なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

黄昏の時間

2008-10-31 17:49:47 | Weblog
 最近は日暮が早くやってきます・・・これもアメリカ経済の影響?・・・そんなことはないけれど、ともかく仕事から帰る時間には日はとっぷりと暮れているた。
 「秋の日はつるべ落とし」なんてうまい表現だなァと感心しますが、「つるべ」を知らない人には「鶴瓶」とどういう関係があるのかむしろ混乱するかも。
  生活・仕事は時間と言うものに縛られています・・・いや縛られるというのは表現が適切でないでしょうが、制約を受けているといったところか。
  ともかく時間を気にしながら生活しているわけで、腕時計を持たない私などは事務所の壁に掛った時計をチラチラ見ながら暮らしている・・・3箇所に掛っているのだがみな少しずつ針がずれているのだから厄介。
 尤もお昼時間に気がついたのだけれど、このズレを利用することも可能なんですね。
 例えば、3個の時計のうち1個でも12時を回ったならば、お弁当置き場に向かっても良いのだから・・・実際の時間と多少違っていても公式発表12時の時計が存在するのですから堂々と昼食行動をとれる。
 マア、私などは気が小さいですから、時計の癖を知っているし、パソコンの標準時間、電話機に表示された時刻、自分の携帯の表示する時刻などをつい見てしまいます。

 さて夕方の話
  季節が夏ならば、7時過ぎでも明るさが残っているから、こういう季節は帰りにどこかに寄ろうかなと言う気分になります。
 どこかと言っても、どこの古本屋にしようかとか園芸用品店で植物でも見ていこうか程度ですが。
 ところがほんのひと月前と夕方の景色が全く変わりました。
  暮色というか黄昏・・・いや古典で言う「誰そ彼」ですね。
   自転車も点灯しないと危険な感じです。
  そういう季節感があるので、夕刻近い仕事は何となく気持ちに集中力が書く時があるらしい・・・言い訳かもしれませんが。
 夕方は集中力を欠いていたらしく重要な情報をパソコンに入力して「登録」「終了」とすべきを隣のボタン「削除」「終了」にしてしまいました。
 しかも「本当に削除しても良いですか?」と聞かれているのに、いつもの指の癖で「OK」ボタンを押してしまい・・・押した瞬間に大変なことをしてしまったことに気がついたような情けない話です。
  通常ですと削除しても「回復機能」があるのですがどうしても回復出来なくて、しかも明日にはこのデータを使用する予定なので、再入力をしなくてはいけませんでした。
 所要時間は30分程度ですが、この間に窓の外は容赦なく暗くなっていきます。
  せっかく発番した番号を取り直したり、削ってしまった番号を欠番としたり、きれいな厚手の紙に印刷した証明書を作り直したり・・・みんな自分の責任なので誰にも文句は言えないし、付き合わせてしまった同僚には申し訳ないし。

 季節がもう少し進んで冬ともなればこの夕方の暗さは当たり前になるのでしょうから暗くて当たり前みたいな開き直り気分になるのですが、今はきっと頭に夏から秋口の夕方の暮残りが記憶に残っているのでしょう。
 寂しいような、帰りを急ぎたくなるような、せかされた気分で家に帰る。
  時計を見れば夏だって冬だって同じ時刻を指しているのですが・・・
 その日の帰宅遅れは特別。
  本来ならゴキブリみたいに狭くて薄くらいところは嫌いではないのですが、気持ちが疲れたのか、ネットでも観戦のみで、どうも実戦の意欲が湧いてきません。
 マア、誰にでもそんな日はあるでしょうね。
  

”師匠”の話

2008-10-30 18:26:47 | Weblog
 昨日「師匠の思い出1」を書いていてふと気がついたことがあります。
  非常におおざっぱにいえば、打って頂いた人は皆先生と言えます。
   どんな形であれ、自分に何かを教えてくれるでしょう、反面教師などという言葉もあります。
 それでは、これまで打っていただいた方、とりわけ上手の人は皆師匠かと言うとそんな風に呼ぶ感覚でもない。
 
 「感じる人」と「そうは思えない人」の違いがどこかにあるのですね。
  例えば、私は勝手に囲碁を覚えたので超初級時代には師匠はいません・・・強いて言えば新聞の囲碁欄ですが、人間ではないのでこれははずします。
  学生時代は囲碁好きな仲間を集めて打っていただけですから、皆仲間という関係です。
 まあ、どんな仲間でも自分の囲碁の進歩にいささかでも効果があるならそれも「師匠」と呼べないこともないけれど、それではわざわざ「私の師匠」という必要がなくなるのでこれもはずします。
 学生当時大学の先生に打って頂いたことがあるが、確かに自分よりは強そうなんだけれど、「師匠」という感じはしなかった。
 先生は自称2段ですが私の先で打って2敗1勝だったでしょうか・・・私の自覚が「級位」ですから、こういう戦績で良いのか疑わしかったし、私よりは強いのは確かだけれど、「先生」という感じはしなかったのです。
  明らかに先生が強くないと「師匠」という実感がないのでしょう・・・師匠に追い付いていくにしても、少なくとも出発点は差がないといけないです。
 でもそれだけは無い、何かがあるはずです。

 さて、私の最初の師匠は昨日書いたようにK先生です。
 これは「道場」の看板を掲げているところに入門したのだし、僅かとはいえ「会費」という月謝を払っているのですから、形の上では確実に師匠です。
 加えて、入門してからの触れ合いとはいえ、先生の人柄というのもある。
 そして当然ですが、碁について立ち居から教わったのですから・・・
  この時期に、(実戦を増やすために)碁会所にも行ったのですが、そこの席亭との比較。
 当時私は級位だったはずで、碁会所の席亭のAさんには5子で分が悪かった。
  それは当然でしょうね・・・指導碁的な置き石で5子だっただけで勝負だったらも少し置かされていたはずです。
 私の記憶ではAさんに数局は打って頂いた・・・形の上では教わったのには違いないが、教わった私が教えてくれたAさんを先生という感じで見ていなかったような気がします。
 いや、今でもそうかも・・・
  Aさんは席亭という立場があり、客を放って置けないということもあったのだろうが・・・そういう義務的な対局でも無かったとは思うのだけれど。
 でも「この人に教わりたい」というような希望とか、「この級位者を鍛えたい」という熱意のぶつかり合いはなかったでしょうね。
 だからと言って碁そのものがつまらないということでもないのですが、但し「高段者に打ってもらった」ということに過ぎないのかも
 せっかく高段者に打って頂いても、こういう心がけではいけないのでしょうが・・・「希望」「熱意」のほかにもお互いの「周波数」もあるでしょう。

 ところで、このAさんとは約4半世紀後に出会いまして、3局ほど打っています。
 年齢差というか、あちらは元席亭ですから元会員の私が先で打って3連勝中・・・これは密かに心の中で快哉です。
 聞くところによればAさんは別のコミュニティでは別格的存在で他の人との
段位のバランス上九段格!なんだそうです。
 それでは私は・・・いやそんなバカなことはあり得ません。
  基準となっているランキングがおかしいか、Aさんが超下手こなしの名人なんでしょう。

  話は脱線ついでに、誰かに何かを教わって上達を目指す時・・・然るべき先生と思えたら、指導料を払って教わるのが効果的だと考えています。
  席料などにしても、最近はコミュニティなどを利用した「無料」というものがはやって、町の碁会所の経営は厳しいですが、棋力面で見た場合一概には言えないにしても、私の感じでは碁会所の方が強い人が多いように感じます。
 お金を払ってでも打ちにくるのですから当然とも言えますが・・・
  教わる時もこういうことが関係あるかも知れません。
 お金を払ってでも教わりたいというのも熱意の表れだし、授業料を払った以上きちんと教わろうとするだろうし、教える側だって責任を感じて一生懸命やるでしょうし・・・
 もっとも私がお金を取って教えると言っても、生徒は集まらないに決まっているからやはり先生となるには相応の力がないといけませんね。

