきれずに焦るうちに、こちらが追加点という都合のよいパターンなのか、あるいは両者決定機を逃すと泥沼状態になると言う事なのかそこのところがはっきりしない・・・何と言っても断片的にしかはっきりしない。
 でもどちらにしても、贔屓チームが負けると言う事では無さそうなので、都合よくは出来ているようではある。
 さてこの原稿を下書きしていて、「更新する頃には当然結果が出ているのだが、さて『正夢?なのかあるいは逆夢』なのか」・・・逆夢は困る。

 もう一つ、女房殿の早起き鶏。
  こちらの方は、リタイヤ後2,3年は変わりそうもないから、私がいかにしぶとく寝ていられるかが問題のような気がします。
 尤も毎日ホリデイですから寝不足は問題にはならない筈なんですが・・・「休みでも出来るだけ規則正しく」と言うスローガンが出て来そうな気がします。
 これはかなりはっきり予測出来る。

PS.土曜日のサッカーの結果、危うく正夢になるところでした。
 先行するチャンスを生かせず、やっと先制しても追加点を奪えず・・・そうこうするうちに追いつかれると言う経過。
 ラッキーパンチが入らなければ悪い方の夢の通りの結果になるところでした。
 ともかく、これで今週も何とか心穏やかな日々。

眠り猫

2010-04-24 00:46:12 | Weblog
 「日光を見ずに”結構”と言う勿れ」というフレーズがありますが(今は言う人がいない・・・)、多分これは日光東照宮の事を指しているのでしょうね。
 いずれにせよ私は日光東照宮見たことが無いので「結構」と言えない。
  勿論TVでは見て一応は知っています。
 建物の事とか、歴史的な事とか、年中行事のニュースとか、、、マア自分の目では見ていない。
 日光には学生時代に一度行った事はあります。
  これが、東照宮には寄らずに湯の湖方面に上がってしまい、周辺の山とか戦場ヶ原を歩いていただけで、帰りも東照宮に寄らずにまっすぐ帰京。
 ですから東照宮の方は、ここの本家と言うか元になる?久能山東照宮しか知らない。
  こちらの方は多分10回くらいは行っていると思いますが、規模も建物の芸術性と言うかそういうものが比べモノにならない。
 と、言う事で、性格・行動パターンは「眠り猫」なんですが、本家甚五郎の眠り猫には会った事がありません。
 と考えたのですが一部私の認識違いがありました。
  眠り猫の作者は左甚五郎と言う証拠は何もないのだそうです。
 東照宮自体は幕府の命を受けた狩野探幽が美術の仕事で、多くの職人を使っているので、その職人の中に「飛騨の甚五郎」はいた可能性があるので、それが「左甚五郎」に天下したらしい。

 そうそう、息子の友人が日本にやって来るとかいう話がありまして、もし遊びに来たらどこかに案内してあげたいらしいのですが、さて何処が良いか?。
 相談されても困りますね。
  関東近辺で、外国人に見せる所・・・
 日程・距離から考えて関東エリアでしょう。
  箱根は距離はいいけれど、外国人を温泉?・・・
 そうして見ると鎌倉?、うーん日光?。
  そうです、自分で見ていないので他人に話をするタネが無い。
 東京都内観光?・・・案外面白いのかなあ。

 良く考えたら、東京都内も良く知らない・・・地下鉄も苦労するし、皇居前広場は修学旅行以来行っていない。
  仕事・用事で行ったところしか。
 表参道一部、お茶の水、神田明神界隈、秋葉原の一部、四谷、国立競技場周辺、新宿駅、錦糸町JRA,水道橋、市ヶ谷周辺、日本橋・・・知らないところの方が圧倒的に多い。

 ところで眠り猫、三猿と同じように何かの象徴として意味があるのか?・・・これも検索すると。
 ネコの意味は
 ① 奥社にはネズミ一匹通さない
 ② 禅問答「牡丹花下眠猫児」・・・これは意味は分かりません
 ③ 猫の裏のスズメと対で「スズメも遊べる平和と安定の象徴」
 ④ ボタンと眠る猫で「日の光」を表わした・・・これも分かりません。

