■ 秋10月の山頂 ■
(今日の写真は秋10月の山頂だ。遠くから眺めたものではない。赤倉登山道を登り、大鳴沢源頭からの急登を登り切って、頂上直下に立ったところから写したものだ。この日はいい天気だった。)
お天気の統計上、晴れの日が一番多い月は、10月なのだそうだ。天気には「特異日」というのがあるそうで、統計から見ると、毎年その日は晴れるというような「日」を指す。
だが、最近はそれも当たらなくなってきている。地球温暖化による「気象変動」である。今年もおかしいことがある。それは台風がまだ「一つ」も日本に上陸していないことである。別に台風の上陸を待ち望んでいるわけではないが、これまでは8月までに一つぐらいは日本に上陸していたではないか。
写真の話しに戻そう。…この丸い山が、岩木山の中央火口丘である。範囲を広げると弘前や五所川原、それに、鰺ヶ沢方面から見える屹立峰全体を指して岩木山と言うが、範囲を限定すると、これが岩木山ということになる。
弘前や鰺ヶ沢から見ると、岩木山は三つの頂(鳥海・岩木・巌鬼)のある山に見える。この写真はその「岩木」であるが、この「岩木」も近づいて見ると、さらに、三つの頂になっている。
大鳴沢の源頭から急登する突き当たりの岩山がそれであり、そこから少し下って来た所が、この写真で登山者が歩いている所である。百沢や岳から登ってくると、 鳳鳴小屋からの登り切った所が一つの頂になっている。
これは、岩木山が数回の火山性の爆発を繰り返しながら、今のような恰好になったことを示しているのだ。
だが、五所川原市や鶴田町方面から見える山容はまったく違う。山全体に「丸み」がないのだ。尖っているといってもいい。その上、頂が一つに統一されてしまうのだ。
古い話しで恐縮だが、私は1973年に書いた「十月小春・膝小僧出張る」という小説の冒頭で、その岩木山の容姿を次のように表現している。
…「廂が鈍角の長い薄茶けた影を伸ばしている南側の窓からは、デッサンをする画学生の射通す視線を頑強に拒絶し、決して摩滅することのない錐のような石膏の三角体を、小さなものから順に重ねたような、山が見えていた。」
このように、山頂は、とにかく「尖っている」のである。それは、まさに、マッターホルンのように見えるのだ。
ところが、実際、頂きに直近すると、「鋭利、鋭角」さは微塵もない。丸みを帯びた優しい頂なのである。低木のミヤマハンノキやダケカンバは既に葉を落とし、ムツノガリヤスなどの草も、黄金色に輝く「草紅葉」の時を終えて、乾いた「枯れ野」となり、冬を待つ準備をすっかり整えている。
もう一度書くが、この日はいい天気だった。ここまで登って来ても、「風」を感じない穏やかな日和りであった。
■ タウン誌「月刊弘前」から原稿依頼 ■
実に早急な話しである。まるで、「今日依頼が来て、明日までに書き上げてくれ」というようなことなのである。実は締め切りが今日である。何のことなのだろうか、それは実に漠然と「カラーガイド 岩木山・花の山旅」についてである。加えて、写真を15枚ほど提供して欲しいとのことであった。写真についても「限定」はなかったので、花以外の写真も入れようかなと思っている。
午前中に写真の選択をして、午後には届けることが出来るだろう。何とかなるものである。
さて、このような場合は「何を書いてもいい」と受け取ればいいのだと判断して、題を「カラーガイド 岩木山・花の山旅、発刊によせて」とし、サブタイトルを「岩木山の花々は私たちに何を語るのだろう」として書くことにした。その書き出しの部分を紹介しよう。
…山道を登り、花々に出会い「可愛い」とか「美しい」とか「健気だ」とか、さらには咲き方や生育状態に「驚き、感嘆」する前に、いつも思うことがある。
それは花は「自分たちのそれらを誇らないし、出会う私たちに愛でられ慈しまれることを決して望んでいる訳ではない」ということである。
それは、ただ「今という現実を生命の限りを尽くして生きて、次の世代に生命を引き継いでいくこと」の為にだけ色彩の、形の美しい花を咲かせ、時には芳香さえまき散らすのである。
そう思った後で、私はきまって「果たして私は日々、命の限りを尽くして生きているか」と怯えるのだ。
花を咲かせることは、草や樹木にとっては精魂と生気を使い果たすほどにものすごいエネルギーを使うものだ。「春のはかない命」と呼ばれるものは、花を咲かせて種をつけると枯れてしまう。これは新しい生命の誕生に「命がけ」で臨むからだろう。花の美しさには「全身全霊を賭ける」ということが潜んでいるように思える。
私たちが心惹かれるのはそれゆえではないだろうか。花というものは美しさだけを私たちに与えるものではない。花は力強く、逞しく、美しい上に優しさと暖かさ、強靱さを持っている。
「自然のまっただ中に咲き生きるもの」が「自然から隔離されて生きている」私たちに、「人間」の間違いや「その社会」の身勝手さを、逆に教えてくれることがずいぶんとあるように思えるのである。…