 話は戻ります
  「師匠」と思うとき・そう呼ぶときでも同じでしょうが、何かしら心のつながりみたいなものを感じますが、私の勝手読みでしょうか。
  まあ、日本語としての解釈はともかく私はそう思っている。
 中国では「老師(ラオシ)」と呼ぶらしいが、これは年齢とか性別は関係ないらしいから、昔中国から来たうら若いリーリー先生、シェンシェン先生を「ラオシ」と呼んで閉口させていました・・・
 当然両先生とも私の師匠(老師)です。
  

ブルーノート

2008-10-29 18:08:07 | Weblog
 ブルーノートと名づけたけれど、ジャズぽい名前でも残念ながらジャズとは関係ないノートです。
 2年前に私が新しい職場に移った時、普通ですと前任者から仕事の申し送りを受けるのですが、その時はその人の都合で引き継ぎは無しでした。
 その人自身が新しい職場に移ってたいへんらしく、ひと月以上はこちらに来るのは無理とのことで、分厚いファイルの事務引き継ぎ書を渡された。
 いや、メモと一緒に机の上の本立てに置いてあった・・・
  確かに事務的なことはそれを読めばわかるはずなんですが、新しい分野の仕事なので流れとか意味がわからないことが殆どで、言葉は確かに日本語ですが専門用語なので字ずらで理解してよいのかわかりませんでした。
 昔土木の仕事を覚えたとき「赤道」「青道」が分からなくて、先輩達から笑われたものです。
 その時は必死になって解説書みたいなものを何冊も読んだものです。
 このときも、事務概要テキストを読んで、パソコンに関する操作テキストを読みました。
 さて、そのテキストの中に「送られてくる封筒は捨てないでとって置く」との一節がある。
 仕事としての本線ではないけれど・・・確かに事務所のパソコン・プリンターのデスクの下に使用済み封筒が山積みされています。
 要するに「使用積み封筒を、内部の連絡などの際に利用すること」が「資源の再利用の立場」なんでしょう。
 それは分かる・・・しかしたくさんの郵便が届くのに、利用するのは微々たる量ですからたまる一方なのです。
 古紙回収に回さず、利用も出来ないならば何のために保存しているのか?
  それでは「資源を無駄にしていません」という意思表示をしているのに過ぎなくて実際はデッドストックを作っているのと変わりません。
 
 そういうことで、この使用済み封筒の再利用を考えていた。
  定型のA4の紙を3つに畳んで入れるサイズのものは事務の女性が小銭を入れて支払うのに便利だということでこれはそちらに流用・・・問題はA4定型外のサイズ・・・これが最も多いのです。
  仕事とは関係が無いことですが、私にはなぜか紙に拘りがある。
 男では少数派でしょうが、友禅模様の和紙とかきれいな千代紙見るとつい買いたくなってしまう変なオジサンです。
 出張で名産手すき和紙などと書かれて看板を見れば寄りたくなる。
  そういう性格はもしかしたら父から受け継いだのだろうか。
 父は紙すき職人から始めたようだし、私が物心ついたころにはパルプ工場の責任者だったし、家には紙の見本帳などがたくさん置いてあったし、いろんな紙が手で触れる所にあった・・・そういう原体験的なものがあるかもしれない。

 さてA4定型外封筒
 これはカッターナイフで切り開いて適当な大きさに裁断しホッチキスで止めて小さな手帳にする。
  すでに印刷されている文字などで向いていないものもありますが、胸ポケットに入る16ページの手帳にはなりまして、このブログ用のメモでずいぶん便利に使っていますが、とてもたまるのに追いつきません。
 適当な大きさに切って、空きCDケースに入るメモ帳を作りましたが、これとて僅かな消費量です。
 封筒を折り紙風に折って、キューブというか立体的な箱に作り替えることに成功したのですが、これとて使用量は僅かで、在庫のストックはなかなか減りません。
  話は変わりますが、封筒には2種類の糊付けの方法があるのをご存じでしょうか?
 封筒は紙の筒の底の部分を糊付けしてできるのですが、胴体の背中に糊シロがあるものと、横にあるものがあります。
  真ん中のものは、封筒を前後2枚に切り分けたとき、裏側については、その合わせ目を再利用できないとすると、使用可能な部分でできるのは手帳かメモ用紙ですが、横に糊シロがあるものはA4とB5の中間の紙が取れます。
  封筒は業者によって自社の色があって白にも数種類、同じく茶色系も数種類これに黄色薄オレンジ、ブルーなど様々ありますが、今回はブルー系の封筒の横糊シロのものを利用しました。
 裏側だけを使って紙ファイルに綴って、定型外のノートにしました。
  封筒に使う紙ですから、普通に使うノートよりやや厚めの紙で小さなスケッチブックという感じです。
 こういう手触りは好きなんですが、これも父の遺産でしょう。

 さてこれは名付けてブルーノート・・・色そのまんまですが。
  ブルーは色だけでなく、、、
 対局記録、対局メモ用にする予定なので、時としてブルーな気分にぴったりなファイルそのものがブルーなノートです。
 ファイルの表紙は手持ちの紙ファイルを使ったので、たまたまグレー。
 まさに灰色でブルーな記録帳なので何か暗示的。
  そして記念すべき?今日の一局。
 ネットで私が最も対局することが多いMさんと対局しました。
  今日は私が先でコミ3目半出し
 深夜2時頃の対局で下が、Mさんに何か勘違いがあったらしく107手で中押しで幸いしました。
 所要時間は約25分。
 気がついたら、これで自己MAXにあと2勝となっていた・・・ブルーノートに気が取られていてMAXの方を忘れていました。
 ということは、意識するとろくなことはないという教訓でもあるかも。
  しかし、近いうちにブルーな気分でノートを眺める日が来るでしょう。

師匠の思い出1

2008-10-28 03:03:10 | Weblog
 私には囲碁の師匠が3人はいます。
  入門して師匠と弟子の関係になたというのではありませんが、私が一方的に師匠と思い定めた方々も含めてという意味です。
 はじめの囲碁の師匠は元将棋の棋士のK先生。
 将棋の方は4段で引退しているそうですから、プロになった後芽が出なかったのでしょう。 
  壁に紋付き袴姿で大山康晴さんと将棋盤を挟んでの記念写真が額に入っていました。
 よく囲碁の修行で師匠は弟子と打つのは2局だけという話があります。(本当はもっと打つでしょうが)
 一局目は入門の時、もう一局はプロを断念して故郷に返す時だそうです。
  私の先生の場合は4段ですからプロにはなっていましたから・・・たぶん引退記念の写真ではないかと感じました。
 もちろん当人には聞けませんでしたが,これは教室にくたびに目に入ったのですが結局誰にも聞かず終いになっています。

 この先生に教わることができて、私の囲碁との関わり方が決まったというか、ザルはザルでも違うザルになったような気がします。
  私の碁は新聞の囲碁欄で覚えた碁ですから、ゴルフに例えると(?)・・・素人が仲間に誘われてゴルフセットを買って、練習場で少し練習してグリーンに出ていく人が多いのに対して少数派というか正統派ははじめにレッスンプロに教わって基礎から身につけるらしいが私の場合はどっちでも無くて、門前の小僧が毎日ゴルフのビデをを見て何となくゴルフが分かっていると錯覚したに過ぎない。
 大学生の時植物クラブで碁の打てる後輩を集めて囲碁で遊んでいたのです。
 その程度の囲碁なんですが「自分は囲碁が打てる・知っている」と思っていたのですから・・・。
 たまに大学の初段とか2段とか称する教授・助教授に打ってもらったり、同じ囲碁好きな学生(囲碁部に入っていない)と打つくらいでしたから大学を出ると同時に、囲碁を打つ場所も仲間もいなくなった。
 ですから2,3年は打つこともなかったのですが、たまたま町で「囲碁将棋道場」の看板を見つけたのが大転機でした。
 何回か迷った末にドアをノックしたのですから、まさに「運命の扉を自分で開いた」のです。