漢文みたいな・・・

2010-04-23 02:58:47 | Weblog
 今日(木曜日)は午後に少し余裕が出来たので、関連の業界から送られてくる雑誌を読んでいて驚きました。
  世の中で大変なことが起きていると言うような事では無いので安心して下さい・・・尤も、何時何処で何が起こるか油断できないご時世ですけれど。
 さて、記事は研修+行楽旅行のレポート記事。
  寄稿者は多分・・・私よりは10才、いや20才は先輩でしょうね。
 読み始めて、表現に「逆旅(げきりょ)」と言う言葉が出てくるのです(仮名は寄稿者による)。
  意味はかろうじて記憶の隅の方に漂っている程度でしたので、折角なのでネットで言葉の意味を確認しました。
 唐の詩人李白で「天地は万物の逆旅・光陰は百年の過客」から来ていて意味は「天地は人生においては旅籠」くらいの意味?・・・マア、あまり深みのない解釈ですが。
 ともかく芭蕉の奥の細道にも繋がるフレーズと言う事です。
  こういう文章を寄稿して来るのですから・・・普段からこういう感覚で物事を感じ・見ている人なんでしょうね。
 あるいは・・・決して悪口ではありませんが、文章を書くとなるとこういう表現になってしまう人のような。
 現代の生活では使う事のない表現が出てくる人?
  何と言っても出典が唐の李白、奈良時代の阿部仲麻呂と同世代。
 流石に正しい読みは「げきりょ」のようらしいのですが、ネットでの検索は「ギャクリョ」でないと検索できない・・・その辺り現代を感じます。
 寄稿者の文章で「○○温泉の△△ホテル・・・逆旅」と言う表現でした。
  と言う事は宿泊施設を逆旅と難しく言っただけ!なんだとチョット興ざめ。

 しかし、この人はかなり高い教養を示したいのか、読者を試したいのかと邪推・・・次に出てきた表現は「曾遊」。
 文字からして概ね意味は察せられますが念のために検索すると「嘗て行ったことがある」と言う意味で、一応正解でした。
 但し普段目にしない表現。
  私が話し言葉の延長みたいな文章を読んだり、書いたりしているだけで、もう少し表現に教養のかけらを盛り込まなくてはいけないのかもしれないと、ふと不安になったり。

 とどめは「神韻縹渺」(しんいんびょうびょう)。
  ある古い街並みを歩いた時の感想だそうで・・・。 
 『何だか変』だと思うのだけれど本人がそう感じたのでしょう。
 ここへ立ち寄る前にかなり古い神社に寄っているので、そちらの方がよほど「神韻・・・」な筈なんですが。

 私みたいに好きな事をブログに書き散らしているのと違い、任意団体とは言え業界の刊行物。
  表現の自由と言ってしまえばそれまでなんですが、余りにもレトロな表現。
  しかも少しハズレタところも感じる。
  しかし本人としては、こういう表現でなくては自分の感じ方を表わせないのかもしれないし、あるいは、こういう表現をするように教育で刷り込まれているのかも知れない。
 少し「現代」から、浮世離れしているみたいな。
 いやいやそういう意味ではなく、今日の午後は十分にネット検索で勉強させて頂きました。
  もしかしたら、筆者はそれが狙いだったのかも。

印象としては戦前の老人会?の挨拶みたい・・・イヤそう感じる私の方がファッショ的なのかも知れない。
 しかし一度お顔を拝見したいような、話は聞きたくないような・・・。
  もしかしたら、私も20才くらい若い人たちから見たら、似たようなものなのかも知れないと言う警鐘を感じますね。
 そこで私の最後のフレーズは「五十歩百歩」、出典が孫子なら古さでは負けていないデス。

負ける手負けない手

2010-04-22 00:23:13 | Weblog
 今日は水曜日で病院関係の予定もないドフリーな一日。
 強いて言えば、昼ご飯をどうしようかなという心配だけですから、全く自分で言うのもおかしいくらいの御気楽な身分です。
 これで、ポケットマネーも潤っていれば言う事は無いのですが、お金と暇は同居しにくいらしい・・・それに個人的にお金との相性が良くないらしいので、この先天下の回り持ちと言う事は当てにしない方が気持ちが穏やかに暮らせそう。

