■ とんぼのいる風景 ■
(今日の写真は、穏やかな秋日の晴れの日に撮った「アキアカネ」である。止まっている果実は何なのかははっきりしない。もし、これを見た人で知っている人がいたら、教えて欲しいところだ。)
「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」という中村汀女の句がある。「…ふゆる蜻蛉かな」とあるところを見ると、ここで言う蜻蛉とは、オニヤンマでもなければシオカラトンボではあるまい。
晴れたある秋の日、微かな風が吹いている。その中を汀女は、柔らかな秋の気配に心を弾ませて散歩に出た。
そして何処かの水辺にたどり着き、ふと足を停めた。すると汀女の周りを飛び交う蜻蛉が急にその数を増し、微かな風の中を流れていた。
数の多さが主題になっているわけだから、これは、赤とんぼの一種、アキアカネであろう。小さくて赤味の強いものが雄である。雌は黄褐色でやや大きめだ。今日の写真のものは雌だろう。
アキアカネというから、秋に羽化するのかというと、そうではない。夏に羽化し、夏の間は山間部で過ごすのだ。夏の登山道で標高7、800mぐらいのところまでによくにかけられるとんぼである。
岩木山では、時季によっては山頂あたりで大群をなしていることもある。そして、秋になると平地に降リてきて、水辺に多いのである。
私は、自分の経験から、この句と最初接した時、汀女はどこか山麓の小道でも歩いていたのかなあと思ったものだ。水辺に多いとなれば、それは道路沿いの、草むらを持つ水際(みぎわ)であっても差し支えはないのである。
汀女になってもう少し句意に浸(ひた)ってみよう。心弾む秋日の散策ーいや逍遥(しょうよう)と言ったほうがいいかも知れない…の折り、ふと歩みを停めると、多くの蜻蛉、とんぼが動きを停めた自分を取り巻く。
柔らかい動きの、そして軽快な動きの蜻蛉、とんぼという明るい秋気に心身を委ねている幸福感。そして、ふと、とんぼを追いかけた子供心に戻って、優しい秋を肌で感じたのだ…。とでもなろうか。
しかし、私はこの句の持つ視点、汀女のとんぼをとらえる視点に不満を持つののである。
■ 車での長旅・夏と秋が分かれていた・「いぐね」のある風景 ■
宮城県大崎市鳴子温泉で開かれた「第29回東北自然保護の集い」には「自動車」で出かけた。弘前から5時間の距離である。車に5時間も缶詰になっていることは疲れるものである。運転者はもっと疲れているだろう。
そのようなことを意識しているのだが、何しろ「体」は意識を越えて、「睡魔」に襲われる。
助手席に陣取っていて、運転者の「腕」にもたれ掛かるような姿勢になって、スーと「睡魔」が全身をのっとってしまう。運転者に「起こされて」ようやく「目覚める」というていたらくである。
おそらく、ぐらりと上体を横様に傾かせるのは一瞬なのだろうだが、「そうなってはいけない」と意識している精神からすると、やりきれないほどの恥辱に感ずるし、申し訳ない気持ちに襲われてしまう。睡眠時間の少ない、朝3時に起床した「往路」では、そのような「睡魔」に取り憑かれることは殆どなかったのに、22時に就寝して、6時に起床して「温泉」を浴びて十分「リフレッシュ」したはずの「復路」でこのような事態になったのは何故だろう。
体に感じないところで「疲れ」ていたというしかない。全体会議で報告をし、意見を述べて議論に参加し、朝は朝で7時からアピール文の作成会議に参加することになり、9時からの全体会議でまた、報告と発言、質問とめまぐるしく「精神」は働いていたのである。やはり、疲れ以外の何者でもない。
…鳴子を出たら、猛烈な雨である。道路脇に設置されている気温表示は30℃、暑い。鳴子から古川の自動車道までは西から東に移動する。私たちは南からの「暖かく湿った気団」と北からの「冷たくて乾いた大陸性の気団」がぶつかっている大きな「前線」の下を移動していた。
古川から自動車道路に入ってひたすら北上することになる。だから、次第に気温も下がり、雨も止むだろうと考えていた。結果として「そのとおり」になったが、この前線の南北幅は相当広かったようで、高速自動車道路に入ってからも、しばらくは「暑く激しい雨」は続いた。
岩手県に入り、車窓からは「いぐね」が見えるようになってきたら、天気は180度転換して、爽やかな秋晴れとなってきた。気温も24℃まで下がった。
冷たい秋の気団に覆われている地域に入って来たのである。日射しは強かったが、気温は低く、涼風が静かに吹く穏やかな「秋の東北」に入っていたのである。日本は狭い国だが、大きな気団がぶつかり、秋と夏を「演出」する気候的・気象的には壮大な「国」である。四季の移ろいがある国とは、その変化があるゆえに「心象的な風景」までが繊細で美しいのである。
弘前に入った頃の気温は21℃だった。秋である。
(注)「いぐね」:風雪から家屋敷を守るためや、食料や建材、燃料として利用するために敷地を取り囲むように植えられた屋敷林のこと。仙台を中心とした東北地方の太平洋側で広く使われている呼び名で、家を表す「い」と地境の「くね」から屋敷境を表したことが語源だと言われている。
仙台平野の水田地帯に緑の浮島のように見える「いぐね」は、先祖代々から引き継がれた農村での暮らしの知恵であり、また、農村の風土を形づくる独特の風景である。岩手県南部は旧伊達藩の一部だったので仙台平野に見られる「いぐね」もその当時から造られていて、それが現存している。自分の家の廻りが「いぐね」となっていたら、何とすてきだろうと心密かに想ったものだ。
■ Mさんの「岩木山・花の山旅」に対する「書評」■は明日以降に書きます。