 そこで出会ったのがK先生。
  私はそのころたぶん5級か4級とだったでしょう。
 [先生に教わった」と言いましたが、囲碁教室的な授業はありません。
  先生がまづ最初に教えてくれたのは「作法」的なことで、これはそののちも厳しく言われました。
  私が特に無作法な若者だったわけではなくて、それがこの先生の流儀の一種だったのでしょう・・・古い表現では『自分の生徒がよそで打った場合、恥ずかしくないような碁と態度』・・・想像ですが。
 足付き碁盤で対局するので、まず正坐での挨拶、碁笥を置く位置、碁笥の蓋の位置、第1着を打った後「失礼します」と言って足を崩しても良いなど・・・
 毎週1回の道場ですが、先生に打ってもらうのは2週に1局くらいです。
  この時は並べなおして手所の指摘があります。
 自分が打たない時は、他の生徒との指導碁の観戦です。
  対局・並べ直しを盤の横で見るのです。
 自由対局は無しで、たまに対局相手が指名されて生徒同士の対局・・・これは月に1局くらい。
 こういう感じは「道場」というだけあって「碁会所」とはかなり違います。
  時代劇で見るような、剣道場の隅で他の人の稽古を正座で見ているというような・・・
 当時は碁会所を知らなかったので何とも思いませんでしたが、今考えるとその時期にこういう機会があって良かったと思います。
 
 自分の囲碁成長期に経験したことは今でも続いているような気がします。
  というのは私の碁は見て覚えた碁ですから碁も打つ時の態度も自己流だったに違いありませんので先生がある程度しつけ直してくれたのです。
 はじめに新聞に載っている囲碁欄の棋譜を毎日見ることで囲碁を覚えました。
 道場では「見る」ことを教わった。
  そして今でも、リアルでもネットでも観戦が多い・・・
 碁会所でもコミュニティなどでも観戦するのが好きなんですが、「見てばかりではつまらないでしょう」などと声をかけられたり気を使われたりするのが、必ずしもありがたくないのです。
 結構「好きで見ている」のです・・・

 ところでK先生に教わるとき4子が多かったですが、これは先生が全力では打っていないということでしょうから、本当の手合いは分りません。
 4子で打たせてもらっていたのですが、きっと「打たせる方が上手かった」のです。
 ある時「実戦が少ないので碁会所にも行って打っても良いかどうか」うかがって許可をもらった(許可が必要かどうかはわかりませんが、先生の許可をもらってから碁会所に行きたいという気分だったのです)。
 初めて碁会所で打った後に先生に報告すると・・・
 「どういう手合いで打ちました?」と訊かれ
 「(段をいう自信がないので)2級ということで入りました」
 「なんだ、2段くらい言えばいいのに」
  このやり取りはかなりはっきり記憶に残っている。
 先生としては自分に4子なのだから2段と言っても良いという意味だったのか、多少はったりでも2段と自称すれば、そのうち中身が付いてくるという意味だったのか・・・真意は今となっては分りませんが。
 まあ私としては下手をして恥ずかしい思いをしたくないということと、もしもう少し上の力があるのなら、やっているうちにランクが上がれば良いと考えてはいました。

 さて道場で囲碁の基礎が出来つつあったのでしょうが、突然道場が打ち切りになりました。
 おかげ様で私は押しも押されもしないアマ高段者にはなり損ねましたが・・・
  先生が持病を悪化させ急逝されたのです。
 (教室の世話係の人から先生が亡くなられたとの電話・・・)
 私に囲碁との関わりの方向をつけてくれたことへの感謝と、十分に教われなかった恨み節とを感じます。
 もし先生が健在だったら・・・あれから30年以上経つけれど先で打てるようになっていただろうかなど考えたり、将棋も教わるようになっていたに違いないなどとも想像したり・・・。
 (K先生道場の生徒で将棋の方は一人だったので寂しそうでしたから)
 
 ともあれ、30才前に先生と呼べる方に教わる機会があってこの程度ですから、もしそういう人と出会わなかったら、全く違うザルになっていたに違いありません。
 

実戦・観戦

2008-10-27 17:47:15 | Weblog
 ここのところ対局数が増えています・・・といっても私の場合は日に2局程度ですが。
 全く打たない日が続くこともあるので、結局トータルすれば1日1局程度でしょう、今のネット碁に入会して4年くらいで対局数が1300きょくから1350局くらいですから4年間そのペースで打ってきたことを証明しています。
  最近の成績は先日も書いたように[●●●●○○○○●●●●○○○○]の後[●●○●○○]となっていて、この間の成績が11章11敗・・・「お疲れ様」という感じですが、楽しませていただいたのですから結構なことですね。
 それで、今居る点数が自己MAXより3点下。
  つまりここからの3点が今までとは違う意味があるらしい。
 直近の22局の中で、そこのところで3回も弾き返されているのです。
  第三者的に、これからどうなるのか興味津津。

 ところで対局数は記録が残るのでわかりますが、これ以外の観戦の方の数ははっきりしません。
 概ね3局程度だとは思うのですが・・・。
 対局の場合は当然1手目から関与するのですが、観戦の場合は多少事情が変わります。
 ネットの対局者のボードを見て「自分と似たような点数の方の対局」「プロとかプロ級の方たちの対局」の中からできるだけ手数の少ない対局室を選んで入室します。
 なるべく序盤の局面から見せて頂く・対局の流れの中で考えながら見せて頂きたいと考えるのです。
 それに手数があまり進んでしまうと、途中からの観戦では流れがわからないですからです。
 
 ところで最近はパンダの対局室にも入っています。
  今はパンダの会員ではないので対局はできないのですが、観戦はさせてもらえるので、深夜でホームグランドのネットの対局が少ない時などパンダに見物に出かけるのです。
 そこで気がついたのですが、パンダの方が進行が早い感じがする。
  ホームグランドのネットでも、素人のことですから結構速いのですが、それでも勝負どころの長考とか、形勢判断で時間をつかいますから・・・
 パンダの標準的時間制度25/10,10分間以内で25手打つと新たな10分が与えられ、その時間内で25手を打つという制度で、秒読みはなくて時間切れ即切れ負けとなります。
 これですと概ね1手20秒で打つことになります。
 1手ごとに多少の時間のばらつきはありますが、だいたい平均したスピードで打つように習慣が付けられるように思います。
 仮にどこかで1手に5分使ったなら、残りの24手は1手平均10秒余りで打つことになり、これはややしんどい。
 逆に言うと常に1手20秒程度で打つ方が打ちやすくなります。
  そういうペースで打っている碁を観戦すると、全体的に流れが速く感じるのかも知れません・・・少なくとも一定の流れで進行していく。
 
 いつものネットで、持ち時間45分のうち30分で打ったとして(二人で1時間)250手程度だとすると、一人125手。
 大雑把に見れば1手平均15秒くらいですから先ほどのパンダでの消費時間と一見変わらないように見えます。
 ところが、1手毎の長短の許容範囲が違いますし、30分で打つということはまだ15分余裕がありますし、さらに時間を全部使っても1手30秒以内で打てば良いので切れ負けではありません。
 そういうことで、印象としてゆっくりに感じる。
  マア、打ってみてどちらが自分のスタイルとか性格にあっているかということでしょうね。
 私の場合はパンダは観戦用で、自分には向いていないように感じています。

故郷に帰りたくない事情?