 さて、暇な予定だったのが息子に付き合わされてしまい,出かけることになってしまいました。
  マア、ちょっとした買い物ですから行く事もないのですが、、、
 ビギナードライバーのお目付け役みたいなものですね。
  尤も、お目付けだからと言ってオヤジが先輩面して細かな事を言いすぎると、親子なだけに思わぬ言い合いに発展する危険性もあるので、この辺りが面倒臭い。
身内に囲碁とか勉強を教えるのと良く似ている。
 無責任なようですが、放って置いても勝手にやるでしょう、、、助手席での忍耐と言うものは結構修業に似ているところがある・・・と言う事は、助手席で教えているのではなくて案外修業させられているらしい。
  
 市内のショッピングビルみたいな施設・・・ここには専用立体パーキングがあるのですが、流石に繁華街の施設だけに走行ゾーン・曲がり角などに余りゆとりが無い構造・・・従ってビギナーには駐車も楽ではない様で、後続車にはご迷惑をおかけしました。
 うるさく注意はしませんがポイントだけは外せないですね。
  そうでないと他の車の迷惑だし、自分の車が変形する事態に陥ります。

 さて息子がショッピングの最中私は本屋で立ち読み。
  この本屋の囲碁のコーナーが以前より小さくなっているのには驚きました。
 ここは市内では一番囲碁関係の本が多くて、ポケット版の打ち碁集もあった筈なので楽しみにして来たのですが、全く姿を消してしまいました。
 全体的に見ておそらく以前の半分以下でしょう。
  本屋さんは当然経済優先でしょうから、こういう変化は囲碁の本が売れていないと言う事を表わしているのでしょう。
  つまり囲碁を買う人が減ったか、買うゆとりが無くなっているのか、あるいは囲碁ファンが減っているのか・・・全て当てはまりそうで怖い。
 しかし、それにしてはどこかで見たような本が多い。
  それは、必要な・あるいは売れ筋本は限られているともいえるし、マンネリ・工夫に問題があるとも言えるでしょうね。
 昔からある同じような問題・テーマを切り口を少し変えた感じでリニューアル。
  どこか、購買意欲が刺激されません。

 結局「アマの負ける手、負けない手」のポケット版で黒番編と白番編の2冊を購入。
  2冊で税込1481円。
 これは昔買って読んだ事があるけれど、確か誰かに貸したままになっている・・・。
  
 囲碁の手の選択をリスクマネージメントと見るのが面白いですね。
  良い手は一つでは無いと言う見方で、リスクを考慮して手を選ぶと言うのは私には向いているかもしれません。
 イメージなどを碁盤に表現するみたいな積極性より、成功確率を考えながら碁盤を見る方が性格にあっているような気がします。
 マアそればっかりでは、自分で打っているのか成り行きにそうさせられているのか分からなくなると思いますので、その辺りの区別は難しいでしょうが、でも少なくとも「打ってはいけない手」と「リターンに比べリスクの大きな手」は理解しておかなければいけませんね。

 ともかく、取り敢えず、、、「白番編」の「秀策流対策」から読み始めます。
  いまさらドロナワな感じですが、まずは「見合い」という秀策流対抗策を勉強しないといけません。

殴り合いの喧嘩みたいな

2010-04-21 01:20:08 | Weblog
 囲碁でくんずほぐれつの戦いを、殴り合いに例える事はありますね。
  サッカー、ボクシングでノーガードの打ち合いと言うか・・・「迫力はある」けれど、レベルとしては「?」、あるいは「野蛮」なイメージが強いような気がします。
 戦いの最中ではお互いの引くに引けない部分での競り合いでしょうから、そうならざるを得ない場合はあるでしょうしレベルなど気にしていられませんね。
 ましてやアマのザルですから他人の目など気にしていられません。
  但し、戦いが必然かどうかという部分が問題なわけで、戦わない和平の道を選んだほうがより勝利に近い場合も多いと想像は出来る。
 ここの、道を選択する能力が問題。
  戦って決着をつける方がイメージが容易だし、一方の和平の道は場合によっては問題の先延ばし状態と言えるわけです。
 問題を先延ばしにしておいて、少しでも事を有利にして行く外交能力が問題のようで、何やらどこかの国の政治能力が問われているみたいです。