(今日の写真は、穏やかな秋日の晴れの日に撮った「アキアカネ」である。止まっている果実は何なのかははっきりしない。もし、これを見た人で知っている人がいたら、教えて欲しいところだ。)
「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」という中村汀女の句がある。「…ふゆる蜻蛉かな」とあるところを見ると、ここで言う蜻蛉とは、オニヤンマでもなければシオカラトンボではあるまい。
晴れたある秋の日、微かな風が吹いている。その中を汀女は、柔らかな秋の気配に心を弾ませて散歩に出た。
そして何処かの水辺にたどり着き、ふと足を停めた。すると汀女の周りを飛び交う蜻蛉が急にその数を増し、微かな風の中を流れていた。
数の多さが主題になっているわけだから、これは、赤とんぼの一種、アキアカネであろう。小さくて赤味の強いものが雄である。雌は黄褐色でやや大きめだ。今日の写真のものは雌だろう。
アキアカネというから、秋に羽化するのかというと、そうではない。夏に羽化し、夏の間は山間部で過ごすのだ。夏の登山道で標高7、800mぐらいのところまでによくにかけられるとんぼである。
岩木山では、時季によっては山頂あたりで大群をなしていることもある。そして、秋になると平地に降リてきて、水辺に多いのである。
私は、自分の経験から、この句と最初接した時、汀女はどこか山麓の小道でも歩いていたのかなあと思ったものだ。水辺に多いとなれば、それは道路沿いの、草むらを持つ水際(みぎわ)であっても差し支えはないのである。
汀女になってもう少し句意に浸(ひた)ってみよう。心弾む秋日の散策ーいや逍遥(しょうよう)と言ったほうがいいかも知れない…の折り、ふと歩みを停めると、多くの蜻蛉、とんぼが動きを停めた自分を取り巻く。
柔らかい動きの、そして軽快な動きの蜻蛉、とんぼという明るい秋気に心身を委ねている幸福感。そして、ふと、とんぼを追いかけた子供心に戻って、優しい秋を肌で感じたのだ…。とでもなろうか。
しかし、私はこの句の持つ視点、汀女のとんぼをとらえる視点に不満を持つののである。
■ 車での長旅・夏と秋が分かれていた・「いぐね」のある風景 ■
宮城県大崎市鳴子温泉で開かれた「第29回東北自然保護の集い」には「自動車」で出かけた。弘前から5時間の距離である。車に5時間も缶詰になっていることは疲れるものである。運転者はもっと疲れているだろう。
そのようなことを意識しているのだが、何しろ「体」は意識を越えて、「睡魔」に襲われる。
助手席に陣取っていて、運転者の「腕」にもたれ掛かるような姿勢になって、スーと「睡魔」が全身をのっとってしまう。運転者に「起こされて」ようやく「目覚める」というていたらくである。
おそらく、ぐらりと上体を横様に傾かせるのは一瞬なのだろうだが、「そうなってはいけない」と意識している精神からすると、やりきれないほどの恥辱に感ずるし、申し訳ない気持ちに襲われてしまう。睡眠時間の少ない、朝3時に起床した「往路」では、そのような「睡魔」に取り憑かれることは殆どなかったのに、22時に就寝して、6時に起床して「温泉」を浴びて十分「リフレッシュ」したはずの「復路」でこのような事態になったのは何故だろう。
体に感じないところで「疲れ」ていたというしかない。全体会議で報告をし、意見を述べて議論に参加し、朝は朝で7時からアピール文の作成会議に参加することになり、9時からの全体会議でまた、報告と発言、質問とめまぐるしく「精神」は働いていたのである。やはり、疲れ以外の何者でもない。
…鳴子を出たら、猛烈な雨である。道路脇に設置されている気温表示は30℃、暑い。鳴子から古川の自動車道までは西から東に移動する。私たちは南からの「暖かく湿った気団」と北からの「冷たくて乾いた大陸性の気団」がぶつかっている大きな「前線」の下を移動していた。
古川から自動車道路に入ってひたすら北上することになる。だから、次第に気温も下がり、雨も止むだろうと考えていた。結果として「そのとおり」になったが、この前線の南北幅は相当広かったようで、高速自動車道路に入ってからも、しばらくは「暑く激しい雨」は続いた。
岩手県に入り、車窓からは「いぐね」が見えるようになってきたら、天気は180度転換して、爽やかな秋晴れとなってきた。気温も24℃まで下がった。
冷たい秋の気団に覆われている地域に入って来たのである。日射しは強かったが、気温は低く、涼風が静かに吹く穏やかな「秋の東北」に入っていたのである。日本は狭い国だが、大きな気団がぶつかり、秋と夏を「演出」する気候的・気象的には壮大な「国」である。四季の移ろいがある国とは、その変化があるゆえに「心象的な風景」までが繊細で美しいのである。
弘前に入った頃の気温は21℃だった。秋である。
(注)「いぐね」:風雪から家屋敷を守るためや、食料や建材、燃料として利用するために敷地を取り囲むように植えられた屋敷林のこと。仙台を中心とした東北地方の太平洋側で広く使われている呼び名で、家を表す「い」と地境の「くね」から屋敷境を表したことが語源だと言われている。
仙台平野の水田地帯に緑の浮島のように見える「いぐね」は、先祖代々から引き継がれた農村での暮らしの知恵であり、また、農村の風土を形づくる独特の風景である。岩手県南部は旧伊達藩の一部だったので仙台平野に見られる「いぐね」もその当時から造られていて、それが現存している。自分の家の廻りが「いぐね」となっていたら、何とすてきだろうと心密かに想ったものだ。
■ Mさんの「岩木山・花の山旅」に対する「書評」■は明日以降に書きます。