2008-10-26 15:05:14 | Weblog
 前に「テネシーワルツ」の話をしましたが、小学生から中学生時代にポピュラーのスタンダードミュージックに慣れていたのだと思う。
 いや、家にプレーヤーが無かったし、父が突然ステレオを注文したのに驚いたくらいですから・・・
 父は家では歌を歌わないどころか鼻歌も歌わないし、母も似たようなものだから家の中では歌を歌うのは多少憚られた。
 例外は一番上の姉で、歌といえばスタンダード音楽、仕事の帰りに必ずダンスホールに寄ってくるくらいのダンス狂い。
 勘ぐって考えれば、父が姉のことも考えてステレオを買ったのだろうか?
 両者は表面的には気が合う父娘とは言えないけれど、深層心理ではどうだったのだろうか?
  父がタンゴやルンバなどのラテン系音楽ののLPなどを買ってきて聞いていたのはかなり怪しい。
 当時は何も感じなかったのだが、今になると・・・50年も前のことが不思議に思えるのです。
 父はハイカラ好きというか、外国映画が好きで母と次女、三女の姉たちを連れて見に行きます(私は、どうせわからないしつまらないだろうと、いつも留守番役)。
  ですから、当時の映画音楽などのレコードは家にあったのですが、タンゴなどを父が好きだったのか、それとも長女に聞かせるためだったのか・・・
 私といえば、そのステレオのスピーカーを利用してギターのアンプ代りに利用したり、ハワイアンギターを買ってきて遊んでいました。

 そういう経験があったせいか、高校時代には悪友に誘われて、田舎町の場末の小さなジャズ喫茶の準常連になっていました(あまり関係がなくて、私が単なる”不良っつぽい高校生だっただけかもしれませんが)。
 学校帰りに家とは反対方向のその喫茶店に行って、制服を脱いで薄暗い席でコーヒーを飲む・・・ジャズが分かっているということではなくてそういう雰囲気に浸っていたかった、マア一種の「粋がり」です。
 それほど多くない小遣いでのやりくりですから・・・パチンコをやって必ず勝つことが前提ですから、暴力や窃盗などはしませんが誉められないことも日常的にやっていたわけです。
 そう、ビリヤードとかもこの頃覚えて、ボーリングもまだ日本では流行が始まったばかりの頃でした。

 悪いことは必ずバレルものです・・・尤も同級生たちは知っていたでしょう。
 高校時代の同級生が大学を出て地元に帰って、兄の勤める会社に入社し、兄の部下になった・・・二人も。
 彼らが兄に言ったという「彼には勉強でもかなわなかったけれど、他のことでも・・・」
 兄は渋い顔をして私に言ったものですが、私としては「勉強でも」を強調したいのですが、兄は「他のことでも」の方に拘って「俺は恥ずかしかった・・・」。
 そして高校時代のジャズ喫茶仲間が田舎で医院の後を継いで・・・私の姉の婿さんが仕事で出入りしていたのだそうです。
 ひょんなことからお得意さんの級友が自分の義理の弟とわかったらしい。
  だから義理の兄からは「たまに田舎に帰ったら友達のところへ顔を出せ」といわれたのだが・・・
 「昔のことを知っている人と今更会いたいとも思わない」というか・・・
 「碁を打ちに行くならいいけれど、昔話をしに行く年でもないでしょう」という感じです。
 同窓会だって毎年のように連絡はあるけれど出席したことはない。
  故郷が嫌いではないし、その場所、その時代が懐かしい気持ちが無いわけではないけれど、みんなで懐かしがるのは少し気持ちが悪い気もするし、どうせ「お前は結構悪だったよなァ」と少なくとも1回目は肴にされるだろうし。

 ある時もっと大きな理由に気がつきました。
 髭を剃る時、顔を洗う時に否応なく鏡を見るのですが「鏡の中にジイサマが映っている!」ことに気がついた。
 仕事をしていれば若い人たちも「同僚」だし、囲碁では同好の士ですから自分の年齢をあまり意識しない。
 ところが鏡の中には、ジイサマの自分が正体を現している・・・これは変えようのない事実だし、後戻りは出来ない姿で、それを見るのが嫌で嫌で。
  田舎に帰ると、もしかしたらそういう種類の顔に出会うかも知れないが、同窓会ともなればそういう顔に会いに行くという事だから・・・毎朝自分の顔を見るのも好きではないのに、そういう顔の集団を見に行くなんてぞっとします。
   
  それでも、もしも「卒業生囲碁大会」だったら参加するかもしれない
 同窓会を前面に出さず「囲碁・将棋大会」なんていうものがあったら、「健康麻雀大会」「ボーリング大会」の形で会があって、その後簡単な打ち上げ会という形なら乗せられてしまいそう。
 「あいつも囲碁を打つのか」なんてい事だと釣られてしまうに違いない。
 

人と人との戦い

2008-10-25 17:06:07 | Weblog
 「戦い」という表現を使うと、かなりの違和感があります。
  プロの碁では賞金も名誉もかかっているのでしょうから、それを勝ち取るための戦いでしょうが、こちらアマ・ザルとしてはせいぜい「勝てていい気もち」「持ち点1点アップ」程度のことですから戦いというにはには余りにもレベルが違いすぎる。
 まあ、それでも次元はともかく勝敗を争っているわけですから、対局ということの中には既に戦いという要素は織り込み済みということで、僭越ながら自分の対局も戦いではあると思うことにしている。
 それに定石の選択とか、手筋の応用とかは最善・最強と言うのしても、選択の目的は勝つためであるのですから。
 中盤戦で碁盤を眺めながら「こんな事で勝てるのだろうか?」と考えることもあるわけで、やはり勝ということを意識するのだから戦いではあるはずです。
  しかし、そこのところに少し矛盾があって、戦いは勝つためなんだけれど、それを強く意識し過ぎると却って本来の目的と違う結果になることが多いようです。

 一昨日ネットで対戦したOさん、向こう先でコミ1目半出し。
 本来は互い先だと思いますからコミ1目半は互い先のコミ6目半から比べたら5目も少ないハンデです。
 そこまで細かな意識で打つ腕前でもないのですが、それでも「厳しい」と感じてしまいます。
 結果はやはり私の1目半負け。
  要するに盤面で黒3目残し、コミを差し引いての結果が1目半。
 「Oさん相手に1目半なら私の善戦のはず」と慰めるしかないのですが、それでは「中押し負けはボロ負けで、1目半なら善戦みたいな変な評価みたいな」矛盾があります。
 都合よく自分を慰めているに過ぎませんで、結果ら言うと「勝負に行かなければいけないところで勝負に行ってなかった結果、最後まで打って僅差で負けた」可能性は高い。
  そのOさんと1日置いて再び対局することになりました。
 今回も向こう先コミ1目半・・・ということは彼は私に勝った後に二つ負け越している・・・「ずるい!」いや、ずるいわけではありませんが少なくとも彼は私には強いような。
 それにしても彼の対局前のあいさつのコメント「よろしくご指導・・・」は、へそ曲がりの私には挑発的なあいさつに見えてしまいます。
 それは彼のあいさつの定型なので他意はないとは思うのですが、「ご指導」と言われながらこちらがやられているのですから恰好が悪い。

 ともかく前回はOさんの両高目に対して私は一隅は星に打ち、4手目で黒の勢力圏に打っていきました。
 結局はそれがOさんの狙いだったのでしょう、序盤で打ちにくくしてしまい、中盤以降の必死の追い上げも追いつかなかった感じでした。
 前回は、対局前に「ゆっくりゆっくり」とおまじないを唱えたにも関わらず4手目にそれに反する手を打っていったのです。
 ですから唱えているお経と打った手が違う・・・心と手がバラバラだったようです。
 もしかするとそれが布石とか作戦を云々する前に最大の敗因だったのでしょうか?
  ともかくそういう反省を踏まえて対局開始です。

 今回先に彼が手を変えて来ました。
 前回対局の2日後と言うことで、目先を変えてきたのかもしれません。
 それとも、私が何らかの両高目対策を考えてリベンジに来たと考え、先に同じ手を避けたのか?
  実際は私の対策は「ゆっくりゆっくり、本当にゆっくり」だけでしたが・・・
 Oさんの1手目は星・・・私は「オヤっ」と思いながら向かいの星。
 Oさんの3手目は高目・・・「やはり高目」とは思いながら、これは両高目とはずいぶん印象が違うし特に勢力で圧倒されるような感じは少ないと感じた。
 実際のところはわかりませんがそう感じたということです。
  それで私は4手目は2連星。
 これは一番打つことが多いし、この後Oさんの作戦を見ながら打てるような気がしていました。
 「ゆっくり」+「臨機応変」
  前回の対局では私が先に無理をしたのですが、今回はOさんが仕掛けたような気がします。
 私の「ゆっくり」お経が聞こえたのか、「ゆっくりさせない」と思ったのかOさんが積極戦法。
  諺が確率的に正しかったか・・・「仕掛けたほうが負ける!」
 いやもう少し細かに言うと「隙がない所に仕掛けるのはリスクを背負う」でしょうね。
 「ゆっくり」と言いながらも相手が積極策でくる時に消極策は危険。
 むしろチャンスなわけで、結局そこで決着がついてしまった。
  