 さて、殴り合いの喧嘩と言いましたが、私の経験では喧嘩は何回かしているものの、取っ組み合いの喧嘩は小学校入学式の日に1度だけ、殴り合いの喧嘩は高校の時に1回だけ。
 「だけ」と言えるのか「も」なのか分かりませんが、ともかく未経験ではありません(兄弟喧嘩は無し)、、、他の人はどうなんだろう?
  理路整然とした弁舌で他を制するような能力は自信が無いし、言い合いの喧嘩は私には断行する気力が無い、さりとて体力勝負と言うのも人生で2度の例外以外は経験が無い。
 ところがそういう現実の裏返しが「碁」でしょうか、実に戦いが多い。
  どちらかと言えば好戦派に入るかも知れません。
 K畑師範の教えでは「戦わずに勝つ」=「真の強さ」みたいな感じですが、これは実は戦い不可避的なことなのです。
 つまり、こちらの方針に相手が黙って従えば、例え僅かでも当方が有利になるわけで、普通の相手としては相手の主張を展開するわけで、戦いは不可避。
 いろんな局面で常に有利になる・勝つ確率高い手を選ぶことが出来ればスマートな感じはしますが、現実にはそういう碁では気持ちが乗らないだろうと想像出来るので、目指す気になれない。

 と言うわけで、、、相変わらずの碁を打っています。
  290手完黒2目半勝ち・・・ここだけ見ると細かな数字ですが、内容は正反対。
 私の黒番でコミ4目半貰いですから、常先と2子の間くらいの上手に挑戦して、序盤での躓きが方針の選択肢を決定。
 大模様作戦と言えば聞こえはいいけれど「大ドンデン返し」を狙った「イタチの最後っ屁作戦」
  投げる前に選択できるのはこういう作戦しかない。
 死んだ石が20子に近く、実質50目くらいの地と勢力が出来たのを、いかにして取られた石を「取らせる形」にして外を塗れるかが問題。
 当然白としては黒の野望はミエミエなわけで、第二次戦争となる、、、マアこんな経過を辿った結果が2目半。
 大碁の小碁と言うか、結果オーライ。
  いや闇試合で勝ちを拾っただけですね。
 囲碁で派手に戦っている分実生活では「眠り狂四郎」、いや「眠り猫」。

サクラエビ未着

2010-04-20 00:08:42 | Weblog
 春はサクラ!・・・いや、私にはそのイメージは少し違います。
  私の生まれ故郷では今住んでいるところに比べると、サクラは少なかったような気がしています。(時代の差もあるのかな?)
 船越堤、山原(やんばら)堤などそれなりのサクラの名所はありましたが、校庭とかちょっとした公園などには少なかったと思います。
現在住んでいるところでは近所の団地の植樹、緑化スペース、サクラがたくさん植えられている公園がいくつもあるし、川沿いの道にはサクラ並木が多い・・・サクラが増えているようです。
 今のサクラの名所にしたって自然に増えたものでは無くて、殆どは人が植えて増やしたものらしいので、故郷にはそういうところが少なかったのでしょう。
 私が嘗て通った小中高、庭にサクラが植えられていた記憶は無い。
  ですから、小学校に入学して国語の教科書の表紙にある「満開の桜の下で黒い羽織の母親の手に引かれて投稿する1年生」の絵を見て「嘘が描いてある!」と思ったのを今でもはっきりと記憶している。

