岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「野外観察」での発見 / 白狐沢山麓からの岩木山は森に覆われている

2008-09-27 05:53:46 | Weblog
(今日の写真はハナワラビだ。だが、今回の「野外観察」で撮ったものではない。数年前の秋に、二子沼に出かけた時のものだ。だから、ブナ林内のいくらか日当たりのいい場所に咲いていたものだ。
 今回の観察会で発見したものはその「場所」が全く違う。樹林の全くない「ススキ原」で、この写真のものより数等太い「担葉体」であって、その立ち姿は、まさに「にょきにょき」であり、色彩も輝くほどの「黄色」であった。
 他人は私を「被写体」を見ると「すぐに撮影する」人だととらえているらしいが、そうではない。まずは、肉眼での「観察」を始める。興味の引かれる被写体は「観察」する時間が長くなり、感興がのってくると「撮す」ことを忘れてしまうことがあるのだ。今回の「撮影忘れ」はそのような事情と、同じシダ類のヒカゲノカズラとの出会いという偶然性に驚いていたからであった。)

  ◎ 岩木山白狐沢下流域で開かれた「野外観察」その5 ◎

 … 白狐沢下流域山麓から見える岩木山は森に覆われている…

 井原俊一はその著「日本の美林(岩波新書)」の中で…、
 『人工林だってかまわないのではないか。ー数百年という時間をかけ自然を取りこんでいけば、天然林に近づいていく。問題なのは、樹木と生き物たちを根絶やしにして、森の時間をゼロにしてしまうことにある。環境と資源を含めた「いい森」とは、時間を貯え、その時間をけっしてゼロにしない、ということではないだろうか。』と言う。     

 牧草地から眺めても「大石神社から白狐沢左岸尾根を通り、大鳴沢右岸尾根を辿り扇ノ金目山を経由して赤倉キレット、赤倉御殿へと続く」かつての登山道跡は全く見えない。
 実際に入ってみると、取り付き地点が林道によって曖昧にされている上に低木と藪に覆われて見えない。
 さらに、中間地点ではブナの伐採によって、その後生えてきた萌芽林「ほうがりん:樹木の幹・枝を伐採利用した後の、切り口付近から出る萌芽によって造られた森林」によって道は消されている。
 扇ノ金目山には、熊の爪跡のある古い木製の標識があるが倒れて、藪に埋まっている。その上部は根曲がり竹が密生していてほとんど道は解らない。
 この状態はまさに、井原俊一が言う…、
 『環境と資源を含めた「いい森」とは、時間を貯え、その時間をけっしてゼロにしない』ということだろう。
 その「いい森」のある尾根を晩冬に登った記録を載せよう。

 このように夏場は「藪や低木」に阻まれる「時間がゼロ」でない尾根を登ることは苦しいものだ。だが、同じルートでも、積雪が固く締まってくる3月中旬ごろからの岩木山登山は本当に楽しいものとなる。この時季は、地図上には道のない多くの尾根を登ることが出来るのだ。
 ある年の3月22日、単独で白狐沢の左岸を詰めた。ここももちろん地図の上では道はない。それに続く稜線上の道も平成7年発行の地図からは消えている。
 雪質は硬くて歩きやすく、夏道を辿るよりも速い。当然、冬山を意識しているからザックは50リットル、重量は12キロを越えている。その上、耐風姿勢を時々とらなければいけないほどの突風が吹くという状態であった。
 そのような中を、標高1396mのピークまで2時間たらずで行けたのだ。これには我ながら驚いた。
 ピーク手前の急斜面ではアイゼンを持ってこなかったわが身を悔やみ、ののしりたくなるような思いをした。
 アイゼン代わりに輪かんを着けて、その爪を効かせての登攀を試みたのだが、歩きやすさを提供してくれた硬い雪にはあまり効果はなかった。結局ピッケルに頼り、爪やキックの効かない雪面ではカッテングで登るしかなかった。
 時折、風が回る。進行方向から吹いているものが、瞬時に横から、背後からと向きを変えて攻め立てる。何回かそれにあおられて、沢の北側絶壁に落下しそうになったが、その緊張を持続させながら、なんとか赤倉沢の切戸(キレット)を抜けて頂上に向かった。
 しかし、私のアイゼンを着けていない足まわりはあまりにも貧弱であった。更なる強風と雪面の氷化に追い立てられて、とうとう頂上を目前にして逃げ帰った。

 下山である。ピストンをするには、この尾根の場合はつまらないよりも恐怖に近い。百沢に下る尾根はつまらない。さりとて大黒沢の左岸尾根を経て弥生に出るのも、その年の2月に登ったばかりで新味がない。
 そこで、今は地図から消えてはいるが、30数年前の地図には登山道が明記されていた水無沢の左岸尾根を降りることにした。
 
 大鳴沢いっぱいに集められた風はエネルギーを指数的に増やし、限界点に達するや爆風となって岩鬼山の稜線越えに、森林限界まで一気に吹き下る。
 そして、雪面に出ているダケカンバやミヤマハンノキなどの梢を這わせて、それに続く疎(まば)らなコメツガの低木を踏みにじりながらブナの森に入り、一直線に幹を鳴らし、枝や梢に放物線を描かせる。
 白さを増した幹の灰色を辿って上を見上げると、高い青鈍色の空を遮って、わずかに赤く色づいた梢が大きく揺れる。

 森の時間は、誕生から終焉までとてつもなく長い。
人の暮らす日常時間とは違うのだ。人の命はここ数年、平均余命が延びてきているから、大きくみても80年だろう。(続く)