 2局を振り返ってみると、盤上に現れた形はアマの稚拙な石跡ですが、気持ちと気持ちがぶつかっていたとは思います。
 ザルとは言え石だけでなく気持で戦っている部分もあるのですね。

ケセラセラ

2008-10-24 17:50:21 | Weblog
 昔姉の持っていた雑誌の付録で、シャンソンだとかスタンダードナンバー、有名な映画の主題歌などの本が家にありました。
姉の世代は戦争前のものがある時代を経験し、戦争中が子供時代で、戦後一気にアメリカ文化が押し寄せてきた時代が青春期です。
 昭和30年前後だったと思います、英語の歌詞にカタカナの振り仮名があったかも知れませんが、ともかく音楽に関してはそういうものが人気があったのでしょう。
 その本には「枯葉」「テネシーワルツ」「旅情」などが並んでいました。
 今でも懐かしのメロディーみたいな番組でテネシーワルツを聴くと当時のことが思い出されます。
 その本に入っていたのが「ケセラセラ」・映画<知りすぎた男の主題歌>という副題が付いていたように記憶しています。
 英語で言うと歌詞の中に出てくるようにウィルビーですが、当時はスペイン語であろうが英語であろうがわからなかったわけで、単に「なるようになる」と覚えました。

 さて4連敗と4連勝を繰り返し、今また負けたところだという話を昨日書きました。
 今後どういう展開になるかは非常に気になるのですが、一方で気にし過ぎるのも変だと思いながら気にしている。
 囲碁は1局1局が楽しいということがまずはメイン。
  勝ち続けることとか、勝率が良いことに喜びを感じるとしたならば・・・それは一定程度期間限定なら可能ですが、ずっとというのは不可能な話。
 まるで、無限連鎖のネズミ講みたいなもので、囲碁ならばアマがプロを突き抜けて神様くらい強くならない限りありえない話です。
 そういうことですから、いつかは限界にぶつかる・・・いや、すぐに壁に阻まれるでしょう。
 当然勝ったり負けたりになるはずですが、その時「勝ったり負けたりの繰返し」を=0みたいに感じるか、1局の中にある程度勝敗を越えた楽しみを感じるか、あるいは勝ったり負けたりの中に楽しみを見つけるか出来なければ、興味が尻すぼみになるでしょう。
 プロの場合は、興味以上に生活が優先ですから、面白かろうが苦痛だろうが打たなくてはいけないし、勝たなければいけない。
 その点アマは気楽ですが、気楽なだけに1局を無駄にはできないでしょう。
  私自身の事で言えば、打てる局数も無限ではないでしょうし、自分の楽しいと感じる碁を実現しなくてはいけないと考えている。
 勝つことだけでなく、「こういう碁を打ちたい」とか「こういう囲碁仲間と楽しい時間を過ごしたいとか」・・・あまり具体的ではない部分もありますが。

 私ぐらいの年齢で、上がり目も期待できないようなオジサンとしては、まさに楽しみのところが問題です。
 これ以上強くはなれないだろうと言う客観的な見通し・あきらめの心境と同時に「少しでも強くなりたい」という気持ちがなくなったら味気ない感じがするだろうし、碁を打つエネルギー半減のような気がします。
 いや、エネルギーは要らないかもしれませんが、あるときふと「私はなぜ囲碁を打っているのだろう?」と思うことがあるかもしれない。
  まあ来年のことを言うと地獄の鬼に大笑いされそうですが、、今日囲碁を打てているなら明日も打っているだろうということでしょうね。
 悪い表現では惰性かもしれませんが、リアルにせよネットにせよ囲碁を打てる楽しみがあるうちは幸せでしょうね・・・ケセラセラ・・・明日は分りませんが、多分大丈夫でしょう。

杞憂なのか

2008-10-23 17:50:50 | Weblog
 子供の頃、夏休みの午後天気さえ良ければほとんど海岸・岸壁で遊んでいました。
 波に見え隠れするような岩場とか、防波堤のテトラポットの周辺が遊び場で、当然裸足ですから足の裏はフジツボでできた切り傷だらけ。
 切り傷に塩水が浸み込むのですから、遊びはじめは痛いのですが遊びに夢中になると痛みを忘れてしまって夢中で遊びます。
 その日のお風呂で、否応なく思い出させられますが。
 ところで、磯の岩場などで遊んでいると、怖いのは波でしょうね。
 落ちても好いように海水パンツで遊んでいますが、それでも転落して打ちどころが悪かったり、予期せぬ大波にさらわれたりしたら危険です。
  海の中で泳ぐということでは、海のそばで育って、遊び場にしているのでそれなりの自信はあるのですが、それでも”予期せぬ波”というのも経験的に知っている。
 波が寄せてくる10回か20回かに1つ、それまでとは違う大きな波が来ることがあるのです。
 その1回の波で滑りやすい岩の上でバランスを崩したり、足を掬われたり
  町場の子が見た目では問題がなさそうな場所で事故にあったりするのは、そういうことも関係があるかも知れません。
 
 さてネット囲碁で
 4連敗の後4連勝をして元に戻ったと思ったとたん、また4連敗をして、そして再び4連勝。
 4連勝4連敗は囲碁の波で言うと決してさざ波ではありません。
  2連敗とか2連勝くらいだと心も穏やかですが、3連敗ともなると「次は負けられない」と思うのです。
 たいてい全部違う人と打っているのですから「負けられない」と思うのは私の勝手な事情でしかないのですが、でも心の中では思う。
 それが4連敗ともなると「もしかしたら私はこのまま落ちていくのではないだろうか」という絶望感が漂ってきます。
 4連敗は中波であり、もしかしたら大波に変化するかも知れない怖い波でもあります。
 1局ごとに点数が変化する制度ですからハンデは変わるのですが、でも相手も変わるので、負けて点数が下がった分ハンデが楽になるとは限らない、相手だって下がってきたのかもしれませんから相対的距離は同じで、さざ波だと思っていたのが中波に変化し、それが大波になって波の底に引きずられるということもあり得る。
 まあ今のところ4連敗と4連勝を繰り返しているのでそれなりの浮力はあるようです・・・
 で、また今日負けた!
  いつもは互い先なのに今日はあちらが先番でコミ1目半出し・・・6目半から考えればもらえるコミが5目も少ない。
 大激戦の細かな碁で、持ち時間45分のうち二人とも残り5分程度・・・そして1目半負けました。
 「コミがなァ・・・」とぼやきたくなるような。
  「これが点数制度」とも言えそうですし・・・
 もっと怖いのはこれが3度目の4連敗の初戦かもしれないということ。
  いや、もっと大波の始まりだったらどうしよう。
  大恐慌はこういう何気ない日常から始まる!?
 こういうとき頭に鳴り響く「昔・・・空が落ちてくるのを心配し・・・」アァ杞憂だと好いですけれど。

思い出の職人の技

2008-10-22 17:43:33 | Weblog
 今月号のNHK囲碁講座の「桂馬の両アタリ」・先崎学さんの話は囲碁のプロ棋士の石を並べるとき・石を片付けるときの熟練の“技”の話。
 マア、単に片付けるだけならアマでも練習すれば何とかなるかも知れないのですが・・・プロ並みのスピードで石を片付けることで周りを驚かせるためにその技を練習するというのもいかにも空しい感じがするけれど、何気なくやってみたい気も少しはある。
 (尤も今の私ではやりたくても不可能。)
 やはり、先崎氏が言っていたように、毎日棋譜を並べては崩し、並べては崩す修練の必然的結果でなければおかしいですね。
 終局の際の地を作るスピード、終わってから石を片付けるスピード・・・それらは単に早いのではなくて、無駄の無い動きの結果でもあるので、速いだけでなく美しくもあると思っています。