 そういう事もあり、花より団子の私としては春4月は何と言ってもサクラはサクラでもサクラエビです。(サクラ餅を塩漬けの葉とともに食べるのも大好き)
  これは4月に漁が解禁され6月まで、7から9月は産卵期なので休漁、10から12月が後半のシーズンとなっていますが、やはり何と言ってもサクラエビは4月には食べたい。
  取れたてのものならすしネタでも良いし、甘辛く煮て五目すしの具でも好し、マア普通はかき揚げですね。(贔屓チームのスタジアムでの一番はかき揚げ丼のようですし、嘗ての街道てくてく旅の岩本さんも由井・蒲原辺りで美味しそうに食べていました)
 ところが今年は3月30日に解禁になったものの4月中旬になっても1度も出漁できないのだそうです。
 毎日海がずっと荒れているのだそうです・・・安全第一ですからこればっかりは仕方が無いですが、早く初ものを食べたいものです。

 このサクラエビと言えば私には1番の思い出はTオジサン・・・(この人が不思議な存在でした)
  毎年サクラエビの初物が取れると自転車で30分近くかかる道を届けてくれるのです。
 黙ってザル一杯の生サクラエビを母に渡して、、、無口と言うか、Tさんと言う名前は知っていたけれど一種不思議な感じでした。
 Tさんの家は横砂と言うところで海水浴場のすぐ近くでしたので夏になると海の家代わりに利用させてもらっていましたが、Tさんと言うのは母の旧姓でも無いし、普段あまり親せき付き合いも無いので不思議な印象を持ちました。
 いつもサクラエビや生シラスなど持って来てくれるけれど父の仕事の関係でも無さそうだし、どういう関係のオジさんなのか不思議・・・父も母も何も言わない。
  これは、それから50年以上経ってから母の妹(オバ)の話でやっと分かりました。
 オジさんは祖母の第一子でしたが、事情があって養子に行った人だった。
  行った先が漁師さんの家で、そこの跡継ぎになったので、季節ごとに初ものを届けてくれていたのでした。
 今でもシラスとサクラエビを見るとまずTオジサンを思い出します。

 今はオジサンもいないし、故郷を離れているしシラスもサクラエビも届けてくれる人いない・・・が姉が送ってくれる。
  これが5人兄弟の末っ子の特権と言うか・・・
 上の兄姉4人の内3人は今も故郷で暮らしていますので、季節ごとにミカンとかお茶などが届くのですが、2番目の姉が未だに一番可愛がってくれる。
 丁度6才違いなので、姉として弟の面倒を見た・・・そういう記憶・気分がいつまでも残っているのでしょうね。
 今でも故郷に帰った時は姉の家に泊まるし・・・”可愛い弟”として甘えている。
  ですから例年なら4月には生のサクラエビがクール便で届く・・・筈なのに海が!。
 隣の市で暮らしている娘夫婦も、生のサクラエビが届くとかき揚げを楽しみに実家に帰って来る。
  今年はサクラエビ未着。

顔は菩薩で・・・

2010-04-19 00:10:03 | Weblog
 「外見は菩薩の如く、内面は夜叉の如く」・・・そういう印象の碁を打ってしまいました。
ネットですから当然「外見」の方は私の勝手なフィクションです。
  相手は初めての対戦で、上手の方で当方の先でコミ2目半貰いですから、マア常先相当ですから1段近く上の人ですが約300局くらいの実績があって勝率は5割くらいですから、概ね点数の看板通りの棋力と想像できます。
 着手が終わって盤上に残る死屍累々と言うか、黒の死に石が26子、白の方は34子。
  これが数カ所にわたって激戦地に横たわっていました。
  290手完・黒38目半勝ち。
  激戦に次ぐ激戦で、一つの小戦闘で勝っても、次の戦い如何では勝敗はどうなるか判らないと言う戦局の連続でしたから結果大差ですが投げ場が無かったのかも知れません。
  それと余りに大きな計算なので、計算がやや面倒だったのか?・・・イヤ私は計算してはいました(尤も、20目以上は数えませんでしたが)

 大きな振り替わりと言う事では無く、大きな石を狙われた時に敢えて助けずに、それより大きな石を狙い返したと言うような感じ。
 それと、私の大きな石が危ない時、その石を捨てて外に大きな模様を作ったので、局面の焦点がその大きな模様を白が削りに来て、命がけの戦いと相成った次第。