(今日の写真は秋10月の山頂だ。遠くから眺めたものではない。赤倉登山道を登り、大鳴沢源頭からの急登を登り切って、頂上直下に立ったところから写したものだ。この日はいい天気だった。)
お天気の統計上、晴れの日が一番多い月は、10月なのだそうだ。天気には「特異日」というのがあるそうで、統計から見ると、毎年その日は晴れるというような「日」を指す。
だが、最近はそれも当たらなくなってきている。地球温暖化による「気象変動」である。今年もおかしいことがある。それは台風がまだ「一つ」も日本に上陸していないことである。別に台風の上陸を待ち望んでいるわけではないが、これまでは8月までに一つぐらいは日本に上陸していたではないか。
写真の話しに戻そう。…この丸い山が、岩木山の中央火口丘である。範囲を広げると弘前や五所川原、それに、鰺ヶ沢方面から見える屹立峰全体を指して岩木山と言うが、範囲を限定すると、これが岩木山ということになる。
弘前や鰺ヶ沢から見ると、岩木山は三つの頂(鳥海・岩木・巌鬼)のある山に見える。この写真はその「岩木」であるが、この「岩木」も近づいて見ると、さらに、三つの頂になっている。
大鳴沢の源頭から急登する突き当たりの岩山がそれであり、そこから少し下って来た所が、この写真で登山者が歩いている所である。百沢や岳から登ってくると、 鳳鳴小屋からの登り切った所が一つの頂になっている。
これは、岩木山が数回の火山性の爆発を繰り返しながら、今のような恰好になったことを示しているのだ。
だが、五所川原市や鶴田町方面から見える山容はまったく違う。山全体に「丸み」がないのだ。尖っているといってもいい。その上、頂が一つに統一されてしまうのだ。
古い話しで恐縮だが、私は1973年に書いた「十月小春・膝小僧出張る」という小説の冒頭で、その岩木山の容姿を次のように表現している。
…「廂が鈍角の長い薄茶けた影を伸ばしている南側の窓からは、デッサンをする画学生の射通す視線を頑強に拒絶し、決して摩滅することのない錐のような石膏の三角体を、小さなものから順に重ねたような、山が見えていた。」
このように、山頂は、とにかく「尖っている」のである。それは、まさに、マッターホルンのように見えるのだ。
ところが、実際、頂きに直近すると、「鋭利、鋭角」さは微塵もない。丸みを帯びた優しい頂なのである。低木のミヤマハンノキやダケカンバは既に葉を落とし、ムツノガリヤスなどの草も、黄金色に輝く「草紅葉」の時を終えて、乾いた「枯れ野」となり、冬を待つ準備をすっかり整えている。
もう一度書くが、この日はいい天気だった。ここまで登って来ても、「風」を感じない穏やかな日和りであった。
■ タウン誌「月刊弘前」から原稿依頼 ■
実に早急な話しである。まるで、「今日依頼が来て、明日までに書き上げてくれ」というようなことなのである。実は締め切りが今日である。何のことなのだろうか、それは実に漠然と「カラーガイド 岩木山・花の山旅」についてである。加えて、写真を15枚ほど提供して欲しいとのことであった。写真についても「限定」はなかったので、花以外の写真も入れようかなと思っている。
午前中に写真の選択をして、午後には届けることが出来るだろう。何とかなるものである。
さて、このような場合は「何を書いてもいい」と受け取ればいいのだと判断して、題を「カラーガイド 岩木山・花の山旅、発刊によせて」とし、サブタイトルを「岩木山の花々は私たちに何を語るのだろう」として書くことにした。その書き出しの部分を紹介しよう。
…山道を登り、花々に出会い「可愛い」とか「美しい」とか「健気だ」とか、さらには咲き方や生育状態に「驚き、感嘆」する前に、いつも思うことがある。
それは花は「自分たちのそれらを誇らないし、出会う私たちに愛でられ慈しまれることを決して望んでいる訳ではない」ということである。
それは、ただ「今という現実を生命の限りを尽くして生きて、次の世代に生命を引き継いでいくこと」の為にだけ色彩の、形の美しい花を咲かせ、時には芳香さえまき散らすのである。
そう思った後で、私はきまって「果たして私は日々、命の限りを尽くして生きているか」と怯えるのだ。
花を咲かせることは、草や樹木にとっては精魂と生気を使い果たすほどにものすごいエネルギーを使うものだ。「春のはかない命」と呼ばれるものは、花を咲かせて種をつけると枯れてしまう。これは新しい生命の誕生に「命がけ」で臨むからだろう。花の美しさには「全身全霊を賭ける」ということが潜んでいるように思える。
私たちが心惹かれるのはそれゆえではないだろうか。花というものは美しさだけを私たちに与えるものではない。花は力強く、逞しく、美しい上に優しさと暖かさ、強靱さを持っている。
「自然のまっただ中に咲き生きるもの」が「自然から隔離されて生きている」私たちに、「人間」の間違いや「その社会」の身勝手さを、逆に教えてくれることがずいぶんとあるように思えるのである。…