 ”早いことを見せつけるための石を片付ける練習”をしようと思わないでは無いではないと言いましたが、、、実は「この人はもしかしたら、手際よく石を片付けることに美的意識を持っているのではないだろうか?」と思ったことはあります。
 昔の碁会所の常連の仲間で、Yさんは私が思うに「手の動きにこだわりがあるように思える」のです。
  茶道でのお手前というか、華道での花の茎を切る時の手とか鋏の動きというか、そこまで言うと流石にオーバーかも知れませんが。
 まづ、打ち上げた石の取り方に特徴がある。
 「気取っている」と言ったら表現が悪いし、適当でも無い感じですが、言葉では言い難いのですが彼にとっての一種の儀式なんだろうと見ている。
 いつの頃からだろうかそれに気が付いて以来、彼が私の石を取り上げるときの手つきが、手が「気持ちがいい」と言っているように思えて意識過剰になったことがあります。
 無言での対局なのに、彼の手が「どうだ!」と言わんばかりに感じる。
 冷静に盤面を見れば、形勢は互角に近いはずなんですが変に意識をしてしまうのです・・・そういう盤外作戦であったならば作戦大成功ですね。
  まあ、彼はそこまでは考えてはいなかったはずですが、石を片付ける時の手つきから、いかに早く片付けるかに拘っているように感じたのです。
 ともかくザル仲間では抜群に早いから、一緒に打った時などは局後に煽られるような気がします。
 プロ棋士のような必然の結果ではないのでしょうが、彼はいかに手つきとその技で形ではプロに近づくことに意識が行っていたのかもしれませんね。

 私も彼より棋歴は長いかも知れませんが、手の技ではウサギとカメくらい差がある。
 そして10年前くらいに軽い脳梗塞を経験して、右利きから左利きにスイッチしたくらいなので、手のスピードにも自信がない。
 手の技と言えば最近は禁煙以来ご無沙汰していますが、昔はマージャン牌を扱うのに多少の自信がありました。
 当時は機械などないので「手積み」の時代です。
  早くきれいに積む・・・麻雀の場合は賭け事ですから、+勝率の良い積み方となるわけで、手の技も勝敗に関係してくる。
 そういう意味では、囲碁では早くても遅くても好いし、しかも結果が出てからの作業なので安心です。
 石を片付ける作業は勝敗とは無縁ですが、それでもその形・スピードにこだわるというのがあるとすれば、それも一種の”遊び方”なんでしょうね。

 囲碁とは関係ないけれど「手の技」ということでは私には忘れられない思い出があります。
 職人芸ということですから、職人にとっては当たり前というか、飯のタネでしょうから自慢でもなんでもないのでしょうが・・・
 私の母方の叔父がベーカリー兼・ケーキなどの店をやっていまして、季節によっては(暮は)お餅をついたり、冠婚葬祭の引き出物のお菓子などを作っていました。
 長兄である伯父が社長で、弟がNO2であり職人でした。
 その職人の方の叔父には特技があって・・・ケーキ職人なら当たり前かもしれませんが、クリームでバラの花を作るのが上手かった。
 きれいな形で崩れない・・・子供心にすごいなと思ったものですが、その叔父にはもっとすごい技があることに気がつきました。
 それに気がついたのも自分で言うのもおかしいですが、私が多少成長したからでしょうか・・・
 まづ、お饅頭のような生地を両手で丸めるスピードと出来上がりの形がすごい
 私など1個づつでも出来上がりがいびつで自信がないのですが、叔父は普通に両手で、ふっくら丸くいかにもおしそうにできる。
  そういえば生卵を何十個も割るとき片手に2個づつ持って両方の手を使って割っていくから私の4倍以上のスピード
 でも、この程度ならもしかしたら毎日やっていればなんとかできるかも知れません。
 正月になると必ず思い出すのが、この叔父の技です。
 搗きたてのお餅で鏡餅を作る・・・これは注文主からわざわざ指名が来るのですから本物なんでしょう。
 打ち粉をした台の上で、短い木の板と手の丸みで鏡餅を仕上げていきます。
 作り方は皆の見ている前でやるのですから秘密でもなんでもありませんが、誰にも真似できない正に職人芸です。

 プロ棋士の手を見ていると、不思議と伯父の鏡餅を作っている姿が思い出されます。
 きれいなものを作る手の動きは、無駄がなくきれいなようです。
  逆もまた真なのかどうかが問題でもありますね。
  

そろそろ碁盤の時期かも

2008-10-21 18:04:45 | Weblog
 NHK囲碁講座11月号を見ていて気持ちが動き始めました。
 今月号には道具類の広告のページが4箇所もありまして、宣伝用ですから実物以上?に綺麗な写真家も知れませんが、気になって仕方が無い。
 昔、学生時代に使っていた折り畳み盤は、確かデパートのおもちゃ売り場で買ったものです。
 当時トランプとか百人一首、将棋・囲碁のセットなどは文房具屋さんかおもちゃ屋さんにあったものです。
 勿論囲碁・将棋の専門店はあったでしょうが、近所にはそういう専門店は無かったし、あったとしても一番安い折りたたみ盤と練り物の石しか買えないですから敷居が高かったでしょう。
 同じヘボの学生同士ですから自分のアパートで打つときは畳に直に置いて対局したものです。
 そして、折りたたみ盤と石を持って行って大学の部室で打ったものです。
 (部室:囲碁部ではなくて植物系の趣味のクラブです)
 元々一番安いセットですが、あれだけ使えば元を取って、更にお釣りが来るに違いないくらい使いました。
 しかし大学を出た頃か、結婚した頃なのか判然としませんがその碁盤セットは家には無かったはずです。
 というのも、家で並べるために折りたたみ足つきのデコラの板の碁盤を買っていたのですから。
 石を置くと(打つのではなく”置く”のです)カチっと音がするような盤
 石も確かガラスの粉が練りこんであるような硬いものですから、強く打つのは危険な行為ですから、石は置かざるを得ない道具です。
 それでも、結婚したので学生時代とは違い夜中に打ちに来る学生仲間はいないので、並べる専門ですからそういう道具でも良かったのです。
 その、いかにも現代風と言うか見るからに安そうな道具も、子供が生まれて3,4年後に散逸した。
 初めは石はオハジキ代わり・ままごとのお金になり、盤はお絵かき台になり挙句の果てに盤にクレヨン書きのキャンバスになってしまいました。
 今でも、半分に半分に減った石の残りとプラスチックの碁笥はあるのですが、盤は無い。
 代わりと言うか田舎の兄から貰った3寸盤がある・・・
  これもスゴイ代物で、どういう材質か不明ですがやたらと重い木で出来ていて、おまけに足を差し込む穴は掘ってあるのですが肝心の足は無い。
 もし家でこれを使って対局するとしたら、100均で売っているような折りたたみ靴置きのような台を2つ並べてその上に盤を置くような使い方でしょうが、今のところ使う気になれなくて物置に置いたまま。

 さて雑誌の広告のページを見て”ひらめいた”
 わたしもあと数年でリタイアするはずです・・・簡単な仕事ならできるとは思いますが、雇ってくれるところが無くなるはずです。
 そうすると、家で囲碁を打つとか並べる機会が今よりも増えるはず。
 ”増えるはず”というところが微妙なんです。
 リアルで打つなら碁会所かコミュニティですがそこなら道具はある。
  つまり家に碁を打つような客があるかどうか?
  家で棋譜並べの時に盤・石で行うかどうか?
 今は碁のお客は無いし並べるのはパソコンの中の碁盤でやっている
  碁を打つということだけで言うと、しかるべきところへ出かけるほうが相手もいるはずですから効率が良いし、家族に気を使う必要も無いから気楽ではあるが、反面、年をとるにつれて世間様との縁もだんだん少なくなって行くでしょうからお客の来ない家になるような気がします。
 子供たちも独立し老夫婦だけの家で訪れる人もいない・・・
  せめて碁盤があれば、子供が教わりに来るような大それたことは無いにせよ誰かが気まぐれに打ちに来るかも知れない。
 いや、囲碁とは限らず誰かが用事で訪問してくれるような・・・その為には碁盤と石が必要ですね。
 尤も、雑誌の広告を見てすぐに注文を出すほど大胆ではありませんで、「見に行く機会を考えなくて」「碁盤店のある方向に用事があったら是非寄らなくては」というところです。 
 アッ!家で一番偉い人の許可がでるかどうか、まずそれが一番でした。