 話は変わりまして・・・自分で言うのもおこがましいですが・・・私は一見「ノンビリ顔」で、体が大きいせいか動作がスローモーに見えるらしい。
  本当はせっかちで短気なところがあるのですが、外からはノンビリ屋だと思われているので、そのイメージに合わせているところもあります。
 普段は話している時に断定的な話し方はしないし、真っ向から反論をしない方なので優柔不断と言うか人畜無害的な印象らしい。
 ですから現実は貧乏生活に近いのですが、多少は良いとこのボンボン的な印象があったりするらしい。
 ところが、イザ碁石を握ると実は「取れるものは皆取ってしまえ」的なK畑師範直伝の教えに忠実な面もあるわけで、ハンドルを握ると人格が変わると言うか、ジギルとハイドと言うか。
 ともかく顔は穏やかでも、着手は出来るだけエゲツナクと言う感じ。
  
 念のために誤解が無いように言って置きますが、実生活では出来るだけ「良い人」を心がけておりまして、発した言葉と心情の不一致が無いようしておりますから、少なくとも「口に蜂蜜心に刃」と言うことはありません。
 少なくとも思っていないことは言いませんから非常に分かりやすい人間をやっています。
  しかし石を握ると・・・多少変身の兆しがある・・・。
 囲碁で変身できるので、現実生活では良い人でいられるのかも知れませんね。

持ち時間

2010-04-18 04:52:14 | Weblog
 他の方のブログを拝見していたら、外国棋士の日本棋士についてのコメントが出ていました。
  誰がいつどんな時に言ったのかは忘れましたが・・・
 「日本の棋士と打つ時は途中まで多少不利でも、後半に逆転出来る・・・」そういう趣旨の話だったと思います。
 つまり持ち時間の使い方を指しているようで、日本棋士は序盤で持ち時間を使い果たして、更に時間が欲しい時に時計に追われると言うことらしい。
 確かに素人の私が見ても、そういうことはあるに違い無いとは感じています。
  素人としては「どう打っても一局の碁」と言う場面では、迷うことはあっても、どこかで思考を打ちきって”運は天に任せる”と言うことになります。
 それに序盤の時点で、答えの出にくいミクロの世界で時間を使わない・・・アマとしては時間をつぎ込んでも正しい答えに到達する見込みは少ないですし。
 それに元々持ち時間が45分程度ですから少ない。
  マア、プロ並みに数時間の持ち時間を与えられても、持て余しますが。

 ところが、私の想像ではプロの場合はアマみたいな無責任なエイヤッ見たいな手は打てないでしょう。
 とことん、ぎりぎり考えて結論に達してから着手すると言う”原則”だろうし、プロとしての”叙事”でもあるでしょうから・・・。

 昔の秀哉名人引退後は、持ち時間40時間だとか・・・当然例外。
  私の子供時代の新聞碁で確か持ち時間9時間くらいだったように思いますが、定かではない。
 この持ち時間でも「長考派」と言われる棋士は序盤に持ち時間をつぎ込み、最後は秒読みに追われたのですから、何とも凄い集中力と言うか・・・。
 この当時でもアマから見れば、プロはそこまで時間が必要なのか疑問には思っていたのですが、そういう持ち時間で行われていたと言うことは「とことん考えて良い碁を打つにはこのくらいの時間は必要」だと言うことが定説だったに違いないと想像する。
 そうでなくては朝打ち始めて夜中に終るとか、二日かかりなどと言うことが普通なんて。
  その当時でも時間に追われて碁を打つのは碁では無いみたいな気分の棋士はいたと思います。
 
 さて現在は「棋聖」「名人」「本因坊」のタイトル戦のみ持ち時間8時間で2日制ですが、その予選は5時間で1日打ちきり。
 その他の棋戦は早碁以外は3,4時間だそうです。
 これは、国際棋戦はだいたい3時間制ということで、そこに合わせているのでしょうか。
  国際基準みたいな感じと、世の中のニーズ?・・・
 初めに戻って、日本棋士が後半逆転されやすいと言うことが、概ねアルこととした場合その原因は持ち時間制と関係あるのだろうか?
 勿論実力が国際的トップレベルに及んでいないと言われればそれまで。
 あるいは、持ち時間と言う条件で打つことにシフトしきれていないのかも?と思いたい気持ちもあります。
 当然そうであっても、そういう条件に対する努力不足ではあるでしょう。
  