勝手に記念対局

2008-10-20 17:57:29 | Weblog
 古いパソコンで汗をかきかき(?)頑張ってきましたが、容量は小さいし仕事が遅いので取り換えることにしました。
 尤も、息子が女房殿にノートパソコンをねだったのがことの始まりで、息子に甘い母親が亭主をだしにしたということです。
 それで事のついでに、NTT東日本ヒカリのルーターからコードで繋いでいたのを、無線にしました。
 これで、狭い家の床がすっきりして、夜中に自分のパソコンのコードにに躓く心配がなくなりました・・・コードでしたら2台のパソコンのために夜間室内歩行注意になるところです。
 無線が開通したので、古いパソコンに入れていた記録や「お気に入り」リストを
新しいパソコンに移しました。
 ところで、新しいものを買った時にお店の人に「古い機械の下取り」を確認されて迷ったのですが、古くても何かの使い道があるかも知れないような気がして、そのままにして置きましたので、無線親機にコードを繋ぐと無線で繋いだものと合わせて2台同時に動かせるようです。
 となると、仮にネット碁を打つ時に2面同時に動かせるのかも・・・
  まあリアルでもアマのザルとしては不遜な感じですから恐ろしくてできませんが、やればやれるのでしょうね。
 但し、同じ会員番号の会員が同時に2人入場するということが「矛盾」ととらえられそうですが。
 でもプロの先生の指導碁をパソコンで同時に2面打ちできるような機能があるはずですから、同時に2台動かせるような気もします。
 実際に可能であっても1面でもアップアップがおおいですから現実的ではありません。
 せいぜいさサッカーの中継とか文字放送を見ながらネット碁を打てるだろうなという程度です。

 さて、無線で開通して記念対局
  当然ですが相手の人が「記念」など知るはずはありませんが、ともかく新しい靴履いて初めて出かける感じです。
 タイミングよく対局待ちリストに名前がありました・・・私の先番コミ半目貰い。
 相手の方は名前からすると女性に違いない
  ただしネット碁ですから娘さんなのか年配者なのかは分りようがない。
 それでも、女性と打てるということだけで楽しいのだから、私がおかしいのか、それともオジサンともなるとそんなものなのか?・・・女性の囲碁会員にしてみれば半分以上はオジサンでしょうから「おじさんにはウンザリ」かも知れませんが。
 最近女性のアマも強い人が多いのですがこの人も弱くない・・・いや私よりはるかに強いので過去2,3局打って勝った記憶はありません。
 ここ1年くらいネットで名前を見ませんでしたから、もしかしたらお休みしていたのか、それとも単に接続時間のずれによるすれ違いなのか。
  ともあれ、勝てない相手と打つのは初めから絶望的ではありますが、昔どこかで聞いた人生相談では無いけれど「絶望は愚か者の結論」ということで、背中を見せるわけには行きません。
 勝敗だけにこだわるのなら、避けたほうが得策だしネット上のことですから逃げたのは私以外にはわかりませんが、それは嫌ですね。
 勝手に名付けたとはいえ、せっかくの無線開設記念対局ですから頑張りたかったです。
  私が勝手に決めた記念対局ですが、後で「あの時あの人と打った」という記憶に残るはずですから、その時に”○○さんとの対局を避けて”などという記憶を残したくはありません。
 さて対局は・・・
 TV碁とか女性棋戦では女性プロの対局はかなりは激しい戦いがありますが、アマでもある程度は似たような傾向がありそうです、そうでなくてもアマは激しくな戦うことは珍しくないし。
 尤も、その激しいというのが、女性の場合には先生の教えに忠実であろうとするというか、こちらのいい加減な手を咎めずにはいられない気持が強い気がします。
  一方男性の場合は偏見で言うならば、”力で解決したい”ということだろうか
 とにかく、形勢不明な中盤で、かなり厳しい手を打ってきます。
  それら一連の手は強い・上手い手ですが当然こちらも反撃せざるを得ないわけで、激しい戦いとなった。
 白さんは時間をかなり使って来ていますので、私の方は白さんが考えている時間に考えることができますから白は私の倍以上時間を消費している・・・そのせいか勝負ところでやや打ち過ぎがあったようです。
 そこでもかなりの時間が消費されて、以後細かに考えて最後まで打つのは無理と考えたのかあっさり投了となりました。
 なんだか記念対局でご祝儀をいただいた気分。
  さて、これから棋譜倉庫に行って自分なりに振り返ってみます。

 追伸 棋譜倉庫で投了の場面以降を予想着手で並べてみましたが15から20目は白が足りなそうです。
 投了の場面に至る場面で、何か白に勘違いか強引に打つところがあったようで、意外な大差になったようです。
 ここで投了というのは、時間がなくても形勢は分かっているのですから、やはり弱い相手ではないので、次に出会った時が楽しみです。

負けて貰った?

2008-10-19 13:17:34 | Weblog
 この日は(も)疲れていた・・・来月に仕事に関することで法律が改正されて施行されるので、駆け込み的な仕事が多くて事務量がかなりの量になっている。
 絶対量では確かに増えていて、それに反して昨今の景気を反映して人員はかなり削減されているから、その上下の差は見た目以上に激しいものがあります。
 加えて、昨夜は女房殿が旅行に行ってしまい、父子家庭になってしまいました。
 息子が帰ってきているので・・・一人だったらコンビニ弁当でも何でも良いのですが、流石に二人で向かい合って、夕食に弁当を食べる気はしません。
 結局は私が作るしかないのですが、マア、一年ぶりの親子の食事記念に息子の好きなものを作ってやろうと、仕事帰りに買い物などもしたのです。
 作ること自体は良いのですが、買い物・下ごしらえ・料理と、時間に追われている感じで・・・金曜日の夜ですからのんびりやれば良いのですが、仕事のクセでしょうか炊事でも「出来上がり時間を設定」してしまいます。
 目標時間に合わせて逆算して作業・・・なんだか悲しい性です。
 
 そんなことで、夕食後面白いTV番組も無し、息子とでは話も弾みませんしアッサリ寝てしまい目が醒めたのが夜中の2時。
 3時ごろからネットに行って見ると、流石に週末かなりの人が打っています。
 対局待ちリストを見ると、点数の近い人が「待ち」になっています。
 見たことがあるような無いような名前ですが「誰と打つのでも最初ということはある」わけで、オファーを出しました。
 これは、目が醒めた時に「観戦」などの何の準備運動もなかったせいか、全くのお恥ずかしい形にもならない負け方。
 気持ちばかり前に出て、顔を出したところをひっぱたかれて、逃げるに逃げられないので顎を出してノックアウトされたというムード。
 さてこの明け方に、眠気もないし、やることもないので・・・リストを見るとまた先ほどの人が「待ち」になっている。
 リベンジということではなく、「先ほどの失礼のお詫び」みたいな気持ちで再挑戦です。
 また、負けて連敗になる可能性は相当高いのですが、1戦目みたいな無様な負け方ではなく、さまになった負け方をするための挑戦です。
 戦う前から変ですが、本当に勝てる気はしなかったのです。
 手合いは向こう先で白からコミ出しの相手ですが、対局ムードでは向こうの方が強そうな感じがするのです。
 若い人と打つときに「この人に何時まで白石でいられるかな、来年はこちらが黒かもしれない」などと思いながら打つような気分。
 マア全体としては1戦目よりは良かったのですが、マダマダ白のほうがヨタヨタした感じがする流れでしたが、、、私が一隅を犠牲にした代償を取り返し、その犠牲の石を取っている黒に攻め取りを強制できる形になった別れで黒氏が投了した。
 さて、最後まで打てばどうなのか、これから棋譜倉庫で調べます。
 しかしその前に彼は投げる形を作った臭いもしないではないが、考えすぎだろうか?
 ジイサマの頑張りに努力賞の飴かも。