 普段から研究を重ねて、実戦で考える事を少なくして置く・・・。
  あるいは普段から持ち時間の少ない対局で鍛えて置く・・・
 さて、そういう事でレベルが上がる?
  アマレベルでは無く、国際的なプロの世界のことですから想像も出来ないのですが。
 マア、分からないなりに勝手な事を言うと。
  勝負に拘るか?内容に拘るか?・・・勝負の世界のプロとしては当然両方でしょうね。

ここで重大なことに気がつきました。
 アマのレベルでのことなので、プロの世界に当てはまるかどうかが問題ですが・・・
  私程度のレベルでは良くあるのですが、いわゆる下手だと思っていた人との対局で”思わぬ善戦”に遭遇しかなりてこずることがあります。
 こういう時上手たるものが、慌てて変な手を打って深みにはまってはいけないわけで、例えて言えばマラソンで徐々に追い上げるように着実に差を詰めて行って、チャンスと見たら一気に逆転すると言う方針に切り替える筈です。
 冒頭の発言はこういう事を言っているようにも感じます。
  もしそうだとすると、勝負事に関する態度としては頷けますが、根っこのところが気になります。
 つまり基本的に”下手”として認識しているのかもしれない・・・こういう感じ方は私の僻み根性からの発想だろうか?。
 これだけネットが発達しているのですから、単純に「情報不足」と言うのも、「練習不足」と言うのも変ですよね。

竜爪山

2010-04-17 00:18:32 | Weblog
 これは”りゅうそうさん”と呼びます(念のため)
  最近ネットに出ていた竜爪山の伝説によると、竜が爪を落として山が出来たのだとか・・・山は”文殊岳”と”薬師岳”の二つで竜爪となっています。
 この山は街のシンボルでもあると私は思っています。
  標高1000メートルはあるので街のどこからでも見ることが出来る。
 頂上からの展望と言う事では誰でも簡単に登れて、バスでもいける日本平が知られていますが、あれは標高300メートルの展望台で、竜爪は汗を流して自分の足で登らなければいけないのです。
 東京から日帰りでいける山としてはほぼ西のはずれにあたるかも知れません。
 
 高校時代は山岳部でこの山が日曜日のトレーニング場所。
  平地にある高校から歩きだして、山原(やんばら)堤・TV塔経由で尾根筋を歩いて山の中腹にある穂積神社中社経由で登山、帰りは麓まで下山してバス。
 1000メートルの山ですから、標高差300メートルを1時間とすると登り約3時間、これを30キロに調整したリュックを担いで登りますからなかなかトレーニングになりました(本当は先輩に追い立てられてヒーヒー)。
 思えば、こういうことが出来た時代があったのですね・・・私にも。

 高校を卒業して現在住んでいるところへ来ましたが、生活していて最初はどこか変でした。
  ある時気がついたのですが、周囲の何処にも山が見えないのです。
  富士山は余程晴れているか風が強い日で無いと見えませんし、県の最高峰405メートルの山は遥か県南部(しかも自衛隊のレーダーサイトですから入山禁止区域)。
 従って街を歩いている時に、何気なく山が目に入って自然に方向が分かると言うことは無い。
  一つ一つのビルを憶える他無いのですから昨日今日のよそ者には無理。
 
 故郷では竜爪も富士さんも日本平のTVアンテナも自然に目に入っていたのですね。
  この山が街の北側に聳えている為か、真冬でも雪はこの山までで、竜爪がうっすらと白っぽくなる事はあっても、雪はストップされていたようです。
 
 この山は街のどこからでも見えるのですが、漁師さんたちにも大事な山だったと言うことです。
  駿河湾で漁をする人にとっては、方向を知る上で大事な目印なんだそうです。
 焼津の港の方からも見えるのだとか・・・
  特徴のある山の姿ですから分かりやすいのでしょう。