師匠の初勝ち

2008-10-18 17:02:26 | Weblog
 どこかのブログに「間違いだらけの格言集」のようなタイトルで、囲碁格言を裏から読んだり斜めに見たりするものがありました。
 私も日頃からそういう事が好きなので、自分に関することなどでも冗談的視点で見たらどんな風にみえるのかなどと想像して遊んでしまいます。
 例えばネット対局ですが、私の場合平均すれば1日1局くらいになりますが、それはあくまで平均という結果でして、多い時は1日に2,3局打つときもあれば1週間近く打たないときもあるのです。
 対局が多い時は概ね負けている事が多いようで、その反動でしょうか暫く対局が少ない期間があったり、星の波だけでなく対局数の波もあるのです。
 それで負けが続いた後のお休み期間はネット観戦しながら、自分のことを「馬鹿も休み休み・・・」→「馬鹿は休み休み打て!」・・・どちらが好いかななどと考えたりして遊びます。
 そういう感じの自分的諺?「師匠の初勝ち」
 
 ネットで4連敗の後4連勝があって一気に元の点数に戻った反動か、実生活でやや忙しくて疲れいたか、また対局無しの日が続きましたので久し振りの対局。
 ネットに入ると、点数が近いところではKさんだけが対局待ちになっています。
 私はこのKさんとの対局で勝った記憶が無い。
 ここ3年くらいで4,5局打っているはずだけど、向こう先くらいの手合いなんですが負けているはず。
 それも記憶では手も足も出ない感じで「どちらが白か」と思う程の負け方をしている。
 たいてい向こう先でコミ無しなので、白番で地で追いつこうとしたり勝機を見つけようとバタバタするのですが、かえってその欠陥を突かれて黒ペースになり押し切られてしまうか、アッサリ斬り捨てられてしまう・・・。
 考えてみれば、相手が何もしないのに私が勝手に墓穴を掘っている感じですが、苦手意識もできているような気もします。
 
 ネットでは当然年も経験年数も分かりません。
 このネットで分かるのは(おそらく)実名、住んでいる県、勝敗の累計、現在の点数というところですが、それでも名前とか打っている感じで想像すると、Kさんは私よりやや若い感じですから私が兄弟子程度でしょうか。
 それでも星が偏っているのはKさんが冷静な人?
 私の方が点数が上ということは、Kさんは私には強いのだけれどその分を誰かに負けていて、いつも私が白番になっていると言うことですね。
 つまり私はKさんの星配給係、早い話が「カモ!」。
  対局待ちボードを見ながらそういう事を考えていましたが、一方で「4連勝して点数が戻ったことだし、ここでまたKさんに負けても良いではないか、私もその分次に勝てば好いのだし」などと”太っ腹”に私も「対局ボタン」を押しました。

 話が横道にそれて昔の思い出ですが・・・
 昔々、私がまだ級だった頃に通っていた碁会所の常連で高段者だったHさんの口癖です。
 碁を打つときの口癖みたいなものがあって、彼の場合は主なものは三つ
「碁は勝ちと見て和尚の昼寝」:これはどうやっても形勢は揺るがないから、挑戦には乗りませんよという意味。
「そろそろお灸をすえないといけない」:相手が自分の欠陥を放置して攻め続けている時、Hさんが反撃に転じる時の言葉
「師匠の初負け」:本来は入門してきた弟子に、師匠が自信をつけさせるために負けてあげるということでしょうが、ここではその日の口開けの一局に負けたとき、あるいは単に下手に負けたときの悔し紛れの言葉。

 さてKさんとの対局
 「負けても好いさ」という余裕?からか、過去のKさんとの対局の反省から「ゆっくり」に徹してみました。
 何処がどうと言うのは難しいですが、自分からバタバタしない・相手の動きをよく見る・・・そんな感じです。
 それが効を奏したのか?
 ほんのすこしずつでも良いから地で追いつく作戦と言うか、NHK囲碁講座の本のメイエン先生のゾーンプレス風と言うか・・・ともあれ相手が先に動いた。
 黒のKさん「これではタマラン」みたいに。
 「だるまさんが転んだよ・・・」ではないけれど、先に動いた方が負けだったようで、初めてKさんに勝てました。
 この時頭に過ぎったのはHさんの口癖「師匠の初負け」ならぬ「師匠の初勝ち」
  私の棋力で師匠は無いですが・・・ネットの向こうでKさんが「師匠の初負け」と呟いているような気がして・・・深夜の妄想です。

順徳院!?

2008-10-17 18:16:21 | Weblog
 落語だったら百人一首では崇徳院が有名でしょう。
 箱入り娘が若旦那に一目ぼれして、若旦那が箱入り娘に恋患いをして崇徳院の歌「・・・われてもすえにあわんとぞおもう」をキーワードにお互いの親の代理人が相手を探し回るという噺。
 私の場合はそんな純真?でも無ければ、激しい一途な気持ちではない。
  寧ろ、只の駄洒落ですからもっと落語的ではあるけれど、逆に落語的発想が根っ子にあるとかえって落語にはならないみたいです。
 最も近い落語で言えば「道具屋」あたりでしょう。
  この噺の中に「ひょろびれ」というものが出てきます。
 道端で店を出す露天の道具屋にはろくなものが無いということで「ひょろびれ」もそういう売り物の一つ。
 古びた「ももしき」のことで、これを穿いて「ヒョロ」っとよろけると「ビリっと」破けるので略して「ひょろびれ」のももしき。
 それで「ももしき」という言葉自体が最近は死語に近くて・・・発想では子供時代の百人一首に結びつきます。
  百人一首は子ども時代に住んでいた町内では盛んで、、、百人一首では上の句とを聞いたら下の句を思い出さなければいけないわけで、母は私たち子供に百人一首の覚え方を教えた。
  ですからこれは私のDNAの源の半分を提供してくれた人のセンスでもあり、悲しいルーツでもあるでしょう。
 それは「語呂合わせで歴史の年代を覚える」ようなやり方で、歌の意味とか優雅さなどお構い無しで、ともかく上を聞いたら下が出るようなやり方。
 「あまつかぜ・・・」ときたら、昔の宝塚の天津乙女
 「末のまっちゃんナミコさじとは」
 「かこち顔なる坊主の涙」
  まったく乱暴な覚え方でして・・・その影響か私自身も
 「まつとし聞かば・・・」が「松と敷きカバー」になったし
 「百敷きや・・・」の歌が「股しきや、古びて破れて穴が開き、今朝の寒さに○○チジム」みたいに・・・
 やっと順徳院に辿りつきました。

 私はネット対局でも必ず手に扇子を持たないと落ち着かない。
 扇子の機能は「手に馴染む」こと「畳むときピチっと音がすること」そして本来の役目のように風を送ることで。
 今の扇子は趙治勳の揮毫(印刷ですが)で10年近く使っていますから、そうとう使いこんでいて破れが出ている。
 ということで手に馴染むのは良いのだけれど、「音」「風」に問題がある。
 ただ風だけなら団扇でも良いわけで、三拍子揃わなければ対局用の扇子には向いているとは言いにくい。
 数年前のJFE趙治勳杯囲碁大会の参加賞で頂いた趙先生の扇子はあるのだけれど・・・これは婦人持ちと言うか子供持ちという感じで、持った感じがイマイチだし、音もしない。
 音のしない扇子は対局にリズムが出ない気がします。
  さて破れた扇子を手にして「順徳院だなお前は・・・」
   まあ、持った感じは慣れがあるし、扇子の右端で小さく「パチ」っと音はしますからまだ使っていますが、そろそろ新しい扇子を買いに市ヶ谷に行かなければいけないでしょう・・・あるいは棋院の通販で・・・そんなのあったっけ?
 一番の良いのは、景品が「囲碁の扇子」という懸賞に当たること。
  そんなに都合よく行くような人生ではないから期待はできない。