 ところでこの竜爪山は、マイナーですが我が家(父の本家ですが)にも言い伝えがあるらしい。
  「竜爪に住む天狗が空を飛ん出来て、家の雨戸などに爪跡を残した・・・」これは意味が良く分からない言い伝えですが、古い家にはありそうな話。
 もう一つは本当らしい・・・
  この山は山岳信仰の山ですが、先祖に当たる方(本来なら跡継で当主になる人)がこの山に籠もって修業をしたらしい・・・どういう修業かは知りませんが、ともかく山に籠もっての荒行だったらしく、この若い頃の無理がたたって若死にしたとか・・・。
 マア、だからどうなんだと言うようなことなので、かなり親しい人にもこういう話はしない。
  でも毎日眺めていた山には、他の人には感じない感情もあったでしょうね・・・今でも日本平にサッカーを見に行く時は空を見上げて天気を確かめ、竜爪山と富士山を確認するのです。
 富士山はビッグネームですが、竜爪はローカル・・・でも私にとっては大事な山です。
  この山が見えないと故郷に帰った気がしません。
 

飯盒炊さん・お焦げ

2010-04-16 00:02:08 | Weblog
 炊さんの”さん”のところは漢字で表記出来るのですが当用漢字には無い文字ですし、IMEパッドで探すにしてもやらと面倒な文字ですので平仮名のままにして置きます。
 さて昨日「雪見遠足」のところで、「海から遠い地方の人が海を見に行くみたいなもの」と書きながら思い出す事がいくつかあります。
 海の近くで育ちましたから、夏は林海学校は無くて林間学校。
  地元のアユ釣りで有名な興津川の上流で川遊びとか、ミニキャンプとかが行われ、メインイベントが飯盒炊さんなのです。
 マアそういうわけで私の中では「雪見遠足」から「林間学校」、飯盒炊さんと捻じれながら繋がって行くのです。
 小学校の6年が対象でしたが、丁度私の年から林間学校は無しになりました。
  代わりに町内会で同じ場所でのレクレーションをやってくれましたが、キャンプ・炊さんは無しでした・・・
 案外、行われなかった思い出ですので拘りがあるのでしょうね。

 ところで当時飯盒炊さんは焚火で行うので、実際はこれで上手にご飯を炊くのは難しい。
  家での炊事も薪・釜でしたがたまにはお焦げが出来るのですから・・・
 尤もお焦げがすきでしたから、お焦げは奪い合いでしたが、、、飯盒のお焦げが丁度良く出来るのは至難の業でしょう。
 飯盒という道具は記憶では軍隊の野外活動の道具だったでしょうか?
  これが野外活動と言う事で登山用品として使っていまして、高校の山岳部でも備品にありました。
 尤も丁度この頃が備品の変わり目で実際には使った事はありません。
  飯盒・焚火からコッフェル・ラジウスに変わって行って、より持ち運び簡便に、天候に左右されず、燃料調達の心配が無くなって行きました。
 家でも電気釜の普及でお焦げとは縁が無くなり、キャンプでもほぼお焦げは無しになりました。
  
 最近良く利用するのですが、近くの駅前に小さなおにぎり専門店があります。
  鶏牛蒡おにぎりなどが並んでいるのですが鶏はパス、普通のおにぎりも買わない・・・専らお焦げにぎりと塩茹でたまごです。
 何ともお焦げが懐かしい味で、懐かしい食感なのです。
  1個80円のおにぎりと50円の茹でたまご・・・これで満足してしまうのですから安上がりの出来ています・・・マアたまにですから良いのでしょう。

 最近売り切れることが良くあるのです。
  きっと私と同じように感じている人が増えたに違いないと思っている。
 * お焦げおにぎりを卵スープとかキノコスープの中に入れて食べるのが好き・・・「猫飯」と言う勿れ、最近のネコの方が贅沢なものを食べている。
 マア、考えて見れば「自家製お焦げスープ」と命名すれば何やら食事らしく見えて来ます。